ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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もう一つのティーパーティー ~2~

 あれから数日が経っていた。

 時間だけを見れば短い。だが、その間に重ねられた準備と、何度も繰り返した想定と検討の密度は、日数以上の重さを持っていた。

 そしてその準備が整ったと、先生から連絡が入った。

 

 場所はシャーレ。

 

 指定された時間、黒夜、ナギサ、ミカ、セイアの四人は会議室に集まっていた。

 シャーレの会議室は、トリニティのそれとはまた違う空気を持っている。整然としているのは同じだが、どこか“外部”との接続を前提とした機能性が前に出ている。

 壁面のモニター、整えられた資料棚、無駄のない配置。

 そこに四人が並ぶと、妙に静けさが際立った。

 誰も無駄口を叩かない。

 ただ、時間を待つ。

 

 ナギサはいつも通りに背筋を伸ばし、トリニティの代表としての態度を崩していない。

 ミカは椅子に浅く腰掛け、足先をわずかに揺らしているが、その視線は真っ直ぐ前を見ていた。

 セイアは目を閉じたまま、何かを整理しているように見える。

 黒夜はほんのわずかに、呼吸を意識していた。

 

(……大丈夫だ)

 

 自分に言い聞かせる。

 ただの“交渉”ではない。

 相手は、ゲマトリアの一員。

 

 事前に聞かされていた情報は断片的だが、それでも十分すぎるほど危険な存在だと理解できる。

 緊張しない方が無理だ。

 

 その時扉が開く。

 

 軽い音とともに、先生が姿を見せる。

 

「ごめん」

 

 少しだけ手を上げる。

 

「少し待たせちゃったね」

 

 その口調は、いつもと変わらない。

 だが、その奥にある緊張を、四人は見逃さなかった。

 

「黒服と会う場所が決まったから、行こう」

 

 その一言で、場の空気が切り替わる。

 ナギサが静かに立ち上がる。

 ミカもそれに続き、セイアも目を開いて席を離れる。

 黒夜も一歩遅れて立ち上がる。

 

「……はい、わかりました」

 

 短く答え、先生の後ろに付く。

 廊下を歩く足音が、やけに響く。

 誰も無駄な会話をしない。

 シャーレの外へ出ると、いつもの街の風景が広がっている。

 

 生徒たちの行き交い、車の音、遠くのざわめき。

 よくある日常風景が広がっていた。

 だが、これから向かう場所は、その延長ではない。

 移動の間、黒夜は無意識に周囲を観察していた。

 

 先生の背中。

 ナギサたちの歩幅。

 街の気配。

 

 すべてがいつも通りに見えるのに、自分の中だけが少しずれているような感覚。

 やがて、目的地へと辿り着く。

 そこはどこにでもありそうな、ファーストフード店だった。

 

 看板は見慣れたもの。

 外観も、特に変わったところはない。

 

 一瞬、足が止まる。

 黒夜は思わず口を開いた。

 

「先生……約束の場所は、本当にここですか?」

 

 その問いは、疑問というより確認に近かった。

 先生が、少しだけ困ったように笑う。

 

「うん……黒服の指定した場所が、ここなんだ」

 

 言い訳のような、説明のような。

 

「とりあえず入ってみよう」

 

 そう言って、扉に手をかける。

 黒夜はわずかに息を吸い、ナギサたちと視線を交わす。

 誰も反対しない。

 そのまま、店内へ入る。

 

 店内は外の世界の切り離したかのように静かだった。

 異様なほどに…通常なら、注文の声や調理の音、客の話し声が混ざるはずの空間。

 

 だが、今は何もない。

 

 照明は点いている。

 設備も整っている。

 

 だが、“人の気配”がない。

 黒夜の視線が店内を滑る。

 

 カウンターは無人。

 厨房も動いていない。

 

 そして、そんな店内のテーブル席に――それはいた。

 

 黒いスーツ整っているはずの輪郭が、どこか曖昧で、光を吸い込むような質感。

 身体は影のように黒く、輪郭が不自然に揺らぐ。

 右目の位置に、白く発光する一点。

 そこから、顔全体に亀裂のような光が走っている。

 それは“顔”と呼ぶには、あまりにも異質だった。

 

 一目で分かる、人ではない。

 

 だが“存在”としてそこにある。

 先生が、わずかに声を落とす。

 

「……黒服」

 

 その名前を聞いた瞬間、ナギサとミカ、セイアの視線が一斉に鋭くなる。

 

 観察。

 

 評価。

 

 距離。

 

 それぞれが瞬時に測っている。

 先生は躊躇なく歩み寄る。

 そのままテーブルの対面に腰を下ろす。

 黒服が、ゆっくりと顔を上げる。

 

「クックっク……」

 

 低く、乾いた笑い。

 

「まさか、先生の貴方から連絡があるとは思いませんでしたよ……」

 

 先生は、肩の力を抜いたまま答える。

 

「僕も、するつもりはなかったよ」

 

「でも、生徒たちが困っているなら、話は別さ」

 

 黒服が、わずかに首を傾ける。

 

「相変わらず……」

 

 ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「その在り方は、お変わりないご様子で安心しましたよ」

 

 軽い応酬。

 だが、その裏にあるものは軽くない。

 黒夜はそのやり取りを見ながら、二人の関係性を測る。

 

 敵対ではない。

 だが、友好でもない。

 

 一定の距離を保ったまま、互いを理解している関係。

 

(……厄介そうだな)

 

 黒夜は心の中で呟く。

 このまま立っているのも不自然だと判断し、ナギサたちと共に隣のテーブルへ移動して椅子に座る。

 だが、完全に背を預けることはしない。

 

 いつでも動ける姿勢。

 

 黒服の視線が、こちらへと滑る。

 白い発光が、一瞬だけ強くなるように見えた。

 

「今回の連絡も……」

 

 ゆっくりとこちらの反応を楽しむかのように。

 

「この生徒たちのため、ですか?先生」

 

 先生は即答する。

 

「そうだ。お前に聞きたいことがあって、連絡させてもらった」

 

 黒服が、わずかに指先を動かす。

 

「ふむ……」

 

 考える仕草。

 

「それで?私をわざわざ呼び出してまで、聞きたいこととは何ですか?」

 

 先生は、ポケットから手鏡を取り出す。

 それをテーブルの上に置く。

 

「まず、これだ」

 

 黒服の視線が、鏡に落ちる。

 

「これは?」

 

 手を伸ばし、ゆっくりと持ち上げる。

 角度を変え、光を反射させる。

 

「……ほう」

 

 興味深そうな声。

 

「どうやら、ただの鏡ではなさそうですが……」

 

 一瞬の沈黙。

 

「私には、これが何なのか分かりませんね」

 

 その答えは、あまりにもあっさりしていた。

 先生が、じっと黒服を見る。

 

「……本当に知らないんだな?」

 

 念押しするが、黒服は肩をすくめるような仕草をする。

 

「嘘ではありませんよ」

 

 淡々と答える。

 黒夜は、わずかに息を吐く。

 期待していた答えではない。

 だが、完全な無駄でもない。

 “知らない”という情報もまた、意味を持つ。

 

(……なら、もう一つ)

 

 黒夜が思考を切り替えるより先に、先生が口を開く。

 

「わかった」

 

 短く言う。

 

「鏡については、もういい」

 

 黒服が、わずかに視線を上げる。

 先生は続ける。

 

「次に――」

 

 ほんの一瞬、間を置く。

 

「“テラー化”という言葉に、聞き覚えはあるか?」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 黒服の空気が、変わる。

 わずかにしかし確実に。

 その変化を、黒夜たちは見逃さなかった。

 

 黒服は、ゆっくりと視線を動かす。

 先生から、黒夜たちへ。

 一人一人をなぞるように。

 その視線は、先ほどまでのものとは違っていた。

 観察ではない。

 

“未知への観察”

 

 そして――

 

「……ククク」

 

 わずかに笑い、愉悦を含んだ声。

 

「なるほど、これは……興味深い話になってきましたね」

 

 その一言でこの場の空気が変わったのを感じた。

 黒服の白い発光が、わずかに強く揺らいだ。

 先ほどまでの“興味”とは違う。

 問いを投げ返す側に回った者の、確信に近い光。

 

「先生は――」

 

 低く、しかしはっきりとした声が店内に落ちる。

 

「どこでその言葉を知ったのですか?いつ?誰から?」

 

 畳みかける様に聞いてくる。

 

「詳しく聞かせてください」

 

 その問いは、単なる確認ではない。

 “主導権”を奪い返すためのものだった。

 

 先生の指先が、わずかに動く。

 

「……っ」

 

 ほんの一瞬、言葉に詰まる。

 だが、すぐに視線を上げる。

 

「いや、先にテラー化について話せ」

 

 短く、鋭く返す。

 そのやり取りは、すでに交渉の形を取っていた。

 黒服は、ゆっくりと背もたれに体を預ける。

 

「ふむ……」

 

 わずかに首を傾ける。

 

「このままでは、平行線ですね」

 

 そしてほんのわずかに口元を歪めた。

 

「では、お話しする前に“教えることに対する報酬”を請求しましょうか」

 

 軽く指を組み、発したその言葉に、先生に緊張が走る。

 黒服は、そのまま視線を黒夜に滑らせる。

 先生から、ナギサ、ミカ、セイアへ。

 

 そして――

 

黒夜で止まる。

その時黒夜の背筋に、冷たいものが走る。

 

「私が求めるのは」

 

 淡々と当たり前のように。

 

「月城黒夜さんの身柄です」

 

 その宣言は、あまりにも静かだった。

 だが、その意味は、あまりにも重い。

 黒夜は、一瞬理解が追いつかなかった。

 

 自分の名前。

 

 “身柄”

 

 それが意味するものを理解した瞬間、思考が遅れる。

 

(……なぜ、私が)

 

 黒夜には分からないが、何か理由があることだけは、直感的に分かる。

 先生の視線が、鋭く黒服へ向く。

 ナギサ、ミカ、セイアの三人も同時に動く。

 言葉よりも先に殺気が空気に滲む。

 温度が露骨に下がる。

 黒服の前に、見えない刃が並ぶ。

 その中心で、先生が言い切る。

 

「断る!」

 

 一切の迷いのない声。

 

「黒夜は、大事な僕の生徒だ」

 

 視線を逸らさない。

 

「お前如きに渡すわけない!」

 

 一歩も引かない。

 そして、続ける。

 

「それにお前が黒夜の身柄を求める理由が分からない…嫌がらせか?」

 

 黒服は、その視線を真正面から受け止める。

 

「ククク……そんなわけ無いでしょう?」

 

 小さく笑いながら肩をすくめるような仕草。

 

「もちろん理由なら、ありますよ」

 

 黒夜へと視線を向ける。

 

「彼はヘイロー破壊爆弾を使われて生存した、珍しい被検体です」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 空気が凍る。

 黒夜の呼吸が、一瞬止まる。

 

「正直言って――」

 

 黒服の声は、どこか楽しげだった。

 

「興味が尽きません」

 

 次の瞬間。

 

 ――銃口が向けられていた。

 

 三つの殺気と共に黒服の頭部へ。

 

 ナギサの手に握られた銃が、わずかに揺れる。

 ミカの指が、引き金にかかる。

 セイアの視線が、完全に冷え切る。

 

 ナギサの声は、静かだった。

 だが、その奥にあるものは隠されていない。

 

「黒夜さんを実験動物だとでも思っているんですか?不愉快です!」

 

 ミカが、低く吐き捨てる。

 

「死にたいなら、そう言いなよ……」

 

 セイアが、わずかに首を傾ける。

 

「次の発言には、気を付けるべきだと思うがね」

 

 その三方向からの圧。

 普通の相手なら、それだけで沈黙する。

 

 だが黒服は、まったく動じなかった。

 

 むしろ――

 

「おぉ怖い怖い」

 

 わざとらしく両手を上げる。

 

「そこまで強く拒否されるなら報酬を変更するべきですね……」

 

 そして、あっさりと条件を下げる。

 

「ではもう一度お聞きします…」

 

 指を一本立てる。

 

「“テラー化”という単語を、いつ、どこで、誰から聞いたのか、それで手を打ちましょう」

 

 その態度に、黒夜は理解する。

 

(……最初から、ここに落とすつもりだった振る舞いだ)

 

 無理な要求を提示し、拒否させる。

 その上で、本命を提示する。

 交渉としては、あまりにも露骨だ。

 

 だがそれでも、成立してしまう。

 

 先生は、短く答える。

 

「……わかった」

 

 余計な言葉はない。

 そのまま、黒夜たちから聞いた経緯を語り始める。

 

 手鏡のこと。

 別世界のティーパーティー。

 そして、彼女たちが語った内容。

 

 黒夜は、自分たちの話が“外部の存在”に渡っていくのを、どこか遠くで聞いているような感覚で受け止めていた。

 先生が言葉に詰まる場面もあった。

 “世界を滅ぼした”という事実を、そのまま言葉にすることへの躊躇。

 

 黒服は、その話を聞きながら――

 

 肩を震わせていた。

 

 笑っている。

 感情が、隠しきれていない。

 明確な歓喜な態度をさらけ出していた。

 

「……そうですか」

 

 低く呟く。

 

「まさか、別の世界ではそんなことがあったなんて……」

 

「私の実験もアプローチを変えるべきかもしれませんね……」

 

 ブツブツと、独り言のように続ける。

 その様子に、黒夜の背筋が冷える。

 

(……マダムとは別方向で危険人物だ)

 

 直感的に理解する。

 この存在は、好奇心で動いている。

 それがどれほど厄介か。

 先生が、低く声を落とす。

 

「おい」

 

 短く呼ぶ。

 

「こちらは話せることは話したぞ」

 

 視線を外さない。

 

「次は、お前が話す番じゃないのか?」

 

 黒服は、わずかに動きを止める。

 

「すいません」

 

 軽く頭を下げるような仕草。

 

「望外な話に、少し興奮してしまいました」

 

 その謝罪は、表面だけのものだとすぐに分かる。

 だが、それでも話は進む。

 

「テラー化について、ですね?」

 

 ゆっくりと、姿勢を正す。

 

「お話ししましょう」

 

「まず、前提知識として――」

 

 黒夜たちへ視線を向ける。

 

「キヴォトスの住人には、大なり小なり“神秘”と呼ばれる力が備わっています」

 

「神秘……?」

 

 黒夜が、思わず呟く。

 黒服が頷く。

 

「そうです」

 

 指先で軽く机を叩きながら続ける。

 

「神秘が宿っているからこそ」

 

 一つ一つ言葉を重ねる。

 

「銃で撃たれても、爆発に巻き込まれても死なない。

 多少の擦り傷程度で済んでしまう」

 

 それは、当たり前だと思っていた現象の名前。

 だが、それを言語化されると、違和感が浮かぶ。

 

「テラー化とは――」

 

 黒服の声が、わずかに低くなる。

 

「その“神秘”が反転し“恐怖”になることを言うのですよ」

 

 その一言で、すべてが繋がる。

 黒夜の中で、像が結ばれる。

 

(……反転)

 

 神秘が、恐怖へ。

 

「私も」

 

 黒服が続ける。

 

「どうにか人為的にテラー化を引き起こそうと研究していましたが――」

 

 わずかに笑う。

 

「まさか、痛みや恐怖を与えるのではなく“深い絶望”でよかったとは、盲点でしたね」

 

 その言葉にナギサ、ミカ、セイアの視線が、わずかに動く。

 そして、黒夜も理解する。

 

(……あの三人は)

 

 黒夜が死んだ。

 その事実、それが引き金となり――

 “絶望”が、神秘を反転させた。

 黒夜は、喉の奥が乾くのを感じる。

 それでも、問いを投げる。

 

「……その、テラー化してしまった者を、元に戻すことはできないのですか?」

 

 わずかな希望。

 だが、それでも聞かずにはいられない。

 黒服は、一瞬だけ沈黙する。

 

「……恐らくですが一度テラーになってしまったら、もう戻れないと考えてください」

 

 その言葉は、あまりにもあっさりしていた。

 黒夜の中で、何かが静かに沈む。

 

 黒服は続ける。

 

「さらに言うなら――」

 

 わずかに肩をすくめる。

 

「テラーは一人でも脅威なのです」

 

 視線が、ナギサたちへ向く。

 

「それが三人…私が言うのも変ですが、テラー化した貴方たちの条件を飲んだ方が身のためだと思いますよ?」

 

 それは忠告だった。

 だが、同時に“宣告”でもある。

 沈黙が落ちる。

 これ以上、聞けることはない。

 

 それ以上に大人の出した結論を聞きたくもなかった。

 

 やがて、席を立つ。

 先生が軽く礼を言い、黒服はそれに応じるでもなく、ただこちらを見送る。

 

 店を出ると外の空気が、やけに軽く感じられる。

 だが、胸の中は重いまま。

 黒夜たちは、言葉を交わさず歩き出す。

 

 途中で先生とも別れトリニティへ向かう帰路の中。

 それぞれが、同じ結論に辿り着いていた。

 

 ――避けられない。

 

 ――止められない。

 

 その現実だけが、静かに胸の内に残っていた。

 

 トリニティ自治区に入り、周りの空気の質がわずかに変わる。

 見慣れた街路、整えられた石畳、朝から続いていた曇り空が、夕刻に向けてゆっくりと色を深めていく。

 日常と呼べるものが、確かにここにはあるはずだった。

 

 ナギサたちとも別れた後、黒夜は一人で歩いていた。足取りはいつもと変わらない。

 だが、その内側では、ナギサ*テラー達の出来事が何度も反芻されていた。

 

 別世界の自分。

 それを守ろうとして、結果として失った三人。

 そして、その果てに至った“終末”

 

 歩きながら、自然と視線が落ちる。石畳の継ぎ目が、やけに規則正しく並んでいるのが目に入る。

 その単調さが、かえって思考を深く潜らせる。

 

 もし、自分だったら。

 

 そんな問いが、何度も浮かぶ。

 

 ナギサ。ミカ。セイア。

 マコト。ヒナ。カヨコ。

 他にも、自分に関わってきた人達の顔が、順に脳裏に浮かび上がる。

 

 その誰かが、理不尽な悪意に晒される。

 その結果守れずに最終的に死んでしまったら。

 

 そこまで想像した瞬間、思考が一度止まる。呼吸がわずかに浅くなる。胸の奥に、鈍い熱が広がる。

 

 ……無理だ。

 

 その結論に至るのに、時間はかからなかった。

 

 同じ状況で自分は世界を呪わずにいられるか?

 そんな問い自体が、意味を持たない。

 

 怒りで我を忘れる。

 絶望で足が止まる。

 そのどちらも、あり得る未来として、あまりにも容易に想像できてしまう。

 

 歩みは止めないまま、黒夜は目を閉じかけて、すぐに開く。思考に沈みすぎるのは危険だと、どこかで理解している。

 あの三人は、自分では耐えられない壮絶な経験をした。

 結果として、一つの世界を終わらせた。

 そこまで考えて、ふと、別の角度からの見方が浮かぶ。

 

――私たちは、怯えすぎていたのではないか。

 

 絶対的な力。

 世界を滅ぼしたという事実。

 

 それに対して、必要以上に恐怖を抱いていたのではないか。

 

 別世界とはいえ、彼女たちはナギサであり、ミカであり、セイアだ。

 それは、変わらない…であれば。

 話し合いが成立しないはずがない。

 

 そう結論づけようとした、その時だった。

 背後から、唐突に何かが触れた。

 

 柔らかい感触が、背中に当たる。

 

 同時に、腕が回される。

 

 抱きしめられている、と理解するまでに、わずかな時間がかかった。

 

「……っ!?」

 

 思考が一瞬で切り替わる。身体がわずかに強張る。反射的に振りほどこうとしかけて――止まる。

 耳元に、聞き慣れた声が落ちたからだった。

 

『も~、考えながら歩いてたら危ないよ~?』

 

 軽い調子。どこか楽しげな響き。

 続けて、もう一つの声。

 

『黒夜さん、貴方はもう少し自分の重要性を理解してください』

 

 落ち着いた声音。だが、わずかに含まれる厳しさ。

 そして、三つ目。

 

『まぁ君はいつだって私たちを想い、自分のことは後回しだからしょうがないさ……』

 

 柔らかく、しかしどこか達観したような口調。 

 その三つを聞いた瞬間、緊張が一度だけ緩む。

 

 聞き慣れた声だった。

 

 何度も、すぐそばで聞いてきた声。

 だからこそ。

 黒夜は振り返りながら、言葉を返そうとした。

 

「さっき別れたばかりだというのに三人共どうしたのですか――」

 

 そこまで言いかけて、言葉が止まる。

 視界に入ってきたのは“色”だった。

 見慣れた白ではない。

 

 黒

 

 ゆっくりと広げられたそれが、夕暮れの光を吸い込むように存在している。

 

 思考が、追いつかない。

 そして、視線を上げ自分を抱きしめている人物の顔を確認する。

 

 黒い衣装。

 黒い羽。

 

 そして――

 

 見慣れた顔。

 

 ミカだった。

 

 だが、違う。

 

 ミカであって、ミカではない。

 

 ミカ*テラー。

 

 喉の奥で、小さく音が鳴る。

 乾いた音だった。

 左右に視線を動かす。

 そこに立っていたのは、同じく黒を纏った二人。

 

 ナギサ*テラーと、セイア*テラー。

 

 二人とも、口元にわずかな笑みを浮かべている。

 その笑みは、どこか柔らかい。

 だが同時に、底が見えない。

 黒夜は、言葉を失ったまま動けなかった。

 想定よりも随分早い、その認識だけが遅れて浮かぶ。

 

 “いつか来る”と聞かされていた存在が、すでに目の前にいる。

 

 三人は、楽しそうに笑った。

 

『サプライズ大成功だね!』

 

 ミカ*テラーが、腕をほどきながら言う。距離が少し開く。だが、その視線は外れない。

 

『私たちが居ることに驚きましたか?』

 

 ナギサ*テラーが、首をわずかに傾ける。その仕草は、いつものナギサと変わらないようでいて、どこか違う。

 

『ふふふ、君のそんな顔を見れるなんて嬉しい誤算だね』

 

 セイア*テラーが、小さく笑う。

 

 その一連のやり取りは、あまりにも自然だった。

 自然すぎて、現実感が希薄になる。

 黒夜は、ゆっくりと呼吸を整える。無理にでも思考を戻す。

 目の前にいるのは、敵か?

 その問いに、即答はできない。

 

 だが少なくとも、今この瞬間において。

 攻撃の意思は感じられない。

 むしろどこか、穏やかですらある。

 その事実が、逆に違和感を生む。

 

 黒夜は、言葉を探す。

 だが、すぐには出てこない。

 沈黙が、わずかに落ちる。

 

 その間も、三人は黒夜を見ている。

 

 観察するように。

 確かめるように。

 

 そして、どこか――

 

 懐かしむように。

 

 その視線の意味を読み取ろうとして、黒夜は一瞬だけ視線を逸らし、すぐに戻す。

 逃げるべきではないと、本能が告げていた。

 

「……」

 

 口を開くが、言葉はまだ形にならない。

 それでも胸の奥で、別の感情がゆっくりと立ち上がる。

 

 恐怖ではない。

 

 戸惑いでもない。

 

――それは希望。

 

 あまりにも楽観的なものだと、自分でも分かっている。

 だが目の前の三人は、“話せる相手”に見えた。

 

 世界を滅ぼした存在。

 

 その事実は、変わらない。

 それでも今この瞬間の彼女たちは、刃を向けてはいない。

 であればまだ、道は残っている。

 黒夜は、ようやく言葉を絞り出す。

 

「……随分と、早い到着ですね」

 

 その一言に、三人が同時に反応する。

 

 わずかに目を細める者。

 楽しげに笑う者。

 静かに頷く者。

 

『待ちきれなかったんだよね~』

 

 ミカ*テラーが、軽く肩をすくめる。

 

『ええ、少し予定を前倒ししました』

 

 ナギサ*テラーが、さらりと言う。

 

『何、いつかは来ていた。時間の問題だっただけさ』

 

 セイア*テラーが、穏やかに付け加える。

 

 黒夜は、その言葉を受け止めながら、ほんのわずかに息を吐く。

 

 逃げ場はないがまだ、終わってもいない。

 夕暮れの光が、四人の影を長く伸ばす。

 重なりそうで、重ならない距離。

 その中で、黒夜は静かに立っていた。

 

 これから何が起こるのか。

 その答えは、まだ見えない。

 

 ただ一つだけ確かなのは実際に相対して最初に感じたのは、自分は彼女達を二度と悲しませたくないと思った事だった。

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