ハロウィン。
それは、バレンタインやクリスマスという二大巨頭に比べれば、まだ恋愛イベントとしての知名度は低い。
けれど、トレセン学園においては、この日は「魔の日」であり「勝負の日」でもある。
仮装という非日常感が少女たちの気を大きくさせるのか、それともごちゃついた祭りの熱気がそうさせるのか。
とにかく、校舎のあちこちで愛の告白イベントが多発する、危険な夜なのだ。
そして、その嵐は私たちの目の前にも迫っていた。
「……ライスさん。私は、サブトレさんに告白します」
放課後の部室で、ミホノブルボンさんは淡々と、しかしこれ以上ないほど明瞭に宣言した。
彼女はすでに、白いシーツを被った幽霊の仮装をしている。その格好でなければ、まるで出走前の選手宣誓のように凛々しく見えただろう。
私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
来るべき時が来た、と思った。
日本ダービーの観戦以来、私たちは互いを最強のライバルとして認め合っている。それはレースだけでなく、お兄さまを巡る恋においても同じだ。
ブルボンさんは、逃げない。正面から正々堂々と勝負を挑む人だ。
「……そう」
私は一度だけ目を伏せてから、彼女を見つめ返した。
「頑張ってとは、言えないけど」
嘘はつきたくなかった。
お兄さまは私のものだ。誰にも渡したくない。
けれど、ただ嫉妬で彼女の足を引っ張ったり、邪魔をしたりするほど、私とブルボンさんの絆は軽くなくなっていた。
私たちは友達で、仲間で、そしてライバルだ。
もし彼女が勝利したとしても、その時は唇を噛みしめながらも、彼女の勇気を称えたい。そんな複雑な感情が、私の中で渦を巻いていた。
ブルボンさんは静かに頷いた。
「了解。貴女の敵対的感情は正常です。……行ってきます」
彼女はそう言い残し、トレーナー室へ向かって歩き出した。
その背中を見送りながら、私は立ちすくんでいた。
どうしよう。もし、お兄さまがOKしたら。
ブルボンさんは綺麗だし、スタイルもいいし、何よりお兄さまのことを深く理解している。
お兄さまが彼女の手を取る未来が、容易に想像できてしまう。
「ということで、ライスさん。出歯亀にいきますよ」
「えっ?」
突然、背後から優雅な声がかかった。
振り返ると、黒いドレスに身を包んだ魔女の仮装をしたメジロマックイーンさんが立っていた。
「マ、マックイーンさん!? そんな堂々と!?」
「ブルボンさんが宣言したんですもの。結果を見届けるのは、ライバルとしての当然の権利ですわ!」
マックイーンさんは扇子で口元を隠しながら、瞳をキラリと光らせた。
この人、基本的にはお上品で完璧なお嬢様なのだが、時々こうしてブレーキが壊れたように暴走することがある。特にスイーツと野球とお兄さまに関することになると、その行動力は凄まじい。
「さあ、行きますわよ! 遅れたら決定的瞬間を見逃してしまいますわ!」
「ちょ、ちょっと待ってよマックイーンさん!」
私は半ば強引に腕を引かれ、ブルボンさんの後を追うことになった。
正直、見るのは怖い。
でも、それ以上に、結果を知らないまま待っていることなんてできなかった。
トレーナー室の近く、廊下の角からこっそりと様子を窺う。
そこには、お菓子を配りながら生徒たちを捌いているお兄さまの姿があった。
相変わらずの人気ぶりだ。
そして、人波が割れたその時、ブルボンさんがお兄さまの前に立った。
距離が遠くて会話は聞こえない。
けれど、ブルボンさんがお兄さまを見上げて何かを言い、お兄さまが驚いたような顔をしたのはわかった。
告白したんだ。
私の心臓が早鐘を打つ。
お兄さまはどうする? 受け入れるの?
ブルボンさんの可愛らしい仮装姿を見て、頬を染めているようにも見える。
お兄さまがしゃがみ込み、ブルボンさんと目線の高さを合わせた。
そして、何かを言葉をかけ――最後に、優しく、けれど少し寂しそうに微笑んだ。
ブルボンさんが小さく頷き、お辞儀をして去っていく。
その肩が、ほんのわずかに震えているように見えた。
「……断られたようですわね」
マックイーンさんが、小さく息を吐きながら呟いた。
「うん……そうだね」
私も、安堵のため息が漏れそうになるのを必死に堪えた。
お兄さまは、ブルボンさんを選ばなかった。
理由はわからない。年齢差を気にしたのか、トレーナーという立場を守ったのか、あるいは――他に好きな人がいるのか。
スタイル抜群で、あんなに一途なブルボンさんですらダメだったのだ。お兄さまの心の壁は、想像以上に厚くて高いのかもしれない。
私たちは廊下の陰に戻り、壁にもたれかかった。
「……手ごわいですわね、サブトレーナーさんは」
「うん」
「でも、これでわかりましたわ。あの方は、半端な覚悟では落とせません」
マックイーンさんが扇子をパチリと閉じた。
その瞳には、新たな決意の炎が灯っていた。
「私は、クリスマスに告白することにしますわ」
「マックイーンさん!?」
「聖夜の奇跡。ロマンチックなシチュエーションで、攻め落とします。全力を持ってすれば、きっと不可能はありませんわ」
「そ、そんな……!」
ブルボンさんが散った直後に、もう次の刺客が名乗りを上げている。
これが恋の戦場か。休む暇なんてないんだ。
「ライスさんは、どうされるんですか?」
マックイーンさんが、探るような視線を向けてきた。
「うーん……」
私は言葉に詰まった。
二人の直球勝負を見ていると、私だけが「妹」という安全地帯に隠れているのが、なんだか卑怯な気がしてきた。
お兄さまに「好き」と伝えること。
それは、今の関係を壊してしまうかもしれない、とても怖いことだ。
でも、動かなければ何も変わらない。お兄さまはいつまで経っても私のことを「可愛い妹」としてしか見てくれない。
どうするべきか。
私はまだ、ブルボンさんのような勇気も、マックイーンさんのような勢いも持ち合わせていない。
ただ一つ確かなのは、このままではいけないということだけだ。
「……私は、まだ考え中」
「そうですか。でも、うかうかしていると、クリスマスには私が隣に立っているかもしれませんわよ?」
「むぅ……負けないもん」
マックイーンさんはふふっと笑い、「では、お先に失礼しますわ」と優雅に去っていった。
残された私は、廊下の窓から見える月を見上げた。
お兄さま。
ブルボンさんの告白を断った時、貴方は何を考えていたの?
その心の真ん中には、誰がいるの?
……もし、それが私だったらいいのに。
私は吸血鬼のマントを翻し、お兄さまの元へと走り出した。
今はまだ、告白はできないけれど。
「トリック・オア・トリート!」と言って抱き着くことくらいは、妹の特権として許されるはずだから。
今の私にできる精一杯の愛情表現で、お兄さまの心を繋ぎ止めておこう。
いつか、本当の気持ちを伝えるその日まで。