死霊術師でも英雄になれますか? 作:久川 晶 (旧:パリスタパリス)
「どうも、ピーターさん」
村学校の帰り道。
広場の隅に見慣れた
「ん? ……おお。久しぶりだな、オズリック」
荷台の木箱を整理していた彼が、手を止めてこちらを見る。
若者と言うには渋く、中年と言うにはまだ若い。
日に焼けた肌と無造作な茶髪、無精髭の似合う顔は、いかにも旅暮らしの男という風情だった。
「元気そうじゃねえか。今回も荷馬車いっぱいに夢を積んできたぞ」
「それはありがたいけどさ」
いかにも旅人らしい、気障な言い回しである。
ピーターさんは各地を巡る行商人だ。
この村では外の世界の情報や珍しい品々に触れられる機会など滅多にない。彼の来訪は、俺の日常における数少ない楽しみの一つだった。
「にしても、前回来た時から随分と間が空いたね。何かあった?」
「ああ……最近、関所の検問がやたら厳しくてな」
言いつつ、彼は頭を掻きながら苦笑した。
「先の戦争で"厄災の魔女"に与していた残党勢力が、俄かに活発化しているらしい。荷物の検査も、旅人の身元確認も前よりずっと細かくなっちまった」
残党勢力。
魔女の軍勢の生き残りが今なお各地に潜み、騎士団の目を盗んで暗躍している――そんな話を、歴史の授業でも聞いた気がする。
モーラトリアのような辺境の村に住んでいると、やはり他人事にしか思えないが。
「お陰で予定は狂うし、商売は遅れるしで散々だ。今回はそのせいで、半年も顔を出せなかったってわけさ」
根無し草の旅人にとっては文字通りの死活問題なのだろう。
荷台にもたれたまま肩を竦めるピーターさんに、しかし俺は適当な相槌を打った。
「ふうん……ま、いいや」
俺がこの村を出るのは、どれだけ早くても数年後。
その時にどう変化しているかも分からない世界情勢なぞよりも、興味を惹かれるものは幾らでもある。
「それより、新しい魔法教典が欲しい」
「!」
ピーターさんが、珍しく目を丸くした。
俺が魔法を覚えたのは、彼から格安で売ってもらった魔法教典が切っ掛けだ。
古書の処分に困っている、お前にはきっと才能がある――そんな言葉を並べ立て、今以上に
もっとも、値段は本当に安かったし、読書は俺の数少ない趣味の一つである。
そうして買った一冊を読み進めるうち、俺は魔法の基礎を身につけ、その奥深さにすっかり魅了されてしまったというわけだ。
「お前……前に持ってったやつは、もう全部出来るようになっちまったのか」
「まあね。今回はちゃんと定価で買うよ」
「そりゃありがたいが……」
彼はどうにも腑に落ちないといった顔で俺を見るが、そんなに驚くようなことだろうか。
教典には理論も術式も丁寧に書いてあるのだから、あとは書かれている通りに再現するだけ。基本魔法を扱えるようになるのは、拍子抜けするほど簡単だった。
だからこそ、級友たちに魔法を教えようとしても誰一人として着いて来れなかった時は本気で首を傾げたのだが――
「――やはり、血筋かねえ」
ピーターさんは腕を組み、俺をしげしげと眺めた。
「……? 俺の両親を知ってるの?」
「いや、知らん。適当に言った」
なんなんだよ。
思わず呆れた目を向ける俺に、ピーターさんはからからと笑った。
それから、彼は荷台の隅に積まれていた木箱へ手を伸ばす。
いくつかの荷物を退かし、その底から一冊の本を取り出した。
「ほらよ」
差し出された本は、以前の教典よりも幾分厚い。
「"中等魔法教典"――前に渡したやつがまっさらな初心者向けだとしたら、これは最低限の基礎を修めた脱初心者向けといったところだな」
「いいね。いくら?」
購入を即決した俺は、迷わず提示された代金を差し出す。
ピーターさんはそれを受け取りながら、感心したように肩を竦めた。
「よく学べよ、オズリック。
「? どうも」
彼は俺の微妙過ぎる返答を薄く笑うと、本をこちらへ手渡した。
俺はそれを脇に抱え直し、軽く手を振って踵を返す。
僅かな違和感は新しい知識を前にした高揚感に掻き消され――珍しくも少年らしい軽やかな足取りで、俺はその場を後にした。
歩きながら、俺は新しく買った魔法教典を開く。
……一応の言い訳をすると、歩き読みなどをするつもりでは無かった。
目次だけでも確認しようと表紙を捲ったら、入門用のものでは触れられていなかった術式理論や高度な運用術の項目が視界に入ってしまったのだ。
――やはり、魔法は面白い。
知らないことを知るのは、純粋に楽しい。それが力になるなら猶更である。
行儀の悪いことをしている自覚はあれど、視線が文字へ吸い寄せられてしまうのも致し方ないと言えよう。
そして、それ故に。
「っ」
小さな声と同時に、肩へ柔らかな衝撃。
どうやら誰かにぶつかってしまったらしい。
俺は慌てて本から顔を上げ――
「気を付けたまえ」
――その姿を目で捉えた瞬間、思わず息を呑む。
そこにいたのは、俺と同年代くらいの少女だった。
肩まで揺れる、丁寧に梳かれた暗色の髪。
背筋はすっと伸び、特段高価な衣服を身に纏っているわけでもないというのに立ち姿から気品が滲み出ている。
この朴訥とした村の景色に、一人だけ絢爛な別世界から紛れ込んだような少女だった。
そして、端麗な容姿よりも特筆すべきことが一つある。
俺は、この少女に
人の顔を覚えるのは得意じゃない俺でも、生まれ育った村の住人くらいなら流石に顔と名前を一致させられる。ましてや同年代、それも人目を引く容姿の女の子を知らないはずはない。
つまり、彼女は旅人か、あるいは誰かの客人か……少なくとも、この村の人間ではないことは確かだった。
「歩きながら本を読むのは感心しないな。知識を得るのは結構だが、前を見ていなければ他人にぶつかる。ぶつかれば、自分も相手も怪我をする。それくらいの因果関係は理解しているだろう?」
「……あ、ああ。そうだな、悪かった」
堂々とした物言いと、少女らしからぬ堅苦しい口調。
半ば反射で謝ってしまったが、そもそもこの件については俺が全面的に悪い。
反論の余地など一つもなく、素直に頭を下げない理由もなかった。
「分かればよい。以後、気を付けるように」
満足げに頷くと、少女は俺の足元へ視線を落とした。
それから何気ない仕草でしゃがみ込み、一冊の本を拾い上げる。
「ほら、落としたぞ」
彼女は表紙についた土を軽く払い、両手でこちらへ差し出した。
……ぶつかった瞬間までは手に持っていた筈だが、どこかのタイミングで手から滑り落ちていたらしい。
「どうも」
「――少年」
礼を言って受け取ろうとした、その時だった。
視線で表紙の文字をなぞっていた少女が何かに気付いたように目を細めると、有無を言わせぬ口調で俺を呼ぶ。
……というか、少年て。
話の腰を折るだけなので黙っておくが、どう見ても俺と同年代だろうにと突っ込みたいところだった。
「君は、魔法が使えるのか?」
真紅の瞳が、品定めでもするように俺を見つめる。
別に嘘をつく理由もなく、俺は当然に肯定した。
「一応な。我流もいいところだし、自慢できるほどのものでもないが」
「……ふむ」
少女は小さく頷くと、白い指先を顎へ添える。
何かを考え込むように数秒だけ沈黙し、それから改めて俺の顔を見据えた。
「君、名前は?」
「オズリック」
「そうか、私はカレン。君さえ良ければ、この後――」
彼女が名乗り、続けて何かを言おうとした、丁度その時。
「――その娘に、何の用かな」
横合いから
少女は露骨にうんざりとした様子で眉を顰め、小さく溜息を吐いてから、ゆっくりと視線だけをそちらへ向ける。
「……レオナルド殿」
視線の先には、いかにも育ちの良さそうな金髪の青年――先日、河原で俺とひと悶着あった次期村長ことレオナルドが立っていた。
整った顔には穏やかな笑みを浮かべ、姿勢も崩れていない。
もっとも、俺に向けられた眼差しだけは誤魔化せていなかった。
笑っているのは口元だけで、その奥には強い警戒と敵意が滲んでいる。
「別に用はない。ただぶつかっただけで――」
「探したよ、カレンさん。一人で歩き回っても退屈だったろう? 出かけるなら案内したのに」
……自分から質問しておいて。
俺の言葉など聞こえていないかのように、彼は真っ直ぐカレンへ歩み寄る。
「いえ、御多忙かと思いまして。私のことは放っておいて頂ければ結構です」
「そういう訳にはいかないな。僕は父上とシグルド殿から君のことを任されているんだ」
「……付き纏えとは言われてなかったと思いますが」
少女は露骨にそっけなかったが、それでもレオナルドは気にした様子もない。
「カレンさん。君はまだ、この村に来たばかりだ。だからこそ言っておくが――」
そんな会話の中で、彼は一瞬だけ俺へ視線を向けた。
「――彼のような人間とは距離を置いたほうがいい。他ならぬ、君自身のためにね」
随分とまあ、辛辣な言葉だった。
本人を目の前にして、ここまで堂々と言う奴も珍しい。
「お言葉ですが、それを決めるのは私です」
「……参ったな。あまり聞き分けの無いことを言わないでくれ」
彼は困ったように笑う。
「君はまだ十二歳だ。信用すべき人間を判断することは難しいだろう」
穏やかながらも、有無を言わせぬ口調だった。
少女は反論しかけた唇を閉じ、諦めたように小さく息を吐く。
「……はあ、分かりました」
「良し。さあ、帰ろう」
レオナルドは満足げに微笑み、当然のように手を差し伸べる。
しかし、その手はやんわりと払い除けられた。
「独りで歩けます」
彼は一瞬だけ困ったように笑い、それ以上は強引に触れようとはしなかった。
カレンは二、三歩だけ歩き、不意に足を止める。
そして振り返り、真っ直ぐ俺を見た。
「また会おう、オズリック」
それだけ言い残し、彼女は今度こそ歩き出した。
レオナルドも慌ててその後を追い、二人の姿はやがて人混みの向こうへ消えていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
「……なんだあれ」
思わず困惑の言葉が口をついて出る。
結局、彼女の名前以外は何も分からず仕舞いである。
いや、まあ、見るからに面倒臭い立場にありそうな余所者の少女にわざわざ関わりたいとは思わないし、左程の興味もあるわけではないのだが……。
「……帰ろう」
どうにも釈然としない思いを振り切るように、俺は再び帰路に就いた。
また会おう、とは言われたが。
彼女について知ることに大きな意味があるとも思えない。
俺はそう結論付け、どこか高貴な少女の記憶を脳内から追い出すことを試み――
――しかし、失敗した。
この邂逅から、僅か数日後。
彼女が村学校の年少組に編入してきたことによって。
モーラトリアの村学校は、年少組と年長組に分かれている。
十歳前後で年少組へ入学し、二年間の修学を経て年長組へ進む。
当然ながら、都会の学校のように毎日机に向かうわけではない。授業は週に二度ほどで、読み書きや算術、史学といった一般教養を軽くさらう程度だ。
その後は年長組で更に二年間。
授業に護身術などが加わるものの、授業の頻度は年少組と大差なく、農繁期ともなれば学校より家の修行や手伝いが優先されることも多い。
卒業すれば、多くの者はそのまま家業を継ぐ。
畑や仕事を継ぐ当てのない次男坊や三男坊は、職を求めて近隣の町や都市へ出ていく。この辺りでは、それが普通の人生である。
つまり、何が言いたいのかというと――特別な事情がない限り、村の少年少女はみな村学校に通うということだ。
村に新しく移り住んできた世帯に子供がいたのなら、その年齢に応じた組へ編入する。それは当たり前のことであり、至極自然なことだった。
――しかしながら。
「カレンだ。カレン=シュワルツシルト」
芋臭い田舎の村学校において、その少女はあまりにも場違いな存在に見えた。
艶めいた暗色の髪に
その堂々とした立ち姿には妙な威厳すら纏っており、教室は見知らぬ貴族でも迎え入れたかのようにしんと静まり返っていた。
「父に伴ってこの村へ越してきた。以後よろしく」
誰かと目が合っても怯むことなく、かといって威圧するでもない。
ただ一人ひとりの顔を確かめるように視線を巡らせ――最後に、その目が俺のところで止まった。
そして、ほんの一瞬。
口角を僅かに吊り上げた、気がした。
「……ごほん」
老教師が、少しばかり戸惑ったように咳払いをする。
「カレン君の父君は、非常に高名な七星騎士団の団長だったお方じゃ。彼がこの村に入居なさったことは、儂も噂に聞いておったが……いやはや」
騎士団長――先日、この教室でも話題に上がった人か。
彼女がレオナルドと交流があった理由もこれで分かった。
要するに、有力者の子息・息女同士の繋がりというやつなのだろう。
「よもや、そのご息女を教えることになるとはの。人生、何があるか分からんものじゃ」
「先生」
カレンが静かに口を挟んだ。
「父は父です。私のことは、他の皆さんと同じように扱ってくだされば」
「……そうか、うむ。あい分かった」
教師は一瞬だけ目を丸くし、それから感心したように息を吐く。
着席を促されると、カレンは何事もなかったように空いている席へ腰を下ろした。
「では、早速授業を始めるとするかの。折角じゃから、今日は"騎士団"に関する話をしようか」
教師が入れ替わりで教壇へ戻り、仕切り直すように教本を開く。
「知っての通り、我らが王国は中央政府直属の七つの騎士団――"七星騎士団"によって防衛および治安維持が為されておる。先の魔女戦争での活躍も言うに及ばんな。その創設は帝政崩壊時の"誓約戦争"まで遡り……」
それからは、聞き飽きた退屈な歴史の話が続いた。
俺はそれを適当に流しながら、ちらりとカレンの方に視線を移す。
すると、彼女の近くに座っていた少女が、ちょいちょいとカレンの袖を引くのが見えた。
「……ね、元騎士団長様の娘って本当?」
「ああ。誇りある"鉄血"の騎士シグルドは私の父だ。心から尊敬している」
「すっご……ちょっと引け目感じちゃうかも」
「先ほども言ったが、父は父だ。私には気安く接してくれると助かる」
目を丸くする少女に、カレンは小声ながらも凛とした態度で言った。
そんな一幕を見て、俺の隣席に座っていたフロックスとアスターが揃って溜め息を吐く。
「はー……やんごとない血筋のお嬢さまだってよ」
「うむ。あの容姿に加えて、罷り間違って付き合えれば逆玉の輿かあ。またとんでもないのが来たもんだ」
とりあえず、俺を挟んでどうでもいい話を盛り上げるのは止めて欲しいところだった。
否。それだけに留まらず、やがてアスターが俺の肩を小突く。
「オズ、お前はどう思う?」
「どうでもいい」
俺のつれない返答に、二人は顔を見合わせた。
「なんだこいつ、スカしやがって」
「そういうのが一番ダサいぞ」
「……本当にうるさいお前ら」
教壇では未だに、騎士団の歴史についての講義が続いている。
そちらへ視線を戻しながら、この二人のお調子者を黙らせるにはどうすればいいのか、割と真剣に考え始める俺だった。
カレン=シュワルツシルトの編入から、はや一か月。
端的に言って、彼女はすぐ年少組に馴染んだ。
――否。馴染むどころの話ではなかった。
可憐な容姿に、気品のある佇まい。
史学や算術の授業では当然のように首位を取り、時には教師すら舌を巻くほどの知識を披露する。他の何をやらせても、飛び抜けて彼女は優秀だった。
さらには――
「――来い」
村の広場で定期的に開かれる
大掛かりな催しというわけではない。
血の気の多い年少の男子たちが勝手に始める、いわば腕試しの大会。
観戦者たちが好き勝手に声援を飛ばす騒がしい輪の中央で――カレンは、平然と木剣を構えていた。
「おらぁっ!」
相対するフロックスが大きく踏み込み、木剣を振り下ろす。
しかし、カレンは僅かに身を引いてそれを躱し、すれ違いざまに一閃。
どさり、と尻餅をつく音がした。
「……くっそ、また負けた! 次は勝つからな!」
「ああ。何度でも相手をしよう」
息を少し弾ませながらも、カレンは涼しい顔で木剣を下ろす。
これで、何度目の勝利になるのか――カレンは編入以来、未だ無敗だった。
流石は元騎士団長の娘というべきか。年少組でもっとも恵まれた体躯を持つフロックスですら、彼女の剣術に手も足も出ないらしい。
それどころか、勝負にすらなっていないように見えた。
「すげえなカレンさん! また勝ったぞ!」
「フロックス相手にあんなあっさり……」
周囲からは驚嘆の声が上がる。
その凛とした姿に男子たちはすっかり魅了され、女子たちもまた憧れの眼差しを向けていた。
俺はそれを後目に、尻餅をついたフロックスのもとへ歩み寄る。
「お疲れ、フロックス。惜しかったな」
「よせよ。完敗だ」
差し出した手を掴み、フロックスが立ち上がった。
「おー、痛え。これが女の力かよ……オズ、お前が喧嘩する時みてえに、カレンも魔法で自分の力を強くしてんじゃねえかな」
「……いや」
俺は先ほどの試合を思い返し、即座に否定した。
魔力の運用による身体強化は、厳密には"魔法"に分類されない――などという野暮にも程がある突っ込みを飲み込んで、端的に説明を加える。
「残念ながら、魔力を運用している気配は無かった。純粋な剣術と身体能力だろう」
「……へこむぜ」
フロックスが露骨に肩を落とした。
ここで素直に落ち込めるところが、彼の美徳なのかもしれない――
「――オズリック」
などと考えていると、不意に背後から名前を呼ばれた。
振り向けば、いつの間にかカレンがこちらを見ている。
その顔は、先ほどまで木剣を振るっていたとは思えないほど涼しげだった。
「君は
僅かに首を傾げて問う彼女に、俺は淡々と答える。
「ああ。俺はいつも参加してない」
「何故だ。見たところ、年少組の男子は大半が参加しているようだが――」
「周りがやっているからといって、俺まで倣う理由はないな」
俺がこの場にいるのも、
彼に自分の試合を見に来るよう誘われなかったら、今ごろ家で読書に勤しんでいるところだ。
もっとも、不参加を貫く理由がないわけではない。
俺の知る限り、この村で魔力の運用が出来るのは俺とレオナルドのみ。
故に身体強化を用いれば早々負けることはないだろうが、周りが使えない中で俺だけ使うというのも公平性に欠ける。かといって、使わずに負けてやるのも面白くない。
要するに、どう転んでも俺に都合が悪いのだった。
「諦めろ、カレン。オズはこういう奴だ」
「……」
どこか呆れた口調でフォロー(?)するフロックスに、しかしカレンは何も言わなかった。
やがて、優勝した彼女のもとへ次々と人が集まってくる。
勝敗の話をする者、試合を申し込む者、ただ彼女と話したいだけの者――編入から僅か一か月で、カレン=シュワルツシルトは年少組の中心人物として定着していた。
――もっとも。
俺にとっては所詮、優秀な級友が一人増えただけの話でしかない。
彼女にどれだけ求心力があろうが、村の
そう思っていたからこそ、
「オズリック」
大会が終わり、皆が三々五々に散り始めた頃。
人混みの中で耳打ちするように、彼女は再び話しかけて来た。
「二人きりで話がしたい。一時間後に村外れの見晴らし台へ来てくれ」
周囲には聞こえないほどの声量。
それだけ告げると、カレンは何事もなかったように歩き去っていく。
やがて人波へ紛れて、その姿は見えなくなった。
村を一望できる、村外れの見晴らし台。
眼下には村の家々が並び、その向こうには草原がどこまでも広がっている。
雲一つない青空から降り注ぐ陽光が、草原を鮮やかな緑に染めていた。昼下がりの風が丘をゆっくりと吹き抜け、草の匂いを運んでくる。
「よく来たな、オズリック」
そんな景色を背に、カレンは一人、俺を待っていた。
風に揺れる暗色の髪。その隙間から、二つの紅玉がこちらを覗く。
「……俺に関わると、王子様に怒られるぞ」
「問題ない。来てくれて嬉しい」
俺の言葉に、彼女はにこりと笑った。
……割と直球の皮肉だったのだが。
予想外の素直な表情に、一瞬だけ心臓が跳ねる。
「用件は何だ」
胸の内に生じた妙な動揺を誤魔化すように、俺は単刀直入に尋ねた。
カレンは少しだけ考えるように視線を逸らすと、やがて静かな声で語り始める。
「この村に来てから――正確には、あの日に君とぶつかってから、か。こうして話す機会を持ちたいとずっと思っていた」
「何故」
問いかけると、カレンは俺に向き直る。
「――君は、魔法が使えるんだろう」
少女の声が僅かに低くなった。
紅玉の瞳が、こちらを真っ直ぐに見据えている。
――そこで、俺は彼女の腰に剣が吊るされていることに気付いた。
護身用、だろうか。
木剣ではなく、しっかりとした
騎士は両刃の剣を好むと聞くが、この辺りでは安価で扱いも簡単な片刃がよく使われる。この村で暮らす以上、土地の流儀に合わせているのかもしれない。
「自分でそう言っていたし、周囲の認識も同じだ。私はまだ君が魔法を使うところを見ていないが、少なくとも見栄や下らない嘘ではないらしい」
事実を一つずつ並べるような、淡々とした声色。
「そして、気になった」
「……何がだ」
「君が、どれほどの力を持っているのか」
単なる好奇心の発露にしては、妙に真剣な雰囲気だった。
「師に付かずとも自然に芽吹くほどの才能を持つ者なのか、競争相手のいない辺境の村における井の中の蛙に過ぎないのか……」
その言葉に、俺は僅かに眉を上げる。
大して話したこともないだろうに、随分な口の利きようだ。
わざわざこんな場所まで呼び出して、したかった話がこれなのか。
だとしたら、暇な奴である。
「……さあな。どちらだとしても、わざわざ確かめる理由もないだろ」
「いや」
また一段と、少女の声が低くなる。
「私には――
――しゃらん、という金属音がした。
見れば、カレンは腰の剣を抜き。
「な……!?」
そのまま、俺に向かって振り抜いていた。
反射的に腕を上げる。
刃が届く寸前、手元に渾身の魔力を纏わせ――
「……っ」
手のひらで、刀身を掴み受ける。
重い衝撃と同時に、掌から鈍い痛みが広がった。
切られてはいない。
それは、俺が咄嗟に魔力を纏って防御したという理由以上に。
「――案ずるな、峰打ちだ」
彼女が、最初から斬るつもりが無かったから。
改めて刃を見れば、直刀の刃が逆側を向いている。
つまるところ、試されたのだ。
攻撃自体が目的なのではなく、俺がどう反応するかを確かめるための行動だった。
現に――掌に纏わせた魔力を見て、カレンの口元が僅かに吊り上がっているのが見えた。
「……お前」
彼女はふっと息を吐くと、握っていた剣から手を離した。
支えを失った直刀が、からん、と乾いた音を立てて地面へ落ちる。
終わったのか――そう思ったのも束の間。
「――ぐっ……!?」
次の瞬間には、懐へ潜り込まれていた。
肘が脇腹へめり込む。
鈍い衝撃が身体の芯まで響き、予想外の一撃に俺は数歩後ろへ退いた。足元を踏み直し、どうにか転倒だけは免れる。
痛みを堪えながら、俺はとんでもない暴挙に及んだ少女を睨みつけた。
「お前、正気か」
「いたってまともだ」
悪びれる様子もなく、カレンはそう答えた。
その両手からは、半透明の
見紛うはずもなく、それは俺も良く知っている
「……魔力、か」
「ああ、
当然のように答え、彼女は拳を握る。
「続けるぞ。怪我をしたくなければ、せいぜい全力を出すがいい」
そう言って、カレンが再び踏み込んできた。
……魔力による身体強化。
魔道の分野において、それは決して高度な技術ではないが――
「っ――!」
咄嗟に身を捻る。
直後、眼前を拳が掠めた。
――速い。
当然だった。
目の前にいるのは――村の年少たちによる半ばお遊びの大会に過ぎないとはいえ――純粋な剣術と身体能力だけで
「どうしたッ? そんなものか!」
反撃する暇などあるはずもなく、気付けば完全に追い込まれていた。
背中に木の柵が当たる。
逃げ場がないなか、カレンがもう一歩、距離を詰めた。
「……この程度か」
少女が、僅かに眉を下げる。
そこに浮かんだのは勝利の喜びではなく、期待していたものを得られなかったような、どこか落胆した表情だった。
そして、
「ああ、お前がな――
「! な――」
その隙を、俺は突いた。
溜め込んでいた魔力が一気に爆ぜ、カレンの瞳が驚愕に見開く。
至近距離から放たれた衝撃波が、彼女の身体を真正面から吹き飛ばした。
「……は、ざまあみろ」
我ながら安っぽい捨て台詞とともに、俺はゆっくりと構えを解いた。
足の力が抜け、後ろの柵に背を預けて座り込む。
前方では、少女の身体が未だ宙を舞っている。
数歩分の距離を飛ばされながらも空中で身を翻し、両足でしっかりと着地してみせた。
やがて、カレンがゆっくりと顔を上げる。
「……ふ」
その口元に、にやりと笑みが浮かんでいた。
まるで、ようやく欲しかった答えを得たかのような表情。
「何が可笑しい」
「ああ、いや。すまないな」
カレンはそう言うと、両手に纏わせていた魔力をゆっくりと解いていく。
全く話が読めないが……どうやら、もう戦うつもりはないらしい。
「合格だ」
「……は?」
唐突な一言に、思考が止まる。
「君の力は理解した。だから、合格だ」
……疑問点が多すぎて、何から聞けばいいかも分からない。
カレンはそんな俺の困惑など意に介さず、こちらへ歩み寄ってくる。
「――オズリック。君に夢はあるか」
投げ掛けられたのは、またしても唐突な問いだった。
「……ねえよ」
「そうか」
残念そうでも、失望したようでもなかった。
ただ、当たり前のことを確認したような声色で、カレンは草原の向こうへ視線を向ける。
「私にはある。誰にも成し遂げられなかったことを成し遂げ、世界の総てから認められ、求められる存在になること――」
それは、十二歳の少女が言うにはあまりにも大きな言葉だった。
「――人は、それを"英雄"と呼ぶ」
草原を渡る風が、二人の間を吹き抜ける。
大言壮語も甚だしい。
ここまで行くと笑う気すら起こらず、俺はただ呆気に取られてその凛とした横顔を眺めていた。
「……英雄」
「ああ。それが、私の目指すもの。私の夢だ」
そのまま、彼女は地面に座り込んでいる俺に歩み寄る。
差し出されたのは、白く細長い手。
俺はその手と、目の前に立つ少女を交互に見上げた。
「私のものになれ、オズリック。その才能、私が役立ててやる」
真っ直ぐな視線が俺を射抜いた。
己の輝かしい未来に何ら疑問を抱いていない、強い光を湛えた瞳だった。
――後になって振り返れば、やはり
当然ながら、その場にいた俺はそんなことを知る由も無く。
随分と大きなことを言う奴がいるものだと、ほとほと呆れ返っていたと言ってもいい。
カレン=シュワルツシルト。
嵐、あるいは霹靂のような少女との出逢いによって、俺の運命は大きく変わることとなる――
――のだが、それは一旦脇に置いて。
「……
「えっ」
詠唱を終えた瞬間、俺の掌から魔力が弾けた。
完全に不意を突かれた彼女の身体は再び宙を舞い――今度こそ、受け身を取り損ねる。
「わっ――!?」
そして、落ちた場所も悪かったらしい。
地面に残っていた泥濘へ、そのまま突っ込む。べしゃりと、泥が盛大に飛び散った。
「……フゥ」
俺は小さく息を吐きながら、独りで悠々と立ち上がる。
対するカレンは、泥まみれになって地面に座り込んでいた。
「な、な……!?」
紅玉の瞳が、信じられないものを見るように見開かれている。
だが、信じられないのは俺の方である。
ここまで――
「――ここまで、舐めた態度を取って来た奴は初めてだ」
ラッドやレオナルドの比では無い。
控えめに言っても、俺は怒り心頭だった。
「お前の言動を纏めようか。急に俺に襲い掛かり、何やら偉そうに採点し、興味のない話をうだうだと続けた挙句……自分のものになれとほざき始めた」
改めて口にすると、これは酷い。
これだけやりたい放題やっておいて、どうして相手を怒らせないと思えるのか。
「随分と回りくどいことをする奴だ。
「ま、待てっ! 私は……」
カレンが何か言い返そうとするが、その途中でぴたりと動きを止めた。
「……ぁ」
彼女らしからぬ、妙にか細い声。
続いて、その視線が自分の身体へ落ちる。
そして何かに気付いたように、慌てて胸元を腕で押さえた。
カレンが
「わ、悪いが今日はもう都合が悪い。改めて後日――」
「駄目だね」
その姿勢のまま後ずさる少女の腕を掴み、無理やり立たせる。
「あっ……!」
「ここからが本当の喧嘩だ。上から目線で試してきたことを後悔させ……て……」
そこで、俺もようやく
つまるところ……その、吹き飛んでしまったらしい。
先ほどの
「…………」
留め具を失った布地は、何の抵抗もなく少女の胸元を開き――決して大きいとは言えない、しかし目を奪うには十分すぎる谷間が露わになっている。
カレンは顔を真っ赤に染め、紅玉の瞳を落ち着きなく揺らしていた。
「分かった……その、君が怒っているのは分かったから……」
涙ぐんだ瞳が、恐る恐るこちらを見上げる。
そこには、先ほどまでの強気な光など欠片も残っていない。
「せめて、着替えてきてもいいだろうか……?」
「…………いいよ」
ようやく絞り出したのは、なんとも間の抜けた一言。
先ほどまでの殺伐とした空気は跡形もなく消え失せ――それからお互いに息を整えるまで、しばらくの時間を要したのは単なる余禄に他ならなかった。