ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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勇者と魔王 ~6~

 静まり返った部室の中で、空気だけが重く軋んでいた。

 誰も言葉を発さず、誰一人として動くことができない。ただ黒夜の内側だけが、制御できないほどに大きく揺れていた。

 

「誰も……守れない……?」

 

 かすれた声は、ほとんど独り言のように零れ落ちる。

 それは自分自身に向けた問いかけであり、本来であれば即座に否定しなければならないはずの言葉だった。

 

 だが――その響きには確かに“揺らぎ”が含まれていた。

 

 ほんの一瞬の弱音。

 誰にも届かず、消えていくはずの言葉。

 

 ――そのはずだった。

 

「―――あ?」

 

 低く、押し殺したような声が空気を切り裂いた。

 

 その瞬間、部室の温度が明確に変わる。

 肌に触れる空気が一段冷たくなったような錯覚。

 

 誰も反応できない。

 

 気付いた時にはすでに――ミカ*テラーがそこに立っていた。

 

 何の前触れもなく、黒夜とリオの間に割り込むように現れ、鋭く、そして容赦のない視線でリオを射抜いている。

 口元には柔らかな笑みが浮かんでいるが、その瞳には一切の温度がなかった。

 

『さっきからさぁ……』

 

 軽く首を傾げながら、ミカ*テラーが言葉を紡ぐ。

 

『黒夜に、何言ってんの?』

 

 その声には、明確な苛立ちが滲んでいた。

 

 言葉そのものよりも、その奥にある“圧”が場を支配する。

 

 ミドリが息を呑む。

 ユズは声すら出せず、ただその場に立ち尽くす。

 先生でさえ、即座には動けなかった。

 

 ただ一人、黒夜だけがようやく口を開く。

 

「黒ミカ様、やめ―――」

 

 その言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 

 視界から、ミカ*テラーの腕が消える。

 

 そう錯覚するほどの速度。

 

 次の瞬間には――

 

 リオの首が、その手の中にあった。

 

「うぅ……!」

 

 片手で、まるで重さなど感じていないかのように持ち上げられる。

 リオの体は容易く宙に浮き、足先がかすかに揺れる。

 

「ミカ!?」

 

 先生が叫ぶが、明らかに間に合っていない。

 

 ミカ*テラーの指が、ゆっくりと、確実に締まっていく。

 

『黒夜を傷付ける奴はさぁ……』

 

 声音は軽い。

 だが、その言葉に込められた意味はあまりにも重い。

 

『いらないよねぇ?』

 

 その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

 

 言葉ではない。

 明確な“殺意”だった。

 

 肌を刺すような圧に、ミドリの喉が無意識に鳴る。

 ユズの視界が揺れ、足元の感覚が曖昧になる。

 

(これ……)

 

 誰も口にしない。

 だが、全員が同じ結論に辿り着いていた。

 

(これ……本当に……殺される……)

 

 それは恐怖ではなく、確信に近い直感だった。

 ミカ*テラーは躊躇していない。冗談でも、脅しでもない。

 

 本気で――殺すつもりだ。

 

「……っ………」

 

 その手の中で、リオがかすかに呼吸を絞り出す。

 苦しげな音が漏れる。それでも、その瞳は死んでいなかった。

 

「……よく……見なさい……黒夜……」

 

 掠れた声。それでも言葉は止まらない。

 

 むしろ、そこに宿る意志は強くなっていた。

 

「これが……“現実”よ……」

 

 黒夜の瞳が見開かれる。

 

 その言葉が、真正面から突き刺さる。

 

「貴方が……信じている存在は……」

 

 呼吸が詰まりながらも、リオは言葉を繋ぐ。

 

「こうやって簡単に……“殺す側”に回る」

 

 ミシ……ミシ……

 

 骨が軋む嫌な音が、静まり返った部室に響く。

 

 それでもリオは止まらない。

 

「理性も……善意も……関係ない……」

 

「力があれば……それだけで人は壊れる……」

 

 黒夜は動けない。

 

 足が前に出ない。

 手を伸ばすこともできない。

 

 ただ、目の前の光景を見続けることしかできなかった。

 

「違うと思うなら……」

 

 リオが最後の言葉を叩き込む。

 

「貴方の優しさで……彼女を止めて……見なさい……」

 

「やめてください!!」

 

 黒夜が叫ぶ。

 だが、身体は動かない。

 視線も外せない。

 止めなければならないのに、何もできていない。

 その事実こそが、何よりも残酷だった。

 

(違う……違うはずだ……)

 

 否定したい。

 

(私は……!)

 

 誰かを守るためにここにいる。

 守れるはずだと、信じていた。

 

 だが――

 

 目の前の現実が、それを許さない。

 

 止められていない。

 守れていない。

 

 何も、できていない。

 

「…………」

 

 その時、アリスがゆっくりと顔を上げた。

 ぎこちない動きで、しかし確実に、その光景を捉える。

 

 宙に浮かぶリオ。

 首を締め上げるミカ*テラー。

 そして――動けない黒夜。

 

(……あれは……)

 

 記憶が蘇る。

 

 モモイを傷付けてしまった、あの瞬間。

 何も覚えていない。だが、確かに自分の体は“そうなった”。

 

(……同じだ)

 

 理解してしまう。

 

(アリスも……ああなるの……?)

 

 呼吸が浅くなる。

 心臓の鼓動が速まる。

 視界が歪む。

 

「……っ……!」

 

 体の震えが止まらない。

 自分も同じ側に堕ちるかもしれないという恐怖が、逃げ場を奪う。

 

「もうやめてくれ!!」

 

 ようやく、黒夜が動いた。

 ミカ*テラーの腕を掴む。

 

「リオさんから手を離してください!!」

 

 それは命令ではなく、懇願だった。

 必死に縋るような声。

 

「……」

 

 ミカ*テラーがわずかに首を傾ける。

 だが、その手はすぐには緩まない。

 その間に、先生も割って入る。

 

「ミカ、お願いだ!放してあげて!」

 

 数秒。

 

 だがそれは、永遠にも感じられる時間だった。

 

『……ちっ』

 

 舌打ちと共に、ミカ*テラーの指から力が抜ける。

 支えを失ったリオの体が、床へと落ちた。

 

「……っ、げほ……!」

 

 激しく咳き込みながら、必死に空気を取り戻す。

 それでも、その瞳は揺らいでいなかった。

 

 ゆっくりと顔を上げ、黒夜を見つめる。

 

「……これが……貴方の考えの限界よ……」

 

 その言葉は、静かで、しかし決定的だった。

 

「貴方に……この先ずっと彼女たちを抑え込める自信があるの?」

 

 黒夜は答えられない。

 否定したいのに、言葉が出ない。

 何もできなかったという事実だけが、そこに残っていた。

 やがてリオは視線をアリスへと移す。

 

「理解したかしら?」

 

「貴女は自分のことを“勇者”だと言っているけれど……」

 

 ゆっくりと、言葉を重ねる。

 

「貴女の本質は――」

 

 そして、決定的な一言が落とされる。

 

「彼女のように簡単に人を傷つける“魔王”だったとしても……おかしくないのよ」

 

「……!」

 

 その言葉が、アリスに突き刺さる。

 

 思考が凍る。

 

 視界が揺れる。

 

 音が遠のく。

 

 ただ、“魔王”という言葉だけが残る。

 

 否定もできない。

 逃げることもできない。

 自分が何なのか、答えが出てしまいそうで――

 

 アリスは、その場から動けずに座り込んだ。

 

 虚ろな瞳は焦点を結ばず、ただ空間を見つめている。

 

 先ほどの光景を前にして――

 

 誰も、何も言えなかった。

 

 優しさでは届かない現実が、

 確かに、そこに突きつけられていた。

 

 部室の中には、言葉にしがたい重苦しい空気が漂っていた。先ほどまでの出来事が、まるで現実ではないかのように誰の中にも整理しきれずに残っている。

 それでも、その現実から目を逸らすことはできなかった。

 

 その中心にいるのは、アリスだった。

 

 俯いたまま動かない彼女の肩は、小刻みに震えている。呼吸は浅く、乱れ、何かに押し潰されそうなほどに不安定だった。彼女の中で何が起きているのか、それは言葉にせずとも、この場にいる全員が理解していた。

 

 “魔王”

 

 その言葉が、彼女の内側に深く突き刺さったまま抜けずにいる。

 否定したいはずだった。けれど、否定できない現実があった。

 

 先ほどの光景――ミカ*テラーがリオにした行為が、脳裏から離れない。

 

 躊躇いなく人を殺せる側に立つ存在。その事実が、ただの可能性ではなく「現実」として目の前に示されてしまった以上、アリスはもう目を逸らすことができなかった。

 

 そして気付いてしまう。

 

 自分も、ああなるかもしれないということに。

 

「……アリスは……」

 

 か細い声が、静まり返った部室に落ちた。

 全員の視線が、自然と彼女へ向けられる。

 ゆっくりと、震える声が続く。

 

「アリスは……勇者じゃ……ないんですか……?」

 

 その問いには、縋るような響きがあった。自分の在り方を、誰かに肯定してほしいという、最後の願いにも似た声音だった。

 だが、その問いに答える者はいない。

 沈黙が、すべてを物語っていた。

 やがて、アリスはもう一度、言葉を紡ぐ。

 

「……敵……なんですか……?」

 

 その瞬間、リオが口を開いた。

 

「ええ」

 

 迷いのない、断定だった。

 その声には一切の感情が乗っていない。ただ事実だけを述べる冷静さがあった。

 

「貴女は通常の生徒ではないわ。古の民が残した遺産――【名も無き神々の王女 Al-1S】。未知から侵略してくる不可解な軍隊、その中枢として設計された存在」

 

 淡々とした説明が続く。

 

「つまり貴女は、このキヴォトスにとって異質な存在であり、条件次第では世界そのものを崩壊させる危険性を持つ」

 

 そして、最後に静かに言い切った。

 

「排除すべき対象よ」

 

 その言葉が落ちた瞬間、アリスの中で何かが決定的に崩れた。

 

 否定しようとした思考が、途中で止まる。

 反論も、疑問も、浮かばない。

 

 ただ、事実だけが残る。

 

 その視線が、自然とミカ*テラーへと向かう。

 そこにいるのは、実際に世界を滅ぼした存在。

 そして先ほど、迷いなく人を殺そうとした者。

 

 現実として存在する“魔王”

 

 その姿を見た瞬間、アリスの中で結論が繋がってしまった。

 もし、自分が同じ側に立つ存在なのだとしたら――

 自分は、何になるのか。

 答えは、あまりにも簡単だった。

 

「……なら……」

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 その瞳には、先ほどまでの揺らぎは残っていなかった。代わりにあるのは、静かに固まった“覚悟”だった。

 

「……アリスは……居なくなるべきです…」

 

 その言葉は、あまりにも静かで、あまりにも重かった。

 その場にいる誰もが、息を呑む。

 

「アリスがいると……みんなが傷付きます。だから……アリスがいなくなれば……」

 

 言葉を選ぶように、一つ一つ丁寧に紡ぐ。

 

「それで……終わるなら……それでいいです」

 

「アリスさん!待ってください!」

 

 黒夜の声が、強く響いた。

 それまで動けなかった身体が、ようやく前へと踏み出される。

 

「それは違います!あなたは――」

 

 だが、その言葉は途中で途切れた。

 何をもって否定すればいいのか、わからなかった。

 目の前にある現実が、すべてを封じている。

 その様子を見ていたリオが、静かに口を開く。

 

「……合理的な判断ね」

 

 それは肯定だった。

 迷いも、躊躇いもない。

 

「自分の危険性を理解し、それを排除する選択をする。理想的な結論よ」

 

「リオさん……!」

 

 黒夜が振り返る。

 その瞳には、怒りと困惑が入り混じっていた。

 

「アリスさんを……排除するんですか……?」

 

「当然でしょう」

 

 リオは一歩も引かない。

 

「これは感情の問題ではないわ。リスクの問題よ。一人を切り捨てることで全体が守られるのなら、それが最適解」

 

 その言葉に、黒夜は息を詰まらせた。

 理解できてしまう。

 正しいと、思えてしまう。

 だからこそ――受け入れられない。

 

「ちょっと待って…」

 

 リオが視線を向ける。

 それを受けて、先生が一歩前に出た。

 

「それが本当に最善なのか?」

 

 静かな問いかけだった。

 

「他に方法はないのか?」

 

 その言葉には、確かな信頼が込められている。どんな状況であっても、生徒を信じるという姿勢。

 

 だが――

 

「ないわ」

 

 リオは即答した。

 

「不確定な可能性に賭ける余裕はない。今この瞬間にも、リスクは存在しているのだから」

 

「でも、それじゃあ君が――」

 

 先生が言いかけた言葉を遮って続ける。

 

「……私は」

 

 その一言に、空気が引き締まる。

 

「ミレニアムの全員から怨まれようとも構わないわ」

 

 静かだった。

 だが、その言葉には揺るぎない覚悟が込められていた。

 

「この学園を守れるのなら、私は…それでいいと思っているわ」

 

 それは冷酷な言葉ではない。

 ただ、選び取った覚悟だった。

 黒夜の心が、大きく揺れる。

 

 理解してしまう。

 

 この人もまた、守るために自分を切り捨てる側に立っているのだと。

 

 けれど――

 

 それでも――

 

 それを肯定したくなかった。

 

「行きましょう」

 

 リオがアリスに告げる。

 命令ではない。ただの提示。

 だが、その意味は明確だった。

 

「……はい」

 

 アリスは静かに頷いた。

 ゆっくりと立ち上がり、一歩を踏み出す。

 その足取りは不安定で、震えている。だが、止まることはなかった。

 黒夜の横を通り過ぎる瞬間、アリスはわずかに足を止める。

 

「……黒夜は……優しいですね…」

 

 小さな声だった。

 

「だから……アリスが終わらせます」

 

「待って!!」

 

 手を伸ばす。

 だが、その距離は埋まらない。

 指先は空を切る。

 アリスは振り返らない。

 

 そのまま、リオの隣へと並ぶ。

 誰も止めることができなかった。

 先生も、ミドリも、ユズも。

 

 そして――黒夜も。

 

 扉が静かに閉まる。

 その音だけが、やけに大きく響いた。

 残された部室には、重い静寂が落ちる。

 黒夜は、その場から動くことができなかった。

 

 守れなかった。

 

 止められなかった。

 

 何もできなかった。

 

 その事実だけが、重く胸の奥に沈んでいく。

 そして、理解してしまう。

 優しさだけでは届かない現実があるということを。

 

 それでもなお、その選択を受け入れることだけは、どうしてもできなかった。

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