しばらく進んでいると開けた場所に出た。
その地下空間は、まるで祭壇のように広く、そして歪だった。
天井は高く、黒く煤けた岩肌には赤い紋様が脈打つように走っている。
中央には花弁を模した巨大な彫刻。
その中心に――秤アツコが磔にされていた。
白い肌に絡みつく赤い枝のような拘束具。ヘイローは微かに揺れているが、光は弱い。
意識はあるのか、ないのか。視線は虚ろで、唇はかすかに震えているだけだった。
「アツコ……!」
サオリが歯を食いしばる。
その瞬間、左右の闇から銃火が閃いた。
「来るぞ!」
サオリの声と同時に、六人は散開する。
ミメシスの群れ。背後からはアリウス生徒。
前方は祭壇を囲むように半円状の布陣。逃げ道はない。
サオリが前へ出る。アサルトライフルが火を噴く。
正確無比な三点射。ミメシスが一体、二体、倒れる。
ミサキは低姿勢で滑り込み、ロケットランチャーを肩に担ぐ。
「巻き込まれないでね!」
轟音。爆風。だが煙の向こうから、また湧く。
ヒヨリは涙目になりながらもトリガーを引き続ける。
「多いですぅ……! 多すぎます……!」
アズサが冷静に言う。
「抑えろ。焦るな。撃つ対象を絞れ」
ミカは一言も喋らない。ただ、淡々と、そして確実に敵を沈めていく。
動きに無駄がない。だが、その銃口は疲労からかわずかに震えていた。
先生は背後で指揮を飛ばす。
「右から崩すよ! サオリ! ミカ、カバーしてあげて!」
だが――
減らない。
減っているはずなのに、減らない。
弾倉が軽くなる感覚が、嫌に早い。
「……ジリ貧だ」
アズサが低く呟く。
サオリの額に汗が滲む。
アツコは目の前にいる。だが、たどり着けない。
そこへ、くぐもった拍手が響いた。
「ふふ……ふふふ……」
戦闘が、止まる。
ミメシスも、アリウス生徒も、一斉に動きを止めた。
上階の回廊から、白いドレスの異形が姿を現す。
赤い素肌。複数の目。優雅に揺れる白い裾。
「威勢のいい啖呵を切った割には……この程度ですか、先生?」
ゲマトリアのベアトリーチェ。
その声は甘く、そして嘲りに満ちていた。
先生はタブレットを掴みながら睨み上げる。
「アツコを解放しろ」
「それは命令? それとも懇願かしら?」
くすくすと笑う。
サオリの肩が震える。
ベアトリーチェは続ける。
「ふふ、随分小さく見えますわよ先生?
それでは、そろそろ終わりにしましょうか」
その瞬間、サオリが銃を下ろした。
乾いた音を立てて、床に落ちる。
ミサキが振り向く。
「……リーダー?」
サオリは一歩前へ出る。
ゆっくりと。
そして――膝をついた。
「……何を」
先生が息を呑む。
サオリは頭を下げる。
深く
額が床に触れるほどに。
頭の中で、声が響く。
――私がすべての元凶だった。
調印式を襲撃したのも。
黒夜を爆殺しようとしたのも。
全て私の意志だった。
私は愚かだった。
盲目だった。
救われなかった怒りを、無関係な人間に向けた。
その罪は消えない。
だから。
私は救われるに値しないが先生たちは違う!
サオリは声を発する。
「……私が代わりになります」
静まり返る空間。
「私の命を差し出します。だから――」
顔は上げない。
声は震えない。
「アツコと、先生、ミサキ、ヒヨリ、アズサ、ミカの命は助けてください」
ベアトリーチェの目が細まる。
そして――
大笑いした。
「ふふふ……はははははは!」
「滑稽! あまりにも滑稽!」
「道具が、自分の意思で価値を決めようとするなど!」
サオリは動かない。
嘲笑が降り注いでも、頭は上げない。
ミサキが叫ぶ。
「やめてよ! 姫が助かっても、リーダーが居なきゃ意味ないでしょ!」
ヒヨリが泣きそうな声を出す。
「ダメです! リーダーが居なくなったら……姫ちゃんが悲しむだけです!」
アズサは低く言う。
「口約束を守るような相手じゃないぞ!わかってるだろ!」
先生も叫ぶ。
「自分を犠牲にして救われても、アツコが悲しむだけだ!」
だがサオリは、動かない。
覚悟は揺らがない。
ミカは、しばらく何も言わずにその光景を見ていた。
額を床に押し付けたまま、微動だにしないサオリ。
嘲笑するベアトリーチェ。
止めようとする仲間たち。
――まただ。
胸の奥が、嫌なほど痛んだ。
黒夜がアズサを庇って爆発に飲み込まれたと知ったあの瞬間。
血に濡れて倒れた姿。
必死に呼んでも返事がなかった夜。
あの時の自分の、どうしようもない恐怖。
守りたい人が、自分を置いていこうとする光景。
サオリの背中が、その時の黒夜と重なった。
この人も――
必死に、大切な人を守ろうとしているだけなんだ。
もしここでサオリが犠牲になれば。
アツコは悲しむだろう。
あの時の自分と、同じ顔で。
……あんな悲劇は、もうたくさん。
ミカはゆっくりと歩き出した。
サオリの隣に立つ。
そして、静かに言う。
「ねえ、サオリ」
しゃがみ込み、視線を合わせる。
その声は怒りでも嘲りでもない。
まっすぐで、穏やかな声だった。
「例えアツコを救えたとしても――」
一瞬、視線をアツコへ向ける。
「あなた達の未来が、楽になるとは思わない」
地下空間に、静寂が落ちる。
「一生追われるかもしれない。
表を堂々と歩けないかもしれない。
苦しい思いを、何度もするかもしれない」
それは断言でも、脅しでもない。
ただの、現実だった。
「でも、それでも…」
ミカはゆっくりと微笑む。
「その未来に、ほんの一筋でも光があると信じられるなら」
サオリの目が、わずかに揺れる。
「アツコを救うことで、
サオリ自身も救えばいい」
静かに、しかし確かに。
「だから――」
ミカは手を差し出した。
「こんな所で諦めるのは、まだ早いと思うよ」
その瞳は澄んでいた。
もう怒りだけで動いていたミカではない。
黒夜の願いに縛られて動くミカでもない。
自分の意志で、サオリを、救いたいと思った。
サオリはゆっくりと顔を上げる。
その視界に映ったのは、差し伸べられた手。
拒絶でも、憐れみでもない。
「一緒に倒すんでしょ?」
ミカが言う。
「あのおばさん」
小さく笑う。
「アツコを助けるんでしょ?」
そして最後に。
「こんな所で諦めたら、黒夜に笑われちゃうよ?」
サオリの瞳に、確かな光が戻る。
ほんの一瞬、罪悪感よりも強い感情が灯る。
希望
先生が前に出る。
ベアトリーチェを睨みつけながら、胸ポケットから一枚のカードを取り出す。
空気が変わる。
複数の目が一斉に見開かれる。
「……それは」
ベアトリーチェの声がわずかに乱れる。
「そのカードを使うのですか!?
それを使った時の代償はあなたも知っているでしょう!?」
先生は静かに答える。
「覚悟の上だよ」
カードが、指先で光を帯びる。
その瞬間。
カードが光を放った。
淡い金色の光が、地下空間を包み込む。
それは爆発のような激しさではない。
静かで、柔らかく、それでいて確かな“重み”を持った光。
まるで時間が巻き戻るかのように。
空になっていたマガジンが、音もなく満たされる。
弾倉の残量表示が、一斉に回復していく。
そして何より。
膝をついていたサオリが、息を吸い込む。
「……っ」
鉛のように重かった身体が、軽い。
裂けていた制服の内側の痛みが、消えている。
ミサキが目を見開く。
「何、これ……?」
ヒヨリが両手を握りしめる。
「体が……動く……!」
アズサが冷静に銃を握り直す。
「弾倉、満タン……?」
ミカは自分の両手を見る。
震えていない。
消耗していたはずの体力が、嘘のように戻っている。
それは“回復”というより。
一度負けたはずの戦いを、やり直す権利を与えられた感覚だった。
――奇跡の、再現。
ベアトリーチェの声が震える。
「馬鹿な……!そんな反則のような……!」
先生は静かに言う。
「これは反則じゃない」
「子供を守るための、大人の責任だ」
その言葉を合図に。
サオリが立ち上がる。
もう迷いはない。
「行くぞ」
短い号令。
今度は土下座ではない。
銃を構え、まっすぐ前を見る。
ミカが並ぶ。
「さっきの続き、やろうか」
ミサキがロケットランチャーを構える。
「リーダー、前は任せたよ」
ヒヨリが震えを押し殺して照準を合わせる。
「今度は、ちゃんと撃ちます……!」
アズサが冷静に周囲を確認する。
「左右、敵増援」
先生が短く指示を出す。
「サオリ前進、ミカ右制圧、ミサキ上段、ヒヨリ支援、アズサ後衛フォロー!」
再び、銃声が響く。
だが先ほどとは違う。
弾丸は正確に、無駄なく敵を貫く。
ミメシスの群れが次々と倒れていく。
サオリは突き進む。
もう迷わない。
自分は救われる価値がないと、思わない。
救うと決めた。
それだけだ。
ベアトリーチェの表情が歪む。
「くだらない……!そんな感情論で……!」
ミカが撃ち抜く。
「他人を思う気持ちの無いあんたに、何が分かるの?」
ミメシスが次々と崩れ落ちる。
サオリが花弁状の彫刻へ辿り着く。
そこに。
赤い枝のような拘束に縛られたアツコがいた。
意識はある。
だが、衰弱している。
「……サッちゃん……?」
かすれた声。
その一言で、サオリの胸が締め付けられる。
「すまない、遅くなった」
短く、それだけ。
アズサが拘束を破壊する。
ミサキが周囲を警戒。
ヒヨリが震える手でアツコを支える。
赤い枝が砕け散る。
その瞬間。
地下空間の空気が変わった。
ミメシスが一体、また一体と霧のように消えていく。
「……消えてる?」
ミカが呟く。
◆地上――
出口を死守していた部隊も、それを目撃する。
波のように押し寄せていたミメシスが、突然崩れ落ちる。
マコトが目を見開く。
「……消えた?」
ヒナが静かに息を吐く。
「一体、どういう事?」
セイアの声が無線で響く。
「ミメシスの反応は段々と消失していっている。恐らく、秤アツコの力を利用していたようだ」
◆地下――
ベアトリーチェが後退る。
「……馬鹿な……!」
複数の瞳が、焦りで揺れる。
「いいでしょう、今回は私の負けを認めましょう…」
その声は、余裕を装っていたが震えている。
「ですが次はどうでしょうかね?」
その言葉を残し、姿が揺らぐ。
「逃がすか!」
ミカが踏み出す。
だが先生が叫ぶ。
「待って!」
ほんの一瞬、躊躇。
その隙にベアトリーチェは地下道の奥に消えた。
地下に、静寂が落ちる。
サオリはアツコを支える。
「……助けに来るのが遅かったな」
アツコがかすかに笑う。
「ううん……来てくれるって信じてたから、いいよ…」
その言葉に。
サオリの喉が詰まる。
だが泣かない。
ただ、小さく頷く。
先生はカードを握ったまま、静かに息を吐いた。
代償は確かにある。
だが、後悔はない。
ミカが振り返る。
「先生」
真っ直ぐな目。
「ありがとう」
地下の戦いは終わった。
だが地上では――
まだ、別の決着が待っていた。