ナギサの語った内容が、どれほど荒唐無稽であろうともそれを否定しきるだけの根拠は、この場には存在しなかった。だが同時に、全面的に信じるだけの材料も足りていなかった。半信半疑。疑念と理解が拮抗したまま、どこか曖昧な均衡を保っていた空気は音もなく崩れ去った。
現れた三人。黒い衣装を身に纏った、もう一つのティーパーティー。
ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラーの三人。
その姿を視認した瞬間、会議室の温度が一段下がったような錯覚が走る。誰もが無意識に息を詰め、言葉を飲み込む。理解よりも先に、本能が反応していた。
“これは触れてはいけないものだ”と。
『あれ?皆さん黙りこくってどうしたんですか?ここは笑う所ですよ?』
柔らかな声。穏やかな笑み。だが、その言葉は場の空気とあまりにも乖離していた。
『あはは』
『ククク』
背後でミカ*テラーとセイア*テラーが楽しげに笑う。その笑いは軽い。軽いはずなのに、なぜか耳に残る。消えない。余韻のように、じわじわと広がっていく。
誰も笑わない。
笑えるはずがない。
目の前にいるのは、ただの“似ている別人”ではない。別世界とはいえ、キヴォトスそのものを滅ぼした存在。しかもそれを、まるで日常の延長のように語る者たち。
ここに居る誰もが何が引き金になるか分からない。何が彼女達の逆鱗になるのか判断がつかない。だからこそ誰も動けず、沈黙が重く沈殿する。
その中で、ナギサが小さく息を吐いた。
「こうなると思ったから、この手は使いたくなかったのですよ……」
ほとんど独り言に近い声量だった。だが、この場ではそれすらも拾われる。静寂が音を逃さない。
ナギサ*テラーが、わずかに口元を緩める。
『そんなに邪険にしなくてもよいではないですか』
声音は変わらない。だが、言葉の奥にあるものは、決して軽くない。
『私たちも、考え無しに暴れまわる無法者では無いのですから』
その言葉に、誰かがわずかに肩を動かした。安心したのか、それとも逆に警戒を強めたのか、判別はつかない。
『そうだよ。ゲヘナじゃないんだからさ~』
ミカ*テラーが肩を竦める。
『別世界とは言え、私たちもティーパーティーなんだよ?』
軽い調子で語られた内容は別世界を肯定するものだった。
『まぁ今は“終末”と呼ばれる事の方が多いけれどね』
セイア*テラーが淡々と付け加える。
その一言で、再び空気が沈む。
終末
その単語が、この場にいる全員の思考に強制的に意味を刻み込む。
その間、表情を崩さずにいる者もいた。
マコトは椅子に深く腰掛けたまま、視線だけで三人を観察している。笑みは消えていない。だが、それは余裕から来るものではない。興味と警戒、その両方を含んだ笑みだった。
視線だけで彼女達を測ったマコトの直感が告げていた。
(……こいつら……見た目はナギサ達と同じだが……中身は別物だな。戦力差が、洒落になってないぞ…)
一方、ヒマリはわずかに指先を動かしていた。何かを操作しているわけではない。ただ、思考のリズムを整えるような癖。
(……これは、想定外…としか言えませんね)
彼女の脳内では、既に幾つもの仮定が走っていた。
(ナギサさんの話を過小評価していましたね)
即座に認識の修正をする。
(ですが、今は反省している場合ではありません。この場を、どう収束させるか)
それだけを考える、無事にこの場を切り抜けるために。
リンもまた、同様だった。
(……圧が、異常です)
ただそこに立っているだけで、空気が変わる。
(もし対応を誤れば――)
思考の先を、意図的に止める。
(考えるな。今は、対処だけを)
だが、その中で一人。
明確に“耐えている”者がいた。
棗イロハ
彼女は椅子に座ったまま、わずかに肩を強張らせている。視線は逸らしていない。だが、ほんの少しだけ呼吸が浅い。
(……やばい)
言葉には出さない。
(あれ、絶対やばい)
理屈ではなく、本能が警鐘を鳴らしていた。
(あれが“敵”になったら――)
想像しかけて、やめる。
その一方で。
リオは静かに、何かをしていた。
ホログラム越しの彼女の視線は一度も逸れていない。だが、その裏で別の処理が進んでいる。
それは極めて短時間で完了した。
その結果は、すぐに現れる。
会議室の扉が、勢いよく開かれた。
空気が一瞬で変わる。
入ってきたのは、小柄な少女。
メイド服の上にスカジャンという、場違いにも見える格好。だが、その手に握られた二丁のサブマシンガンが、その印象を一瞬で塗り替える。
美甘ネル。
彼女は迷いなく踏み込み、そのままヒマリの前に立つ。
銃口は、テラー達三人へ向けられていた。
「オイ!大丈夫かよ?」
短く、荒い声。
その背中には、明確な意思があった。“守る”という、単純で強い意思。
ヒマリがわずかに目を瞬かせる。
「え?えぇ……」
一拍置いてから、いつもの調子に戻る。
「ミレニアム最高の天才清楚系病弱美少女ハッカーの私は大丈夫ですよ」
それを聞いたネルは鼻で笑う。
「はっ!その軽口が言えるなら大丈夫そうだな!」
銃を構えたまま、視線だけでテラーたちを睨む。
「それで、こいつ等はどうすんだ!?」
その問いは、ヒマリに向けられていたが、同時にこの場全体への問いでもあった。
ヒマリはわずかに視線を落とし、すぐに上げる。
「助けて頂いたところ申し訳ないですが……」
その声音は静かだ。
「手を出してはいけません」
ネルの眉が跳ねる。
「あぁ!?マジで言ってんのかよ?」
引き金にかかる指が、ほんの僅かに動く。
「あいつら、やる気だぞ。あたしが時間を稼ぐからその間にさっさと逃げとけ!」
視線の先。
テラーたちは、微動だにしていなかった。
ただ、見つめているだけだ、冷めた瞳で。
まるで、意味の無い物でも眺めるかのように。
『へぇ……私たちに勝つ気なんだ…』
ミカ*テラーがわずかに首を傾ける。
『面白い事を言いますね』
ナギサ*テラーの目が細くなる。
『君のその行動が蛮勇じゃないと証明してくれるかな?』
セイア*テラーの口元が、ほんの僅かに歪む。
その瞬間、空気が変わった。
緊張ではない。
“臨界”
一触即発という言葉が、これほど正確に当てはまる状況はなかった。
誰かが一歩踏み出せば。
誰かが引き金を引けば。
それだけで、すべてが崩壊する。
その直前で黒夜が動いた。
「待ってください!」
この場の全員の視線が、彼へと集まる。
黒夜は二つの間に割り込むように立つ。
「お互い落ち着いてください!」
その言葉は、必死だった。
だが同時に、不思議なほどまっすぐだった。
理屈ではない。
命令でもない。
ただ、止めたいという意思だけがそこにあった。
ネルの指が止まる。
黒夜が割って入ったことで、張り詰めていた空気は辛うじて繋ぎ止められた。
ほんの一瞬前まで、引き金一つで崩壊しかけていた均衡は、彼の声によってかろうじて踏みとどまっている。
ネルは銃口を向けたまま、わずかに舌打ちをする。だが、その指は動かない。引き金にかかっていた力が、ゆっくりと抜けていく。
テラー達もまた、黒夜の前では動きを止めていた。
黒夜は一度ネルの方へ向き直る。
「すみません、美甘ネルさん。止まっていただいてありがとうございます」
深くはないが、きちんとした謝罪と礼。
ネルは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに鼻で笑う。
「……別にテメェの為じゃねぇよ」
そう言いながらも、銃をわずかに下げる。その動きは、完全な解除ではないが、少なくとも戦闘態勢からは一歩引いたものだった。
それを確認してから、黒夜はゆっくりと振り返る。
視線の先にいるのは、ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー。
その表情は笑顔だが、その笑みにはほんの僅かに“圧”が混じっていた。
「皆さん」
声は非常に穏やかだった。
「確か今日の会議では、大人しく説明するって約束しましたよね?
なんで戦闘になりそうになってるんですか?」
静かな問い。
逃げ道は用意されていない。
『あっ』
『え~っと……』
『ふむ……』
三人の反応は、揃っていなかった。だが共通していたのは“言い訳が思いつかない”という空気だった。
黒夜は一歩も引かない。
「どうしたんですか?」
視線が、順番に三人を捉える。
「いつもの様に、私に教えてくださいよ」
その言葉に、三人の肩がほんのわずかに揺れる。
『うぅ……』
『あはは……』
『……』
先ほどまでの余裕は、どこにもない。
黒夜は小さく息を吐く。
「はぁ~……」
ため息、それは怒りというより、失望に近い響きだった。
「このように約束を破るようなら……」
ほんの僅か、声が低くなる。
「私は、貴方たちを信じられなくなってしまいますよ?」
その一言は、彼女たちにとって何よりも重かった。
『『『ご、ごめんなさい』』』
三人が揃って頭を下げる。
動作は素直だった。
先ほどまでの威圧していた気配は、完全に消えている。
ただ、叱られた子供のようにしゅんとしているだけだった。
その光景を見て、トリニティの三人は同時に呆れた様に視線を逸らした。
あるいは、どこか納得してしまったような表情。
一方で、事情を知らない面々は完全に固まっていた。
今、自分たちは何を見たのか。
世界を滅ぼしかねない存在が、一人の生徒に叱られて素直に謝る光景。
理解が追いつかない。
その沈黙の中で、ナギサが渋々と口を開く。
「……と、このように」
わずかに肩を落としながら言葉を選ぶ。
「黒夜さんの言う事なら聞き入れてくれますので」
一度、周囲を見渡す。
「彼女達の力は脅威ですが、このまま現状維持で問題ないかと思いますが……皆さんどう思いますか?」
その言葉は、表面上は提案だった。
だが、その裏にある意味を、この場の主要人物たちは正確に理解していた。
――“月城黒夜が制御装置である”
そして同時に。
――“その制御装置が壊れた場合、誰にも止められない”
ヒマリの瞳が細くなる。
リオの視線がわずかに鋭くなる。
リンの表情が苦々しいものに変わる。
それぞれが同じ結論に辿り着いていた。
マコトは、その中で一歩早く動く。
椅子に深く座り直し、口元に笑みを浮かべる。
(なるほどな……)
視線は黒夜へ。
(黒夜を枷にするってわけか)
その構造を誰よりも早く理解する。
(逆に言えば、黒夜が無事な限りは暴れないと…)
そして、もう一つ。
(そして重要なのは黒夜自身も、迂闊に自己犠牲が出来なくなる)
その点が、マコトにとっては重要だった。
(あいつの悪癖を治すにはちょうどいいかもしれんな)
「ゲヘナはそれで文句ないぞ」
あっさりと宣言する。
そのマコトの言葉に、ナギサは一瞬だけ目を細めた。
(……流石ですね、この短時間で、そこまで読み切るとは)
自分たちが一週間かけて辿り着いた妥協案に、即座に到達した。
その事実だけで、マコトの評価は十分だった。
だが、全員が同意したわけではない。
リオが静かに口を開く。
「彼女達が本当に彼の言う事を聞き入れて、大人しくしているかどうか信用できるのかしら?」
「現に、今暴走しかけたようだし……」
淡々と事実を並べる。
「ミレニアムとしては、キヴォトスを滅ぼすほどの力を一個人に管理させるのは恐ろしいなんて話じゃないのだけれど…」
そのリオの発言にリンも同調する。
「連邦生徒会も、リオさんと同じ意見です」
場の空気が、再び揺れる。
その流れに、ミカ*テラーが露骨に苛立ちを見せた。
『あ~もう、メンドクサイな!』
空気を無視するように声を上げる。
『つまりさ、どうすれば信用できるのか、はっきり条件を言いなよ?』
その言葉に、リオは迷いなく答える。
「私が信用できないのは、貴方たちもだけど――」
視線が黒夜へ。
「それよりも先に、彼よ」
一瞬、空気が止まる。
黒夜がわずかに目を瞬かせる。
「私ですか?」
「そうよ。そういえば貴方はゲヘナとトリニティに在籍しているのよね?」
「なら、一ヶ月でいいわ。ミレニアムに短期留学してくれるかしら?」
「はあ!?」
ネルが素っ頓狂な声を上げる。
「お前!?自分が何言ってるかわかってんのか!?」
ヒマリも目を見開く。
「……本気ですか?」
マコトも、ナギサ達も、テラー達も、リンでさえも。
一瞬、完全に意表を突かれていた。
リオはその反応を受けても、まったく揺らがない。
「単純な理由よ」
淡々と続ける。
「私たちミレニアムは、彼の事をまったく知らないわ」
視線はまっすぐ黒夜を捕らえ続ける。
「だから、月城黒夜の人となりを理解する時間が欲しいの」
「勿論、信頼できる人物だと分かれば……先ほどの現状維持で文句はないわ」
合理的だが、その裏にある意図は明確だった。
“観察”
“評価”
そして――“管理”
その言葉に、テラー達が即座に反応する。
『ちょっと待ってください』
『反対!はんた~い!黒夜を連れてくのは絶対ダメー!!』
『それは私としても困るね』
空気が揺れる。
だがリオは一言だけ返す。
「なら、貴方たちも彼と一緒にミレニアムに来ればいいわ」
『……それならいいでしょう』
『問題ないね☆』
『それで行こうか』
あっさりと手のひらを返す三人。
反論は消えた。
ナギサがこめかみを押さえる。
ミカが顔をしかめる。
セイアが静かにため息を吐く。
ナギサ達は最後まで留学に反対していたが、それでも流れを変えられなかった。
最終的に、リンが結論を出す。
「……連邦生徒会としては、リオさんの案を支持します」
その一言で、決まる。
「よって、月城黒夜のミレニアムサイエンススクールへの短期留学を決定します」
覆らない。
その瞬間、黒夜のミレニアムへの留学が決定してしまったのだった。
そんな中、早々に現実を受け入れたマコトが、ふと何かに気づいたように笑う。
「そう言えば、留学したら、お前の肩書すごい事にならないか?」
その発言を聞き逃さなかったヒマリが興味を示す。
「……ぜひ聞かせてください」
黒夜は少しだけ考え、口を開く。
「えっと……ゲヘナ学園情報部所属兼、トリニティ総合学園ティーパーティー専属護衛兼…
ミレニアムサイエンススクール短期留学生……になるんですかね?すっごい長いですね…」
それを聞いていたヒマリが、首を横に振る。
「その程度では話になりません。黒夜さん、いいですか?」
そう宣言してから
「ミレニアムが誇る超天才清楚系病弱美少女ハッカーであり、【全知】の学位を持つ眉目秀麗な乙女であり、そしてミレニアムに咲く一輪の高嶺の花である【特異現象捜査部】部長の明星ヒマリです」
一息で言い切る。
そして、オマケと言わんばかりに完璧なドヤ顔も披露していた。
その様子をネルが呆れたように顔を覆う。
「あ~……」
黒夜に向き直る。
「黒夜でいいか?こいつの口上は基本聞き流していいからな」
辛辣だった。
だが、ヒマリは気にしない。
むしろ満足そうに微笑む。
「それでは」
視線を黒夜へ。
「一ヶ月、よろしくお願いしますね。黒夜さん?」
その言葉が、新たな局面の始まりを告げていた。