街が赤と緑、そして金色のイルミネーションに彩られる季節。
クリスマス・イブ。
世のカップルたちが浮き足立つこの聖なる夜に、私は場違いにも豪奢なホテルのバンケットホールにいた。
メジロ家主催、クリスマスパーティー。
招待状の差出人は、メジロマックイーン。
「内輪でのささやかな集まりですわ」と彼女は言っていたが、メジロ家基準の「ささやか」が庶民のそれとは次元が違うことを、私は改めて思い知らされていた。
シャンデリアが輝く会場には、政財界の有力者や有名トレーナー、そして着飾ったウマ娘たちが集っている。
本来ならば、私は今頃ライスの部屋で、「お兄さま二号」にサンタ帽子を被せながら、二人でチキンを食べているはずだった。
だが、ライスには「今日はブルボンさんと二人で女子会をするから、お兄さまは行ってきて!」と送り出されてしまったのだ。
何か企んでいるような気もしたが、愛する妹が友人とクリスマスを楽しむというのなら、兄として邪魔はできない。
というわけで、私は単身、パーティー会場へと乗り込んだわけだが。
「サブトレさん、来てくださって嬉しいですわ」
深緑色のドレスに身を包んだメジロマックイーンが、優雅に微笑みかけてきた。
美しい。その一言に尽きる。
普段の勝負服や制服姿も気品があるが、ドレスアップした彼女はまさに深窓の令嬢。会場の誰よりも輝いて見えた。
今日の私の役目は、彼女のエスコートだ。
先日、クラシック三冠の最終戦である菊花賞を制し、長距離の才能を開花させた彼女は、今や注目の的である。次の天皇賞(春)への期待も高く、多くの視線が彼女に注がれている。
当然、挨拶回りは避けて通れない。
まずはメジロ家の重鎮、「おばあさま」への挨拶だ。
緊張で胃が痛くなりそうだったが、菊花賞勝利という実績のおかげか、あるいはマックイーンが隣で楽しそうにしているおかげか、予想以上に穏やかに言葉を交わすことができた。
その後も、有力なトレーナーや親族の挨拶が続く。
だが、これは私にとっても悪い話ではなかった。
「あのメジロマックイーンのサブトレーナー」という肩書きは、名刺代わりとして最強だ。
皆がマックイーンに声をかけに来る。私はそれに便乗して、笑顔で名刺を配ればいい。まさに虎の威を借る狐だが、使えるコネは親のものでも教え子のものでも使うのが私の流儀だ。すべてはライスの将来のためになる。
一通りの挨拶を終えると、ようやく自由時間が訪れた。
「ふぅ……疲れましたわね」
「お疲れ様。完璧な立ち振る舞いだったよ」
「ふふ、ありがとうございます。……さあ、エネルギー補給ですわ!」
マックイーンの目が、ビュッフェ台のスイーツコーナーに釘付けになった。
そこからの彼女は早かった。
皿に盛られたケーキ、タルト、プディング。次々と彼女の胃袋へと吸い込まれていく。
現在はレースの予定がないオフシーズンとはいえ、その食欲は凄まじい。
「……マックイーン、少し控えた方がいいんじゃないか? 年明けの体重測定が怖いぞ」
「大丈夫ですわ! スイーツは別腹、クリスマスはノーカウントです!」
幸せそうに頬張る彼女を見て、私は苦笑するしかなかった。
まあいいか。今日くらいは甘やかしてもバチは当たらないだろう。
宴もたけなわとなった頃。
私はマックイーンに袖を引かれた。
「少し、風に当たりませんか?」
彼女に誘われ、私たちは会場の外にあるテラスへと出た。
冬の夜風は冷たいが、火照った体には心地よい。
眼下にはイルミネーションに輝く街並みが広がっている。ロマンチックなシチュエーションだ。
マックイーンが手すりに寄りかかり、夜景を見つめたまま口を開いた。
「……今日は、来てくださってありがとうございました」
「いや、こちらこそ。素晴らしいパーティーだった」
「サブトレさん」
彼女がくるりと振り返り、私を真っ直ぐに見据えた。
その瞳は、菊花賞のスタート前と同じくらい、真剣で、覚悟に満ちていた。
「愛しています。私と、添い遂げてください」
――お前もか、マックイーン。
ハロウィンのブルボンに続き、クリスマスにはマックイーン。
私の周りのウマ娘たちは、どうしてこうも直球勝負が好きなのか。
クリスマスだからって、告白しなきゃいけないルールでもあるのだろうか。そんな軽口が喉まで出かかったが、私はそれを飲み込んだ。
彼女は本気だ。
その震える指先が、潤んだ瞳が、遊びではないことを物語っている。
茶化していい場面ではない。
「……」
「私と、一心同体の関係になってほしいのです」
……でも、表現が重すぎるよマックイーン。
なんだよ、一心同体って。
昭和の歌謡曲か、それとも任侠映画の契りか。夫婦でも普通そこまでの表現は使わないぞ。
だが、それが彼女なりの精一杯の「永遠」の誓いなのだろう。
私は一度大きく息を吸って、夜の冷たい空気を肺に入れた。
そして、目の前の少女を冷静に見つめ直す。
メジロマックイーン。
外見は、言うまでもなく完璧だ。透き通るような芦毛の髪、高貴な顔立ち、モデルのようなスタイル。美少女オブ美少女。
実家は名門メジロ家。権力も財力も申し分ない。菊花賞ウマ娘としての実績も積み、彼女を軽んじる者はこの業界にはいない。
性格も、スイーツや野球への執着と時折見せる奇行を除けば、優しくて真面目で、気配りのできる素晴らしい女性だ。
すなわち、超優良物件。
ブルボンの時も思ったが、こんな完璧な子に好かれるなんて、前世の私は銀河でも救ったのだろうか。それとも来世ですべての運を使い果たす呪いでも受けているのだろうか。
もし私が普通のトレーナーなら、あるいは彼女と出会う順番が違っていれば、私は迷わずその手を取っていただろうか。
だが。
「……ごめん」
私の口から出たのは、謝罪の言葉だった。
「ありがとう、その気持ちはすごく嬉しいよ。一人の男として、光栄に思う」
「……」
「でも、私は君と添い遂げることはできない」
マックイーンの表情が、一瞬だけ歪んだ。けれど、彼女は泣かなかった。
覚悟していたかのように、静かに微笑んだ。
「……わかってはいたことですが、やはり直接言われると悔しいですね」
彼女を一番に置くことはできない。
私の心の中心には、常に絶対的な存在がいる。
最愛の妹、ライスシャワー。
彼女がターフを去るその日まで、いや、その後もずっと、私の最優先事項は彼女だ。
そんな状態でマックイーンと付き合うことは、彼女に対する冒涜であり、不誠実の極みだ。
「自分でも、もったいないことをしているとは思うよ」
「あら。その自覚があるなら、まだ救いはありますわ」
マックイーンが強がってみせる。
その健気さが、痛いほど胸に刺さる。
私は手すりに手をつき、夜空を見上げた。
「……でも、きっと後悔するんだろうな」
「そうかしら?」
「ああ。だって、いつかライスがお嫁に行っちゃったら、俺は一人きりだからな」
ふと、未来の光景が脳裏をよぎった。
夢を叶え、素敵な男性を見つけ、ウェディングドレスを着て私の元を去っていくライス。
それを笑顔で見送り、誰もいない家に帰る私。
……想像しただけで、涙が出そうだ。
「……は?」
隣から、低い声が聞こえた。
見ると、マックイーンが信じられないものを見るような目で私を見ていた。
「そうなったら、『あの時マックイーンの手を取っていれば』とか思っちゃうんだろうなーって。いや、それは君に対して失礼だし不誠実だから、絶対に戻れないけどさ」
「……」
マックイーンの視線温度が、氷点下まで下がった気がした。
あれ? なんで?
振ったことを後悔するかもしれない、というのは、彼女への最大限の賛辞のつもりだったのだが。回りくどかったか。
彼女は深く、深くため息をついた。
そこには失恋の悲しみよりも、呆れと、そして深い同情の色が混じっていた。
「……ライスさんも、大変ですわね」
「え? なんでそこでライスの話に?」
「貴方という人は……本当に、どこまでも『お兄様』なんですのね」
マックイーンがやれやれと首を振る。
彼女は私の目をじっと見つめ、告げた。
「シスコンの自覚はあるようですが……もし、ライスさんが選んだ相手に反対はしませんの?」
「もちろん。多少の寂しさはあるが、ライスが心から愛した相手なら、私は笑顔で祝福するぞ? まあ、相手の男がふさわしいかどうかはチェックするがな」
ライスの幸せが、私の幸せだ。
彼女が選んだ道を応援するのが、兄としての最後の務めだろう。
私の言葉を聞いたマックイーンは、天を仰いだ。
「……もう、それでいいですわ」
「えっ?」
「貴方のその鈍感さが、私たちにとっては救いであり、同時に最大の絶望ですのよ。……ああ、ライスさん。貴女の選んだ道は、いばらの道ですわね」
マックイーンは同情するように呟くと、ドレスの裾を翻した。
「振られてしまいましたが、サブトレーナーとしての貴方はまだ必要です。これからもよろしくお願いしますわ」
「あ、ああ。もちろんだ」
「それと、やけ食いしますから、明日の体重計には細工をしておいてくださいまし」
「それは努力目標ということで……」
彼女は凛とした背中で、会場へと戻っていった。
その背中は、失恋した乙女の弱弱しいものではなく戦う乙女そのものであった。
私は一人、テラスに残された。
冷たい風が吹く。
なぜ彼女があんなに呆れていたのか、私にはまだよくわからなかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
早く帰ろう。
パーティーが終わったら、急いで帰って、まだ起きているかもしれないライスに「メリークリスマス」を言おう。
マックイーンに言った通り、いつか彼女が誰かのものになる日が来るとしても。
今この瞬間、彼女の一番近くにいるのは私なのだから。