――セイア視点――
――いつからだったろうか。
私が、月城黒夜のことを、
無意識に目で追うようになったのは。
――いつからだったろうか。
黒夜が、
ナギサやミカと楽しそうに話している姿を見るたび、
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるようになったのは。
――いつからだったろうか。
彼がどこか遠くを見ているような、
何かを抱え込んだ横顔を見て、
その重さを、少しでも支えてあげたいと、
思うようになったのは。
……本当は
私は、ちゃんと覚えている。
すべての始まりを。
それは、
私が彼に――
救われた、あの日からだ。
◆
私が初めてティーパーティーに迎えられた日のことは、
今でもはっきりと覚えている。
緊張で胸がいっぱいで、
背筋を伸ばしながらも、
どこか足元が不安定だった。
会議室に入るとそこには、
すでに二人がいた。
ナギサとミカ。
二人は幼い頃からの付き合いだと聞いていた。
言葉を交わさなくても通じ合う距離感。
自然に並ぶ立ち位置。
視線ひとつで分かり合えるその関係性。
……正直に言えば。
羨ましかった
同時に、胸の奥に、
小さな棘のようなものが刺さった。
私は後から来た存在。
彼女たちの間に、
入り込んでいいのか分からず、
ぎこちなく微笑むことしかできなかった。
ナギサは、丁寧で、
優しかった。
ミカは、明るくて、
無邪気だった。
二人とも私に対して優しく接してくれたが、
それでも
どこか、距離を感じてしまう自分がいた。
――私は、ここにいていいのだろうか。
そんな不安を抱えたまま、
日々は過ぎていった。
◆
トリニティには表向きの秩序がある。
だが、その裏側で、
派閥というものが、
確かに存在していた。
病弱で、大人しく、武力も無く
自己主張の少ない私は、
とても分かりやすい標的だったのだと思う。
最初は、
気のせいだと思っていた。
通りすがりの小さな舌打ち。
聞こえるか聞こえないか、
ぎりぎりの陰口。
廊下ですれ違う時に、
わざと肩をぶつけられる。
……それでも、必死に我慢していた。
騒ぎを起こしたくなかったし、
ナギサやミカに、
余計な心配をかけたくなかった。
けれど
ある日
誰もいないはずの場所で
突然、後ろから髪を引っ張られた。
「……っ!!」
声が喉に詰まる。
汚い言葉が耳元で囁かれる。
私は何も言えず、
ただ俯いた。
――心が折れかけていた。
その時だった。
「――何をしている外道共」
低くしかしはっきりとした声。
振り返ると、
そこにいたのは、
月城黒夜だった。
いつもと変わらない、
落ち着いた表情。
けれどその瞳は、
明確な怒りを宿していた。
「……私の主に」
黒夜は一歩踏み出し、
私の前に立つ。
「汚い手で触れるな」
その一言は鋭く、
迷いがなかった。
空気が一瞬で凍りつく。
相手は、言い返すこともできず、
舌打ちをして、
逃げるように去っていった。
私はその場に立ち尽くしていた。
震える手
早まる鼓動
黒夜は私の方を振り返り、
声の調子を落とした。
「……大丈夫でしたか?
セイア様」
その声は驚くほどに、
優しかった。
私は何度か瞬きをしてから、
小さく頷いた。
「……ああ、君が駆け付けてくれたから大丈夫だったよ…」
それだけで精一杯だった。
黒夜はそれ以上、
何も聞かなかった。
ただ私の歩調に合わせて、
静かに隣を歩いてくれた。
――それがどれほど救いだったか。
◆
あの時からだ。
私が彼を意識するようになったのは。
黒夜が誰かのために怒れる人だと、
知ってしまったから。
自分よりも他人を先に守れる人だと、
分かってしまったから。
そしてそんな人が、
いつもどこか、一人で何かを抱えているように見えたから。
――今度は私が支えたい。
そんな気持ちが、いつの間にか、
胸の中に芽生えていた。
◆
……ぱちり。
唐突に目が覚める。
朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
「……そうか」
私は、小さく息を吐く。
「昔の夢を…見ていたのか」
懐かしい、私と黒夜の思い出。
胸の奥が、
じんわりと温かい。
朝からこんなにも穏やかな夢を見るなんて。
……不思議だ。
何の根拠もないのに、
心が軽い。
「今日は……」
ベッドから起き上がり、
窓の外を見つめる。
「きっと、素晴らしい一日になる予感がする」
理由は分からない。
ただ。
胸の奥で、確かにそう感じていた。
◆
今日はどうにも、黒夜の様子がおかしい。
そう感じるようになったのは、
朝からだっただろうか。
明確なきっかけがあったわけではない。
けれど、気づけば私は、
彼の視線を感じる回数が、
明らかに増えていることに気づいてしまった。
会議中。
廊下を歩いている時。
ちょっとした雑談の最中でさえ。
ふと顔を上げると、そこに黒夜の視線がある。
まるで、私の様子を確認するのが、
当たり前であるかのように。
「セイア様、本日の予定ですが――」
朝の始まりから、
黒夜は私の隣にいた。
書類を整え、
移動の時間を調整し、
体調への配慮まで、
いつも以上に細かい。
「少し歩く距離が長くなります。
途中で休憩を挟みましょうか?」
「このお茶は、今日は少し温めにしてあります」
「昼食は、胃に負担の少ないものを手配しました」
……気づけば。
一日を通して、ほぼ付きっ切りだった。
もちろん、今までも黒夜は、
私をよく気にかけてくれていた。
けれど、今日は明らかに違う。
距離が近い。
それも、物理的な意味だけではない。
「……黒夜」
午後の合間、ふと声をかけると、
彼はすぐにこちらを向いた。
「はい。どうかされましたか、セイア様」
即答。
迷いのない反応。
「……その、今日は随分と、
気を配ってくれているね」
そう言うと、
黒夜は一瞬、ほんの一瞬だけ、
言葉を探すように視線を逸らした。
「……そうでしょうか?普段通りだと思いますが…」
曖昧な返事。
けれど、否定はしなかった。
「少し……気になることがありまして」
「気になることかい?」
「はい。私の杞憂だったら良いのですが…」
それ以上は、
語られなかった。
けれど、その沈黙が、
なぜか胸をざわつかせた。
――違和感。
確かに、
そこには違和感がある。
黒夜は感情を表に出すタイプではない。
行動は常に合理的で、
必要以上のことはしない人だ。
そんな彼がここまで私に付き添う理由。
……それはなぜだ?
その違和感を探ろうとしたが
違和感は、私の中で、
すぐに別の感情に押し流されていった。
――嬉しい
その一言に尽きてしまう。
自分でも驚くほどだった。
黒夜が私を優先してくれること。
私の体調や些細な変化に気づいてくれること。
それが、ただの職務以上のものに、
思えてしまう自分がいた。
……自分でも馬鹿だと思った。
そう思いながらも、
口元が緩むのを、
止められなかった。
◆
夕方
一日の予定を終えようやく一息ついた頃。
「セイア様、今少しよろしいですか?」
黒夜が、いつもより少しだけ、
低い声で呼びかけてきた。
「なんだい?」
「……もし、差し支えなければなのですが…」
一拍
彼はほんの僅かに、
呼吸を整える。
「今度、お時間の空いている日があれば」
その続きを、
私は、なぜか息を詰めて待っていた。
「……二人きりで、
お会いできないでしょうか?」
――え?
一瞬、言葉の意味が、
理解できなかった。
二人きり。
それは、業務の話ではない。
ナギサやミカを含まない、
私と黒夜だけの時間。
「……理由を聞いてもいいかい?」
震えそうになる声を必死で抑える。
「はい」
黒夜は、私をまっすぐに見た。
「セイア様とゆっくり話をしたいと、思いまして
出来れば少し相談に乗ってもらえたらなと…」
それだけだった。
曖昧で、はっきりしない理由。
けれど。
それ以上に胸を満たすものがあった。
それは黒夜に頼られたという歓喜だった。
◆
――違和感。
確かにある。
今日の黒夜は、どこかいつもと違う。
何かを確かめるように、
私の傍を離れず、距離を縮めてくる。
その理由を、彼は語らない。
それなのに。
私は、その違和感を、
拒むことができなかった。
それどころか。
「……わかった」
自然と、そう答えていた。
「近々空いている日をモモトークで送っておくよ
それでいいかい?」
黒夜の表情がほんの少しだけ和らぐ。
「ありがとうございます。セイア様」
その一言で、胸の奥が、
じんわりと熱くなる。
◆
――おかしい。
本当におかしい。
分かっているのに。
喜びの方が、
ずっと大きかった。
黒夜が、私を選んでくれたこと。
黒夜が、私と向き合おうとしてくれたこと。
黒夜が、私を頼ってくれたこと。
それだけで、心が浮き立ってしまう。
――もし、
これが勘違いだったとしても。
それでも。
今日という一日は、
確かに私にとって特別だった。
違和感を抱えたまま、
それを胸にしまい込み、
微笑んでしまう自分。
……弱いね、私は。
それでも。
黒夜の隣にいる時間が、
こんなにも心地よいのなら。
今は、
それでいいと、
思ってしまった。
その日は、気づけばもう夜になろうとしていた。
空が群青色へと沈み、トリニティの街並みが静けさに包まれる頃、私は自室で黒夜を待っていた。
普段なら決して自分の私室に他人を招くことなどしない。ましてや異性など論外だ。それでも今日だけは、不思議と抵抗がなかった。
むしろ、胸の奥に小さな灯りがともっているようで、彼が来るのを心待ちにしている自分がいた。
コン、コン。
控えめなノックの音。
「……どうぞ」
扉を開けると、そこにいたのはいつもと変わらない黒夜だった。整った身なり、穏やかな表情、しかしどこか張り詰めた空気。
けれどそれを“違和感”として認識する前に、私は彼を室内へ招き入れていた。
「お邪魔します、セイア様」
「ああ……来てくれて、うれしいよ」
短い挨拶。それだけなのに、胸が少しだけ高鳴る。二人きりで過ごす時間。
その事実が、私の心を浮き立たせていた。
夕食の時間だった。私が何か用意しようとすると、
黒夜は静かに首を振り、「今日は私が作ります」と言った。
その声音には迷いがなく、断る理由も見つからなかった。
キッチンに立つ彼の背中を、私はダイニングの椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと眺めていた。
包丁を握る手つきは慣れていて、火加減も無駄がない。――本当に、何でもできる人。
そんな感想が、自然と浮かぶ。
出来上がった料理は、驚くほど優しい味だった。
香辛料を抑え、体に負担をかけない工夫が随所に感じられる。
それが“気遣い”であることは分かっているのに、まるで私の生活の一部に溶け込もうとしているかのようで、少しだけくすぐったい。
「……すごく、美味しいよ」
「それは良かったです」
黒夜はそう言って、ほんのわずかに口元を緩めた。その表情を見て、胸の奥が温かくなる。
先日、感じていた違和感は、もうほとんど意識の外に追いやられていた。
食事を終え、片付けも済ませ、時間は静かに夜へと沈んでいく。窓の外はすっかり暗く、街灯の光だけが淡く差し込んでいた。
会話は多くなかった。
それでも沈黙は心地よく、互いに無理をしない距離感が保たれている……そう、思っていた。
――その時だった。
かすかな物音。
床を、何かが擦るような音。
最初は気のせいかと思った。けれど、次の瞬間、確信に変わる。
これは、人の気配だ。明らかに、この家の中に“誰か”がいる。
反射的に身構えかけて、私は思い出す。
――今日は、黒夜がいる。
不思議なほど、恐怖はなかった。心拍数は上がっているはずなのに、どこかで「大丈夫だ」と思ってしまっている自分がいる。
私は黒夜の方を見て、小さく声をかけた。
「……侵入者、のようだね」
彼は答えない。
「黒夜。手間だと思うが、無粋な侵入者を追っ払ってくれないか?」
それは、あまりにも自然な言葉だった。彼ならできる。そう信じて疑わなかった。
だからこそ、返事がないことに、胸の奥がざわつき始める。
「……黒夜?」
嫌な汗が、背中を伝う。
何かが、おかしい。
ゆっくりと、黒夜がこちらを振り返る。その動作はぎこちなく、まるで糸で操られているかのようだった。そして、私は見てしまった。
――彼の瞳。
いつもは冷静で澄んでいるはずのその瞳が、今は酷く濁っていた。焦点が合っていない。
感情の色が、何一つ読み取れない。ただ、底なしの闇を覗き込んでいるような、不気味な感覚だけがそこにあった。
「……こく、や……?」
声が、震える。
その瞬間、背後で、金属が擦れるような音がした。
ガスマスクを付けた人物が、暗闇の中から姿を現す。
それでも、私の視線は黒夜から離れなかった。
なぜ。
どうして。
問いは浮かぶのに、答えはどこにもない。
ただ一つ確かなのは――
今、目の前にいる彼は、私の知っている黒夜ではない、ということだった。
ここまでで書き貯めていたストックが切れるので更新速度が多少落ちるかと思いますが、すぐにでも続きを書いていく所存なのでお待ちいただけると幸いです。
感想や評価もありがとうございます!大変モチベ維持に繋がっています。
これからも気軽に感想など書いてもらえるとうれしいです。