ライスシャワーはお義兄さまと結婚したい   作:雅媛

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10-1 バレンタインに Side:Trainer

 二月十四日。バレンタインデー。

 世間一般では愛の告白の日であり、製菓業界の陰謀が渦巻く日であり、そしてここトレセン学園においては、一年で最も甘い匂いと殺気が入り混じる戦場となる日である。

 

 朝から校舎内はそわそわとした空気に包まれていた。

 ウマ娘同士で友チョコを交換し合う微笑ましい光景。

 担当トレーナーを呼び出し、顔を真っ赤にして本命チョコを渡す青春の1ページ。

 あるいは、下駄箱や机の中に大量のチョコを詰め込まれ、物理的な重量に悲鳴を上げる人気ウマ娘たち。

 

 そんな狂騒の中、私もまた、カバンの中に大量の「チョコレート」を詰め込んで出勤していた。

 バレンタインは女性から男性へ、というのはもはや古い。日頃の感謝を伝えるのに性別など関係ないのだ。

 それに、私は料理やお菓子作りが趣味だ。ライスのために身に着けたものだが、こういった時にも役に立つ。既製品を渡すよりも、手作りの方が気持ちが伝わるだろう。

 

 まずは、トレーナーの皆さんに。

 

「おや、貴方からいただくとは。ありがとうございます」

「あら、気が利くじゃない。お返し期待しててね」

 

 同期の桐生院トレーナーや、先輩である樫本トレーナー、そして師匠にあたる奈瀬トレーナーたちに配る。中身は甘さ控えめのブラウニーだ。仕事の合間の糖分補給用として好評だった。

 

 続いて、現場にて。

 

「チョコ?ああ、そういえばバレンタインか」

 

 黒沼トレーナーが目を丸くする。

 

「いつもお世話になっていますから」

「……へっ、律儀な野郎だ。ありがとよ」

 

 強面の彼も、甘いものは嫌いではないらしい。少し照れくさそうに受け取ってくれた。

 

 そして、ライスの大切な友人でありライバルたちへ。

 

「あら、サブトレーナーさんから? 嬉しいですわ!」

「感謝します。エネルギー充填率を確認」

 

 メジロマックイーンとミホノブルボン。

 彼女たちには、それぞれの好みに合わせた特製チョコを用意した。マックイーンには厳選したカカオを使ったリッチなトリュフを。ブルボンには栄養バランスを考慮したナッツ入りのエナジーバー風チョコを。

 二人とも、私にもチョコを用意してくれていた。「義理ですわよ」「感謝の印です」と言いつつも、そのパッケージが市販品ではなく手作りであることに、私はトレーナーとしての責任と喜びを感じた。

 

 こうして、すべて配り終えた。

 カバンの中には、最後の一つ。

 一番大きく、一番手間をかけ、一番心を込めた、可愛らしいラッピングの包みが残っている。

 もちろん、最愛の妹、ライスシャワーの分だ。

 

 

 

 夕方。

 私は早めに帰宅し、エプロンをつけてキッチンに立っていた。

 今日はライスが私の部屋に来ることになっている。

 バレンタイン・ディナーとして、彼女の好物であるビーフシチューを煮込んでいた。部屋の中にデミグラスソースの芳醇な香りが漂う。

 

 ピンポーン。

 チャイムが鳴り、私は小走りでドアを開けた。

 

「お兄さま! ハッピーバレンタイン!」

「いらっしゃい、ライス。ハッピーバレンタイン」

 

 満面の笑みを浮かべたライスが、寒さで少し鼻を赤くして立っていた。

 手には可愛らしい紙袋を持っている。

 

 部屋に入り、コートを預かり、ソファで一息つく。

 温かい紅茶を淹れて、いよいよ恒例の「交換会」だ。

 

「はい、ライス。いつもありがとう。今年もよろしくな」

「わぁ……! ありがとうお兄さま! これ、手作り?」

「もちろんだ。ライスのために、新作のガトーショコラを焼いてみたんだ」

「えへへ、嬉しい……。食べるのもったいないなぁ」

 

 ライスは包みを愛おしそうに撫でてから、自分の紙袋を差し出した。

 

「ライスからも、はい。……一生懸命作ったの」

「おお、ありがとう! 開けてもいいか?」

「うん」

 

 丁寧にラッピングを解くと、中から現れたのは、青い薔薇を模した美しいチョコレートだった。

 繊細な花びらの一枚一枚まで丁寧に作られている。どれほどの時間をかけて練習したのだろう。

 私は感動で胸が熱くなった。

 

「すごいな……芸術品みたいだ。食べるのが惜しいよ」

「お兄さまのために、頑張ったんだよ?」

 

 ライスがはにかむ。

 ああ、幸せだ。

 妹とこうして温かい部屋でチョコを交換し合い、これから美味しい夕食を食べる。

 これ以上の幸福がどこにあるだろうか。

 私はすっかりリラックスし、ソファの背もたれに体を預けた。

 

 しかし。

 その平穏は、唐突に破られた。

 

「……ねえ、お兄さま」

「ん? なんだい?」

 

 ライスが、スッと表情を変えた。

 いつもの甘えるような妹の顔ではない。

 レースのスタート直前のような、あるいはそれ以上に張り詰めた、青い炎を宿した瞳で私を見つめていた。

 

「お兄さま、愛しています。……ライスと、付き合ってください」

 

 部屋の空気が凍り付いた。

 コトコトと煮えるシチューの音だけが、やけに大きく響く。

 

「……」

 

 私は数秒間、言葉を失った。

 脳が理解を拒否していた。

 今、なんて言った?

 愛している? 付き合ってください?

 

「え、あ……ライス?」

「冗談じゃないよ。本気なの」

 

 ライスが一歩、私に近づく。

 その迫力に、私は思わず背もたれに深く沈み込んだ。

 

 予想外すぎる。

 確かにライスは私のことが大好きだ。それは知っている。ブラコンだという自覚もある。

 だが、それはあくまで「家族愛」の範疇だと思っていた。

 それが、まさかここまでの直球な「異性愛」として提示されるなんて。

 

「い、いや、なんで? というか、俺たちは兄妹だぞ?」

「知ってるよ」

 

 ライスは即答した。

 

「ライスとお兄さまに血が繋がってないのも、知ってるよ」

「なっ……!?」

 

 驚愕した。

 その事実は、彼女が成人するまで伏せておくつもりだった。両親ともそう話し合っていたはずだ。

 いつの間に知ったのだ。

 

「お母さまに聞いたの。ずっと前に」

「母さんが……」

「でもね、お兄さま」

 

 ライスが私の膝に手を置き、顔を近づけてくる。

 その瞳は、深淵のように暗く、けれど星のように強く輝いていた。

 冗談やからかいで言っているのではない。彼女は本気で、私の人生を奪いに来ている。

 

「血が繋がっていなくても、繋がっていても……そんなことは、ライスが告白しない理由にはならないよ」

「……!」

 

 ゾクリと背筋が震えた。

 覚悟の量が違う。

 彼女は、社会的なタブーも、倫理的なハードルも、すべて飛び越えるつもりでいる。

 

 私は混乱する頭を必死に回転させた。

 ライスと付き合う。

 そんなこと、考えたこともなかった。

 彼女は守るべき対象で、育てるべき原石で、可愛がるべき妹だ。

 それを「恋人」という枠組みに入れる?

 

 ……待てよ。

 

 私は自問自答した。

 私にとって、ライスシャワーとは何だ?

 一番大事な存在だ。

 自分の命よりも、キャリアよりも、世界の何よりも重い。

 彼女が笑ってくれるなら私は何でもするし、彼女が泣くなら世界を敵に回してでも守る。

 

 それって、もしかして。

 世間一般で言うところの「恋愛感情」よりも、はるかに重くて深い感情なのではないか?

 

 あれ?

 そうすると、付き合うことに何の問題があるんだ?

 私が彼女を愛していないわけがない。

 彼女も私を愛していると言ってくれている。

 需要と供給は、恐ろしいほどに一致している。

 

 ――いや、待て待て待て。

 落ち着け私。

 問題しかないだろう!

 

 まず両親だ。

 父さんと母さんが何と言うか。特に父さんは卒倒するかもしれない。

 そして世間体だ。

 トレーナーと担当ウマ娘。しかも戸籍上の兄妹。

 スキャンダルなんてレベルじゃない。URAがひっくり返る大問題だ。ライスの選手生命に傷がつくかもしれない。

 

 だが、目の前のライスは引かない。

 その瞳は「NO」という答えを許さない色をしている。

 

「……ライス」

「なぁに?」

「……少しだけ、考えさせてもらえないか?」

 

 それが、今の私にできる精一杯の返答だった。

 即座に断ることはできなかった。

 なぜなら、私の心の一部が、彼女の提案に強烈に惹かれてしまっていることを自覚してしまったからだ。

 もし、すべての障害を無視できるなら。

 彼女と結ばれる未来は、私にとって至上の幸福であることは間違いないのだから。

 

「……うん、わかった」

 

 ライスはふわりと微笑んだ。

 その余裕のある笑みは、すでに私が逃げられないことを悟っている捕食者のようにも見えた。

 

「じゃあ、ホワイトデーまで待ってあげる」

「ホワイトデー……一ヶ月か」

「うん。それまでに、お兄さまの覚悟を決めてね?」

 

 ライスは私の頬にちゅっとキスをして、離れた。

 そのキスは、今までのおはようのキスとは違う、熱を帯びた「予約」の印だった。

 

「さあ、ご飯にしよう! いい匂いがするね」

 

 ライスは何事もなかったかのように立ち上がり、キッチンへと向かう。

 残された私は、ソファの上で呆然としていた。

 

 一ヶ月。

 たった一ヶ月で、私はこの人生最大の難問に答えを出さなければならない。

 

 ビーフシチューの香りが鼻をくすぐる中、私はかつてないほどの胃の痛みを覚えていた。




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