ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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補習授業部編 ~4~

 補習授業部が使っている教室には、今日も変わらない穏やかな空気が流れていた。

 窓から差し込む午後の光はやわらかく、机の上に広げられたノートや教科書を淡く照らしている。

 静かにページをめくる音と、時折聞こえるペン先の走る音。

 

――のはずだったのだが。

 

「ねえねえコハルちゃん」

 

 にこにこと楽しそうな声が、その静寂をあっさり壊した。

 

「こういうのってどう思います?」

 

 ハナコがいつもの調子で身を乗り出し、コハルに距離を詰めている。

 その表情は完全に“何かを仕掛ける側”のそれだった。

 

 コハルは嫌な予感しかしないといった顔で一歩引く。

 

「な、なによ……」

 

「普通の話ですよ~?」

 

 ハナコはわざとらしく首を傾げる。

 

「例えばですね」

 

 声をひそめるようにして…しかししっかり聞こえる声量で言った。

 

「夜の――」

 

「えっちなのはダメ!死刑!!」

 

 間髪入れずに、コハルの叫びが教室に響いた。

 机を叩く勢いで立ち上がる。

 顔は真っ赤だ。

 

「な、なんでそういう話になるのよ!!」

 

「え~?」

 

 ハナコはくすくす笑う。

 

「まだ何も言ってませんよ?」

 

「絶対言おうとしてたでしょ!!」

 

「さあ、どうでしょうか?」

 

 楽しそうに肩をすくめるハナコ。

 コハルはぐぬぬ、と悔しそうに唸る。

 そのやり取りを見て、私は思わず小さく笑ってしまった。

 

「あはは……」

 

 いつもの光景だ。

 

 ハナコちゃんがからかって、コハルちゃんが全力でツッコミを入れる。

 最初は少し驚いたけれど、今ではすっかり見慣れてしまった。

 こうしていると、ここが“補習授業部”だということを忘れそうになる。

 

 ……いや、本来はちゃんと勉強する場所なんですけどね。

 私は目の前のノートに視線を戻す。

 けれど完全に集中しているわけではなくて、耳は自然と二人の会話に向いてしまう。

 

 その時だった。

 

 ふと、視界の端に映ったアズサちゃんの様子が気になった。

 スマホを手にして、画面を見つめている。

 それだけなら珍しくないけれど――

 

(……あれ?)

 

 少しだけ表情が違う。

 無表情気味なことが多いアズサちゃんが、ほんの少しだけ嬉しそうに見えた。

 口元が、わずかに緩んでいる。

 

(珍しいかも……)

 

 そう思っていると、同じことに気付いたのか、ハナコがぴくっと反応した。

 

「ん~?」

 

 にやり、と笑う。

 

「アズサちゃん?」

 

 すっと距離を詰める。

 

「誰とやり取りしてるんですか?」

 

 コハルもすぐに乗っかる。

 

「な、なによ急に」

 

 でも気になるのか、アズサちゃんのスマホを覗き込もうとする。

 私は少し遅れて、その輪に加わった。

 

「何かあったんですか?」

 

 アズサは一瞬だけ視線を上げる。

 そして、特に隠す様子もなく答えた。

 

「黒夜だ」

 

 その名前を聞いて、三人とも「あ」と小さく声を漏らした。

 

「黒夜さん?」

 

 ハナコが楽しそうに目を細める。

 

「へぇ~」

 

「何の話をしてたんですか?」

 

 アズサはスマホを軽く持ち上げながら答える。

 

「この前、昼食を奢ってもらったんだ」

 

「ああ、言ってましたね」

 

 私は頷く。

 

「そのお礼をモモトークで送っていた」

 

 さらりと言う。

 コハルが少し驚いた顔をする。

 

「え、ちゃんとそういうの送るんだ……」

 

「当然だろう」

 

 アズサはきっぱり言う。

 

「礼は尽くすべきだ」

 

 その言い方があまりにも真っ直ぐで、私は思わず微笑んでしまった。

 

「アズサちゃんらしいですね」

 

「ふふ~」

 

 ハナコが楽しそうに笑う。

 

「いいですね~そういうの」

 

 そしてそのまま、自然と話題が広がっていく。

 

「そういえば」

 

 ハナコがコハルの方を見る。

 

「コハルちゃんって、最初の頃――」

 

 にやりと笑う。

 

「黒夜さんのこと、結構警戒して遠巻きに見てましたよね?あれってなんだったんですか?」

 

 その一言で、コハルの動きが止まった。

 

「なっ……!?」

 

 顔が一気に赤くなる。

 

「う、うるさい!!」

 

 机を軽く叩く。

 

「最初はちょっと慣れてなかっただけで……!」

 

 しどろもどろになりながら言い返す。

 

「今はもう大丈夫なんだから!」

 

 そしてそのまま、勢いよく指をさした。

 

「そ、そういうハナコはどうなのよ!」

 

「あいつのこと、どう思ってるのよ!」

 

 ハナコは一瞬きょとんとして――

 すぐに柔らかく微笑んだ。

 

「私はですね~」

 

 少し考える仕草をする。

 

「いい人だと思ってますよ?」

 

 穏やかな口調だった。

 

「優しいですし、気も利きますし」

 

 そして――

 

 少しだけ表情を変える。

 

「ですが」

 

 にやりと笑う。

 

「ああいう普段優しい人ほど、夜のベッドの上では――」

 

「えっちなのはダメ!死刑!!」

 

 再びコハルの全力のツッコミが炸裂した。

 ヒフミは思わず吹き出しそうになるのを堪える。

 

(相変わらずですね……)

 

 ハナコは「はーい」と軽く受け流している。

 その空気が、なんだか心地よかった。

 ふと、話題が少し落ち着いたところで、ヒフミはアズサの方を見る。

 

「そういえば」

 

 少し気になっていたことを口にする。

 

「アズサちゃんは、ここに入る前から黒夜さんと知り合いみたいでしたけど…どこで知り合ったんですか?」

 

 アズサは少しだけ考えるように視線を逸らした。

 

「最初に出会ったのは、トリニティに入る前だ」

 

 淡々と答える。

 

「だが……」

 

 少し言葉を探す。

 

「説明が難しいな……」

 

 その様子を見て、私は慌てて手を振った。

 

「あ、無理に説明しなくても大丈夫ですよ」

 

「そういうの、ありますよね」

 

 アズサは一瞬だけこちらを見て――

 小さく頷いた。

 

「まあ」

 

 そして、少しだけ胸を張る。

 

「はっきりしているのは一つだ。黒夜は、私の命の恩人だという事だ」

 

 きっぱりと言い切ったその言葉は、まっすぐだった。

 迷いも誇張もない。

 ただの事実としての重みがあった。

 

 コハルが「えっ」と目を見開く。

 ハナコも、少しだけ興味深そうに目を細める。

 私は少しだけ、驚いていた。

 

(命の恩人……)

 

 その言葉の重さを考える。

 同時に、黒夜さんのことを思い浮かべる。

 

 優しくて、落ち着いていて。

 でもどこか、影のある人。

 

(やっぱり……色々なことを経験してるんですね)

 

 そう思った。

 その流れで、アズサがこちらを見る。

 

「ヒフミはどうなんだ?」

 

「黒夜との付き合いは長いのか?」

 

 急に話を振られて、少しだけ驚く。

 

「え、えっと……」

 

 少し考えてから答える。

 

「私は……ナギサ様と何度かお話しする機会があったので」

 

 ゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「その際に面識はありましたが」

 

 首を横に振る。

 

「直接お話したことは、あまりありませんね……」

 

 それが正直なところだった。

 何度か顔を合わせたことはある。

 でも、しっかりと話した記憶はない。

 

 ハナコが「あら」と声を上げる。

 

「じゃあこの中で一番付き合いが長いのは」

 

 にこっと笑う。

 

「アズサちゃんですね?」

 

 アズサちゃんは少しだけ顎を上げた。

 ほんの少しだけ、誇らしげな表情。

 

「まあ、そうなるな」

 

 その様子に、コハルが「なんかちょっと得意げね……」と小さく呟く。

 私は思わず笑ってしまった。

 

「あはは……」

 

 なんだか、いいなと思う。

 こうしてみんなで話している時間。

 何気ない雑談。

 それぞれの知っていることを持ち寄って、笑い合う時間。

 

(……平和ですね)

 

 そう思った、その時だった。

 

 不意に――

 

 胸の奥に、ほんのわずかな嫌な予感が走った。

 

(……あれ?)

 

 理由は分からない。

 ただ、ほんの一瞬だけ。

 気のせいかもしれない。

 

(……なんだろう)

 

 その嫌な予感は、すぐに消えた。

 まるで最初からなかったかのように。

 

「ヒフミ?」

 

 コハルの声で、我に返る。

 

「ぼーっとしてるけど大丈夫?」

 

「あ、はい!」

 

 慌てて笑顔を作る。

 

「大丈夫です!」

 

 そう答えながら、私は心の中で首を傾げていた。

 

(今の……)

 

 なんだったんだろう。

 小さな違和感。

 でもそれは、まだ形にならないまま――

 静かに心の奥へ沈んでいった。

 

 そして教室には、再びいつもの賑やかな空気が戻る。

 何も変わらない日常。

 笑い声と、軽口と、穏やかな時間。

 

 ついさっき感じた小さな違和感も、いつの間にか意識の外へと押し出されていた。

 こうしてみんなで過ごしていると、不思議と何もかも大丈夫な気がしてくる。

 

 そんな中で――

 ハナコがふと、思い出したように口を開いた。

 

「そういえば」

 

 いつもの柔らかい声。

 けれどその内容は、少しだけ違っていた。

 

「黒夜さんが最近、ブラックマーケットに出入りしていた、なんて噂を聞きましたが」

 

 少し首を傾げる。

 

「本当なんでしょうか?」

 

 その一言で、私の手が止まった。

 

(……え?)

 

 ペン先がノートの上で止まる。

 

 ブラックマーケット。

 

 その単語だけで、少しだけ空気の温度が変わった気がした。

 

 コハルも目を丸くする。

 

「え?ブラックマーケット? そんな危ないところに……?」

 

 するとアズサが、あっさりと答えた。

 

「それはどうやら本当みたいだ」

 

 特に気負った様子もなく言う。

 

「サオリ達から聞いたからな」

 

 その言葉に、私の心臓がどくん、と大きく鳴った。

 

(本当……なんですか……?)

 

 黒夜さんが、ブラックマーケットに。

 

 理由は分からない。

 でもそれだけで、どこか現実感のない話に思えた。

 

 コハルちゃんがさらに身を乗り出す。

 

「え!?どうして黒夜がそんなところに行ってるのよ!?」

 

 その問いに、アズサちゃんは少しだけ考えるように視線を上げてから答えた。

 

「なんでも、ある事件の首謀者を追っているらしい」

 

 淡々とした口調。

 

 そして――

 

「なんて言ったか……確か」

 

 ほんの少しだけ間を置いて。

 

「ファウストとか言ってたな」

 

 その瞬間だった。

 

――世界の音が、消えた気がした。

 

(……え?)

 

 頭の中が真っ白になる。

 さっきまで聞こえていたはずの声も、紙の音も、全部が遠くなる。

 ただ、その名前だけが、やけに鮮明に残った。

 

『ファウスト』

 

(……それ、って)

 

 背筋に、冷たいものが走る。

 さっきまでの穏やかな空気が、一瞬で遠いものになる。

 

(まさか……)

 

 呼吸が少しだけ浅くなる。

 胸の奥がざわざわする。

 

(そんな……)

 

 でも、確かに聞こえた。

 アズサは、はっきりとそう言った。

 

 黒夜さんがファウストを

 

 ――追っている。

 

(どうして……?)

 

 頭の中で疑問がぐるぐる回る。

 

(どうしてその名前が……)

 

 気が付けば、私はゆっくりと口を開いていた。

 

「アズサちゃん……」

 

 自分でも分かるくらい、声が少し震えている。

 

「その……黒夜さんがファウストを追っている理由とかって……」

 

 喉が少し詰まる。

 

「わかりますか……?」

 

 アズサは「うーん」と考える仕草をした。

 

「そこまでは分からないな」

 

 あっさりと答える。

 

「だが、黒夜が追うってことは、トリニティかゲヘナで重要なことなんじゃないか?」

 

 特に深く考えた様子もなく言う。

 その言葉が、逆に重くのしかかる。

 

(重要なこと……)

 

(つまり……)

 

 自分のことだ、なんて。

 そんな考えが浮かんでしまって、すぐに打ち消そうとする。

 

「そ、そうですよね……」

 

 私は無理やり笑顔を作った。

 

「あはは……」

 

 でも、その笑いは自分でも分かるくらいぎこちなかった。

 

(落ち着いて……)

 

(落ち着いてください……)

 

 心の中で何度も繰り返す。

 でも、うまくいかない。

 その間にも、話は続いていた。

 

 ハナコが、珍しく真面目な表情になっている。

 

「黒夜さんに追われているファウストって人には」

 

 少しだけ目を細める。

 

「同情しますね」

 

 静かな声だった。

 

「彼の情報収集能力はすごいと、以前セイアちゃんが言っていましたし、逃げきれないでしょうね」

 

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 

(逃げきれない……)

 

 コハルも不安そうに腕を抱く。

 

「そうね……黒夜って、噂では仲間には優しいけど」

 

 少し声を落とす。

 

「敵には冷酷って聞いたことあるし……」

 

 肩がわずかに震える。

 

「もし捕まったらって考えると……ちょっと……怖いわね……」

 

 そう言って顔をしかめる。

 その会話を、私はただ聞いていることしかできなかった。

 

(……)

 

 笑えない。

 返事もできない。

 ただ、頭の中に浮かぶのは一つのことだけだった。

 

(もし……ファウストが、自分だとバレたら……)

 

 喉が乾く。

 心臓の音がうるさい。

 

(黒夜さんは……)

 

 その先を考えるのが怖い。

 でも、想像してしまう。

 

(どういう処分を……)

 

 優しい人だと思っていた。

 落ち着いていて、気遣いもできて。

 

 でも

 

(敵には……冷酷……)

 

 さっきのコハルの言葉が、頭の中で繰り返される。

 

(そんな……)

 

 じわりと冷や汗が浮かぶ。

 手のひらが少し湿っているのが分かる。

 

(どうしよう……)

 

(どうしようどうしよう……)

 

 頭の中がパニックになる。

 その時だった。

 

 コンコン。

 

 教室の扉がノックされた。

 びくり、と体が跳ねる。

 心臓が一瞬止まったかと思うほどだった。

 

「なんだ?」

 

 アズサが立ち上がり、扉へ向かう。

 私はその背中を、固まったまま見ていた。

 

 ドアが開く音。

 

 そして

 

「ああ、お前か黒夜」

 

 若干うれしそうなアズサの声。

 その名前を聞いた瞬間、全身が硬直した。

 

(え……)

 

「また様子を見に来たのか?」

 

 会話が続く。

 足音が聞こえる。

 ゆっくりと、視線を扉の方へ向ける。

 

 そこにいたのは黒夜だった。

 

 そして。

 

 その後ろから、もう一人。

 静かに現れた人物。

 シスターフッドの――歌住サクラコ。

 

(……え)

 

 頭が追いつかない。

 

 どうしてシスターフッドが…。

 

 どうしてこのタイミングで…。

 

 どうして二人で。

 

(……)

 

 視界が少し揺れる。

 黒夜がこちらに気付く。

 

 視線が合う。

 

 そして、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 サクラコも一緒に。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 足音がやけに大きく聞こえる。

 

(来る……)

 

(来る来る来る……)

 

 心臓の鼓動が速くなる。

 逃げたいのに、体が動かない。

 黒夜が、ヒフミの前で立ち止まる。

 

 穏やかな表情。

 いつもと同じ、優しい雰囲気。

 

「ヒフミさん」

 

 落ち着いた声。

 

「少し、お話したいことがあるのですが」

 

 柔らかく微笑む。

 

「ご一緒に来てもらえませんか?」

 

 その隣で、サクラコ様も静かに微笑んでいる。

 完璧な微笑み。

 非の打ち所がない、綺麗な表情。

 

 なのに

 

(瞳が冷たい……)

 

 そう感じてしまった。

 理由は分からない。

 でも、確かに。

 

 二人とも――

 

 “目だけが笑っていない”ように見えた。

 

(あ……)

 

 限界だった。

 張り詰めていた何かが、ぷつんと切れる。

 

(無理……)

 

 視界がぐらりと揺れる。

 音が遠ざかる。

 

「ヒフミさん!?」

 

 誰かの声が聞こえた気がした。

 でも、それもすぐに消えていく。

 

(ごめんなさい……)

 

 最後にそう思った瞬間。

 意識が、すっと途切れた。

 

――補習授業部の、いつもと変わらないはずだった日常は。

 

 この瞬間、思わぬ形で幕を下ろしたのだった。

 

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