すごく励みになっています!
意識が、浮上する。
最初に感じたのは――衝撃だった。
背中を強く打ちつけた鈍い痛み。
次いで、耳を裂くような爆発音。
「……っ!」
アズサは息を詰まらせ、反射的に身を縮めた。
肺の奥に溜まった空気を吐き出すように、喉から掠れた声が漏れる。
(……私は……)
視界が揺れる。
焦点が合わない。
爆風で舞い上がった粉塵が、まだ空気中を漂っていた。
鼻腔を刺す火薬の匂い。
焦げた石材の臭い。
(……そうだ)
思い出す。
捕まったこと。
連れ去られたこと。
そして気絶させられた事。
そして――
突然、身体が投げ出された。
「……どういうことだ?」
疑問が自然と零れた。
アズサは身体を起こし、爆発音のした方向へと視線を向ける。
そこで――
見てしまった。
純白の破片が、辺り一面に散らばっている。
それは、盾だった。
あの、折り畳み式の――
トリニティの紋章が刻まれた、純白のバリスティックシールド。
(……壊れ……て……)
その中心。
瓦礫の隙間に、倒れている影。
「……っ!」
喉が、引きつった。
「……こ、く……や……?」
名前を呼ぼうとして、声にならない。
駆け寄る。
転びそうになりながら、必死に。
そして、目に入った光景に――
思考が、止まった。
左腕が、ありえない方向に折れ曲がっている。
関節の位置が、完全に狂っている。
頭部からは血が流れ、額から頬へと伝い落ちていた。
だが、それ以上に――
胴体
制服の上半身が、赤く染まっている。
トリニティの白を基調とした制服が、
まるで別物のように。
「……う、そ……」
膝が、崩れ落ちる。
(……こんな……)
(……こんな、怪我……)
呼吸は、ある。
微かに、胸が上下している。
だが、それは「生きている」と言えるギリギリの線だった。
「……黒夜……!」
震える手で、肩に触れる。
「……起きろ……!」
返事はない。
「……ふざけるな……!」
声が、荒れる。
「……せっかく……!」
喉が、熱くなる。
「……せっかく、救われたんだろ……!?」
拳が、震える。
「……こんな所で……!」
声が、裏返る。
「……死ぬな……! 死ぬなよ……!」
涙が、溢れた。
考える前に、身体が動いていた。
アズサは黒夜の身体を引き寄せ、必死に肩へ担ぎ上げる。
(……重い……)
だが、下ろすという選択肢はない。
「……待ってろ……!」
息を切らしながら、走り出す。
「……今、トリニティに……!」
瓦礫を越え、崩れた道を抜ける。
「……だから……!」
声を張り上げる。
「……頼むから……!」
「……生きろ……!」
何度も
何度も
名前を呼び続ける
そうしなければ――
黒夜が、このまま消えてしまいそうだったから。
どれくらい走っただろう。
足が、限界を訴え始めた頃。
「――大丈夫!?」
唐突に声を掛けられ、アズサは顔を上げる。
そこにいたのは――
古聖堂から撤退してきた、ゲヘナの生徒。
アズサは、カヨコを見た。
「……お前はゲヘナの……!」
「……会場で……!」
「……黒夜と話してた奴だな……!」
カヨコは、アズサに担がれた黒夜の姿を見た瞬間――
言葉を失った。
「……っ」
表情が、凍りつく。
「……そんな……」
一瞬、完全に思考が止まった顔。
「……頼む……!」
「……助けて……!」
その必死な声に、
カヨコはすぐに正気を取り戻す。
「……クソ……!」
歯を食いしばり、叫ぶ。
「……マコト!!」
振り返り、全力で声を張り上げる。
「……黒夜が……!」
「……黒夜が重傷を負った!! 早く来て!!」
「……お願いだから!!!」
声が、掠れる。
「……わかった……!」
そう答えた直後、
瓦礫の向こうからマコトが駆けてくる。
状況を一目で把握し――
即座に指示を飛ばした。
「……医療に心得のある奴、来い!」
「……カヨコ! 出血が酷い! 止血を手伝え!」
「……お前!」
アズサを見る。
「……そのままトリニティまで運べ!」
「……並走しながら、出来る限りの処置はする!」
迷いのない声。
その言葉に、アズサは強く頷いた。
「……頼む……!」
「……生きてくれ……!」
こうして――
黒夜は、血に染まりながら
再びトリニティへと運ばれていく。
それが、
嵐の中で繋がれた、か細い命綱だとも知らずに。
■トリニティ総合学園
正門から少し奥、臨時の避難スペースとして使われている広間に、
重たい沈黙が落ちていた。
外ではまだ、遠くで銃声や爆発音が断続的に響いている。
だが、ここまで退いた今、直接の戦闘音は聞こえない。
それが、余計に不安を煽っていた。
「……」
ナギサは、窓の前に立ったまま動かなかった。
両手を胸の前で組み、祈るように目を伏せている。
口元は固く結ばれ、呼吸だけがかすかに上下していた。
(……黒夜さん……)
頭の中で、何度も名前を呼ぶ。
彼は今、古聖堂に残っている。
自分たちを逃がすために。
「……大丈夫でしょうか……」
ぽつりと零れた声は、あまりにも小さかった。
「……」
ミカは、その言葉に反応できなかった。
正門の方を、ずっと見つめている。
いつ誰が戻ってきてもおかしくないのに――
視線を外すことが出来なかった。
(……戻ってくるよね……)
(……だって、黒夜だもん……)
楽観しようとする思考が、すぐに不安に押し潰される。
(……でも……)
(……あんな中に……)
歯を噛みしめる。
セイアは、壁に背を預けて腕を組んでいた。
いつもより表情が硬く、目を閉じたまま動かない。
(……嫌な予感がする)
理由はない。
根拠もない。
だが、長年培ってきた「勘」が、
胸の奥でざわめいている。
ヒナは、少し離れた場所で静かに立っていた。
目を閉じ、深く息を整えている。
だが、肩口のわずかな強張りが、彼女の緊張を物語っていた。
(……)
(……無事でいて……)
それは祈りにも似た感情だった。
そして――
先生もまた、その場にいた。
「……みんな……」
口を開こうとして、言葉を探す。
「……きっと……」
だが、安易な励ましは出来なかった。
(……僕は……)
(……また、待つしかない……)
自分が「大人」であることの、無力さを噛みしめる。
時間が、やけに長く感じられた。
数分なのか、数十分なのか――
誰にも分からない。
そんな時。
「……!」
ミカが、突然息を呑んだ。
「……来た……!」
その声に、全員が反応する。
一斉に、正門の方を見る。
そこには――
撤退してきた生徒たちの姿があった。
ゲヘナとトリニティの混成。
怪我人も多いが、歩けている者が大半だ。
「……良かった……」
ナギサが、思わず呟く。
「……皆さん……!」
一歩、前に出ようとして――
ナギサは、止まった。
(……?)
様子が、おかしい。
隊列の中央。
複数人に囲まれるようにして運ばれてくる――
一人の生徒。
「え?」
ミカの喉から、音が漏れる。
近づくにつれて、
それが誰なのか、否応なく分かってしまう。
白い制服。
血に濡れた上半身。
「……うそ……」
足が、止まる。
左腕が――
折れ曲がっている。
ありえない角度で。
「……っ……」
視界が、揺れる。
(……そんな……)
(……そんな……)
「……黒……夜……?」
名前を呼ぼうとして、声が出ない。
そして――
現実を、完全に理解してしまった。
「……黒夜……!」
ミカが、叫んだ。
次の瞬間。
「あああああああああああ!!!!!」
声にならない悲鳴。
身体が、勝手に走り出す。
「……やだ……!」
「……やだやだやだ……!」
人混みを掻き分け、
黒夜の元へ。
「……起きて……!」
「……ねぇ……!」
膝をつき、必死に肩を揺らす。
「……ねぇってば……!」
返事はない。
赤く染まった制服。
苦しそうに上下する胸。
「……なんで……」
声が、震える。
「……なんでこんな……」
ナギサは、その場に立ち尽くしていた。
「……」
言葉が、出てこない。
目の前の光景が、理解できない。
(……さっきまで……)
(……朝、一緒に……)
(……笑って……)
喉が、詰まる。
セイアは、ゆっくりと近づいた。
黒夜の状態を一目見て――
目を伏せる。
(……やはり……)
最悪の予感が、的中してしまった。
ヒナは、歯を食いしばった。
「……っ」
拳を、強く握る。
先生は、その場に立ち尽くしていた。
「……黒夜君……」
足が、動かない。
(……僕は……)
(……何を……)
自分が「救う」と言った生徒が、
目の前で瀕死になっている。
(……なんで……)
(……どうして彼がこんな目に……)
その時。
「……医療班を……!」
マコトの声が響く。
「……早く!!」
カヨコが、必死に止血を続けている。
その必死さが、
この状況の深刻さを、何よりも物語っていた。
ミカは、泣き叫びながら黒夜の手を握る。
「……お願い……」
「……行かないで……」
「……置いてかないで……」
その声に、黒夜は応えない。
ただ、
苦しそうに息をするだけ。
ナギサは、ゆっくりと膝をついた。
そして――
震える声で、言った。
「……黒夜さん……」
「……あなたは……」
言葉が、途切れる。
続きが、言えない。
セイアは、ナギサの肩にそっと手を置いた。
「……」
ヒナは、悔しそうに目を閉じた。
先生は、拳を握り締める。
「どいて!!」
鋭い声が響いた。
救護騎士団の生徒たちが、担架と器具を抱えて駆け込んでくる。
その動きは訓練されているが、状況が状況だけに、焦りを完全には隠せていなかった。
「……!」
ミカは、黒夜の手を握ったまま動かなかった。
「……ミカ」
セイアが、静かに声をかける。
「……今は……任せよう」
「……っ……」
ミカの肩が震える。
「……やだ……」
「……離れたくない……」
その言葉は、ほとんど嗚咽だった。
ナギサが、そっとミカの背に手を置く。
「……ミカさん……」
「……今は……」
ナギサ自身も、声が震えている。
「……今は……助けるために……」
ミカは、しばらく黒夜の顔を見つめていた。
血に濡れた頬。
閉じられた瞳。
(……お願い……)
(……まだ……)
ゆっくりと、手を離す。
「……絶対……」
小さな声で、呟く。
「……帰ってきてよ……」
救護騎士団が、素早く黒夜を担架に移す。
「左腕複雑骨折、頭部外傷、腹部出血!」
「出血量が多い!ショック症状が出てる!」
「輸血準備、今すぐ!」
慌ただしい声が飛び交う。
担架が動き出すと同時に、ミカはその後を追おうとした。
「……聖園ミカ!」
マコトが、腕を掴む。
「……今は、私たちが行っても邪魔になる」
「……っ……」
ミカは、唇を噛みしめた。
「……分かってる……」
「……分かってるけど……!」
視線は、担架から離れない。
先生は、その様子を見ながら、胸の奥が締め付けられるのを感じていた。
(……僕は……)
(……また……)
だが、今は立ち止まれない。
「……僕は、彼女たちについて行く」
先生は、はっきりと言った。
「……みんなも、今は彼の近くで無事を祈ろう」
ナギサが頷く。
「……お願いします……先生……」
短い言葉だが、そこには決意が込められていた。
担架が、医療棟へと消えていく。
残された者たちは、しばらくその場から動けなかった。
時間は、残酷なほどゆっくりと流れた。
廊下のベンチ。
誰も、座らない。
ミカは、壁に背を預けたまま、床を見つめている。
(……私……)
(……何してたんだろ……)
(……もっと……)
(……ちゃんと……)
セイアは、腕を組んだまま、目を閉じている。
(……彼は……)
(……それでも、前に立った……)
自分たちを逃がすために。
ナギサは、手を胸の前で組み、目を閉じていた。
(……私たちは……)
(……彼に……何を……)
祈るしかない自分が、情けない。
マコトは、廊下の窓から外を見ていた。
遠くで、まだ煙が上がっている。
(……戦場は……)
(……まだ終わっていない……)
それでも、今は――
ここに集中するしかない。
ヒナとカヨコも壁に背を預けて目を閉じて無事を祈っている。
どれほど時間が経ったのか。
廊下に、足音が響いた。
その音に、誰かが期待を込めて顔を上げる。
誰かが、祈るように息を詰める。
治療を行っていた生徒が、一人。
ゆっくりと、こちらに歩いてきた。
その表情を見た瞬間、
先生は胸の奥が冷たく沈むのを感じた。
「……」
その生徒は、数秒、言葉を探すように視線を伏せ――
そして、はっきりと告げた。
「……正直に言います」
全員の呼吸が止まる。
「……容態は、予断を許さない状態です」
その言葉が、重く落ちる。
「出血は一応止めましたが、内臓へのダメージが深く、意識も戻っていません」
「このまま持ち直す可能性もありますが……」
一瞬の間。
「……覚悟だけは、しておいてください」
それは、
助かるとも、助からないとも言えない――
最も残酷な宣告だった。
沈黙が、廊下を支配する。
最初に崩れたのは、ミカだった。
「……や……」
かすれた声。
「……やだ……」
次の瞬間、膝から力が抜け、床に崩れ落ちる。
「いやああああああああ!!」
抑えきれない嗚咽。
子どものように、声を上げて泣き崩れる。
「やだ……やだよ……!」
「黒夜……お願い……!」
両手で床を叩きながら、号泣するその姿は、
もはやティーパーティーの一人ではなく、
ただ大切な人を失いかけている少女だった。
ナギサは、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。
「……」
目を見開いたまま、救護騎士団の生徒を見つめ――
次の瞬間、ぽろりと涙が零れ落ちる。
「……あ……」
一滴。
また一滴。
止めようとしても止まらない。
「……そんな……」
唇を噛みしめても、
次々と溢れてくる涙が、頬を伝って落ちていく。
「……私……」
声にならない。
絶望した表情のまま、
ただ静かに、泣き続ける。
セイアは、何も言わなかった。
ただ、両手で顔を覆い――
そのまま、その場に座り込む。
肩が、小刻みに震えている。
誰にも見せないように。
誰にも聞かれないように。
必死に、声を殺して泣いていた。
マコトは、深く帽子を被った。
つばが、目元を完全に隠す。
「……」
何も言わない。
ただ、拳を強く握りしめる。
(……私が……)
(……もっとうまく指揮出来ていたら……)
後悔が、胸を締め付ける。
それでも、泣き顔だけは――
誰にも見せなかった。
ヒナは、壁に背を預けたまま、
ずるずると座り込んでいく。
「……っ……」
両腕で顔を覆った瞬間、
嗚咽が漏れた。
「……ごめんなさい……」
誰に向けた言葉かも分からないまま、
静かに、しかし確かに泣き始める。
カヨコは、その場に立っていられなかった。
「……」
膝から崩れ落ち、
へたり込んだまま、虚ろな目で床を見る。
(……また……)
(……また……守れなかった……)
絶望が、全身を包み込む。
その中で。
先生だけが、立ち尽くしていた。
「……どうして……」
掠れた声。
「……どうして……こんなことに……」
答えは、どこにもない。
ただ、重く、深い絶望だけが――
その場に残っていた。