ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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甘い日々に混じる、薄い糸

 最初の一週間は黒夜にとって、本当に幸せな時間だった。

 

 目が覚めれば、誰かがいる。

 

 ナギサが静かに紅茶を淹れてくれる日もあれば、ミカが枕元で「おはよ~!」と笑ってくれる日もある。

 セイアが静かに本を読みながら、ふと顔を上げて「体調はどうだい?」と問う日もあった。

 

 どれも仕事じゃない。

 どれも任務じゃない。

 

 ただ、誰かがそばにいて。

 ただ、他愛のない話をする。

 

 夕方になれば四人で夕食を食べて、食後はトランプやボードゲームで盛り上がる。

 負けた者が罰ゲームで事前に決めた恥ずかしいセリフを言う。そんな馬鹿みたいな遊びが、こんなに楽しいものだとは知らなかった。

 

「黒夜、そこは違うよ~! ハートのエースはこっちだよ~!」

 

「……なるほど。ミカ様、手加減という概念をご存じで?」

 

「えへへ☆ 真剣勝負に手加減はないからね!」

 

 ミカが得意げに笑い、ナギサが上品に口元を押さえてくすりと笑う。

 

「ミカさん、黒夜さんにだけ厳しいのではありませんか?」

 

「だって黒夜が真面目だから、いじめがいがあるんだもん」

 

「そんなにいじめがいありますか……?」

 

 黒夜が困ったように笑うと、セイアが肩をすくめる。

 

「からかっているだけだよ。君は真面目すぎる」

 

「すみません……」

 

「ほら、また謝る」

 

 セイアが小さく笑う。

 

 ナギサが柔らかく言う。

 

「謝る必要はありません。黒夜さんは、今はこうやって羽を伸ばすのが“仕事”です」

 

 その言葉に、黒夜は少しだけ胸が温かくなった。

 

(休むのが、仕事)

 

 誰かにそう言われるのは、どこか救いだった。

 

 何ものにも追われない。

 誰かを守る必要もない。

 何かを背負う必要もない。

 

 ここでは、ただ笑っていていい。

 

 それがこんなにも楽で、こんなにも満ち足りるものなのだと、黒夜は初めて知った。

 

 いわゆる“青春”というもの。

 それを自分が噛みしめる日が来るとは、思ってもいなかった。

 だから黒夜は、素直に思った。

 

(……幸せだ)

 

 その感覚が、少し怖いくらいに。

 

 ――だが

 

 一週間を過ぎたあたりから、黒夜は少しずつ違和感に気付き始めた。

 

 最初は、本当に些細なことだった。

 

 体力は戻っている。

 精神も落ち着いている。

 眩暈もない。

 食欲もある。

 

 左腕の骨折はまだ完治ではないが、大分動かせるようになってきた。

 

(そろそろ復帰しないとな)

 

 黒夜は自然にそう思った。

 

 仕事が恋しいわけではない。

 ただ、いつまでも三人に甘えているのが申し訳なかった。

 それに自分がいなくても回るとしても、専属護衛という役目がある以上、放り投げるのは筋が違う。

 

 ある日の夜

 

 リビングの窓から差し込む光が柔らかくなった頃、黒夜は三人に切り出した。

 

「皆さん、少しよろしいでしょうか」

 

 ナギサは紅茶のカップを置き、穏やかに頷く。

 

「もちろんです。どうされましたか、黒夜さん」

 

 ミカはソファに寝転がったまま、顔だけ向ける。

 

「なになに? 改まって~」

 

 セイアは書類から目を上げた。

 

「話してごらん」

 

 黒夜は一度息を吐き、慎重に言葉を選ぶ。

 

「一週間ほど休ませていただいて、体力も精神も、だいぶ回復しましたし――」

 

 三人の表情が、ほんの一瞬だけ固まる。

 黒夜は気付かないまま話を続けた。

 

「そろそろ復帰しようかと考えています。皆さんには十分にお世話になりましたし、このまま甘え続けるのも――」

 

 言い切る前に、ミカが勢いよく起き上がった。

 

「だめ!!」

 

 非常に大きな声が室内に響く。

 黒夜が目を瞬く。

 ミカは慌てて声のトーンを落とし、けれど必死な表情で言う。

 

「黒夜は、今まで頑張りすぎてたの!」

 

 拳を握りしめる。

 

「だからもっと休んでいいんだよ! 今までの分、ちゃんと取り返さないと!」

 

 “過去”を持ち出す言い方。

 黒夜のこれまでを、積み重ねを褒める言い方

 黒夜は言葉に詰まる。

 

(頑張りすぎてた……)

 

 確かにそうかもしれない。

 否定しづらい。

 いや、否定してはいけない気がする。

 

 そして、ナギサがすっと立ち上がった。

 黒夜の前に来て、まっすぐに目を見て言う。

 

「……ここに、何か不満があるのですか?」

 

 声は丁寧で、上品だ。

 けれど、どこか焦りが混じっている。

 

「それとも何か欲しいものでもあるのですか?」

 

 黒夜が「いえ」と言おうとした瞬間。

 

「言ってくだされば、すぐに用意しますよ」

 

 ナギサの言葉は“提案”ではなく、ほとんど“保証”だった。

 

 財力と権力で、欠けを埋める。

 不満を消す。

 ここに留まる理由を増やす。

 

 黒夜は思わず、喉が鳴る。

 

(欲しいもの……)

 

 そんなものはない。

 むしろ、これ以上与えられたくない。

 

 だが、ナギサの目が真剣すぎて、簡単に断れない。

 

 そしてセイアが、静かに割って入る。

 

「とりあえず、骨折が治るまではここに居ればいいんじゃないか?」

 

 口調はいつも通りの落ち着いたもの。

 けれど“結論”だけが先にあるような言い方だ。

 

「仕事のことは私たちに任せてくれて構わないよ」

 

 黒夜は反射的に首を振りそうになる。

 

「で、でも――」

 

 セイアは淡々と続けた。

 

「今戻っても、君は結局また無理をする」

 

 未来を指す。

 “これから起きる面倒”を先回りして塞ぐ言い方。

 

「だからもう少しここに居ればいいのさ」

 

 黒夜の心の中で、何かがほんの少しだけ引っかかった。

 

 三人とも、言っていることは正しい。

 言い方も優しい。

 理由も筋が通っている。

 

 なのに――。

 

 復帰したいという自分の意思が、まるで三人にとって都合の悪いものとして扱われている気がした。

 

 黒夜は曖昧に笑う。

 

「……皆さん、心配性ですね」

 

 冗談めかして言えば、空気が和らぐと思った。

 だがミカの顔は真剣なままだった。

 

「心配だよ」

 

 短く、強い言葉。

 ナギサも同じように言う。

 

「当然です」

 

 セイアは視線を逸らさずに告げる。

 

「君は、目を離せない側の人間だからね」

 

 黒夜は一瞬、息が止まった。

 否定できない。

 むしろ、そこに自分の罪悪感が刺さる。

 

 黒夜は視線を落とし、小さく頷いた。

 

「……わかりました」

 

 少しだけ、声が小さくなる。

 

「それでは、もう少しだけ……ここで休ませていただきます」

 

 その瞬間。

 

 三人の表情が、同時に緩んだ。

 

 安堵。

 安心。

 そして、どこか勝ち取ったような気配。

 

 黒夜はそれを見て、胸が温かくなる。

 自分のために必死になってくれている。

 そう受け取るのが一番自然だった。

 

 そして同時に。

 

 黒夜の胸の奥に、薄い薄い、言葉にできない感覚が残る。

 

 “もう少しだけ”

 

 その言葉が、自分の意思で決まったものではなく、

 誰かに“そう言わされた”ものに近い感触。

 

 ただ、黒夜はまだそれを言葉に出来ていない

 

 これは心配。

 これは優しさ。

 これは、救い。

 

 そう信じているから気にしない事にした。

 

 もう少し休む。

 

 そう決めた次の日の朝、黒夜は不思議と穏やかな気分で目を覚ました。

 

 昨日まで胸の奥で小さく鳴っていた焦りが、今日は少しだけ薄い。

 それは三人が「休め」と言ってくれたからだ。

 

 休んでいい。

 休まなければいけない。

 今まで頑張りすぎた分を取り返す。

 

 その理屈は優しくて、甘くて、抗いにくかった。

 

 だから黒夜は、素直に受け入れた。

 もう少しだけ、ここにいよう。

 

 そう思っていた。

 

 だが、その日の昼前。

 ふとした拍子に“抜け”に気付く。

 

(……あ)

 

 何かを忘れている感覚。

 胸の奥に、ひっかかる焦り。

 

 黒夜は目を閉じて、最近の予定を思い返す。

 そして思い出した瞬間、背筋が伸びた。

 

(ミネ団長……定期健診……!)

 

 定期的に診てもらう約束だった。

 左腕の経過。

 そして……左目のこと。

 

 ただでさえ無断欠席を続けている状況で、こちらから連絡もしていない。

 ミネはきっと心配している。

 

(今すぐ連絡しないと……)

 

 黒夜は立ち上がり、いつもなら無意識に触れる場所へ手を伸ばす。

 

 制服の内ポケット。

 ズボンのポケット。

 

 ――無い

 

 指先が空を掴む。

 

 黒夜は一瞬、固まる。

 

(……あれ?)

 

 胸がどくんと跳ねる。

 

 あり得ない。

 肌身離さず持っているはずだ。

 特に今の自分は、怪我をしている身。連絡手段がないのは致命的だ。

 

 黒夜は部屋を見回す。

 ベッド脇。

 ソファの隙間。

 リビングのテーブル。

 置き忘れそうな場所を片っ端から目で追う。

 

 だが見つからない。

 

 冷や汗が滲む。

 

(落とした……?)

 

(いや……そもそもこの家の中で使ったっけ?)

 

 黒夜は自分の記憶を辿ろうとして、昨夜のぼんやりした時間に阻まれる。

 穏やかで、甘くて、何も考えずに笑っていた夜。

 

 その何も考えていない状態が、今は怖い。

 ちょうどその時、廊下から足音がした。

 

 ナギサだった。

 

 今日はナギサが残っている日だった。

 ミカとセイアは登校している。

 

「おはようございます、黒夜さん。体調はいかがですか?」

 

 いつもの優雅な声。

 いつもの微笑み。

 

 黒夜は慌ててナギサの方へ向き直る。

 

「ナギサ様、すみません……」

 

 言葉が少し早口になる。

 

「今、気付いたのですが……ミネ団長との定期健診を忘れていたことに気付きまして。それで連絡しようと思ったのですが……」

 

 黒夜は自分の手のひらを見るようにして言った。

 

「……スマホが、見つからなくてですね…」

 

 自分で言って、自分で怖くなる。

 事実が口から落ちた瞬間、現実味が増した。

 

 けれど。

 

 ナギサは驚かなかった。

 まるで、当然のことを説明するように、落ち着いた雰囲気で答えた。

 

「黒夜さんのスマホが見つからないのは理由があります」

 

 声が滑らかに続く。

 

「過労で倒れた時に壊れてしまったので、勝手ながら修理に出しているのですよ」

 

 黒夜は目を瞬いた。

 

「……壊れた……」

 

 ナギサは微笑む。

 

「えぇ。体と地面に挟まれた衝撃でしょうね。画面が割れていて、操作ができない状態でした」

 

 黒夜は喉が鳴った。

 

(……そうだったのか)

 

 倒れた時の記憶は曖昧だ。

 自分でも覚えていない。

 

 ナギサは申し訳なさそうに首を傾げる。

 

「だから今は手元に無いんですよ。不便を強いてしまって申し訳ありません」

 

 黒夜は反射的に首を振った。

 

「い、いえ……! 文句などありません」

 

 自分で倒れて壊したのなら、責める筋合いはない。

 むしろ修理に出してくれたことに感謝すべきだ。

 

 黒夜は小さく頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 そして、次の問題がすぐに浮かぶ。

 

(でも、ミネ団長は……)

 

 黒夜は焦りを押し殺して言った。

 

「ただ……ミネ団長は心配しているはずです」

 

 ナギサの微笑みは変わらない。

 黒夜は続ける。

 

「連絡が取れず申し訳ありません。定期健診も行けなくてすいません……復帰した際に必ず伺いますと。ミネ団長に、お伝えください」

 

 ナギサに伝言をお願いする。

 

 ナギサは迷いなく頷いた。

 

「わかりました」

 

 黒夜は胸を撫で下ろす。

 これで一つは大丈夫だ。

 

 だが次に、さらに嫌な事を思い出す。

 

(……ハルナさん)

 

 ゲヘナの黒舘ハルナ。

 

 “報酬”として、黒夜の手料理を楽しみにしている人。

 しかも最近、怪我の状態を毎日モモトークで確認してきていた。

 

 それが突然、返事がなくなる。

 

 ハルナがどう受け取るか。

 想像するだけで背筋が冷たくなる。

 

 黒夜の頭の中で、容易に映像が再生された。

 

『あら? いい度胸ですわね』

 

 静かな笑顔。

 

『わたくしを料理で弄んだ代償を払ってもらいますわ』

 

 そして爆発。

 

(………非常にマズい)

 

 黒夜は青ざめた。

 

 思わず自分の頬に手を当てる。冷たい。

 

「黒夜さん?」

 

 ナギサが首を傾げる。

 

「どうしたのですか?」

 

 黒夜は必死に平静を装うが、声が少し震えてしまう。

 

「い、いえ……その……」

 

 そして、観念して口にした。

 

「もう一人、ゲヘナの黒舘ハルナさんに……」

 

 言いかけて、頭を下げる。

 

「スマホが壊れて、今連絡が返せないことを伝えていただけませんか……!」

 

 頼み込み。

 懇願に近い。

 

 黒夜は深く頭を下げた。

 自分の命がかかっていると言っても過言ではない。

 

 ナギサは一瞬だけ、瞬きを止めた。

 

 微笑みは消えない。

 

 けれど空気が、ほんの少し冷たくなる。

 

 ナギサは静かに言った。

 

「……事情はわかりました」

 

 その声は丁寧で、上品で、何ひとつ乱れていない。

 しかし、どこか渋々という色が混ざっている。

 

 黒夜は顔を上げる。

 

「お願いします……!」

 

 ナギサは数秒だけ沈黙した後、ゆっくりと頷いた。

 

「わかりました。では少し席を外しますね」

 

 そう言って、黒夜に背を向けた。

 

「ありがとうございます」

 

 黒夜は心から礼を言った。

 

 ナギサが廊下へ歩いていく。

 その背中を見送りながら、黒夜は胸の奥の緊張がほどけていくのを感じた。

 

(よかった……これで爆破されずに済む)

 

 そんな冗談めいた安心が、現実味を帯びている自分が少し情けない。

 

 だが

 

 ナギサが扉を閉める直前。

 黒夜は見てしまった。

 ほんの一瞬横顔が見えたのだ。

 

 その表情は。

 能面のように動きがなく、貼り付いた静けさだけがあった。

 

 そして、瞳。

 いつも柔らかな光が宿っているはずの瞳のハイライトが消えていた。

 黒く、濁って、深い井戸の底のように。

 

 黒夜の背筋に、薄い冷気が走る。

 

(……ナギサ様?)

 

 呼び止めようとして、口が止まった。

 次の瞬間、扉は閉まり、ナギサの姿は完全に消えた。

 

 静寂

 

 黒夜はリビングに一人残される。

 

 胸の鼓動が少しだけ速い。

 理由は説明できない。

 

 ただ。

 

 ――何かを踏んだような感覚がある。

 

 黒夜は自分の手のひらを見つめた。

 

 スマホがない。

 連絡ができない。

 外の世界に触れる手段がない。

 

 でもそれは、偶然だ。

 事故だ。過労で倒れて壊したのだから。

 

 そう納得しようとする。

 そうしなければならない。

 だが、胸の奥で小さな声が囁く。

 

(本当に……壊れたのか?)

 

(本当に……修理に出したのか?)

 

 黒夜はすぐに首を振る。

 

(疑うな)

 

(疑ってどうする)

 

(彼女たちは、優しい)

 

(彼女たちは、自分を守ってくれている)

 

 そう言い聞かせるほど、逆にその違和感が輪郭を持つ。

 黒夜はグラスの水を一口飲み、喉を潤した。

 冷たい水が、胸の奥の熱を少しだけ冷ましてくれる。

 

 窓の外は穏やかだった。

 

 トリニティの空は今日も綺麗で、風は静かで。

 世界は何も変わっていないように見える。

 

 だが黒夜は、ほんの少しだけ思った。

 

(……外に、出たいな)

 

 ほんの少しだけ。

 

 その“少し”が、ここではとても遠いものに感じた。

 

 そして黒夜はまだ知らない。

 

 外に連絡しようとした“その瞬間”から、

 この家の中の空気が、静かに“監視”へと変わり始めたことを。

 外界と繋がる糸を一本ずつ切り落としながら、

 静かに完成へ向かっていく。

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