部屋の中の空気は、まるで底の見えない水圧に押し潰されているかのように重く沈んでいた。
呼吸はできる。だが、言葉は簡単には浮かび上がってこない。
不用意に口を開けば、その瞬間に耐えられないと錯覚させる感覚が、場にいる全員の喉元を静かに締め付けていた。
この場で言葉を発する資格を持つ者は限られている。
それは力でも、立場でもない。
この空間の“重さ”に耐えられるかどうか、それだけだった。
黒夜の前には、その資格を当然のように持つ三人が並んでいた。
ミカは、楽しげだった。
まるでこの状況すら娯楽の一部であるかのように、興味深そうに黒夜を見つめている。その視線には圧はない。ただ純粋に「何を言うのか」を期待している光だけが宿っていた。
セイアは対照的に、鋭く、そして容赦がなかった。
視線の奥にあるのは観察と判断。黒夜の言葉一つ、間一つ、そのすべてを逃さず拾い上げる準備が整っている。時間稼ぎや曖昧な答えは許さない――そう告げるように、微動だにしない。
そしてナギサ。
彼女は、何も映していなかった。
感情がないわけではない。だが、それを一切表に出していない。
まるで天秤の針だけを見つめる観測者のように、ただ結果だけを待っている。どちらに傾こうとも、その事実を受け入れる準備が整っている顔だった。
黒夜は、その三つの視線を正面から受け止めていた。
(……この形で話すことになるとは)
内心で小さく息を吐く。
本来ならば、もっと穏やかな形で説明するつもりだった。段階を踏み、状況を整理し、納得を積み重ねていくそういう場を想定していた。
だが現実は違う。
すでに結論を迫られている。
しかも相手は、トリニティの意思決定の中心そのもの。
その場に満ちる圧は、言葉にするならば“静かな暴力”だった。
声を荒げる必要すらない。ただそこに存在しているだけで、相手の思考を試す。
周囲にいる者たちは、誰一人として口を開かない。
アズサも、ハナコも、コハルも、ミネも、サクラコも。
誰もが理解していた。
ここは、自分たちが踏み込むべき場所ではないと。
黒夜は、ゆっくりと息を整えた。
一度だけ、視線を落とす。
そしてすぐに持ち上げる。
逃げ場はない。
だからこそ、言葉は真っ直ぐでなければならない。
「皆さん」
静かな声だった。
だが、その一言で空気の焦点が完全に黒夜へと集まる。
「まず結論から申し上げますが、ヒフミさんを退学にするべきではありません」
言い切る。
間を置かない。
「このまま退学処分にした場合、トリニティ側の損失が大きすぎるからです」
わずかな沈黙。
セイアの視線がさらに細くなる。
「……それは何故だい」
問いは短いだがその裏にあるのは、“納得させてみろ”という要求だった。
黒夜は目を逸らさない。
「ヒフミさんが、結果として一つの学校を救っているからです」
その瞬間、三人の空気がわずかに変わる。
ミカの眉が上がる。
セイアの指がわずかに顎へ触れる。
ナギサの視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。
続きを促す無言の合図。
黒夜はそのまま言葉を重ねる。
「私が調査した限り、ファウストが関与したとされるブラックマーケットの銀行強盗の事件は、単純な事件ではありません。
犯人グループは“覆面水着団”と呼ばれていましたが、その正体はアビドス高等学校の生徒たちでした」
ミカが小さく「ふ~ん」と呟くように言い、セイアは何も言わずに続きを待ち、ナギサは依然として無表情のまま視線だけを動かす。
「彼女たちの目的は金銭ではありません。ゲヘナ学園情報部のデータベースで調べた結果、アビドスの資金の流れに不自然な変化はなく、奪われた金も長期的に保持されていない可能性が高い」
言葉を選びながら、しかし止めない。
「つまり、この事件は“奪うための犯行”ではなく、“別の目的のための手段”だったと考えられます」
セイアがわずかに頷く。
「続けてくれ」
黒夜はその視線を受けながら言葉を繋ぐ。
「そして、その事件を契機にアビドスとトリニティの接点が生まれています」
一瞬、ナギサへ視線を向ける。
「ヒフミさんがナギサ様に直接、アビドス支援の要請を行った件です。覚えていらっしゃいますね」
ナギサはすぐに応じる。
「ええ、覚えています」
それ以上は語らない。
だが、その一言で十分だった。
黒夜は頷き、結論へ繋げる。
「つまりヒフミさんは、結果としてアビドスの存続に関わる行動を取っている。
悪意による犯行ではない上に、実質的には一校を救っていると言っても過言ではありません。
ヒフミさんを切り捨てた場合、アビドス側の反応は無視できません」
空気が再び重くなる。
ミカが腕を組みながら、少し考えるように視線を動かす。
セイアが先に口を開く。
「なるほど、言いたいことは分かった」
そのまま続ける。
「だが、トリニティに銀行強盗の関係者がいるという事実は、それ以上の外交リスクだ」
ミカも軽く肩をすくめながら続ける。
「そうだね~、私も同じ意見かな。生徒一人とトリニティ全体、どっちを取るかって言われたらさ、答えは簡単じゃん」
ナギサも静かに言葉を添える。
「黒夜さんの意見は理解しました。それに個人的にもヒフミさんを助けてあげたいですが、ティーパーティーの立場としてはリスクが大きすぎます」
三方向からの否定。
だが、それは予想通りだった。
黒夜は一歩も引かない。
「……では、もう一点。アビドスには“小鳥遊ホシノ”という人物が在学しています」
三人の反応は薄い、知らない名前だったからだ。
「アビドス廃校対策委員会の委員長であり、ゲヘナ学園の要注意警戒対象リスト最上位に記載されている人物です」
セイアの目がわずかに細くなる。
黒夜は言葉を選ばずに続けた。
「三人にも分かりやすく言えば、ゲヘナ学園が戦争をする場合、全戦力を投入しなければ勝てない可能性がある存在です」
今度は、意味が伝わった。
ミカの表情がわずかに変わる。
セイアの指が止まる。
ナギサの瞳が、ほんの僅かにだけ深くなる。
黒夜は言葉を置く。
「つまりヒフミさんを排除した場合、その人物が敵に回る可能性があります」
それ以上は言わない、必要な情報はすでに揃っている。
三人は、同時に目を閉じた。誰も言葉を発さない。
ただ、それぞれの中で計算が始まる。
黒夜は静かに、その沈黙を受け止めていた。
診察室の中で、時間だけがゆっくりと流れていく。
沈黙は、決して途切れてはいなかった。
ただ形を変えただけだった。
先ほどまでの重圧は、今は“思考”という形に変わり、三人の内側へと沈んでいる。誰も口を開かないまま、それぞれが別々の結論へと辿り着こうとしていた。
やがて、その均衡を破ったのはセイアだった。
閉じていた瞳が、ゆっくりと開かれる。
その視線はすでに迷いを含んでいない。
「なるほど」
静かな声が、空気の底をなぞるように落ちる。
「確かに“小鳥遊ホシノ”と敵対するのは脅威だ」
一度、言葉を区切る。
黒夜をまっすぐに見据えながら、続ける。
「だが……それでも阿慈谷ヒフミをトリニティで庇うほどの理由にはならないのではないかな」
問いの形をしているが、その実、結論は半ば決まっている声音だった。
セイアはそのまま視線を外さず、淡々と言葉を重ねる。
「アビドスに事情を説明することも可能だろうし……」
わずかに顎を引く。
「最悪の場合、アビドス側に責任を負わせることもできる」
その一言で、空気の温度がわずかに変わる。
ミカの口元が、ほんの少しだけ吊り上がる。
ナギサの視線が、ゆっくりとセイアへ向く。
セイアは続ける。
「そして、その上で連邦生徒会へ報告する」
「そうすれば、物理的にも政治的にも手出しはできなくなる」
言葉は滑らかだった。
迷いがない。
「仮にアビドスが動けば――」
わずかに視線を細める。
「加害者がアビドス、被害者がトリニティという構図が成立する」
そこまで言って、初めて言葉を止める。
「どちらに転んでも、我々に損はない」
残酷な結論だった。
部屋の空気が、わずかに傾く。
ミカが軽く肩を揺らす。「うわーセイアちゃんえっぐいね」と呟きながら、どこか楽しげに頷く。
ナギサも静かに目を閉じ、ほんの短い思考の後、何も言わずに肯定の意思を示す。
それで十分だった、三人の意思が揃う。
つまり、それが“トリニティの総意”になる。
黒夜は、その流れを見ていた。
(……そう来ますか)
今のままでは、天秤は確実に向こうへ傾く。
ならば――
黒夜は、わずかに視線を動かしヒフミへ向ける。
その動きに、ミカもナギサもセイアも、すぐに気付く。
だが誰も止めない。
黒夜は静かに口を開く。
「ヒフミさん」
声は穏やかだった。
だが、その奥にあるものは明確だった。
「一つだけ、確認させてください」
ヒフミの肩がわずかに揺れる。
「……嘘は無しで、お願いします」
「この事件に、先生は関わっていますか」
その言葉が落ちた瞬間、空気が再び変わる。
ヒフミの表情が一瞬だけ固まる。
視線が揺れる。
だが、逃げるようには逸らさない。
「……はい」
小さく息を吸う。
そして、はっきりと。
「先生も関わっています」
その言葉は、迷いなく落ちた。
黒夜は、ほんのわずかにだけ目を閉じる。
(……やはり予想していた通り)
必要な条件が揃った。
再び視線を三人へ戻す。
「ありがとうございます」
一言だけ、ヒフミへ告げる。
そしてそのまま、セイアへ向き直る。
「セイア様」
言葉を選ぶ。
だが躊躇はしない。
「今の情報で、前提が変わりましたね」
セイアの視線が、わずかに鋭くなる。
黒夜は続ける。
「この件にシャーレの先生が関わっている場合、連邦生徒会を巻き込むことはできません」
静かに言い切る。
「仮にそれを行えば、問題はヒフミさん個人の処分では済まなくなります」
「先生の立場そのものに影響が出る可能性があります」
ミカの眉がわずかに動く。
ナギサの視線が、ゆっくりと下がる。
セイアは、何も言わない。
ただ、考えている。
先ほどまでの構図が、静かに崩れていく。
黒夜はその様子を見ながら、内心で呼吸を整える。
これ以上はない…出せる情報は、すべて出した。
もしここで天秤が傾けば――
(……ヒフミさんを守れない)
その思考を、意識的に押し込める。
顔には出さない。
視線も、呼吸も、崩さない。
ただ静かに、その場に立ち続ける。
時間が、ゆっくりと流れる。
誰も動かない。
誰も口を開かない。
やがてセイアが、再び目を開いた。
その視線は、先ほどとは違っていた。
何かを決めた後の、静かな色。
「……わかった」
その一言が、場の均衡を変える。
「阿慈谷ヒフミの退学処分は、取りやめよう」
ヒフミの指先が、わずかに動く。
黒夜は何も言わない。
ただ、その言葉を受け止める。
セイアは続ける。
「ただし」
黒夜の視線が、わずかに上がる。
「条件がある。君が持っている“小鳥遊ホシノ”に関する情報を、すべて共有してほしい」
視線はまっすぐだった。
「それで今回は不問とする」
黒夜は、ゆっくりと息を吐く。
「……承知しました」
その一言は、確かに届いた。
ミカが軽く笑う。「まあいいんじゃない?」と肩をすくめながら、「黒夜、結構頑張ってたしさ」と言葉を添える。
ナギサも小さく頷く。「私としても異論はありません」と、静かに同意する。
それで決まった。
この件は、終わった。
黒夜の肩から、わずかに力が抜ける。
ほんの一瞬だけ、緊張が緩む。
その瞬間だった。
両肩に、力がかかる。
反射的に視線を横へ向ける。
ミカが、すぐ隣にいた。
その反対側にはナギサ。
二人とも、妙に整った笑顔を浮かべている。
「……さてと」
ミカが言う。
「政治の話は終わったしさ」
ナギサが、ゆっくりと言葉を重ねる。
「次は、別の話をしましょうか」
黒夜の背筋に、嫌な予感が走る。
ミカが覗き込むように顔を近づける。
「ねえ黒夜、さっきの“お姫様抱っこ”の話、ちゃんと聞いてないよね?」
ナギサが微笑む。
「執務室で、ゆっくりお話を伺いましょう」
その手に、逃がす意思はなかった。
黒夜は、抵抗しなかった。
いや、できなかった。
そのまま、引かれるようにして歩き出す。
連れて行かれる黒夜の背後で、セイアが小さく息を吐く。
「やれやれ、二人とも加減はしてあげなよ」
呆れとも、諦めともつかない声音。
その足音が、静かに後に続いた。
そうして診察室には、再び平穏が戻る。
ただ、先ほどまでとは違う。
ほんの少しだけ、空気が軽くなっていた。
残されたヒフミ達の安堵の溜息が静かに続いていた。
◆
後日、ゲヘナ学園にて――
万魔殿の会議室は、外の喧騒とは切り離されたように静かだった。
重厚な扉の向こうでは、相変わらず銃声や爆発音が遠くで混ざり合っているはずなのに、この部屋の中にはそれがほとんど届かない。
遮音のための造りというよりは、意図的に“切り離されている”ような、そんな不自然さすら感じさせる静寂だった。
黒夜はその中央に立っていた。
対面の椅子には、万魔殿議長のマコトが足を組んで座っている。
肘掛けに片腕を預け、頬に軽く手を添えながら、黒夜の報告を聞いていた。
「――という経緯です」
黒夜は、言葉を整えながら話を締めくくる。
「情報部に保管されていた“小鳥遊ホシノ”に関する情報をやむを得ずティーパーティーに提供しました」
視線は逸らさない。
「ですが、その結果として三人から譲歩を引き出すことができました」
一瞬だけ、間を置いて少しうれしそうにしながら。
「……私も、多少は駆け引きができるようになった、と言っていいのかもしれませんね」
言葉の最後に、わずかな柔らかさが混じる。
それは誇示ではない。だが、自分なりの手応えがあったことを、否定しない響きだった。
その言葉を受けて。
マコトは、何も言わなかった。
ただ――
肩が、わずかに揺れていた。
黒夜は気付く。
「……?」
違和感を覚えた、その瞬間だった。
「クク……」
押し殺したような音が漏れる。
次の瞬間、それは弾けた。
「あーっはっはっは!!」
会議室の静寂を一瞬で塗り替えるような、遠慮のない笑い声だった。
マコトは椅子に深く背を預けたまま、腹を抱えるようにして笑っている。
「やめてくれ……っ、ほんとに……!」
呼吸を整えようとしているのか、それともまだ笑いを堪えきれていないのか、その境界が曖昧なまま言葉を続ける。
「笑い死ぬかと思った……!」
黒夜は、ただ立っていた。
理解が追いつかない。
何が、そこまで可笑しいのか。
「……?」
視線が、わずかに揺れる。
マコトはしばらく笑いを引きずったまま、ようやく息を整える。
「はぁ…はぁ…」
深く息を吐く。
そのまま、黒夜を見上げる。
口元には、まだ笑いの余韻が残っていた。
「わかってないな、黒夜」
その言葉は軽かった。
だが、内容は違う。
「お前は“譲歩を引き出した”つもりでいるみたいだが……それは完全に勘違いだ」
黒夜の眉が、わずかに動く。
「……ですが」
言葉を返そうとする。
だがマコトは、それを待たずに続けた。
「違うんだよ」
椅子に体を預けたまま、指先で机を軽く叩く。
「お前はな、あの三人に“遊ばれてただけ”だ」
その言葉が落ちた瞬間、黒夜の中で何かが引っかかる。
記憶が、自然と遡る。
診察室の空気。
三人の視線。
あの沈黙。
(……遊ばれていた?)
その意味を咀嚼するよりも先に、マコトが口を開く。
「まずな」
楽しそうに言う。
「最初に空気を重くされた時点で、あれは“試し”だ」
軽く指を立てる。
「小手調べってやつだな」
黒夜は黙って続きを聞く。
「そこで黙り込むようなら、そこで終わりだ。まぁ、その点は問題なかったな」
一瞬だけ、口元が歪む。
「私が鍛えてやっただけはある」
その言葉に、わずかに皮肉が混じる。
だが、それ以上は触れない。
そのまま楽しそうにマコトは続ける。
「問題はその後だ、銀行強盗の話の真相を出したところまではいい」
「だが否定された瞬間、粘らずにすぐに次の情報を出しただろ?」
黒夜の視線が、わずかに落ちる。
「……」
答えは、返さない。
だが、それで十分だった。
マコトは楽しげに笑う。
「そこで見られてるんだよ」
「“こいつの手札は後どれくらいあるのか”ってな」
ゆっくりと言葉を置く。
「つまり、お前の“駆け引きの練度”は、あの時点で大体把握されてる」
黒夜の指先が、わずかに動く。
だが、それだけだった。
マコトはさらに続ける。
「そこからは簡単だ」
肩をすくめる。
「無理筋でもいいから否定してやればいい」
「そうすればお前は、勝手に情報を吐き出す」
クククと笑う。
「だってそうだろ?」
視線を上げる。
「“正しいことを言ってる”自覚があるやつほど、否定されると証明したくなる」
言葉を区切る。
「それを、順番に引き出していくだけだ」
黒夜は何も言わない。
ただ、聞いている。
「で、結果どうなった?」
マコトが問いかける。
「お前は、持ってる情報を全部出した。向こうは、それを聞いた上で判断しただけだ」
静かに言う。
「譲歩したんじゃない」
「最初から、そこに落とすつもりだったのだろう」
黒夜の中で、何かがゆっくりと繋がる。
あの時の重苦しい空気
鋭い視線
沈黙
(……ああ)
理解が、遅れて追いついてくる。
マコトは笑いながら続ける。
「例えるならな」
少し考えるように視線を上げる。
「策謀と政治の場に、場違いな子犬が一匹迷い込んできた感じだ
で、キャンキャン吠えてるのを見て…順番に頭を撫でて遊んでやった、ってとこだな」
その言葉に、黒夜の耳が熱くなる。
「……」
何も言えない。
マコトはさらに追い打ちをかける。
「で、その“かわいい子犬”がな」
肩を震わせる。
「“うまくやりました!”って顔で報告に来るんだぞ?」
思い出したのか、また笑いがこぼれる。
「そりゃあ、笑うだろ」
黒夜は、ゆっくりと視線を落とした。
先ほどの自分を思い返す。
言葉
表情
すべてが、今になって違う意味を持って見えてくる。
(……ああ……)
顔が、じわりと熱を持つ。
誤魔化しようがない。
「……すみません」
小さく、そう呟く。
マコトはその様子を見て、楽しそうに笑う。
だが、すぐにその笑みは少しだけ柔らかくなる。
「まぁそれでもだ」
軽く手を振る。
視線を黒夜へ向ける。
「そんな無邪気さがあるから、あの三人に気に入られてるんだろうな」
その言葉は、先ほどまでとは違っていた。
黒夜は顔を上げる。
マコトは続ける。
「小鳥遊ホシノの情報なんてな」
肩をすくめる。
「遅かれ早かれ、トリニティも掴んでたさ。情報は鮮度が命だ、そういう意味じゃ、使い方は悪くない」
わずかに笑う。
「及第点くらいはやる」
黒夜は、静かに息を吐いた。
「……まだまだですね」
その言葉に、重さはなかった。
ただ、事実として受け止めている響きだった。
マコトは満足そうに頷く。
「当たり前だろ」
軽く言う。
「策謀渦巻くトリニティの頂点がティーパーティーだぞ?」
視線を細める。
「私ならともかく、お前じゃ役者不足だ」
そのまま、楽しげに続ける。
「どうだ、また鍛えてやろうか?」
黒夜は少しだけ考え、そして頷く。
「そうですね……時間がある時に、お願いするかもしれません」
マコトの口元が、さらに緩む。
椅子に深く座り直す。
「いいぞ、その時を楽しみにしてる。約束だからな!」
会議室の空気が、少しだけ軽くなる。
外の音が、わずかに戻ってくる。
黒夜はその場に立ったまま、静かに息を整える。
胸の奥に残っていたものが、ゆっくりと形を変えていく。
恥ずかしさもある。
悔しさも感じる。
それでも――
(……いい経験でした)
わずかに視線を上げる。
ティーパーティーの三人。
普段の穏やかな姿。
そして、あの場で見せた“別の顔”。
そのすべてが、今ははっきりと繋がって見えていた。
黒夜は、何も言わずにその感覚を受け止める。
会議室の中で、時間が静かに流れていく。
その流れの中で、黒夜はひとつだけ確かなことを理解していた。
――あの人達を相手取るには、まだ自分は早い。
だがいつか、そこに立つための一歩ではあったのだと思うのだった。