時刻はすっかり遅い時間になっていた。
日が傾き、トリニティの白亜の校舎は夕焼けに染め上げられている。
赤橙の光が窓を照らし、長く伸びた影が石畳を横切っていた。
その校舎の一角――
ティーパーティの権限で貸し切られた大広間は、祝勝会で賑わっている。
立食形式のパーティ。
長テーブルには料理がずらりと並び、飲み物はジュースや紅茶が中心。
未成年ばかりの集まりなので酒類は一切ない。
すでに先生や作戦参加者のほとんどは会場入りしており、
美食研究会と便利屋68を筆頭に料理へ群がっていた。
「これは……! 素晴らしい火入れですわ!」
「これも食べていい? 全部食べたい!」
「アルちゃん! あの肉の塊取って!」
「人が多すぎて取れないわよ!」
賑やかな声が廊下まで漏れている。
だが――
その会場へ向かう廊下を、少し遅れて歩いている四人の姿があった。
黒夜と、ナギサ、ミカ、セイア。
黒夜は最初、参加を遠慮していた。
自分は作戦に直接参加していない。
怪我をしている身で祝勝会など、と。
だがそれを聞いたナギサたち三人が即座に却下し、半ば強引に連れていく形になった。
「ほんと、どうして黒夜はいつも自分を後回しにしちゃうかな~?」
ミカが頬を膨らませながら隣を歩く。
「す、すいません……」
黒夜は困ったように笑う。
「私は作戦に参加していませんでしたし……皆さんの功績なので辞退しようと思っていましたが、余計に気を遣わせてしまいましたね」
その控えめな言い方に、ミカはじとっとした目を向ける。
「そういうところ! そういうところだよ!」
腕をぶんぶん振る。
「黒夜がいなかったらこの作戦自体なかったんだから! 最大功労者でしょ!」
セイアがくすりと笑う。
「君が参加しないなら、恐らく全員が参加辞退していたと思うよ」
「え?」
「ある意味で、この作戦の発端は君だ。
最大の功労者と言っても過言ではない」
そして少しだけ目を細める。
「それを理解せず遠慮するとは……なかなか罪深いね」
「せ、セイア様まで……」
言葉でチクチクと刺され、黒夜は肩を竦める。
ナギサが柔らかく笑う。
「もう許してあげてください、二人とも」
優雅な声。
「こうして黒夜さんも参加してくださるのですから、良いではありませんか」
そう言いながらも、黒夜の歩幅に合わせてさりげなく歩いている。
怪我人への配慮は忘れない。
四人は穏やかに会場へ向かう。
――その時だった。
会場入口の前に、五人の姿が立っているのが見えた。
サオリ、ミサキ、ヒヨリ、アズサ、そして――アツコ。
「あれ?」
黒夜が不思議そうに首を傾げる。
「どうして会場に入らないんですか?」
サオリが代表して答える。
「……黒夜が来るのを待っていた」
短く、しかし真っ直ぐに。
「え、私を?」
「ああ」
サオリは視線を逸らさない。
「先に入るのは、なんとなく違う気がしたと言うのもあるがな…」
その言葉の後ろから、アツコが一歩前に出る。
柔らかな微笑み。
そして、そっと黒夜の右手を両手で包んだ。
温かい。
「ごめんなさい…あなたに、こんな怪我をさせたのに」
小さく、しかしはっきりとした声。
「それでも私たちを見捨てず、助けるために奔走してくれてありがとう」
黒夜は目を瞬く。
「い、いえ……」
「あなたが最初に手を差し伸べてくれたから」
アツコは視線を落とさない。
「私やサッちゃんたちは、生きている」
ほんの少し、指先に力が込められる。
「だからもし、黒夜が困ったことがあれば、私たちに言ってほしいな」
優しく。
でも逃がさないように。
「何があっても、駆けつけるから」
黒夜は一瞬言葉に詰まる。
「そこまでしなくても……」
困ったようにサオリを見る。
サオリは小さく頷く。
「少しでも恩を返させてくれ」
懇願に近い声音。
後ろからミサキが続ける。
「何かあれば気軽に言って。すぐに向かうから」
ヒヨリも慌てて手を挙げる。
「わ、私も力になりますよ! で、できればその後ご飯を食べさせてもらえると嬉しいですけど……!」
アズサが腕を組み、ドヤ顔で言う。
「私も同じ意見だ。それに私はもうトリニティ生でもあるからな。いつでも助けてやれるぞ」
五人の視線が、黒夜に集まる。
――その空気が、ほんの少しだけ重くなる。
それを見ていたナギサたち三人が、にこりと笑った。
だが。
その笑みには、わずかな圧が滲んでいる。
ミカがすっと一歩前へ出て、
自然な動きでアツコと黒夜の間に割り込む。
「ごめんね?」
笑顔。
だが目が笑っていない。
「黒夜は私たちの専属護衛だからさ!」
さらりと言う。
「黒夜が困った時は、まず私たちを頼ると思うな~☆」
アツコも笑顔を崩さない。
「そうかな?」
柔らかく返す。
「立場が上の人とばかり付き合っていると、黒夜も疲れちゃうと思うよ?」
優しく。
「愚痴を聞けるのは、私たちぐらいだよね?」
ミカの眉がぴくりと動く。
ナギサが上品に微笑む。
「ええ、ミカさんの言う通りです」
「ティーパーティー専属護衛があまりトリニティ外部に頼るのは、外聞がよろしくありません」
セイアが静かに付け足す。
「それに、力になりたいのは立派だが……まずは自活できるようになってからではないかな?」
正論で刺す。
空気が微妙に張り詰める。
アツコは笑顔を崩さない。
「だから“たまに”でもいいって言ってるの」
優しい声。
「黒夜が、ちょっと疲れた時とか」
視線が真っ直ぐ。
「そんな時くらい、頼ってほしいな」
このままでは言い合いになる。
黒夜は慌てて声を上げる。
「き、今日は祝勝会でしょう?」
困り顔。
「祝いの席に水を差すのは、よろしくないかと……」
一瞬の沈黙。
そして。
アツコがくすりと笑う。
「それもそうだね」
手を離す。
「じゃあ、先に会場に入ってるね」
振り返りながら。
「また後で話そうね、黒夜」
サオリたちも続いて会場へ入っていく。
その背を見送りながら。
ナギサが小さく息を吐く。
「……少し冷静さを欠いていましたね」
ミカも頬を掻く。
「ちょっとだけ、ね」
セイアが肩を竦める。
「祝勝会前に小競り合いとは、なかなか賑やかだ」
黒夜は苦笑する。
「皆さん、仲が良いですね」
三人は同時に黒夜を見る。
そして、同時に微笑む。
だがその笑みの意味は――
黒夜だけが、まだ気付いていなかった。
会場の扉の前で、黒夜は一歩前に出た。
「どうぞ」
右手で扉を押さえ、ナギサ、ミカ、セイアを先に通す。
「ありがとうございます」
ナギサが柔らかく微笑む。
「怪我人にエスコートさせるのは心苦しいけどね」
ミカがくすりと笑う。
「黒夜らしくていいじゃないか」
セイアは小さく肩を竦めた。
「左腕が使えないのに、形だけでも礼を尽くすとはね」
「自分でも理解してますが、もう癖ですね」
黒夜は照れくさそうに笑った。
大広間へ足を踏み入れると、祝勝会の熱気が一気に包み込む。
談笑の声。
食器の触れ合う音。
香ばしい料理の匂い。
それらが混ざり合い、戦場とはまるで違う世界を作っていた。
その中を進んでいくと――
「おい」
低く、よく通る声。
黒夜が振り向くと、そこにはマコトがいた。
大皿を片手に、にやりと笑っている。
「ようやく来たか」
黒夜はナギサたちに一礼する。
「少しだけ失礼します」
三人が頷くのを確認し、黒夜はゲヘナ組の集まっているテーブルへ向かった。
「どうも、マコト様」
軽く頭を下げる。
「少し遅れてしまって申し訳ないです」
マコトは鼻で笑う。
「ハッ! お前のことだからどうせ“自分は参加してないから”とか、めんどくさいことを考えて辞退しようとでもしたんだろう?」
黒夜は目を丸くする。
「えっ? もしかして見てました?」
「キキキッ……」
喉の奥で笑う。
「お前の考えることなら手に取るようにわかるさ」
その声音はからかい半分、親しみ半分。
黒夜は苦笑する。
「そんなにわかりやすいですかね?」
「昔からな」
マコトは肩を竦める。
「自分より他人。他人より自分を後回し。それが月城黒夜だろ?」
そのやり取りを見ていた周囲の視線が、自然とこちらへ集まってくる。
まず近づいてきたのはヒナとアコだった。
ヒナはグラスを持ちながら静かに言う。
「相変わらず、あなたは自分のことは後回しで考えるのね」
アコも腕を組みながら頷く。
「あなたもゲヘナ生なんですから、もう少し自分を出してもよろしいのでは?」
黒夜は肩を竦める。
「いや~、耳が痛いですね~」
軽い口調。
「先ほども同様のお叱りを受けたばかりでして」
ヒナがふっと小さく笑う。
「そうやって困ると笑って誤魔化すのも昔から変わらないわね」
「え?」
「誤魔化せてると思ってる?」
黒夜は観念したように両手を上げる。
「……精進します」
「無理ね」
即答だった。
そのやり取りに、もう一人が加わる。
「まったく」
落ち着いた声。
カヨコだった。
「昔から自分より他人なんだから。そうやって溜め込んで潰れるのが黒夜の悪癖だよ」
黒夜は思わず笑う。
「あははは……」
「ほら」
カヨコが半目で睨む。
「困ると笑う」
「す、すみません」
そこへ、明るい声が割って入る。
「そんなに責めてると黒夜に嫌われちゃうわよ?」
アルだった。
胸を張り、優雅に歩み寄る。
「久しぶりじゃない、黒夜」
「アルさん」
黒夜の声色が、さらに柔らかくなる。
「こうして話すのは久しぶりですね」
ムツキが肉料理をもぐもぐ食べながら顔を出す。
「元気だった~?」
「怪我してますけどね」
「そこは聞かなかったことにするね~」
ハルカも控えめに頭を下げる。
「お、お久しぶりです……」
「お久しぶりです、ハルカさん」
黒夜は優しく微笑む。
「皆さんお変わりないですか?」
アルが誇らしげに胸を張る。
「えぇ。毎日依頼をこなして、アウトローとして優雅に日々を過ごしているわよ!」
その言い方に、黒夜は一瞬間を置く。
そしてそっと、アルに気付かれないように小声でムツキ、ハルカ、カヨコに尋ねる。
「……本当のところは?」
ムツキが口元を拭きながら答える。
「えーとね、この間は落とした財布を探すって依頼かな?」
「平和ですね」
ハルカが小さく続ける。
「ご、ご護衛の依頼で……敵ごと護衛対象を爆発で吹き飛ばしてしまいました……アル様に迷惑を……死にます……」
「ハルカさんが死んでしまうとアルさんが悲しみますよ?」
黒夜が即座に返す。
カヨコが肩を竦める。
「まぁ、いつも通りかな。この間までテントで生活してたし」
「……」
黒夜はしばらく黙り込む。
「左腕が治ったら、今度ご飯でも作りに行きますよ」
ぽつりと。
三人が同時に顔を上げる。
「ほんと?」
ムツキが目を輝かせる。
「えぇ」
黒夜は柔らかく笑う。
「約束します」
アルがふふんと鼻を鳴らす。
「当然、私も招待されるわよね?」
「もちろんです」
「黒夜さんの手料理は久しぶりです…楽しみです…」
「腕によりをかけて振舞わせていただきますよ」
ヒナが横から言う。
「美食研究会にも約束しているのでしょう?」
黒夜は苦笑する。
「それが報酬ですからね……あれ?下手すると私が便利屋に振舞う前にハルナさんに爆破されるかも?」
黒夜が重大な事に気付く
「大変ね、あなたも」
ヒナの声音はどこか柔らかい。
マコトが皿を置き、黒夜をじっと見る。
「黒夜」
少しだけ真面目な声。
「今日は礼を言っておく」
黒夜が目を瞬く。
「……え?」
「お前が援軍を頼んでくれたから、作戦は成功した」
短く。
「それだけだ」
黒夜は静かに頭を下げた。
「お役に立てたようでよかったです」
その場の空気は、もう戦場のそれではなかった。
軽口を叩き、からかい、笑い合う。
そこにあるのは――
懐かしい居場所。
黒夜はふと気付く。
ここにいる時の自分は、少しだけ肩の力が抜けている。
ティーパーティー専属護衛でもなく。
スパイでもなく。
誰かを守る役目でもなく。
ただの、月城黒夜。
その感覚が、どこか温かかった。
「おい黒夜」
マコトが皿を差し出す。
「これ食え。美味いぞ」
「ありがとうございます」
黒夜は受け取り、右手で器用に食べる。
「……美味しいですね」
「だろう?」
マコトが満足げに笑う。
その輪の外から、ナギサたち三人がこちらを見ている。
少しだけ距離を置きながら。
黒夜は気付いていない。
ゲヘナの輪の中で、無防備に笑っている自分の姿を。
それを見ている三人の、微妙な視線を。
だが今は――
黒夜は久しぶりに、心から笑っていた。