ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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記憶の向こう側 ~4~

 ゲヘナの面々が医務室を出てから、しばらく時間が経った。

 黒夜は再びベッドに横になっていた。とはいえ、完全に眠っているわけではない。天井を見上げたり、窓の外へ視線を向けたり、時折ミネに質問を投げたりしている。

 表情は先ほどより落ち着いていた。

 

 ヒナに会えたことが大きかったのだろう。

 最初に目覚めた時のような剥き出しの警戒は少し薄れている。

 ミネはその様子を確認しながら、静かに言った。

 

「黒夜さん。無理に眠ろうとしなくても構いませんが、身体は休めてください」

 

「分かってるよ。頭打ってるんだろ」

 

「はい」

 

「……記憶ってのは、寝たら戻るもんなのか?」

 

「必ずとは言えません。ですが、休息は必要です」

 

「曖昧だな」

 

「医療とは、曖昧なものを丁寧に確認していく作業でもあります」

 

「……変な言い方だな」

 

 黒夜はそう言いながらも、それ以上文句は言わなかった。

 医務室の外では、ナギサ達とゲヘナ勢がまだ待機している。

 

 誰も帰ろうとしない。

 今の黒夜にとっては見知らぬ相手であっても、彼女達にとっては黒夜なのだ。

 そして、黒夜が倒れたという知らせは、さらに別の場所にも届いていた。

 

 ミレニアム。

 アリウス。

 アビドス。

 

 黒夜に関わってきた者達が、その知らせを聞いて動き出すのに、そう時間はかからなかった。

 最初に到着したのは、ミレニアムの三人だった。

 

 リオ、ヒマリ、ユウカ。

 

 救護騎士団の廊下に現れた三人を見て、ナギサが少しだけ目を見開く。

 

「リオさん、ヒマリさん、ユウカさんまで……」

 

 リオは静かに頷いた。

 

「黒夜が頭部を打って記憶障害を起こしたと聞いたわ。状態を確認させて」

 

 ヒマリはいつもの調子を保とうとしているが、目元には心配が滲んでいる。

 

「この超天才清楚系病弱美少女ハッカーである私の分析能力が必要とあらば、駆けつけないわけにはいきませんからね」

 

 ユウカは少し息を整えながら言う。

 

「黒夜さんが過去の記憶に戻っていると聞きました。しかも、ゲヘナ学園一年の頃だと……」

 

 ハスミが彼女を見る。

 

「ユウカさんも、以前の話を聞いてましたね」

 

「イロハさんから、少しだけ聞いていました。昔の黒夜さんは今より荒かったけれど、根本は真面目だったと」

 

 イロハは廊下の端で肩をすくめた。

 

「まさか、その話がこんな形で役に立つとは思いませんでしたけどねぇ」

 

 リオは医務室の扉へ視線を向ける。

 

「今の黒夜は、私たちを知らないのね」

 

「ええ」

 

 ナギサが静かに答える。

 

「私たちのことも、ほとんど分かっていません。ヒナさんとカスミさん以外は、基本的に初対面として扱われています」

 

 ヒマリは小さく息を吐いた。

 

「なるほど。つまり今の黒夜さんにとって、私はただの通りすがりの超天才清楚系病弱美少女ハッカーということですか」

 

「ただの、の意味が崩れていますね」

 

 ユウカが呟く。

 ミネが中から出てきた。

 

「一度に多くの人数が入ると負担になります。まずはミレニアムの皆さんだけで、短時間にしてください」

 

 リオは頷く。

 

「分かったわ」

 

 三人は医務室へ入った。

 黒夜はすぐに視線を向ける。

 

「こうも頻繁に見知らぬ来客が来ると、休ませたいのか休ませたくないのかわかんねぇな?」

 

 声には明確な警戒がある。

 リオはベッドから距離を取り、落ち着いた声で名乗った。

 

「調月リオ。ミレニアムサイエンススクールの会長よ」

 

「ミレニアム……」

 

 黒夜は眉をひそめる。

 

「ハイテクを旨とする学園か」

 

「大雑把な認識ね」

 

「間違ってんのか?」

 

「大きくは間違っていないわ」

 

 リオは否定しなかった。

 ヒマリは少し身を乗り出す。

 

「そして私は、ミレニアムが誇る超天才清楚系病弱美少女ハッカー、明星ヒマリです」

 

 黒夜は数秒黙った。

 

「……おう」

 

「反応が薄いですね?」

 

「これ以上どう反応しろってんだよ!」

 

 ヒマリは少し不満そうに頬を膨らませる。

 

「今の黒夜さんは、随分と遠慮がないですね」

 

「知らねぇ奴に遠慮する理由もねぇだろ」

 

「それもそうですね」

 

 ヒマリは意外とあっさり納得した。

 ユウカが一歩前へ出る。

 

「早瀬ユウカです。ミレニアムのセミナーに所属しています」

 

「セミナー?」

 

「生徒会のようなものです」

 

「ふーん」

 

 黒夜は三人を順番に見た。

 

「で、ミレニアムの連中が何しに来たんだよ」

 

 リオは端的に答える。

 

「貴方の状態確認」

 

「医者ならそこの青い奴がやってるだろ」

 

「彼女の診断を疑っているわけではないわ。ただ、記憶障害については複数の観点から見た方がいい。外傷性の記憶障害なら、認知や言語、判断にどの程度影響が出ているか確認する必要がある」

 

「……よく分かんねぇけど、頭を見るってことか」

 

「大まかにはそう」

 

「変なことすんなよ」

 

「しないわ」

 

 リオは表情を変えずに答えた。

 ヒマリが軽く指を立てる。

 

「安心してください。黒夜さんの頭の中を覗くような真似はしません。この超天才はプライバシーを尊重する良識ある美少女ですので」

 

「自分で良識あるって言う奴は大体怪しい」

 

「鋭いですね」

 

「否定しろよ」

 

 ユウカは二人のやり取りに少しだけ苦笑した。

 そして、黒夜をじっと見る。

 イロハから聞いた昔の黒夜。

 目の前の黒夜は、まさにその通りだった。

 

「黒夜さん」

 

「あ?」

 

「以前、貴方の昔の話を少しだけ聞いたことがあります」

 

「俺の昔? 俺からしたら今なんだけどな」

 

「そうですね。ですが、私たちにとっては過去です」

 

「……ややこしいな」

 

 ユウカは少しだけ微笑んだ。

 

「でも、少し安心しました。口調は違いますが、貴方は確かに黒夜さんです」

 

 黒夜は怪訝そうな顔をした。

 

「何を見て安心してんだよ」

 

「誰かを庇って怪我をしたことです」

 

「そこは安心するところじゃねぇだろ」

 

「ええ。普通なら怒るところです」

 

 ユウカは真面目に頷いた。

 

「ですが、聞いていた黒夜さんらしいと思いました」

 

 黒夜は返答に困ったように視線を逸らした。

 

「……お前ら、本当に未来の俺を知ってるんだな」

 

 リオは静かに言った。

 

「知っているわ。貴方はミレニアムにもよく来る」

 

「俺が?」

 

「ええ。ヒマリからハッキング技術を学んだり、ゲーム開発部に巻き込まれたり、私の……その、部屋の片付けを手伝ったり」

 

「最後だけ妙に歯切れ悪くないか?」

 

「気のせいよ」

 

 ヒマリがにこりと笑う。

 

「ちなみにリオの部屋は油断すると半額弁当の容器で大変なことになります」

 

「ヒマリ!」

 

「事実でしょ?」

 

「お前ら仲悪いのか?」

 

「悪くありません」

 

「良くもなさそうだな」

 

 黒夜がそう言うと、ヒマリは楽しそうに笑った。

 

「ふふ、今の黒夜さんはよく刺してきますね」

 

「刺してねぇよ」

 

 軽い会話の中で、リオは黒夜を観察していた。

 

 記憶は確かに過去へ戻っている。

 だが、会話の筋は通っている。判断力も落ちていない。皮肉への反応もある。

 問題は、記憶だけ。けれど、それが一番重い。

 

 リオは静かに言った。

 

「黒夜。貴方の記憶は戻る可能性がある。だから今は焦らず、休むこと」

 

「どいつもこいつも休めって言うな」

 

「必要だから言っているのよ」

 

「……分かってる」

 

 黒夜は不満そうにしながらも、逆らわなかった。

 ヒマリが微笑む。

 

「それでよろしい。未来の黒夜さんも、もう少し素直に休んでくれると助かるのですが」

 

「未来の俺はそんなに休まねぇのか?」

 

 三人が同時に黙った。

 黒夜は眉をひそめる。

 

「……おい。なんで黙る」

 

 ユウカが目を逸らす。

 

「私からは……」

 

 リオが短く言う。

 

「休まないわ」

 

 ヒマリも頷く。

 

「かなり休みません」

 

「最悪じゃねぇか」

 

 黒夜は素直に嫌そうな顔をした。

 その反応に、ユウカが小さく笑う。

 

「そう思えるなら、今のうちに覚えておいてください。未来の貴方にも言いたいくらいです」

 

「そこは未来の俺に言えよ」

 

「言っています」

 

「聞かねぇのか」

 

「はい」

 

「最悪じゃねぇか」

 

 二度目の言葉に、三人は少しだけ笑った。

 

 短い面会を終え、ミレニアムの三人が出てきた後、次にやって来たのはアリウススクワッドだった。

 サオリ、アツコ、ミサキ、ヒヨリ。

 

 四人は廊下の空気を見て、すぐに状況の重さを察した。

 アツコは医務室の扉を見つめる。

 

「黒夜は……私たちのこと、知らないんだよね」

 

 その言葉に、ナギサは静かに頷いた。

 

「はい。今の黒夜さんにとっては、まだ出会う前の皆さんになります」

 

 ヒヨリはすでに涙目だった。

 

「うう……それって、黒夜さんに知らない人扱いされるってことですよね……? 覚悟しててもつらいですぅ……」

 

 ミサキは壁にもたれ、目を伏せている。

 

「……別に、今の黒夜が悪いわけじゃない」

 

 サオリは静かに言った。

 

「ああ。分かっている。だが、会わない理由にはならない」

 

 アツコは小さく頷いた。

 

「うん。会いたい」

 

 ミネの許可を得て、アリウススクワッドが医務室へ入る。

 黒夜はまた警戒するように視線を向けた。

 

「……また知らねぇ連中か」

 

 サオリは一歩前に出る。

 

「アリウススクワッドの錠前サオリだ」

 

「アリウス?」

 

 黒夜の表情がわずかに変わる。

 

「聞いたことねぇな」

 

 ヒヨリが小さく呻いた。

 

「うう……本当に知らないんですね……」

 

 ミサキは目を逸らす。

 

「分かってたことじゃん」

 

 アツコは黒夜をじっと見た。

 

「黒夜」

 

「……なんだよ」

 

「私のことも、覚えてない?」

 

「ああ。悪いが知らねぇ」

 

 黒夜は少しだけ気まずそうに言った。

 先ほどまでの刺々しさより、ほんの少しだけ言葉が柔らかい。

 アツコの声が静かに落ちる。

 

「そっか。今の黒夜は、私たちのこと知らないんだね」

 

 医務室の空気が、また少し重くなる。

 黒夜はその意味を理解できない。

 だが、彼女達が傷ついていることは分かった。

 

「……悪いな」

 

 ぽつりと、黒夜は言った。

 アツコが目を瞬かせる。

 

「え?」

 

「知らねぇもんは知らねぇけど……お前らがそういう顔するくらいには、未来の俺と何かあったんだろ」

 

 黒夜は視線を逸らした。

 

「だから、悪い」

 

 その言葉に、ヒヨリがとうとう泣いた。

 

「ううう……黒夜さん、昔でも黒夜さんですぅ……!」

 

「泣くなよ!?」

 

 黒夜がぎょっとする。

 ミサキは小さく息を吐いた。

 

「……ほんと、変わってない」

 

 サオリは真剣に黒夜を見る。

 

「黒夜。今の君にとって私たちは知らない相手だ。それは分かっている。だが、未来の君は私たちに食事を作ってくれた」

 

「食事?」

 

「ああ。生姜焼きだった」

 

「なんでそこで料理の話になるんだよ」

 

「大事な話だ」

 

 サオリは真顔だった。アツコも静かに頷く。

 

「そう、大事な話なの」

 

 ヒヨリは泣きながら言う。

 

「黒夜さんの生姜焼き、とても美味しかったですぅ……!」

 

「俺が料理ね…」

 

「作ってくれたんだよ」

 

 ミサキが短く答えた。

 

「普通に美味い」

 

「ふーん、想像できねぇな」

 

 黒夜は頭を抱えかけて、顔をしかめた。

 アツコがすぐに心配そうに身を乗り出す。

 

「大丈夫?」

 

「近づきすぎんな。……でも、大丈夫だ」

 

 黒夜はそう言って、アツコの顔を見る。

 彼女の静かな心配が、どうしてか胸に引っかかった。

 

「お前らも、俺を心配して来たのか」

 

「うん」

 

 アツコは即答した。

 

「黒夜に、ちゃんと帰ってきてほしいから」

 

 黒夜は黙った。

 その言葉の意味は、今の彼には分からない。

 だが、重さだけは伝わった。

 

「……そうかよ」

 

 アツコは少しだけ微笑んだ。

 

「うん。そうだよ」

 

 面会を終えたアリウススクワッドが出てくる頃には、ヒヨリはまだ泣いていた。サオリは静かに彼女の肩に手を置き、ミサキは何も言わず、アツコだけが扉を振り返っていた。

 そして最後に、アビドスからの三人が到着した。

 

 ホシノ、シロコ、シロコ*テラー。

 

「うへ~……黒夜君、また無茶したんだって?」

 

 ホシノの声はいつも通りゆるい。

 けれど、その目は笑っていなかった。

 

 シロコは短く言う。

 

「ん、黒夜が倒れたって聞いた」

 

 シロコ*テラーは無言だった。

 ただ、扉を見つめる目が静かに重い。

 

 ミネが短く説明した後、三人は医務室へ入った。

 黒夜は彼女達を見る。

 

「今度は……」

 

 言いかけて、ホシノを見て眉をひそめた。

 

「アビドス?」

 

「うへ~、知ってるんだ?」

 

「名前くらいはな。砂だらけで大変な学校って聞いたことある」

 

「だいたい合ってるね~」

 

 ホシノはのんびり笑いながら、ベッドから少し離れた椅子に座った。

 

「小鳥遊ホシノだよ~」

 

「月城黒夜」

 

「知ってるよ~」

 

「……またそれか」

 

 黒夜は少し疲れたように言った。

 シロコが一歩前へ出る。

 

「ん、砂狼シロコ」

 

「おう」

 

「黒夜は、私のこと知らない?」

 

「知らねぇ」

 

「ん、そっか」

 

 シロコは少しだけ目を伏せた。

 それから、静かに言う。

 

「でも、黒夜は黒夜」

 

「……それもさっきから何度も言われてる」

 

「大事だから」

 

 黒夜は返す言葉を失った。

 シロコ*テラーは黒夜を見つめていた。

 黒夜も、その黒いシロコに気づく。

 

「……お前も、黒い方か」

 

『ん、そう』

 

「ここ、黒い奴多くねぇか?」

 

『黒夜のせい』

 

「なんでだよ」

 

 シロコ*テラーは静かに言う。

 

『あなたが、いろんなものを変えたから』

 

「……意味分かんねぇ」

 

『今は分からなくていい』

 

 シロコ*テラーは、それ以上近づかなかった。

 目の前にいる黒夜が自分を知らないことが、静かに痛かった。

 ホシノは黒夜をしばらく観察していた。

 

「うへ~、本当に今の黒夜君と全然感じ違うんだね~」

 

「お前も未来の俺を知ってるのか」

 

「うん。盾の使い方をちょっと教えてるよ~」

 

「盾?」

 

「守り方の練習」

 

 黒夜は少し顔をしかめる。

 

「俺が守り?」

 

「そう。今の黒夜君は、守ろうとする時に無茶するからね~」

 

「……未来の俺、さっきから評判悪くねぇか?」

 

「評判は良いよ~。ただ、みんな心配してるだけ」

 

 ホシノはゆるく笑った。

 

「でも、怪我人を庇ったんでしょ?」

 

「らしいな」

 

「そこは今と同じだね~」

 

 黒夜はホシノを見る。

 その声はゆるいのに、どこか深いところを見透かしてくるようだった。

 

「……アンタ、何者だよ」

 

「アビドスのおじさんだよ~」

 

「おじさん?」

 

「うん」

 

「女だろ」

 

「うへ~、細かいことは気にしない気にしない」

 

 黒夜はしばらくホシノを見ていた。

 そして、小さく呟く。

 

「……変な奴」

 

「よく言われるよ~」

 

 ホシノは笑う。

 その笑い方に、黒夜は少しだけ肩の力を抜いた。

 

 今日一日で、彼は何度も知らない相手に囲まれた。

 トリニティ。

 ゲヘナ。

 ミレニアム。

 アリウス。

 アビドス。

 

 誰もが自分を知っている顔をしていた。

 誰もが、自分を心配していた。

 それが気持ち悪くて、分からなくて、落ち着かなかった。

 

 けれど、ここまで来ると、認めるしかない。

 未来の自分は、本当に多くの人と関わっていたのだ。

 黒夜は医務室の扉の方を見る。

 その向こうには、まだ何人もいる気配がする。

 

 自分を知っている者達。

 自分を心配している者達。

 

 黒夜はぽつりと呟いた。

 

「……記憶を失う前の俺って、随分慕われてたんだな」

 

 その言葉に、ホシノの目が少しだけ細くなる。

 

 シロコが静かに黒夜を見る。

 シロコ*テラーも、何も言わない。

 黒夜は、少し照れたように視線を逸らした。

 

「正直、よく分かんねぇけどさ」

 

 そして、明るく言った。

 

「じゃあ、早く元に戻らなきゃな」

 

 その瞬間。

 医務室の空気が凍った。

 黒夜は気づかない。

 

 自分としては、ただ前向きに言っただけだった。

 これだけ心配している人達がいるなら、未来の自分に戻った方がいい。

 それだけのつもりだった。

 

 だが、周囲は違った。

 

 ホシノの表情から、ゆるさが消えた。

 シロコがわずかに息を呑む。

 シロコ*テラーの指先が震える。

 

 扉の外で聞いていたナギサ達も、言葉を失っていた。

 元に戻る。それは正しい。

 誰もが望んでいる。

 

 けれど同時に、目の前にいるこの過去の黒夜が、思い出になるということでもあった。

 荒くて、刺々しくて、ヒナに憧れていて、知らない相手にも不器用に気を遣うこの黒夜とは、もう二度と話せなくなるかもしれない。

 その言い方が、かつて黒夜が自分自身を手放そうとした時の空気を思い出させた。

 

 皆のために元に戻らなきゃ。

 そう明るく言う黒夜。

 悪気などない自己犠牲のつもりもない。

 

 けれど、その行動があまりにも黒夜だった。

 ホシノが静かに口を開く。

 

「黒夜君」

 

「何?」

 

「それ、簡単に言わない方がいいよ~」

 

 黒夜は眉をひそめる。

 

「なんでだよ?あんた等も俺が元に戻った方がいいんだろ?」

 

「うん。そうだね」

 

 ホシノは静かに頷く。

 

「でも、今ここにいる黒夜君も、黒夜君だからね~」

 

「……そりゃそうだろ俺は俺だ。わけわからん」

 

「分からなくてもいいよ」

 

 ホシノの声は、いつもより少しだけ低かった。

 

「ただ、君が元に戻ることを、みんなが簡単に喜べるわけじゃないってこと」

 

 黒夜は部屋の外を見る。

 扉の向こうで、誰かが泣きそうな気配がした。

 

「……どうしてだよ」

 

 困惑した声だった。

 

「俺は、お前らのこと何も知らねぇんだぞ」

 

 シロコが静かに言う。

 

「ん、でも、私たちは黒夜を知ってる」

 

 シロコ*テラーも続ける。

 

『知らないあなたでも、黒夜だから』

 

 黒夜は黙った、理解できない。

 だが、胸の奥が妙にざわついた。

 ホシノは、いつもの調子を少しだけ取り戻して笑った。

 

「うへ~。黒夜君は本当に、昔から困った子だね~」

 

「お前に言われる筋合いはねぇよ」

 

「あるよ~。未来の盾の先生だからね~」

 

「盾の先生ってなんだよ」

 

「それは未来のお楽しみかな~」

 

 黒夜は呆れたように息を吐いた。

 だが、さっきまでの明るさは少しだけ引っ込んでいた。

 

 自分が何を言ったのか、完全には分からない。

 それでも、周囲を傷つけたらしいことだけは分かる。

 

「……すまないな」

 

 黒夜は小さく言った。

 

「なんか、変なこと言ったみたいだな」

 

 ホシノは首を横に振る。

 

「変じゃないよ」

 

 シロコも頷く。

 

「ん、黒夜らしい」

 

 シロコ*テラーは静かに目を伏せた。

 

『だから、痛いんだよ…』

 

 黒夜はその言葉に、何も返せなかった。

 医務室の外では、ナギサが唇を押さえていた。

 ミカは涙を堪えきれず、セイアがそっと肩に手を置く。

 アツコは目を伏せ、ヒヨリは声を殺して泣いている。

 リオは拳を握り、ヒマリは珍しく何も言わない。

 ヒナは扉を見つめたまま、静かに息を吐いた。

 

 過去の黒夜と今の黒夜。

 どちらも、同じく黒夜だった。

 

 だからこそ、戻ってほしい。

 だからこそ、目の前の黒夜が思い出になることが苦しい。

 その矛盾を抱えたまま、誰もすぐには言葉を発せなかった。

 医務室の中で、黒夜は小さく呟く。

 

「……未来の俺、何やったんだよ」

 

 その問いに、誰も答えなかった。

 答えるには、まだ少しだけ早すぎた。

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