瓦礫だらけの道を、私たちは走っていた。
前を行くのはナギサ。
その少し後ろにセイア、そしてアズサ。
さらに後方には、サオリ、ミサキ、ヒヨリの三人が固まるようについてくる。
誰も口を開かない。
息遣いと、足音だけがやけに大きく響いていた。
——頭の中から、さっきまでの光景が離れない。
ミカの、あの目。
感情が壊れ切った、深い淀みを宿した視線。
マコト、カヨコが次々と倒れていく様子。
あの場を離れた判断が正しかったのかどうか、今も分からない。
ただ一つ確かなのは、あの場に居続けていたら、もっと取り返しのつかないことになっていたという事実だけだ。
「……」
ふと、前を走るナギサの肩が小さく揺れた。
次の瞬間。
プルルルル——
乾いた電子音が、静まり返った路地に響いた。
全員が一斉に足を止める。
反射的に周囲を警戒しながら音の出所を探すと、
ナギサが自分のスマートフォンを取り出していた。
「……電話?」
そう呟きながら画面を見るナギサの表情が、一瞬で変わる。
「……っ」
息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
「……先生」
ナギサはそう言って、私の方を見る。
その瞳は、驚きと困惑、そして微かな希望が入り混じった色をしていた。
「……発信者が、黒夜さんです」
その言葉に、時間が一瞬止まったような感覚を覚えた。
「……黒夜君が?」
思わず聞き返す。
セイアが目を見開き、アズサが息を飲む。
サオリたち三人も、揃って足を止めたまま、こちらを見ていた。
ナギサは一度、深く息を吸ってから通話ボタンを押す。
「……もしもし。黒夜さん……ですか?」
数秒の沈黙。
その後、スマートフォン越しに聞こえてきた声は——
「……ナギサ様」
聞き覚えのある、少し弱々しい声。
その瞬間、ナギサの肩から力が抜けた。
「……っ、よかった……」
声が震えている。
それは決して演技ではなく、心の底からの安堵だった。
「黒夜さん……ご無事、なのですか?」
「はい……先ほど、意識を取り戻しました。ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが、ようやく緩んだ。
「……本当によかった」
先生が、そう呟いていた。
セイアは静かに目を閉じ、胸に手を当てる。
「無事なんだね…」
アズサも、ほとんど聞き取れないほど小さな声で、
「……無事でよかった……」
と呟いていた。
少し遅れて、後方から低い声が聞こえる。
「……あの爆弾を食らって死んでなかったのか」
サオリだった。
驚愕と、戸惑いと、そしてわずかな安堵。
複雑な感情が滲んだ一言だった。
黒夜は電話越しに、続ける。
「皆さんにも、先生にも……本当に、ご心配をおかけしました。
今はまだ怪我が酷くて、体を動かすことはできませんが……意識ははっきりしています」
ナギサは何度も頷きながら聞いている。
「……それで、もう一つ。お伝えしなければならないことがあります」
その言葉に、全員が息を呑む。
「先ほどミカ様に……電話をしました」
一瞬、空気が張り詰めた。
「話をさせていただいて復讐を思いとどまってもらいました…」
その言葉を聞いた瞬間、私ははっきりと理解した。
——ミカは、止まった。
少なくとも、黒夜の言葉を受け取ることができた。
「……そう、ですか」
ナギサの声は、震えながらも確かだった。
黒夜は続ける。
「詳しいことは、後で直接お話しします。ですので……一度、皆さんでトリニティに戻りませんか?
…そこで一旦合流しましょう」
その言葉に、誰も反対しなかった。
「……分かりました。黒夜さん」
ナギサははっきりと答える。
「それでは……病室で、お待ちしています」
「……はい。すぐに戻ります」
そうして、通話は切れた。
しばらく、誰も動かなかった。
「……」
最初に口を開いたのは、セイアだった。
「……本当によかったよ。
ミカも思いとどまってくれたようだしね」
その言葉に、全員が静かに頷く。
だが、それで全てが終わったわけではない。
先生は視線を上げる。
「……ミカと、ヒナたちのところへ戻ろう」
ナギサがすぐに理解したように頷いた。
「そうですね、その方がいいと思います」
こうして私たちは、進路を変えた。
再び、あの戦闘の跡へ。
そして——
ようやく、すべてを「現実」として回収するために。
私たちは、再び走り出した。
◆
戦闘があったはずの場所は、奇妙なほど静かだった。
瓦礫は崩れたまま。
弾痕も、砕けた遮蔽物も、そのまま残っている。
だが、あれほど響いていた銃声も、今は影も形もない。
その中心に——彼女はいた。
ミカは、地面に膝をつき、泣きはらした顔で三人の傍にいた。
倒れているのは、ヒナ、マコト、カヨコ。
全員、意識を失ったまま動かない。
ミカは、震える手でヒナの肩を支えながら、小さく呟いていた。
「……ごめんね……」
声はかすれていて、何度も途切れる。
「……ヒナちゃん……マコトちゃん……カヨコちゃん……」
その一言一言が、まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
「……私、ひどいことしたよね……」
ミカは三人を起こそうとするでもなく、ただ傍で、介抱するように身体を支えているだけだった。
その姿は、数十分前までの、破壊衝動に突き動かされていた彼女とは、まるで別人のように見えた。
先生は一歩、前に出る。
「……ミカ!」
名前を呼ぶと、彼女はびくりと肩を揺らした。
ゆっくり振り返り、私たちに気づいた瞬間——
その表情は、安堵と後悔が入り混じった、ぐしゃぐしゃのものだった。
「……先生……」
ミカは立ち上がると、ふらつきながらこちらに駆け寄ってくる。
そして、私の前で止まり——深く、頭を下げた。
「……ごめんなさい」
その声は、はっきりと震えていた。
「先生にも……ナギちゃんにも……セイアちゃんにも……みんなに……」
顔を上げると、目は真っ赤で、涙の跡がはっきり残っている。
「……迷惑、かけちゃった」
ナギサは何も言わず、ただ静かにその姿を見つめていた。
セイアも、叱責の言葉は口にしない。
その沈黙の中で、ミカはふと、視線を後ろへ向けた。
サオリたち三人が、少し距離を取って立っている。
ミカの表情が、わずかに曇る。
何か言おうと口を開きかけた、その前に——
「……謝る必要はない」
サオリの低く、はっきりとした声。
ミカは驚いたように目を見開く。
サオリは一歩、前に出ることはせず、だが視線は逸らさなかった。
「……お前に、そこまでさせるだけのことを、私たちはした」
短い言葉だったが、その中には、逃げも言い訳もなかった。
ミカは、しばらく黙ってサオリを見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「……黒夜に、止められたから」
その声には、まだ涙が混じっている。
「……だから、もう復讐はしない」
一瞬、場の空気が張り詰める。
「……でも」
ミカの瞳が、ほんの一瞬だけ鋭くなる。
「許したわけじゃ、ないから」
その言葉に、ミサキとヒヨリが思わず身を強張らせた。
「……次に何かしたら」
ミカの目は、まるで抜身の刀身の様に鋭利だった。
「その時は……覚悟、しといてね」
その瞬間、放たれた殺気は、ほんの一瞬だったが、確かに本物だった。
ミサキとヒヨリは、言葉を失ったまま、小さく頷く。
サオリは一拍置いてから、短く答えた。
「……わかった」
それ以上、言葉はなかった。
そのやり取りを見届けてから、ナギサが一歩前に出る。
「……ミカさん」
ミカは、はっとして振り返る。
「一旦、トリニティに戻りましょう」
ナギサの声は、いつも通り落ち着いていた。
「私たちは……ミカさんとあなたに倒された方々を、回収しに来ました」
その言葉に、ミカはすぐに理解したように頷く。
「……うん」
その間にも、後方では動きがあった。
アズサがカヨコの身体を背負い、
セイアがヒナを支えながら、手際よく準備を進めている。
そして、セイアがちらりとミカを見る。
「……さて」
少しだけ、意地の悪い笑み。
「マコト議長は、君が運びたまえ」
ミカが目を瞬かせる。
「君の馬鹿力なら、余裕だろう?」
その言い方に、ミカは一瞬ぽかんとした後、
「もー!セイアちゃんはすぐそういうこと言うんだから!」
と、声を上げた。
だが、その口調は、どこか軽い。
「……でも、まあ」
マコトの身体を抱え上げながら、
「私がやったことだし……それくらい、するよ」
そう言って、少し照れたように視線を逸らした。
——ああ。
そのやり取りを見て、胸の奥で静かに息を吐いた。
普段のミカが、戻ってきている。
完全ではない。
傷も、後悔も、消えてはいない。
それでも——
少なくとも、恨みの中には、もういない。
「……じゃあ」
先生は、皆を見渡して言う。
「トリニティに、戻ろう」
誰も反対しなかった。
こうして私たちは、
それぞれが傷を抱えたまま、
それでも同じ方向へと、歩き出した。
トリニティへ。
そして、黒夜の待つ場所へ。