死霊術師でも英雄になれますか?   作:久川 晶 (旧:パリスタパリス)

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第十七話『春の終り・壱』

 対抗戦が終わった後の数日間。

 それは、学園職員(・・)にとって最も慌ただしい時期の一つだった。

 

 負傷した生徒たちの治療。舞台となったヴェルデ山の要塞や山道、自然景観の修復および清掃。

 職員たちはそれらの業務に奔走し、負傷生徒の療養などの理由もあって殆ど全ての授業は休講となる。つまり、学園は実質的な長期休暇へと入るのだ。

 

 (おおよ)そ七日間の戦後休暇(・・・・)を満喫するのは、主にその煽りが及ばない生徒たち――とりわけ、大した怪我もなく対抗戦を終えられた幸運な者たちである。

 彼らは連れ立って街へ遊びに出掛け、あるいは寮に引き籠って惰眠を貪り、あるいは更なる自己研鑽に励むなど、思い思いの閑日を過ごしていた。

 

「――おい、聞いたかよ」

 

 そして、今は戦後休暇三日目の早朝。

 平日であれば授業へ向かう生徒たちで賑わう時間帯だが、長期休暇の三日目ともなれば生活習慣の乱れている生徒も多い。

 廊下を歩く人影はまばらで――だからだろうか、彼らの声は石畳によく響いた。

 

「一年の対抗戦。特待生が討ち取られたらしいぞ」

「……マジ? 特待生って化け物じゃなかったのかよ。いや、今年は四人も入ったとかいうし、その分一人あたりの質を落としたのか」

「どうだかな。やられた特待生――ブラッケンベリーの噂はよく聞いてる。化け物じみた魔道士であることは、どうやら間違いなさそうだが」

 

 話しているのは、二人の男子生徒。装飾の色からして二年生。

 

「……それじゃあ、一体なぜ――」

「――討ち取ったのは、なんと例の死霊術師らしい。入学早々、ゼインを負かした奴だ」

 

 微妙な沈黙。

 それぞれの脳裏に浮かぶのは、たまに廊下ですれ違う銀髪の少年。

 

「死霊術師……死体を弄り回す変態としか思っていなかったが」

「いよいよ、本当にやばい奴が入学してきたのかもな」

 

 それきり、二人の会話は終わった。

 その会話を――少し離れた廊下の曲がり角で、一人の女性教授が耳にしていた。

 

「……はあ。滅茶苦茶ですね」

 

 小さな溜め息と共に呟くのは、エルネスタ=フローレンス教授。

 気品ある老婦人の表情には、教師らしい苦労人の色が滲んでいた。

 

「朝から溜め息とは、感心せんな」

 

 不意に、その背後から声が掛かった。

 

 聞き慣れた低い声に振り返ると、立っていたのは壮年の男性教授。

 鋭い眼光と厳めしい顔立ち。武人を思わせる体躯。

 

「ヴァレンシュタイン教授」

「悩み事かね」

「ええ、まあ。最近、何かと頭痛の種が多いもので」

 

 その返答に、ヴァレンシュタインは片眉を上げる。

 先を促すような視線に、エルネスタは観念したように息を吐いた。

 

「……対抗戦の結果については?」

「ああ、知っている。実に面白い結果になったものだ」

 

 彼はそう言って、愉快そうに口元を歪める。

 

「面白い、ですか」

「ああ。己が才能に酔いしれた小娘が、見事に鼻っ柱をへし折られたのだ。これを痛快と言わずして何と言う」

 

 あまりにも遠慮のない物言いに、エルネスタは思わず苦笑を漏らした。

 

「……お言葉ですが、教師として褒められる感想ではありませんね」

「自覚はある。しかし――個人的な好き嫌いを抜きにしてもな、儂はもともと個人技に優れているだけの人間を評価しておらんのだ」

 

 ヴァレンシュタインは鼻を鳴らし、腕を組みながら続ける。

 

「そういった手合いは一見すると優秀に見え、同僚との出世競争においては無類の強さを発揮するが……こと戦争(・・)に至っては驚くほど役に立たんことも少なくない」

 

 元軍人として積み重ねてきた実感が、その口調には滲んでいた。

 

 エルネスタは何も言い返さない。

 彼の考え方を全面的に肯定したわけではなく、数多の戦場を生き抜いてきた男の哲学を尊重するが故に。

 

「レイアには、苦い経験になったかもしれません」

「むしろ幸運だろう。若いうちに挫折を知れたのだからな――ああ、卒業後に叩き折られるよりは、遥かに幸運だ」

 

 戦場での挫折は、即ち敗北と死を意味する。

 そう言外に語るような眼差しだった。

 

「……それで? 君の悩み事というのは、敗戦を引きずっているであろうブラッケンベリーのことかね?」

「いいえ、それもありますが――私が心配なのは、むしろ勝利した側(・・・・・)の立場です」

 

 エルネスタの返答に、彼は僅かに目を細める。

 

「……スタンリーか。只者ではないと思っていたが、よもや特待生に勝るとは。それも、限りなく一騎打ちに近い状況だったと聞いている」

「中央政府の耳に届くのも時間の問題でしょう。近い内に、何らかの干渉が予想されます」

 

 特待生。

 理事会が保証する天賦の才。その一角が敗北を喫し、まして勝者が"死霊術師"ともなれば、政府が関心を示さないはずもない。

 

「――両教授、おそろいで」

 

 差し込まれた声に振り向くと、歩いて来るのは一人の青年だった。

 切れ長の双眸に、理知的な顔立ち。慇懃ながらも、どこか不遜な物腰。

 

 ルキウス=ブルータス教授。

 学園の歴史上、最も若くして教授職に就いた俊英。

 

「一体、何の話をされていたんです?」

「対抗戦。転じて、特待生と死霊術師の話だ」

 

 ルキウスの表情が固まった。

 そして、その僅かな変化を見逃すほどヴァレンシュタインは鈍くない。

 

 気まずそうに目を逸らす若造に対し、老齢の武人はその口元を愉快そうに吊り上げた。

 

「おっと、読みを外したルキウス殿には耳に痛い話題だったかね?」

「……大人げないですよ、ヴァレンシュタイン教授」

 

 ルキウスは呆れたように肩を竦める。

 

――『今年の対抗戦は、つまらない展開になりそうですな。特待生を相手にできる一般生徒など、早々いるはずもないでしょうから』

 

 教員会議における発言を筆頭に、特待生の価値や才能について弁舌を振るっていた彼は、今回の結果によって少々居心地の悪い立場に置かれていた。

 

「はあ……予想を外したことは否定しません。正直に言って、度肝を抜かれています」

「なんだ、存外に素直だな。つまらん奴め」

「この状況では、意地を張るほど道化になる。それくらいは心得ていますとも」

 

 ルキウスは苦笑を浮かべながらも、どこか不遜な態度で肩を竦めた。

 

「オズリック=スタンリー。彼は一体、どういう生徒なんですか」

「興味があるのかね?」

「当然でしょう。少なくとも私の在学中は、特待生(わたし)に比肩する一般生徒などいなかった。そして、スタンリーは私の授業をとっていませんから」

 

 当学園でルキウスが担当する科目は高学年向けの専門科目や選択制の講義が中心である。

 故に名前と噂くらいは耳にすれども、"死霊術師"とルキウスの接点は殆ど存在しなかったのだ。

 

「……普段の授業では、勤勉な学生のように振舞っている」

 

 ヴァレンシュタインは鼻を鳴らし、低い声で続けた。

 

「だが、儂の目は誤魔化せん。心に牙を隠し持っている……恐らくは悪童気質だな。隠そうとしている分、舐め腐った特待生どもよりは多少マシといったところか」

 

 そこまで言うと、彼は顎でエルネスタを示した。

 

「もっとも、あれについては彼女の方がよほど詳しいだろうよ。啓示の儀に立ち会ったのも、普段からよく面倒を見ているのも彼女なのだから」

「……そうですね――」

 

 女性教授は、否定することなく頷いた。

 

 確かに死霊術師――オズリック=スタンリーという生徒について語るのは、自分が最も適任と言えるだろう。

 入学から今日に至るまで、何かと縁のある生徒だった。

 

「一言でいえば、野心家ですね」

「野心家?」

 

 ルキウスが僅かに眉を上げる。

 その反応に頷きながら、エルネスタは言葉を続けた。

 

「ええ。向上心が強く、野望のためなら危険や冒険を当然のように受け入れる節があります。熱くなると周りが見えなくなる悪癖も持ち合わせているらしく、教師としては頭痛の種です」

 

 彼女は苦笑を浮かべながらも、問題児の顔を思い浮かべながら続ける。

 

「しかし――義理堅い一面もあります」

 

 次に思い返すのは、実戦試験。

 地下迷宮で起きた事件に関する顛末。

 

「周囲からの視線には無頓着ですが、他者の都合や心情を軽んじることは明確に嫌います。彼の野望は決して他者を踏みつけるためのものではなく――故に問題点はあれど、個人的には好感の持てる若者だと思いますよ。私は、あの生徒を非常に高く評価しています」

 

 そして、迷いなく結論を口にする。

 ルキウスは彼女の見解を黙って聞いていたが、その表情は未だ懐疑的だった。

 

「なるほど……まあ、義理堅さなど出会って数か月の内に測れるものでもないと思いますがね。一応、参考にさせて頂きます」

「――」

 

 エルネスタはふと黙り込んだ。

 その様子に、ルキウスが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「……どうされました?」

「いえ」

 

 穏やかな微笑を浮かべながら、彼女は言った。

 

「理知的であるがゆえに、時として歯に衣着せぬ物言いをしてしまう。そんな不器用なところは――ルキウス教授。あなたと、少しだけ似ているかもしれませんね」

「……やれやれ、勘弁していただきたい」

 

 ルキウスは露骨に顔をしかめ、深々とため息を吐く。

 ヴァレンシュタインは愉快そうに鼻を鳴らし、エルネスタは思わず笑みを漏らした。

 

 やがて話題を切り替えるように、彼女は表情を引き締める。

 

「――では、私はこれで。中央政府の動向について、副校長にお話ししなければなりませんから」

「ああ。ギルバートはこの時間、食堂のテラスで珈琲でも飲んでいる筈だ」

 

 ギルバート=シュナイダー副校長。

 奔放な校長閣下に代わり、この英雄学園の実務を取り仕切る男。平時における事実上のトップと言っても差し支えない人物である。

 そして、ヴァレンシュタインの"盟友"らしいが……二人の過去について、彼女はあまり詳しくない。

 

 二人の男性教授に軽く一礼し、エルネスタはその場を後にした。

 

 足早に廊下を抜け、中央棟の出口を抜ける。

 生暖かい風に初夏の到来を感じながらも、やがて彼女は食堂へと辿り着く。普段であれば朝食を取る生徒たちで賑わう時間帯だが、戦後休暇の最中とあって館内は静かだった。

 

 食堂のテラスは、学園でも屈指の眺望を誇る場所だ。

 眼下には広大な中庭が広がり、その向こうにはヴェルデ山脈の稜線が霞んで見える。

 

 朝日が差し込む開放的な空間の一席に、目的の人物は腰掛けていた。

 

 白金の髪を端正に撫でつけた、上品な装いの老紳士。

 陶器のカップを片手に景観を見やる副校長の姿は、教師というよりも貴族の当主を思わせた。

 

「副校長。お話があります」

「エルネスタ教授」

 

 ギルバートは顔を上げ、エルネスタの表情を一瞥する。

 

「話とは、学園の方針に関することかね?」

「ええ」

 

 彼女は頷く。

 

 対抗戦の結果を受け、中央政府が何らかの形で干渉してくるのは時間の問題。

 その対応について相談するため、彼女は副校長の元へやって来たのだ。

 

「副校長――」

「――君が話すべきは、私ではない」

 

 しかし、言葉を遮るようにギルバートは口を開いた。

 

「……それは、どういう意味ですか?」

 

 予想外の返答に、彼女は眉を顰める。

 

 ギルバートは答える代わりに、手にした珈琲を一口含んだ。

 そしてカップを置くと、穏やかな口調のまま告げる。

 

「今朝、長らく学園を離れていた校長閣下が戻られた。学園の方針に関する話なら、彼女(・・)に直接話したまえ」

 

 

 

 

 

 

 グラン=マグノリア士官学校・中央棟。

 その最上階――上品な装飾が施された螺旋階段の先に、校長室は存在する。

 

 学園の最高峰にして中枢部たる部屋に足を踏み入れると、まず目に入るのは深紅の絨毯。

 壁面には歴代校長たちの肖像画が整然と並び、書架には古今東西の魔道書や歴史書が隙間なく収められていた。

 中には、現存数冊とも言われる希少な文献や研究資料も含まれているようだ。超一流の魔道士であるエルネスタには、背表紙を一瞥しただけで(おおよ)その価値を推し量ることが出来た。

 

 棚や机に並ぶ調度品は実に様々で、下手をすれば帝国時代まで遡るような古い品もあれば、近年作られたと思しきものもある。

 最高級の工芸品と廉価品の雑貨が無造作に並べられ、なんとなく部屋の()の気質が察せられるようだ。

 

 そんな、学園の聖域ともいえる部屋の中央。

 歴代校長が受け継いできた重厚な執務机。学園で最も権威ある席に腰掛けるのが――

 

「お久しぶりです。エルネスタ教授」

「……校長閣下。ええ、本当に」

 

 "英雄学園"校長・アリシア=リムルバード。

 室内灯を受けて輝く()の長髪に、雪のように白い肌。蒼の瞳に超然とした光を湛えた絶世の美女(・・)

 

「くふ、いつの間にか新入生も入学していたようで。年を取ると、時間の経過が早くて困りますね」

 

 外見だけを切り取れば、その台詞ほど説得力のないものもないだろう。

 ころころと笑う彼女はどう見ても二十代そこそこの若年女性にしか見えず――しかし、エルネスタは知っている。

 

 一流を越えた超一流――を更に(・・)越えた超々一流の魔道士の中には、魔力と細胞の結びつきによって老いすらも超越した者が存在する。

 

 魔人。

 同世代に一人どころか数十年に一人現れるかどうかという、傑物を越えた傑物。

 人類史上の最高峰を人々は畏怖と共にそう呼び、魔人へと至った者はそれだけで魔法史に名が刻まれる。

 

 現存する魔人は、僅か三名。

 そして――眼前の女性は、まさにその一角。生ける伝説そのものだった。

 

「……校長。御多忙なのは存じていますが、せめて入学式くらいは出席されてはいかがです」

「お断りします。不要でしょう――生徒にとっても、私にとっても」

 

 エルネスタの苦言を、校長は当然のように撥ね退ける。

 

「新入生代表の……えっと、ナントカちゃんがなんか良い感じに挨拶してくれたのでしょう? それで十分じゃないですか」

「シャルロット=シュトラール。今は監督生を務めてくれている優秀な生徒です。全校生徒の名前を覚えろとは言いませんが、流石に監督生の名前くらいは覚えて下さい」

「それもお断りします。私の貴重な脳ミソには、六十点(・・・)にも満たないような人間に割く余分はないのです」

 

 あまりにも堂々とした拒絶の言葉。

 そして、その後に続いた不愉快(・・・)な台詞に、エルネスタは思わずこめかみを押さえた。

 

「……人の価値を数値化したがる悪癖は健在ですか」

「む、悪癖とは失礼な」

 

 心外とばかりに、校長は眉間に皺を寄せる。

 

「碩学たる人間の処世術(ライフハック)ですよ、エルネスタ教授。あなたは七十二点ですので、一応覚えておくに値します。けれど、あまり失礼なことを言うと嫌いになっちゃいますよ?」

 

 そして、悪びれる様子もなく続けた。

 

「そう、あなたは光栄に思うべきです。自分でいうのもなんですが、私が七十点もあげるのは結構珍しいことなんですよ? なんせ、この学園に来るような子たちですら二十点未満の出来損ないは少なくない――」

「――校長」

 

 静かな声だったが、その一言だけで校長は言葉を止める。

 エルネスタは真っ直ぐに彼女を見据えて言った。

 

「例え第三者の目がなかろうと、教職者として生徒への暴言は許しません」

 

 教師として譲れない信念が込められた、芯の通った声。

 校長は数秒ほど瞬きを繰り返し、やがてにやりと口角を吊り上げる。

 

「力の差は知っているでしょうに……くふ、見上げた職業意識ですね。七十三点に更新してあげます」

「随分と適当な採点ですね」

「そうでもないですよ? 採点基準は実力、潜在能力、そして精神性の三本柱ですから」

 

 魔人の傲慢な理屈など聞きたくもない。

 エルネスタは溜め息を押し殺し、さっさと用件を口にすることに決める。

 

「……校長、そんなことよりもお話が――」

「――その前に、私の方から話させて下さい」

 

 しかし、校長が言葉を遮った。

 先ほどまでの軽薄な調子は消えておらず、表情も声量も何一つ変わらない。

 

 それなのに、部屋の空気だけが僅かに変わったように感じられた。

 

「エルネスタ教授。教師の中では、最も貴方が詳しい(・・・)と聞きました。だから、直接お話を伺いたいと思っていたのです」

 

 蒼の瞳が、真っ直ぐにエルネスタの姿を捉える。

 

「……何について、ですか?」

 

 問うと、校長は楽しげに微笑んだ。

 まるで面白い玩具でも見つけた子供のように。

 

「――死霊術師。オズリック=スタンリー君について」

 

 

 

 

 

 

 

 レイア=ブラッケンベリーは、普段通りに女子寮の自室で起床した。

 

 薄く瞼を開く。

 窓の隙間から差し込む朝日が視界に入り、思わず顔をしかめた。

 

「……ん」

 

 小さく呻きながら身体を起こす。

 

 未だ戦後休暇の最中とはいえ、二度寝をする気分でもない。

 ベッドから白い足を下ろすと、可愛らしいぬいぐるみや小物が並べられた、年相応――否、年齢よりは若干幼い少女趣味が随所に見て取れる部屋を抜けて、洗面台へと向かう。

 

 顔を洗い、滴る雫を拭う。

 何気なく顔を上げると、鏡の中の自分と目が合った。

 

「チッ……」

 

 自然と舌打ちが漏れる。

 顔の造形が気に入らなかったわけではない。鏡に映るのは、いつも通りの美少女だった。

 

 問題は――その美少女が、僅かに疲れた顔をしていたことである。

 

 対抗戦から早三日。

 学園の癒術師に掛かったことで、外傷は既に癒えている。しかし、魔力循環系への負荷は話が別だ。

 ()との戦いでやむなく服用したヒュプノス草の影響は、未だ抜けきっていない。

 

 自分は未だ魔法を十全に扱えず、本来なら手足以上に従えられる魔力の動きが鈍い。思考にはまるで追いつかず、思い描いた通りに動いてくれない。

 レイアが才能ある魔道士だからこそ、それだけのことが不快極まりなく、ストレスが蓄積されているのだった。

 

 ……だから、あの毒草は使いたくなかったのだ。

 魔法が使えない自分など、ただの――

 

「うっせ」

 

 頭に過ぎった厭な思考を、振り払うように吐き捨てる。

 

 少女は乱暴に息を吐くと、引き出しから櫛を取り出した。

 黒い長髪を梳き、控えめな花の香りの香油を毛先に少し馴染ませる。名家の令嬢として育った影響もあるのだろう、手の込んだ身支度は幼い頃からの習慣だった。

 

 鏡の前で軽く髪を揺らすと、黒髪は滑らかな光沢を取り戻していた。

 疲れた顔は気に入らないが、素材そのものに問題はない。少なくとも、ぱっと見はいつも通りとなった。

 

 クローゼットから制服を取り、全身鏡の前に立つ。

 

 寝巻のボタンを外すと、薄い布地が肩を滑り落ちた。

 そのまま白いブラウスに袖を通し、濃紺のスカートに脚を通す。上着を羽織り、最後に胸元のリボンを結ぶ。

 襟元を整え、袖口を引く。スカートの位置を微調整する。他人が見れば誤差にも満たない乱れを、無言のまま一つずつ修正していく。

 

「……」

 

 やがて鏡に映るのは、あまりにも優等生然とした隙の無い制服姿。

 真面目で品行方正、教師受けの良さようなこの姿を、彼女以外の人間が見ることは決してない(・・・・・)

 

 なぜなら彼女は――ここから、全体を敢えて崩すからだ。

 

 胸元のリボンを少し緩め、ブラウスの裾を乱し、スカートの位置を上げる。作るのと違い、壊すのはほんの数秒で足りた。

 先ほどまで鏡の中にいた模範的な優等生は瞬く間に姿を消す。代わりに現れたのは、どこか気怠げで、自由奔放な雰囲気を纏った少女だった。

 

「――よっしゃ」

 

 そして、レイアは満足げに頷く。

 彼女にとって、この工程は単なる身支度ではない。毎朝繰り返す、ささやかな儀式のようなもの。それを終えて、彼女は自室を後にした。

 

 どんな天才だろうと、変わらないことが一つある。朝には朝食を食べることだ。

 

 

 

 

 

 

 レイアが食堂に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに張り詰めた。

 

 沈黙。

 朝食を摂っていた先客たちの視線が、一瞬だけ彼女の方へと集まり、すぐに逸らされる。そして、そこかしこで囁き声が飛び交い始めた。

 

「――」

 

 対抗戦。特待生。死霊術師。

 会話の節々から聞こえてくる単語だけで、彼らが語っている内容など容易に想像がつく。

 学園という箱庭において、噂が伝播する速度は凄まじい。三日もあれば、対抗戦の顛末は殆ど全校生徒の知るところとなっていた。

 鼻持ちならない特待生の敗北が、彼らには面白くて仕方が無いらしい。

 

 普段なら物理的に黙らせるところだが、彼女はそうしなかった。

 ヒュプノス草の反動が未だ身体に残っていたし、何より無為な喧嘩をする気分になれなかったからだ。

 

「ふん」

 

 小さく鼻を鳴らし、周囲を見回す。

 大抵の人間を黙らせるなら、それで十分。視線が合った生徒たちは、揃って委縮したように目を逸らした。

 それを確認したレイアは、興味を失ったように顔を背ける。やがて空いている席を見つけると、無造作にトレイを置いた。

 

 やれやれ、と小さく息を吐く。

 ようやく朝食にありつける――そう思った、その時だった。

 

「――おい」

 

 ドンッ!

 

 突然、目の前の机が激しく揺れ、皿の上のスープが波を打つ。

 大きな衝撃音に、周囲の会話がピタリと止まった。

 

「……あんたら」

 

 レイアは眉を顰めながら声の主を――今しがた、彼女の机を殴ったらしい男を一瞥する。

 男は明らかに機嫌が悪く、その背後にいる長身の生徒と二人してこちらを睨んでいた。

 

「誰かと思えば、いつかの雑魚Aじゃん。なんか用?」

 

 レイアは冷ややかに彼らの顔を眺める。

 手前にいるのは、見覚えのある恰幅の良い男子生徒。対抗戦直前の陣営会議にて、複数人掛かりでレイアに一蹴された内部進学組(西軍)の主要人物だった。

 

「……よく、俺たちの前に顔を出せたな」

 

 怒りを湛えた声。

 レイアは頬杖をついたまま、面倒そうに相手を見上げる。

 

「お前は周りの反対意見も聞かずに無茶な作戦を強行し――挙句の果てには負けやがった。あれだけ準備していたのに、俺たちの"対抗戦"は滅茶苦茶だ」

 

 それは、彼らにすれば当然の不満だった。

 

 傲慢な特待生が学校行事を私物化し、台無しにした上で無様にも敗北した。

 結果だけを見れば、それ以上でもそれ以下でもないからだ。

 

「なあ、どうしてくれるんだ?」

「……知らなーい。雑魚のお気持ちとか微塵も――」

 

 興味ねえわ。

 そこまで言いかけて、レイアは不意に口を閉ざした。

 

「――あ?」

 

 いつもなら、迷わない。

 弱者の不満など、鼻で笑い飛ばして終わり。数人がかりで自分を止められなかった、彼らの弱さが悪なのだ。

 これまでの彼女なら、躊躇いもなくそう言い切っただろう。だが、しかし。

 

『俺に勝ちたければ――君はもっと、人と関わるべきだな』

 

 脳裏に浮かぶのは、自分を打ち破った少年の言葉。

 

 協力。他者との補完関係。

 力のない者たちが生き残るための、弱者の理屈。

 

 あの場において自分より強かった人間が、当然のようにそれを説いた。

 学園の教師ではなく、同年代かつ同条件の上で自分に勝った少年が口にしたからこそ、それはレイアの在り方を揺らがせた。

 

 沈黙の帳が降り、男たちがいよいよ訝しげな顔でレイアを見始めた時――

 

「――嘘。ごめん」

 

 小さく、か細い声が響いた。

 これまでの彼女ならば、絶対に口に出さなかったであろう謝罪の言葉。

 

 男たちは目を見開き、怒りすら忘れたように固まった。

 

「……はっ、なるほどね」

 

 やがて、顔を見合わせた男たちの口元が歪む。

 その眼に浮かんでいたのは納得と、侮り(・・)だった。

 

 今の特待生からは、普段のような圧が感じられない。

 よく見れば顔色も良くないし、魔力の波長(リズム)も不安定。極めつけに、殊勝過ぎる謝罪の言葉。

 それらの要素が、彼らに一つの確信を与えてしまった。

 

 レイア=ブラッケンベリーは弱っており、万全には程遠いと。

 そして――今なら、傲慢な特待生をヘコませることが出来るかもしれないと。

 

「駄目だな。そんな言葉じゃあ、俺たちの怒りは収まらん」

「少し顔を貸して貰おう。来てくれるよな、いばら姫?」

 

 伸ばされた手がレイアの肩を掴む。

 肩に走った鈍い痛みに、彼女は僅かに眉を顰めた。

 

 その反応を見て、彼らは更に確信を強め――

 

「――そこまでにしとけ」

 

 しかしその時、静かながらもよく通る声が響く。

 同時に、レイアにとっては直近で(・・・)覚えのある魔力が空間を満たした。

 

 黒い燐光。

 深く冥府から滲みだしてくるような、根源的恐怖を掻き立てる不死者(アンデッド)の気配。

 

 周囲の視線は、全て()へと向いていた。

 

「食堂で騒ぐのは、言い訳の余地なく迷惑行為だ。監督生補佐として、一応咎めざるを得ない」

 

 オズリック=スタンリー。

 数々の悪名を持つ、学園唯一の死霊術師。

 元から取り沙汰されることの多い生徒であったが……対抗戦にてレイアを討ち取ったことで、今や学園中の噂の中心人物となった。

 

「……あんた」

「お、お前は……!」

 

 レイアに詰め寄っていた男子生徒の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 しかし、当のオズリックはそんな反応を気にした様子もなく――いつもの淡々とした表情で、男たちを見ていた。

 

「い……今から、場所を変えるところだ。それなら問題ないだろ?」

「いいや」

 

 即答した後、彼はレイアに視線を向ける。

 

「実はな、俺も彼女に用事がある。急ぎでも無いなら譲って欲しい」

 

 男子生徒たちは、一瞬だけ顔を見合わせる。

 反論しようと思えば出来るだろう。しかし、少しでも早くここから――昏い魔力を放つ"死霊術師"の前から立ち去りたい欲求に抗い切れず、やがてその意気を消沈させた。

 

「……チッ」

 

 短い舌打ちを残し、彼らは身を翻す。

 すごすごと食堂を後にしようとする背中に、オズリックが声を掛けた。

 

「私怨は結構だが、公正(フェア)であれ。彼女と決着をつけたいなら、然るべき手順で決闘を申請しろ」

 

 相変わらずの、意図を読み辛い表情で続ける。

 

「彼女にも問題はあったようなので、今回は見なかったことにしておくが――監督生は、俺の十倍は口うるさいぞ。こういった騒ぎは、金輪際起こさないことをお勧めする」

 

 

 

 

 

 

 

 結局。

 食堂で騒ぎを起こしてしまった以上、その場に留まるわけにもいかない。レイアは半ば強引に、オズリックに連れ出される形で食堂を後にした。

 

 人気の少ない朝の廊下。

 朝日が差し込む石畳の上を、二人はいま歩いている。

 

「助けたつもり?」

 

 先に沈黙を破ったのは、レイアだった。

 前を向いたまま、ぶっきらぼうに問い掛ける。

 

「いいや」

 

 返答は間髪入れずに返ってきた。

 歩調を変えないままに、オズリックは続ける。

 

「言っただろう。君に用事があるだけだ、レイア」

 

 肩を竦める彼に、レイアは怪訝そうに眉をひそめる。

 彼からの用事。そんなものの心当たりは、全く以て無かったからだ。

 

「……何の話?」

「何の話、か」

 

 彼は小さく繰り返し、にやりと悪戯っぽく口元を歪める。

 どこか相手を揶揄うような、彼にしては珍しい表情だった。

 

「なあ、特待生殿。忘れていることがあるんじゃないか?」

「は?」

 

 未だ何のことか分かっていないレイアに、彼はわざとらしく首を傾げる。

 

「確か、対抗戦の二週間ほど前だったか。君と俺の間で、何か約束があった気がするんだが」

 

 レイアの足がぴたりと止まる。

 

 嫌な予感がした。

 もの凄く、嫌な予感がした。

 

「……あ」

 

 そして、かつての会話が容赦なく脳裏に蘇る。

 

試合(ゲーム)っていうならさ、ひとつ賭けでもしてみない?』

『賭け?』

『そそ。勝者に負け犬は――』

 

――絶対服従。

 

 レイアの顔が引き攣る。

 そうだ、確かに言った。勝つ気満々で、自分が負けるはずなんてないと思い込みながら。

 

「……」

 

 嫌な汗が止まらない。

 何故あんな条件を口にしたのか、過去の自分を全力で殴りたい気分だった。

 そんなレイアの心境など知ったことではないと言わんばかりに、オズリックは無慈悲に話を進めていく。

 

「思い出したようで何より。ほら、さっさと行くぞ」

「い、行くって……?」

 

 どこに。

 言外に質問したレイアに、彼は当然のように答えた。

 

「俺の部屋だ」

「――」

 

 彼女の思考は停止した。

 たっぷり数秒間、頭の中が真っ白になる。

 

「そ、れって……」

 

 言葉の意味を察した瞬間、頬が熱を帯びた。

 いや、熱どころではない。顔全体へ一気に血が上り、自分でも分かるほど耳まで真っ赤になっていく。

 

「――っ! い、い、いやいやいや! 幾ら何でもそれはそのっ!?」

 

 慌てて、ぶんぶんと首を振る。

 普段の尊大な態度はどこへやら、完全に狼狽しきっていた。

 

「? 命令できる範囲の指定は無かった筈だが」

「そ、それはそうだけど……! その、そう、あたしにも予定ってものが」

「時間は取らせない。せいぜい3時間くらいだ」

「……」

 

 長い。

 そんな体力お化けに付き合っていられるか、とレイアは率直な感想を抱いた。

 

「あ、あたし用事あるからっ……!」

「おっと」

 

 踵を返そうとした彼女の前に、オズリックが回り込む。

 逃げようとしたレイアは思わず進路を変えるが、そちらにも軽く回り込まれ――気付けば、背中が廊下の壁に触れていた。

 

 すぐ横の壁に、オズリックが手を付ける。

 

「うっ……!?」

 

 逃げ場がない。

 顔を上げれば、銀髪の少年。少し陰気だが、顔立ちは結構整っている。その冷たい双眸に見下ろされ、少女は反射的に肩を縮こまらせた。

 

「この賭けは、君から持ち掛けて来たものだ」

 

 単なる事実確認をするかのような、淡々とした声色。

 

「他ならぬ君が条件を提示した。俺はそれに則り、そして勝った。ならば、約束は履行されるべきだろう。違うか」

 

 違わなかった。

 

 レイア=ブラッケンベリーは傲慢で、高慢な少女である。自尊心も相応に高い。

 怖いから、したくないから、都合が悪いから――そんな理由で約束を反故にし、一方的に逃げ出すような真似は、彼女自身の美学に反する。

 

 そんな自分を、彼女は許容できない。

 

「なあ、レイア。約束は――ちゃんと、守れるな?」

 

 そして、動けない理由がもう一つ。

 

 レイアは性格に難こそあれど、少なくとも外見だけなら誰もが認める美少女だ。

 何だかんだと言われつつも異性に色目を使われたことは幾度かあるし、その全てを物理的に一蹴してきたが――自分を打ち負かし、そして助けた男の子からここまで強引に迫られるのは、彼女をして初めての経験だった。

 彼女自身は絶対に認めないだろうが、内心ではこの状況にかなり酔いつつある。

 

 そんな、様々な感情がない交ぜになった末に――

 

「……ぅ」

 

 こくん、と。

 レイアは観念したように頷いた。

 

「よし、行くか」

 

 オズリックは満足げな表情で壁から身を離す。

 何事もなかったかのように踵を返し、そのまま歩き出した。

 レイアは肩を小さくすぼめ、所在なさげに視線を泳がせながら彼の後を付いていく。その姿は、普段の彼女を知る者が見れば目を疑う光景だろう。

 

「……」

 

 ちらりと、彼は肩越しに振り返る。

 視線の先では、顔を真っ赤にしたレイアが俯き気味に歩き――目が合うと、慌てたように顔を逸らす。

 

 ……彼にとっては(・・・・・・)、意味不明の反応。

 少年の頭に浮かんでいるのは、至って素朴な一つの疑問だった。

 

 彼女は、どうして――部屋の掃除を手伝わせると言っただけで、妙な反応をするのだろう?

 

 少年は首を傾げる。

 その疑問が解消されるのは、もう少し先の話だった。

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