ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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ゲマトリアのマダム

 

 地下道は、音が先に来る。

 

 銃声――乾いた破裂音が、石壁にぶつかって跳ね返り、何度も増幅されて耳を刺す。

 足音――六人分の靴底が、濡れた床を叩き、呼吸――焦げた空気を吸い込みながら喉の奥で擦れる。

 

 先生は走りながら、胸の奥に溜まっていく熱を押し込めていた。

 

 (地上は……まだ持っているだろうか)

 

 時間の感覚が狂う。

 腕時計を見ても、数字が意味を失う。

 ただ一つ確かなのは、背後から追ってくる“数”の圧――アリウス生とミメシスの気配が、壁越しにでも押し寄せてくることだった。

 

 先頭を走るサオリが、歯を食いしばるように悪態を吐く。

 

「クソ……! どこまで湧くんだ……!」

 

 前方の曲がり角から、アリウス生が数名、銃を構えて飛び出してきた。

 

「止まれ――!」

 

 言い切るより早い。

 サオリのアサルトライフルが火を噴き、連続した銃声が地下道の空気を切り裂く。

 弾丸が当たった生徒たちは倒れていく――というより、糸を切られた人形のように膝から崩れた。

 

 (死んだわけじゃない、ただの気絶だ…)

 

 先生はそう言い聞かせる。

 けれど“爆弾”だけは違う。

 ヘイローを壊す――その言葉が、まだ頭の裏側に冷たく張り付いて離れない。

 

 サオリが射撃を止めると同時に、ほんの一瞬だけ、アズサに視線を投げた。

 鋭い目配せ。

 

 (分断するぞ)

 

 その意図を理解した――アズサが動いていた。

 

「了解」

 

 短い返事。

 アズサは走りながら腰のポーチからプラスチック爆弾を取り出し、さっき通り過ぎた壁の継ぎ目に投げるように設置する。

 手つきが迷わない。迷う時間がないと、体が知っている動きだ。

 

「ミサキ!」

 

 サオリが叫ぶ。

 

 ミサキはうなずき、ロケットランチャーを肩に担ぐ。狭い地下道での使用は危険だ。けれど、危険を承知で撃つ必要がある。

 

 ミサキが引き金を引いた瞬間――

 

 轟音。

 

 天井に吸い込まれるようにロケット弾が突き刺さり、次の瞬間、粉塵と石片が雨のように降り注いだ。

 同時に、アズサがスイッチを入れる。

 

 爆発は、天井を“崩す”というより、支えを奪って“落とす”音だった。

 地下道が震え、視界が白く霞む。

 背後から迫っていた追っ手の足音が、崩落音に飲み込まれる。

 

 瓦礫の壁が出来た。

 

 先生は息を呑む。

 耳鳴りがする。

 それでも、足は止めない。

 

「……行けるか?」

 

 サオリが言った。

 彼女の声は掠れているのに、断定だけは揺れていなかった。

 

 先生たちは崩落地点から距離を取って、ようやく走る速度を落とす。

 ヒヨリがぜえぜえと肩で息をして、涙目のまま先生を見上げる。

 

「せ、先生……追って、来ませんか……?」

 

「今は、来てないみたいだ」

 

 先生はそう答えながら、頭の中で最悪の想定を並べる。

 崩落は“時間稼ぎ”に過ぎない。

 ミメシスがいるなら、いずれ迂回してくる。あるいは――別の道から先回りされる可能性もある。

 

 サオリがリロードしながら言う。

 

「……もう少しだ。マダムのいる場所は近い。そこにアツコが捕らわれているはずだ」

 

 “はず”という単語の重さが、先生の胸に落ちる。

 

 (いる。いてくれ。生きていてくれ)

 

 先生は祈りを、口に出すことなく飲み込む。

 祈りを言葉にしてしまったら、それが“願い”になってしまう。

 願いは叶わない時に人を壊す。今は、壊れている暇がない。

 

 その時だった。

 

 無線機が、ガガガッと不快な音を立てた。

 チャンネルを合わせた覚えはない。

 なのに、勝手に――誰かの声が入り込んでくる。

 

「……ふふ」

 

 背筋が冷たくなる。

 声が、妙によく通る。地下道の湿った空気の中でも、輪郭だけがはっきりしている。

 

「あなたが先生ですか? 初めましてですね」

 

 先生は足を止め、無線機に視線を落とした。

 サオリもミサキも、銃を構え周囲を警戒しながら表情を硬くする。

 ミカは、ただ静かに――息を潜めるように無線機を見ていた。

 

「私は、ゲマトリアのベアトリーチェ。……と言えば、わかりますか?」

 

 “ゲマトリア”。

 

 先生の脳裏に、かつてアビドスで対峙した黒服の姿がよぎる。

 あの時も、話し方だけは丁寧だった。

 丁寧さの奥に、人を人として扱わない温度があった。

 

 先生は低く息を吐き、声を張らないように答える。

 

「……ゲマトリア。覚えているよ」

 

 ベアトリーチェは満足そうに続ける。

 

「私は先生と争う気はありません。――利口な大人同士、無益な損は避けたいだけです」

 

 無線の向こうで、彼女が微笑んでいる気配がした。

 

「秤アツコとサオリたちのことを諦めてくだされば、無事に地上へ返して差し上げますよ」

 

 その言葉に、サオリの肩が震えた。

 怒りを押し殺すように、奥歯が鳴る。

 

 ミサキの目は、笑っていない。

 ヒヨリは唇を噛み、先生を見上げる。

 

 ミカは――無表情のまま、瞳だけが冷たかった。

 その冷たさは、怒りが凍ったものだと先生は直感した。

 

 ベアトリーチェは、言葉を積み重ねる。

 

「そもそも先生とサオリたちは、そこまで深い関わりがあったわけではないでしょう?

 大人として、お互いに利益ある判断をしましょう」

 

 先生は、一瞬だけ目を閉じた。

 

 関わりがないという言葉の中に、彼女の価値観が見える。

 関わったかどうかで命の重さが変わる。

 得か損かで救うか捨てるかが決まる。

 

 だから、先生は答えを迷わない。

 

「生徒を見殺しにはできない」

 

 自分の声が、いつもより少し硬いことに気付く。

 怒りが、心の奥で燃えている。

 

「関わり合いがなかったとしても、助けない理由にはならない。――僕は先生だからね。

 それに、黒夜からサオリたちやアツコの事を託されているからね。

 最初から諦めるなんて選択肢は無い」

 

 ベアトリーチェの沈黙が一拍あった。

 

「……あなたも、そのような戯言を」

 

 不機嫌が、声に滲む。

 器が小さい――その言葉が、先生の脳裏に浮かぶ。まさにその通りだった。

 

「生徒など、大人に搾取される存在。私にとっては高みに至るための階段のようなもの!」

 

 吐き捨てるように言う。

 

「そんなものに命を懸けるのがおかしいとなぜ気が付かないのです!」

 

 先生の胸の奥で、何かが“切れた”。

 

 サオリが前に出そうとしたのを、先生は片手で制した。

 サオリの怒りは正しい。

 けれど、今必要なのは――怒りに飲まれないことだ。

 

 先生は、無線機に向かって短く息を吐く。

 

「……黙れ」

 

 言葉は短い。

 だが、それ以上に重い言葉はないと思った。

 それでもベアトリーチェは止まらない。

 

「それに、月城黒夜に託された? あの死にぞこないのスパイ風情が!」

 

 空気が変わった。

 

 その瞬間、先生は理解した。

 今、隣にいるミカの“音”が消えたことを。

 

 呼吸が止まったわけじゃない。

 怒りが、呼吸の上に蓋をしたのだ。

 

 ベアトリーチェは、ヒステリックに声を高める。

 

「さっさと死んでいればいいものを! 最初は優秀な道具だと思っていましたが、

 百合園セイア暗殺も満足にできない欠陥品が私の計画の邪魔をするな!」

 

 先生の喉が、ひゅっと鳴る。

 

 “道具”

 

 “欠陥品”

 

 その言葉が、黒夜の姿と重なって刺さる。

 己を責め続け、価値がないと呟いた少年。

 それでも誰かを守ろうとして、血を流し、それでも笑った少年。

 

 そして――

 

 ミカが動いた。

 無線機に向かって、怒りを剥き出しにして叫ぶ。

 

「黒夜を道具扱いするな!! 欠陥品なんて言うな!!」

 

 声が震えている。

 泣き声ではない。

 怒りで震える声だった。

 

「お前ごときが黒夜を語るな! 何も知らないくせに!」

 

 ベアトリーチェは鼻で笑ったように、ふん、と短く鳴らす。

 

「道具を道具扱いして何が悪いのです!? 満足に使えない道具など欠陥品と言う他ないでしょう!?」

 

 その瞬間、先生は迷わず無線機を掴み、ミカの肩に手を置いた。

 

 “今”ここで爆発させてはいけない。

 ミカの怒りは正しい。

 だが、怒りだけで走れば――また、彼女自身が壊れる。

 

 先生は、無線機に向かって、低く、冷たく言う。

 

「僕はもう、お前と語ることはない」

 

 一語一語、噛みしめるように。

 

「サオリたちをお前に渡すつもりもない。秤アツコも助け出す」

 

 先生は目を上げ、仲間の顔を見る。

 サオリの怒り。

 ミサキの静かな決意。

 ヒヨリの怯えと、それでも離れない意志。

 アズサの固い覚悟。

 ミカの燃え上がる殺意を、必死に“止めよう”としている瞳。

 

「それが、僕の答えだ。――ベアトリーチェ」

 

 無線の向こうで、息を呑む気配。

 そして、負け惜しみのような声が落ちてくる。

 

「精々、その決定を後悔しないように」

 

 ぷつり。

 

 無線機は沈黙した。

 地下道に残るのは、息遣いと、遠くで響く銃声の余韻だけ。

 先生は一度だけ目を閉じ、胸の奥の怒りを押し込めた。

 

(……ここからだ)

 

 先生は皆の顔を見回す。

 

「行こう」

 

 短い言葉。

 だが、それで十分だった。

 

 サオリが頷く。

 

「……アツコを助ける」

 

 ミサキがランチャーを担ぎ直す。

 

「追っ手、また来るよ。急ご」

 

 ヒヨリが涙を拭き、銃を握り直す。

 

「わ、わたし……今度は、逃げないです……」

 

 アズサが前を見据える。

 

「道案内は任せろ」

 

 ミカは一度だけ、唇を噛みしめる。

 

 怒りは消えていない。

 けれど、さっきよりも――“矛先”が定まった瞳をしていた。

 

「……黒夜を道具って言ったあいつ。絶対に許さない」

 

 先生は頷く。

 

「許さなくていい」

 

 そして、付け加える。

 

「でも――今は、救うために進もう」

 

 六人は再び駆け出す。

 

 崩落の向こうで、ミメシスはきっと回り込んでくる。

 地上は、残り時間を削られている。

 弾薬も、心も、限界が近い。

 

 それでも。

 

 先生たち救出部隊は、止まらない。

 

 アツコを救うために。

 そして、黒夜が託した願いを――踏みにじらせないために。

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