ティーパーティーに潜む、忠実な駒   作:KuRoNia

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最期の選択 ~9~

 地上に戻った瞬間、最初に感じたのは風だった。

 

 次々と光が弾け、転送されてきた生徒たちが地面に降り立つ。

 

 廃校対策委員会。ゲーム開発部。美食研究会。負傷した者を支える者、周囲の安全を確認する者、何が起きたのか理解しきれず空を見上げる者。

 皆、極限の戦いを終えたばかりで息を切らしていた。

 

 その少し離れた場所に、テラー達もいた。

 

 ナギサ*テラー、ミカ*テラー、セイア*テラー。

 

 三人は地上へ転送された直後、まず互いの姿を確認し、それからすぐに空を見上げた。遥か上空。黒い点のように浮かぶ、崩壊を始めた箱舟。そこからすぐに、先生と黒夜が戻ってくるはずだった。

 

『……黒夜、まだかな?』

 

 ミカ*テラーが呟いた。

 その声には、不安が滲んでいた。だが、まだ恐怖そのものではなかった。黒夜は言ったのだ。必ず、と。先生と一緒に行く、と。だから、すぐに戻ってくるはずだった。

 

『焦らないでください。先生が一緒です。すぐに――』

 

 ナギサ*テラーが言いかけた瞬間、再び光が地上に弾けた。

 

 転送の光。

 

 三人は一斉にそちらを向く。

 

 ミカ*テラーの顔が一瞬だけ明るくなる。

 

『黒夜――』

 

 けれど、そこに現れたのは先生だけだった。

 

 黒夜はいなかった。

 

 ほんの数秒、誰も言葉を発しなかった。

 先生は地面に膝をつくようにして転送されてきた。呼吸は荒く、伸ばした手は空を掴むように前へ出ている。

 その顔には、安堵ではなく、信じられないものを見たような強張りが浮かんでいた。

 

 ミカ*テラーの表情から、血の気が引いていく。

 

『……え?』

 

 ナギサ*テラーが一歩、先生へ近づいた。

 

『先生』

 

 その声の奥には、震えがあった。

 

『黒夜さんは?』

 

 先生はすぐに答えられなかった。

 息を整えようとする。何かを言おうとする。けれど言葉が喉に引っかかり、出てこない。

 先生の視線は、まだ空に残されている誰かを追うように揺れていた。

 その沈黙だけで、周囲にいた者たちも異変に気付き始める。

 

「先生どうしたの……?」

 

 シロコが近づく。

 ホシノも、いつもの緩い雰囲気を消して先生を見る。

 

「黒夜君は……一緒じゃないの?」

 

 ナギサ、ミカ、セイアも、少し離れた場所から駆け寄ってきた。ヒナ、マコト、カヨコ。リオとヒマリ。アツコもいる。

 皆、黒夜が無事に戻ってくるはずだと、信じていた。

 

 だからこそ、先生だけが戻ってきたという事実が、場の空気を一瞬で凍らせた。

 先生は、ようやく声を出した。

 

「黒夜が……」

 

 その名前に、全員が息を呑む。

 

「黒夜が、僕を引き込んだ」

 

 ミカの唇が震えた。

 

「どういう…こと?」

 

 先生は、自分の手を見下ろした。

 

 その手には、もう黒夜の腕の感触は残っていない。転送の光が立ち上がる直前、黒夜が自分の腕を掴んだ。

 よろよろと立っていたはずの身体で、最後の力を使って、先生を脱出シーケンスの範囲へ引き込んだ。

 

 そして、自分は外へ出た。

 

「僕は黒夜を送ろうとしたんだ。でも、黒夜が……僕の腕を引いて入れ替わった」

 

「そんな……」

 

 ナギサの声が掠れる。

 

 先生は続けた。

 

「僕だけが、脱出シーケンスの範囲に入った。黒夜は……外に残った」

 

 その言葉が、ゆっくりと全員の胸へ落ちていく。

 

 黒夜が残った。

 崩壊する箱舟の中に。

 先生を無事に地上に転送する為に。

 

 ミカ*テラーが一歩後ずさった。

 

『嘘……』

 

 小さな声だった。

 

『だって、黒夜……すぐ来るって……必ずって……』

 

『ミカさん』

 

 ナギサ*テラーが呼ぶが、彼女自身も顔色を失っていた。

 

『先生』

 

 セイア*テラーが低い声で問う。

 

『黒夜は、最後に何と言った?』

 

 先生は目を伏せた。

 耳に、あの声が残っている。

 困ったように笑った黒夜。

 申し訳なさそうで、それでもどこか既に決めてしまっている顔。

 

「……ごめんなさい…って…」

 

 先生がそう答えた瞬間、ミカ*テラーの表情が完全に崩れた。

 

『なんで……?』

 

 その声は、怒りにも悲鳴にもなりきれない。

 

『なんで謝るの……? なんで、そんなこと言うの……?』

 

 ミカも、両手を握り締めていた。

 

「黒夜……また、自分を犠牲にしたの……?」

 

 ヒナは黙っていた。

 だが、拳が震えている。

 

 カヨコは唇を噛み、リオは顔色を失い、ヒマリはいつもの飄々とした表情を完全に消していた。

 アツコはただ、空を見上げていた。

 

 その時、先生の手元にあるシッテムの箱が、短い電子音を鳴らした。

 

 全員の視線が集まる。

 

「アロナ?」

 

 先生が呼びかけると、画面に乱れた映像が浮かんだ。通信は不安定で、ノイズが走っている。だが、確かに箱舟内部の映像だった。

 

 崩壊の進むアトラ・ハシースの箱舟。

 

 砕けて抜け落ちている床。

 

 爆発で揺れている映像。

 

 崩れ落ちる瓦礫の山。

 

 そして、その中に立つ一人の影。

 

「黒夜!」

 

 先生が叫ぶ。

 

 映像の中の黒夜は、崩れかけた中枢区画の片隅にいた。身体は明らかに限界を迎えている。壁に手をつき、よろめきながら、それでも立っていた。

 服は乱れ、頬には疲労の色が濃く、足取りも危うい。

 

 けれど、その目だけは、不思議なほど冷静だった。

 地上にいる者たちの声は届いていない。

 映像の中の黒夜は、こちらを見ていない。ただ、崩壊していく箱舟の中で、自分のするべきことを確かめるように、ゆっくりと呼吸を整えていた。

 

「聞こえてないのか!?」

 

 先生が叫ぶ。

 アヤネが慌てて端末を操作する。

 

「接続を試しています! でも、箱舟側との通信が不安定で……こちらからの音声は届いていません!」

 

「映像は?」

 

「映像だけ、かろうじて拾えています……!」

 

 つまり、こちらは黒夜を見られる。

 だが、黒夜にはこちらの声が届かない。

 それを理解した瞬間、空気がさらに冷たくなった。

 

「黒夜!」

 

 シロコが短く呼ぶ。

 届かないと分かっていても、呼ばずにはいられなかった。

 アリスが画面に向かって身を乗り出す。

 

「黒夜! こちらです! 帰還してください!」

 

「黒夜さん!」

 

 ユズの声も震えていた。

 だが、黒夜は反応しない。

 映像の中で、彼はゆっくりと顔を上げた。

 その表情に、先生は息を呑んだ。

 

 黒夜は泣いていなかった。

 怒ってもいなかった。

 ただ、ひどく静かな顔をしていた。

 まるで、既に答えを決めてしまった人間の顔だった。

 

「黒夜……何をするつもりなの……?」

 

 先生の声が震える。

 その問いに答えるように、映像の中の黒夜が動いた。

 彼は、ゆっくりと懐へ手を入れる。

 

 ミカ*テラーが、不安そうに目を見開いた。

 

『……何?』

 

 黒夜の指先が、何かを取り出す。

 

 一枚のカード。

 

 黒い光を帯びた、見覚えのあるカード。

 それが映像の中に映った瞬間、空気が止まった。

 まだ誰も、その意味を完全には理解していなかった。

 

 先生は驚きで目を凝らす。

 

 黒夜はそのカードを、両手で包むように持っていた。

 まるで、それが最後に残された手段であるかのように。

 その姿は、あまりにも覚悟を決めていた。

 

 崩れゆくアトラ・ハシースの箱舟。その中心部。瓦礫が落ち、床が軋み、警報の赤い光が乱れる中で、黒夜だけが不自然なほど静かに立っている。

 

 誰もが、その光景を見つめていた。

 先生も、トリニティも、ゲヘナも、ミレニアムも、アリウスも、アビドスも。

 そして、テラー達も。

 

 最初に異変に気付いたのは、セイア*テラーだった。

 

『……待て』

 

 その声は、かすれていた。

 

 ナギサ*テラーとミカ*テラーが、反射的に彼女を見る。

 

『セイアちゃん……?』

 

 セイア*テラーは画面から目を離さない。

 映像の中の黒夜が持っているカード。

 それを見た瞬間、彼女の奥底に、遅れて記憶が蘇る。

 

 箱舟の中で黒夜を見つけた時。

 憔悴しきって、まともに歩けず、自分に身体を預けていた黒夜。

 ふらついた彼を支えた時、彼の指先が自分の服の内側へ触れた。

 

 あの時は、ただバランスを崩しただけだと思った。

 そう思い込んだ。

 黒夜が弱り切っていたから。

 黒夜が自分に支えられていたから。

 まさか、その状態で何かを抜き取るなど、考えもしなかった。

 

『……あれは』

 

 セイア*テラーの声が震える。

 

『私たちの……カード……?』

 

 その言葉に、ナギサ*テラーの表情が固まった。

 ミカ*テラーも、ゆっくりとセイア*テラーを見る。

 

『え……?』

 

 セイア*テラーは自分の懐へ手を伸ばした。

 そこにあるはずのものを探す。

 

 だが、ない。

 

 あるはずのカードが、ない。

 指先が何も掴まない。

 その瞬間、セイア*テラーの顔から血の気が引いた。

 

『……ない』

 

 小さな声だった。

 

『カードが……ない!』

 

 ミカ*テラーの唇が震える。

 

『嘘……』

 

『あの時……』

 

 セイア*テラーは、呆然と呟いた。

 

『私から……抜いていたのか……?』

 

 その声は、誰かに問いかけるものではなかった。

 ただ、自分自身を責めるための声だった。

 

『どうして……』

 

 セイア*テラーの指が震える。

 

『どうして、気付けなかった……!!』

 

 彼女は未来を読む。

 違和感を拾う。

 細かな変化に気付く。

 そういう役割を、自分に課してきた。

 

 だというのに。

 黒夜の決意に気付けなかった。

 黒夜が自分からカードを抜き取ったことにも気付けなかった。

 あれほど近くにいたのに。

 肩を貸して、身体を支えて、息遣いまで聞こえる距離にいたのに。

 何も分からなかった。

 

『違う……』

 

 セイア*テラーが画面へ一歩近づく。

 その目が、大きく揺れていた。

 

『違う、黒夜……それは駄目だ……!』

 

 ナギサ*テラーが息を呑む。

 

『セイアさん……まさか!?』

 

『それは……』

 

『それは、かつて私たちがやろうとしたことだ……!』

 

 その一言で、空気が変わった。

 意味を理解できなかった者たちも、テラー達の表情を見て、ただならぬことだと悟る。

 ミカ*テラーが画面へ向かって叫んだ。

 

『やだ……』

 

 声が震える。

 

『やだやだやだやだやだ!!』

 

 彼女は画面に手を伸ばした。

 届くはずがない。

 それでも、伸ばさずにはいられなかった。

 

『黒夜! それだけは駄目!!』

 

 ミカ*テラーの声が地上に響く。

 

『消えないで! 私たちの中からいなくならないで!!』

 

 その言葉に、先生が凍りついた。

 

「消える……?」

 

 ナギサ*テラーは、両手を胸の前で握り締めていた。

 必死に冷静を保とうとしている。

 けれど、その声はもう震えていた。

 

『黒夜さん……お願いです……』

 

 彼女は画面の中の黒夜へ向かって、祈るように言う。

 

『それだけは、やめてください……!』

 

 映像の中の黒夜は、反応しない。

 声は届かない。

 届くはずがない。

 それでもナギサ*テラーは続けた。

 

『貴方が消えてしまったら……私たちは、何を信じればいいのですか……?』

 

 その言葉で、周囲もようやく理解し始めた。

 黒夜が持っているカードを使ってテラー達がやろうとした事。

 

 自分たちの存在を、記憶を、痕跡を世界から消し去ろうとした時の手段。

 

 黒夜は、それを使おうとしている。

 自分と関わった人すべての記憶から自分を消し、痕跡を消し、この世界から自分という存在そのものを消そうとしている。

 

 そう、全員が思い込んだ。

 

「黒夜!」

 

 先生が叫ぶ。

 

「待って、黒夜! 何をするつもりなの!?」

 

 先生は画面へ身を乗り出す。

 

「黒夜、違う! 君が消える必要なんてない!」

 

 声は届かない。

 映像の中の黒夜は、静かにカードを握っているだけだった。

 ナギサが、ふらつくように一歩前へ出た。

 

「黒夜さんが……自分の存在を……?」

 

 その声は、信じたくないものを口にしてしまったように震えていた。

 

「そんな……そんなこと、認められるはずがありません……!」

 

 ミカが両手を握り締め、目に涙を浮かべる。

 

「やだ……黒夜、嘘でしょ……?」

 

 彼女は首を横に振る。

 

「そんなの嫌だよ! 黒夜のこと忘れるなんて絶対嫌!」

 

 セイアは静かに画面を見つめていた。

 だが、その顔は青ざめている。

 

「記憶からも、痕跡も消える……」

 

 彼女は呟く。

 

「それでは、喪失すら残らない……」

 

 その意味が、あまりにも恐ろしかった。

 失う痛みすら残らない。

 忘れたことも、忘れてしまった相手の存在も分からない。

 ただ、黒夜という人間が最初からいなかった世界になる。

 

 それは、本当に救いなのか。

 

 それとも、喪失を喪失として抱く権利すら奪う、最も静かな絶望なのか。

 

「黒夜……君は、そこまでして私たちを守ろうとしているのか……?」

 

 セイアの声が、かすかに震えた。

 

「駄目だ……それは、守ることではない……」

 

 ヒナはしばらく黙っていた。

 画面の中の黒夜を、ただ見つめていた。

 その背中、その横顔、その手にあるカード。

 

 彼に戦い方を教えた。

 

 前に出ることを教えた。

 

 危険を見極めることを教えた。

 

 けれど、こんな選択をするために強くしたのではない。

 

「黒夜……何をしているの……」

 

 ヒナの声は低かった。

 

「貴方は、そんなことをするために強くなったんじゃないでしょう……」

 

 ヒナの表情が、少しずつ崩れていく。

 

「戻ってきなさい……お願い……」

 

 強く在ろうとする声が、途中で折れた。

 

「私は……貴方が思っているほど強くないの!」

 

 その叫びに、周囲が息を呑む。

 ヒナは涙をこぼしそうな顔で、画面に向かって言った。

 

「だから……消えないで!」

 

 マコトは拳を握り締めていた。

 怒鳴りたい。叱り飛ばしたい。

 いつものように大げさに笑って、黒夜の馬鹿な選択を踏み潰してやりたい。

 だが、声が震えた。

 

「ふざけるな……」

 

 それでも彼女は叫んだ。

 

「そんな勝手なことを、この私が許すと思っているのか……!」

 

 画面の中の黒夜は、静かにカードを見つめている。

 

「黒夜! 貴様は私を尊敬しているのだろう!?」

 

 マコトの声がひび割れる。

 

「ならば勝手に消えるな! 私の前からいなくなるな!!」

 

 カヨコは、ほとんど表情を変えていなかった。

 だが、その瞳は苦しげに揺れていた。

 

「……黒夜」

 

 静かな声だった。

 

「それを選んだら、誰も傷つかないと思った?」

 

 届かないと分かっている。

 それでも、言う。

 

「違うよ」

 

 カヨコは小さく首を横に振る。

 

「忘れたくないって思うことまで、奪わないで」

 

 最後の声は、ほとんど願いだった。

 

「お願い……戻ってきて」

 

 リオは画面を見つめたまま、唇を噛んでいた。

 

 存在情報の消去。

 記憶干渉。

 世界規模の痕跡改変。

 

 もしカードの力でそれを実行するなら、理論上は可能かもしれない。いや、可能かどうかではない。黒夜はそれを可能にしようとしている。

 自分が周囲を壊す原因になると知ったから。

 自分という存在を、世界から取り除こうとしている。

 

「黒夜、駄目よ」

 

 リオの声は震えていた。

 

「それは解決ではないわ」

 

 かつて、自分も自己犠牲を選ぼうとした。

 誰かのためだと思って、すべてを抱え、自分が消えることで解決できると思った。

 その過ちを、黒夜が繰り返そうとしている。

 

「貴方が消えることで成立する未来なんて、私は認めない」

 

 ヒマリは、いつもの軽口を言おうとした。

 自分は超天才清楚系病弱美少女であると、いつものように誇張し、場を少しでも動かそうとした。

 だが、言葉は出なかった。

 代わりに出たのは、弱く震える声だった。

 

「黒夜さん……まさか、本気で……」

 

 彼女は画面へ向かって身を乗り出す。

 

「そんなものは看過できません……!」

 

 けれど、そこで一度言葉が詰まった。

 いつもの飾った言葉が剥がれていく。

 

「貴方が消えてしまったら……どれほど退屈で、味気なくて、つまらない世界になると思っているのですか……?」

 

 ヒマリの声が震える。

 

「私はもう、黒夜さんのいないつまらない世界になんて戻りたくありません……」

 

 そして、縋るように言った。

 

「お願いです、黒夜さん……消えないでください……」

 

 アツコは、ずっと動けなかった。

 視線は画面に固定されている。

 

 シャーレの近くで会って、ファミレスで食事をした。皆で話して、笑って、別れ際に言った。

 

 “ちゃんと帰ってね”

 

 黒夜は、もちろんですと答えた。

 穏やかに笑っていた。

 その笑顔が、今の画面の中の黒夜と重なる。

 

「黒夜……」

 

 アツコの声は、小さかった。

 

「ちゃんと帰ってねって、言ったのに……」

 

 唇が震える。

 

「もちろんですって、言ってくれたのに……」

 

 彼女は自分の胸元を握り締める。

 

「私、まだ償えてないよ……」

 

「忘れたら、償うこともできなくなる……そんなの嫌だよ……」

 

 アビドスの面々も、声を失っていた。

 

 シロコが短く言う。

 

「黒夜」

 

 それだけで、彼女の感情は十分だった。

 シロコは画面を睨む。

 

「勝手に消えるなんて、聞いてない」

 

 ホシノは画面の黒夜を見つめ、苦しそうに眉を寄せる。

 

「黒夜君……それはさぁ……」

 

 声が、普段よりずっと低い。

 

「守ることじゃないよ……」

 

 アビドスで教えたこと。

 守るとは、ただ耐えることではない。

 そして、自分を消すことでもない。

 

「君、まだ私との訓練終わってないでしょ……」

 

 ホシノは無理に笑おうとして、失敗した。

 

「勝手に居なくなろうとしないでよ……」

 

 ノノミは涙をこぼしていた。

 

「黒夜さん……駄目です……」

 

 両手を胸の前で握る。

 

「そんな悲しい守り方、誰も望んでいません……!」

 

 セリカは歯を食いしばり、涙を怒りで押し込めようとしていた。

 

「馬鹿じゃないの……!」

 

「そんなの、誰が納得するのよ!」

 

「戻ってきなさいよ!」

 

 アヤネは端末を操作し続けていた。

 

「通信、繋がりません……!」

 

 涙声になりながらも、手は止めない。

 

「こちらの音声は届いていません……!」

 

 それでも画面を見る。

 

「黒夜さん、お願いです……気付いてください……!」

 

 ゲーム開発部も叫んでいた。

 アリスが一歩前へ出る。

 

「黒夜!」

 

 その声は真っ直ぐだった。

 

「勇者は、仲間の記憶から消えたりしません!」

 

 目に涙を浮かべながら、それでもアリスは言う。

 

「一緒に帰るのが、ハッピーエンドです!」

 

 モモイが叫ぶ。

 

「そんなエンディング、バッドエンドじゃん!」

 

 拳を握り締める。

 

「勝手にスタッフロール流そうとしないでよ!」

 

 ミドリは涙を拭いながら首を振った。

 

「黒夜さん……それは優しさじゃないです……」

 

「そんな終わり方、誰も望んでません……!」

 

 ユズは小さな声で、それでも必死に言った。

 

「消えないで……ください……」

 

 抱えた端末をぎゅっと握りしめる。

 

「黒夜さんとの思い出、消したくないです……」

 

 美食研究会もまた、画面を見つめていた。

 ハルナは唇を噛み、静かに言う。

 

「美食とは、記憶に残るものですわ」

 

 その声はいつもよりずっと低い。

 

「貴方という味を、世界から消すなど……あまりにも無粋です」

 

 アカリは目を潤ませていた。

 

「えっ、黒夜さんが消えちゃうんですか……?」

 

 いつもの食欲も、今はどこかへ消えている。

 

 ジュンコは画面に向かって叫んだ。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 

「勝手に消えるとか、そんなの反則でしょ!」

 

 イズミはぽつりと呟く。

 

「黒夜がいなくなったら……」

 

 その顔は、いつもよりずっと寂しそうだった。

 

「一緒に変なもの食べられない……」

 

 その場の全員が、黒夜を呼んでいた。

 

 止めようとしていた。

 

 だが、音声は届かない。

 

 どれだけ叫んでも、映像の中の黒夜は振り返らない。

 

 少し離れた場所で、シロコ*テラーが空を見上げていた。

 彼女は皆の叫びを聞いていた。

 黒夜がしようとしていることも、理解した。

 少なくとも、彼女はそう思った。

 

「世界を壊さないために……自分の存在ごと、痕跡も、記憶さえも消し去る……」

 

 静かな声だった。

 誰に聞かせるでもない。

 ただ、ぽつりとこぼれた言葉。

 

「私は、失った世界を終わらせようとした」

 

 彼女は、自分の手を見る。

 何も掴めなかった手。

 

「貴方は、世界を終わらせないために、自分を消そうとしている」

 

 その違いが、胸に刺さった。

 

「……私とは、選び方が違うんだね」

 

 シロコ*テラーは目を伏せる。

 そして、ひどく小さな声で呟いた。

 

「ごめんね……黒夜」

 

 映像の中で、黒夜がカードを掲げた。

 光が、少しずつ集まり始める。

 先生が叫ぶ。

 

「黒夜! やめてくれ!!」

 

 だが、届かない。

 

 映像の中の黒夜は、静かに目を閉じた。

 

 その唇が、何かを呟いた。

 

 音声は乱れていて、言葉の全ては拾えない。

 

 ただ、途切れ途切れに、わずかな音だけが地上へ届いた。

 

『……皆さんを……』

 

『……悲しませたりは……しません……』

 

 その言葉に、全員が息を呑んだ。

 黒夜が、カードを使う。

 眩い光が、崩れゆく箱舟の中に広がった。

 白く、強く、すべてを塗り潰すような光。

 黒夜の姿が、その中に包まれていく。

 

「黒夜!!」

 

 全員の叫びが響く。

 

 ミカ*テラーの悲鳴が重なる。

 ナギサの祈りが、ヒナの叫びが、アツコの涙声が、アリスの声が、皆の声が、地上に溢れる。

 けれど、光は止まらない。

 

 次の瞬間。

 

 映像の中から、黒夜の姿が消えた。

 誰も声を出せなかった。

 シッテムの箱に映るのは、崩壊していく箱舟の残骸だけ。

 

 黒夜はいない。

 

 カードの光も消えている。

 そこに、彼の姿はなかった。

 

 沈黙が落ちた。

 重く、冷たく、息もできないほどの沈黙。

 やがて、誰かが小さく名前を呼んだ。

 

「……黒夜」

 

 それを合図にしたように、地上にいた者たちの心が、音を立てて崩れていった。

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