エリドゥの外縁に足を踏み入れた瞬間、黒夜は“空気の違い”を肌で理解した。
ミレニアムの他の区域にあった整然さは、ここにはない。代わりに漂っているのは、焼け焦げた金属の匂いと、つい先ほどまで確かに“何かが暴れていた”という生々しい余韻だった。
視界に広がるのは、破壊の痕跡。
床は抉れ、壁は裂け、無数の弾痕と爆裂の跡が重なり合うように刻まれている。転がるのは、機能を停止したロボットやドローンの残骸。だがそれらは単なる瓦礫ではない。関節だけを正確に撃ち抜かれたもの、外装ごと内部から破壊されたもの、あるいは原型すら留めないほど粉砕されたもの。その一つ一つが、戦闘の激しさと、そこにいた者の“力量”を物語っていた。
黒夜は足を止める。
ほんの一瞬だけ、呼吸が浅くなる。
(……間違いない)
ここはもう、“戦場の後”ではない。
――“戦いの流れの中”だ。
すでに始まっているどころではない。むしろ終盤に差し掛かっている可能性すらある。
その認識が、じわりと背筋を冷やした。
『うわ~……なにこれ』
場の空気をまるで読まない声が、横から差し込まれる。
ミカ*テラーだった。
『誰がやったのこれ?』
純粋な興味と、ほんの少しの楽しさすら滲む声音。だがそれが、この場の異様さを逆に際立たせる。
ナギサ*テラーは静かに周囲を見渡しながら、僅かに眉を寄せた。
『……派手、という言葉では足りませんね』
その視線は冷静だが、評価は厳しい。
『明確に“殲滅”を意図した戦い方ですね』
セイア*テラーは足元の残骸を軽く蹴り、転がした機体の断面を覗き込む。
『破壊方法が統一されていない』
淡々と分析する。
『射撃、爆破、これは殴打かな?……すべて混在しているが、いずれも無駄がない』
視線が遠くへと伸びる。
『つまり、複数人。しかも全員が高水準』
結論は短い。
『……相当だね』
黒夜は小さく頷いた。
「恐らく……先生たちでしょうね」
その一言に、場の空気がわずかに締まる。
ナギサ*テラーが続ける。
『少なくとも、この痕跡を辿れば――』
『追いつける可能性は高いでしょう』
それで十分だった。
「行きましょう」
短く言い、すぐに歩き出す。
その足取りに、ためらいはない。
遅れている。
だが、まだ間に合うと信じている。
それだけで、前に進む理由には十分だった。
四人は、破壊の軌跡を辿るように進む。
崩れた通路を越え、焦げた床を踏みしめ、歪んだ壁の間をすり抜ける。進むにつれて戦闘の密度は増していく。破壊の痕跡はより新しく、より激しくなり、残骸の数も比例して増えていく。
まるで中心へと導かれているようだった。
(……近い)
黒夜は確信する。
あと少しで追いつく。
その時だった。
――カサリ。
微かな音が、空気の奥で揺れた。
黒夜の足が止まる。
同時に、三人の視線も鋭く動く。
次の瞬間、影が“増えた”。
瓦礫の隙間、天井の陰、壁面の裂け目。そこから這い出るように、異質な存在が姿を現す。
「……これは」
黒夜の声が低くなる。
現れたのは、先ほどまでの残骸とは明らかに系統の異なる機体だった。
丸みを帯びた装甲。
無機質なのに妙に滑らかなフォルム。
そして――四つ足。
蜘蛛を思わせるそれが、音もなく地面を這う。
一体ではない…気配が、増える。
二体、三体――そして、さらに。
『うわ、キモ!』
ミカ*テラーが即座に顔をしかめる。
率直すぎる評価だったが、誰も否定しなかった。
ナギサ*テラーは一歩引く。
『な、何ですかあれは……』
普段の冷静さがわずかに崩れる。視線には明確な嫌悪が宿っていた。
セイア*テラーは逆に一歩前へ出る。
周囲の出現パターンを観察しながら、静かに呟く。
『……なるほど』
『これは面倒だ』
短く結論を出す。
『どこからかわからないが…無尽蔵に湧いているみたいだ』
ミカ*テラーが肩をすくめる。
『あー……一番ダルいパターンじゃんそれ』
気だるげだが、既に臨戦態勢に入っている。
ナギサ*テラーは明確に焦りを見せた。
『ミカさん!あの気持ち悪いロボットを早く薙ぎ払ってください!!』
『えぇ!?無限湧きっぽいから無理だって!』
『ミカ!!早く!!流星群!!』
その単語に、空気が一瞬だけ止まる。
ミカ*テラーが目を丸くする。
『いやそれやってもいいけど…』
『この要塞都市ごと吹っ飛ぶけどいいの?』
ナギサ*テラーは一切迷わなかった。
『構いません!』
「いいわけ無いでしょう!!黒ナギサ様!落ち着いてください!!」
黒夜が即座に割り込む。
さすがにそれは論外だ。
ミカ*テラーは苦笑する。
『ほら怒られたじゃん』
だがその軽口の裏で、状況は確実に悪化している。
蜘蛛型ロボットは、増え続けていた。
じわじわと包囲が形成される。
逃げ道を塞ぐように。
セイア*テラーがふと顔を上げる。
『……あそこだ』
指差す。視線の先――エリドゥの中心。
他の建造物とは明らかに異なる存在感を放つ巨大なビル。
まるで都市そのものの核のように、静かに聳え立っている。
『このロボットたちは、どうやらあそこを目指しているようだ』
黒夜も視線を向ける。
そして、足元の痕跡を見る。
「……間違いありません」
弾痕、破壊跡、その流れ。
「私たちが追ってきた戦闘の軌跡も、あそこに続いています」
答えは一つだった。
ナギサ*テラーの顔が引きつる。
『え……嘘でしょう……?』
ミカ*テラーはため息混じりに笑う。
『うわ~……やっぱそうなるよね~』
セイア*テラーは静かに頷く。
『目的地確定だね』
黒夜は、ゆっくりと盾を構えた。
左腕に収まる純白の盾。
右手に握る漆黒の銃。
視線は、ただ前へ。
「……行きますか」
短く、断言する。
その声に、迷いは一切なかった。
目の前にあるのは、無数の敵と、たった一つの進路。
ならば――
選ぶ必要すらない。
黒夜は一歩踏み出す。
その瞬間、蜘蛛型ロボットが一斉に動いた。
無数の脚が床を叩き、異様な音が空間を満たす。
だが、黒夜は止まらない。
むしろ、速度を上げる。
正面から突っ込む。
『ははっ』
ミカ*テラーが笑う。
『初めての共同作業みたいで楽しいね!』
そのまま追随する。
ナギサ*テラーも覚悟を決める。
『いやですが……仕方ありません』
セイア*テラーは小さく息を吐く。
『はぁ、そんな暢気な物じゃないだろう…』
だが、その目はどこか楽しげだった。
四人は同時に駆け出す。
押し寄せる敵の群れへ。
止まることなく。
迷うことなく。
ただ前へと進んで行く、日常を取り戻すために。
◆
エリドゥ中枢、制御区画。
張り詰めた空気の中で、機械の駆動音だけが無機質に響いていた。
中央に立つアリスの姿は、先ほどまでの彼女とは明らかに違っていた。視線は定まらず、感情の揺らぎもない。ただ“処理を遂行する装置”のように、静かに、そして確実に何かを進めている。
「コード名〈アトラ・ハシースの箱舟〉――起動プロセスを開始します」
その声は冷たかった。
抑揚がないわけではない。だがそこには“意志”がない。
ただ、決められた手順をなぞるように、淡々と発せられる音。
次の瞬間、エリドゥ全域のシステムが軋みを上げるように変質し始めた。
表示されていた監視画面が一斉にノイズを走らせ、次々と異なる情報を映し出す。各地のセンサーが異常値を叩き出し、警告音が重なり合う。
「……コード書き換え……? いえ、違う……これは――」
リオの声が震える。
理解できている。だが、理解したくない。
それでも画面に映る情報は容赦なく現実を突きつける。
「エリドゥ各地で……追従者の出現……?」
次々と表示される新規反応。
点が増える。増え続ける。
そして止まらない。
「……そんなはずが…私の計算は……」
あり得ない。
そんなはずはない。
だが、目の前で起きている。
先生が一歩踏み出す。
「リオ……一体何が起きているの? アリスは……!」
問いかける声は強い。だが、その奥には確かな不安があった。
リオは答えられない。
答えようとして、言葉が途切れる。
「私は……」
口を開く。
だが、その言葉は自分に向けたものだった。
「キヴォトスに終焉がもたらされる可能性を考慮して……」
ゆっくりと一つ一つ確認するように。
「この要塞都市エリドゥを建設した」
それは確かに正しかったはずだ。
最悪を想定し、その対策を用意する。
合理的で、理にかなっている。
――はずだった。
「けれど……」
視線が画面へと戻る。
暴走するシステム。増え続ける敵性反応。
そして、その中心にいるアリス。
「むしろ、そのせいで……」
声が揺れる。
「この都市が……終焉の発端に……?」
その結論に辿り着いた瞬間、思考が一瞬だけ止まる。
「私は――間違っていた……?」
それは、彼女にとって最も認め難い結論だった。
だが、アリスはその間にも止まらない。
「箱舟制作に必要なリソース確保――23%……46%……」
無慈悲な進行報告。
数字が増えていく。
それは単なる進捗ではない。
――世界の終わりへのカウントだった。
リオの意識が現実に引き戻される。
「……っ!」
慌てて先生へと振り向く。
「このままでは……!」
言葉が速くなる。
「エリドゥの全リソースが奪われるわ……!」
そして、それは意味する。
「そうなればキヴォトスが……終わってしまうわ」
その結論は、あまりにも明確だった。
先生の表情が変わる。
だが、リオはそれ以上言わせない。
「先生、聞いて」
声を強める。
「皆を連れて逃げてちょうだい」
「……え?」
「ここから急いで離れて」
はっきりと言い切る。
「今すぐに」
だが先生は動かない。
「リオ……何を言って――」
「私が止めるわ」
その一言で、空気が変わる。
迷いはなかった。
「このシステムを……止める」
視線はアリスへ。
「原因は私よ」
静かに、しかし確実に断言する。
「私がこの都市を作らなければ、こんな事にはならなかった」
その理屈は、彼女の中で完結している。
「だから…私が終わらせる」
先生が言葉を失う。
「……リオ」
「私一人の命で、この終焉を防げるなら――」
わずかに息を吸う。
「そうするべきでしょう?」
それは問いではない。
結論だった。
「それが、最も合理的だから」
迷いのない理屈。
それは正しい。
だが――
「……早く!」
声が強くなる。
「これは極めて論理的な選択よ!」
その瞬間だった。
――轟音。
外縁部から、巨大な爆発音が響く。
建造物全体がわずかに揺れる。
全員の視線が、反射的に窓へと向いた。
遠方。
煙が上がる。
何かが――戦っている。
「なんで……あんな所で……」
リオの声に、明確な焦りが混じる。
「危険だわ……!」
すぐに端末へと手を伸ばす。
監視カメラを起動。
該当区域の映像を引き出す。
ノイズが走る。
そして――映る。
そこにいたのは。
「……黒夜?」
思わず、声が漏れる。
信じられないものを見るように。
画面の中では、歯を食いしばりながら黒夜が盾を構え、無数の追従者と交戦していた。
その背後には、テラーたちの姿もある。
先生も映像を確認する。
「黒夜!?」
ミドリが声を上げる。
「黒夜さん!」
ユズも思わず身を乗り出す。
そしてモモイが、場違いなほど軽く言う。
「え?黒夜も来たの?」
その一言で、ほんの一瞬だけ空気が緩む。
だが、リオはすぐに通信を繋げる。
「黒夜!」
回線が開く。
爆音と銃声が混じる中、応答が返る。
「ゲホッ……ゲホッ……え? ああ、リオさん!」
苦しそうだが、声ははっきりしている。
「なぜ来たの!?」
焦りが隠せない。
だが黒夜は即答する。
「それはもちろん――」
一瞬の間もなく。
「リオさんとアリスさんを助けるためですよ!」
「なっ――」
言葉を失う。
「バカなことを……!」
思わず強い口調になる。
「危険よ!今すぐ撤退しなさい!」
だが黒夜は、あっさりと返す。
「丁重にお断りします!」
その声には、迷いがなかった。
次の瞬間、衝撃音。
「っ……危なっ……!」
銃声と爆発が混ざる。
だが、それでも会話は続く。
「それよりリオさん!」
黒夜が言う。
「このロボットたちはリオさんが制御しているんじゃないんですか?」
一瞬、リオが詰まる。
「……いいえ、違うわ」
否定する。
「今は詳しく説明できないけれど…」
その声には焦りが滲む。
「私が間違えたから、この状況になったのよ……!」
「だから私が止める!」
そのまま続ける。
「私一人の犠牲で!」
その言葉に、通信の向こうが一瞬だけ静まる。
そして。
「……じゃあ、このロボットたちは敵なんですね?」
確認だけが返ってくる。
そして一人で納得した様に。
「大体わかりました」
「黒夜!?何を――」
その問いを、黒夜の言葉が遮る。
「私たちで時間を稼ぎます!」
その一言で、すべてが変わる。
「リオさん」
呼びかける声が、静かになる。
「貴方の知識と技術で、アリスさんを助けてあげてください」
その言葉に、リオの思考が止まる。
「私は――」
続く言葉。
「貴方のことを信じていますから」
それは、あまりにも単純な言葉だった。
だが――
リオが最も聞きたかった言葉でもあった。
「だから」
静かに、しかし確実に。
「犠牲になるなんて、言わないでください」
その瞬間また爆発が起きた。
そして通信が、途切れる。
「黒夜!?黒夜!!」
リオが必死に通信機に叫ぶが応答はない。
ただ、ノイズだけが返る。
しばらくそのまま、固まる。
思考が追いつかない。
理解が追いつかない。
黒夜の残した言葉だけが残る。
“信じています”
その一言が、頭の中で反響する。
先生が静かに口を開く。
「……黒夜に、託されちゃったね」
その言葉が、現実を形にする。
リオは何も言えなかった。
ただ、通信機を握りしめたまま――
初めて、自分の選択が揺らぎ始めていることを理解していた。