ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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最期の選択 ~5~

 黒夜を探すためにシャーレを飛び出してから、どれほど時間が経ったのか。

 テラー達には、もう正確には分からなくなっていた。

 

 空はいつの間にか紅い色へと変わり、キヴォトス全域に現れた異常な構造体――虚妄のサンクトゥムの影が、街のどこにいても視界の端に入り込んでくる。

 各地では追従者や聖徒会のミメシスが出現し、混乱が広がっていた。避難誘導の声、銃声、警報、通信障害を知らせるノイズ。

 世界そのものが軋んでいるような音が、絶えずどこかから響いていた。

 

 けれど、三人にとってはどうでもよかった。

 

 世界がどうなろうと、今の彼女たちにとって最優先なのは一つだけだった。

 黒夜を見つける――それだけだった。

 

『いない……』

 

 ミカ*テラーが、掠れた声で呟いた。

 

 彼女たちはまずトリニティを探した。ティーパーティーの執務室、黒夜がよく通る廊下、庭園、礼拝堂の近く、シスターフッドや救護騎士団の方面。

 黒夜が立ち寄りそうな場所を、思いつく限り回った。

 

 居なかった。

 

 次にゲヘナへ向かった。風紀委員会、万魔殿、便利屋が出入りしそうな通り、かつて黒夜がよく巻き込まれていた騒動の起点になりそうな場所。

 追従者の出現で混乱している中、それでも三人は探し続けた。

 

 見つからなかった。

 

 ミレニアムにも行った。リオの部屋、特異現象捜査部、ゲーム開発部、C&Cの活動圏、訓練場、エリドゥ関連の施設。

 すでに学園内も混乱していたが、三人は構わず進んだ。

 

 認めたくなかった。

 

 シャーレ周辺も探した。黒夜が最後に確認された場所。アツコたちと別れたというファミレスの周辺。路地裏、監視カメラの死角になりそうな場所、建物の影。

 黒夜の痕跡を見つけようと、何度も何度も歩き回った。

 

 それでも、どこにもいなかった。

 

『黒夜……どこ……?』

 

 ミカ*テラーの声が震えていた。

 いつものような軽さはもうない。冗談を言う余裕も、怒りでごまかす余裕もない。ただ、底の抜けた不安だけが彼女の中に残っていた。

 

『黒夜、返事してよ……ねぇ……』

 

『ミカさん、声を抑えてください。周囲の敵を引き寄せます』

 

 ナギサ*テラーはそう言ったが、その声も硬かった。冷静であろうとしている。状況を整理し、優先順位をつけ、次に向かう場所を考えようとしている。

 けれど、思考は何度も同じ場所へ戻ってしまう。

 

 黒夜がいない。

 

 その事実だけが、すべてを塗り潰していく。

 

『うるさい……雑魚なんかどうでもいいよ……』

 

 ミカ*テラーは顔を上げた。

 

『黒夜がいないの。黒夜がどこにもいないの。なんで? なんで見つからないの?』

 

『……落ち着け、ミカ』

 

 セイア*テラーが言う。

 だが、その言葉に力はなかった。彼女自身もまた、顔色を失っていた。未来を読む力、先を見通す思考、状況を俯瞰する冷静さ。それらを総動員しても、黒夜の居場所だけが掴めない。

 まるで、黒夜だけがこの世界から切り取られてしまったかのようだった。

 

 三人は崩れかけた建物の影で、一度だけ足を止めた。

 

 周囲には戦闘の痕跡が残っていた。破壊されたミメシスの残骸、焦げた地面、割れたガラス、遠くで響く警報音。世界は確かに異常事態の中にあった。

 だが、それでも黒夜がいないことに比べれば、すべてが遠かった。

 

『セイアさん』

 

『力を使ってください』

 

『……簡単に言うね』

 

『簡単なことだとは思っていません』

 

『ですが、もう手段を選んでいる場合ではありません。私たちは黒夜さんを見つけなければならない』

 

『セイアちゃん、お願い』

 

 ミカ*テラーが一歩詰め寄る。

 

『もう無理。黒夜が見つからないの、耐えられない。どこにいるのかだけでもいい。力を使って、黒夜を探して』

 

 セイア*テラーは、二人を見た。

 ナギサ*テラーは冷静に見えるが、指先が震えている。ミカ*テラーは涙をこらえきれていない。

 二人とも限界だった。いや、自分も同じだと、セイア*テラーは理解していた。

 

 力を使うこと自体はできるが、怖かった。

 

 もしそれでも見つからなかったら。

 もし、何も見えなかったら。

 もし、黒夜の存在そのものがどこにも引っかからなかったら。

 

 その意味を、自分たちは受け止められるのか。

 

『……分かった』

 

 セイア*テラーは小さく息を吐いた。

 

『ただし、期待しすぎないでくれ。今のキヴォトスは異常だ。この空の影響か、座標も因果も乱れている。通常とは違う』

 

『言い訳は後でいいです』

 

 ナギサ*テラーの声が鋭くなる。

 

『今は、探してください』

 

 セイア*テラーは目を閉じた。

 世界の輪郭が、薄くほどけていく。

 視界ではなく、もっと深い場所。空間の歪み、因果の流れ、存在の残響。黒夜という存在に繋がる細い糸を探すように、セイア*テラーは意識を広げた。

 

 トリニティ。

 

 ゲヘナ。

 

 ミレニアム。

 

 シャーレ。

 

 アリウス。

 

 アビドス。

 

 街路、校舎、地下施設、屋上、病室、廃墟、戦場。黒夜がいそうな場所、黒夜が行きそうな場所、黒夜の痕跡が残りそうな場所を、感覚の網で一つずつ撫でていく。

 

 見えない。

 

 いない。

 

 黒夜の気配が、ない。

 

 セイア*テラーの眉間に皺が寄る。呼吸が浅くなる。額に汗が滲む。力をさらに広げる。キヴォトス全域へ、黒夜の名を持つ存在を探す。

 

 それでも――。

 

『……いない』

 

 ぽつりと、言葉が落ちた。

 ミカ*テラーが固まる。

 

『え……?』

 

 ナギサ*テラーの喉が、小さく鳴った。

 

『どういう……意味ですか』

 

 セイア*テラーは目を開けた。

 その顔には、困惑と恐怖が滲んでいた。

 

『キヴォトスに黒夜はもういない…』

 

 その瞬間、世界の音が消えたように感じた。

 遠くの警報も、銃声も、追従者の駆動音も、何も聞こえない。ただ、その一言だけが、三人の間に残った。

 

 キヴォトスにはいない。

 

 黒夜がこの世界のどこにも。

 

『嘘……』

 

 ミカ*テラーの声が崩れる。

 

『嘘だよね? セイアちゃん、嘘って言って。見落としただけだよね? ねぇ、ちゃんと探してよ。もっとちゃんと探してよ!!!』

 

『ミカ…』

 

『だって、おかしいじゃん! 黒夜がいないって何!? どこにもいないって何!? そんなの、そんなの……』

 

 ミカ*テラーは言葉を続けられなかった。

 彼女の中で、最悪の可能性が形を持ち始めていた。

 

 黒夜が、この世にいない。

 

 もう、どこにもいない。

 

 その考えが浮かんだ瞬間、膝から力が抜けそうになる。

 

『黒夜さんが……』

 

 ナギサ*テラーの声は、非常にか細い物だった。

 

『もう……』

 

 言葉にできない。

 

 言葉にすれば、それが現実になってしまう気がした。

 

 セイア*テラーは唇を噛んだ。自分で告げた言葉なのに、その意味を受け止められない。キヴォトスにはいない。ではどこにいる。まさか、本当に。

 

 黒夜が死んだ。

 

 その可能性が、三人を押し潰そうとしていた。

 

 ミカ*テラーは両手で頭を抱える。

 

『いや……いやだ……いやだいやだいやだ……』

 

『また? また黒夜がいなくなるの? やっと、やっと今度は一緒にいられると思ったのに……いやだ……』

 

『ミカさん…』

 

 ナギサ*テラーが手を伸ばしかける。

 けれど、その手も震えていた。

 自分も同じだった。

 

 黒夜を失う。

 

 それは、彼女たちにとって二度目の終わりだった。

 かつての世界で、黒夜を失った。

 その果てに壊れ、狂い、世界を滅ぼした。

 そして今度こそと思った。今度こそ黒夜のいる世界で、黒夜の傍にいられると思った。

 彼を守り、彼に嫌われないように、彼と共に生き直せると思った。

 

 なのに、また。

 また、黒夜がいなくなる。

 視界が暗く沈んでいく。

 

 その時ナギサ*テラーの思考に何かが引っ掛かる。

 

『……待ってください』

 

 ナギサ*テラーが、ふと顔を上げた。

 声は震えていた。

 だが、その奥に別の色が混じっていた。

 

『おかしくないですか…?』

 

 ミカ*テラーが涙で濡れた顔を向ける。

 

『何が……?』

 

『変ですよ…』

 

 ナギサ*テラーは、自分の言葉を確かめるようにゆっくり続けた。

 

『もし黒夜さんが本当に亡くなっているのなら……なぜ、まだ誰もテラー化していないのですか?』

 

 その言葉に、セイア*テラーの目が見開かれた。

 ミカ*テラーも、呼吸を止める。

 

『……え?』

 

『黒夜さんが行方不明になってから、既に三日が経っています』

 

 ナギサ*テラーの声が少しずつはっきりしていく。

 

『私たちは知っているはずです。黒夜さんを失った者がどうなるのかを。もし本当に黒夜さんが死んでいるのなら、あれほど深く黒夜さんと関わった者たちの中から、既に誰かがテラーへ落ちていてもおかしくない』

 

 それは希望というより、絶望の中から拾い上げた矛盾だった。

 黒夜が死んでいない証拠が、誰も壊れていないこと。

 あまりにも歪で、あまりにも悲しい論理。

 けれど、今の三人にはそれしかなかった。

 

『つまり……』

 

 ミカ*テラーが震える声で言う。

 

『黒夜は……まだ生きてる?』

 

『可能性はあります』

 

 ナギサ*テラーは即答した。

 

『少なくとも、黒夜さんの死が確定したと考えるには矛盾があります』

 

『……なるほど』

 

 セイア*テラーの目に、わずかな光が戻る。

 

『キヴォトスにはいない。だが、死んでいるわけでもない。ならば、キヴォトスの通常座標から外れた場所にいる可能性がある』

 

『通常座標から外れた場所……?』

 

『上空、異空間、隔離領域、あるいはそれらに関連する構造体』

 

 セイア*テラーは空を見上げる。

 そこには、キヴォトス全域を覆うように異常な気配が広がっていた。

 

 ナギサ*テラーが静かに言う。

 

『セイアさん。もう一度、探してください』

 

『……さっきより範囲を広げろと?』

 

『そうです』

 

 ナギサ*テラーは頷く。

 

『キヴォトスの内側だけではなく、外側も。通常の空間だけでなく、切り離された場所も、あらゆる可能性を含めて』

 

 セイア*テラーは小さく笑った。

 余裕からではない。あまりにも無茶な要求だったからだ。

 

『君は本当に、黒夜のことになると容赦がないね』

 

『当然です』

 

 ナギサ*テラーは即答した。

 

『黒夜さんを見つけるためなら、容赦など必要ありません』

 

『そうだよ』

 

 ミカ*テラーも涙を拭わないまま顔を上げる。

 

『黒夜が生きてるなら、絶対見つける。どこにいても、絶対に』

 

 セイア*テラーは二人を見て、静かに息を吸った。

 

『分かった』

 

 再び目を閉じる。

 今度は、先ほどよりもさらに深く。

 

 キヴォトスという枠そのものを越えて、存在の残響を探す。地上ではない。校舎でもない。街でもない。人の気配が集まる場所ではない。もっと遠く、もっと高く、通常の視点では届かない場所。

 

 この紅い空の歪みを避け、追従者たちの気配を掻き分け、空間の裂け目のような場所へ意識を伸ばす。

 

 セイア*テラーの呼吸が乱れた。

 

 視界の裏側に黒い影が走る。情報が多すぎる。異常が多すぎる。世界全体が軋んでいる今、正確に一点を探し当てるのは容易ではない。

 

 それでも、探す。

 

 黒夜。

 

 黒夜。

 

 黒夜。

 

 どこにいる。

 

 どこへ連れていかれた。

 

 どこで、何をされている。

 

 セイア*テラーの表情が変わった。

 

『……あ』

 

 小さな声。

 ナギサテラーとミカテラーが同時に身を乗り出す。

 

『見つけたのですか!?』

 

『黒夜!? 黒夜いた!?』

 

 セイア*テラーは目を開けた。

 その顔は困ったように歪んでいた。安堵ではない。恐怖でもない。

 ただ、信じたくないものを見つけてしまった者の顔だった。

 

『……上だ』

 

 ぽつりと呟く。

 

『え?』

 

『遥か上空だ』

 

 セイア*テラーは、ゆっくりと空を指さした。

 ナギサ*テラーとミカ*テラーが、その指の先を追う。

 

 空…その遥か上。

 

 鈍く歪んだ空のさらに向こう。雲とも影ともつかないものの中に、黒い点のような何かが見えた。

 あまりにも遠い。

 普通なら見落としてしまうほど小さい。

 

 けれど、三人には分かった。

 あれだ。あそこに、黒夜がいる。

 あるいは、黒夜を奪ったものがある。

 

 ナギサ*テラーの瞳から、光が消えていく。

 

 ミカ*テラーの口元が、ゆっくりと歪んだ。

 

 セイア*テラーは空を見上げたまま、静かに息を吐く。

 

『あそこ、ですね』

 

 ナギサ*テラーが呟いた。

 声は静かだった。

 だが、その奥には黒く燃えるものがあった。

 

『黒夜を返してもらわないとね』

 

 ミカ*テラーが笑った。

 涙の跡が残った顔で、ひどく虚ろな笑みを浮かべながら。

 セイア*テラーは、遥か上空の黒い点を睨むように見つめた。

 

『……行こうか』

 

 三人は同時に空を見上げる。

 キヴォトスの混乱も、世界の危機も、虚妄のサンクトゥムも、今だけは彼女たちの視界から消えていた。

 

 ただ一つ。

 

 黒夜を奪った場所だけが、彼女たちの目に焼き付いていた。

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