ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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黒夜が居なかった世界 ~4~

 テラスから少し離れた廊下は、静かだった。

 整えられた窓枠。遠くから聞こえる生徒達の声。

 黒夜の知るトリニティと、ほとんど同じ景色。

 

 だが、この世界は違う。

 何かが、すでに軋んでいる。

 

「……皆さん」

 

 三人は、さきほどまでナギサとミカの前で見せていた軽い笑みを消していた。

 

「この世界について、何か知っているのではありませんか?」

 

 黒夜の問いに、三人はすぐには答えなかった。

 沈黙のあと、セイア*テラーが静かに目を伏せる。

 

『……少しだけね』

 

「やっぱり、そうでしたか…」

 

『ああ。私たちは、以前この世界を見たことがある』

 

 黒夜の眉が動いた。

 

「見たことがあるとは?」

 

『君を探していた時のことだよ』

 

 セイア*テラーの声は、いつもより低かった。

 

『鏡を通して、いくつもの世界を覗いた。その中に、この世界に近いものがあった』

 

 黒夜は息を呑む。

 ナギサ*テラーが続けた。

 

『完全に同じかは断言できません。ですが、流れはほぼ一致しています。セイアさんが死んだと思われ、私が疑心暗鬼に陥り、補習授業部に裏切者がいると考えている時期でしょうね』

 

 ミカ*テラーは、少しだけ顔を背けた。

 

『そして、その裏切者が誰なのかも……私たちは知ってる』

 

 廊下の空気が、冷たくなった気がした。

 黒夜はしばらく何も言えなかった。

 

 裏切者。

 

 ナギサが口にした言葉。

 その正体を、三人は知っている。

 

「……それを、なぜこの世界のナギサ様に言わないのですか?」

 

 黒夜は静かに問う。

 

 責める響きはなかった。

 ただ、分からなかった。

 

 もし知っているなら、伝えればいい。

 そうすれば疑う必要はなくなる。

 誰かが傷つく前に、止められるかもしれない。

 

 だが、セイア*テラーは首を横に振った。

 

『言えば済む話なら、苦労はしないよ』

 

「……」

 

『ここは私たちの世界ではない。私たちは本来、ここに存在してはいけない異物だ。そんな私たちが核心だけを突きつければ、何が壊れるか分からない』

 

 ナギサ*テラーも頷く。

 

『そもそも、あの状態の私がそれを素直に聞き入れるとも限りません。疑心暗鬼に陥っている方に、見知らぬ存在が「貴女の思っている裏切者は違います」と告げても、余計に拗れる可能性があります』

 

 黒夜は拳を握った。

 

「……では、何もできないと?」

 

『そうは言っていない』

 

 セイア*テラーが黒夜を見る。

 

『けれど、私たちができることは限られている。少なくとも、答えだけを渡すのは危険という話さ』

 

 黒夜は黙った。その理屈は分かる。

 この世界の過去も未来も知らない。

 ならば、軽率な助言はできない。

 

 それでも、先ほどのナギサとミカの顔が、頭から離れなかった。

 

 ナギサは疑心に押し潰されかけていた。

 ミカは笑いながら、今にも崩れそうだった。

 

「……ナギサ様とミカ様に、何かあるのですね」

 

 黒夜がそう言うと、ミカ*テラーがかすかに目を細めた。

 

『あるよ』

 

 その声は、冷めていた。

 

『あの二人、馬鹿みたいだよね☆』

 

「そのような言い方はやめてください…」

 

『だってそうでしょ?』

 

 ミカ*テラーは、笑っていなかった。

 

『黒夜がいないだけで、片方は疑心暗鬼。片方は壊れかけてる。ナギちゃんも私も、セイアちゃんもいるのに、ちゃんと話せない。何も言えない。隠して、疑って、壊れていく』

 

 黒夜は息を呑んだ。

 ミカ*テラーの言葉や響きが妙に重くなった。

 まさか、黒夜の中で、ぼんやりとしていた違和感が形を持ち始める。

 

 ミカがセイア*テラーを見た時の顔。

 ナギサが「裏切者」と口にした時の硬さ。

 テラー達があの二人を見る目の冷たさ。

 

 ナギサ*テラーも静かに言った。

 

『この世界の私も、本当に見ていられませんね。守るために疑う。疑うことでしか守れないと思い込む。紅茶を飲みながら、周囲を盤上の駒のように見ている』

 

 その声には怒りよりも、冷たい失望があった。

 

『黒夜さんがいないと、私はああなるのですね』

 

「……」

 

『そしてミカさんも、黒夜さんがいないとああなる。笑って誤魔化し、止まれずに、助けてと叫ぶ事すらできない』

 

 黒夜の胸が、鈍く痛んだ。

 確信してしまった。

 

 テラー達は裏切者の正体を直接言っていない。

 だが、言葉と態度は十分だった。

 

 この世界のミカに、何かがある。

 それも、ナギサが探している裏切者という言葉と無関係ではない。

 

「……ミカ様が」

 

 黒夜の声がかすれた。

 ミカ*テラーは何も言わなかった。

 セイア*テラーが、黒夜にだけ聞こえるような声で言う。

 

『黒夜。君はこの世界の流れを知らない。だから、分かった気になって動くのは危険だ』

 

「……はい」

 

『でも、目の前の二人が壊れかけていることは、君にも分かるだろう?』

 

「分かります」

 

 ナギサ*テラーが目を伏せる。

 

『なら、黒夜さんがするべきことは、真実を突きつけることではありません』

 

 ミカ*テラーが続ける。

 

『あの二人が、ほんの少しでも自分で話せるようにすること。黒夜がいつも、私たちにしてくれたみたいにしてあげればそれで十分だよ』

 

「……私が、ですか」

 

『うん』

 

 ミカ*テラーは、ようやく少しだけ笑った。

 

『黒夜は、そういうの得意でしょ? 逃げようとする人の前に立って、逃がしてくれないやつ』

 

「私にそんな力は……」

 

『ありますよ』

 

 ナギサ*テラーとセイア*テラーの声が重なった。

 黒夜は言葉を失う。

 セイア*テラーは小さく笑う。

 

『答えを渡す必要はない。ただ、いつもの様に過ごせばいいんじゃないか? ナギサにも、ミカにも』

 

 黒夜は静かに息を吸った。

 この世界の全ては分からない。だが、目の前で苦しんでいる人を見過ごすことはできない。

 たとえその人達が、自分の知るナギサとミカではなくても。

 

「……分かりました」

 

 黒夜は頷いた。

 

「できる範囲で、やってみます」

 

『それがいい』

 

 セイア*テラーは満足そうに頷いた。

 

『それでこそ私たちの知る君だよ』

 

 その時、テラスの方から足音が近づいてきた。

 トリニティの生徒が一人、黒夜達の前で足を止める。

 

「ナギサ様とミカ様が、お戻りくださいとのことです」

 

 黒夜達は顔を見合わせた。

 そして、再びテラスへ向かう。

 戻ったテラスには、ナギサとミカが待っていた。

 

 ナギサは表面上、落ち着きを取り戻している。

 ミカもいつものように笑っている。

 

 だが黒夜には、もうその笑顔が薄い膜のようにしか見えなかった。

 ナギサは静かに口を開く。

 

「貴方達の処遇が決まりました」

 

 黒夜は姿勢を正す。

 

「お聞かせください」

 

「まず、そちらの三名についてですが……申し訳ありませんが、混乱を招かないため、しばらくトリニティ内にある一室で滞在していただきます」

 

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラーは黙って聞いていた。

 

「部屋はこちらで用意します。決して粗雑な扱いはいたしません。必要なものも可能な範囲で揃えます」

 

「つまり、軟禁ですか?」

 

 黒夜が静かに問う。

 ナギサの表情が少しだけ揺れる。

 

「……外部に知られれば、混乱が起こります。特にセイアさんに似た方の存在は…」

 

 黒夜はセイア*テラーを見る。

 確かに、それは理解できる。

 

 この世界で、セイアに何かあったのだろうという事は察せられる。

 その姿をした存在が堂々と歩いていれば、混乱は避けられない。

 

 ナギサは続けた。

 

「そして、黒夜さん」

 

「はい」

 

「貴方には、その間、私たちの傍に居てもらいます」

 

 その言葉が落ちた瞬間。空気が死んだ。

 比喩ではなかった。テラスに満ちた温度が、一気に落ちたようだった。

 ナギサの言葉が終わると同時に、三人から凄まじい殺気が放たれた。

 

 ナギサの顔から血の気が引く。

 ミカも、笑みを完全に消した。

 黒夜も思わず振り返る。

 

「皆さん!」

 

 だが、三人は止まらない。

 ミカ*テラーが、笑っていた。

 ただし、それは先ほどまでの楽しそうな笑みではない。

 

『もしかして黒夜を、私たちに対する人質にでもする気?』

 

 ナギサの喉が、わずかに鳴った。

 

「違います。私は――」

 

『そんなこと、私たちが黙って受け入れると思っているのですか?』

 

 ナギサ*テラーの声は、冷たかった。

 いつもの丁寧な口調のまま、刃のような圧がある。

 

『この世界の私は随分と浅はかですね』

 

「っ……」

 

 セイア*テラーはゆっくりと立ち上がる。

 

『勘違いさせてしまったようだね』

 

 その声に、ミカが震えた。

 

『私たちは、この世界の君たちがどうなろうがどうでもいいのだよ』

 

 その言葉はあまりにも残酷だった。

 

『私たちが大人しく話を聞いているのは、黒夜がそう望んでいるからだ。黒夜が止めるから、私たちは君たちを傷つけずにいる』

 

 セイア*テラーはナギサとミカを見た。

 

『黒夜を私たちから引きはがしておいて、無事に過ごせると勘違いしない事だ』

 

 ナギサは何も言えなかった。

 ミカも突然の事態に一歩も動けない。

 

 ナギサは権力者として、この場を制御しようとした。

 異常な存在を隔離し、情報を整理し、自分達の安全を確保しようとした。

 

 それ自体は、間違いではない。

 だが、黒夜をその交渉材料にするように聞こえる言い方をした。

 それが、テラー達の逆鱗に触れた。

 

「三人とも」

 

 黒夜の声が、強く響いた。

 ナギサ*テラー達の視線が、彼へ向く。

 

「一旦落ち着いてください」

 

『黒夜さん』

 

「ナギサ様もミカ様も、そこまでの意図で仰ったわけではないと思います」

 

『ですが!』

 

「そうですね。言葉が足りなかったのは確かです」

 

 黒夜はナギサへ向き直る。

 

「ナギサ様。恐れ入りますが、今の言い方では私を三人への抑止力として切り離すように聞こえてしまいます」

 

 ナギサの表情が苦く歪む。

 

「……そのようなつもりではありませんでした」

 

「分かっています」

 

 黒夜は頷いた。

 

「ですが、この三人にとって私は……その、かなり大切にされているようなので」

 

『ようなので、ではありません』

 

『大切なの!』

 

『最重要事項だね』

 

 三人が即座に言った。

 黒夜は少しだけ困ったように咳払いした。

 

「……ご覧の通りです」

 

 ミカは、目の前のやり取りを呆然と見ていた。

 黒夜という少年が、一言でこの三人の殺気を抑えた。

 それどころか、三人は彼に怒られることを嫌がっている。

 

 この関係性が、理解できない。

 だが同時に、痛いほど羨ましかった。

 ナギサは深く息を吐いた。

 

「……改めます」

 

 黒夜は静かに待つ。

 

「三名には、混乱を避けるため、こちらで用意した部屋に滞在していただきたい。これは監禁ではなく、あくまで安全確保と情報管理のためです。必要な範囲で移動や面会も認めます」

 

 ナギサは黒夜を見る。

 

「そして黒夜さんには、私たちのサポートをお願いしたい。ですが、それは彼を人質にするためではありません」

 

「理由を伺っても?」

 

「貴方は、私とミカさんの好みを知り、別世界のティーパーティーに関わる立場だと示しました。ならば、貴方から得られる情報は少なくないと判断しました」

 

 黒夜は頷く。

 

「分かりました。私で役に立つことがあるなら、お手伝いします」

 

『黒夜』

 

 ミカ*テラーの声が少し不満そうに揺れる。

 黒夜は振り返る。

 

「もちろん、皆さんを放置するつもりはありません。定期的に顔を出しますし、何かあればすぐに向かいます」

 

『絶対だからね!』

 

『約束してください』

 

 ナギサ*テラーが言う。

 

「約束します」

 

 セイア*テラーは黒夜を見つめ、少しだけ笑った。

 

『なら、今回はそれでいい』

 

 ようやく、殺気が薄れた。

 ナギサとミカは、ほとんど同時に息を吐いた。

 だが、完全に終わったわけではなかった。

 

 ナギサ*テラーとミカ*テラーの姿が、同時に消えた。

 

 次の瞬間。

 ナギサの背後にナギサ*テラーが、ミカの背後にミカ*テラーがいた。

 

 それに気が付いたミカの肩が跳ねる。

 ナギサは振り返ることすらできなかった。

 耳元で、ナギサ*テラーが囁く。

 

『もし黒夜さんに何かしたら――』

 

 ミカ*テラーも、ミカの耳元で笑う。

 

『こうなるからね?』

 

 二人はそれぞれ、自分の黒い羽を一本だけ引き抜いた。

 黒い羽根が、指先に挟まれる。

 

 次の瞬間、それは目の前で握り潰された。

 羽根が、黒い粒子となって砕ける。

 

 その光景に、ナギサもミカも言葉を失った。

 脅しとしては、あまりにも静かだった。

 だが、十分すぎるほど伝わった。

 

 彼女達は本気だ。

 黒夜に何かあれば、この世界のナギサやミカであろうと容赦しない。

 

「お二人とも…」

 

 黒夜の声が飛ぶ。

 二人はすぐに何事もなかったように黒夜のそばへ戻った。

 

『なんでしょうか?』

 

『なに?』

 

「やりすぎです」

 

『警告は必要です』

 

『そうそう。黒夜を守るためだもん』

 

「それでもやりすぎです」

 

『……はい』

 

『……ごめんなさい』

 

 ミカ*テラーは少しだけ不満そうだったが、素直に謝った。

 ナギサ*テラーも軽く目を伏せる。

 セイア*テラーはその様子を見て、くすりと笑った。

 

『まあ、これで誤解は減っただろう』

 

「別の誤解が増えた気もしますが」

 

 黒夜は頭を押さえた。

 ナギサは背筋に残る冷たい感覚を押し殺し、どうにか口を開く。

 

「……部屋へ案内させます」

 

「お願いします」

 

 黒夜は静かに頭を下げた。

 ミカはまだ、自分の背後にいたミカ*テラーの気配を忘れられずにいた。

 自分と同じ顔をした少女。

 

 けれど、まるで違う。

 

 あのミカは迷わない。

 黒夜を守るためなら、自分のことなど本当にどうでもいいと思っている。

 

 ミカは、笑おうとして失敗した。

 ナギサもまた、目の前の三人を見つめていた。

 

 この世界の自分達がどうなろうがどうでもいい。

 その言葉が、胸の奥に残っている。

 

 黒夜はその二人の表情を見て、静かに息を吐いた。

 やはり、この世界の二人はすでに限界に達している。

 そして自分は、その全てを知っているわけではない。

 

 それでも、できることをしなければならない。

 黒夜はテラスの外に広がるトリニティの空を見た。

 白い校舎の上に、暗い雲が重なっているように見えた。

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