死霊術師でも英雄になれますか?   作:パリスタパリス

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第二話『死霊術師と優等生・壱』

「オズリック=スタンリー」

 

 不意に名前を呼ばれ、俺は足を止めて振り向いた。

 

 この学園で、俺の名前を呼ぶ人間はそう多くない。

 俺を指すなら「死霊術師の一年」「あの骸骨のやつ」といった肩書きで事足りる場合がほとんどだし、そもそも名前を呼び合うような友人や知人がほぼ存在しない、という極めて現実的かつ悲しい理由もある。

 

 だからこそ、その声の主は容易に想像することが出来た。

 

「エルネスタ先生」

 

 案の定、そこに立っていたのは見知った顔の女性教師。

 

 年齢は五十代ほどだろうが、背筋はぴんと伸びている。

 歩き方にも一切の淀みがなく、落ち着いた物腰と品のある佇まいの老婦人。

 

 エルネスタ=フローレンス教授。

 俺が死霊術師になる運命を宣告された"啓示"に立ち会った大人の一人であり、入学時から何かと気にかけてくれている。

 

「授業ではたびたび顔を合わせていますが、こうして話すのは久しぶりですね。順調な学生生活を送っているそうで何よりです」

「……皮肉ですか」

「勿論」

 

 即答だった。

 それでも声音は柔らかく、口元には僅かに笑みが浮かんでいる。叱責というより、慣れた軽口に近い。

 

 ……普段であれば、そのはずなのだが。

 今日の彼女は目が笑っていない。どこか呆れたように、眉間にははっきりと皺が寄っている。

 

「聞きましたよ、二年生と決闘したとか」

「……あー」

「あー、ではありません」

 

 ぴしゃり、と短く言い切られ、思わず背筋が伸びる。

 

「ただでさえ死霊術師という肩書きは悪目立ちするのだから、せめて大人しくしていなさい――そう何度も伝えてきたはずですが、一体どういうおつもりですか?」

 

 教授は一息ついてから続けた。

 

「あなたの存在を不安がる生徒たちを(なだ)め、教員会議ではあなたを庇うのに苦労させられる私の身にもなって欲しいところです」

「なんというか……その、面倒をかけます」

 

 それ以上、返す言葉はなかった。

 

 彼女の叱責には、平謝りするしかない。

 多大な苦労をかけてしまっているのは、ぐうの音も出ない事実だからだ。

 

 しかし、先の決闘に関しては俺の方にも言い分があった。

 

「一応弁明すると、あの決闘はあっちが挑んできたんですよ」

「決闘自体を挑んだのはあちらでも、元々の発端はあなたにあると聞いています。あなたのような事情を抱えた生徒は、そういった隙を晒さぬよう細心の注意を払わねばなりません」

「……そうですね」

 

 否定はできない。

 

 前回の決闘は、女子生徒を怖がらせてしまった事故が切っ掛けだった。

 無論、わざとしたことではないのだが――それを未然に防ぐために最善を尽くしたかと問われれば、胸を張って頷けるわけでもなかったのは事実である。

 

 普通の生徒であれば、そこまで自分の立ち回りに神経を尖らせる必要はないだろう。

 しかし、普通でない生徒はそうも言っていられない。少なくとも、俺はそれを自覚すべき立場だったのだ。

 

 他ならぬ、自分自身の安全のために。

 

「まあ、小言を言うのはここまでにしておきましょうか。あなたなら、長々としたお説教がなくとも本質を掬い取ることが出来るでしょう。本題に入ります」

「本題?」

 

 そう問い返した直後、差し出されたのは一冊の本だった。

 

 革表紙はひび割れ、紙の縁は黄ばみ、ところどころに修復の痕が見える。

 ぱっと見ただけでも、年代物であることが分かる代物だった。

 

「……古文書ですか?」

「帝国の時代に書かれた死霊術の教本です。失伝魔法ゆえ、図書室にも体系だった参考書の類は置いていなかったでしょう? 考古博物館を経営している私の友人に、少々無理を言って譲って貰いました」

「――」

 

 さらりと言われた内容に、思わず息を呑む。

 

 彼女の言う通り、死霊魔法の知識はその大半が失伝している。

 基礎理論すら断片的な資料しかなく、現存する術式の多くは推測と再構築の産物だ。俺にとって、この教本が有する価値は値千金どころの騒ぎではない。

 

「……手間を、かけます」

「我々教師には、生徒の夢を最大限に支援する義務があります。この程度は手間の内にも入りません」

「夢」

「ええ――この学園で力をつけ、英雄になる。まだ、諦めてはいないのでしょう?」

 

 その言葉には、虚を突かれたような心地がした。

 

 確かに、入学時に抱いていた野望を諦めたつもりはない。

 しかし死霊術師として忌避される学園生活を送る中で、理想が輪郭を失いかけていたのもまた事実だった。

 そんな俺の内心を、この教授は見抜いていたのかもしれない。 

 

「――はい。ありがとうございます」

 

 心からの感謝を込めて、頭を下げる。

 やはりこの人には、頭が上がる気がしなかった。

 

 

 

 

 

「巡回、終わりました。エルネスタ教授」

 

 横合いから、凛とした声が差し込まれた。

 

「シャルロット、いつもありがとうございます」

 

 声の主に向けて、教授は穏やかに頷く。

 そこに立っていたのは、一際目を引く少女だった。

 

 眩しく波打つ金の長髪に、澄んだ紺碧の瞳。

 整えられた制服に、背筋の伸びた立ち姿。どこかあどけなさが残る端正な顔立ち。

 

 腰元には、繊細な装飾が施された剣が静かに下げられている。

 この学園は魔法だけでなく武術も教えているため、帯剣している生徒は珍しくない。しかし彼女は、他のそういった生徒よりも随分と様になっているように見えた。

 

 剣を手に取り、流麗に戦うお姫様――実在の姫騎士を主人公とした騎士道小説や演劇を何度か目にしたことがある。彼女の姿は、まさにそれを想起させた。

 

「変わりはありませんでしたか?」

「正午に、演習場東区画で小規模な魔法事故が発生しています。怪我人は軽傷一名。医務室で手当てを受け、既に治療は済んでいます」

 

 報告を聞いて、先生の眉が僅かに寄った。

 表情が大きく変わったわけではないが、生徒の安否に触れる話題に無関心ではいられないのだろう。その眼には警戒の色が滲んでいる。

 

「原因は?」

「周囲への配慮不足によるものでした。火系統と風系統の術式を練習していた二者の魔法が干渉し合い、広範囲に炎を拡散してしまったようです」

「……そうですか。軽傷で済んだのは、不幸中の幸いですね」

 

 短く無駄のない報告に、彼女は小さく息を吐く。

 シャルロットと呼ばれた生徒は、あくまでも淡々と報告を続けた。

 

「今後、魔法の練習をする際には区画の間隔を広げるべきかと思います。もしよければ、私の方で誘導手順を設定しますが」

「お願いします。今年は大規模な術式を扱える新入生も何人かいますから、ルールの調整も必要になるでしょう……やれやれ、優秀なのも考え物ですね」

 

 ちらりとこちらを見ながら言う。

 ……別に俺が事故を起こしたわけではないのだから、呆れたような視線をくれるのはやめて欲しいのだが。

 

 ふと、教授は思い出したような声を上げた。

 

「ああ、そうだ。シャルロット、こちらの男子生徒はオズリック=スタンリー……言わずと知れた死霊術師です。色々と物騒な噂を聞いていると思いますし、実際にひねくれ者ですが救いようのない悪人というわけではありません」

「紹介の仕方が後ろ向きすぎると思うんですが……」

 

 弁護なのが中傷なのか分からない紹介に、思わず口を挟む。

 だが、その抗議が取り上げられることはなく、教授はごく自然に話を続けた。

 

「知っての通り、特殊な事情を抱えた生徒です。監督生として、便宜を図って頂けると助かります」

「――」

 

 ……余計なことを。

 彼女なりに俺を心配しているのは分かるが、有難迷惑もいいところだった。

 

 シャルロットさんは、少し複雑そうな顔でこちらを見る。

 校内に流れる俺の評判を思えば、これでもむしろ好意的すぎるくらいだが。

 

「オズリック=スタンリー君……はい、知っていますが」

 

 微妙に冷たい視線をこちらに向けたまま、彼女は続けた。

 

「――彼には、私の助けは要らないかと思います」

 

 そして、断られる。

 教師がするこの手の頼みが断られることってあるんだ、と俺は他人事のように思った。

 義務感で気を遣われるのも面倒なので、断られること自体は別にいいのだが。

 

「それでは、私はこれで」

 

 そう言い残すと、彼女はそれ以上こちらを見ることもなく踵を返す。

 背筋の伸びた後ろ姿を、俺は何とも言えない気持ちのまま見送ろうとして――

 

「シャルロット」

 

 だが、エルネスタ教授の声が、彼女を呼び止めた。

 

 足音が止まる。

 振り返りはしないものの、彼女が耳を傾けているのは分かった。

 

「補佐の件。あなたの方から推薦がないのであれば、私が適当に見繕いますが」

 

 一拍の沈黙。

 

「――いえ、結構です。もう少しだけ考えさせてください。失礼します」

 

 それだけ言うと、彼女は再び歩き出した。

 今度は呼び止める声もなく、やがてその姿は角の向こうに消える。

 

 静けさが戻ると、教授は短く息を吐いた。

 

「……はあ。彼女、大丈夫でしょうか」

「? 何がですか?」

 

 思わず間の抜けた質問をしてしまう。

 俺の目には、規律正しく、仕事もできて、感情を表に出さない模範的な優等生にしか映らなかった。

 見た感じ、教師が心配するようなところはないと思うのだが。

 

「いえ、あなたには関係――ないことも、ないですね」

「はあ」

 

 否定しかけて、言い直す。

 どこか煮え切らない、厳格な教授らしからぬ妙な言い回しだ。

 

「彼女はシャルロット=シュトラール。品行方正で、一年の監督生に任命されています。教授陣からの覚えもよく、あなたとは正反対の優等生です」

「一言多くないですか……監督生?」

「文字通り、生徒たちの生活を監督する生徒のことです。他生徒の相談に乗ったり、校内で発生する事件・事故への初期対応を担う役職でもあります」

「だるそうですね」

「当然、あなたのような気質の生徒に務まる職務ではありません」

 

 普通に悪口だった。

 反論しようとして言葉を探すが、思い当たる節が多すぎて何も言えない。

 

「……じゃあ、補佐と言うのは」

「監督生には、自身の右腕となる補佐を他生徒から選任する権利があります。本来ならば、監督生の着任とほぼ同時に決められることが大半なのですが……」

 

 彼女は未だ決めていない、と。

 エルネスタ教授は神妙な顔で頷いた。

 

「一応言っておきますが、彼女は人間関係が苦手というわけではなく、他生徒から嫌われてもいません。むしろ、人気者と言っていいでしょう。あなたと違って」

「あの」

「しかし、今は少しばかり自暴自棄になってしまっているといいますか――」

「……?」

 

 教授は言いかけて、そこで口を閉ざす。

 それから、取り繕うように咳払いを一つした。

 

「――いえ、何も。オズリック、可能であればで構いません。彼女が困っているのを見かけたら、僅かでも助力をお願いします」

「……良かった。補佐とやらに立候補しろとか言われたらどうしようかと」

「今のあなたの評判を省みるに、それを頼むのはあまりにも無茶だと思います」

「それもそうですね」

 

 これもまた、全く否定できない。

 素直に頷くしかなかった。

 

「むしろ、俺はがっつり問題児側ですしね。はは」

「何を笑っているのですか?」

「あ、はい。すみません」

 

 どうやら調子に乗りすぎたらしい。

 先生は鋭い眼光でこちらを一瞥すると、これみよがしに大きなため息を吐いた。

 

「……はあ。一応言っておきますが、彼女を困らせたりしたら私が許しませんよ。ただでさえ、今年はあなたを筆頭に厄介な生徒が多いのですから」

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、我が校が"英雄学園"の異名を持つことは、諸君も知るところだろう」

 

 戦術学基礎の授業中。

 教壇に立つヴァレンシュタイン教授は、低く響く声でそう切り出した。

 

「英雄とは元来、武勇に優れ、常人には為し得ぬ偉業を成し遂げた者を指す言葉だ。しかしながら、この国においては少しばかり意味合いが異なる」

 

 彼は教室をゆっくりと見渡す。

 

「この国における"英雄"の定義を、答えられる者はいるか」

 

 静寂。

 何人かが視線を泳がせ、何人かは机の一点を見つめたまま動かない。

 

 もっとも、手が上がらないからといって答えを知らない者ばかりというわけではない。

 単に、彼の授業では誰もが慎重になるだけだ。

 

 グレゴリー=ヴァレンシュタイン教授。

 元軍人で、ただでさえ厳つい顔立ちに、頬を斜めに走る大きな古傷がある。

 その仏頂面から放たれる威圧感ははっきり言って堅気のそれではなく、彼に向かって気軽に手を上げられる生徒はそう多くない。

 

「……」

 

 そんな中で、俺は静かに手を上げていた。

 

 死霊術師というだけで、何かと偏見を向けられやすい立場だ。

 日頃から真面目さを授業態度として示しておく必要があるし、死霊術に対しても妙な色眼鏡を持たず、常にフラットな視線で評価してくれるこの教授に俺は好感を抱いている。

 

「ふむ。スタンリーに……シュトラールか。では、シュトラールに答えて貰おう」

 

 しかし、呼ばれたのは俺ではなく――件の監督生・シャルロット=シュトラールだった。

 

 無論、死霊術師だから当てられなかったというわけではないので、思うところは全くない。

 彼女は静かに手を下げる俺と対照的に立ち上がり、凛とした態度で口を開いた。

 

「はい。この国における"英雄"とは、国家によって"厄災"と認定された事象、あるいは存在に対処し、解決した者に与えられる称号です」

 

 教科書をそのまま読み上げたような、模範的で簡潔な回答だった。

 

「ふむ。では、その"厄災"とは何だ?」

「国家、もしくは世界全体の秩序や均衡、場合によっては存続そのものに影響を及ぼしかねない、極めて強大な事物の総称です。竜脈異常が齎す気候変動のような自然現象に近いものもあれば、かつて実在したという"冥王"や"大魔女"のように明確な意思を持つ存在も含まれます」

 

 教授の問いにも、彼女は即座に応じた。

 

「現在、世界には十二の厄災が存在すると定義され――」

 

 そこで一拍、言葉を区切る。

 

「そのうちの一つでも解決すれば、英雄として認められます。名は国家の歴史書に刻まれ、後世まで語り継がれることになります」

 

 そう、たった一つだ。

 十二個もある"厄災"の内の、たった一つでも解決すれば"英雄"になれる。

 

 しかし、その一つがどれほど途方も無いものかを、この国の人間はみな理解している。

 故に英雄は人々の尊敬を集め、時として畏怖すらされるのである。

 

「よろしい」

 

 満足げに頷き、ヴァレンシュタイン教授が口を開いた。

 

「そして、ここは英雄学園の異名を持つ名門グラン=マグノリア。創設以来、数多くの英雄を輩出してきた学び舎だ」

 

 教授は教室全体をゆっくりと見渡し、生徒たち(われわれ)の自覚を促すように続ける。

 

「次なる英雄が、この教室で学ぶ者の中から現れるとしたら――教壇に立つ者として、これ以上の誇りはない。以上」

 

 そう言って、教授は話を締めくくった。

 

 鐘の音が鳴り、緊張で張り詰めていた空気がようやく緩む。

 こうして、戦術学基礎の授業は幕を下ろした。

 

 教授が立ち去ると、がやがやとした話し声が教室に満ちていく。

 そんな中、俺はなんともなくシャルロット=シュトラールの姿を目で追った。

 

「シャルちゃーん、ここおせーてー」

「ええ、これはね――」

 

 成績優秀、品行方正。

 困っている生徒がいれば話を聞き、質問されれば嫌な顔ひとつせずに応じる。

 

 それはまさに、完璧な優等生の姿だった。

 よくもまあ、あそこまで人のために奔走できるものだ。

 

「シュトラールさん、いいよな……」

「いい……」

 

 羨望とも溜息ともつかない声が耳に届いた。

 整った外見も相まって、学年内での人気は言うまでもない。

 

「この前、隠れて葉巻吸ってるとこシュトラールに見付かっちゃってさあー。秩序だの法だのって説教をすげえされてさあ」

「めんどくせー……たかが葉巻じゃんなあ」

 

 ひそひそとそんな声も聞こえてくる。

 だがそれは、悪意というより立場ゆえの愚痴に近い。

 

 監督生。

 同学年の秩序と規律を担う役職に就いていれば、こうした陰口の一つや二つは避けられないだろう。

 

 彼女が生徒たちの輪の中心に立ち続けている存在だということに疑う余地はなく、俺の援けなんかを必要とする時が来るなど到底思えなかった。

 

――今は少しばかり自暴自棄になってしまっているといいますか。

 

 エルネスタ先生の言葉が脳裏をよぎるが、そんな兆しはどこにも見当たらない。

 やはり、あれは心配性な教授の杞憂なのだろう。彼女のことよりも、俺は俺自身の心配をした方が遥かに有意義そうだった。

 

 そう結論づけ、俺は視線を外してそのまま教室を後にする。

 

 廊下には、授業終わりのざわめきが満ちている。

 それを意識の外へ追いやるように歩き、俺は図書室へ向かった。

 

 古びているが重厚な図書室の扉を押し開けると、そこには外界と切り離された静謐な空間が広がっている。

 空いている席に腰を落とし、エルネスタ先生から譲り受けた死霊術の教本を広げた。

 

「う――」

 

 帝国時代の言葉で書かれたそれは、内容以前に文字を追うだけで眩暈がしてくるような代物だ。

 

 古めかしい言い回しに、曖昧な比喩表現。

 一文を理解するのに、辞典を何度も引き直さなければならない。

 

 しかし、古文読解の参考書は死霊術の教本と違って図書室に揃っている。

 時間をかけて少しずつ翻訳していけば、決して読み通せないものではないはずだ。それは必ず、俺の力になる。

 

「……やるか」

 

 自分を奮い立たせるように呟く。

 そのときにはもう、監督生の少女のことなど頭から完全に消し去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――きっつ……」

 

 思わず、そんな本音が零れ落ちた。

 明らかに学生、それも一年生が読むような内容ではなく、実務に携わる専門家が読むことを想定した難易度だ。

 

 意味不明の単語が頻出し、それが死霊術の専門用語なのか、帝国時代特有の言い回しなのかすら判別できない。

 一文をようやく噛み砕いたかと思えば、次の行でまた足を止められる。

 

 お勉強は嫌いじゃ無いが、限度というものがあるだろう。

 気づけば、肩には力が入りっぱなしになっていた。

 

「……駄目だな」

 

 額を押さえ、深く息を吐く。

 このまま続けても、頭が煮詰まるばかりだ。

 

 俺は教本と辞典を閉じ、椅子から立ち上がる。

 少し、頭を冷やした方がいいだろう。そう判断して図書室を後にし、外へと出た。

 

「ふう」

 

 人気のない裏口から校舎裏へ出ると、ひんやりとした空気が一気に肺へ流れ込む。

 

 夕暮れの校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

 他の生徒は既に寮に戻ったか、あるいは友人と連れ立って街にでも繰り出しているのだろう。

 そういった連中も青春を謳歌しているようで何よりだが、一人黙々と自己研鑽に励む放課後というのもこれはこれで悪くないのではないか。

 

 ……いや、見栄を張った。

 決して高望みはしないが、せめて一人くらいは友人が欲しい――

 

「――ん?」

 

 そんなことを考えていると、ふと視界の端に影が映った。

 

 校舎裏の隅。

 一人の地味目な女子生徒を取り囲むように、数人の女子が立っている。

 

 言い争いかと思ったが、声の調子がどうにも噛み合わない。

 囲まれている側は押し黙ったままで、囲んでいる側だけが一方的に何かを捲し立てている様子だった。

 

 もしかしなくても――いじめの現場か。

 

「……」

 

 非生産的というか、何というか。

 俺は時間が幾らあっても足りないというのに、英雄学園にも暇人はいるものだ。

 

 さて、どうするか。

 エルネスタ教授からは、大人しくしておけと釘を刺されている。

 

 下手に関われば、面倒事が増えるのは目に見えているし……割って入ったところで、事態が好転するとも限らない。

 正義感を振りかざして空回りするのは、英雄どころか道化のやることだ。

 巻き込まれないうちに退散するとしよう。

 

 少し遠回りにはなるが、視界に入らない道から戻ればいい。

 俺は足先の向きを変え――

 

「――」

 

 ふと、校舎裏の薄闇の中で光るものが見えた。

 頬を伝い、地面へ落ちていく雫。

 

 泣いている。

 

「……はあ、仕方ない」

 

 誰に言うでもなく、吐き捨てるように呟く。

 

 俺はどうせ嫌われ者なのだから、開き直って無関心かつ冷淡な性格を貫けばいいというのに。

 自分自身の中途半端な気質には、ほとほと溜め息しか漏れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「――恥ずかしいとは思わないのか?」

 

 自分でも驚くほど、校舎裏に俺の声はよく響いた。

 

「貴重な放課後の自由時間を、そんなことにしか使えない知能の低さが」

 

 わざわざ棘のある言い方を選んだことに大した意味はない。

 いじめなんてやめろとか、弱い者いじめは最低だとか、そういう正義のヒーロー染みた台詞を吐くのが気恥ずかしかっただけだ。

 あとはまあ、いじめ被害者を"弱い者"と呼ぶこと――即ち、相対的に加害者を"強い者"という立場として定義してしまうことが、個人的に気に喰わないというのもある。

 

「……は? なにおまえ?」

 

 先頭にいた女子が、気だるそうに振り返る。

 面倒くさそうに眉をひそめ、こちらを睨み付ける視線。

 

 それにつられるように、周囲の女子たちも次々とこちらを見やった。

 

「なに、なに? どうした?」

「もしかして……こいつのこと庇ってんの? 恋の予感?」

「あは! 良かったねー、青春じゃーん」

 

 くすくすと下卑た笑い声が重なる。

 それは俺にとって全く笑えない類の冗談だったが、彼女らも俺を笑わせるつもりはないだろう。

 

 正論も説法も通じまい。

 こういう手合いは、まともに相手をしないのが一番――

 

「……いや、ちょ、待って」

 

 その時、女子の一人が急に声の調子を変える。

 さっきまでの嘲るような態度は影を潜め、視線が俺に釘付けになっていた。

 

 俺の髪色から顔付き、制服――学年によって各部の彩色が異なる――を上から下までまじまじと見つめ、ごくりと息を呑んだ。

 

「ジェリィちゃん、こいつ……噂の死霊術師だッ!! この前、ゼイン先輩と決闘してた奴!! 同じ顔ッ!!」

「……はあッ!? なんでそんなやべーやつがこんなとこにいんだよ!?」

 

 やべーやつって何だよ。

 いじめの加害者一味にすらここまで倦厭されるとは、俺の校内評価は想像以上に底を突き抜けているらしい。

 

 ……というか、ゼインって名前だったのか、あの先輩。

 どうでもいいけど。

 

「こういう人気のねー場所で同級生を実験体(モルモット)にしてるって噂じゃん!? やっぱあれマジなんじゃね!?」

「無理無理無理! 関わるのやめよ!!」

 

 甲高い声が、校舎裏に反響した。

 

 まさに阿鼻叫喚。

 女子たちが恐怖に顔を引きつらせる様子をいい気味だと思わなくもないが、どちらかと言うとまた妙な噂が増えていることへの倦怠感が上だった。

 

「逃げるよ!!」

 

 さっきまでの威勢の良さはどこへやら、蜘蛛の子を散らすように女子たちは逃げ出していく。

 数秒もしないうちに、校舎裏は嘘みたいに静まり返った。

 

「……なんだこれ」

 

 俺はその場に立ち尽くしたまま、ぽつりと呟く。

 

 いや、まあ、どのみち追い払うつもりではあったのだ。

 その過程が少し想定と違っただけで、結果としては問題ない。

 

 うん。多分、大丈夫。

 そう自分に言い聞かせながら、俺はいじめられていた女子生徒の方へ向き直る。

 

「ひッ……!?」

 

 短く、引きつった悲鳴が返ってきた。

 

 訂正、大丈夫ではなかった。

 取り残された少女は今にも泣き出しそうな顔で腰を抜かし、完全に怯えてしまっていた。

 

 ……あーあ、どうすんだ、これ。

 いじめを止めに入ったはずが、これではまるで俺が彼女を追い詰めているみたいに――

 

「――その子に、何をしているの?」

 

 背後から、凛とした声が響いた。

 

 嫌な予感がする。

 俺はゆっくり振り向き――そして、案の定の人物を目にした。

 

 シャルロット=シュトラール。

 夕暮れの校舎裏にあってなお、黄金の髪を煌めかせる姫騎士染みた監督生。

 

 その視線は、まず怯える少女に向けられ、次いで――俺へ。

 怯える女子生徒に迫っているように見える死霊術師を、冷たい瞳で真っ直ぐに射抜いた。

 

 ……なんか最近、こういう展開多くない?

 

 性質の悪い霊体にでも憑かれているのだろうか。

 街の教会に除霊を依頼しても、死霊術師は神の敵だろと突き返されるか、死霊術師なら調服しろよと呆れられるのがオチかもしれなかった。

 

 

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