死霊術師でも英雄になれますか? 作:久川 晶 (旧:パリスタパリス)
第一話『英雄譚のはじまり・壱』
英雄譚のはじまりは、たいてい"何か"を喪った時だ。
魔女に呪いを掛けられたり、故郷を魔獣に焼かれたり、大切な人と離れ離れになったり。
英雄と呼ばれる者の多くは、心に癒えぬ傷を、大きな空白を抱えている。
その痛みを糧としたから英雄となれたのか。
あるいは、主人公の悲劇こそが物語に切実さを与えると考えた後世の作家による脚色、ないし創作なのか――その真実を知る術は、現在において存在しない。
しかし、主人公の"喪失"こそを物語の起点とするのなら。
いつか俺が英雄となり、その生涯が一冊の本に綴られる日が来たとき、序幕は
俺が"英雄学園"に入学する三年前。
今となっては黒歴史も甚だしい、傲慢不遜なクソガキだったあの頃から――
ある日の午後。
俺は一人、村外れの河原に佇んでいた。
生まれ育ったその村は、王国東部の"モーラトリア"村。
絵に描いたような農村であり、これといった特徴もない。
だがそれ故に治安は良く、住民の気性も穏やか。年に数度の開墾作業――森を切り開いて畑を増やす、などという途轍もない重労働に従事させられることに目を瞑れば、充分に住み良い村だと言えよう。
もっとも、どれほど住み良い村であろうと、一人になりたい時は誰にでもある。
俺がこの河原へ足を運ぶのは、決まってそういう時だった。
「いい日だな……」
小春日和、とでもいうのだろうか。
穏やかな晴天の下、蒼々とした草原を柔らかな風が渡っていく。
小川は陽光を受けてきらめき、その向こうでは若葉をつけた木々が穏やかに揺れていた。
そんな長閑な景色の中で、ふと見慣れないものが目に留まる。
「……?」
少し離れた高台にある、一軒の家。
屋敷というほど大きくはないが、村の一般的な家よりもよほど立派な造りだ。
あんなところに、家なんか建っていただろうか。
「まあ、いいか」
俺も頻繁にこの場所に来るわけじゃない。
家の一軒や二軒、知らない間に建っていてもおかしくないだろう。
この辺りまで来れば、人影は殆どない。
聞こえるのは小川のせせらぎと野鳥のさえずりだけ――
「あいつです! レオナルドさんッ!!」
――の、筈だったのだが。
静寂を台無しにする大声に、思わず顔をしかめる。
声のした方へ視線を向けると、二人の青年が少し離れたところに立っていた。
一人は、怒りに顔を赤くしながら俺を指差す茶髪の青年。
そしてもう一人は、その半歩後ろで爽やかな笑みを浮かべる金髪の青年。
声の主は前者、路傍の花を踏み潰しながらずんずんとこちらに歩み寄る茶髪の方だった。
「探したぞ、オズリック」
「……何の用だ、ラッド」
茶髪の青年――ラッドを一瞥し、俺は
彼はふんと鼻を鳴らし、口元を嗜虐的に歪めた。
「知れたこと。今日という今日は、思い上がった悪童に灸を据えてやる」
だろうな。
予想どおりの答えに、俺は僅かに肩を竦める。
村学校の年長組であるラッドの"いびり癖"は、俺たち年少組の間では有名な話だった。
即ち、年下などの自分よりも
大方、いつものように俺を攻撃に来たのだろうが……。
「懲りないな。また返り討ちにされたいのか」
俺は呆れ半分に言い返す。
この男のいびり癖は、
「でかい口を叩くなら……一度でも、俺を叩きのめしてからにしろ」
つまるところ、この俺の台詞が全てである。
こと
最初に絡んできた時から、返り討ちにするのは造作もなかった。
その際に這い蹲る姿を見下ろしたのが、よほど頭に来たらしい。以来、しつこく俺に絡み続けている。
「この……!」
ラッドの額に青筋が浮かぶ。
わなわなと拳を振るわせながら、俺に飛び掛かろうと一歩踏み出し――
「――分かった。なら、代わりに僕が叩きのめしてあげよう」
そこに、静かな声が割って入った。
声の主は、今まで一歩後ろで成り行きを眺めていた青年。
仕立ての良い服に、よく手入れされた金髪。いかにも育ちの良さそうな立ち居振る舞いは、この村ではそうそう見かけるものではない。
俺はそんな青年を一瞥し、率直な感想を口にする。
「誰だ、お前」
――そして、空気が止まった。
ラッドは目を丸くし、金髪の青年も意外そうに瞬きをする。
……なぜそんな、信じられないものでも見たような顔をするのか。
困惑する俺をよそに、やがて二人は顔を見合わせ、堪えきれなくなったように吹き出した。
「ふふ……誰だ、か」
「は、ははっ! 聞きましたか、レオナルドさん!!」
ラッドは腹を抱えて笑いながら、俺を指差す。
「悪童が、大した口の利きようだ! レオナルドさんは村長のご子息、モーラトリアの次期村長候補だぞ」
「へえ」
ささやかな肩書きを並べ立てられたところで、全く以て興味は湧かない。
「大分前から
レオナルドはなおも肩を震わせている。
笑われたことはどうでもいいが、彼の台詞には俺の興味を引く部分もあった。
かつて、各地を周る行商人が語っていた話を思い出す。
この国には、未来の戦士や魔道士を育てる大きな学校があるという。
「都会の学校……噂に聞く"英雄学園"って奴か」
その呟きに、深い意味などなかった。
ただ、俺の知っている都会の学校がそれくらいしか無かっただけであり――しかし、そんな俺の心情とは裏腹にレオナルドは苦い表情を浮かべた。
「……いいや――あんな気取った、名前ばかりの学園なんかに行かなくても、大事なことは学べるさ」
口調の端々に滲むのは、明らかな対抗意識。
かの学園に思うところがあるのは明白だったが、俺にとっては学園同士の確執や優劣などどうでもいい。
「そうか」
ゆえに、短く相槌を打つ。
そのあまりにも淡白な反応が気に障ったのか、レオナルドの眉がぴくりと動いた。
「……君は、僕を馬鹿にしているのかな」
「別に。というか――」
俺は遂に重い腰を上げ、岩から立ち上がる。
服についた土埃を軽く払い落とし、改めて金髪の青年へ向き直った。
「――やるなら、さっさとかかって来い。時間の無駄だ」
その言葉に、レオナルドは僅かに目を見開く。
「……大した自信だね」
やがて小さく息を吐き、困ったように笑う。
隣で
「君の噂は聞いているよ。未だ年少組ながらも魔道の教養があり、年上相手でも喧嘩に負けたことが無い"村一番の悪童"だと」
それはまた、随分な評価だった。
俺は何も好き好んで喧嘩をしてきたわけではない。ただ、降りかかる火の粉を払ってきただけである。
……もっとも、全く楽しんでいないのかと問われれば、頷きがたくもあるのだが。
「だが、その程度で僕に敵うとは思わないことだ。有力者の息子として恥ずかしくないよう、五つの頃から魔法教育を受けて来た」
レオナルドが手を掲げると、その掌に水流が渦を巻き始める。
……水術師ってやつか。
得意げに専門魔法を見せびらかす青年を、俺は冷ややかに見据えた。
立ち姿。重心。溢れる魔力の圧。
類推される実力のほどは、はっきり言って――
「井の中の蛙という言葉がある。差し当たっては、その意味を君に教え込んであげよう」
「……ぐあッ!」
――大したことないな。
隣では、喧嘩の一部始終を見ていたラッドが言葉を失っている。
口を半開きにしたまま、目の前の光景が信じられないと言わんばかりの表情だった。
然もあろう。
レオナルドは"英雄学園"ではないにせよ、都会の学園で研鑽を積んだ魔道士だ。
水術という専門魔法まで修めたらしい彼ならば、魔道を少し齧っただけの悪童など容易く一蹴できて然るべき。普通なら、誰もがそう考えるだろうから。
実際、俺に専門魔法の類は
できるのは基本的な魔力操作――単純な肉体強化と、専門魔法を修めた魔道士なら殆ど使うことも無いであろう基本魔法くらいのものだ。
実力差は歴然であり――しかし今、地に伏しているのはレオナルドの方だった。
「……五歳から魔法を学んで、このざまか」
先ほどの喧嘩を思い起こしながら、俺は口元を歪める。
彼の敗因など、それこそ幾らでも挙げられた。
見栄えが派手な水術にばかり拘泥し、基礎的な魔力制御がお粗末だったこと。そもそも彼が喧嘩慣れしておらず、水術の攻撃すらも組み立てが単調だったこと。
そして何より――
「素質ねえな」
「……!」
――教育環境だけではどうにもならない、純然たる素材の差。
魔力の量と質、その精度と速度に至るまで、彼は何一つ俺に優っていない。
今なら、先ほど"英雄学園"を腐していた理由も分かる気がした。
家の書斎で埃をかぶっていた魔法教典を頼りに、独学で魔法を覚えた俺にすら容易く敗れる程度の才能では――かの名門の敷居など、跨げる筈もない。
大口を叩いたわりには、なんとも呆気ない始末だった。
「クソ、この僕が……!」
地面に手を突いたレオナルドが、屈辱に歯を食いしばる。
その瞳は俺への憎悪で濁っていた。
「この僕が、こんなクソガキに……!!」
「仕上げだ――
締めの一撃に選んだのは、魔力を単純な衝撃波として放つ基本魔法。
殺傷能力は低く、専門魔法を修めた魔道士なら実戦で使うことは殆どない。
言うなれば、魔道士の卵が扱う護身術のようなものだが……込める魔力量次第では、それなりの威力になる。
俺は右手をゆっくりと掲げた。
揺らめく魔力が掌に収束し、地面に膝をつくレオナルドへ照準を定め――
「――やめなさいッ!!」
「うげ」
河原に響いたのは、空間を切り裂くような一喝。
そのあまりにも
おそるおそる振り返ると、少し離れた土手の上にはやはり
「……エマさん」
春風に黒髪を揺らしながら仁王立ちする女性。
歳の割に若々しい顔立ちだが、その眼光はそこらの魔獣よりも恐ろしい。
それは見紛うはずもなく、俺の
「い、今です! レオナルドさん!!」
俺の視線が外れたことで、ラッドが我に返ったように叫ぶ。
呼ばれたレオナルドも唇を噛み締めながら立ち上がり、二人は転がるように河原を逃げ去っていった。
追おうと思えば追うことも出来たが、俺は右手に集めた魔力を霧散させる。
声を掛けられて少し冷静になったというのもあるし、エマさんが来てしまった以上、喧嘩はもうお開きだった。
「今いくから! オズ、あんたはそこで待ってなさいよーっ!!」
彼女はそう叫ぶやいなや、ラッドたちを見ることもなく俺の方へ駆けてきた。
とはいえ、戦士や魔道士というわけでもない中年女性の走力など高が知れている。
ようやく俺の前に辿り着いたのは、ラッドとレオナルドの姿が完全に見えなくなった後だった。
「ゼェ……ゼェ……」
「……大丈夫? あんまり全力で走らない方がいいよ、もういい歳なんだし」
「うっさいクソガキ……まだまだこれからよ私は……」
肩で息をしながら睨み返してくる。
膝に手をついてえずく姿には何の説得力も無かったが、俺は一応黙って彼女が呼吸を整えるのを待った。
「――ふう……で、何をしていたの、オズリック」
「喧嘩」
「それは見れば分かります」
ならば、いちいち聞かないで欲しいところである。
そんな心情を察したのか、エマさんはじろりと俺の顔を睨んできた。
「私が言いたいのは、あなたが約束を破ったことよ。もう喧嘩はしないって言ったじゃないの」
「……約束は、破ってない」
非難する彼女に、しかし俺は首を横に振った。
交わした"約束"の文言は、今でもはっきりと覚えている。
「あの時、俺は『自分から喧嘩を売るようなことはしないよう最大限努める』と言ったんだ。相手から売られた場合については言及していない。確約だって……」
「小賢しいことをやいやい言わない!」
話の途中で、ぺしっと額を叩かれた。
「いっ――」
――たくはないが、妙に気圧される一撃だった。
理不尽である。
契約内容を細部まで詰めなかったのは彼女の手落ちであり、論理的に考えれば俺が非難を受ける筋合いはないというのに。
もっとも、そんなことを口にすれば二発目が飛んでくるのは目に見えている。
見えている地雷に突っ込むほど、俺は愚か者でも無かった。
「……でもさ。実際、向こうから喧嘩を売って来たなら仕方ないだろ。黙っていたら舐められるだけだ」
「普段から愛想よく振舞っていれば、無駄な喧嘩を売られることも無いでしょうが」
「ぬ……」
日頃の素行について責められると、少しばかり分が悪い。
目を逸らすと、彼女は大きく息を吐いた。
「まったく……あなたがそんな調子じゃ、私はあなたのお母さんに顔向けできないじゃないの」
「母親――」
――俺の実母は、俺が物心つく前に亡くなっている。
今際の際に、当時赤ん坊だった俺を親友のエマさんへ託した――という話だけは聞いているが、それ以外の情報は殆ど知らない。
エマさんにしたって、よく他人の子を引き取ろうなどと思ったものである。
幾ら親友の息子だからといって、子供一人を育てるのは決して楽ではないだろうに。
「ええ。顔立ちも髪の色も、人より強くて賢い癖にやたらと敵を作りやすいところまであなたとソックリのね! 彼女なんて、そのせいで最後の方はとんでもないことに――」
そこまで言って、エマさんは失言に気付いたように口をつぐんだ。
「……こほん。とにかく、幾ら喧嘩が強くても人間関係は勝ち負けじゃないんだから。今後はもう少し我慢を覚えること、いいわね?」
「はいはい、分かったよ」
「はいは一回!」
ぺしっと、結局は再び額を小突かれる。
俺は不服そうに目を細めながら、じとりとエマさんを睨みつけた。
春風が河原を吹き抜け、畦道に伸びた草をさわさわと揺らす。
空はどこまでも青く、モーラトリアは今日も変わらず平穏だった。
「今日は、魔女戦争について学ぶかのう」
――またかよ。
モーラトリアの村学校。
小さな木造校舎の教壇に立ち、使い込まれた教本をぱらりと開く教師の言葉に、俺は内心で溜め息を吐く。
魔女戦争。
大陸全土を巻き込んだ直近の内戦。その概要など、この国で生きる人間であれば誰でも知っているのだ。
実際、そう思っているのは俺だけではない。
教室を見回せば、俺以外にもうんざりした顔がずらりと並んでいた。
「これ、お前たち。露骨に退屈そうな顔をするでない。大切なことは何度勉強してもし過ぎるということはないのじゃよ」
残念ながら、その点においては見解の相違があるようだった。
……結局、この村には大した史料もなければ知識人もいない。
歴史の授業といえば、誓約戦争だの魔女戦争だの、有名な出来事を教本どおりに何度も読み返すことしか出来ないのだろう。
これだから、都会の学校を形だけ真似たような村学校はダメなのだ――などと抜かせば、未だ村から一度も出たことの無い小僧が偉そうなことを言うなと叱られるに違いないが、この様では言いたくもなろうというものだった。
「今から十一年前――誓歴五八一年。このシルバニア大陸全土を戦火へ巻き込む戦争が勃発した」
生徒たちの反応を無視することに決めたらしい老齢の教師は、しゃがれた声で教本を読み上げる。
「首魁となったのは、後に"厄災の魔女"と呼ばれる一人の魔女。彼女には元々多くの仲間や信奉者がいたとされるが、更には人狼や獣人をはじめとする亜人種や少数民族らとも共謀し、中央政府にとっても無視できぬ一大勢力を築くに至った」
彼の口から、やはり俺の知らない情報は出てこない。
俺は小さく欠伸を噛み殺し――
「――オズリック。かの魔女がそれほどの絶大な支持を得た理由を述べよ」
眠たげな顔を見咎められたのだろう、教室中の視線が俺に集まった。
急に当てられたので少し驚いたが、答えられない質問では決してない。俺は小さく息を吐きながら立ち上がる。
「……はい。最も大きな理由は、魔女の扱ったとされる
暗唱するように、教本通りの答えを言う。
「魔女は"魔獣を操る魔法"を有し、数多の魔獣を従えていました。その圧倒的な軍勢こそが魔女を"厄災"たらしめ――魔女の率いる反乱軍の支柱になったとされています」
「うむ」
教師は満足そうに頷いた。
「魔獣を操るなど、まっこと悍ましい魔法じゃな。王国軍が幾度魔獣を討てども、その軍勢は尽きることなく……英雄アレスが"厄災の魔女"本人を討ち果たすまで、長きにわたり苦戦を強いられたという」
そう補足すると、教師は手にした教本を閉じ、改めてこちらへ目を向ける。
「よう勉強しとるの。最初に欠伸なぞせんかったら満点じゃったな」
あはは、と教室に笑いが溢れる。
俺は小さく肩を竦め――不意に、昔聞いた話が頭を過ぎった。
「……あと、
「うん?」
付け加えた言葉に、老齢の教師が首を傾げる。
周囲の級友たちも不思議そうな顔をした。
「当時の王国における、亜人種や少数民族への迫害も理由の一つ……だった筈です」
いつだっただろうか。
最近ではなく、しかしそこまで昔でもないある日の夕暮れ。
夕飯の支度をしながら、エマさんが何気ない調子で話していたことだ。
「つまり……彼らは古くより人々に疎まれ、虐げられてきました。しかし魔女は彼らを受け入れ、平等と庇護を約束したために、彼らはその軍門へ下った……と、言われています」
しん、と教室が静まり返る。
教師はしばらく考え込むように教本へ視線を落とし、それから俺の顔を見た。
「……教本には"彼らと共謀した"としか書かれておらんが……オズリックや、どこでそれを知ったのかね?」
「数年前にエマさん――育ての親に聞きました。ただ……」
一拍置き、極めて重要な一文を付け加える。
「あの人が夢か何かで見た創作かもしれません。ちょっとトボけた人だから」
一瞬の静寂の後。
教室が、どっと笑いに包まれた。
「よーう、オズ! さっきは絶好調だったな」
授業が終わるや否や、教室は一気に騒がしくなった。
真っ先に俺へ話しかけてきたのは、お調子者のフロックスだ。
「ああ。エマさんのお陰でとんだ恥をかかされた」
「いいじゃねえか。ウケてたし」
「よくない」
お調子者らしい言い分を真っ向から否定する。
咄嗟に冗談めかして誤魔化したが、人に笑われるのは本来俺の役回りではないのだ。
「俺はもっとこう、知的で上品な感じの
「お、おお……自分で言うのもどうかと思うが……」
フロックスは呆れたように肩を竦め、周囲からくすくすと笑い声が漏れた。
気付けば机の周りには級友が集まり、自然と俺を囲むような輪ができている。
「それよりさ、オズ!」
人の輪をかき分けるように、小柄なアスターが身を乗り出した。
「俺たちに魔法を教えてくれよ!」
「断る……というか、大分前に教えたろ」
もう数か月も前になるか。
河原で独り魔法の練習をしていたのをこいつらに見咎められ――もっとも、別に隠す気も無かったが――好奇の目と共に次々と群がられた挙句、そのまま教える羽目になったことがある。
俺が最初から感覚的に出来ていたことが何一つ出来ず、わざわざ家の書斎から魔法教典まで持ち出してやったというのに、身になる奴は誰もいなかった。
何に躓いているのかすら俺には分からず、割と頭を抱えたものだ。
「あの時は全員そろって投げ出したくせに、なんで今さら……」
「なんだ、知らないのか? こいつらは今"ジコケンサン"にお熱なんだってよ」
「……自己研鑽?」
にやりと笑うフロックスに、思わず聞き返す。
はっきり言って、自己研鑽などという言葉が彼らから出てくるだけで噴飯ものである。
のんびり屋ばかりのモーラトリアにしては殊勝すぎるというか、随分と珍しい流行というか、明日は槍でも降るのだろうか。
「――ごほん。順を追って話すとだな」
アスターがわざとらしく咳払いを一つする。
「数日前、この村に
「騎士団長、って……まさか、"七星騎士団"のか?」
この国の人間が単に"騎士団"と言う場合、それは中央政府直属の煌びやかな七つの騎士団を指す。
騎士として何れかに所属するだけでも名誉とされ、その騎士団長クラスともなれば雲上人と言って差し支えない。
こくり、とアスターは大きく頷いた。
「と、言っても
……ああ、あれか。
先日、河原で見かけた家を思い出す。
この村には不釣り合いなほど立派な造りだったので、妙に印象に残っていた。
そして、彼らが"自己研鑽"に躍起になる理由もようやく見えてきたようだ。
「その人に実力を見せれば、騎士団に紹介して貰えるかも……!」
「夢だったんだよね、華やかな王都の騎士になるの!」
「長男以外は家業も畑も継げないしなー。どうせいつか村を出るなら、少しでも良いところに行きたいぜ」
皆が口々に夢を語る。
実現可能性の低い夢物語だとは思うが、割と切実な事情もあるらしく、一笑に付す気にはあまりならなかった。
「そうか。まあ、頑張れ」
「……他人事みたいに言ってっけどさ。お前はどうすんだよ、将来」
適当に相槌を打つと、フロックスが呆れたように眉をひそめる。
将来など、特に考えたこともない。
「さあ」
「さあ、って……」
「適当な場所で、適当に暮らすさ」
村でも街でも構わない。
腹が満たせて、雨風を凌げる屋根さえあれば十分。
俺の人生観として、それで全く問題はなかった。
「いい加減だなあ」
「らしいっちゃらしいけどな」
級友たちが呆れたように笑う。
皆が将来の夢を熱く語る中で、俺だけがどこか浮いているような空気だった。
気怠げに伸びをする俺の脇を、フロックスが肘で小突く。
「へん、スカしやがってよ。男なら、いっそ英雄でも目指してみろって俺は思うね」
「英雄?」
唐突に投げられた言葉を、口の中で転がす。
その味はあまりにも現実味がなく、馬鹿々々しくて、思わず鼻で笑ってしまった。
「――全ッ然、興味ねえわ」
当時十二歳の俺は、何も知らない子供でしかなかった。
英雄にも騎士にも興味はなく、社会のことにも周りのことにも関心を示さず――大方、自分だけは慌ただしい俗世の
しかし、俺は知るべきだったのだ。
この世のあらゆる出来事は、決して唐突には現れないことを。
一見すれば無関係な事象同士が幾重にも絡み合い、やがて一つの"運命"を形作っていくのだということを。
即ち――世間は、存外に
誓歴592年、春。
大陸中を巻き込んだ"魔女戦争"から十一年。
田舎の小さな村学校の、在り来たりな授業風景。
授業後に交わされた他愛ない会話。
俺にとって何ら特別ではなかった全てが、この先に待ち受ける"運命"への伏線だったことに――ともすれば、気付けたかもしれないのだから。