先生は深く息を吐き、病室から離れた別室へと足を向ける。後ろにはサオリ、ミサキ、ヒヨリ、アズサが続いていた。重い足取り。誰も口を開かない。
別室に入ると、簡素な机と椅子が並ぶだけの空間が広がっていた。蛍光灯の明かりが冷たく照らす。
「……座ろう」
先生の一言で、それぞれが椅子に腰を下ろす。金属の脚が床を擦る音が、やけに大きく響いた。
沈黙。
誰もが分かっている。今、やるべきことは一つだ。
アツコを救う。
それ以外に選択肢はない。
「まず、確認したい」
先生が口を開く。
「アリウス自治区の詳しい地図とか、手に入らないかな?」
わずかな希望を込めた問いだった。
だが、サオリは首を横に振る。
「そんなものは存在しない。少なくとも、外部に出回るような正確な地図はない」
「やっぱりか……」
「だが」
サオリの視線が鋭くなる。
「地形なら説明できる。内部構造もある程度は把握している。私たちが同行すれば、道案内は可能だ」
即答だった。
迷いがない。
それは覚悟の証だった。
先生は小さく頷く。
「……ありがとう。それは助かる」
「礼は要らない。元々、私たちの問題だ」
その言葉に、ミサキとヒヨリが目を伏せる。アズサは腕を組んだまま、壁を睨んでいた。
先生は机に肘をつき、指を組む。
「他に問題は?」
サオリの表情がわずかに曇った。
「問題は……ミメシスと呼ばれている存在だ」
空気が変わる。
先生は眉をひそめる。
「詳しく聞かせて」
「簡単に言うと無尽蔵に湧いてくる戦力だ」
淡々とした声。
「幽霊の様な存在で、複雑な命令はこなせない。個々の戦闘力も高くはない」
「じゃあ……」
「だが」
サオリの言葉が鋭くなる。
「戦っても戦っても、尽きない」
部屋が静まり返る。
「純粋な数の暴力だ。押し潰される」
ミサキが続ける。
「仮に突破できても……」
彼女は自分の銃を見下ろした。
「弾切れになる」
ヒヨリが小さく頷く。
「マダムのところに辿り着けても……アツコちゃんを救出する余力が残らないと思います…」
アズサが舌打ちする。
「……面倒だな」
短い一言だったが、その中には苛立ちと焦燥が滲んでいた。
先生は目を閉じる。
数
弾薬
消耗戦
突破はできるかもしれない。だが、帰れない。
アツコを連れ帰れなければ、意味がない。
重い沈黙が落ちる。
その時、扉がノックされた。
「失礼します」
聞き慣れた声。
入ってきたのは、ナギサたちだった。
三者三様の空気を纏いながらも、その瞳は同じ方向を向いている。
「時間を頂きましてありがとうございます」
ナギサが静かに言う。
「それで、話し合いは順調かい?」
セイアが続ける。
「作戦は決まった感じ?」
ミカが椅子を引きながら言う。
先生は軽く頷き、現状を共有した。
アリウスの地形
サオリの同行
そして――ミメシス
説明が終わると、ミカが腕を組み、あっけらかんと言った。
「数には数で対抗するしかないじゃん?」
あまりにも単純。
だが本質的。
「例えば?」
先生が問う。
「正義実現委員会かい?」
セイアが静かに口にする。
「そうそう、それそれ」
ミカが軽く答える。
「正実連れて行けばいいじゃん。ある程度の人数なら押し返せるでしょ?」
確かに
トリニティの象徴的戦力。
規律と数を兼ね備えた組織。
だが――
「それは無理だと思います」
ナギサが即座に否定した。
部屋の空気が引き締まる。
「どうして?」
先生の問いに、ナギサは静かに答える。
「正義実現委員会を連れて行くのが、最も簡単な解決方法です。ですが……今は不可能です」
その声には苦味があった。
「調印式のテロによって、トリニティ内部は、現在不安定な状態にあります」
調印式の爆発
襲撃
流れた血
「そのテロの実行犯とされているアリウスの生徒――」
ナギサは一瞬、視線を伏せる。
「その仲間であるアツコさんを救うために力を貸すほど、正義実現委員会は甘い組織ではありません」
静かな宣告だった。
現実。
感情論では動かない組織。
正義の名のもとに。
部屋に沈黙が降りる。
ミカが唇を噛み、セイアが目を細める。
サオリたちは何も言えない。
当然だ。
彼女たちは、敵だったのだから。
先生はゆっくりと息を吐く。
簡単じゃない。
だが――
諦める理由にはならない。
アツコを助ける。
その事実だけは、揺るがない。
机の上で、先生の拳が静かに握られた。
数が足りないなら、集める。
突破できないなら、突破できる状況を作る。
方法は、あるはずだ。
静まり返った部屋で、それぞれが思考を巡らせる。
この戦いは、ただの救出ではない。
アリウスにとっても。
トリニティにとっても。
そして自分たちにとっても。
答えが出ないまま、全員が机を囲み、沈黙の底に沈んでいた。
その時だった。
扉が開く音がした。
全員の視線がそちらへ向く。
「……よかった、目覚めたんだね」
立っていたのは、マコト、ヒナ、カヨコ。
三人とも既にいつもの服を着こんでいた。
怪我の跡はあるが、立ち姿は揺るがない。
ミカが勢いよく立ち上がる。
「よかった……ほんとに、よかったよ……!」
ナギサも安堵の息を吐き、セイアは静かに笑みを浮かべる。
ミカは三人の前に歩み出る。
「ごめんなさい……あの時、私……復讐で頭いっぱいで……」
声が震えている。
だが。
「あぁ、別に気にしてない」
マコトが肩を竦めた。
ヒナも小さく頷く。
「そう、だから余り気にしなくていいわ」
カヨコは柔らかく言う。
「まあ、ただの気絶だしね」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ軽くなる。
だが
先生は、違和感を覚えた。
三人の雰囲気が、いつもとほんの少しだけ違う。
静かだ
穏やかだ
だがその奥に、何かが燃えている。
マコトが椅子を引き、腰を下ろす。
「私たちが気絶している間に何があった? 今どういう状況だ?」
先生は頷き、簡潔に説明する。
サオリたちが黒夜への謝罪し許されたこと。
捕らわれている秤アツコの救出。
サオリたちを利用していたマダムの存在。
ミメシスという無尽蔵の敵。
話し終える頃には、部屋は再び重苦しくなっていた。
静かに聞いていたマコトが言う。
「つまり――」
視線がゆっくりと全員を見回す。
「頭数が足りないってことだな?」
誰も否定できない。
その通りだった。
マコトの口元が歪む。
獰猛な笑み。
「……ちょうどいいか」
ヒナとカヨコに目配せする。
二人も、わずかに頷いた。
そして
三人が同時に自分のスマホを取り出す。
会議室の空気が変わる。
静かだったはずの部屋に、電子音が重なり始めた。
呼び出し音
三つの通話が、同時に始まる。
◆
「おぉ、こんな遅い時間に連絡して悪いな、イロハ」
軽い口調。
だが声の奥は冷えている。
『はぁ~……マコト先輩? いきなり何なんですかこんな時間に』
眠そうな声。
『私はこれから寝るところなんですけど……』
「突然だが」
マコトの声が低くなる。
「ゲヘナの戦車隊を招集して、トリニティに来てくれないか?」
『……は?』
呆れ。
『出来るわけないでしょう? 他校ですよ?』
マコトは息を吸う。
◆
「いきなり連絡してごめんなさいね、今いいかしら、アコ?」
『ええ、問題ありません、ヒナ委員長、どうかされましたか?』
整った返答。
いつものアコだ。
「今動かせる風紀委員を、全員集めてトリニティまで来て」
一瞬の沈黙。
『……ヒナ委員長? 突然どうしたのですか? 何かありましたか?』
ヒナは目を閉じる。
◆
「あ、ごめん社長。今時間ある?」
『どうしたのカヨコ? こんな時間に』
少し眠そうな、それでいて警戒を含んだ声。
「頼みたいことがあるんだ。便利屋のみんなを連れて、トリニティまで来てくれない?」
『えぇ!? なんでよ!? 明日は仕事――』
カヨコの声が低くなる。
◆
三人の視線が交差する。
そして
三人同時に、言った。
「「「仲間が殺されかけた」」」
空気が凍る。
電話の向こう側で。
会議室の中で。
時間が止まる。
一瞬の沈黙
だが永遠のように長い。
◆
『……誰が?』
声が変わっている。
眠気は消えている。
「黒夜だ」
短い答え。
沈黙
通信越しでも分かる、空気の変化。
静かだ
怒りが沈殿している。
それだけで十分だった。
『……戦車隊、全車両集めてそちらに向かいます』
◆
『……誰に、ですか?』
「アリウスのマダムと言われる存在によ」
ヒナの声は揺れない。
沈黙
その向こうで、何かが砕ける音がした。
『……風紀委員会、全戦力を招集させます。輸送手段は私が確保します』
◆
『……いつまでに行けばいいかしら?』
怒鳴り声はなかった。
代わりにあったのは、静かな決意。
「明日の朝までには来てくれると助かるかな」
『分かったわ。便利屋68、総出で向かうわ』
◆
電話を切る音が、三度、静かに重なった。
室内はしばらく無音だった。
つい先ほどまで、作戦会議の行き詰まりで重苦しかった空気が、今は別の意味で張り詰めている。
マコトは携帯端末をくるりと回し、ポケットにしまうと――
「キキキッ……」
喉の奥で、楽しそうに笑った。
その笑いに、ナギサがわずかに眉をひそめる。
「……何がおかしいのですか?」
「いやなに、皆が不思議そうな顔をしているからな」
マコトは椅子の背もたれに体を預け、足を組む。
「なんで急に電話の相手の態度が変わったのか、だろう?」
確かにそうだった。
あれほど面倒くさそうだったイロハ。
冷静だったアコ。
文句を言っていたアル。
三人とも――「仲間が殺されかけた」と聞いた瞬間、空気が変わった。
先生も、アリウスの四人も、トリニティの面々も、その理由を完全には理解していない。
マコトは肩をすくめる。
「我々ゲヘナ学園はな、日常が銃撃戦だ。爆発だ。乱闘だ。治安は最悪に近い」
ヒナが静かに続ける。
「校舎が半壊するのも珍しくないわ」
カヨコも淡々と。
「内輪揉めも、まあ日常茶飯事だね」
それは誇ることではないはずなのに。
三人の声音に迷いはない。
マコトは笑みを消した。
「そんな奴らがな、一丸となる時が一つだけ存在する」
室内の視線が集まる。
マコトの目は――真剣だった。
「それが」
一拍
「仲間が傷付けられた時だ」
空気が震えたように感じた。
軽口でも、冗談でもない。
それは、絶対の法則。
ヒナが補足する。
「多少の銃撃戦や喧嘩程度なら、ここまでにはならないわ」
カヨコも続く。
「身内同士なら、なおさらね」
マコトの口角が吊り上がる。
「だが今回の“マダム”とかいう奴は違う」
指を鳴らす。
「一線を越えた」
その言葉に、サオリの肩が小さく震えた。
マコトは立ち上がる。
「殺しはしない」
その一言に、先生がわずかに反応する。
「黒夜が背負い込むかもしれんからな」
黒夜の名が出た瞬間、室内の空気が変わる。
マコトは続ける。
「だがな」
悪魔のように、楽しそうに笑った。
「そいつには――ゲヘナに手を出すとどうなるか、たっぷり後悔してもらう」
ヒナも、カヨコも。
三人とも同じ笑みを浮かべている。
それは狂気ではない。
それは歓喜でもない。
それは――純粋な怒りだ。
その光景を見て、ナギサは静かに目を伏せた。
(……私たち三つの派閥に分かれているトリニティでは、出来ない事)
トリニティは理念で動く。
規律で動く。
正義で動く。
だが――
(理念ではない。命令でもない)
ただ一人の仲間のために。
学園全体が動く。
それは理想ではない。
それは感情。
(……これが、感情で動く組織の恐ろしさ)
逆鱗に触れた時の頼もしさ。
同時に――制御不能の恐怖。
(けれど)
ナギサはほんのわずか、唇を緩めた。
(少しだけ、羨ましいと思ってしまいました)
理念ではなく。
損得でもなく。
ただ「仲間だから」という理由で、ここまで動ける強さ。
それは、トリニティにはないものだった。
ミカは、拳を握り締めていた。
(どうして……)
マコトたちの真っ直ぐな怒り。
濁りのない決意。
(どうしてあんなに真っ直ぐなの?)
怒りを怒りとして使える強さ。
(どうしてあんな風に怒れるの?)
自分は。
復讐に囚われた。
仲間を傷付けた。
黒夜の願いを踏み潰しかけた。
(どうして……私は、ああ出来なかったの!?)
羨望。
そして、自己嫌悪。
だが同時に。
胸の奥に、温かいものが灯る。
(……でも)
ミカはゆっくりと顔を上げた。
もう間違えない。
瞳に、もう迷いはない。
セイアは静かに目を閉じていた。
(ああ……愚かなことを)
これは戦力の問題ではない。
数の問題でもない。
(越えてはならない“一線”を越えてしまった)
組織には、暗黙の境界線がある。
争いは許される。
敵対もある。
だが――
『仲間を殺そうとした』
それは、理屈を超える。
(これでマダムは、代償を払うことになるだろう)
セイアはゆっくりと目を開ける。
その瞳に浮かぶのは怒りではない。
理解だ。
そして、ほんのわずかな――
(アリウス……)
同情。
感情で結束する組織を敵に回した。
それがどれほどの意味を持つか。
もう、止まらない。
沈黙の中。
先生が、ゆっくりと口を開く。
「……これで、頭数は足りる」
サオリが小さく息を飲む。
ミメシス
無尽蔵の敵
突破不可能だった壁
それが今――
「数には数、ですか」
ナギサが静かに言う。
マコトが笑う。
「いや」
ヒナが続ける。
「これは“意思”の数よ」
カヨコが淡く笑う。
「怒らせた人数の、ね」
その言葉に、アリウスの四人は互いを見た。
サオリは、深く頭を下げる。
「……ありがとう」
それは誰に向けたものか。
ゲヘナか。
トリニティか。
先生か。
あるいは黒夜か。
分からない。
だがその声は、震えていなかった。
夜は深い。
だが、この部屋の熱は消えない。
トリニティ
ゲヘナ
アリウス
学園も、理念も、立場も違う。
だが今は。
ただ一つ。
秤アツコを救う
その一点で繋がっている。
先生は全員を見渡す。
恐怖はある。
不安もある。
だが、それ以上に。
覚悟がある。
マコトがにやりと笑う。
「さて」
ヒナが腕を組む。
「久々に自由を謳歌しようかしら」
カヨコが小さく呟く。
「後悔させてやる…」
ナギサが優雅に微笑む。
「トリニティも全力を尽くします」
ミカが拳を握る。
「今度は、間違えない」
セイアが静かに頷く。
「……終わらせよう」
サオリたちは、真っ直ぐ前を見る。
「アツコを、必ず救う」
夜は、嵐の前の静けさ。
だがその静けさの下で。
確実に。
巨大なうねりが動き出している。
マダムはまだ知らない。
自分が踏み越えた一線の意味を。
それがどれほどの怒りを呼び。
どれほどの結束を生み。
どれほどの“代償”となって返るのかを。
これは復讐ではない。
これは報復でもない。
これは――
「仲間を守る」という、ただそれだけの戦いだ。
そしてその戦いは。
夜明けと共に、始まる。
書き貯めのストックが切れたので更新頻度が下がりますが、なるべく早く更新出来るように頑張ります!
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