ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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勇者と魔王 ~7~

 扉が閉まる音が、やけに重く響いた。

 その音を最後に、部室の中から大事な何かがごっそり抜け落ちたような錯覚が残る。さっきまで確かにそこにあったはずの空気が、温度も、色も、全部持っていかれたように消えていた。

 誰も、すぐには動けなかった。

 ミドリは俯いたまま拳を握りしめ、ユズは部屋の端で小さく体を縮めている。先生もまた、扉の方を見つめたまま言葉を失っていた。誰もが“今起きたこと”を理解しきれていないまま、ただ現実だけが置き去りにされている。

 

 そして黒夜だけが、その中心に立ち尽くしていた。

 

 追わなければならない。

 それは分かっている。頭では理解している。今すぐにでもリオを止めて、アリスを連れ戻さなければならないということも。

 だが、足が動かなかった。

 ほんの一歩が、どうしても踏み出せない。

 

(……私が、行って……何が出来る)

 

 脳裏に浮かぶのは、先ほどの光景だった。首を締め上げられてもなお言葉を紡ぎ続けたリオの姿と、その言葉に何も返せなかった自分。そして、震えながら全てを受け入れてしまったアリスの瞳。

 

 自分では、届かなかった。

 守ろうとしたはずなのに、何一つ守れなかった。

 

(……私は……)

 

 思考が、そこで止まる。

 その先に続くはずの言葉が、どうしても形にならない。

 そんな停滞を、無遠慮に引き裂く音が響いた。

 バン、と勢いよく扉が開く。

 

「クソ!行き違いになったか?」

 

 低く、短い声が空気を叩き割る。

 振り向く間もなく、ずかずかと部室の中に踏み込んできたのはネルだった。場の空気など一切気にする様子もなく、まっすぐに黒夜の前まで歩み寄ると、その顔を覗き込む。

 

「オイ……なんだそのしけた顔は」

 

 言葉は荒いが、声音にはわずかに引っかかるものがあった。

 黒夜は一瞬だけ目を逸らし、それでも取り繕うように口を開く。

 

「……いえ、私は――」

 

「誤魔化すな」

 

 即座に遮られた。

 逃げ道を塞ぐように、ネルの視線が突き刺さる。

 

「ここで何が起きたか知らねぇけどな、大体分かる。何も出来なかったんだろ?」

 

 図星だった。

 反論の言葉が浮かばない。否定したいはずなのに、そのための材料が一つも見つからない。

 沈黙が、それを肯定していた。

 ネルは小さく舌打ちすると、そのまま黒夜の腕を掴んだ。

 

「来い」

 

「……え?」

 

「その顔のまま突っ立ってても何も変わんねぇだろ」

 

 強引に腕を引かれる。

 抵抗しようと思えば出来たはずなのに、黒夜の体は不思議なほど素直にそれに従っていた。自分の意思で動いているのか、それともただ流されているだけなのか、その区別すら曖昧だった。

 

 気付けば、部室の外に連れ出されている。

 後ろでミドリが何かを言いかけた気配があったが、ネルは振り返りもしなかった。

 そのまま歩く。目的地など説明もされないまま、ただ引かれるままに進む。廊下を抜け、階段を下り、人気の少ない通路を通り抜けて――辿り着いたのは、訓練場だった。

 ネルがようやく足を止める。

 そして振り返ると、短く言い放った。

 

「構えろ」

 

「……え?」

 

「いいから」

 

 有無を言わせない声音だった。

 黒夜は一瞬戸惑いながらも、ゆっくりと姿勢を整える。身体が覚えている動作が、思考を置き去りにして勝手に形を作っていく。

 次の瞬間、銃声が響いた。

 ネルが先に動いた。

 躊躇のない一撃。牽制などではない、本気の射撃。

 反射的に黒夜はシールドを構え、防御に入る。衝撃が腕を通して伝わるが、それでも崩れない。防ぐこと自体は、出来ている。

 

 だが――

 

(……攻撃を……)

 

 返すべきか、一瞬迷う。

 そのわずかな遅れを、ネルは見逃さない。

 間髪入れずに踏み込み、角度を変えて撃ち込んでくる。守ることに集中している黒夜は、それをいなすだけで精一杯になる。

 攻める余裕がない。

 いや、違う。

 

(……攻める気がない…)

 

 そう考えた瞬間、視界が揺れた。

 防御の死角を突かれる。

 衝撃が身体を打ち、体勢が崩れる。踏みとどまろうとするが、追撃が来る。連続した圧力に押され、ついにバランスを崩し、床に膝をついた。

 そこでようやく、銃声が止まる。

 静寂が戻る。

 荒い呼吸だけが、やけに大きく響いていた。

 

「……なんで反撃して来ねぇ!!」

 

 ネルの声が落ちる。

 責めるでもなく、ただ事実を確認するような声音。

 黒夜は息を整えながら、かすかに視線を上げる。

 

「私は……守るために――」

 

「それで守れてねぇだろ」

 

 言い切られた。

 間を挟む余地もなく、切り捨てられる。

 言葉が詰まる。

 否定したいのに、否定できない。

 

「守るってのはな」

 

 ネルが一歩近づく。

 

「殴られるの待つことじゃねぇ」

 

 そのまま、さらに距離を詰める。

 

「倒せば終わるなら、倒した方が確実だろ」

 

 まっすぐな言葉だった。

 余計な装飾も、理屈もない。ただ“結果”だけを見据えた言葉。

 黒夜の中で、何かが揺れる。

 理解は出来る。言っていることは正しいと分かる。だが――

 

「それでも……私は……」

 

 言葉が続かない。

 “それでも”の先にあるはずの答えが、見つからない。

 ネルはそれを見て、ほんの一瞬だけ表情を緩めた。

 だがすぐに、元の無愛想な顔に戻る。

 

「お前のそれは守りじゃねぇよ」

 

 静かに告げる。

 

「ただ逃げてるだけだ」

 

 その言葉が、深く突き刺さる。

 何も言い返せない。

 守れなかったという事実が、全てを押し潰していた。

 

 沈黙が落ちる。

 

 ネルは小さく息を吐くと、少しだけ視線を逸らした。

 

「……そのままだと、そのうち全部背負って潰れるぞ」

 

 ぽつりと零れた言葉は、先ほどまでとは少しだけ違う響きを持っていた。

 黒夜は顔を上げる。

 理解も、納得も、出来ていない。ただ、何かが間違っていることだけは分かっている。それでも、それが何なのかはまだ見えない。

 ネルはそれ以上何も言わなかった。

 

「今は難しいこと考えずにかかって来い」

 

 ぶっきらぼうに言い捨てる。

 

「そうすりゃ答えが出るかもな!」

 

 そう宣言して、構え直した。

 

 黒夜はその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。

 足を踏み出せばいい、それだけのはずなのに、その一歩がどうしても重い。

 守れなかった現実と、突きつけられた言葉が、頭の中で何度も反響している。

 答えは、まだ出ない。

 

 だが――

 

 何も変えなければ、何も守れない。

 その感覚だけが、確かに胸の奥に残っていた。

 

 

 

 

 訓練場の空気は、すでに夕暮れの色を帯び始めていた。

 長時間にわたる鍛錬の熱気がまだ残る中、床には乾ききらない汗の跡が点々と続き、その中心に黒夜は膝をついたまま動けずにいた。

 

 呼吸は荒く、視界は揺れ、腕は鉛のように重い。それでも立ち上がろうとした形跡だけが、床に残された擦り跡として無惨に刻まれている。

 だが、身体よりも深刻だったのは、その内側――心の方だった。

 

 リオの言葉が、まだ頭の奥で反響している。

 

 ――優しさだけでは誰も救えない。

 ――現実はそんなに甘くない。

 

 否定したいはずの言葉だった。けれど、目の前で起きた光景が、それを許さなかった。ミカ*テラーを止められなかった事実。アリスを救えなかった現実。そのすべてが、今までの考えを押し潰すように積み重なっている。

 

 守るために選んできた道が、本当に正しかったのか。

 それすら、もう分からない。

 

「……っ……」

 

 息を整えようとしても、うまくいかない。

 ただ、何かを握りしめるように拳を強く閉じることしかできなかった。

 

 その時だった。

 

「あらあら……随分と絞られました様ですね」

 

 背後から、どこか軽やかな声音が差し込む。

 黒夜は振り返る余裕もなく、ただその声を聞くだけだった。

 

「……」

 

「返事をする気力もありませんか?」

 

「……御覧の通り、ですよ……」

 

 ようやく絞り出した声は、かすれていて、自分でも驚くほど頼りなかった。

 ヒマリはその様子を一瞥し、小さく肩をすくめる。

 

「まったく……ネルもリオも直情的すぎて困ってしまいますね」

 

 軽口のようでいて、その言葉は状況を正確に捉えていた。

 黒夜の視線が、わずかに揺れる。

 

「……何が、言いたいんですか……」

 

 問いかけるというより、ようやく零れた言葉だった。

 ヒマリはすぐには答えない。ほんの一瞬、呼吸を置いてから、静かに口を開く。

 

「貴方は今、“自分のやり方では守れなかった”という事実に、足を止めているのでしょう?」

 

「――っ!」

 

 胸の奥を抉られるような感覚。

 言葉にされた瞬間、それは誤魔化しの効かない“事実”として突きつけられる。

 

「リオにそれを突きつけられ、ネルに身体で理解させられた……それでもなお、まだ迷っている」

 

 責める声音ではない。ただ淡々と、状況を整理しているだけ。

 それが余計に逃げ場を奪ってくる。

 

「……本当に、手の掛かる人ですね」

 

 呆れたように言いながらも、その声にはどこか柔らかさが残っていた。

 そして、ヒマリの表情がわずかに変わる。

 

「いいですか」

 

 その一言で、空気が静かに引き締まった。

 

「このまま立ち止まってしまえば……一番後悔するのは、貴方自身ですよ」

 

 その言葉に、黒夜の指先がわずかに震える。

 

「誰も貴方を責めていないのに……貴方だけが、自分を責め続けている」

 

 ぐっと、視線が落ちる。

 

 ――その通りだった。

 

 誰も責めていない。先生も、アリスも、ミドリもユズも。

 それなのに、自分だけが勝手に責任を背負い込んで、勝手に潰れかけている。

 

「……貴方が守りを重視する理由も、理解できます」

 

 ヒマリの声が少しだけ和らぐ。

 

「その選択自体を否定するつもりもありません」

 

 その一言に、黒夜の呼吸がわずかに戻る。

 

「ですが、それで足を止める理由にはなりません」

 

 静かな言葉だった。だが、確実に逃げ道を塞ぐ強さがあった。

 黒夜の胸の奥に、重く沈んでいた何かが、わずかに動く。

 

「貴方の事を信じている人がいるのなら」

 

 ヒマリの視線が、まっすぐに黒夜を捉える。

 

「今度は、貴方がその人達を信じる番ではないですか?」

 

「…………」

 

 答えは出ない。

 出せるはずもない。

 

 けれど、その沈黙は、先ほどまでの“完全な停止”とは違っていた。

 何かが、わずかに動き始めている。

 思考が、まだ形にならないまま、揺れている。

 ヒマリはそれを確認すると、小さく息を吐いた。

 

「……今すぐ答えを出す必要はありません」

 

「ですが」

 

 最後に、静かに言葉を置く。

 

「今の言葉だけは……忘れないでくださいね」

 

 それだけ言い残して、ヒマリはその場を後にした。

 足音が遠ざかる。

 静寂が戻る。

 黒夜は、しばらくその場から動かなかった。

 ただ、ヒマリの言葉が、ゆっくりと胸の奥に沈んでいくのを感じていた。

 

(……信じる……)

 

 その言葉が、引っかかる。

 

 自分はずっと、守る側だった。

 守るために動き、守るために考え、守るために犠牲を背負う覚悟もしてきた。

 

 だが――

 

(私は……誰かを信じていたのか……?)

 

 問いが浮かぶ。

 

 信じていなかったわけではない。

 だが、どこかで“自分が何とかしなければならない”と決めつけていた。

 それは、信じていたのではなく――

 

(……任せていなかった……?)

 

 そこまで思考が届いた瞬間、胸の奥に小さな違和感が灯る。

 まだ答えではない。

 けれど、確かに“何か”が変わり始めていた。

 

 黒夜はゆっくりと拳を開く。

 

 震えはまだ残っている。

 迷いも、恐れも消えてはいない。

 

 それでも――

 

「……まだ……終わってない……」

 

 かすかな声が、静かに零れた。

 その言葉は、誰に向けたものでもない。

 だが確かに、止まりかけていた何かを、もう一度動かそうとする意志だった。

 

 完全な答えは出ていない。

 それでも、立ち止まり続ける理由にはならない。

 

 黒夜は、ゆっくりと顔を上げる。

 その瞳にはまだ迷いが残っている。だが、その奥には――

 確かに、小さな“再起の兆し”が灯っていた。

 

 

 

 

 部屋の中は、静かだった。

 ミレニアムの高層区画に用意されたその一室は、外の喧騒とは切り離されたように静まり返っている。

 整然と並んだ家具も、壁に埋め込まれた機器も、すべてが無機質で――そして今は、その無機質さがやけに空虚さを強調していた。

 

 その中心で、三人は動かずにいた。

 

 いや、正確には一人だけが壊れていた。

 

『嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた嫌われた……』

 

 ミカ*テラーが、床に膝を抱えて座り込みながら、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返している。普段の明るさは影も形もなく、その声には焦りと恐怖がべったりと張り付いていた。

 

『はぁ……ミカさん、少し黙ってくれません?』

 

 ナギサ*テラーが額を押さえながら、ため息混じりに言う。だがその声音にも、普段の余裕はない。どこか上滑りした、落ち着かない響きが混じっていた。

 

『そうだね……これからどうするか、考えなければならないからね』

 

 セイア*テラーが静かに続ける。冷静を装ってはいるが、その視線はわずかに揺れていた。

 

 だが――

 

『黒夜……嫌いにならないで……お願いお願いお願いお願い……』

 

 ミカ*テラーは止まらない。耳に入っていないのか、それとも入っていても止められないのか。言葉は次第に早くなり、呼吸と混ざって崩れていく。

 

『……はぁ』

 

『……やれやれだね』

 

 ナギサとセイアが同時にため息を吐く。だが、その裏にあるのは呆れではない。どう扱えばいいのか分からないという、明確な困惑だった。

 少しの沈黙の後、セイアが口を開く。

 

『……ミカは一旦置いておこう。それで、これからどうするかだ』

 

 その言葉に、ナギサの表情がわずかに強張る。

 

『どうするも何も……どうしようもありませんよ』

 

 静かに、しかし確実に沈んだ声だった。

 

『黒夜さんが……部室から連れ出されていく時の、あの視線……セイアさんも見たでしょう?』

 

 その言葉に、セイアはゆっくりと目を閉じる。

 

『……ああ』

 

 短く、肯定する。

 

『理解できないものを見る目だったね……』

 

 そして、わずかに苦笑する。

 

『前の世界で、散々向けられたから……間違いないよ』

 

 その一言で、空気が重く沈む。

 

 あの視線を、三人は知っている。

 “敵を見る目”でも、“恐れる目”でもない。

 もっと冷たい――“理解できない存在を見る目”。

 

 それは、かつて彼女たちが世界から向けられていたものだった。

 

『……どうして……?』

 

 ナギサがぽつりと呟く。

 

『黒夜さんは……いきなりあのような視線を……?』

 

 問いかけるようでいて、誰にも向けられていない言葉。

 

『ミカさんは……黒夜さんを守っただけですのに……』

 

 その言葉に、セイアがゆっくりと視線を落とす。

 

『……ふむ』

 

 短く思案するように息を吐き、そして静かに結論を口にする。

 

『もしかしたら……ミカの行動が“ただの暴力”に見えてしまったのかもしれないね』

 

『……え?』

 

 ナギサが目を見開く。

 

『どうしてです?敵は……滅ぼすべきでしょう?』

 

 それは当然の理屈だった。彼女たちにとっては、それが“正しい”。

 

 だが。

 

『……黒夜にとって、リオは“敵”では無かったのかもしれない』

 

 セイアの言葉が、静かに落ちる。

 

『それを……私たちが、早とちりしてしまった可能性がある』

 

 その瞬間、ナギサの呼吸が止まる。

 

『そんな……』

 

 言葉が、うまく続かない。

 

『じゃあ……私たちは……』

 

 その先を、言いたくなかった。だが、言葉は止まらない。

 

『……黒夜さんに……見限られる……?』

 

 ぽたり、と。

 涙が落ちた。

 

『あ……あぁ……』

 

 ナギサの瞳から、次々と涙が溢れてくる。自分でも止められない。理解が追いつかないまま、ただ感情だけが崩れていく。

 

『……私たちも……これで終わりか……』

 

 セイアが静かに呟く。その声は、どこか諦めを含んでいた。

 

『短かったな……』

 

 自嘲するように、小さく笑う。だがその目からも、確かに涙が流れていた。

 

『いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……』

 

 ミカ*テラーの声が、再び大きくなる。

 現実を拒絶するように、頭を抱え、体を揺らしながら繰り返す。

 

『いやだ……嫌われたくない……黒夜に嫌われたくない……』

 

 それは、叫びにも似ていた。

 

 世界を滅ぼした存在が。

 数えきれない命を奪ってきた存在が。

 

 たった一人に嫌われることを、これほどまでに恐れている。

 その事実が、この場にいる誰よりも彼女たち自身を、深く傷つけていた。

 部屋の中に、静かな嗚咽が広がる。

 

 誰も、もう笑っていなかった。

 

 誰も、もう余裕などなかった。

 

 ただ一つ、確かなのは――

 彼女たちにとっての“世界”は、すでに一度終わっているということ。

 そして今、その残された唯一の“世界”すら、失いかけているということだった。

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