ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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帰る場所の名前

 

 その言葉は、あまりにも唐突だった。

 

「今日は大変忙しかったでしょう?

 だから、今日はもう上がってもらって大丈夫ですよ」

 

 ナギサ様の声音は、いつもと変わらない。

 柔らかく、丁寧で、配慮に満ちた――完璧な為政者のそれだった。

 だが、その完璧さが、

 今の私には、どこか引っかかって聞こえた。

 

「承知しました

 私如きに気を使ってくださり、ありがとうございます」

 

「ええ。本日もありがとうございました。

 帰って、ゆっくり休んでくださいね」

 

 彼女はそう言って、微笑んだ。

 反論の余地など、どこにもなかった。

 私は一礼し、いつものように踵を揃え、

 会議室を後にする。

 

 扉が閉まる音が、

 いつもより少し大きく響いた気がした。

 

(……急すぎるな)

 

 胸の奥に、

 小さな違和感が残る。

 

 だが、それ以上考えるのはやめた。

 

 ――今、疑っても意味はない。

 

 私は“仕える側”で、

 判断する側ではないのだから。

 

 外に出ると、

 トリニティの夕暮れは、相変わらず穏やかだった。

 

 白い校舎。

 整えられた庭園。

 行き交う生徒たちの、落ち着いた足取り。

 

 ここは、いつ見ても美しいな。

 

 ……けれど

 

(今日は、やけに静かだな)

 

 いつもなら、早上がりなど許されない。

 

 私はティーパーティー専属の護衛であり、

 バトラーであり側に控える事こそが仕事だ。

 

 それなのに。

 今日は、あっさりと帰っていいと言われた。

 胸の奥に、わずかな不安が芽生える。

 

 ――だが

 

 家路につくうちに、その不安は、少しずつ溶けていった。

 

 久しぶりだったのだ。

 誰にも呼ばれず、誰にも仕えず、

 一人で歩く、この時間が。

 

「……静かで、落ち着いていて、平和だな…」

 

 誰に聞かせるでもなく、

 私はそう呟いた。

 心が、少しだけ軽くなる。

 

 ――悪くない

 

 そう思った、その瞬間。

 

 ……あっ

 

 私は、重大なことを思い出した。

 冷蔵庫に、何も食材がない。

 そもそも今日は、帰れるなんて微塵も思っていなかった。

 食材の買い出しは、完全に失念していた。

 

「……仕方ない」

 

 私は進路を変え、家とは逆方向へと足を向けた。

 

 気づけば、トリニティ総合学園から、

 随分と離れた場所まで来ていた。

 

 ――無意識だった

 

 ただ、遠くへ行きたかった。

 理由は、自分でも分からない。

 気が付けば、見慣れない通りに立っていた。

 

 ふと、視界の端に、

 小さな自動販売機が映る。

 

「……コーヒー?」

 

 トリニティでは、珍しい。

 基本的に、紅茶か、ハーブティー。

 それ以外は、あまり置かれない。

 

 私は、何気なくその前に立ち、

 缶コーヒーを一本買った。

 

 カチリ、と音がして、

 手のひらに落ちてくる。

 

 その冷たさが、

 妙に懐かしかった。

 

 ――瞬間

 

 記憶が、一気に引き戻される。

 

 

 ◆

 

 

 ゲヘナ学園。

 

 混沌と暴力が支配する場所。

 

 入学したばかりの頃の私は例に漏れず、

 他のゲヘナ生と同じように、好き放題に暴れていた。

 

 ――いや

 

 正確には、暴れている“つもり”だった。

 その勘違いを、正面から叩き潰したのが。

 

 風紀委員長、

 空崎ヒナだった。

 

「……は?」

 

 気づいた時には、私は地面に沈んでいた。

 何が起きたのか、理解する暇すらなかった。

 

 ただ。

 

 圧倒的だった。

 

 強さも、

 技量も、

 存在そのものが。

 

 ――その強さと孤高な存在に心を奪われた。

 

 翌日

 

 私はヒナの前で土下座していた。

 

「弟子にしてください」

 

 冷静に考えれば、意味不明だ。

 だが、あの時の私は本気だった。

 ヒナはしばらく黙って私を見下ろし。

 

「……覚悟はある?」

 

 それだけ聞いてきた。

 私は即答した。

 そこからの日々は、

 地獄だった。

 

 毎日ボコボコにされ、

 叩きのめされ、叱責される。

 

 それでも。

 

 不思議と嫌ではなかった。

 

 ――充実していた。

 

 そんな私に目を付けたのが、

 羽沼マコトだった。

 

 当時の彼女はヒナに対抗心を燃やしていた。

 そのヒナに弟子がいる。

 それが気に食わなかったのだろう。

 

「お前、ちょっと来い」

 

 有無を言わせぬ調子で呼び出され、気が付けば、

 政治だの、交渉だの、裏の話を叩き込まれていた。

 

 強引で、勝手で、

 面倒な人だった。

 

 だが

 

 その政治力。

 情報網。

 人を動かす手腕。

 

 ――正直、憧れていた。

 

 調子に乗りそうで直接は、言えなかったが。

 

 ヒナとマコト。

 

 二人の勧めで、私は情報部に入った。

 そこで出会ったのが、鬼方カヨコだった。

 彼女は何でもそつなくこなした。

 

 情報の扱い方。

 距離感。

 嘘のつき方。

 

 私は、何度も注意されながら、鍛えられた。

 

 ――いつか、ああなりたい。

 

 そう、本気で思った。

 楽しかった。

 

 苦しかったが、

 確かに、

 充実していた。

 

 

 ◆

 

 

 ――ポタリ

 

 手の甲に、冷たい感触。

 

「……?」

 

 私は、空を見上げた。

 雨は降っていない。

 

 もう一滴。

 

 ポタリ

 

 その瞬間。

 理解した。

 

「……ああ」

 

 涙だ。

 私は、泣いていた。

 いつからかも、分からない。

 慌てて、ハンカチを取り出し、

 目元を覆う。

 

 誰にも、

 見られたくなかった。

 

 喉の奥が、

 ひりつく。

 

 胸が、苦しい。

 

「……戻りたい」

 

 声は、震えていた。

 

 戻りたい。

 

 ゲヘナ学園に、あの喧騒に。

 あの自分だけの居場所に。

 

 だが

 

 今はまだ戻れない。

 

 それは私が一番、

 よく知っている。

 

 缶コーヒーは、

 まだ開けていなかった。

 

 冷たいまま、

 私の手の中にある。

 

 私は、それを強く握りしめ夜の街を、

 黙って歩き続けた。

 

 涙が、止まらなかった。

 

 いや正確には、

 もう流れてはいない。

 

 けれど、泣いた痕は、

 確かに顔に残っていた。

 

 瞼の腫れ。

 重くなった視界。

 

 ……このままじゃ、人前に出られないな

 

 私は、人通りの多い通りを避け、

 裏路地へと足を踏み入れた。

 

 石畳は湿っていて、街灯もまばら。

 

 トリニティの整然とした街並みとは、

 まるで別世界だった。

 

 ――誰にも見られたくなかった。

 

 ただ、目の腫れが引くまで、

 時間を潰したかっただけだ。

 

 行き先など、考えていなかった。

 

 気づけば、私は当てもなく歩いていた。

 

 右へ。

 左へ。

 曲がって、また曲がる。

 

 しばらくして、

 ふと立ち止まる。

 

 ……ここ、どこだ?

 

 見覚えがない。

 

 周囲を見回しても、

 目印になるものは何もなかった。

 

 街灯は少なく、

 影ばかりが伸びている。

 

 空はすっかり暗くなっていた。

 

「……まずいな」

 

 私は、慌てて来た道を戻ろうとした。

 

 ――その時

 

 背後に微かな気配を感じた。

 

 足音

 

 一人ではない。

 

 ……気のせい、か?

 

 私は歩調を早める。

 足音も早くなる

 

 一定の距離を、

 保ったまま。

 

 冷たいものが背筋を這った。

 

 ……追われている?

 

 私は、咄嗟に走り出した。

 石畳を蹴り、角を曲がり、

 路地を抜ける。

 

 ――足音は消えない。

 

 むしろ確実に、

 ついてきている。

 

 息が上がる。

 

 視界が滲む。

 

 そして。

 

 ――行き止まり

 

 袋小路だった。

 

 高い壁。

 逃げ道なし。

 

 私は、息を整えながらゆっくりと振り返る。

 

 暗闇の中から人影が、

 五つ現れた。

 

 全員見知らぬ顔。

 

 だが

 

 ただ者ではない事はわかる

 

 立ち方

 

 間合い

 

 視線

 

 全員が訓練された動きをしていた。

 

 私は呼吸を整え終え、

 警戒を解かずに口を開く。

 

「……何か、私に御用でしょうか?」

 

 一瞬の沈黙。

 

 そして、一歩前に出た人物が、

 低い声で言った。

 

「ここで問答をするつもりはない」

 

 声は、冷静で、

 感情がない。

 

「大人しく我々についてこい」

 

 命令口調。

 私は即座に答えた。

 

「……お断りします」

 

 その瞬間。

 

 空気が、

 変わった。

 

 前に出ていた人物が、

 こちらをまっすぐに見据える。

 

 そして

 

「――もう一度だけ言う」

 

 その名を呼ばれた。

 

「ゲヘナの月城 黒夜」

 

 心臓が大きく跳ねる。

 

「我々に従え」

 

 ――終わった。

 一瞬でそう思った。

 

 ……知っている

 私がゲヘナから送り込まれたスパイであることを。

 反抗しても、意味はない。

 むしろ損をするだけだ。

 

 歯を強く噛みしめる。

 

 唇に血の味が広がった。

 

「……分かりました」

 

 私は力なく答えた。

 そして少しだけ視線を上げる。

 

「ただ一つだけ、

 いいですか?」

 

 相手は何も言わずに待った。

 

「私の名前だけ知られているのは不公平じゃありませんか?」

 

 声は自分でも驚くほど、

 落ち着いていた。

 

「あなた達の名前を教えてくれませんか?」

 

 沈黙が落ちた。

 

 数秒。

 

 いや、

 十秒ほどか。

 やがて、最初に前に出ていた人物が口を開いた。

 

「……錠前サオリ」

 

 続いて、他の四人が、

 簡素に名乗る。

 

「戒野ミサキ」

 

「槌永ヒヨリ」

 

「秤アツコ」

 

「白洲アズサ」

 

 ――全員覚えた。

 

 サオリが一歩近づく。

 

「月城黒夜」

 

 その声には敵意はない。

 だが温度もない。

 

「マダムが、お前と話したがっている」

 

 マダム。

 

 その単語に、胸が嫌な音を立てた。

 

「大人しくついてこい」

 

 選択肢は最初から存在しなかった。

 私は深く息を吸い。

 

「……承知しました」

 

 そう答えるしかなかった。

 

 夜は、

 静かだった。

 

 だが、

 その静けさは、

 これから訪れる嵐の、

 前触れのように感じられた。

 

 私は、

 五人の後ろを歩きながら、

 胸の奥で、

 小さく呟いた。

 

 これで……本当に、戻れなくなったな…

 

 

 ◆

 

 

 重苦しい空気が肌にまとわりついていた。

 地下だろうか。

 正確な場所は分からない。

 ただ、ここが“表の世界”ではないことだけは、

 はっきりとしていた。

 

「――マダム。

 命令通り、月城黒夜を連れてきました」

 

 サオリの声が、

 静かに響く。

 

 私は、数歩前に立たされていた。

 

 正面には、一人の“大人”

 

 いや。

 

 ……大人、というには

 

 異様だった。

 

 長身で、長い黒髪に赤い肌、複数の目

 人の形をしていながら、

 どこか“人ではない”と直感させる存在感。

 

 ――この異形が、マダム……

 

 視線を走らせ、冷静に分析する。

 

 威圧

 

 誇示

 

 演出

 

 すべてが計算された“恐怖”だった。

 

 その大人――

 ベアトリーチェは、何も言わずただ私を見ていた。

 

 じろり、と

 値踏みするような、品定めするような視線。

 

 ……なんだ、この視線は

 私は、無意識に眉をひそめていた。

 

 その沈黙を破ったのは、

 ベアトリーチェだった。

 

「……ふふ」

 

 不快な、湿った笑み。

 

「なるほど。これが、完成された“道具”ですか」

 

 ――道具

 

 その単語に、胸の奥が、

 かすかに軋んだ。

 

「この年で、

 ここまで完成されているとは」

 

「実に、実に素晴らしい!」

 

 私は、黙って彼女を睨み返した。

 

 褒められているはずなのに、

 吐き気がする。

 

 ベアトリーチェはその視線に気づき、

 楽しそうに鼻を鳴らす。

 

「その目、いいですね」

 

「反抗心がありながら、ちゃんと理解している」

 

「自分がどれほど脆い立場にいるのかを」

 

 私は、何も言わない。

 

 視線も、逸らさない。

 

 それが、唯一の抵抗だった。

 

 だが

 

「……そんな目で睨みつけてこようが」

 

 ベアトリーチェの声が、

 一段、甲高くなる。

 

「怖くはありません」

 

「なぜなら」

 

 彼女は、一歩踏み出し、

 ヒステリックに叫んだ。

 

「――あなたの急所は、

 もう押さえてありますからね!」

 

 空気が一気に張り詰める。

 

「そうでしょう?」

 

「ゲヘナの諜報員、月城黒夜!」

 

 ――来た。

 

 私は内心でそう思った。

 だが表情は変えない。

 

 否定もしない。

 肯定もしない。

 

 ただ、黙って、

 彼女を見続ける。

 

 数秒の沈黙

 

 それが、ベアトリーチェには

 心地よかったのだろう。

 

 彼女は、満足そうに息を吐いた。

 

「ふふ……」

 

「何も言えない、ということは」

 

「理解している、ということですね」

 

 そして、両腕を広げ、

 宣言するように言った。

 

「月城黒夜!」

 

「これから、私が」

 

「――お前の、新しい持ち主です」

 

 ぞっとする言葉だった。

 

「新しい主人には、

 媚びていた方が身のためですよ?」

 

 私は、歯を食いしばる。

 拒否権など、最初からない。

 ベアトリーチェは、愉快そうに続けた。

 

「では、自分の置かれた立場も理解したことですし、

 記念すべき最初の任務を与えましょう」

 

 その名が呼ばれる。

 

「白洲アズサ」

 

 背後で気配がわずかに揺れた。

 

「彼女を、トリニティに潜伏させなさい

 あなたにはそれが出来る立場と力があるでしょう」

 

 胸が嫌な音を立てる。

 

「そして」

 

 ベアトリーチェは、

 楽しそうに言い切った。

 

「時期を見て」

 

「二人で」

 

「――百合園セイアを暗殺しなさい」

 

 頭の中が、

 一瞬、

 真っ白になる。

 

 セイア様

 

 あの、穏やかで、優しい、ティーパーティーの一人。

 

 私が、仕えている人物。

 確かに監視の目が疎ましく思ったこともあるし、確実に疑われてはいたが、

 あのセイア様を暗殺?

 

 ……出来るわけがない…

 

 だが

 

 口には、出せなかった。

 反抗すれば、何が起きるかは、

 想像できる。

 

 私は、ゆっくりと頭を下げた。

 

「……承知しました」

 

 その声は自分でも驚くほど、平静だった。

 ベアトリーチェは、それを聞くと、

 満足そうに高笑いした。

 

「あはははは!」

 

「いい子ですね、賢い道具は好きですよ」

 

 そして、踵を返す。

 

「期待していますよ」

 

「壊すも、殺すも」

 

「あなた次第ですから」

 

 その笑い声が遠ざかっていく。

 

 残されたのは、重苦しい沈黙と、

 私自身。

 

 私は拳を、強く握りしめていた。

 

 ……どこで間違えてしまったのだろうか…

 

 ――エデン条約――

 

 その名が、

 まだ誰の口にも出ていない夜。

 

 だが、歯車は確実に回り始めていた。

 

 今日、月城黒夜は選ばされた。

 

 

 ――裏切り者としての道を。

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