グラン=マグノリアの学生寮は、それほど広くない。
学生の身分で個室を与えられている時点で十分に恵まれているのだろうが、広さそのものはごく平均的だ。
特に俺の部屋は、最低限の家具と生活用品が並ぶだけの質素な部屋である。清掃には、どちらかと言うと手間取らない方だ。
しかし、監督生補佐となってからは何かと忙しく、特に対抗戦の準備期間中は掃除に割く時間などほとんど取れていなかった。
目に見えて散らかっているわけではないが、本棚の上には薄く埃が積もり、窓ガラスの汚れも気になり始めている。図書室へ返却しなければならない本も何冊か積まれているし、水回りもそろそろ手を入れるべきだろう。
だからこそ、人手が欲しかったのだが――
「……」
ちらり、視線を横へ向ける。
レイア=ブラッケンベリーは、先ほどからあまりにも挙動不審だった。
ベッドの隅に小さく座り、身を守るように枕を抱き締める姿には、対抗戦で相対した特待生の迫力など微塵もない。
警戒心むき出しの兎というか、知らない場所へ連れて来られた猫というか……とにかく、今の彼女はそういった小動物を想起させた。
「ぁ、その……」
「うん?」
「あたし……ぇと……」
目が合わない。視線が泳いでいる。
何かを言い掛けては口を閉ざし、また何かを言い掛けては俯く。
普段の彼女からは想像もつかない態度。
「……なんでもない」
なんなのか。
部屋に着いてからはや数分、ずっとこんな感じである。
というか、いつまでそうしているつもりなのか。
言いたいことははっきりと言うのが、彼女の美点ではなかっただろうか。
「――まさか、やり方を知らないのか……?」
「……っ」
レイアの肩がびくりと震えた。
たっぷり数秒ほど逡巡した後、小さく頷く。
「そうか。随分と、その……変わっているな。俺も最近ご無沙汰だが、暇さえあれば毎日どころか朝晩二回でもしたいくらいだ」
「……朝て」
呆れと困惑の入り混じった声が漏れた。
少し多いかもしれないが、言うほど珍しくは無いだろうと思う。
「まあ、これを機に覚えてくれればいいさ。これから毎日――」
「へあッ!?」
最後まで聞く前にレイアが飛び上がった。
耳まで真っ赤に染まり、抱えていた枕を潰さんばかりの勢いで抱き締める。
あまり人の家の枕を潰さないで欲しいし、あまりにも過剰反応だし、そもそも話は最後まで聞くべきだった。
「――やれとは流石に言わない。君にも予定があるだろう」
掃除ごときのために、わざわざ無理をさせるつもりはない。
「別に、俺は自分でもするからな」
「いや……聞いてないから……」
呆れ声と共に頬を紅潮させ、何故かますます目を逸らされる。
……まあ、意図の分からない反応にいちいち言及する必要もないか。
「それじゃあ、さっさと始めてくれ」
「……はじめる?」
「? ああ、君の罰ゲームだろう」
何故、今さら当たり前のことを聞いてくるのか。
「ど、どういうこと?」
「だから、君がやるんだ。俺は自分で動くつもりはない」
レイアは数秒硬直した。
そして何かに思い至ったらしく、はっと目を見開く。
「……っ」
口をぱくぱくと開閉させる。
わなわなと肩を震わせ、ますます枕に顔をうずめてしまう。
「…………変態」
涙目で俺を睨みながら紡がれた言葉は、いよいよもって意味不明だった。
気難しいとは思っていたが、ここまで会話の成立しない少女だっただろうか。
その後もレイアは枕を抱き締めたまま、たっぷり数十秒にも及ぶ沈黙が続く。
「――埒が明かないな」
先に根負けしたのは俺だった。
椅子から立ち上がり、そのままレイアの方へ歩み寄る。
「!? ちょ、ちょっと!? そんな急に――」
――ぽふ。
軽い音と共に、一枚の布を投げ落とした。
「……ナニコレ」
「雑巾だ」
流石に、それくらいは見て分かって欲しいところだった。
レイアは本気で困惑した表情で、雑巾と俺の顔を何度も見比べる。
「……は?」
「とりあえず、これで窓と……机の奥の方とか、埃っぽいところを拭いて欲しい。女子寮と同じ間取りかは知らんが、洗面台はあっちだ。他の作業は追って指示しよう」
「…………は?」
「やり方が分からなければ聞いてくれ。したことが無いなら、分からないことは恥じゃない……とはいえまあ、流石に自分の部屋くらいは掃除する習慣を付けたほうが――」
「――その時に、思い切り引っ掻かれて出来たのがこの傷だ」
対抗戦の祝勝会が開催されたのは、その日の夕方だった。
負傷者の治療や後処理が一通り落ち着き、ようやく実現した打ち上げである。
開催場所は湖畔の広場――いつか、武術トーナメントが行われた場所だ。
青く澄んだ湖面は夕陽を受けて橙色に輝き、その傍らでは幾つもの簡易竈から香ばしい煙が立ち昇っている。串に刺した肉や野菜が炙られ、対抗戦を共に戦った生徒たちは思い思いに集まって談笑しながら食事を楽しんでいた。
本来なら俺は不参加のつもりだったのだが……功労者が出ないとは何事かとシャルに詰められ、半ば無理やり連れて来られてしまった。
そして今、夕陽に染まる湖面を眺めながら、クラムとエーミールに今日のことを話していたのだが――
「度し難いと思わないか?」
「ああ、度し難いな……お前がな……」
何故だろうか。
俺は理不尽な暴力を受けた被害者だというのに、話を聞いた二人の反応は妙に冷たかった。
「教務に駆け込まれてたら停学で済んだかも割と怪しいね。まあ、彼女の性格上なさそうだけど」
肉の刺さった串を弄びながら、エーミールが呆れたように肩を竦める。
停学だなんだと好き放題に言ってくれるが、俺としては異議を挟まざるを得ない。
「……掃除させるだけでか」
「目的が何であれ、一対一で異性を部屋に招くのは変な意味に取られても仕方がないって話さ。しかも賭けの結果そうなったって……どこの三流恋愛小説だい」
「何をされても文句は言わない約束だったんだがな……」
「その言い方は実に危険だね」
解せない。
そもそも賭けを持ち出して来たのは彼女の方であり、俺は勝者として当然の権利を行使したに過ぎない筈である。
「ちなみにだが、その話はシュトラールさんにしたか?」
「? いや、まだだ」
「言わないことをお勧めしておく」
クラムの唐突な質問に答えると、これまた意図の不明な忠告が返って来た。
……そう言われても、この傷について聞かれたら普通に言及するとは思うが――
「――ああ、なるほど」
しかし、少し考えて俺は納得した。
「確かに、監督生補佐があらぬ嫌疑を掛けられるのは外聞が良くない。監督生の立場からしても好ましくないだろう。わざわざ吹聴する必要もないか」
「全然違うが、もうそれでいい」
どこか投げやりな口調。
一応忠告したなら、その意義まで含めて説明して欲しいところだった。
ちなみに当のシャルはと言うと、ここに来るや否や乾杯の音頭を取らされ、そのまま生徒たちに取り囲まれている。
陣営のまとめ役だったのだから、当然と言えば当然だ。俺は開始早々に輪の端から抜け出し、湖畔の少し静かな場所で二人と合流したのだった。
「……そんなことより――」
ふと周囲へ目を向ける。
視線が合った生徒が慌てて目を逸らしたかと思えば、また別の生徒がこちらを窺うようにチラチラと見てきた。
そんな、先ほどから何度も繰り返されているやり取りに溜め息を漏らす。
「居心地が悪い」
「はは……仕方ないよ。君は特待生を破ったんだ」
率直な感想を口にすると、エーミールが苦笑した。
「これまで君を怖がってた人たちも、まさかここまで強いとは思っていなかったんだろうね。良くも悪くも、もう"不気味なだけの死霊術師"じゃ済まなくなったのさ」
そういうものか。
これまでの学園生活でも遠巻きに見られることは少なくなかったが、どうやら更に一段階上の危険人物として認定されてしまったらしい。
「まあ、いいか。どうせ、悪評には慣れてるからな」
「……いいや」
クラムが意味深な笑みを浮かべながら呟いた。
「どうやら、今回は悪評ばかりじゃないぜ」
「? それはどういう――」
「――よっ! 遊撃班の三人組も乾杯っ!」
何のことだと問い返そうとした時、会話に明るい声が割って入ってくる。
顔を上げれば、黒髪のツインテールを揺らした少女。
この子は確か……名前は覚えていないが、シャルとよく一緒に居る女子生徒だ。
「やあ、スタークさん。乾杯」
「ん!」
「対抗戦では伝令に走り回ってたんだろう? 大変だったな」
「おう」
エーミールとクラムが、それぞれの台詞を言いながらカップを掲げる。
軽い音を立てて、木製のカップが触れ合った。
「ほい」
続いて。
少女は当然のように、俺の方へとカップを突き出してきた。
「俺もか」
「当たり前じゃん。あたしがまだ乾杯できてないのスタンリーだけだし」
どうやら、参加者全員と乾杯して回っているらしい。
律儀なのは結構だが――
「君は、オズを怖がらないんだね」
俺も気になっていたことを、エーミールが代わりに尋ねた。
スタークさんと呼ばれた少女は「んー」と唸りながら首を傾げる。
「まあ、気味悪い骸骨を呼び出すのには引いてるけどさ」
実に率直な感想だった。
取り繕いも遠慮もないからこそ、妙な嫌味も感じない。
……本来なら
「シャルちゃんと仲いーし、対抗戦に向けていろいろ頑張ってたのも知ってるし――なんか、悪いヤツじゃなさそーじゃん? とりま、今後ともヨロシクってことで」
にっと笑いながら、彼女はカップを傾ける。
応じるように乾杯すると、彼女は満足そうに頷いた。
「あとね、あっちの方でシャルちゃんが寂しそうに探してた」
「シャルが?」
「ん。行ってやんなよ、大至急」
そう言って、少女は広場の中心の方を指差した。
……寂しそうに、は明らかな誇張だと思うが、何か用件があるのかもしれない。
「悪いな二人とも。行ってくる」
「ああ。早く行ってこい」
「少なくとも男三人、隅っこで管を巻いているよりは優先順位が高そうだしね」
人込みは苦手だが、祝勝会が始まってからそれなりに時間が経っている。
広場の中心に固まっていた生徒たちも、ある程度は分散していることだろう。
俺は重い腰を上げ、シャルのいる方へ向かうべく立ち上がり――
「オズ」
不意に、背中に声を掛けられた。
振り返ると、こちらにカップを掲げるクラムの姿。
「……ああ、そういえば」
「すっかり忘れてたね」
そこで、俺はようやく気付く。
祝勝会が始まってから大分話し込んでいたが、この三人ではまだ一度も
――からん。
木製のカップ同士が触れ合う、短く乾いた音。
それは不思議と心地良く耳に残り、湖畔を吹き抜ける夕風の中へと溶けていった。
少し歩くと、夕陽に照らされた金の長髪が視界に入る。
確かに、どこか寂し気な――元気が無さそうに見える背中だった。
「シャル」
「っ!」
声を掛けた瞬間、彼女は弾かれたように振り返る。
そして、その顔に浮かんでいたのは先ほどまでの印象を吹き飛ばすような笑顔。
どうやら、後ろ姿の印象は気のせいだったらしい。
「オズ! ……もう、いつの間にかいなくなるから、探しちゃったじゃない」
「ああ、悪い。人込みが苦手でな」
ちなみに、人込み
……やめよう。
なぜ俺は、いつも内心で自虐的になってしまうのか。
「何をしてたの?」
「クラムと、エーミールと話してた」
それだけだ。
今日あった出来事なんかについての、他愛も無い雑談。
しかしながら、死霊術師と雑談したがる人間などそうはいない。
単なる雑談ですら、今の俺にとっては案外得難いものだった。
「気の良い奴らだよ、本当に」
「……そう、ね」
シャルは小さく頷いたが、その返事はどこか歯切れが悪かった。
ふと、視線を向ける。
先ほどまでの笑顔はそのままだが、どこか翳りが差しているようにも見えた。
「ね、ねえ、オズ」
彼女にしては珍しい、言い淀むような声。
「あなたの最初の友達は、私よね……?」
「?」
思わず首を傾げる。
随分と、妙な質問をするものだ。
「ああ。この学園では、そうだな」
「そう、そうよね……」
何故か、安堵したような――意図の読めない反応だった。
「……どうかしたか?」
「だ、大丈夫! ……私らしくないわよ、こんなの」
問いかけると、シャルは慌てたように首を振る。
誤魔化すように視線を逸らし、小声で何やら呟き始めた。
やがて大きく息を吐き、改めてこちらへと向き直る。
「――ふう。それよりも、対抗戦お疲れ様。私たちが勝てたのは、紛れもなくあなたのおかげよ」
あまりにも露骨な話題転換。
しかし、彼女が浮かべていたのは普段通りの表情だった。
「……あまり謙遜するつもりは無いが、皆の力が無ければ勝てなかったさ」
綺麗ごとではなく、事実としてそう思う。
誰の協力も無かったなら、レイアの前に立つことすら叶わなかっただろう。
「それでも、よ。一番の功労者を決めるとしたら、正面から特待生を打ち負かしたあなた以外に有り得ないわ」
「それは勿論そうだな」
「なんなのよ」
いや、まあ、流石にそこを譲るのは過剰な謙遜というものだろう。
特待生を直接撃破し、勝利への決定打となったのは俺の死霊魔法である。
それから、俺は指を
「――そして、二番目は君だ。何かと評判の悪い俺と他の生徒たちの間を取り持ち、陣営全体の連携を成立させた。本番では寡兵を率いて数的不利を凌ぎ切り、俺がレイアを倒す時間を稼いでくれた」
戦場で敵を倒す人間は目立ちやすいが、纏める人間がいなければそもそも組織は機能しない。
「君がいなければ、あの作戦は実現していない」
これは単なる率直な評価であり、事実である。
数秒の沈黙。
やがて――少女は胸を張り、得意げな笑みを浮かべた。
「知ってるわ。私、優秀ですもの」
それは、シャルロット=シュトラールという優等生には珍しいほどの得意満面。
……なぜだろうか。
そのしたり顔を見ているうちに、何となく崩したくなった。滅多に湧かない悪戯心が、鎌首をもたげる。
「あ、動くな。足元にヘビ」
「っ……お、お生憎様。流石にもう騙されないわよ」
「そうだな。咄嗟に足元を見たのは、見なかったことにしておこう」
恨めし気な視線に、笑みがこぼれる。
「――」
その時、温暖な風が吹き抜けた。
シャルの金髪がふわりと揺れ、祝勝会の賑やかな声が聞こえてくる。
何かと慌ただしい日々の中、気にも留めていなかったが――いつの間にか、陽射しは随分と力を増している。
「……春も、もう終わりだな」
自然と、そんな言葉が漏れる。
学園入学から最初の春が過ぎていく。
僅か数ヶ月とは思えないほど、濃密な時間だった。
「色々あった」
「夏だって、色々あるわよ。納涼祭に、臨海学校に――」
隣で、シャルが指折り数える。
「監督生の仕事だって増えるんだから。
その声は冗談めいていたが、瞳の奥には確かな期待が宿っていた。
やれやれと肩を竦める。
これから来る夏も、変わらず忙しくなりそうだった――
「――あ、そういえば。聞き忘れてたことがあるの」
ふと思い出したように、シャルが口を開く。
……なぜだろうか、どこか不穏な気配がした。
「朝、食堂にいた子たちが話してたんだけど――レイアさんを部屋に連れ込んだって、本当?」
「……」
俺が黙り込んでいる間にも、シャルはにこりと微笑んでいる。
優等生然とした、完全無欠の笑顔。
それでいて、不良生徒の威嚇を優に超える迫力を出せるのはどういう原理か。未知の魔法理論として、是非とも解明したいものである。
先ほどまで暖かだった体感温度は今や氷点下へ突入しており、予期せぬ冷夏の到来に冷や汗が背中を伝う。
これくらい涼しい方が、
校長室。
アリス=リメンバード校長は手にしたティーカップを傾け、芳醇な香りの紅茶を一口含んだ。
その所作は実に優雅で、絵画の一枚にでもなりそうなほど様になっている。
「……これから、どうするつもりだ?」
執務机の向こう側から投げ掛けられた問いに、アリスはすぐには答えなかった。
もう一口だけ紅茶を楽しみ、その余韻を味わうように目を細める。
ゆっくりと嚥下した後、ようやく口を開いた。
「しばらくは学園にいるつもりですよ。あなたにも、随分と負担をかけてしまったようですし」
「君がいる負担の比では無いがな」
「これは手厳しい。残念ながら自覚があるので、反論の余地もありませんが」
言いつつ、悪びれる様子は欠片も無い。
その軽薄な態度に、声の主――ギルバート=シュナイダー副校長は溜め息を吐いた。
「安心してください。今年は、
にこり、と。
アリスは実に人当たりの良い笑みを浮かべる。
その表情だけを見れば、慈愛に満ちた聖母のようですらあったが――彼女の本性は、間違ってもそうではない。ギルバートは、既にそれを知っていた。
「なにせ、今年の新入生には興味深い子が多いですから。しっかりと鍛えてあげなければなりません。四人もの特待生に、話題の死霊術師くんに……くふふ、豊作豊作」
魔人の口元が愉快そうに歪んだ。
喉の奥から漏れるような笑い声を聞きながら、ギルバートは深々と額を押さえる。
「……君には何度言ったか分からんが、ごく一部の生徒だけに目を掛けるのはやめろ。教育者として、余りにも不適切な振る舞いだ」
「はいはい、失礼を致しました」
ひらひらと手を振るその態度からは、反省の色が欠片ほども感じられない。
謝罪の言葉を口にしながらも、考えを改める気は更々無いのだろう。
「でも……ねえ、ギルバート
「それは現実ではなく露悪という。似ているようで正反対のものだ」
「いいえ、現実です。路傍の石ころを幾ら磨いても、至上の輝きを放つことは絶対に有り得ません。珠玉というものは、最初から原石として生まれてくるのです」
迷いも躊躇いもなく、学園の校長はそう言い切った。
ギルバートは眉を僅かに寄せ、傲慢な魔人に目を向ける。
「原石を見出し、磨き上げる。それこそが"教育"です。比類なき才能を開花させるため、私は幾つもの"試練"を用意するつもり――」
「――その結果が、六年前の惨劇か?」
空気が、変わった。
先ほどまでの会話の応酬が嘘のように、校長室から温度が消える。
アリスは一瞬だけ目を細め――そして、僅かに口元を歪めた。
「事故ですよ、あれは」
まるで他人事のような、軽い声音。
「表向きはそうだ。学園の教員たちですら、殆どはそう認識している。だが――」
「痛ましい事故でした。それとも、私が関与した証拠でもあるんですか?」
ギルバートの言葉を遮るように、アリスは微笑んだ。
当然ながら、彼女が証拠など残す筈も無い。
しかし――誰よりも近くで
この女が誰よりも魔道を愛し、誰よりも魔道に愛され、その探求のためならば危険な賭けすら厭わないことを。
比類なき才能を有した"原石"とやらの成長を促すためならば、他の生徒も、学園そのものすら使い潰しかねない人間であることを。
そして恐らく、どう見ても適性の無い彼女が教職に就いている理由は
特待生が学園における"
「生徒は、君の玩具ではない」
ギルバートは、真っ直ぐにアリスを見据える。
彼女は何も答えず、ただ微笑を浮かべたまま、その言葉の続きを待っていた。
「君が彼らを使い潰そうというのなら、私が黙ってはおらんぞ。必ずや、然るべき報いを受けさせる」
脅しでは無く、宣戦布告。
比類なき魔道の才を持ちながらも人生を教職に捧げた彼は、例え相手が校長であろうと"学園"の味方をする。そういう男だった。
「そうですか……ま、
アリスは肩を竦めた。
彼女もまた、目の前の副校長をよく知っている。決して口先だけの人間ではなく、その時が来れば本気で自分の前に立ちはだかるだろう。
邪魔くさく厄介な男であり、しかしだからこそ信頼に値した。
「――これから、激動の時代が来ます。新たな厄災が生まれ、世界は"英雄"を求めるでしょう」
不意に、彼女はガラス窓へ視線を向けながらそう言った。
窓の外では黄金色の夕陽が学び舎を染め上げ、長く伸びた影が地面を覆っていく。先ほどまでの軽薄な調子は鳴りを潜め、その横顔は未来を見通す賢人のようですらあった。
「……何の話だ」
「単なる決意表明ですよ。我々は育てなければなりません。来るべき厄災に抗する、世界が求めし英雄を」
逃れえぬ運命を宣告するように、彼女は告げる。
「――何故なら、ここは"英雄学園"なのですから」
第一章「春の編」は以上となります。
まずはここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
いつも拙作には勿体ないほど沢山のUA、お気に入り、高評価、そして感想を頂き、大変励みになっております。
第二章「夏の編」についても、既にプロットの大部分が完成していますので、近いうちに第一話をお届けできればと思います。
また、本日(2026/06/13)よりカクヨム様でも本作の掲載を開始しました。
[https://kakuyomu.jp/works/2912051601839443134]
基本的には今後もハーメルン様での更新が先行し、ある程度の区切りがついた段階でカクヨム様へ順次掲載していく予定です。
物語そのものに大きな変更はありませんが、カクヨム版ではテンポ改善や演出強化を中心とした加筆修正を行う予定です。一話ごとの文字数も5000字前後になるよう再編集しているため、最終的な話数はカクヨム版の方が多くなる見込みです。
読み返しの際にはカクヨム版が読みやすいと思いますので、気が向いた時にでも覗いて頂ければ幸いです。
最後になりますが、世間に良質なコンテンツが溢れ、インターネット上にすら名作・神作といわれる作品が沢山ある中、私めの拙い小説をここまで読んで頂いたことに心より感謝申し上げます。
願わくば、今後ともよろしくお願い致します。