ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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黒夜が居なかった世界 ~2~

「あなたたち……誰?」

 

 姿は同じだ声も同じ。纏う空気にも、どこか共通する明るさがある。

 

 けれど、違う。黒夜の知るミカなら、目の前に自分がいればまず名前を呼ぶ。距離を詰めてきて、少し強引なくらい心配して、そして当然のように腕を絡めてくる。

 だが、この世界のミカは黒夜のことを知らない目で見ている。

 その事実が、思った以上に胸の奥を冷やした。

 

 ミカの視線は、黒夜よりも後ろにいる三人へ向いていた。

 特に、セイア*テラーへ注がれていた。

 

「セイアちゃん……なの?」

 

 震えた声だった。

 セイア*テラーは、何も隠さずそこに立っている。

 フードを被ることも、姿を誤魔化すこともない。

 堂々と、ミカの前にいた。

 しかし、その表情は穏やかなままだった。

 

『私は、君の知るセイアではないよ』

 

「……っ」

 

 ミカの顔が、苦しそうに歪む。

 黒夜は、その反応の意味が分からない。

 だが、ただの驚きではないことだけは分かった。

 ナギサ*テラーは、冷静に周囲を見回した。

 

『困りましたね。ここで時間を取られる予定ではなかったのですが』

 

 ミカ*テラーも、ミカを見ながら肩をすくめる。

 

『ねぇ、もう行っていい? こっちも百鬼夜行での予定が詰まってるんだよね』

 

「百鬼夜行?」

 

 ミカが呆然と聞き返す。黒夜はすぐに前へ出た。

 

「申し訳ありません。私たちは少し道に迷ってしまっただけですので、これで失礼します」

 

 できるだけ穏やかに。できるだけ怪しまれないように。

 そう言ったつもりだった。

 だが、ミカは道を譲らなかった。

 むしろ、道を塞ぐように一歩前へ出る。

 

「待って!」

 

 ナギサ*テラーの目が、わずかに細くなる。

 ミカ*テラーの表情から、笑みが消えた。

 セイア*テラーだけは変わらず静かにミカを見ていた。

 

「あなたたち、何なの? どうして私と同じ顔の子がいるの? どうしてナギちゃんとそっくりの子もいるの? それに……」

 

 ミカの視線が、セイア*テラーへ吸い寄せられる。

 

「どうして、セイアちゃんがいるの……?」

 

 その声は、責めているようで、縋っているようでもあった。

 黒夜は眉をひそめる。この世界のセイアに、何かがあったのか?

 だが、何があったのかは分からない。知らない以上、迂闊には踏み込めない。

 

「……ミカ様」

 

 黒夜が呼ぶと、ミカの視線が一瞬だけこちらへ向いた。

 

「ミカ様? どうして私の名前を……」

 

「…それは」

 

 黒夜が言いかけたところで、セイア*テラーがそっと彼の袖を引いた。

 

『黒夜。余計なことは言わない方がいい』

 

「……」

 

 黒夜は言葉を飲み込む。

 その様子を見て、ミカの警戒が強くなった。

 

「何か知ってるんだよね」

 

「……申し訳ありません。今は、何も」

 

「何もって顔じゃないよ」

 

 ミカは笑おうとした。

 けれど、その笑みは歪んでいた。

 

「ねえ。教えてよ。あなたたち、何なの? セイアちゃんに似たその子は、何なの?」

 

『似た、ではなくて別人だと言っているだろう?』

 

 セイア*テラーが静かに答える。

 

「そんなの、信じられるわけないじゃん……!」

 

 ミカの声が少し大きくなる。

 その瞬間、ミカ*テラーの表情が完全に冷めた。

 

『……めんどくさい』

 

「ちょっとま――」

 

 黒夜が止めるより早く、ミカ*テラーはセイア*テラーに視線を向けた。

 

『セイアちゃん、もう面倒くさいから畳んじゃっていいよ』

 

 黒夜の背筋に、冷たいものが走った。

 言葉の意味を、すぐに理解してしまった。

 

 この世界のミカに対して、ミカ*テラーは何の躊躇もなく口にした。

 ナギサ*テラーも止めない。むしろ、冷めた視線をミカへ向けていた。

 

『そうですね。黒夜さんとの予定を邪魔される理由もありませんし』

 

「黒ナギサ様まで……!」

 

 黒夜は息を呑む。

 セイア*テラーは、少しだけ考えるように顎に手を添えた。

 

『それもそうだね』

 

 その声も、ひどく軽かった。

 

『黒夜との旅行の予定も控えているしね』

 

 次の瞬間、セイア*テラーの姿が消えた。

 

 音もなく、ミカとの距離を詰める。

 ミカは反応しきれていない。目の前のセイアに似た存在が急に動いたことに、ただ目を見開いている。

 黒夜の身体は、考えるより先に動いていた。

 

 セイア*テラーとミカの間に割り込む。

 

「待ってください!!」

 

 必死な黒夜の声が響いた。

 

 セイア*テラーの足が止まる。

 あと一歩で、彼女はミカを制圧していた。

 黒夜は両手を広げるようにして、ミカを背に庇った。

 

 ミカが息を呑む。

 

「あなた……」

 

 黒夜は振り返らない。

 ただ、セイア*テラーを見ていた。

 

「いくら別世界の方でも、ミカ様です。理由もなく傷つけるのはやめてください!」

 

 セイア*テラーは、少しだけ目を細める。

 

『理由ならあるよ。私たちを逃がさないようにしている』

 

「それだけで!!」

 

『黒夜は甘いね』

 

「何と言われようと、私はミカ様をお守りします!」

 

「それに、その甘さを捨てるつもりはありません!」

 

 ミカ*テラーが頬を膨らませる。

 

『そっちの私の味方をするの? 私もミカなのにー!』

 

「今は、誰かを傷つけないために止めています」

 

『むう……!』

 

 ナギサ*テラーは小さく息を吐いた。

 

『黒夜さんがそう言うなら、仕方ありませんね』

 

 セイア*テラーも、肩の力を抜いた。

 

『黒夜に嫌われるのは得策ではないしね』

 

「嫌いにはなりませんが、怒ります」

 

『それは避けたい』

 

 セイア*テラーはあっさり引いた。

 黒夜はようやく息を吐く。最悪の事態は避けられた。

 だが、背後のミカは震えていた。

 黒夜が少し横に退くと、ミカは黒夜の向こうにいるセイア*テラーを見つめた。

 

「お願い……」

 

 その声は、先ほどまでよりずっと弱かった。

 

「お願いだから……私の前から居なくならないで…」

 

 ミカはセイア*テラーへ手を伸ばしかける。

 けれど、触れられない。触れていいのか分からない。

 

「ナギちゃんに……会って。お願い。私だけじゃ、説明できないから……」

 

 黒夜はミカを見る。

 その表情は、黒夜の知るミカが滅多に見せないほど追い詰められていた。

 

 セイア*テラーの目が、静かに細まる。

 ナギサ*テラーとミカ*テラーも、互いに視線を交わした。

 その瞬間、三人は確信した。

 

 あの世界だ。

 以前、黒夜を探していた時、鏡を通して見た世界。

 セイアが死んだと思われ、ナギサが疑心暗鬼に陥り、ミカが裏切者となる世界。

 

 まだ、その序盤。

 決定的な破滅へ向かう前の、しかしすでに歯車が狂い始めている時期。

 ミカ*テラーは、泣き出しそうなミカを冷めた目で見た。

 

 内心で、言葉が浮かぶ。馬鹿みたい。

 黒夜がいないだけで、自分はこんなふうになるのか。

 

 ナギサ*テラーも同じ事を思っていた。

 疑うことでしか守れない自分。

 裏切ることでしか手を伸ばせないミカ。

 

 黒夜がいないだけで、こうも歪む。

 馬鹿みたいですね。

 だが、その言葉を口には出さない。

 

 言ったところで、この世界の彼女達には届かない。

 

 セイア*テラーは、ほんの少しだけ笑った。

 

『分かった。案内してくれるかな』

 

 ミカの顔に、ほんの少しだけ安堵が浮かぶ。

 

「……ありがとう」

 

 その声は、ひどく脆かった。

 黒夜達は、ミカに連れられてトリニティへ向かった。

 道中、ミカはほとんど話さなかったが時折セイア*テラーをちらりと見る。

 それから、苦しそうに目を逸らすという行為を繰り返していた。

 

 黒夜はその様子を見ながら、言葉を選び続けていた。

 何も知らない。この世界の事情も、セイア*テラー達が何を隠しているのかも。

 だが、空気だけは分かる。

 

 このミカは、何かに押し潰されかけている。

 そして、セイア*テラーを見るたび、その痛みが増している。

 トリニティの校舎は、黒夜の知るものとよく似ていた。

 

 白い廊下。

 整えられた庭。

 静かな空気。

 

 だが、やはり違う。

 

 黒夜の知るトリニティには、もう少し温かさがあった。

 ミカが笑い、ナギサが紅茶を淹れ、セイアが穏やかに皮肉を言う。

 その空気が、ここにはない。

 

 通されたのは、見慣れたテラスだった。

 

 ティーパーティーのための場所。

 紅茶と会話と、時に政治が交わされる場所。

 そこに、ナギサがいた。

 

 この世界の桐藤ナギサ。

 彼女はミカに案内されてきた黒夜達を見て、最初は警戒の色を浮かべた。

 だが、その視線がセイア*テラーに向いた瞬間、表情が崩れた。

 

「……セイア、さん……?」

 

 カップを持つ手が、わずかに震える。

 紅茶の水面が揺れた。

 セイア*テラーは、堂々とそこに立っている。

 

『何度も言うが、私は君たちの知る百合園セイアではないよ』

 

 ナギサは何も言えなかった。

 次に、ナギサ*テラーを見た。

 

 自分と同じ顔。

 しかし黒い羽根を持つ少女。

 

 さらにミカ*テラー。

 ミカと同じ顔の、黒いミカ。

 

 ナギサの視線が、最後に黒夜へ移る。

 

「……あなた達は何者ですか?」

 

 声は静かだった。

 だが、その奥には強い警戒心がある。

 

「ミカさん。説明を」

 

 ミカは口を開きかけた。

 しかし、言葉が出ない。

 ナギサはそれを見て、さらに疑念を深めたようだった。

 

 黒夜は一歩前へ出る。

 

「初めまして、ナギサ様。私は――」

 

 ゲヘナ学園情報部兼。

 

 そう言いかけた瞬間、セイア*テラーがすっと黒夜の横に寄った。

 そして誰にも聞こえない様に耳元で囁く。

 

『黒夜。ここでゲヘナを名乗るのはやめた方がいい』

 

 黒夜は一瞬だけ止まった。

 そして、すぐに言葉を変える。

 

「……トリニティ総合学園所属、ティーパーティー専属護衛の月城黒夜と申します」

 

 ナギサの目が細くなる。

 

「ティーパーティー専属護衛?」

 

「そうです」

 

「私は、そのような役職を任命した覚えはありません」

 

 当然の反応だった。

 

 この世界のナギサは黒夜を知らない。

 黒夜が任命された事実もない。

 黒夜は静かに頭を下げる。

 

「ごもっともです。私も、この世界のナギサ様から任命されたわけではありませんから」

 

「この世界……?」

 

 ナギサの警戒が強くなる。

 セイア*テラーは口を挟まない。

 

 ただ、黒夜がどう話すかを見ている。

 ナギサは冷たく言った。

 

「荒唐無稽な話ですね。別の世界から来た、とでも仰るつもりですか?」

 

「はい」

 

 黒夜は即答した。

 ナギサは沈黙した。

 

 あまりに真っ直ぐな返答だったからだ。

 ミカも小さく呟く。

 

「ほんとに……?」

 

「信じていただくのが難しいことは承知しています」

 

「では、証拠は?」

 

 ナギサの声は鋭い。

 

「貴方が本当に、別の世界の私たちに関わる者だという証拠を示してください」

 

 黒夜は少しだけ考えた。

 そして、テラスのテーブルに置かれている茶器へ視線を向ける。

 

「紅茶を淹れてもよろしいでしょうか」

 

「……紅茶?」

 

 ナギサは警戒したまま、しかし頷いた。

 

「構いません。ただし、不審な真似をすればすぐに止めます」

 

「承知しています」

 

 黒夜は慣れた手つきで茶器を確認した。

 

 茶葉の種類。

 湯の温度。

 カップの位置。

 

 自分の世界で何度も行った動作だった。

 

 ナギサの好み。

 ミカの好み。

 セイアの好み。

 

 全部、身体が覚えている。

 ここにいるナギサとミカが自分を知らなくても、黒夜にとって二人は大切な人達と同じ人物であるならば。

 だから、手は迷わなかった。

 

 まずナギサへ。

 いつものように、彼女が好む銘柄を選ぶ。香りが立ちすぎず、渋みも強すぎない。落ち着いて考え事をする時に、ナギサがよく選ぶもの。

 

 次にミカへ。

 飲みやすく、少し甘さと相性が良いもの。ミカが紅茶を難しく考えずに楽しめるようにと、黒夜がよく淹れていたもの。

 

 ナギサはその手つきをじっと見ていた。

 ミカも、黙っている。

 やがて、黒夜は二人の前にカップを置いた。

 

「どうぞ」

 

 ナギサは警戒したまま、カップへ手を伸ばす。

 香りを確かめた瞬間、表情が揺れた。

 

「……これは」

 

 ミカもカップを覗き込み、恐る恐る一口飲む。

 

「え……」

 

 彼女の声が漏れた。

 

「これ、私が好きな……」

 

 ナギサは黒夜を見る。

 

「なぜ、私の好みを知っているのですか」

 

 黒夜は静かに答えた。

 

「私の知るナギサ様が、よく飲まれていたものです」

 

 ミカが小さく言う。

 

「じゃあ、私のも?」

 

「はい。私の知るミカ様がお好きなものです」

 

 ナギサは黙った。

 完全には信じられない。

 

 この程度で信じるには、状況があまりにも異常すぎる。

 自分とミカに似た黒い少女達。

 死んだはずのセイアに似た存在。

 そして、見知らぬ護衛を名乗る少年。

 

 疑う要素はいくらでもある。

 だが、紅茶の味は本物だった。

 

 自分の好みを、正確に知っている。

 ミカの好みも同じように。

 

 ナギサは、静かにカップを置いた。

 

「……話だけは聞きましょう」

 

 それは、信頼ではない。

 だが、対話の許可だった。

 黒夜は小さく頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 テラスに、重い沈黙が落ちる。

 その中で、セイア*テラーが椅子に腰を下ろした。

 まるで自分の居場所であるかのように、堂々と。

 

『それで、どこから話そうか』

 

 その姿を見て、ナギサの表情がまた揺れる。

 ミカも、息を呑む。

 ナギサ*テラーとミカ*テラーは何も言わない。

 ただ、二人の世界の自分達を見て、静かに思っていた。

 

 黒夜がいないだけで。

 

 片方は疑心暗鬼。

 片方は裏切者。

 

 馬鹿みたいだ、と。

 

 そして黒夜だけは、その冷たさにも、この世界のナギサとミカの痛みにも、まだ気づききれずにいた。

 ただ一つだけ分かっている。

 休暇気分の旅は、もう終わった。

 ここから先は、きっと穏やかでは済まないという予感だった。

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