ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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最期の選択 ~6~

 D.U.地区の空は、すでに日常のものではなくなっていた。

 

 街の上空には歪んだ光が走り、遠くの空には虚妄のサンクトゥムが不気味な影を落としている。各地で鳴り響く警報、遠くから届く爆発音、逃げ惑う人々の声。キヴォトス全域を覆い始めた異常は、この地区にも容赦なく爪を立てていた。

 

 そんな混乱の中で、ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラーはとあるビルの屋上に立っていた。

 その三人が今、揃って空を見上げていた。

 遥か上空。肉眼では黒い点のようにしか見えない何か。だが三人には、あそこに黒夜が居ると信じていた。

 

 そこへ向かうべきだと、誰よりも強く思っている。今すぐ飛び出し、あの空の檻を破壊し、黒夜を取り戻したい。

 そんな衝動は、三人の中で同じように燃えていた。

 だが、彼女たちはまだ動いていなかった。

 

 それが、ミカ*テラーには我慢ならなかった。

 

『ねー!』

 

 ミカ*テラーが不貞腐れたように声を上げた。

 彼女は屋上の縁に片足を乗せ、苛立たしげに空を指さす。

 

『なんで今すぐあそこに行かないの!? 黒夜があそこにいるんでしょ!? だったらもう行けばいいじゃん!』

 

 その声には、焦りと怒りが混ざっていた。

 普段なら軽薄に聞こえる彼女の声も、今は違う。冗談めいた響きは薄く、感情の奥底から滲み出た不安が隠しきれていない。

 

 ナギサ*テラーは空を見上げたまま、静かに答えた。

 

『先ほどセイアさんが言っていたでしょう? あそこに行くには、あの空中要塞を覆っている黒いバリアのようなものを解除しなければならないと』

 

 その声は落ち着いていた。

 けれど、落ち着いているように見えるだけだった。

 

 ナギサ*テラーの手は、強く握り締められている。指先には力が入りすぎ、白くなっていた。

 彼女もまた、今すぐにでも飛び出したかった。だが、それが黒夜を救う最短手段ではないと理解しているからこそ、辛うじて踏み止まっているだけだった。

 

 セイア*テラーも補足するように言った。

 

『それに、そもそも私たちじゃ距離がありすぎて、あそこまで届かないだろう』

 

『むー! それは分かったけどさ~!』

 

 ミカ*テラーは振り返り、納得できないという顔で二人を見る。

 

『じゃあなんでこんな所で時間を潰してるの!? 黒夜が捕まってるんだよ!? こんな場所でぼーっとしてる場合じゃないじゃん!』

 

 その瞬間、三人の間に流れていた空気が重くなった。

 セイア*テラーがゆっくりとミカ*テラーへ視線を向ける。

 

 その目は暗かった。

 

 怒っている、というよりも、もっと深いところが冷え切っているような目だった。

 次の瞬間、セイア*テラーはミカ*テラーの胸ぐらを掴んでいた。

 

『はぁ……』

 

 ミカ*テラーの身体が僅かに引き寄せられる。

 

『いいかい、ミカ?』

 

 セイア*テラーは、暗い瞳のまま語りかけた。

 

『私が黒夜絡みで、無駄な行動をすると本当に思っているのかい?』

 

『……っ』

 

『いいからここで待機していれば、ちょうどいいサンドバッグが向こうから来てくれる。だから大人しくしていてくれ』

 

 その声は静かだった。

 静かすぎて、かえって怒りの深さが分かる。

 ミカ*テラーの奥歯が、ぎり、と音を立てた。

 

『セイアちゃんだって……』

 

『ああ、分かっているとも』

 

 セイア*テラーは言葉を遮る。

 

『私だって今すぐ行きたい。あの要塞を引きずり落とし、黒夜を攫った連中を一人残らず潰したい。だが、ただ飛び出して届かない場所へ手を伸ばしても意味がない』

 

 胸ぐらを掴む指に、さらに力が入る。

 

『黒夜を助けるために必要なことをする。そのために邪魔なものは壊す。順番を間違えるな』

 

 乱暴に手を離す。

 ミカ*テラーは一歩下がり、胸元を押さえながらセイア*テラーを睨んだ。

 だが言い返しはしなかった。彼女にも分かっていた。

 

 セイア*テラーは冷たいから待てと言っているのではない。諦めているから動かないのでもない。むしろ、黒夜を取り戻すために、最も確実な道を選ぼうとしている。

 それが分かるからこそ、余計に腹立たしかった。

 黒夜が今どこかで苦しんでいるかもしれない。

 そう思うだけで、身体中の血が沸騰しそうだった。

 

 ナギサ*テラーは二人のやり取りを見ていなかった。

 正確には、見えてはいたが、気に留めていなかった。

 彼女の視線はずっと空に向いている。あの黒い点。黒夜がいるかもしれない場所。ただそこだけを見ていた。

 

『黒夜さん……』

 

 小さく呟くその声は、誰にも届かない。

 それでも呼ばずにはいられなかった。

 この世界で黒夜を再び失うことだけは、絶対に許されない。たとえ何を壊しても。たとえ誰を敵に回しても。たとえこの世界がまた終末へ傾いたとしても。

 

 黒夜だけは、取り戻す。

 その思考が、ナギサ*テラーの中で静かに、しかし確実に形を持っていた。

 

 その時だった。

 ビルのすぐ近くの空間が、突然歪んだ。

 街の一角に走るように黒い亀裂が浮かび上がり、そこから異様なエネルギーが噴き上がる。空気が震え、ガラスが軋み、周囲の建物の窓が一斉に悲鳴を上げるように鳴った。

 

 ミカ*テラーが顔を上げる。

 

『……来た?』

 

 セイア*テラーは薄く目を細めた。

 

『言っただろう。向こうから来ると』

 

 歪みは、瞬く間に形を成していく。

 地面から空へ向かって伸びる異質な構造物。赤黒く、巨大で、現実の建築物とは明らかに違うもの。虚妄のサンクトゥムタワー。

 周囲のエネルギーを吸い上げるように、その塔は形成されていった。

 近隣の通信機器がノイズを吐き、街灯が一瞬消える。空気中に漂う粒子が黒く染まり、塔の周囲に追従者の気配が集まり始める。

 

 三人はその様子を、冷めた目で見ていた。

 驚きはなかった。恐怖など微塵も感じていない。

 ただ、邪魔なものが現れた、という認識だけがある。

 やがてタワーが完全に生成されると同時に、地響きのような咆哮が響いた。

 

 ビルの向こう側で、巨大な影がゆっくりと立ち上がる。

 それはあまりにも場違いな姿をしていた。

 丸く、不気味で、巨大で、奇妙に愛嬌のようなものすら感じさせる怪物。

 

 ペロロジラ。

 

 かつてキヴォトスを騒がせた存在に酷似した巨大な怪物が、虚妄のサンクトゥム・タワーを守るように出現していた。

 その巨体が動くたびに、周囲の建物が震える。瞳から漏れる光は不穏なエネルギーを帯びており、明らかに普通の生物ではない。

 虚妄のサンクトゥムが生み出した脅威。世界の異常が形を持ったもの。

 

 ミカ*テラーはそれを見上げ、しばらく黙っていた。

 そして、ぽつりと言う。

 

『ねぇ……さっき言ってたサンドバッグってこれ?』

 

『そうだよ』

 

 セイア*テラーはあっさり答えた。

 ミカ*テラーは数秒だけペロロジラを見つめ、それからゆっくりと笑った。

 その笑みは、普段の明るいものではなかった。

 乾いていて、虚ろで、それでいて怒りだけはぎらぎらと燃えている。

 

『ふーん……』

 

 ナギサ*テラーも、巨大な影を見上げながら首を傾げた。

 

『あれは……ヒフミさんが好きな……えっと……ペロペロ様でしたっけ?』

 

『ペペローニ様じゃなかったかな?』

 

 セイア*テラーが訂正したが、その声に興味はない。

 

『名前なんてどうでもいいよ……』

 

 ミカ*テラーが一歩前に出た。

 屋上の床に亀裂が入る。

 彼女の足元から、圧力のようなものが広がっていく。空気が震え、ビル全体がきしむ。ミカ*テラーの髪が揺れ、背後の空間が僅かに歪む。

 

『今は、コイツに怒りをぶつけてやる』

 

 その声は低かった。

 普段の彼女を知る者なら、決して聞きたくない種類の声だった。

 セイア*テラーは、口元だけで笑う。

 

『そうしたまえ。私もそうさせてもらうからね』

 

 その瞳には、冷え切った怒りが宿っていた。

 黒夜が見つからない恐怖。キヴォトスにいないと告げた時の絶望。ようやく上空に居場所を掴んだにもかかわらず、すぐには行けない苛立ち。全てが積み重なり、今にも溢れ出そうとしている。

 

 目の前に現れた怪物は、あまりにも都合がよかった。

 壊していいもの。叩き潰しても誰も困らないもの。怒りを向けるための標的。

 セイア*テラーにとっても、今のミカ*テラーと同じく、それは必要だった。

 

 ナギサ*テラーは静かに手を前へ伸ばす。

 

『まぁ、そうですね』

 

 彼女の声は優雅だった。

 だが、その奥にあるものは、優雅さとはほど遠い。

 黒く、深く、冷たい怒り。

 

『では、私たちが終末と呼ばれた力の一端をお見せしましょうか』

 

 その言葉と同時に、屋上の空気が変わった。

 虚妄のサンクトゥムタワーを中心に集まっていたエネルギーが、三人の存在に反応するかのように揺らぐ。巨大なペロロジラが咆哮を上げ、瞳に光を集め始める。

 

 通常なら、複数の部隊が連携しなければ対処できない脅威。

 街一つを巻き込んでもおかしくない災害。

 だが、三人は一歩も退かなかった。

 

 ミカ*テラーは拳を握る。

 

『黒夜を返してもらうために邪魔なんだよね』

 

 ナギサ*テラーは微笑む。

 

『ええ。ならば排除しましょう』

 

 セイア*テラーは瞳を閉じて口角を上げた。

 

『迅速に、徹底的にね』

 

 次の瞬間、屋上が爆ぜた。

 

 ミカ*テラーの踏み込みだけでビルの縁が砕け、彼女の身体が弾丸のように空へ飛び出す。ペロロジラの巨体へ向かって、一直線に。

 

 ナギサ*テラーの周囲には黒い光が収束し、無数の高射砲が現れる。

 

 セイア*テラーの瞳は、既に敵の動きの先を見ていた。

 

 三人の怒りが、形を持って放たれる。

 

 黒夜を奪われた者たちの憤怒が、巨大な怪物へと叩きつけられようとしていた。

 

 

 

 

 シャーレの通信室には、絶え間なく警告音が鳴り響いていた。

 

 キヴォトス全域で発生した異常事態。虚妄のサンクトゥムの出現と、それに伴う追従者、聖徒会のミメシスの襲撃。各学園から送られてくる救援要請や被害報告は途切れることがなく、先生はシッテムの箱を通して状況を確認しながら、各方面へ指示を飛ばし続けていた。

 

 シャーレの中には、先ほどまで黒夜を探すために集まっていた者たちの気配が、まだ色濃く残っていた。

 だが、今この場にいる者たちの多くは、それぞれの学園を守るために動き始めている。先生が協力を求めたからだ。黒夜の捜索を諦めたわけではない。

 けれど、今目の前で崩れようとしているキヴォトスを放置すれば、黒夜を探す場所そのものが失われる。

 

 だから皆、痛みを飲み込んで動いた。

 ただし、テラー達だけは違った。

 彼女達は先生の言葉を聞いても、黒夜を探すことをやめなかった。シャーレを飛び出し、どこかへ消えた。止められなかった。止められる状態でもなかった。

 

 先生は、そのことがずっと胸に引っかかっていた。

 彼女達の気持ちは分かる。黒夜を失うことが、彼女達にとって何を意味するのかも、ある程度は分かっているつもりだった。

 だが、それでも今のキヴォトスで彼女達が単独行動を取ることは危険だと思っていた。

 

 彼女達自身が危険に晒されるという意味でも。

 そして、彼女達が持つ力そのものが危険という意味でも。

 

 その時、通信画面の一つにリンの姿が映った。

 

『先生、緊急です』

 

 リンの声は普段より硬かった。

 

「どうしたの?」

 

『D.U.地区にて、新たな虚妄のサンクトゥム・タワーの生成を確認しました。加えて、巨大な敵性反応が出現しています』

 

「巨大な敵性反応?」

 

『現在、周辺地域に避難勧告を出していますが――』

 

 リンはそこで言葉を一瞬止めた。

 その表情に、戸惑いの色が混じる。

 

「リンちゃん?」

 

『現場映像を送ります。先生、確認してください!』

 

 先生はすぐにシッテムの箱へ映像を表示させた。

 

 ノイズが一瞬走り、D.U.地区の上空から撮影された映像が映し出される。崩れかけたビル群。その中央に生成された虚妄のサンクトゥムタワー。

 そして、その塔を守るように現れた巨大なペロロジラ。

 

 本来なら、それだけで緊急対応が必要な脅威だった。

 複数部隊の連携、避難誘導、火力支援、情報解析。対処には相応の準備がいる。軽く見ていい相手ではない。

 だが、先生の目に飛び込んできた光景は、その前提を根本から崩していた。

 

 ペロロジラが、吹き飛んでいた。

 巨大な身体が、まるでボールのように空中へ打ち上げられている。

 映像の端から黒い影が跳ぶ。

 

 ミカ*テラーだった。

 

 彼女はビルの屋上から弾丸のように飛び出し、ペロロジラの巨体へ拳を叩き込んだ。その一撃だけで、巨体が大きく弾かれる。普通なら押し止めることすら難しい質量が、冗談のように宙を舞った。

 

 だが、それで終わらない。

 ペロロジラが吹き飛ばされた先に、すでにセイア*テラーがいた。

 まるで、そこへ飛んでくることを最初から知っていたかのように。

 セイア*テラーは空中で身を翻し、落下してきたペロロジラの側面へ蹴りを叩き込む。巨体の軌道が変わる。さらに上へ。ビル群の上空へと跳ね返される。

 

 その先には、ナギサ*テラーがいた。

 空間に黒い光が収束し、無数の砲身が生み出される。高射砲のように展開されたそれらが、一斉に火を噴いた。光弾が空を裂き、ペロロジラの巨体へ叩き込まれる。

 轟音が鳴り響き、画面越しでも分かるほどの衝撃。

 撃ち抜かれたペロロジラは地面へ叩きつけられ、地響きと共に周囲の道路を砕いた。

 

 だが、そこに再びミカ*テラーが降ってくる。

 

 拳を振り下ろす。

 

 ペロロジラの身体が跳ねる。

 

 吹き飛ぶ。

 

 セイア*テラーが蹴り返す。

 

 ナギサ*テラーが撃ち落とす。

 

 また地面に叩きつけられる。

 

 またミカ*テラーが殴る。

 

 それは、戦闘というよりも蹂躙だった。

 

 巨大な怪物が、三人によって一方的に弄ばれている。ペロロジラは咆哮を上げ、瞳から光を放とうとするが、その動き出しをセイア*テラーが読んで潰す。

 身体を起こそうとすればミカ*テラーが真正面から押し潰す。距離を取ろうとすればナギサ*テラーの砲撃が退路を塞ぐ。

 

 まるで、逃げ場がなかった。

 先生は、映像から目を離せなかった。

 三人の表情が映る。

 

 ミカ*テラーは笑っていた。

 獰猛に、楽しそうに、怒りをそのまま形にしたような笑みで、ペロロジラを殴り飛ばしている。あるのは、黒夜を奪われた怒りと、それをぶつける相手を見つけた喜びだけだった。

 

 セイア*テラーも笑っていた。

 冷たく、薄く、暗い笑み。敵の動きの先を読み切り、逃げ場を奪い、最も痛めつけられる箇所へ攻撃する。その姿は優雅ですらあったが、そこにある感情は明らかに攻撃的だった。

 

 ナギサ*テラーは穏やかに微笑んでいた。

 優雅に手を動かし、黒い高射砲を次々と生み出し、巨大な敵を空中から撃ち落とす。

 その一つ一つが正確で、容赦がない。表情だけ見ればお茶会の最中のようで、やっていることは災害の制圧だった。

 

 楽しそうに見えた。本当に、楽しそうに。

 

 そのことが、先生の背筋を冷たくした。

 彼女達は今、敵を倒している。キヴォトスに現れた脅威を排除している。結果だけ見れば、状況は好転しているのかもしれない。

 けれど、そこに割って入ることなどできる気がしなかった。

 もし今、誰かが止めに入れば、標的が増えるだけではないか。

 そう思わせるほど、三人の攻撃は一方的で、圧倒的で、そして危うかった。

 

「これが、彼女達の力……」

 

 先生は小さく呟いた。

 かつて世界を終末へ導いた存在。

 その言葉を、先生は理解していたつもりだった。

 

 テラー化したティーパーティー。黒夜を失い、世界を滅ぼした別世界の彼女達。

 話として聞いていた。存在としても認識していたけれど、今こうして彼女達が怒りを解放している映像を見せられて、ようやく先生は実感した。

 

 彼女達の力は、本当に世界を壊しかねない。

 それは比喩ではなかった。

 もしこの力が、敵ではなくキヴォトスそのものへ向けられたら。

 もし黒夜の死が確定し、この三人が完全に壊れたら。

 その時、誰が止められるのだろう。

 

 先生は唇を引き結び、すぐに無線を取った。

 

「各方面へ連絡。D.U.地区に新しく出現した敵性反応については、現時点では対処不要」

 

 通信越しに、いくつかの戸惑った声が返ってくる。

 

『対処不要、ですか?』

 

「うん。すでに交戦中の味方がいる。むしろ近づく方が危険だから、周辺部隊は距離を取って。避難誘導を優先して」

 

『了解しました』

 

「巻き込まれないように、絶対に近づかないで」

 

 画面の中では、なおもペロロジラが打ち上げられていた。

 

 ミカ*テラーが殴る。

 

 セイア*テラーが蹴る。

 

 ナギサ*テラーが撃つ。

 

 その繰り返しは、もはや一種の処刑に近かった。

 

 巨大な敵性存在であるはずのペロロジラが、徐々に動きを鈍らせていく。身体の表面に亀裂のような光が走り、輪郭が崩れ始める。

 虚妄のサンクトゥムによって生み出された存在だからなのか、限界を迎えた部分から粒子となってほどけていった。

 

 それでも、三人は攻撃を緩めなかった。

 最後まで、完全に動かなくなるその時まで。

 

 ペロロジラの巨体が端から粒子となって崩れていく。黒い粒子が空へ溶け、虚妄のサンクトゥムタワーのエネルギー反応も急速に低下する。

 やがて巨大な影は消え、残ったのは破壊された地面と、砕けた道路と、三人の姿だけだった。

 

 ミカ*テラーは肩で息をしていたが、その表情は少しだけ晴れていた。

 

 セイア*テラーは乱れた髪を指で払う。

 

 ナギサ*テラーは小さく息を吐き、何事もなかったかのように姿勢を正した。

 

 怒りが消えたわけではない。

 黒夜を取り戻せていない以上、本質的には何も解決していない。

 それでも、溜まり切っていた激情の一部を叩きつけたことで、三人はわずかに落ち着きを取り戻したように見えた。

 

 先生は映像を見つめたまま、深く息を吐いた。

 安全になった、とは言えない。

 むしろ、別の意味で緊張は増している。

 だが、少なくとも今の敵性反応は消えた。

 そう思い、先生はシッテムの箱から視線を外したその時だった。

 

『これで露払いは終わりかな?』

 

 すぐ後ろから声がした。

 先生は思わず肩を跳ねさせて振り返る。

 

「うわっ!?」

 

 そこには映像で見ていた三人がいた。

 つい先ほどまでD.U.地区の現場映像に映っていたはずの三人が、何事もなかったかのようにシャーレの室内に立っていた。

 

「いつの間に……?」

 

『細かいことは気にしないでくれるとありがたい』

 

 セイア*テラーは薄く笑った。

 

『私の勘が、先生に従うのが黒夜に辿り着く最短ルートだと告げている』

 

 先生はセイア*テラーを見る。

 彼女はいつものように曖昧な言い方をしたが、その声には奇妙な確信があった。直感なのか、それとも未来の断片を掴んだのか。先生には分からない。

 だが、彼女達がここに戻ってきた理由だけは分かった。

 

 黒夜のためだ。

 ナギサ*テラーが一歩前へ出る。

 先ほどまで巨大な敵を一方的に蹂躙していたとは思えないほど、今の彼女の声は丁寧だった。

 

『先生』

 

 彼女は静かに頭を下げた。

 

『無理を承知でお願いします』

 

 ミカ*テラーも、セイア*テラーも、同じように先生を見る。

 

 ナギサ*テラーは言葉を続けた。

 

『私たちを、黒夜さんの所へ連れて行ってください』

 

 その声は必死だった。

 

 先生は三人を見る。

 さっき見た映像が脳裏に残っている。

 

 圧倒的な力。

 

 獰猛な笑み。

 

 世界を壊しかねない終末の一端。

 

 だが、今目の前にいる彼女達は、ただ黒夜を取り戻したいと願う生徒でもあった。

 同行させることは、間違いなく危険だ。

 けれど、置いていけば彼女達は勝手に行く。止めても止まらない。

 ならば、先生の目の届く場所にいてもらう方がまだいい。

 

 それに――

 

 黒夜を助けたい気持ちは、先生も同じだった。

 

「分かった」

 

 先生は静かに頷いた。

 

「一緒に行こう」

 

 ミカ*テラーの表情が、一瞬だけ揺れた。

 

『……ほんと?』

 

「うん。ただし、私の指示は聞いてね」

 

『聞く! 黒夜のところに行けるなら何でも聞く!』

 

 ミカ*テラーは即答した。

 

 セイア*テラーが横目で見る。

 

『今の発言、記録しておいた方がいいよ、先生?』

 

『うるさいな! 今はそういうのいいでしょ!』

 

 ミカ*テラーは反射的に言い返したが、その声には少しだけいつもの調子が戻っていた。

 

 ナギサ*テラーは、深く息を吐く。

 

『ありがとうございます、先生』

 

「お礼はまだ早いよ。黒夜を見つけて、連れて帰るまで終わりじゃない」

 

『……ええ、そうですね』

 

 ナギサ*テラーは頷いた。

 

 三人は、先生の許可を得たことでほんの少しだけ安心したようだった。

 だが、それは安堵ではない。

 目的地が見えたことによる、あくまで一時的な落ち着きだった。

 

 彼女達はシャーレの窓辺へ歩み寄る。

 外の空には、虚妄のサンクトゥムの異常な光が消えて澄んだ空が広がっていた。

 そのさらに遥か上空に、黒い点のようなものが見える。

 

 黒夜がいる場所。

 

 黒夜を奪った場所。

 

 三人は並んで空を見上げる。

 ナギサ*テラーの瞳は冷たく、ミカ*テラーの奥底には怒りが燃え、セイア*テラーの視線は鋭く空を射抜いていた。

 黒い点を、憎々しいほど真っ直ぐに睨みつけながら。

 彼女達は、ただ一人の名を胸の中で呼んでいた。

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