ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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勇者と魔王 ~11~

 エリドゥ外縁部の戦場は、先ほどまでの“追跡”という言葉がいかに生ぬるかったかを教えてくる場所だった。

 

 中央のビルへと続く動線を塞ぐように、蜘蛛にも似た異形の機体が次々と湧き出し、規則正しいようでいて不気味な気配を纏いながら前進を続けている。

 

 破壊されたドローンやロボットの残骸が辺りに散乱しているにもかかわらず、その上をさらに新しい敵が這い回る光景は、戦況が収束に向かうどころか、むしろ悪化し続けていることを示していた。

 

 地面には砕けた装甲板が刺さり、壁面には焼け焦げた弾痕が走り、遠方ではまだ断続的に爆発が起きている。

 

 その一つ一つが、先に進んでいる先生たちの存在を感じさせる一方で、そこへ辿り着くまでの道のりが平坦ではないことを嫌でも理解させた。

 

 だが、黒夜たちはもう止まるつもりはなかった。

 

 押し寄せる敵を前にしても、黒夜はあくまで最前列を維持し、盾を真正面に構えて機体の進行を食い止めていた。

 

 大きく構えたその盾に最初の一体が激突し、続けざまに二体目、三体目が重なるようにぶつかってくるたび、衝撃が腕から肩へ、肩から背中へと伝っていく。

 

 それでも踏み込んだ足は緩まず、僅かに角度を変えながら衝撃を逸らし、完全に押し込まれないように受け止め続ける。

 

 守るというより、正確には“流れを止める”戦い方だった。敵を殲滅するのではなく、中央へ向かおうとするその前進を遅らせる。今この場で求められているのは勝利ではなく、時間だった。

 

『あぁーもう、数だけの雑魚の癖にうざいな~!』

 

 そんな前線のすぐ横を、ミカ*テラーが苛立ちを隠そうともせず駆け抜ける。軽口のように聞こえるその声の裏で、彼女の拳は一切の躊躇なく地面へと叩き込まれた。

 

 瞬間、衝撃が爆ぜ、足元から走った破壊の波が蜘蛛型の機体群をまとめて跳ね飛ばす。重い爆発音とともに装甲が砕け、部品が宙を舞い、地面に叩きつけられた敵がその場で沈黙する。

 

『ミカさんいいですか!? そのロボットを私に近づけさせないでください!』

 

 後方から響くナギサ*テラーの声には、普段なら聞き流せる程度の苛立ちが、今は妙に生々しく乗っていた。敵に対する嫌悪ももちろんあるが、それ以上に、あの蜘蛛じみた外見そのものが彼女の神経を逆撫でしているのが分かる。

 

 戦場に似つかわしくないほど率直な叫びだったが、だからこそ張り詰めた空気の中で妙に浮いて聞こえた。

 

『はいはーい。ナギちゃんは後ろから援護してて~』

 

 ミカ*テラーは軽く応じるが、その返事の軽さに反して、踏み込みは鋭い。黒夜が盾で押し留めて作った僅かな隙間へ滑り込むように入り込み、敵の密集地点だけを狙って一気に崩していく。

 

 その動きは派手だが無秩序ではない。以前のように感情のまま割り込んで黒夜を庇うのではなく、黒夜が止めている流れを壊さない位置取りで戦っている。その変化は小さく見えて、しかし決定的だった。

 

 ナギサ*テラーもまた、後方でただ火力を振るっているわけではない。蜘蛛型ロボットの出現位置、進行方向、密集具合を一瞬ごとに見極め、必要な箇所だけを正確に撃ち抜いていく。

 

 過剰な火力で瓦礫を増やしてしまえば、次に進む自分たちの足を止めることになる。

 だからこそ、彼女の攻撃は苛立ちとは裏腹に異様なまでに繊細だった。嫌悪を押し込め、冷静さを維持し、黒夜の負担を増やさないためだけに精度を保っている。

 

 彼女が目の前の敵ではなく、もっと先――黒夜が立っている位置を起点に戦場全体を捉えているのは明らかだった。

 

 セイア*テラーはその二人の中間程の位置で、周囲の状況を絶えず観察していた。どこから新しい敵が湧き、どの角度から黒夜の盾を抜こうとしているのか、誰の動きが一瞬遅れていて、どこを削れば全体の流れが安定するのか。

 

 そのすべてを見ている瞳は静かだが、決して余裕を含んだものではない。敵の物量は明らかに異常で、一瞬でも判断を誤れば前線は崩れる。

 

 だからこそ、彼女の役割は“戦う”ことそのものではなく、“破綻させない”ことにあった。

 

『ゲホゲホ! 黒夜!? 大丈夫かい?』

 

 横合いから一体を撃ち抜きつつ、セイアが声を飛ばす。黒夜は盾越しに迫ってきた機体の脚を銃で撃ち砕き、そのまま体勢を崩した相手を押し返しながら短く答えた。

 

「ええ、なんとか……!」

 

 その返答は普段通りに聞こえたが、言葉の終わりに僅かな掠れが混じる。セイアの眉が、目立たない程度にほんの少しだけ寄る。

 

『ミカ! もう少し周りを気遣いたまえ! いつもと違って黒夜も居るんだぞ!』

 

 先ほどの地面を殴りつけるような広範囲攻撃の余波が、敵だけでなく前線の黒夜にも及んでいた。衝撃そのものは致命傷には程遠い。だが、盾で敵を受け止め続けている状態では、ほんの僅かな乱れでも体勢維持には大きな負荷になる。

 

『あっ……そうだった』

 

 ミカ*テラーが素直に言い、次の踏み込みで火力の方向を僅かにずらす。その変化は小さいが、黒夜にとってはありがたかった。

 敵の攻撃そのものより、味方の余波のほうが厄介だという状況は、ある意味でこのチームらしいとも言えたが、今は笑っていられる余裕などない。

 

 時間を稼ぐと決めた以上、戦い方も自然とそれに合わせたものになる。無理に押し込みすぎず、だが押し切られもしないように前進と足止めを繰り返す。

 少し進んでは戦い、敵の流れを削ってはまた移動する。その連続だった。

 短い距離を移動するだけでも、そのたびに新しい敵が湧き、立ち止まれば包囲される。進むことと戦うことが完全に一体化したまま、時間だけが削られていく。

 

 その中で、黒夜の消耗は確実に蓄積していた。

 

 テラー達は肉体的な意味ではまだ余裕がある。もちろん無尽蔵ではないにせよ、少なくとも“盾で受ける”という形で正面から疲労を積み上げてはいない。

 だが黒夜だけは違った。敵の体当たりも、射撃も、飛びかかってくる脚の刃も、すべて最初に受け止めている。受け止め、逸らし、押し返す。

 その一つ一つは成立しているものの、成立するたびに体力が削られていくのもまた事実だった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸が荒くなる。

 

 自分でも分かるほど、肩の上下が大きくなっていた。盾を持つ腕の感覚は鈍く、握力も少しずつ怪しくなってきている。足はまだ動く。視界もまだ定まっている。だが、その“まだ”がいつまで持つかは、本人が一番よく分かっていた。

 

 当然、周りの三人も気付いていた。

 

 それでも、誰もそのことを口にしない。

 

 以前までなら、真っ先に「下がってください」と言っていたのはナギサ*テラーだろう。ミカ*テラーなら有無を言わせず前に割り込み、セイア*テラーなら理屈と未来視めいた勘で黒夜を後方に退かせていたはずだ。

 だが今は、誰もそれをしない。できない、ではなく、しないのだ。それは距離を取っているからではない。むしろ逆で、黒夜を信じるということが、ようやく彼女たちなりに少しだけ形になっていた。

 

 ミカ*テラーは次の敵の群れへと飛び込みながら、余計な言葉を飲み込む。黒夜がこんな所で止まるはずがないと、自分に言い聞かせるように拳を振るう。

 自分は少しでも前を片付ける。黒夜が耐える時間を短くする。それが今の自分にできる最善だと、ほとんど本能的に理解していた。

 

 ナギサ*テラーもまた、視線を前方に固定したまま、胸の奥に湧き上がる焦りを押し殺していた。黒夜を気遣う言葉は喉元まで来ている。

 それでも出さない。今それを言えば、彼の意識を分断するだけだと分かるからだ。ならば、自分は一秒でも早く戦闘を終わらせる。嫌悪も動揺も後回しにして、ただ正確に、速く。

 

 セイア*テラーは二人よりさらに静かだった。黒夜の呼吸の乱れも、足の運びの微妙な重さも、盾を構える高さが僅かに下がってきていることも、すべて把握している。

 だからこそ、敵の動きを先読みして黒夜が最も受けやすい形になるように戦場全体を整え続けていた。今、彼を休ませることはできない。ならば、少しでも消耗を遅らせるしかない。

 

 そうした三人の動きに、黒夜自身も気付いていた。

 

 敵の出現位置に合わせてミカ*テラーが自然に前へ出るタイミング。ナギサ*テラーの援護が、自分の足運びに合わせて僅かにずれて届く位置。セイア*テラーの声がなくても、敵の流れがひと呼吸だけ緩む瞬間。いずれも偶然ではない。自分が限界に近いことを察した上で、三人があえて“口にせず”支えているのだと分かる。

 

(情けないな……)

 

 そう思う。

 

 だが、ありがたかった。

 

(この時間稼ぎを提案したのは私だ……なら、私が真っ先に倒れるわけにはいかない)

 

 限界を認める余裕はない。認めたところで、代わりに前に立つ者がいるわけではない。今の連携は、自分がここにいることを前提に成立している。だから無視する。疲労も痛みも、自分の内側で処理すべき雑音に過ぎないと、無理やり飲み込む。

 

 その時だった。

 

 盾を打った一発の軌道を、わずかに見誤る。

 

 疲労で半拍だけ反応が遅れた。完全に受けきれなかった弾が頬を掠め、熱い痛みが走る。同時に、左目を覆っていた眼帯の紐が千切れ、その白い布がふわりと宙を舞って地面に落ちた。

 

『黒夜、大丈夫!?』

 

 ミカ*テラーの声が戦場に響く。

 

「ミスっただけです! このくらい平気ですよ!」

 

 そう返しながら、黒夜は視界に飛び込んできた敵の脚を撃ち抜き、崩れた相手を盾で押し返す。落ちた眼帯を拾う余裕はない。左目に当たる空気がやけに冷たいが、気にする意味もない。今は前に出るしかない。

 

 さらに一歩、前へ。

 

 だが、その瞬間、異変が起きた。

 目の前にいた蜘蛛型ロボットたちの輪郭が、ふっと薄れる。

 まるで最初から幻だったかのように、次々と姿を消し始めた。装甲も脚も、破壊されるでもなく霧散するように消えていく。その光景に、四人の動きが揃って止まる。

 

『……どうやら終わったみたいだね』

 

 最初に口を開いたのはセイア*テラーだった。声音は静かだが、その奥にある緊張が完全には解けていない。

 

『ようやく終わりか~! 疲れたー!』

 

 ミカ*テラーが大きく息を吐く。肩を回しながら言うその軽さに、ようやく“いつもの調子”が少しだけ戻ってくる。

 

『はぁ……本当に気持ち悪かったですね……終わってよかったです』

 

 ナギサ*テラーも胸元に手を当てて深く息を吐いた。蜘蛛型の外見に終始神経を削られていたのだろう、その安堵はかなり本物だった。

 

 黒夜も、その言葉でようやく戦闘の終了を理解する。

 

 終わった。

 

 その認識が、張り詰めていた糸を一気に断ち切った。

 肩の力が抜ける。

 膝が笑う。視界が、ぐらりと揺れた。

 

(……あぁ、この感覚はまずい)

 

 そう思った時には、もう遅かった。

 黒夜の両足を支えていた気力がぷつりと切れ、そのまま身体は前のめりに崩れる。盾を手放す間もなく、うつ伏せに倒れ込んだところで意識が暗く落ちた。

 

『黒夜!?』

 

『黒夜さん!!』

 

『おい、しっかりしろ!』

 

 三人の声が重なる。

 

 先ほどまでの“信じて任せる”空気は一瞬で吹き飛び、三人は大慌てで黒夜のもとへ駆け寄った。ミカ*テラーが真っ先に抱き起こそうとし、ナギサ*テラーが呼吸と脈を確認し、セイア*テラーが周囲の気配を探りながら撤退経路を判断する。

 その動きに迷いはなかった。信じることと、放っておくことは違う。今の黒夜はもう立てない。ならば優先順位は一つだ。

 

『急いで撤退するよ』

 

 セイア*テラーの一言で決まる。

 

『そうですね!』

 

『言われなくてもそのつもり!』

 

 倒れた黒夜を回収し、三人はすぐにミレニアムでの拠点に向かう。戦闘が終わったとはいえ、この場所に留まる理由はない。

 中央で何が起きているのかは分からないが、今の彼を連れて飛び込める状況ではないことだけは明らかだった。

 

 そうして、彼女たちは迷いなくエリドゥから撤退していくのだった。

 

 

 

 

 

 エリドゥ中枢の騒乱がようやく静まり、張り詰めていた空気の中に“助かった”という実感が遅れて広がり始めた頃、アリスの周囲ではゲーム開発部の面々が我先にと駆け寄り、泣き笑いのような顔で抱きついたり、肩を叩いたり、半ば叫ぶように名前を呼んだりしていた。

 

 つい先ほどまで世界の終わりを現実のものとして突きつけられていたはずなのに、その中心にいた少女は今、友人たちの腕の中で確かに“帰ってきた仲間”として扱われている。その光景だけを切り取れば、ここがつい数分前まで要塞都市の制御中枢であり、あらゆる破滅の引き金になりかけた場所だとはとても思えなかった。

 

 リオは少し離れた場所に立ち、その様子をただ見つめていた。自分の手で切り捨てるしかないと結論づけ、合理的であると信じていた選択を、あの子たちは正面から否定してみせた。

 

 しかも理屈で押し返したのではなく、手を伸ばして、抱きしめて、名前を呼んで、どうしようもなく感情的なやり方で現実をねじ曲げたようにしか見えない。

 

 計算で組み上げた予測の外から飛び込んできた“あり得ない結果”が、目の前で人の形を取って笑っている。そのことに、未だ感情も理解も追いついていなかった。

 

「こんな事が……本当に出来るなんて……」

 

 零れた声は、ほとんど独り言だった。自分でも驚くほど掠れていて、そこにあったのは安堵よりも先に来る茫然自失だった。

 

 隣に立つ先生が、その言葉を拾うように小さく笑う。

 

「今でも信じられないって顔だね」

 

 そう先生に言われ、リオはわずかに眉を寄せた。

 事実その通りだったから、反論のしようがない。視線だけはアリスたちの方から外せないまま、ゆっくりと息を吐く。

 

「ええ……目の前で見ていても、まだどこか現実味がないわ。こんな都合のいい展開、あり得るはずがないと思っていたのに」

 

 それは自嘲にも近かった。自分はずっと、最悪を想定し、その上で最も損失が少ない道を選ぼうとしてきた。

 けれどあの子たちは、最悪を前提にした計算式そのものをひっくり返してしまった。

 

 先生はそんなリオの横顔を見ながら、どこか楽しげに肩を竦める。

 

「まあ、あの子たちは勇者とそのパーティメンバーだからね」

 

 そのままアリスたちの方へ視線を向けた。

 

「不幸とか悲しさとか、そういうのは笑いながら乗り越えて、そのままどこまでも行っちゃうんだよ」

 

 冗談のような言い方だったが、そこに含まれているものは決して軽くなかった。

 リオは何も答えず、その言葉の意味を測るようにほんの少しだけ目を細める。

 理屈にすれば粗だらけで、感情に寄せて見れば眩しすぎる。理解はできなくても、否定しきれない現実がそこにあった。

 

 そんな空気に割り込むように、遠くから足音が近づいてくる。

 振り返れば、ネルとC&Cのメンバーたちがやって来ていた。全員が多少なりとも消耗は見えるが、それでも大きな怪我もない。

 そして、その列の最後尾には、やたらと乱暴に引きずられているトキの姿があった。

 

「ほらよ、お前の専属だろ?」

 

 ネルは言うなり、半ば投げるようにトキをリオの方へ押し出す。

 

「ちゃんと最後まで面倒見てやれよ!」

 

 あまりにも雑な扱いに、リオが反射的にトキを受け止める。

 トキは文句の一つでも言いそうな顔をしていたが、さすがに疲労が勝っているのか、それ以上は何も言わなかった。リオはその肩を支えながら、ネルの方へ視線を上げる。

 

 ネルはアリスとゲーム開発部の騒がしい再会を一瞥し口元を歪めるように笑いながら。

 

「とりあえず、これで一件落着か?」

 

 戦闘屋らしい雑なまとめ方だったが、それを誰も訂正できない程度には、皆が疲れていた。

 

 その時だった。先生が何かに気づいたように、はっと表情を変える。

 

「……そうだ! 黒夜は!?」

 

 その名前が出た瞬間、場の空気が変わった。

 

 アリスたちの笑い声が一拍だけ遅れて止まり、リオの指先に僅かな力が入る。

 今の今まで、目の前の事態を収めることに意識を向けすぎて、誰もがそこに思い至っていなかった。

 いや、思い至りたくなかったのかもしれない。けれど名前を出された瞬間、後回しにしていた不安が形を持って押し寄せてくる。

 

 アリスは少し遅れてから、まるで当然の事実を聞かされたかのようにと声を上げた。

 

「黒夜も戦っていたのですね!」

 

 その声音には純粋な嬉しさが混じっていたが、リオはその反応に安堵する余裕がなかった。

 

「喜んでいる場合じゃないわ」

 

 ほとんど自分に言い聞かせるように言葉を継ぐ。

 

「黒夜がいた位置は、一番戦闘が激しかった場所よ……早く合流しないと」

 

 その一言で、全員が動き出した。誰も異論を挟まない。

 エリドゥの中枢を抜け、まだ完全には静まっていない施設の通路を急ぎ足で戻っていく。

 先ほどまで勝利と安堵の余韻が漂っていたはずなのに、今はそれがきれいに吹き飛んでいた。

 皆の足音だけがやけに大きく響き、その速さに比例するように胸の内側の不安も膨らんでいく。

 

 外縁部へ近づくにつれて、破壊の痕跡は色濃くなる。そして実際に黒夜たちが戦っていた現場に辿り着いた時、そこにいた全員が言葉を失った。

 

 地面には無数の大穴が口を開け、壁面は崩れ、元の構造を想像することさえ難しいほどに廃墟と化している。

 瓦礫の間には、破壊されたロボットの残骸がいくつも転がり、切り裂かれた装甲板や折れた脚部があちこちに散乱していた。

 戦闘の激しさだけなら、これまで見てきたどの区画よりもひどい。だが本当に背筋を冷やしたのは、その破壊の中心に“人の気配”がまるで感じられなかったことだった。

 

 静かすぎた。

 

 ついさっきまで誰かがここで戦っていたはずなのに、その名残があまりにも生々しいせいで、余計に“今ここに誰もいない”ことが不気味に浮き上がる。

 

「黒夜!居たら返事してちょうだい!」

 

 リオの叫びは瓦礫の間を抜けて遠くへ消えていく。返事はなかった。

 

「どこかで動けなくなってるのかもしれない」

 

 先生が周囲を見回しながら言った言葉で皆を現実に引き戻した。

 感情に飲まれて立ち尽くしている場合ではない。すぐに捜索が始まる。瓦礫を退かし、崩れた通路の奥を覗き込み、折れた機体の陰まで探していく。

 

 だが、見つからない。

 

 破壊の痕跡はある。戦闘がここで起きたことは明白だ。けれど肝心の黒夜の姿がどこにもない。その“不自然さ”が、時間とともに不吉さへ変わっていった。

 しばらくして、リオの足が止まる。視界の端で、地面に落ちている白いものが目に入った。瓦礫と煤に汚れた地面の上に、それだけが妙に見覚えのある形で転がっている。

 

「あれは……」

 

 自分でも驚くほどかすれた声が出る。足が勝手にそちらへ向かい、しゃがみ込んでそれを拾い上げる。指先に触れた布の感触は軽く、けれどその軽さが逆に胸を冷やした。

 

 黒夜の眼帯だった。

 

 普段から彼が左目に付けていた、白い眼帯。その紐は途中で千切れ、布地の一部には乾きかけた血が滲んでいる。

 

 視界が揺れた。

 

 ただの落とし物だと考えようとした思考を、付着した血痕が一瞬で押し潰す。

 リオの手が小さく震えた。冷たくなる指先と反比例するように、胸の奥だけが熱を帯びる。嫌な想像が頭をもたげ、それを打ち消す材料はどこにもない。

 

「黒夜!!お願いだから無事なら返事をして!!」

 

 今度の叫びは、明らかに先ほどとは違っていた。返事を求める声ではなく、祈りに近い。お願いだからどこかで返事をして、という焦燥がそのまま声になっていた。

 

 その様子に皆が集まり、リオの手の中にあるものに気づく。先生の表情が固まる。

 ミドリが「それ……黒夜さんの眼帯だよね……?」と、確認するようでいて確認したくない問いを零す。

 アリスは何も言えず、ただその白い布と血痕を見つめていた。ネルも無言で歯を食いしばり、わずかに視線を逸らす。

 

 その沈黙を破ったのは先生だった。

 

「これだけ探しても居ないんだから、もしかしたら怪我をして、もう先にミレニアムへ撤退してるのかもしれない。ここで立ち止まってるより、一度戻ろう」

 

 努めて平静を装うように言う。

 慰めるための言葉だと分かる。根拠が薄いことも、先生自身が理解しているだろう。それでも、今はそれに縋るしかなかった。

 

「……そうね」

 

 リオは眼帯を握りしめたまま小さく呟く事しか出来なかった。

 その声音はまだ震えていたが、少なくとも足を止める理由にはならなかった。

 全員が無言のまま、急いでミレニアムへと引き返す。

 

 ミレニアムへ到着すると、全員で真っ先に医務室へ向かった。

 怪我をしていれば、そこにいるはずだ。そう思うこと自体が半ば願望であると分かっていても、他に縋れるものはない。

 

 扉を開け、中を確認すると――

 

 室内は恐ろしい程に静かだった。

 

 整然と並んだベッド。無人の室内。そこにあるのは、いつも通りの医務室でしかなく、“怪我人が運び込まれた痕跡”などどこにもなかった。

 

 その光景を認識した瞬間、リオの中で何かが音もなく崩れる。

 言い訳が、なくなった。

 撤退しているかもしれない。怪我をしていても助かっているかもしれない。そうやって繋いでいた仮説が、ひとつずつ静かに消えていく。

 手の中の眼帯だけが、やけに重かった。

 

「……ごめんなさい」

 

 呟きは、誰に向けたものだったのか、自分でも分からなかった。

 黒夜に対してなのか、先生たちに対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。ただ、その一言だけが自然に零れた。

 

 視線は落ちたまま戻らない。

 

 アリスは少し離れた場所で立ち尽くしていた。先ほどまで仲間と抱き合っていた時の柔らかい表情はすっかり消え、ただ絶望したように黙り込んでいる。

 唇が微かに開いては閉じるが、言葉にはならない。黒夜も戦いの場に来ていた。その事実が嬉しかったはずなのに、今はその記憶そのものが鋭い刃になっていた。

 

 ネルはそんな空気の中で、低く「……クソ」と吐き捨てることしかできなかった。

 怒りなのか、自分自身への苛立ちなのか、そのどれもが混ざった短い悪態だった。

 C&Cの面々も、気安く何かを言えるような空気ではないと理解しているのか、ただ黙っている。

 

 先生だけが、まだ何かを考えているように見えた。けれどその表情も決して明るくはなく、むしろ“希望を失わない”という役割を、今ここで手放してはいけないと自分に言い聞かせているようだった。

 

 医務室の静けさは、外の喧騒をまるで別世界のもののように切り離していた。誰も座ろうとせず、誰も次の言葉を見つけられないまま、時間だけが鈍く流れていく。

 

 リオは視線を上げられない。

 

 黒夜が最後に通信越しに言った言葉が、何度も頭の中で繰り返される。信じていると、そう言われた直後だった。

 自分の知識と技術でアリスを助けてくれと託されて、その背中に時間を稼がせた。その結果がこれだとしたら――自分は何を差し出させたのか。

 

 謝罪は遅すぎる。後悔はもっと役に立たない。けれどそのどちらも止められないまま、静かな医務室の中で、誰一人救いのある言葉を見つけられずにいた。

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