マコトに連絡をしてから数日後。
その日は、静かな緊張に包まれていた。
シャーレの会議室。
長机を囲むように椅子が並び、窓の外には昼の光が広がっている。
だが、その部屋の空気は穏やかなものではなかった。
先生は腕を組みながら、落ち着かない様子で時計を見た。
約束の時間までは、もうすぐだ。
その向かい側には、ミネが座っている。
背筋を伸ばしたまま、じっと机を見つめていた。
普段なら冷静沈着な彼女だが、今日は少しだけ表情が硬い。
さらにその隣には、アズサ。
腕を組んだまま椅子にもたれるように座り、時折小さく息を吐いている。
そして部屋の中には、もう一つの集団がいた。
サオリ、ミサキ、ヒヨリ、アツコ。
アリウススクワッドの四人だった。
ミネが事前に情報共有していたため、彼女たちもこの場に呼ばれている。
サオリが腕を組んで呟く。
「……つまり、黒夜がティーパーティーの三人に監禁されているかもしれない、という話か」
その言葉に、部屋の空気がさらに重くなる。
ヒヨリが不安そうに声を出した。
「え、えっと……それって、大丈夫なんですかぁ……?」
アツコも心配そうに視線を落とす。
「黒夜……怪我もまだ完全には治ってないのに……」
ミサキは顎に手を当てて考え込んでいた。
「でも、あの三人がそんなことするかな……」
それは自然な疑問だった。
ナギサ、ミカ、セイア。
トリニティの象徴とも言える三人が、そんな極端な行動に出るのか。
普通なら信じ難い。
しかし。
アズサは静かに言った。
「……してる」
短い一言だった。
「少なくとも、黒夜はトリニティに来てない」
ミネも続く。
「連絡も一切取れていません」
その事実が、すべてを重くしていた。
沈黙が落ちる。
そこで先生が口を開いた。
「それと……もう一つ」
皆の視線が先生に集まる。
「黒夜の想いについても、ゲヘナ側に伝えたい」
サオリが眉をひそめた。
「想い?」
先生はゆっくりと頷く。
「黒夜は……」
一度言葉を選ぶ。
「ゲヘナも、トリニティも、どちらも大切に思っている」
その言葉に、アリウスの四人は目を見開いた。
ヒヨリが思わず声を上げる。
「えっ……!」
ミサキが小さく呟く。
「……ゲヘナだけじゃないの?」
先生は続けた。
「黒夜は、どちらも背負う覚悟でいる」
静かな言葉だった。
だが、重かった。
その言葉を聞いたアツコが、ぽつりと呟く。
「……そうなんだ」
視線を落とす。
「私たちも、背負っているのに」
小さな声だった。
「さらに背負うんだね……」
部屋の空気が少しだけ沈む。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
その時だった。
コンコン。
会議室の扉が叩かれる。
皆の視線が一斉に扉へ向く。
先生が答えた。
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきたのはマコトだった。
ゲヘナ学園、万魔殿議長。
彼女は部屋の中をぐるりと見回した。
先生、ミネ、アズサ、そしてアリウスの四人。
そして、軽く笑った。
「キキキッなんだ、この面子は?」
腕を組む。
「私を拉致しにでも来たのか?」
軽口だった。
だが、その視線は鋭い。
マコトはそのまま空いている席に座った。
椅子に深く腰掛け、足を組む。
先生は苦笑した。
「今日は一人で来たんだね?」
「あぁ」
マコトは肩をすくめる。
「今日のゲヘナは荒れていてな、ヒナは忙しくて来れなかったんだ」
「カヨコも便利屋の仕事でここには来れなかった」
そして顎に手を当てる。
「それで?」
鋭い目で先生を見た。
「ゲヘナ学園のトップを呼び出してまで話したい事とはなんだ?」
切り込む、遠回しな前置きは要らないというサインだ。
先生は頷いた。
「黒夜の事で、ゲヘナ側に伝えたいことがあるんだ」
そう言い終わる前だった。
マコトが口を開いた。
「あいつが」
机に肘をつく。
「ティーパーティーの三人に監禁されている事か?」
――空気が止まった。
全員が息を呑んだ。
先生が思わず言う。
「……知ってたの!?」
マコトはゆっくりと笑った。
「知らないと思ったか?」
椅子にもたれかかる。
「それは私を見縊り過ぎだな」
その声は軽い。
だが、その姿は——
紛れもなく
ゲヘナ学園、万魔殿議長。
トップの風格だった。
マコトは立ち上がる。
「話したい事が監禁された事についてだったら、これ以上聞く事は無い」
「私も色々とやることが山積みで忙しいんだ」
そう言って席を離れようとした。
「待ってください!」
ミネが声を上げた。
マコトの足が止まる。
振り返る。
その瞳は冷たかった。
一瞬だけ、ミネを見た。
睨まれたような圧力だった。
だが、ミネは目を逸らさない。
「黒夜さんが」
真っ直ぐに言う。
「ゲヘナを大切に想っているのと同じように」
一歩踏み出す。
「ティーパーティーの三人を、大事に想っているのをご存知ですか?」
その言葉に、マコトの眉が僅かに動いた。
だがすぐに、ぶっきらぼうに言う。
「そうだろうな…」
短い言葉だった。
だがミネは続ける。
「もし私の危惧している事を、貴方がやろうとしているなら」
「悲しむのは黒夜さんですよ!」
会議室の空気が張り詰める。
「だから私たちの話を聞いてください!」
深く頭を下げるミネ。
静寂。
数秒。
マコトはしばらく黙っていた。
「……いいだろう」
小さく呟き再び椅子に戻る。
どさりと座り腕を組む。
「ただし」
鋭い視線で全員を見る。
「嘘は無しだ」
低い声だった。
「詳しく話せ」
会議室の空気がさらに重くなる。
そして先生は息を吸い――
黒夜の想いを、語り始めるのだった。
会議室の空気は重かった。
マコトが腕を組み、椅子にもたれながら三人を見ている。
その視線は鋭く、隙を探る捕食者のようだった。
先生は一度息を整えてから、口を開く。
「黒夜の気持ちについて、僕たちは一つだけ確かな手がかりを得たんだ」
マコトの眉が僅かに動く。
「手がかり?」
「うん」
先生は頷いた。
「それを教えてくれたのは……アリスだった」
ミネとアズサも静かに頷く。
「アリスは偶然、黒夜と会っていたんだ」
マコトの目が少しだけ鋭くなる。
「……ほう」
先生はその時の話を丁寧に語り始めた。
D.U.地区の公園。
ベンチに座る黒夜。
左目の眼帯、左腕の包帯。
そして――
アリスとの会話。
アズサが補足する。
「黒夜は、随分悩んでいたらしいそこをアリスに話しかけられたという経緯だ」
ミネも続ける。
「彼は、誰にも言えずに悩んでいた事があったそうです」
マコトは何も言わない。
ただ聞いている。
先生が静かに言う。
「黒夜は悩んでいたんだ。ゲヘナの仲間達とティーパーティーの三人…
どちらを選べばいいのか」
その言葉に、サオリ達も小さく息を飲む。
先生は続けた。
「彼は誰にも相談できなかった。どちらも大事だから、どちらも捨てられないから」
マコトの表情は変わらない。
だが、視線は微動だにしていなかった。
ミネが静かに言う。
「ですが、アリスさんが言ったそうです」
少しだけ微笑む。
「どちらも守ればいい、と」
その言葉に、部屋の空気がわずかに揺れる。
アズサが言う。
「勇者は全部守るものだって黒夜に伝えたらしい」
ヒヨリが小さく呟いた。
「そんな子居るんですね…」
先生は続ける。
「そして黒夜は」
一度言葉を区切る。
「どちらも守ると覚悟を決めた」
その言葉が、会議室に静かに落ちた。
誰もすぐには話さない。
マコトは黙っている。
腕を組んだまま。
表情も変わらない。
そして。
数秒後。
「……なるほど」
マコトが口を開いた。
冷静な声だった。
「感動的な話だな」
先生たちは顔を上げる。
マコトは顎に手を当てる。
「それで?」
その視線が鋭くなる。
「それが本当だという証拠は?」
沈黙。
先生は目を伏せる。
ミネの表情も苦い。
アズサも視線を逸らした。
先生が言う。
「……証拠はない」
正直に答えた。
マコトは鼻で笑う。
「話にならんな」
半分呆れた顔だった。
「証拠もない感動話を聞かされて、私が納得するとでも思ったのか?」
先生は何も言えない。
ミネも、アズサも。
その時だった。
椅子が小さく動く音。
アツコだった。
一歩前に出て静かな声で言った。
「じゃあ、その話が嘘だったらさ」
一瞬、間を置く。
「私のヘイローを壊していいよ」
――空気が止まった。
先生の目が見開く。
「アツコ!?」
ミネも言葉を失う。
アズサも驚いている。
サオリが叫んだ。
「アツコ! 何を言ってるんだ!?」
ヒヨリも慌てる。
「そ、それはダメですよぉ!」
ミサキも眉をひそめた。
「冗談にならないよ、それ」
だが、アツコは動じていなかった。
むしろ自信に満ちた表情だった。
「私は黒夜に救われたから分かるけど」
「今の話は彼が考えそうなことだし」
先生たちを見る。
「先生たちが嘘をつく理由もないと思える」
そしてマコトを見据える。
「それに貴方も彼の事を知ってるでしょ?」
その言葉でマコトの目が細くなる。
低い声で言う。
「……今お前が言った言葉の意味を」
ゆっくり立ち上がる。
「正しく理解しているか?」
アツコは頷いた。
「うん」
迷いはない。
「分かってるよ」
そして言った。
「私の命は黒夜の為に使いたい」
サオリたちが言葉を失う。
アツコは続ける。
「彼の望みを叶える為なら。それに命を賭けるぐらい、どうって事ないよ」
静かな覚悟だった。
そして少し首を傾げて言う。
「それにいつまでこの茶番を続ければいいの?」
――沈黙。
一瞬。
そして。
「……」
マコトが笑い出した。
「キキキッ!」
大きく笑う。
「流石に見抜かれるか!」
さっきまでの威圧的な空気が一瞬で崩れた。
マコトは腹を押さえながら笑っている。
「いやーすまんすまん!」
椅子に座り直す。
「少し揶揄っただけだ」
ニヤニヤしている。
「偶にはこういう顔も見せないと鈍ってしまうからな」
完全にいつものマコトだった。
先生は大きく息を吐いた。
「……はぁ」
肩の力が抜ける。
「びっくりした」
そしてアツコを見る。
「良く演技だって分かったね」
アツコは普通に答えた。
「黒夜の願いを叶える為に」
「私たちを助けてくれた人でしょ?」
マコトを見る。
「そんな人が彼に嫌われる事するはずないから」
その言葉に、マコトは少しだけ目を細めた。
一方でサオリたちは完全に肝を冷やしていた。
サオリが額を押さえる。
「……おい」
ミサキも言う。
「心臓止まるかと思った」
ヒヨリも涙目だった。
「姫ちゃん勘弁して下さいよぉ……!」
サオリが真剣な顔で言う。
「たとえ演技でも」
「命を投げ出すような事は言うな」
アツコはきょとんとした。
「え?」
首を傾げる。
「黒夜の為なら命を賭けれるのは本当だけど……?」
三人は同時に頭を抱えた。
「そういう問題じゃない!」
会議室の空気が、少しだけ軽くなる。
さっきまでの緊張が、嘘のようだった。
そしてマコトは。
机に肘をつきながら。
ゆっくりと笑う。
「……なるほどな」
その目は鋭かった。
静かに言った。
「本当に、あいつらしい」
その声には少しだけ誇らしさが混ざっていた。
マコトは椅子に深く腰掛けたまま、腕を組んだ。
そして小さく息を吐く。
「まぁでも」
ゆっくりと視線を巡らせる。
「さっきの茶番にも意味はあったんだよ」
サオリたちが顔を上げる。
マコトは続けた。
「お前たちの覚悟を見たかったんだ」
その声には、先ほどまでの軽さはなかった。
「本当に黒夜を救う気があるのか」
一人一人を見ていく。
「それとも」
少しだけ口元を歪める。
「ティーパーティーという権力にすり寄りたいだけなのか」
その言葉は冷たかった。
だが、同時に鋭かった。
ゲヘナのトップとして、そして黒夜を知る者としての確認だったのだろう。
ミネは真っ直ぐマコトを見返した。
「結果は見ていただいた通りです」
マコトは鼻で笑う。
「まぁな」
そして、おもむろにポケットから端末を取り出した。
何の前触れもなく――
それを先生に向かって放り投げる。
「うおっ!」
先生は慌てて受け取る。
「危ないよマコト!」
「落とすなよ、それ重要だからな」
先生が端末の画面を見ると、そこには地図が表示されていた。
見慣れたキヴォトスのマップ。
その中で一つの赤い点が点滅していた。
先生は眉をひそめる。
「これ……」
マコトはさらっと言った。
「その赤点の位置が黒夜の監禁場所だ」
――会議室の空気が凍る。
アズサが思わず言った。
「……黒夜に発信機でも付けてるのか?」
マコトは呆れた顔をする。
「言うわけないだろう?」
肩をすくめる。
「心配ならあいつを回収した後に身体検査でもするんだな」
ニヤリと笑う。
「まぁ、何も出てこないと思うがな」
どうやって調べたのかは、結局誰にも分からない。
だが、ゲヘナの情報網。
それを考えれば、不可能でもない。
先生は端末を握りしめた。
「……ありがとう」
マコトは軽く手を振る。
「礼はいらん」
そう言って立ち上がる。
そのままアリウススクワッドを見る。
「おいお前ら」
顎で指す。
「今からゲヘナに来い」
サオリ達は一斉に顔をしかめた。
「……は?」
ミサキも眉をひそめる。
「なんでそうなる」
ヒヨリは小さく震えている。
「ゲヘナって聞くだけで胃が痛くなるんですけど……」
だがマコトは構わない。
「黒夜の為だ。いいから力を貸せ」
乱暴に言い放つ。
先生が口を挟む。
「どういうこと?」
マコトは深く溜息を吐いた。
「……あぁもう」
頭を掻く。
「説明するのが面倒だが仕方ない」
机に手をついて言った。
「黒夜に連絡が繋がらなくなって2週間、等々しびれを切らした連中がいる」
先生はすぐに理解した。
「……まさか」
マコトは苦々しい顔をした。
「美食研究会」
そして続ける。
「温泉開発部」
会議室の空気が一瞬で変わる。
サオリが呟いた。
「……最悪の組み合わせだな」
マコトは頷く。
「そいつらを筆頭にトリニティで暴れて黒夜を無理やり連れ戻そうとしている連中達が…」
今、絶賛ゲヘナで大暴れ中だ」
先生は額を押さえた。
「うわぁ……」
マコトは続ける。
「風紀委員会と便利屋の連中が」
「あの馬鹿どもを押さえているが」
遠い目をして。
「……余り長くは持たないだろう」
それは、つまり。
ヒナとカヨコでも抑えきれない可能性があるということだった。
マコトはアリウススクワッドを見る。
「だからお前らの力が必要なんだよ」
アツコは即答した。
「そういう事なら早く行こう」
迷いがなかった。
サオリたちも顔を見合わせる。
「……仕方ない黒夜の為なら」
納得した。
マコトは満足そうに笑う。
「話が早いな」
そして踵を返す。
「では行くぞ」
アリウススクワッドを引き連れ、会議室を出ていく。
だが扉を出る直前。
マコトは先生の横に立ち――
小さく耳打ちした。
「……いいか」
低い声だった。
「ティーパーティーの連中が短期入学のゲヘナの生徒を監禁」
一拍置く。
「そんな現場が他校にバレたら外交問題になる」
先生の背筋が冷たくなる。
マコトは続けた。
「だからこの件は最初からトリニティ内で解決するしか無い」
そして。
「いつこっちの防衛線が崩れるかわからない」
苦笑する。
「だからなるべく早く解決してくれ」
扉を開けながら。
「じゃあ」
軽く手を振る。
「黒夜の事、頼んだぞ。信じてるからな…」
そう言って去っていった。
扉が閉まる。
静寂が落ちる。
先生は端末を見る。
赤い点。
点滅している。
そこに黒夜がいる。
ミネが静かに言った。
「急ぎましょう」
アズサも頷く。
「時間がない」
先生は深く息を吸った。
「……行こう」
三人は立ち上がる。
急いで準備を整える。
そして黒夜が監禁されている家へ向かって。
シャーレを飛び出した。