ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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背負われる者たち

 トリニティ総合学園の正門は、今日も変わらず、堂々としていた。

 

 整然と並ぶ石畳。

 風に揺れる旗。

 

 そして、門の前に立つ生徒たちの姿は、どこか誇り高く見える。

 

 その正門を、先生はサオリたち四人——サオリ、ミサキ、ヒヨリ、アツコ——そしてアズサを連れてくぐった。

 

 シャーレの権限があるとはいえ、アリウスの面々が堂々とトリニティに入るのは異様だ。

 当然、視線が集まる。

 

 警戒。

 疑念。

 ざわめき。

 

 だが先生は、それらを振り払うように足を進めた。

 

 今は急ぐ必要があった。

 

(今は、いちいち構っていられない)

 

 胸の奥でそう思いながら、先生は周囲を見回す。

 そして、すぐに見つけた。

 正門付近で警備に立っている生徒。

 

 長身で、凛とした姿勢。

 正義実現委員会の——ハスミだ。

 

「ハスミ!」

 

 先生が声を掛けると、ハスミはぴくりと肩を動かし、こちらを向いた。

 その顔に驚きが浮かぶ。

 

「先生!? どうしてここに……?」

 

 次いで、先生の後ろにいる面々を見て、目を見開いた。

 

「それに……あなた達は、アリウスの……?」

 

 ハスミの顔が疑問でいっぱいになる。

 その後、警戒する目に変わった

 

 だが先生がすぐに手を上げて制する。

 

「大丈夫。今日はそういうのじゃないんだ!」

 

 ハスミは唇を噛み、判断に迷う。

 先生は間髪入れずに要件を告げた。

 

「ミネが今どこにいるか、知ってる?」

 

 ハスミは一瞬戸惑ったが、状況を察したのか、表情を引き締めた。

 

「ミネ団長ですか……?」

 

 視線を遠くに向ける。

 

「でしたら、この時間帯なら診察室にいるはずですが……」

 

「ありがとう!」

 

 先生は即座に言い、深く頭を下げる。

 

「今は少し急いでるから、ごめんね!」

 

 ハスミが何か言おうと口を開きかけるよりも先に、先生は走り出した。

 サオリたちも遅れないように後を追う。

 石畳を叩く足音が、硬く響く。

 トリニティの校舎を横目に、診察室のある方へ。

 先生の胸の中には、嫌な想像が何度も浮かんでいた。

 

 ——失明

 

 その二文字が、やけに重い。

 

 診察室の前。

 

 先生は息を整え、扉の前に立つ。

 

 そして、ノックした。

 

 コン、コン

 

「……どうぞ」

 

 中から落ち着いた声。

 ミネの声だった。

 先生は扉を開け、室内へ入る。

 

 診察室の空気は、いつも通りだ。

 消毒薬の匂い。

 整然とした器具。

 白い照明。

 

 その中心に、ミネがいた。

 

 カルテを手に、書類を整理していたところだったのだろう。

 顔を上げたミネは、まず先生を見て目を瞬いた。

 

「先生……?」

 

 そして、その後ろに続く面々を見て、さらに不思議そうな顔になる。

 

「……その方たちは確か…」

 

 アリウスの面々。

 

 ミネは一瞬で状況を測ろうとしている。

 救護騎士団団長としての目だ。

 

 先生が口を開こうとした、その時。

 

 ミネの視線が、すっとサオリへ移った。

 

 正確には、サオリの両手。

 

 皮膚の裂けた傷。

 腫れている。

 

 見逃せない。

 

 ミネの眉がわずかに寄る。

 

「そこのあなた」

 

 ミネがサオリへ向き直る。

 

「その両手の怪我、どうしました?」

 

 サオリは視線を逸らした。

 

「……大したことじゃない」

 

 短く言い切る。

 だがミネは引かない。

 

「救護騎士団として見逃せません」

 

 声が強くなる。

 

「あなた達が何者であれ、怪我をしているなら処置します。座りなさい」

 

「……」

 

 サオリは一瞬、反発しそうな顔をした。

 自分が施しを受ける側になるのが嫌なのだろう。

 だが先生が静かに言う。

 

「サオリ。今は、頼ろう」

 

 その一言が、サオリの肩の力をわずかに抜いた。

 

「……わかった」

 

 サオリは診察台の椅子に座る。

 ミネは手際よく準備を始めた。

 

 消毒液。

 綿。

 包帯。

 

 手慣れた動き。

 

 ミネの指先がサオリの手に触れると、サオリは微かに顔をしかめる。

 

「痛みますか?」

 

「……平気だ」

 

 サオリは強がる。

 

 ミネはそれ以上突っ込まない。

 ただ黙々と消毒する。

 

 その間、診察室の空気は妙に静かだった。

 

 ミサキは視線を落とし、指を組んでいる。

 ヒヨリは落ち着かない様子で椅子の端に座り、アツコはアズサの肩を軽く抱いていた。

 

 アズサはずっと俯いている。

 泣くのを堪えるように唇を噛み、呼吸が浅い。

 先生は、その空気を吸い込み、胸の奥を固める。

 

 ——聞かなければならない。

 

 消毒が終わりミネが包帯を巻き始めたタイミングで、ふと先生に目を向けた。

 

「先生」

 

「うん」

 

 ミネは包帯を巻きながら尋ねる。

 

「この方が怪我をしたから、来たのですか?」

 

 先生は首を振る。

 

「いや……違う」

 

 声が、少し低くなる。

 

「実は大事なことを聞きに来たんだ」

 

 ミネの指先が、わずかに止まる。

 だがすぐに手は動き出す。

 

 先生は、言葉を選びながら、核心を口にした。

 

「黒夜の左目が失明してるって聞いたんだけど……」

 

 一瞬、診察室の空気が固まる。

 

「それは、本当のこと?」

 

 ミネは包帯を巻いていた手を、ほんの一瞬だけ止めた。

 そして、先生の目を見る。

 

 真剣な眼差し。

 医療者の目。

 そして、何より——黒夜を知る者の目。

 

「黒夜さんから、直接聞いたんですか?」

 

 ミネの声は静かだが、芯がある。

 先生は正直に答えた。

 

「いや……黒夜から直接聞いたわけじゃない」

 

 言いにくそうに続ける。

 

「アズサが昨夜……黒夜のカルテを盗み見て分かったらしい」

 

 その瞬間、アズサの肩がびくりと震えた。

 ミネの表情がわずかに曇る。

 

 ——理解と、困惑と、苦さ。

 

 ミネは包帯を留める。

 最後まで丁寧に固定してから、深く息を吐いた。

 

「……そうですか」

 

 短い言葉。

 

 それから、しばらく無言。

 診察室の時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。

 ミネは視線を落とし、ほんの数秒、迷うように沈黙した。

 

 言うべきか、誰に、どこまで?

 黒夜の意思は?

 信頼は?

 

 その全てを、救護騎士団団長として、同時に考えている。

 

 そして。

 

 ミネは意を決したように顔を上げた。

 

「結論から言います」

 

 声が、静かに落ちる。

 

「黒夜さんの左目は——失明しています」

 

 残酷な真実。

 

 それを聞いた瞬間、アズサの瞳が揺れた。

 今にも泣き出しそうになる。

 

 サオリは歯を食いしばり、拳を握る。

 包帯がきしむ。

 

 ミサキは目を閉じた。

 ヒヨリは顔を手で覆う。

 

 アツコは、胸の前で手を組み、震えた。

 

 先生は、ただ立ち尽くす。

 

「……そうか」

 

 吐き出した声は、自分でも驚くほど弱かった。

 胸の奥に、重いものが沈む。

 自分は何をしていた?

 黒夜がこんな状態になるまで、何も気付けなかった。

 

 無力感。

 

 ——救えなかった。

 

 先生の視界が、一瞬だけ滲んだ。

 

 診察室の空気は、重かった。

 

 ミネの口から告げられた「失明」という二文字は、室内の温度を一段下げたように感じられる。

 消毒薬の匂いさえ、いつもより鋭い。

 

 先生は息を整えようとしたが、胸の奥に沈んだ無力感がうまく抜けない。

 

 サオリたちは言葉を失ったまま立ち尽くし、アズサは俯いたまま肩を震わせている。

 

 その沈黙を、ミネが破った。

 

 ミネはアズサ以外——サオリ、ミサキ、ヒヨリ、アツコへ視線を巡らせ、淡々と語り始める。

 

「……あの日」

 

 声は冷静で、抑揚は少ない。

 だがそれが逆に、事実の重さを強くした。

 

「あの事件の日、彼は本当に死んでしまう寸前の状態で、ここに運ばれてきました」

 

 先生は喉を鳴らし、黙って聞く。

 サオリの唇がわずかに開きかけたが、声にはならない。

 

 ミネは続ける。

 

「頭部からの出血。上半身に数多の裂傷。左腕の骨折。左目の深い裂傷」

 

 一つひとつ言葉が落ちるたび、サオリの背筋が硬くなる。

 

「そして、多量の出血によるショック症状」

 

 ミネの目は揺れない。

 救護騎士団団長として、何度も怪我と死線を見てきた者の目だ。

 

「私は……仲間を救うために必死に治療しました」

 

 “仲間”。

 その単語が、サオリたちの胸を刺す。

 

 ミネはカルテの束に手を置くようにして言った。

 

「一時、本当に呼吸が止まってしまったのですよ」

 

 診察室の中で、空気がさらに重くなる。

 

 ヒヨリの喉がひゅっと鳴った。

 ミサキは肩をすぼめ、顔色が一段白くなる。

 アツコは口元を押さえ、目に涙が溜まっていく。

 

 サオリの指先が震える。

 

(呼吸が……止まった……)

 

 そんなことを。

 

 自分たちは。

 

 ミネは一瞬だけ目を伏せた。

 

「焦りました」

 

 そして、言い切る。

 

「それでも治療をやめなかった」

 

 静かな声。

 だが、その言葉の中には、あの時の緊迫がそのまま詰まっていた。

 

「……その甲斐あってか、彼は一命を取り留めて」

 

 ミネが顔を上げる。

 

「今は日常生活を送れるほどまでに回復しました」

 

 そこで、ほんの少し息を置く。

 そして、次の言葉が落ちる。

 

「けれど」

 

 視線が鋭くなる。

 

「左目だけは、手の施しようが無かったんです」

 

 サオリの肩がびくりと跳ねる。

 ミネは唇を噛むようにして、続けた。

 

「私は……悔しかったです」

 

 初めて、ほんの僅かに感情が滲んだ。

 

「何もできない自分に」

 

 その言葉は医療者の悔しさだ。

 救うべき命を救えたとしても、全てを取り戻せない現実への怒り。

 

 ミネは一度深く息を吐き、淡々と語りを続ける。

 

「そうして目覚めた直後の彼に、そのことを伝えました」

 

 サオリが小さく息を吸う。

 

 あの時。

 黒夜が目覚めた後。

 自分たちがまだ罪を直視できず、救われたことにすら戸惑っていた頃。

 

 ミネは言う。

 

「その時の彼は、すでに察していたのでしょう」

 

 声は落ち着いている。

 

「ひどく落ち着いていました」

 

 その“落ち着き”が、サオリたちをさらに苦しめる。

 

 普通なら取り乱す。

 怒る。

 泣く。

 叫ぶ。

 

 なのに、黒夜は落ち着いていた。

 まるで、自分の痛みよりも先に、誰かの心を守ろうとしているように。

 

 ミネは、そこで少しだけ語気を強めた。

 

「それでも彼は、あなた達に恨みや怒りを抱いて無かったのですよ!」

 

 声が、診察室の壁に反射して響く。

 

 サオリの肩が揺れる。

 拳が握られる。

 包帯がきしむ。

 

「今ここで左目のことを話したら、またみんなを混乱させるから、と」

 

 ミネは言う。

 

「そう言って黙っていたのですよ!」

 

 怒りが滲む。

 

「ちゃんと話すタイミングを見計らって、伝えるはずだったのに……!」

 

 そして、ミネはサオリたちを真っ直ぐに見る。

 

「それを」

 

 言葉に力が宿る。

 

「黒夜さんの左目を奪うばかりか、彼の気遣いや苦労まで踏みにじるようなことをするなど!」

 

 診察室の空気が、鋭く張り詰める。

 ミネは言い放った。

 

「恥を知りなさい!」

 

 その声は、誰も反論できない重さを持っていた。

 先生が慌てて一歩前へ出る。

 

「ミネ、待って!」

 

 手を上げて制する。

 

「悪気があってやったことじゃないんだ」

 

 必死に言う。

 

「彼女達も、黒夜のことを心配して行動しただけなんだ」

 

 弁護。

 

 言葉を選んだつもりだった。

 だがその弁護は、サオリたちの胸をさらに苦しくするだけだった。

 

 心配?

 

 行動?

 

 それが免罪符になるのか?

 なら自分たちの罪は、心配の形をしただけで消えるのか?

 

 ——消えるはずがない。

 

 サオリたちは絶句していた。

 ただ、ミネの言う通りだったから。

 

 改めて、自分たちの犯した罪を突き付けられた。

 ただそれだけだった。

 誰も言葉を出せない。

 

 その沈黙の中で、アツコが小さく声を漏らす。

 

「……ごめんなさい」

 

 涙声。

 

 唇が震える。

 

「ごめんなさい……っ」

 

 その言葉は謝罪だった。

 許されたい謝罪ではなく、許されるはずがないと理解した上での謝罪。

 

 ミネの表情が、少しだけ緩む。

 拳を握りしめていた指先がほどける。

 

「……いえ」

 

 ミネは言った。

 

「私も、少し冷静さを欠いていました」

 

 視線が落ちる。

 

「すみません」

 

 謝罪。

 それはサオリたちへではなく、自分自身の激情へ向けたものだ。

 

 ミネは一度息を整え、静かに続けた。

 

「ただ私は……黒夜さんの選択を、尊重してあげて欲しかっただけです」

 

 診察室の空気が、少しだけ落ち着く。

 

「彼は一人で背負い過ぎてしまう」

 

 その言葉に、先生の胸が痛む。

 サオリたちは、顔を上げられない。

 

 ミネはさらに続ける。

 

「恐らくですが」

 

 慎重に。

 

「未だに黒夜さんが失明のことを誰にも伝えていないのは……あなた達のことを考えてのことでしょう」

 

 サオリが息を吸う。

 

 ミサキの瞳が揺れる。

 

「今伝えてしまえば、もしかしたらあなた達に危害が行くかもしれないと思っているのかも知れません」

 

 アツコが嗚咽を漏らす。

 

 ヒヨリは顔を覆い、肩を震わせる。

 

 サオリは、胃の奥が捻じれるような感覚に襲われた。

 

(危害が行く……?)

 

 黒夜は。

 

 まだ。

 

 自分たちを守ろうとしている?

 

 自分の目を奪われたのに?

 

 それでも?

 

 ミネは、静かにとどめを刺すように言った。

 

「あなた達は未だに、黒夜さんに背負われているのですよ……」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 サオリの中で、何かが崩れた。

 

 声にならない呻きが喉の奥で詰まる。

 拳が震え、包帯の下で血が滲む感覚がする。

 

 ミサキは床を見つめたまま動けない。

 ヒヨリはすすり泣きすらできず、ただ震えている。

 アツコの泣き声だけが、診察室に響く。

 

 しゃくりあげる音。

 涙が落ちる音。

 

 先生はその場で、拳を握った。

 

(黒夜……)

 

 ミネは静かに言う。

 

「……先生」

 

 先生が顔を上げる。

 

「私からもお願いします」

 

 ミネの声は、強さと優しさを併せ持っていた。

 

「黒夜さんに、背負わせ続けないでください」

 

 先生は小さく頷いた。

 

「……ああ」

 

 静かに。

 

「必ず、向き合う」

 

 だが、その時。

 

 診察室の外。

 

 扉の前で。

 

 誰かが、わずかに呼吸を殺した。

 

 ほんの小さな衣擦れ。

 靴底が床を擦る音。

 

 室内の誰も気付かない。

 泣き声と沈黙の中に、その音は溶けた。

 扉の向こうで、誰かが聞き耳を立てていたことに。

 誰も、気付かなかった。

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