さて、中央トレセン学園のトレーナーという生き物は、案外モテる。
誰にかと言うと、もちろん生徒であるウマ娘たちにだ。
これには明確な理由がある。
トレセン学園は、圧倒的に女子の比率が高い。そこにいる数少ない異性であり、しかも自分たちの夢を支えてくれる献身的なパートナー。思春期の彼女たちが、身近な大人であるトレーナーに淡い恋心を抱くのは、ある意味で自然の摂理なのかもしれない。
だが、モテても正直困る。
年齢差もあるし、相手は学生だ。真剣に交際するには社会的リスクも伴う。
中には、黒沼トレーナーの奥さんのように、卒業まで執念を燃やし続けてゴールインする猛者もいるらしいが、大抵は一過性の熱病のようなものだ。
「恋に恋している」というか、なんとなく近場の良さげな相手にしてみよう、くらいのノリの場合も多い。
見習いの頃も、たまにそんなことがあった。あの頃は、若くて美人な奈瀬トレーナーの方が圧倒的にモテていたが、それでも私にもおこぼれのようなアプローチはあったのだ。
さて、そんな告白イベントが増加する「魔の時期」というのが、年に数回存在する。
一つは、言わずもがなのバレンタインデー。
一つは、聖夜の熱に浮かされるクリスマス。
そしてもう一つが、なぜかハロウィンの時期だ。
おそらく、来るべきクリスマスに向けてパートナーを確保しておきたいという焦燥感と、仮装という非日常感が背中を押すのだろう。
今年のハロウィンも、例に漏れず戦場と化していた。
「トリック・オア・トリート! お菓子くれなきゃイタズラしちゃうぞー!」
「はいはい、ハッピーターンでいいかな」
「あ、トレーナーさん! これ、手作りクッキーです! 好きです!」
「ありがとう。おいしくいただくよ。……気持ちだけな」
私はトレーナー室の入り口で、次々と押し寄せる仮装ウマ娘たちにお菓子を配りつつ、勢い余って飛んでくる愛の告白を華麗に、かつ傷つけないように捌いていた。
そんな時だった。
「……サブトレさん」
「ん?」
人混みがふっと割れ、一人のウマ娘が私の前に立った。
ミホノブルボンだ。
今日の彼女は、幽霊をモチーフにした仮装だろうか。
シーツのような白い布を被り、耳のところには黒い小さなシルクハットがついている。
全体的に可愛らしい、といった雰囲気の仮装だ。
「おや、ブルボンじゃないか。いらっしゃい。その仮装、よく似合っているね。すごく可愛いよ」
「……感謝します。マスターにも好評でした」
私は用意していた特製のお菓子袋を差し出した。
彼女には普段からライスの良きライバルとして世話になっているし、少し豪華にしてある。
「はい、ハッピーハロウィン。トリックはなしで頼むよ」
「受領しました。……あの、サブトレさん」
ブルボンがお菓子を受け取ると同時に、私を見上げた。
その瞳は、いつものように感情を読み取りにくい無機質なものではなく、どこか揺らめくような、強い光を宿していた。
「好きです。付き合ってください」
時が止まった。
周囲の喧騒が一瞬にして遠のく。
まさか。
あの恋愛感情とは無縁そうな、サイボーグとあだ名されるブルボンが、こんな直球を投げてくるとは。
黒沼さんに何言われるかわからないな、と思った。
さて、どう対応するか。
冗談と流すのは簡単だ。
「ははは、またまた」と笑って、頭を撫でてやればいい。
だが、彼女の瞳は真剣そのものだった。
あの無表情の奥で、彼女なりに勇気を振り絞り、計算し、そして導き出した結論なのだとわかった。
ならば、私も真剣に向き合わねばならない。
普段あまり関わりのない生徒ならいざ知らず、彼女は私の友人の娘であり、私の大切な妹のライバルだ。
私は彼女をじっと見た。
改めて見れば、彼女は美しい。
整った顔立ち、ボンキュッボンの素晴らしいプロポーション。性格も素直で真面目で、時折見せる天然なところも愛らしい。
もし私が同級生の男子生徒なら、狂喜乱舞して「喜んで!」と即答していただろう。
では、なぜ私は今、躊躇しているのか。
年齢差? トレーナーと生徒という立場?
黒沼トレーナーに殺されるかもしれないという恐怖?
いや、違う。
言われた瞬間に黒沼さんの顔が浮かんだ時点で、私の中の答えは決まっていたのだ。
世間体や立場なんて、ただの言い訳に過ぎない。
私には、心に決めた「優先順位」がある。
そして、その最上位には、すでに妹がいるのだ。
私はしゃがみ込み、ブルボンと目線の高さを合わせた。
「……ごめん。ありがとう、その気持ちはすごく嬉しいよ」
「……」
「でも、ブルボンとは恋人にはなれない」
はっきりと告げた。
曖昧な優しさは、彼女のような真っ直ぐな子には毒になる。
ブルボンは少しだけ瞬きをして、それからゆっくりと頷いた。
「……了解しました。拒絶の回答を確認」
「ごめんな」
「謝罪は不要です。……確率は低いと予測していましたから」
彼女の声は平坦だったが、その肩がわずかに落ちたのを私は見逃さなかった。
胸が痛む。だが、嘘をついて付き合うことの方がもっと残酷だ。
「お菓子、持って帰ってね。おいしいチョコが入ってるから」
「はい……いただきます」
ブルボンは深く一礼し、踵を返した。
あまり食い下がってこなかったその背中が、ハロウィンの喧騒の中に消えていく。
私はため息をついて立ち上がった。
ふと、脳裏にある光景がよぎった。
白のワンピースを着て、麦わら帽子を押さえながら笑う、あの夏の日の少女。
『ライスが、お兄さまの恋人になってあげる!』
無邪気に、けれど真剣にそう言った彼女の顔。
「……まったく」
私は自分の額を手で覆った。
どうやら私は、自分が思っている以上に重症の「シスコン」らしい。
私はポケットの中にある、ライスにあげるための特別なキャンディをぎゅっと握りしめた。
「おーい、お兄さま! ハッピーハロウィン!」
遠くから、愛しい声が聞こえた。
吸血鬼の仮装をしたライスが、こちらに手を振りながら走ってくる。
その笑顔を見た瞬間、先ほどまでの胸の痛みはどこかへ消え去り、代わりに温かいものが満ちていくのを感じた。
ああ、やっぱり。
私にとっての「トリック・オア・トリート」の正解は、これなのだ。