ライスシャワーはお義兄さまと結婚したい   作:雅媛

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8-3 思いの先 Side:MihonoBourbon

 サブトレーナーさんは、私にとって第二の父のような存在でした。

 

 私の担当トレーナーである黒沼トレーナー――私は彼を「マスター」と呼んでいます――は、非常に厳格な方です。

 それは、私が「クラシック三冠」という壮大な目標を掲げている以上、必然的なことです。甘えや妥協が許される世界ではありません。

 マスターの指導に愛がないわけではありません。徹底された管理、計算し尽くされたメニュー、その全てが私を勝たせるための愛情であることは、論理的に理解しています。

 

 しかし、私の心――この胸の奥にあるシステムは、時として過負荷を起こしそうになります。

 極限まで張り詰めた神経。逃げ続けることへのプレッシャー。

 機械のように正確にラップを刻むことを求められ、私は次第に「私」という個を見失いかけていました。

 

 そんな時、エラーを起こしかけた私の回路を修復してくれたのが、サブトレーナーさんでした。

 

「ブルボン、少し休憩しようか。ほら、糖分補給だ」

 

 彼は、マスターの目を盗んで私に甘いものを与えてくれました。

 雨の日の送迎。トレーニング後のマッサージ。そして何より、私の話を否定せずに聞いてくれる優しさ。

 マスターが私を最強の走行機械(マシン)として鍛え上げるエンジニアだとするなら、サブトレーナーさんは、その機械が軋まないように油を差してくれるメンテナンス担当でした。

 彼がいなければ、私はきっととうの昔に機能停止していたでしょう。

 私にとって、彼は必要不可欠な構成要素(パーツ)となっていたのです。

 

 けれど、同時に私は気づいていました。

 この優しいメンテナンス担当には、誰よりも大切にしている「最優先保護対象」が存在することを。

 

 ライスシャワーさん。

 彼の義理の妹であり、私のクラスメイト。

 

 サブトレーナーさんが彼女を見る目は、私やマックイーンさんを見る目とは明らかに異なりました。

 単なる庇護欲だけではない、魂の底からの執着と、狂気にも似た深い愛情。

 彼が語る「ライス」という言葉の響きには、特別な周波数が含まれていました。

 

 私は、その周波数を検知するたびに、胸の奥で正体不明のエラーが発生するのを感じていました。

 チリチリと胸を焦がすようなノイズ。

 これは何なのか。

 彼を独占したいという恋愛感情なのか。

 それとも、ただ単に「特別扱い」されている彼女への羨望なのか。

 

 おそらく、私は嫉妬していたのでしょう。

 妹として、無条件に彼に愛され、甘やかされる彼女に。

 私にはマスターという父がいますが、あんな風に頭を撫でてくれることはありません。

 だからこそ、サブトレーナーさんの掌(てのひら)にある温もりが、ライスシャワーさんだけの特等席であることが、羨ましくて仕方なかったのです。

 

 

 

 ハロウィンの日。

 学園中が非日常の空気に包まれる中、私はある決断を下しました。

 この胸のエラーの原因を特定し、排除(デバッグ)するために、行動を起こすこと。

 すなわち、告白です。

 

 マックイーンさんの影響もあったのかもしれません。彼女のあの、台風のような情熱に当てられた可能性は否定できません。

 でも、一番の理由は「確認したかった」からです。

 私が彼に抱いている感情の名前を。そして、彼の中で私が「特別」になれる可能性を。

 

 仮装をして、彼のもとへ向かいました。

 人混みの中、彼は優しく微笑んでお菓子をくれました。

 その笑顔は、やっぱり「親切な先生」のそれでした。

 

「好きです、付き合ってください」

 

 私はアルゴリズムに従い、最短距離でのアプローチを選択しました。

 彼は驚き、そして真剣な眼差しで私を見つめ返しました。

 その沈黙の数秒間、私の内部クロックは永遠のように長く感じられました。

 

「……ごめん。ありがとう。でもブルボンと恋人にはなれない」

 

 拒絶の回答。

 想定の範囲内でした。

 成功確率は極めて低いと予測していましたし、想定ほどショックはありませんでした。

 

 むしろ、不思議なほど心が静かでした。

 ああ、やっぱり。

 彼の「一番」の席は、すでに埋まっているのだと、再確認できただけでした。

 

 彼の瞳の奥に映る影。一瞬だけ浮かんだ、あの子の顔。

 理由を聞くまでもありませんでした。

 年齢差でも、立場でもない。

 ただ単純に、彼の心というストレージには、もう空き容量がなかったのです。

 

 私はお辞儀をして、その場を離れました。

 手の中には、彼からもらったお菓子。

 甘いチョコレートの香りが、少しだけ鼻の奥をツンとさせました。

 

 

 

 帰り道、夜風に当たりながら思考を整理しました。

 失恋、というカテゴリーに分類される事象です。

 通常であれば、涙を流したり、情緒不安定になったりするそうです。

 しかし、私の心拍数は安定していました。

 

 きっと、私は「サブトレーナーさんの恋人になりたかった」のではなく、「サブトレーナーさんに選ばれる存在になりたかった」のでしょう。

 ライスシャワーさんのように。

 彼にとっての「唯一無二」になりたかった。

 その手段として「恋人」というポジションを申請したに過ぎないのだと、自己分析しました。

 

 申請は却下されました。

 ですが、関係性が破綻したわけではありません。

 彼はこれからも、私のサブトレーナーとして、私を支えてくれるでしょう。

 なら、私もこれまで以上に彼に甘えましょう。

 メンテナンス担当としての彼を、最大限に利用させてもらいましょう。

 それは、振られた生徒に与えられる、ささやかな特権のはずです。

 

 そして――。

 

 私は夜空を見上げました。

 遠くから、ライスシャワーさんの楽しそうな声が聞こえてきます。

 お兄さま、と彼を呼ぶ声。

 

 ライスシャワーさん。

 私は貴女が羨ましい。

 妹として、あの人に無条件に愛されている貴女が、妬ましいほどに羨ましい。

 

 恋のレースでは、私はスタートラインに立つことさえできずに終わりました。

 貴女と彼の絆は、私が入る隙間もないほど強固なものでした。

 

 ですが、ターフの上では違います。

 そこは、血統も、関係性も、想いの強ささえも超えて、ただ「速い者」だけが勝つ世界です。

 

 胸の奥でくすぶっていたエラーコード『嫉妬』は、今、別のエネルギーへと変換されました。

 明確な闘争本能。

 勝利への渇望。

 

 私は、貴女にだけは絶対に負けたくない。

 彼が愛してやまない「最強の妹」である貴女を、この私が叩き潰す。

 彼が私を見てくれなかったことを後悔させるくらい、圧倒的な逃げを見せつける。

 

「……目標、再設定。対象、ライスシャワー」

 

 私はチョコレートを口に放り込みました。

 甘さが脳に染み渡り、思考がクリアになっていきます。

 

 見ていてください、サブトレーナーさん。

 貴女の愛する妹が、私の背中を追いかけて泣き言を言う姿を。

 そして、貴女が作り上げた最高傑作である彼女を、私が超えていく瞬間を。

 

 私の回路は正常です。

 モチベーションは最大値。

 ミホノブルボン、これより再起動します。




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