ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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黒夜が居なかった世界 ~3~

 ティーパーティーのテラスに、重い沈黙が落ちていた。

 黒夜は、ナギサとミカの前に立っていた。

 

 向こう側には、この世界の桐藤ナギサと聖園ミカがいる。

 自分が知らない二人。自分を知らない二人。

 それだけでも奇妙な感覚だった。

 だが、二人の視線は黒夜よりも、彼の後ろにいる三人へ向けられている。

 

 ナギサ*テラー。

 ミカ*テラー。

 セイア*テラー。

 

 特にセイア*テラーへ向けられる視線は、痛いほど切実だった。

 

 死んだと思っている相手と同じ顔。同じ声。

 けれど、本人ではないと告げられた存在。

 ナギサはカップに手を添えたまま、静かに黒夜を見た。

 

「……説明していただけますか」

 

「承知しました」

 

 黒夜は一度、息を整えた。

 

 長く話せば話すほど、余計なことを言ってしまう気がした。

 この世界の事情を、自分は知らない。

 だからこそ、言葉は慎重に選ばなければならない。

 

「先ほども言いましたが私たちは別の世界から来ました」

 

「私は元の世界で、ティーパーティー専属護衛をしています」

 

「ティーパーティーの専属護衛……」

 

 ナギサはその言葉を繰り返す。

 黒夜は頷いた。

 

「説明すると非常に長いので割愛しますが、この三人は、私の世界にいるナギサ様、ミカ様、セイア様とはまた違う存在です」

 

 ミカが呆然とした顔で黒夜を見る。

 

「えっと……つまり、そっちの世界には、私たちが二人いるってこと?」

 

 ナギサも続ける。

 

「私とミカさん、そしてセイアさんが……それぞれ二人?」

 

「大まかには、その理解で合ってます」

 

「大まかに済ませてよい話ではないと思うのですが」

 

 ナギサの声には警戒が残っていた。当然だろう。

 突然現れた見知らぬ少年が、別世界から来たと名乗り、自分の護衛だと言い、さらに自分達と同じ顔をした黒い少女達を連れている。

 信じろという方が無理だった。

 黒夜がどう説明したものか迷っていると、ミカ*テラーがぽんと手を打った。

 

『あ、そういえば黒夜。前にみんなで撮った写真あったよね?』

 

「写真?」

 

『ほら、黒夜の家で撮ったやつ。あの世界のナギちゃん達と、私たちも一緒に写ってるやつ』

 

 ナギサ*テラーも頷く。

 

『それを見せた方が早いかもしれませんね』

 

 セイア*テラーは楽しそうに口元を緩めた。

 

『百聞は一見に如かず。分かりやすくていい』

 

 黒夜は少し躊躇した。

 

 自分の世界の日常を、この世界の二人に見せることになる。

 それがどう作用するか分からない。

 だが、現状では言葉だけよりも説得力があるのも事実だった。

 

「……分かりました」

 

 黒夜は端末を取り出し、写真フォルダを開いた。

 少しスクロールして、目的の写真を表示する。

 そこには、黒夜の家で撮った一枚があった。

 

 ナギサ、ミカ、セイア。

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー。

 中央には、少し困ったように笑う黒夜がいる。

 

 ミカとミカ*テラーが黒夜の両側を取り合うように寄っていて、ナギサとナギサ*テラーがそれを見て呆れながらも紅茶を持っている。セイアとセイア*テラーは、少し離れた位置で揃って苦笑していた。

 にぎやかで、騒がしくて、平和な写真だった。

 黒夜は端末をナギサとミカへ向ける。

 

「これが、私の世界で撮った写真です」

 

 ナギサの表情が固まった。

 

「……これは」

 

 ミカも、端末の画面を食い入るように見つめる。

 

「私……? ナギちゃんも……セイアちゃんも……」

 

 写真の中の自分達は笑っている。

 

 何も隠していない顔で。

 疑ってもいない。

 怯えてもいない。

 

 ただ、当たり前のように同じ場所にいて、同じ時間を過ごしている。

 ナギサは画面の中の自分を見つめた。

 

 自分と同じ顔をした少女が、黒い自分と並んで紅茶を手にしている。

 その表情は穏やかだった。

 

 ミカは、画面の中のセイアを見ていた。

 生きている。笑っている。

 隣には黒いセイアもいて、同じように呆れた顔をしている。

 

 ミカの唇が、わずかに震えた。

 

「……本当に、別の世界なんだ」

 

 ナギサはすぐには答えなかった。

 

 疑う材料はいくらでもある。

 写真を偽造した可能性だって、理屈の上では否定できない。

 けれど、この写真に写る空気は、作り物にしてはあまりに自然だった。

 黒夜を中心に、六人の少女達が当たり前のように笑っている。

 それが、何よりも異質だった。

 

「……少なくとも」

 

 ナギサはゆっくりと口を開いた。

 

「貴方達がただの侵入者である、という可能性は薄くなりました」

 

 黒夜は静かに頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「完全に信じたわけではありません」

 

「承知しています」

 

 ナギサは端末から目を離し、黒夜を見る。

 

「ですが、話を聞く価値はあると判断します」

 

「それだけで十分です」

 

 黒夜は端末をしまった。

 テラスには再び沈黙が落ちる。

 

 けれど、それは先ほどまでの敵意に満ちた沈黙ではなかった。

 重く、苦しく、しかし会話の余地だけはある沈黙だった。

 

 ナギサは紅茶へ視線を落とす。

 

 黒夜が淹れた、自分の好みに合いすぎた紅茶。

 そして、先ほどの写真。

 

 別世界とは荒唐無稽な話だ。だが、目の前の異常を説明するには、それしかないようにも思えた。

 

「……では、ひとつ伺います」

 

 ナギサの声が、少しだけ低くなる。

 

「貴方達は、この世界のトリニティについて、どこまでご存じなのですか」

 

 黒夜は素直に首を横に振った。

 

「申し訳ありません。私は、この世界の事情については何も知りません」

 

 それは本当だった。

 

 この世界のトリニティがどう動くのか。

 補習授業部が何を背負っているのか。

 ナギサが何を疑い、ミカが何を隠しているのか。

 

 黒夜は知らない。

 

 ナギサは、ナギサ*テラー達へ視線を移す。

 

「貴女達もですか?」

 

 ナギサ*テラーは静かに微笑んだ。

 

『私たちは、この世界の者ではありません。詳細を知ってわけないじゃないですか』

 

 ミカ*テラーも肩をすくめる。

 

『少なくとも、今のトリニティで何がどうなってるかを説明できる立場じゃないかな』

 

 セイア*テラーはカップに手を伸ばし、当たり前のように紅茶を口にした。

 

『むしろ、そんな質問を投げる前に聡明な君なら分かると思うんだがね…』

 

 ナギサの目が鋭くなる。

 

「含みのある言い方ですね」

 

『そう聞こえたのなら、そうなのかもしれない』

 

 セイア*テラーは平然としていた。

 黒夜はその横顔を見る。何かを知っている。

 やはり、三人はこの世界について何かを隠している。

 

 だが、この場で問い詰めることはできなかった。

 ナギサは少しだけ沈黙した後、口を開いた。

 

「今、トリニティでは不穏な動きがあります」

 

 ミカの肩が、ほんのわずかに揺れた。

 

「トリニティを裏切っている者がいる可能性があります」

 

 黒夜の表情が引き締まる。

 

「裏切者、ですか?」

 

「はい」

 

 ナギサは黒夜達を見据える。

 

「私は、その正体を突き止めなければなりません。トリニティを守るために」

 

 その声には使命感があった。

 だが同時に、追い詰められた者の硬さがあった。

 黒夜は、その硬さを知っている気がした。

 誰かを守ろうとして、自分だけで抱えようとしている時の声。

 

「……私は、この世界の事情を知りません。ですから、無責任なことは言えません」

 

 黒夜はゆっくりと言った。

 

「ただ、疑い続けることは、かなり心を削ることだと思います」

 

 ナギサの表情がわずかに揺れた。

 

「それでも、必要なことです」

 

「必要な時もあると思います」

 

 黒夜は否定しなかった。

 

「ですが、必要なことと、苦しくないことは別です」

 

「……」

 

 ナギサは答えなかった。

 ミカは、笑っている。

 

 いつものように明るく。

 場を軽くするように。

 

 けれど、その笑みはどこか不自然だった。

 黒夜は当然それにも気づいた。

 何かがおかしい。だが、それが何なのかまでは分からない。

 そんな空気の中、セイア*テラーがふっと笑った。

 

『根っこは同じでも、私たちとは全然違うね』

 

 その声は軽かった。

 まるで、ただ感想を述べただけのように。

 ナギサ*テラーが紅茶を置き、少し首を傾げる。

 

『セイアさん…?』

 

『嬉しい事も、憎たらしい事も、悲しい事も、楽しい事も、苦しい事も、助けて欲しい事も、全部話し合えばいいだけなのにね』

 

 セイア*テラーは楽しそうに言った。

 その言葉にミカ*テラーも笑う。

 

『確かにそうだよね。黒夜ってば、そういうところ逃がしてくれないもん。怒ってても泣いてても、ちゃんと話せって顔するし』

 

『ええ。黒夜さんは時々、とても強引ですからね』

 

 ナギサ*テラーも穏やかに微笑んだ。

 

『けれど、そのおかげで私たちは何度も助けられました』

 

『だから、誰かを疑い続ける必要も、裏切る必要もなかったのだろうね』

 

 セイア*テラーが、さらりと言った。

 その言葉に、空気が凍った。

 黒夜は息を呑む。

 

 ナギサはカップを持つ手に力を込めた。

 ミカの笑顔が、一瞬だけ崩れかけた。

 

 ナギサ*テラーとミカ*テラーは、特に二人へ説教するつもりなどなかった。

 むしろ、二人を見て内心では冷めていた。

 けれど、それを本人達にぶつけるほどの興味もなかった。

 

 彼女達には、彼女達の黒夜が居る。

 話し合うことを教えてくれる黒夜が居る。

 泣いても怒っても、逃げても、結局向き合わせてくる黒夜が居る。

 

 だから、三人は笑い合える。

 

『私たち、けっこう面倒だったよね』

 

 ミカ*テラーが楽しそうに言う。

 

『今も十分面倒ですよ、ミカさん』

 

『ナギちゃんだって人のこと言えないじゃん。紅茶飲みながら遠回しに圧かけてくるしさ!』

 

『それは貴女が話を逸らすからです』

 

『ほら、またそうやって正論で刺す』

 

 セイア*テラーがくすりと笑う。

 

『でも、そういうところも含めて、私たちはちゃんと話せるようになった。黒夜がいたからね』

 

 三人は楽しそうに笑っていた。

 

 その光景を、ナギサは見つめていた。

 かつては、こうだったはずなのだ。

 セイアがいて。ミカがいて。自分がいて。

 紅茶を飲み、他愛ない言葉を交わし、時には皮肉を言い合い、時には笑い合う。

 それが、当たり前だったはずなのに。

 

 今の自分は、常に誰かを疑って、裏切者を探している。

 トリニティを守るためだと言い聞かせながら、誰かを疑い続けている。

 

 セイアは、もういないとわかっている。

 ミカも隣にいるのに、どこか遠い。

 どうして、こうなってしまったのでしょうか。

 ナギサは言葉を失った。

 

 一方で、ミカは必死に笑おうとしていた。

 笑わなければ、崩れてしまうから。

 けれど、目の前の光景はあまりにも残酷だった。

 自分と同じ顔のミカ*テラーが、ナギサ*テラーとセイア*テラーと笑っている。

 

 セイアちゃんがいる。ナギちゃんもいる。自分も、笑っている。

 本当は、そうしたかった。

 セイアちゃんと笑って。ナギちゃんと紅茶を飲んで。何でもない話をして。

 馬鹿みたいなことで怒られて、それだけでよかったはずなのに。

 

 なんでよ。

 

 今さら、こんな光景見せつけないでよ。

 ミカの指先が震えた。

 

 黒夜は、そんな二人の変化に気づいた。

 何が二人をここまで苦しめているのかも分からない。

 けれど、二人が苦しんでいることだけは分かった。

 

「ナギサ様。ミカ様」

 

 黒夜が静かに声をかける。

 ナギサが顔を上げる。

 ミカも、作りかけた笑顔のまま黒夜を見る。

 

「私は、この世界の事情を知りません。ですから、軽々しいことは言えません」

 

 黒夜は、正直にそう言った。

 

「ですが……お二人とも、随分と苦しそうに見えます」

 

 ナギサの目が鋭くなる。

 

「……貴方に、何が分かるというのですか」

 

「仰る通りです。すいません」

 

 黒夜は即答した。

 ナギサは一瞬、言葉に詰まる。

 

「ただ、私の知るナギサ様とミカ様は、苦しい時ほど自分一人で抱えようとする方でした」

 

「だから、もしこの世界のお二人も同じなら……少しだけ、誰かに話してみてもいいのではないかと思っただけです」

 

 ナギサは返事をしなかった。

 ミカは笑えなかった。

 

 セイア*テラーは、その沈黙を見て静かに立ち上がった。

 

『黒夜、少し外に出ようか』

 

「ですが」

 

『今は、これ以上ここにいると良くない』

 

 ナギサ*テラーも頷く。

 

『そうですね。黒夜さんがこれ以上口を挟むと、この世界の方々が余計に混乱するかもしれませんしね』

 

 ミカ*テラーはミカを一瞥した。

 

『それに、私たちも少し話したいことがあるしね』

 

 黒夜はナギサとミカを見る。

 二人とも、まだ何も言わない。

 けれど、今はそれでいいのだと、セイア*テラーの目が告げていた。

 

「……分かりました」

 

 黒夜は一礼した。

 

「ナギサ様、ミカ様。このような形になり、申し訳ありませんでした」

 

 ナギサはかろうじて頷く。

 

「……貴方達の処遇については、まだ判断を保留します」

 

「承知しています」

 

 ミカは何かを言おうとして、結局言えなかった。

 

 黒夜達はテラスを離れた。

 残されたナギサとミカの間に、静かな風が流れる。

 テーブルには、黒夜が淹れた紅茶が残っている。

 

 ナギサはその水面を見つめたまま、動けなかった。

 ミカは笑おうとして、笑えなかった。

 

 テラスから少し離れた廊下で、黒夜は足を止めた。

 

「皆さん」

 

 三人が振り返る。黒夜は静かに問いかけた。

 

「この世界について、何か知っているのではありませんか?」

 

 三人は、少しだけ沈黙した。

 セイア*テラーが、黒夜を見る。

 

『……少しだけね』

 

「先ほどの“裏切る必要もなかった”という言葉」

 

 黒夜の声が低くなる。

 

「それに、ナギサ様とミカ様の反応」

 

 ミカ*テラーは目を逸らした。

 ナギサ*テラーも黙っている。

 セイア*テラーだけが、静かに息を吐いた。

 

『君には、話しておいた方がいいかもしれない』

 

 その言葉に、黒夜の表情が引き締まる。

 廊下の向こう、テラスにはまだナギサとミカがいる。

 その奥にある真実が、少しずつ姿を現そうとしていた。

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