ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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守れなかった者と、守ろうと足掻く者 ~3~

 午後の陽射しが、砂に反射して白く滲んでいた。校庭の中央に立つ黒夜は、盾の縁をわずかに持ち上げながら、呼吸を整える。乾いた風が頬を撫でるたび、砂粒が靴底で微かに軋んだ。

 対面にいるのは 小鳥遊ホシノ。だらりとした立ち姿は変わらないが、先ほどまでの“軽さ”に、ほんの少しだけ芯が通っているのを黒夜は感じ取っていた。

 

「じゃ、もう一回いくよ〜」

 

 気の抜けた声。しかし合図の直後、踏み込みは正確だった。

 

 ――来る。

 

 黒夜は一歩前へ。盾を前に出し、角度を調整する。衝撃は受けるのではなく、流す。教わった通りに、力を逃がす意識を持つ。

 最初の一撃は、ほとんど音もなく弾けた。腕に残る重さは最小限。姿勢も崩れない。

 

「そこ、もう一歩前だよ!」

 

 ホシノの声が飛ぶ。

 

「腕が下がってるよ〜」

 

 黒夜は踏みとどまる。意識して前へ。だが次の瞬間、別方向からの打撃。盾で受ける。流す。しかし、やはり半歩遅れる。

 

 ――ズレている。

 

 防いではいる。だが、常に“後”だ。

 呼吸を一つ挟み、黒夜は間合いを詰め直す。前へ。逃がすだけでは足りない。押し返す意識を持つ。

 ホシノはその様子を眺めながら、小さく息を吐いた。

 

「うーん……」

 

 気の抜けた声だが、その視線はしっかりと黒夜の動きを追っている。

 

「黒夜君さ〜」

 

「はい」

 

「ここからは、ちょっとやり方変えよっか」

 

 軽く手を振り、視線を横に流す。

 

「ここからは実際に“守ってみようか”」

 

 その言葉に、少し離れた場所で見ていた面々が反応した。

 

「守るって……誰をですか?」

 

 アヤネが問いかけると、ホシノは顎で示す。

 

「誰でもいいよ~」

 

 曖昧な指示に、一瞬の間。

 だがすぐに、前に出たのはシロコだった。

 

「……私がやる」

 

 短く言い切る。

 そのまま黒夜の近くへと歩み寄り、位置を取る。躊躇はない。

 

「大丈夫?」

 

 ホシノが一応確認するように聞く。

 

「ん、問題ない」

 

 頷きは一度だけ。

 黒夜はそのやり取りを見て、静かに息を整えた。

 

「……了解しました」

 

 守る対象が明確になった瞬間、意識が切り替わる。先ほどまでの“技術の確認”とは違う。これは実戦に近い。

 黒夜は半歩前に出て、シロコを背に庇う位置へと移動した。盾を構え、視線をホシノへ固定する。

 

「条件は簡単」

 

 ホシノが指を一本立てる。

 

「一定時間、シロコちゃんに一発も通さなければ黒夜君の勝ち」

 

 軽い口調で言いながらも、その内容は単純かつ明確だった。

 

「わかりました」

 

 黒夜は短く応じる。

 

「じゃ、いくよ〜」

 

 その一言と同時に、空気が動いた。

 最初の一撃は、先ほどと同じ。正面からの踏み込み。黒夜は落ち着いて盾を合わせ、角度を作る。衝撃はそのまま逃がされ、身体への負担はほとんどない。

 続く二撃、三撃。方向を変えながらの攻撃も、黒夜はすべて捌いていく。足を止めず、わずかに前へ出ながら、位置を維持する。

 

「お、いいね」

 

 ホシノが軽く笑う。

 

「ちゃんと守る意識になってる」

 

 その言葉通り、黒夜の動きは先ほどとは違っていた。単に受けるのではなく、“位置を保つ”ことを優先している。

 遠くで見ていた 十六夜ノノミ が声を上げる。

 

「すごいです!動きが良くなってますね!」

 

「ええ、後退が減っています」

 

 アヤネも静かに分析する。

 

「ただ……」

 

 そこで言葉を切る。

 セリカが小さく呟く。

 

「なんか、まだ噛み合ってないわよね」

 

 黒夜は防いでいる。だが、完全ではない。

 ホシノの攻撃がわずかに軌道を変える。黒夜はそれに対応するが、ほんの僅かに遅れる。その遅れを取り戻すために、一歩だけ余計に動く。

 

 ――ズレる。

 

 その繰り返し。

 黒夜は気付いている。だが、修正しきれない。

 

(なにが足りない……?)

 

 盾の角度、足の運び、視線の置き方。すべてを意識しているのに、ほんの一歩が遅れる。

 その様子を見ていたホシノの目が、わずかに細くなった。

 

「へぇ〜……」

 

 小さく漏れる声。

 そして――ほんの少しだけ、空気が変わる。

 黒夜の背筋に、はっきりとした感覚が走った。

 

 ――来る!

 

 踏み込みが消える。

 視界の中で、ホシノの位置が“ズレた”ように見えた。

 反射で盾を出す。角度は完璧。衝撃も逃がした。

 

 だが、その直後。

 

 視線を切り替えた瞬間には、もう遅れている。

 ホシノの軌道が、シロコへと伸びる。

 

「……っ!」

 

 黒夜は踏み込む。盾を滑り込ませながら間に入る。

 

 ――だが。

 

 わずかに、届かない。

 乾いた音が、小さく響いた。

 シロコの肩口に、軽く触れる程度の一撃。

 

「……当たった」

 

 静かな声。

 それだけで、結果は確定する。

 黒夜の動きが止まった。盾は上がったまま。だが、意味はない。

 

 数秒の沈黙。

 

 ホシノがゆっくりと息を吐いた。

 

「ほらね〜」

 

 軽く言いながら、銃口を下ろす。

 黒夜の盾に視線を落とす。

 

「でもさ〜、防ぎ方はかなり良くなってるよ」

 

 一拍置いて、続ける。

 

「だからこそ惜しいんだよね〜」

 

 黒夜は何も言わない。言えない。

 

「守る事って耐える事じゃないからね〜」

 

 その言葉が、静かに落ちる。

 乾いた風が、間を埋める。

 

「それだとさ〜」

 

 ホシノが肩をすくめる。

 

「いつか間に合わなくなるよ」

 

 黒夜の胸の奥で、何かが重なる。

 あの時の言葉と、今の現実が、繋がる。

 

 ――優しさでは、守れない。

 

 盾を持つ手が、わずかに下がる。

 遠くでノノミが息を呑み、アヤネが静かに目を伏せる。セリカは腕を組んだまま、小さく舌打ちした。

 シロコは、触れられた肩を一度だけ見下ろし、そして黒夜を見る。

 責めるでもなく、慰めるでもなく。ただ結果を受け止める視線。

 

 黒夜はゆっくりと顔を上げた。

 答えはまだ出ない。

 だが、“このままでは守れない”という確信だけは、確かにそこにあった。

 

 

 

 

 夜のアビドスは、昼間とはまるで別の顔を見せていた。熱を帯びていた空気はすっかり冷え、乾いた風が校舎の縁をなぞるように吹き抜けていく。屋上のフェンス越しに広がるのは、果ての見えない砂の海と、その上に広がる静かな夜空だった。

 

 黒夜はその端に立ち、何をするでもなく空を見上げていた。

 星はよく見える。余計な灯りがない分、ひとつひとつがやけに鮮明に映る。だが、その光景を前にしても、心はどこか落ち着かないままだった。

 

 ――耐えれてはいた。

 

 それは間違いない。技術としては成立していた。実際、攻撃はほとんど捌けていたはずだ。

 

 それでも守れなかった。

 

 理由は理解している。後手に回っているからだ。すべて“受けてから”動いている。だから、ほんの一瞬が間に合わない。

 理屈としては、分かる。

 だが、それをどう改善すればいいのかが、分からない。

 視線を少し落とす。無意識に、手が盾へと伸びかける。触れる直前で、指が止まった。

 

 あの時の言葉が、頭の奥で静かに響く。

 

 ――優しさでは守れない。

 

 そして今日、突きつけられた現実が、それを否定できなくしていた。

 小さく息を吐く。答えが出ない…自分だけでは出せない。

 そんな状態のまま、ただ夜空を見上げて立ち尽くしていると――

 

「こんなとこで何してんの〜?」

 

 後ろから、気の抜けた声がかかった。

 振り向くと、そこにはホシノがいた。片手にマグカップを二つ持ち、いつものようにゆるい足取りで近づいてくる。

 

「随分探しちゃったよ〜」

 

 そう言いながら、黒夜の隣に並び、一つを差し出す。

 

「はい、ホットコーヒー」

 

「……ありがとうございます」

 

 受け取ると、じんわりとした熱が掌に伝わってくる。夜風に冷えた身体には、思っていた以上にありがたかった。

 ホシノはそのままフェンスに軽くもたれかかる。

 

「黒夜君は真面目だね〜」

 

 空を見上げながら、ぽつりと呟く。

 

「おじさん、そういうの苦手なんだよね〜」

 

 その言い方に、黒夜はわずかに視線を伏せた。

 

「……守れているつもりでした」

 

 言葉は自然と出ていた。

 一拍置いて、続ける。

 

「ですが、実際には守れていない」

 

 自嘲も、言い訳もない。ただ事実だけを並べたような声音だった。

 ホシノはそれを否定しない。

 

「うん、そうだね〜」

 

 軽く頷くだけ。

 だが、それで終わりにはしない。

 少しだけ間を置いてから、続ける。

 

「昔さ〜」

 

 何気ない調子で言い出す。

 

「似たようなこと言ってた人いたんだよね」

 

 黒夜はそちらを見ないまま、静かに耳を傾ける。

 

「この学校の全部を守ろうとしてたんだ」

 

 短い一言。

 それ以上の説明はない。

 だが、それだけで十分だった。

 

「……その方は…?」

 

 自然と口をついて出る。

 ホシノは少しだけ視線を遠くに向けた。

 

「帰って来なかったよ…」

 

 淡々とした声だった。

 重くも、軽くもない。ただ事実を述べるだけの響き。

 黒夜の中で、何かが静かに沈む。

 

 言葉が出ない。

 

 否定もできないし、肯定もできない。

 ただ、その意味だけが、ゆっくりと染みていく。

 風が一度、強く吹き抜けた。

 

 ホシノはマグカップを軽く揺らしながら、続ける。

 

「でもさ〜」

 

 少しだけ、声の調子が変わる。

 

「守るって、全部を耐える事じゃないんだよ」

 

 昼間と同じ言葉。

 だが、夜の静けさの中では、その響きが少しだけ違って聞こえた。

 黒夜は何も言わない。

 分かっている。だが、理解しきれていない。

 その状態が、どうしようもなく歯痒い。

 

「だからこうしろ〜とは言わないけどさ」

 

 ホシノが肩をすくめる。

 

「そのままだと、多分同じ事の繰り返しになるよ?」

 

 静かな一言。

 責めるでもなく、諭すでもなく。ただ可能性を示すだけ。

 黒夜の指先が、わずかに動く。再び盾に触れかけて、今度は完全に止まる。

 視線が、ほんの少しだけ逸れた。

 ホシノはそれを横目で見ながら、小さく息を吐く。

 

「ま、頑張りなよ後輩くん」

 

 軽く言い残して、立ち上がる。

 そのまま背を向け、屋上の出入口へと歩いていく。

 足音が遠ざかる。

 やがて、完全に消える。

 

 再び静寂が戻る。

 黒夜はその場に立ったまま、夜空を見上げた。

 答えはまだ出ない。

 

 屋上に残された静けさの中で、黒夜はしばらく動けずにいた。去っていった足音の余韻が消えてもなお、胸の奥に残る言葉だけが、はっきりと輪郭を持ち続けている。

 

 似ている。

 

 ふと、別の声が浮かび上がる。

 

 “守るってのはな、殴られるの待つことじゃねぇ”

 

 あのぶっきらぼうな言い方。乱暴で、だが妙に的を射た言葉。

 ネルの声が、今になってやけに鮮明に思い出される。

 

 黒夜は小さく息を吐いた。

 あの時は、感覚的なものだと思っていた。力でねじ伏せる側の理屈だと、どこかで距離を置いていた。

 

 だが今日、別の形で同じことを言われた。

 守るのは耐えることじゃない。

 言葉は違う。だが、指しているものは同じだ。

 

 視線を落とし、足元に置いた盾を見る。使い込まれた縁に指をかけ、ゆっくりと持ち上げる。構えは自然に形になった。身体に染みついた動き。

 

 だが、その形のままでは――

 

 黒夜は一歩踏み出す。

 盾を前に出し、迎え撃つ構え。

 そこにあるのは、昼間までの自分の姿そのものだった。

 

 攻撃を待ち、来た瞬間に受ける。

 確かに、防げる。だが、それは常に“後手”だ。

 黒夜はそのまま数秒静止し、やがてゆっくりと盾を下ろした。

 

 ――これでは、間に合わない。

 

 ならば、どうする。

 迎え撃つのではなく――

 相手の動き出しを、抑える。

 頭の中で、組み立てが始まる。

 

 先に動く。だが、盾を構えたままでは一瞬遅れる。あの重さが、どうしても初動の足を鈍らせる。

 速さが足りない。

 ほんの一瞬。

 その間が、致命的になる。

 

 黒夜はその場でわずかに足を動かし、踏み込みの感覚を確かめる。軽く、速く。しかし盾を持つだけで、確実に動き出しに遅れが生じる。

 

 ――無理だ。

 

 正面からでは、間に合わない。

 その時、右手がわずかに動いた。

 ホルスターに触れる。

 指先に伝わる、硬質な感触。

 

 自分の愛銃。

 

 無意識だった。だが、その感触が、思考の流れを変える。

 動き出しを、抑える。

 その方法は、“速くなること”だけではない。

 

 相手の動きを、止めればいい。

 黒夜はゆっくりと銃を抜き、手の中で重さを確かめる。

 

 牽制。

 

 動き出しの瞬間に、一発。

 当てる必要はない。

 動きを止める。

 

 その一瞬。

 

 その隙があれば――

 

 盾を持って、踏み込める。

 距離を詰める。

 自分の間合いに入る。

 

 そこから先は――

 

 黒夜はわずかに目を細めた。

 体が覚えている。考えるまでもない領域。

 

 奪う。

 

 崩す。

 

 制圧する。

 

 その流れは、もう染み付いている。

 盾だけでは足りない。

 だが、盾と銃なら。

 受けるだけではなく、止めて、奪って、押し返す。

 

 黒夜は小さく息を吐いた。

 答えではない。

 

 だが――

 

 道筋は、見えた気がした。

 ゆっくりと銃をホルスターに戻し、盾を握り直す。

 視線を上げると、夜空は変わらずそこにあった。

 星の位置も、風の音も、何一つ変わらない。

 

 それでも。

 

 黒夜の中で、ほんのわずかに、何かが変わっていた。

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