ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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伏せられた真実

 

「……それでは、病室でお待ちしておりますよ」

 

 

 そう言って通話を切った瞬間、黒夜は肺の奥に溜め込んでいた息を、長く、深く吐き出した。

 

 

 フーッ……。

 

 

 自分でも驚くほど、胸の奥が重かった。

 上半身を起こしたまま保っていた体勢をやめ、ゆっくりと背中からベッドへ身を預ける。

 清潔なシーツが背に触れる感覚が、やけに現実味を伴って伝わってきた。

 

 

「……取り返しのつかない事になってなくて、よかった……」

 

 

 誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟く。

 その声は、かすかに震えていた。

 

 天井を見つめながら、黒夜は目を閉じた。

 ミカの泣き声が、耳の奥にまだ残っている。

 電話越しでも分かるほどの嗚咽。あれほど取り乱した彼女の声を聞いたのは、初めてだった。

 

 

――止められて、よかった。

 

――間に合って、よかった。

 

 

 もし、あと数分遅れていたら。

 もし、電話に出てもらえなかったら。

 もし、取り返しのつかない事になっていたら。

 

 

 考え始めると、胸の奥がひやりと冷える。

 

 

「大事にならなくて、本当によかったですね」

 

 

 静かな声が、病室に響いた。

 

 黒夜はゆっくりと視線を向ける。

 ベッドの横、窓際に立っていたのは、救護騎士団団長――蒼森ミネだった。

 

 白を基調とした制服姿。背筋はまっすぐで、表情はいつも通り落ち着いている。だが、その眼差しは確かに、黒夜の様子を気遣っていた。

 

 黒夜は小さく頷き、同意する。

 

 

「ええ……本当に、その通りです」

 

 

 喉を潤すように一度息を整え、続ける。

 

 

「私の治療から、迅速な情報の共有まで……何から何まで、本当にありがとうございます。おかげで……間に合いました」

 

 

 ミネは一瞬だけ目を伏せ、すぐにいつもの淡々とした表情に戻った。

 

 

「いえ。救護騎士団団長として、当然の事をしただけです。

 お礼を言われる謂れはありません」

 

 

 そう答えられても、黒夜はかすかに笑みを浮かべた。

 

 

「それでも……死にかけた身としては、いくら感謝してもし足りませんよ」

 

 

 その笑顔は、穏やかだった。

 だが、どこか張り付いたような、無理をしたものでもあった。

 

 ミネはそれ以上何も言わず、静かに黒夜を見守る。

 

 黒夜は視線を窓の外へ向けた。

 夜のトリニティ学園。規律正しく並ぶ建物の灯りが、穏やかに闇を照らしている。争いも混乱も、今は遠く感じられるほど、静かな夜だった。

 

 

「……ミネ団長」

 

 

 不意に、黒夜が口を開く。

 

 

「私の怪我は……どのくらいの期間で、完治するのでしょうか?」

 

 

 ミネは一拍置いてから、淡々と答えた。

 

 

「左腕の骨折は、およそ一ヶ月。

 胴体の裂傷や打撲についても、その頃までには日常生活に支障がない程度まで回復する見込みです」

 

 

 黒夜は「そうですか」と小さく呟き、安堵したように息を吐いた。

 

 だが、ミネはそこで言葉を切り、視線を少し逸らす。

 

 

「……ただ」

 

 

 その声音に、黒夜は微かな違和感を覚えた。

 

 

「左目については……治る事は無いと、思ってください」

 

 

 その言葉は、静かだった。

 だが、病室の空気を一瞬で重くするには、十分すぎるほどだった。

 

 黒夜は驚いた様子を見せず、ただ、ゆっくりと包帯越しに左目に触れた。

 

 左側の視界。

 確かに、最初から何も映っていない。

 光も影も、輪郭すらも。

 

 

「あぁ……」

 

 

 小さく、納得したような声が漏れる。

 

 

「やっぱり……そうですか」

 

 

 内心では、すでに覚悟していた。

 目を覚ました直後から、左側だけがまるで光が存在しないような感覚だったからだ。

 

 黒夜は思い返す。

 

 

――アズサを抱きかかえた瞬間。

――背後の違和感。

――罠だと理解した刹那。

 

 

 咄嗟に展開したシールド。

 だが、爆発を完全に防げるはずもなく、衝撃と共にシールドは粉々に砕け散った。

 

 その破片の一部が、左目を切り裂いた。

 

 額からの出血。

 全身の裂傷と打撲。

 あまりに派手な外傷のせいで、周囲の誰も、左目の異変には気づかなかった。

 

 ――いや。

 気づいていた人物は、一人だけいた。

 

 蒼森ミネだ。

 

 直接治療に当たった彼女だけが、左目の状態を把握していた。

 

 黒夜は穏やかに微笑んだ。

 

 

「まぁ……命が助かっただけでも、十分すぎるほどです」

 

 

 その言葉は、嘘ではない。

 だが、どこか自分に言い聞かせるような響きを持っていた。

 

 ミネは、黒夜のその笑顔をじっと見つめる。

 

 

(……無理をしている)

 

 

 救護騎士団団長として、数え切れないほどの負傷者を見てきた。

 だからこそ分かる。

 

 この笑顔は、痛みや喪失を受け入れきれていない者のそれだ、と。

 

 だが、ミネはそれ以上踏み込まない。

 今は、彼自身が向き合うべき時間なのだと理解していた。

 

 病室には再び、静寂が戻る。

 

 夜のトリニティの灯りが、変わらず窓の外で瞬いていた。

 

 そして黒夜は、見えない左側を無意識に避けるように、右目だけでその景色を見つめながら、胸の奥で静かに思う。

 

 ――本当に、取り返しのつかない事にならなくて……よかった。

 

 だが同時に。

 

 ――これから、取り返しのつかないものを、どうやって守っていけばいいのか。

 

 その答えは、まだ見えていなかった。

 

 窓の外では、トリニティの灯りが変わらず瞬いている。だが、黒夜の意識はその光景には向いていなかった。

 

 

「……一つ、確認しておきます」

 

 

 ミネの声が、静寂を破る。

 

 黒夜は視線を窓から戻し、彼女の方を見る。

 

 

「あなたの左目の件ですが……現時点では、先生方や他の生徒には伏せています」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、黒夜の表情がわずかに硬くなった。

 

 伏せている。

 ――つまり、知られていない。

 

 

「……そう、ですか」

 

 

 そう返事をしながら、黒夜は視線を落とす。

 白いシーツの上で、自分の指先がかすかに震えているのが見えた。

 

 

(……どうするべきだろうか)

 

 

 この事実を、話すべきか。

 それとも、伏せたままにするべきか。

 

 思考は、すぐに回り始める。

 

 もし、このまま何も言わなければ。

 先生たちは、ミカは、ナギサたちは――黒夜が左目を失ったことを知らないままになる。

 

 だが、もし話してしまえば。

 

 ――ミカ様は、どうなるだろうか。

 

 脳裏に浮かぶのは、電話越しに聞いた、あの泣き声。

 復讐に飲み込まれ、理性を失い、それでも必死に踏みとどまろうとしていた彼女の姿が容易に想像できる。

 

 

(……危ない)

 

 

 黒夜は、はっきりと理解した。

 

 今、この事実を伝えるべきではない。

 

 せっかく、ミカ様が復讐を思いとどまってくれた、このタイミングで。

 もし左目のことを知ってしまえば、彼女は再び怒りと後悔に引き戻される。

 

 しかも、今度は――

 

(私の言葉でも、止められないかもしれない)

 

 そうなれば、ミカ様は行くところまで行ってしまう。

 誰にも止められないほど、深く、暗い場所へ。

 

 黒夜は、無意識のうちに唇を噛みしめていた。

 

 ――それだけは、絶対に避けなければならない。

 

 たとえ、自分が何かを失ったとしても。

 たとえ、それが取り返しのつかないものだったとしても。

 

 ミネは、そんな黒夜の沈黙を、急かすことなく見守っていた。

 彼女は理解している。この青年が、今、重大な選択をしていることを。

 

 やがて、黒夜は顔を上げる。

 

 そして、柔らかく微笑んだ。

 

 

「……今のところは」

 

 

 その声は穏やかだった。

 

 

「左目の事は、引き続き伏せていようかと思います」

 

 

 ミネは、何も言わずに頷く。

 

 黒夜は続ける。

 

 

「今日は……本当に、色々な事が起こりましたから」

 

 

 ミカの暴走

 

 アリウスの件

 

 仲間たちの負傷

 

 そして、自分の生死

 

 

「これ以上、余計な事を知らせて混乱を招きたくないんです」

 

 

 それは、理性的な判断だった。

 そして同時に、誰よりも自分を後回しにする選択でもあった。

 

 ミネは短く息を吐き、答える。

 

 

「……分かりました」

 

 

 それ以上、否定はしなかった。

 

 

「では、先生方が戻ってくる前に……」

 

 

 そう言いながら、ミネは準備していた医療用具に手を伸ばす。

 

 

「頭と左目を覆っている包帯を、交換しましょうか」

 

 

 白い包帯。

 血と薬品の匂いが、ほのかに漂う。

 

 黒夜は小さく頷いた。

 

 

「お願いします」

 

 

 ミネが近づき、丁寧に包帯を解いていく。

 包帯が外されるたび、空気が肌に触れ、かすかな痛みが走る。

 

 黒夜は目を閉じ、身を委ねた。

 

 

「ありがとうございます……ミネ団長」

 

 

 その声には、偽りのない感謝が込められていた。

 

 ミネは淡々とした手つきで新しい包帯を当てながら、ふと口を開く。

 

 

「……いつか」

 

 

 その声は、先ほどまでより少しだけ柔らかかった。

 

 

「あなたの事を、本当に信頼している人たちには……話してあげてくださいね」

 

 

 黒夜は、一瞬だけ言葉を失う。

 

 信頼している人。

 信頼してくれている人。

 

 

(……いつか、か)

 

 

 今ではない。

 だが、永遠に伏せるわけにもいかない。

 

 黒夜は小さく息を吸い、答えた。

 

 

「そうですね……」

 

 

 その声には、少しだけ迷いが混じっていた。

 

 

「いつになるかは、分かりませんが……必ず」

 

 

 そう言って、微笑む。

 

 それは、未来への約束だった。

 

 ミネはそれ以上何も言わず、包帯を丁寧に固定し終える。

 

 病室には再び、静かな夜が戻った。

 

 黒夜は、見えない左側を意識しないように、右目だけで天井を見つめる。

 

 

 ――この沈黙が、誰かを守れるのなら。

 

 ――この傷が、誰かの笑顔と引き換えなら。

 

 

 それでいい。

 

 そう、自分に言い聞かせるように。

 

 

「それでは……何かありましたら、すぐに呼んでください」

 

 

 静かな声とともに、病室の扉が閉じられた。

 

 蒼森ミネが去った後、室内には機械音と夜の静けさだけが残る。

 点滴のリズム、心拍モニターの規則正しい音。それらは黒夜にとって、命が繋がっている証そのものだった。

 

 黒夜は小さく息を吐き、天井を見上げる。

 

 

(……少し、休もう)

 

 

 そう思ったはずだった。

 

 だが、意識は思っていた以上に重かった。

 身体の奥に溜まった疲労が、今になって一気に押し寄せてくる。

 

 ――爆発。

 

 ――痛み。

 

 ――血の匂い。

 

 ――ミカの泣き声。

 

 それらを振り払うように目を閉じた瞬間、意識はゆっくりと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 柔らかな陽光が、視界を満たしていた。

 

 そこはトリニティのどこか――

 白い石造りのテラス。花が咲き、風が心地よく吹き抜ける場所。

 

 中央には小さな円卓が置かれ、そこでは優雅なお茶会が開かれていた。

 

 座っているのは三人。

 

 ナギサ

 

 ミカ

 

 セイア

 

 三人は楽しそうに微笑みながら、カップを手に談笑している。

 

 黒夜は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。

 

 

(……あれ?)

 

 

 胸の奥に、かすかな違和感が生まれる。

 だが、その正体を掴む前に、三人の会話が風に乗って耳に届いた。

 

 

「――ところで」

 

 

 ナギサが、穏やかな声で切り出す。

 

 

「黒夜さん、左目を負傷されたそうですね」

 

 

 黒夜の心臓が、跳ねた。

 

 ミカは楽しげに笑いながら言う。

 

 

「へぇ~、そうなんだぁ。じゃあさ」

 

 

 軽い調子で、悪意のない声色で。

 

 

「専属護衛から、降ろすの?」

 

 

 その一言に、黒夜の喉がひくりと鳴る。

 

 セイアはカップを置き、理知的な口調で続けた。

 

 

「まぁ、そうなるだろうな」

 

 

 淡々と、当然のことのように。

 

「視界が健常者の半分しかないのだろう?

 それでは、私たちを守ることは出来ないだろう」

 

 

 ナギサも、静かに頷いた。

 

 

「ええ……残念ですが、仕方のないことです」

 

 

 その言葉は、刃のように黒夜の胸を抉った。

 

 

(違う……)

 

 

 思わず、一歩踏み出す。

 

 

「……あの」

 

 

 声が、震える。

 

 三人が、同時にこちらを向いた。

 

 

 ――その目は。

 

 氷のように、冷たかった。

 

 微笑みも、温度もない。

 そこにあるのは、完全な無関心。

 

 ミカが、ぽつりと言う。

 

 

「……まだ、いたんだ」

 

 

 ナギサは何も言わず、ただ視線を逸らす。

 セイアは興味を失ったように、再びカップに手を伸ばした。

 

 黒夜の足が、動かなくなる。

 

 

(そんな……)

 

 

 言葉が出ない。

 否定も、弁解も、懇願も。

 

 ただ、胸の奥に広がるのは――

 “不要になった”という、耐え難い感覚。

 

 その瞬間。

 

 

 

「――黒夜さん!」

 

 

 

 誰かが、名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 はっと目を開ける。

 

 白い天井

 

 医療機器

 

 消毒薬の匂い

 

 

 ――病室だ

 

 

 視界の先に、ナギサ、ミカ、セイアの三つの顔が並んでいる。

 三人とも、心配そうに黒夜を覗き込んでいた。

 

 

「大丈夫なの?」

 

 

 ミカが、慌てた声で言う。

 

 

「無理してない? どこか痛くない?」

 

 

 ナギサも、真剣な表情で。

 

 

「顔色があまり良くありませんが……」

 

 

 セイアは腕を組みつつ、少しだけ眉を寄せている。

 

 

 「うなされていた様だが大丈夫かい?」

 

 

 黒夜は、数秒遅れて状況を理解した。

 

 

(……夢、か)

 

 

 喉が、からからに渇いている。

 心臓の鼓動が、まだ早い。

 

 悪夢だった。

 自分が、最も恐れている未来を映した――酷い夢。

 

 黒夜はゆっくりと息を整え、微笑みを作る。

 

 

「大丈夫です」

 

 

 少し掠れた声だったが、意識的に明るくした。

 

 

「少し……夢見が悪かっただけです

 私は、大丈夫ですよ」

 

 

 ミカは疑うように黒夜の顔を覗き込むが、やがて少しだけ安心したように息を吐いた。

 

 

「そっか……もうびっくりしたよ」

 

 

 ナギサも、胸に手を当てる。

 

 

「本当に、驚きました……」

 

 

 セイアは軽く肩をすくめる。

 

 

「まぁ、これだけの怪我だ。疲労も溜まっているのだろう」

 

 

 黒夜は三人を見つめながら、内心で呟く。

 

 

(……酷い夢だった)

 

 

 守れなくなること。

 必要とされなくなること。

 

 

 だが――

 

 

(気にする必要はない)

 

 これは、現実ではない。

 今、目の前にいる三人は、こんな冷たい目を向けていない。

 

 だから

 

 黒夜は、その夢を胸の奥に押し込めた。

 

 その時、少し離れた場所から先生の声が聞こえる。

 

 

「よし、黒夜も起きたみたいだね」

 

 

 先生は穏やかな表情で、皆を見渡した。

 

 

「じゃあ……これからのことを、話そうか」

 

 黒夜は小さく頷く。

 

(……今は、これでいい)

 

 真実は、まだ胸の奥に。

 

 夜は、まだ続いている。

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