死霊術師でも英雄になれますか?   作:久川 晶 (旧:パリスタパリス)

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少し長くなってしまったので分割投稿。
本話がその一話目になります。


第五話『英雄譚のはじまり・伍』

「早速だが、お前には俺たちの隠れ家に来て貰う」

 

 ピーターはそう言って、俺に突き付けていた刃物をそっと離した。

 

 俺(・)た(・)ち(・)。

 つまり、単独犯ではないということか。人間を二人も攫おうとする以上、一人で動いているとは思っていなかったが、いずれにせよ――

 

「俺が大人しく従うとでも?」

「ああ。育ての親の命が惜しくないなら好きにしろ」

「……」

 

 飄々と宣う男を睨み付ける。

 

 ……現状、相手の人数も、目的も、"隠れ家"とやらの場所も分かっていない。

 エマさんの行方が知れない以上、中途半端な抵抗はするべきではない、か。

 

「分かった。ただし、もしもエマさんを傷つけたら……」

 

 言いつつ、机の上の食器に手を翳す。

 体内を巡る魔力を腕へと集め、さらに掌へ。膨れ上がった力を一点に束ねる。

 

――波動掌(ブロー・フォース)。

 

 集めた魔力が、衝撃波となって解き放たれた。

 食器は机ごと吹き飛ばされ、勢いのままに壁へと叩きつけられる。陶器が砕け、破片が床へ散らばった。

 

 俺はその光景を一瞥し、ゆっくりと手を下ろす。

 

「お前はこうなる」

「そうかい。威勢のいいこって」

 

 たった一度の魔法で見る影もなく荒れた部屋の中、ピーターは俺の脅し――に、見(・)せ(・)か(・)け(・)た(・)行(・)為(・)を意にも介さず話を続けた。

 

「安心しろ、悪いようにはしねえよ。俺はお前を仲間にするために来たんだからな」

「……仲間、ね」

 

 脅しておいて、よく言うものだ。

 

 そもそも、俺はこの男のことなど何も知らない。

 自らを行商人と偽り、ただ一方的に実母のことを知っていて、育ての母を攫ったという変質者。それ以上でもそれ以下でもなく、欠片ほども信用に値しない。

 

 警戒を緩めない俺を見て、ピーターは小さく溜め息を吐く。

 そして、懐から小瓶を一つ取り出した。

 

「飲め」

「……これは?」

 

 差し出された小瓶を受け取る。

 硝子越しに見えるのは、どろりとした深い藍色の液体。

 

「うちの錬金術師が調合した睡眠薬だ。道中で何かされても面倒なんでな、俺たちの隠れ家に着くまで眠っててもらう」

 

 薬の正体が本当に睡眠薬なのか、俺に確かめる術はない。

 毒かもしれない。そんな疑念が頭を過ぎるが、そもそも俺に選択肢は無かった。

 

「――」

 

 暫し逡巡したあと、俺は一息に薬を飲み干す。

 

「おお、随分と思い切りがいいな。警戒とかしねえのか?」

「しても無駄だろ――丁重に運べよ、クソ野郎」

 

 捨て台詞を吐いた直後、凄まじい眠気が襲ってきた。

 身体から力が抜け、視界が急速に霞んでいく。

 

「……はッ。やっぱりお前は、大したガキだよ」

 

 膝から頽れるとほぼ同時に、俺の意識は闇へと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――この子が? 確かか、ピーター」

 

 そんな会話が耳に入り、意識がゆっくりと浮上する。

 

「俺を信じろ。間違いなくあ(・)れ(・)の息子だよ」

 

 俺は目を開けかけて、思いとどまった。

 

 ……現在、俺はピーターの肩に俵の如く担がれているようだ。

 周囲の様子を確かめたい気持ちもあるが、まだ気絶していると思わせていた方が色々な話を聞けるかもしれない。

 

 俺は目を閉じたまま、まずは会話に耳を澄ませることにした。

 

「まさか、情報が本当だったとはな……」

「雌伏の時は長かったが……この子さえいれば、ようやく活路が開けるやもしれん」

「腐り切った貴族どもに、必ずや復讐を果たしてやる!」

 

 物騒な言葉が次々と飛び交う。

 声は一つや二つではない。少なくとも、ピーター以外に何人もの人間がこの場にいるようだった。

 

 欠片ほども嬉しくないが、随分と歓迎されているらしい。

 

「それだけじゃねえさ」

 

 ピーターの声が、彼らのざわめきを遮った。

 

「どうやら魔法の才能があることも確認済みだ。それも魔女様からの遺伝だとすれば……"魔種隷属"か、或いは似たような才能もあるかもな」

「おお……!」

 

 たちまち、期待に満ちた声が上がる。

 

 ……魔女様。魔種隷属。

 文脈からして"厄災の魔女"と、彼女が行使したという"魔獣を操る魔法"のことだろう。

 

「……」

 

 先ほど――俺がどれくらい眠っていたのかは分からないが、少なくとも俺にとってはついさっきのことだ――ピーターは"厄災の魔女"こそが俺の母親なのだと告げた。

 そして、ここにいる者たちも皆、その前提を共有しているように聞こえる。

 

 本当、なのだろうか。

 大陸全土を戦禍に陥れた悪しき魔女の血を、俺が……?

 

 いや、それよりも。

 だとしたら、エマさんは――

 

「で、サンドリオン殿はどこだ?」

「いつも通りだ。まだ地(・)下(・)で寝ている」

「ま、そりゃそうか……腹ァ空かせてなきゃいいけどなあ……」

 

 考え込んでいるうちに、彼らの会話は先へ進んでいた。

 ……少なくとも、非生産的な思考に埋没している場合ではない、か。今は目の前の状況を把握し、少しでも多くの情報を集めるべきだろう。

 

 ピーターは肩を竦め、俺を担いだまま何処かを目指すように他の連中から離れていく。

 どうやら、また一人きり……もとい、二人きりになったらしい。

 

「――さて。おはよう、オズリック」

「!」

 

 不意に名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。

 

 ……気付かれていたのか?

 いや、まだ決まったわけではない。ここは下手に反応せず、しらを切り通すのが得策だ。

 

 そう判断し、俺はぴくりとも動かずに沈黙を貫いた。

 

「とぼけても無駄だぜ。本当に意識の無い人間は唾を呑み込まねーのよ」

 

 舌打ちをする。

 意識のない人間を担いで歩いている最中に、呼吸や身体の反応を気に留めないはずもないか。俺が目を覚ましている可能性くらい、とうに考慮していたのだろう。

 

 だとすれば、今さら寝たふりを続けたところで意味はない。

 俺は観念して、ゆっくりと目を開けた。

 

 ついでに周囲へ視線を巡らせると、そこは森の中にひっそりと佇む、古びた砦のような場所。

 かつては何らかの軍事拠点として使われていたのかもしれないが、今となっては見る影もなく、放棄されてから相応の年月が経っているように見えた。

 

 日差しの角度を見る限り、気を失ってからそれほど時間は経っていない。村からの距離もそこまで遠くはないのだろう。せいぜい歩いて数時間の場所に、こんな砦があるとは知らなかったが。

 

「さっきの会話は聞いてたな。俺たちがどういった集団なのか、そろそろ予想がつくんじゃないか?」

 

 俺の様子を窺いながら、ピーターが問いかけてきた。

 先ほどの会話を振り返れば、彼らの素性も確かに類推可能である。

 

「……"厄災の魔女"の、残党軍ってところか?」

「及第点だな。魔女が敗れた後、その手勢は有力者や思想を同じくする連中を中心に、いくつもの集団へ分かれていった。俺たちはその一つ――まあ、残党の一(・)派(・)ってわけだ」

 

 かなり惜しいと思うのだが、これで及第点は随分と厳しい評価だった。

 

 とはいえ、大筋はやはりそういうことか。

 厄災の魔女の配下が戦後も生き残り、水面下で暗躍しているというのは世間的にも知られた話だ。というか、他ならぬこの男自身も以前そのようなことを話していた。

 今思えば、こうなることを見越した予(・)習(・)のつもりだったのか。ふざけた男だ。

 

「エマさんは――」

「俺たちの仲間だ(・)っ(・)た(・)女さ」

「有り得ない」

 

 思わず否定の言葉が口をついて出た。

 

 俺の知る彼女は、魔法も武術も得意ではない。

 ごく普通の明るく善良な女性であり、戦争に身を投じるような人間ではないのだ。

 

「そう言いたくなる気持ちも分かるぜ。実際、エマの奴は魔法も武術もダメダメでな。兵士としては使えたもんじゃなかった」

 

 ピーターは肩を竦めたものの、その声にはどこか懐かしむような響きが混じっていた。

 

「だが、魔女様――お前の母親とは随分と仲が良くてな。彼女の付き人兼、赤ん坊だったお前の養育係を任されてたんだ」

 

 それは、かつて共に過ごした日々を思い返しているかのような口ぶりで。

 

「それで……戦争が激化した頃、お前を抱えて姿を消した。沢山悪いこともした癖に、今さらまともに生きれるとでも思ってたのかねえ……」

 

 皮肉交じりの言葉で締めた彼に、俺は返す言葉を見つけられなかった。

 

 エマさんについて何かを言い返したところで、この場に彼女がいない以上は埒が明かない。そんな言い訳で心に蓋をして、しばらく俺は口を閉ざした。

 母親の件にしろ、もう一人の母親の件にしろ――次々と突きつけられる内容に、俺自身が思っていた以上に参っているのかもしれない。

 

 何も、話す気にならなかった。

 

 やがて連れてこられたのは、砦の隅。

 鳥籠を思わせる円柱状の牢が幾つか置かれた一室。

 

「悪いが、しばらくここに入っていて貰う」

 

 ピーターは並んだ牢の一つに俺を押し込み、外から鍵をかけた。

 牢に入れられたのは生まれて初めての経験だ。当然ながら、あまり気分のいいものではなかった。

 

「……しばらくって、いつまでだ」

「サンドリオン殿――俺たちの指導者(リーダー)が起きて来るまでだ。もうじき夕方だから……ま、そこまで遅くはならねえと思うぜ」

 

 『夕方だから、もうじき起きて来る』というのも奇妙な話だ。

 かなり高い立場にある人間らしいが、寝ずの番でもするつもりなのか。それとも、こんな森の奥深くにある砦で昼夜の感覚まで狂ってしまったのか。

 

「怒らせるなよ? 奴はかつて"鬼の参謀"と呼ばれた男……軍勢の、実質的な二番手だった老人だ」

 

 

 

 

 

 

 

「君が、魔女の倅殿(せがれどの)か……くく、なるほどな。確かに面影がある」

 

 そ(・)の(・)老(・)人(・)が牢の前に現れたのは、窓から差し込む光が橙から青へと変わり、しばらく経ってからのことだった。

 

「こんばんわ、倅殿。どうか、手荒な方法になったのは許して欲しい」

 

 意外にも、彼は老紳士然とした上品な身なりだった。

 頭部はすっかり禿げ上がっているものの、表情にも服装にも隙がない。腰には使い込まれた剣を佩き、年齢を感じさせないほど背筋をまっすぐに伸ばしている。

 

 そして、恐らくは彼こそが――

 

「自己紹介が遅れたな。私はサンドリオン……かつて、君の母君から軍勢の参謀役を任されていた者だ」

 

 サンドリオンと名乗った老人は、鉄格子の向こうで穏やかな笑みを浮かべていた。

 当然ながら、この状況に相応しい表情ではない。俺はこの男が率いる連中に無理やり連れ去られ、こうして牢に閉じ込められているのだから。

 

「……なぜ、俺を浚った」

「君が魔女の息子だから……という理由では、不足かね?」

 

 それで足りると思うのか。

 涼し気にこちらを見下ろす老人を、牢の中から睨み付ける。彼の眼は、どこか人を試すような光を湛えていた。

 

「仮に俺が魔女の息子だったとしても、それだけで浚う理由にはならない」

 

 魔女は既に死んでいるし、終戦から十年以上も経っているのだ。

 俺の中では俺と魔女の血縁関係すら未だ確定情報ではないということに目を瞑っても、今さら"魔女の息子"の身柄がそこまで重要とも思えなかった。

 

「よしんば浚う理由があったとしても、なぜ今(・)なのかが分からない。俺はずっと村で生活していたんだから、幾らでも機会はあった筈だ」

 

 母親の正体が理由なら、もっと早く接触することも出来ただろう。

 モーラトリアの村は都市部のような外壁に囲まれているわけではないし、騎士や衛兵が常駐して警察活動を行っているわけでもない。

 いるのは村人で構成された自警団くらいだ。自警団の手に負えない問題が起きれば近隣都市から衛兵が、それでも対処できなければ王都から騎士団が出張ってくるものの、上位の組織に救援を求めるほど対応には時間がかかる。

 

 多少の戦闘能力があるなら、子供一人を浚う程度は余裕だろう。

 

「ふ、なるほど。中々聡い子供らしい」

 

 サンドリオンの表情には、どこか喜色が浮かんでいた。

 こちらの問いを鬱陶しがるどころか、むしろ好ましく思っているらしい。気に入らない反応だった。

 

 俺は警戒を解かないまま、彼の次の言葉を待つ。

 やがて、ぽつりと老人は語り始めた。

 

「……魔女が討たれた時。我が陣営にとっての痛恨は"厄災の魔女"という戦力を喪ったことそのものではない。それよりも、統率の崩壊こそが致命的だった」

 

 言葉を切った老人の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。

 

「元より、我らが陣営は雑多の寄せ集めだったのだ。政府に恨みと不信を抱く騎士や兵士、盗賊紛いの傭兵団、下賤な亜人ども、極めつけには吸血鬼……粗野で惨めな爪弾き者たちを、圧倒的な力で纏め上げて見せたのが"厄災の魔女"――彼女が討たれれば、瓦解するのは当然の帰結といえる」

 

 何が可笑しいのか、老人はそこでくつくつと笑った。

 笑みが深まるにつれて、その眼差しには次第に冷ややかな色が差していく。

 

「王を喪い、内紛を伴う後継争いで自滅した国は枚挙に暇が無いが……それらの、二の轍を踏んでしまったわけだ」

 

 サンドリオンは自嘲するように一頻り肩を揺らした後、ふっと笑みを消す。

 それから剣の柄に指を添え――じっと、俺の顔を見据えた。

 

「次(・)の(・)戦(・)争(・)を(・)始(・)め(・)る(・)た(・)め(・)に(・)は(・)な(・)、必要なのだよ。新たに我々を取りまとめる、正当な"王子"の存在が」

 

 その眼差しには、底冷えするほど冷徹な意志が宿っていた。

 

 穏やかな物腰も、老紳士然とした佇まいも、その奥に潜む執念を覆い隠す薄皮にすぎなかったようだ。

 隠しきれない妄執を湛えた瞳に、俺は思わず息を呑み――

 

「――いらんな、そんなもの」

 

 その時。

 低く響いた声が、老人の話を遮る。

 

 声の方向に目を向けると、部屋の入口に一人の男が立っていた。

 

 シグルド=シュワルツシルト卿。

 あの好々爺然とした彼だと、俺は最初気付けなかった。

 衣服には生々しい返り血が飛び散らせ、手には血脂にまみれた抜き身の剣を携え、鬼の如く鋭い眼光でサンドリオンを射抜くその姿には、普段の柔和な面影など欠片もなかったからだ。

 

 なぜ彼がここにいるのか――そんな疑問は、抱いて直ぐに氷解した。

 考えるまでもなく、家での仕(・)込(・)み(・)が上手くいったのだろう。

 

「既に戦争は終わり、貴様たちは敗北した。未来ある若人を巻き込むのは辞めろ――サンドリオン」

「……やあ。久しいな、シグルド団長閣下」

 

 いや、元(・)であったか。

 いやらしい笑みと共に付け加え、サンドリオンは昏い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――数時間前。

 

「……遅い」

 

 君子蘭院への入学について、オズリックが母親(エマ)と話を付けに行ってから数十分後。

 完全に待ちぼうけをくらっていたカレンは、落ち着かない様子で何度も広場の辺りを周回していた。

 

「まったく。何をやっているんだ、あいつは……」

 

 いや、分かっている。

 これまで自分を育ててくれた母親と、これからの進路について話し合っているのだ。簡単に済む話ではないし、時間が掛かるのは当然だろう。

 

 頭ではそう理解しているのに、どうにもそわそわしてしまう。

 ふんと腕を組み、わざとらしく胸を張ってみせるものの、組んだ腕の指先は忙しない。

 

 その時、通りを歩く人影に銀髪が見えた気がして――

 

「っ! ……こほん」

 

 ぱっと顔を輝かせたのも束の間、見間違いだと分かると、誤魔化すように咳払いをする。

 端正な顔を赤く染め、誰も見ていないことを確認してから、再び何食わぬ顔を装いつつぐるぐると歩き始めた。

 

 ……ちなみに、この一連の行動を、カレンは既に四回も繰り返している。

 

(様子を見に行くべきか? いや、しかし……)

 

 親子の進路相談に他人が割って入るなど、些か配慮に欠ける行いではないだろうか。

 そもそも、見に行っている間にオズリックが戻ってきて、入れ違いになってしまったらどうするのか。

 

「むむむ……」

 

 カレンは真剣な顔で考え込んだまま、とうとう広場の出口を通り過ぎ――

 

(――来てしまった)

 

 気付けば、オズリックとエマが暮らす家の前まで来てしまっていた。

 しばし逡巡した末、誰に聞かせるでもなく小さく咳払いをする。

 

(そう、これは散歩のついでだ。待ちきれなくなったとか、心配でいても経っても居られなくなったわけでは決してない)

 

 自分に言い聞かせるように何度も頷き、どうにか平静を取り繕ったところで、カレンはふと違和感に気付いた。

 

 静かすぎる。

 話し合いが続いているなら多少なりとも声が聞こえてきてよさそうなものだが、家の中からは物音ひとつしない。

 

 疑問に思ったカレンは、そっと窓辺に近づいて中を覗き込み――目に飛び込んできた光景に、思わず息を呑んだ。

 

「な――!?」

 

 室内は、まるで乱痴騒ぎでも起きたように散らかっていた。

 椅子はひっくり返り、机は横倒しになり、その上にあったらしい小物や食器類も床のあちこちに散乱している。

 

 それは少し前、オズリックの放った波動掌(ブロー・フォース)によるものであることは、カレンには知る由もないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――金庫は持ち去られていないどころか、開けられてすらいない。少なくとも金品目当ての強盗ではないな」

 

 血相を変えたカレンに呼び出されたシグルドは、荒れた室内を見分しながら冷静に告げた。

 

「血痕もない。エマ殿とオズリックは、少なくともこの場で傷を付けられた訳では無いようだ。誘拐されたと見るべきだろう」

「……なぜ?」

「さて、な。わざわざ人間二人を攫う理由など多くは無いが――」

 

 そこで、シグルドはふと何かに思い当たったように口を噤む。

 

「――まさか、な」

「父上、何か心当たりが?」

 

 娘の問いかけに、彼はしばし沈黙した。

 やがて小さくかぶりを振ると、胸中に浮かんだ考えを打ち消すように口を開く。

 

「……いいや。仮定に仮定を重ねただけの、推理とも呼べん代物だよ。犯人の目的を考えるより、今は二人の足取りを追う方が先だ」

 

 そう告げると、シグルドは改めて室内を見渡した。

 胸中に浮かんだ疑念を口にするつもりはないらしい。カレンもそれ以上は追及せず、まずは二人を見つけ出すことに意識を切り替えた。

 

「追跡、できるのですか?」

「ああ――やはり、あの少年は機(・)転(・)が(・)効(・)く(・)」

 

 訝しげに尋ねるカレンに、シグルドは室内を見回しながら答える。

 視線の先には、倒れた家具や散乱した小物。彼は、その惨状に隠された意(・)図(・)を既に読み取っていた。

 

「オズリックは敢えて室内で魔法を使い、部屋を荒らしたのだろう。窓から一目見ただけで、何か異変が起きたと分かるように……恐らくは、お前が遠からず家まで様子を見に来ることを見越してな。そのお陰で、彼が連れ去られて間もないうちに、私がこの場へ駆けつけることができた」

 

 シグルドは微かに残された足跡へ視線を落とす。

 魔力による肉体強化は、膂力のみならず五感にも作用する。騎士としての訓練を積んだ者ならば、わずかな匂いや足跡を手掛かりに痕跡を辿ることも可能だった。

 

「――覚えておけ、カレン。感覚強化による追跡術は、騎士の基本技能の一つだ」

 

 もっとも、この村で生まれ育ったオズリックに騎士団の追跡術など知る由もない。

 彼が期待していたのは、せいぜいカレンかシグルドに異変を知らせ、少しでも早く自警団や領主軍による捜索が始まることだった。

 

「カレン、お前は……」

「行きます」

「……莫迦者。まだ何も言っておらんわ」

 

 即答した娘に、シグルドは深々と溜め息をつく。

 しかし、彼からすれば予想通りの言葉ではあった。他ならぬ自分(シグルド)と妻(エリサ)の娘が、ここで引き下がる選択など取れる筈も無い。

 

「いいだろう、共に参れ――ただし、無茶はするなよ」

 

 念を押すシグルドに、カレンは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……外の仲間たちはどうした?」

「斬った」

「左様か。まあ、そうだろうな」

 

 この期に及んでも不敵に笑うサンドリオンに、突如として現れたシグルド卿は目を細める。

 一方の俺は――その余りにも淡々としたやり取りに、背筋が冷えるのを感じた。

 

 ……斬(・)っ(・)た(・)、とは。

 つまり、殺したということか。

 

 外の仲間というのが、どの程度の人数か俺は知らない。

 先ほどピーターと話していた連中の何人かを斬ったのか、それとも全員を――そもそも、あのピーターも殺したのだろうか。

 シグルド卿の剣にまとわりつく血は、ともすれば彼のものかもしれない。そんな事態で、当の老人たちはそれが然も当然であるかのように言葉を交わしている。

 

――これが、戦争の第一線で戦ってきた者たちの会話なのか。

 

「シグルド=シュワルツシルト。かつては"鉄血"の騎士団長と呼ばれ、騎士団の内外において随分と尊敬を集めたようだ。護国の剣を掲げ、英雄アレスと共に数多の戦場を駆け抜けたというが……」

 

 サンドリオンの芝居がかった口調には、隠しようも無いほどの皮肉が滲んでいた。

 

「結局のところ、腐りきった政府の走狗に甘んじているに過ぎん――恥を知れ。貴様も、アレスも」

 

 吐き捨てると同時に、彼は腰に佩いていた剣を抜き放った。

 月明かりを受けた刃が鈍く光り、その切っ先がまっすぐシグルド卿へと向けられる。

 

「政府の腐敗は否定せん」

 

 剣先を向けられてなお、元騎士団長は眉ひとつ動かさなかった。

 

「だが、それを正すために戦禍を招き、民が血を流すことを良しとするなら――私は貴様らを否定する。それだけだ」

「……ふふ。聞き飽きた、体制側の理屈だな」

 

 力強く自らを見据える彼を、しかしサンドリオンは鼻で笑う。

 

「いつもいつも、恵まれた者ほど綺麗ごとを宣う。恵まれぬ者にとって、それがどれほど空虚で狡猾に響くことか」

「……」

 

 シグルド卿は、反論しない。

 返す言葉がないのか、それともこれ以上の議論に価値を見出していないのか、俺には分からなかった。

 

「さて、恨み言はここまでとしよう。意味を成さぬ対話は端から無用――建設的に、殺し合おうではないか」

 

 サンドリオンは、まるで世間話でも切り上げるような調子で告げた。

 彼は剣を手にしたまま身を翻すと、しかしシグルド卿が入ってきたのとは別の入口へ向かって歩き出す。

 

「どこへ行く」

「場所を変える。お互い、倅(・)殿(・)が巻き添えとなるのは本意ではなかろう?」

「……いいだろう」

 

 そう答えたシグルド卿は、去り際にこちらを振り返った。

 

「少し待っていろ。すぐに出してやる」

 

 それだけ言い残し、シグルド卿はサンドリオンの後を追う。

 やがて二人の姿が通路の奥へ消えると、室内に再び静寂が戻った――

 

「――無事か、オズリック」

 

 と、思ったのも束の間。

 不意に、入口の向こうから聞き覚えのある少女の声が響いた。

 

 数秒遅れて、入口からひょこりと覗く暗色の髪。

 声の主(カレン)はすぐには入ってこず、今一度室内を見回して誰もいないことを確かめると、ようやく安心したようにこちらへ駆け寄ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「牢の鍵は……これか」

 

 カレンは部屋の壁に掛けられた鍵束を見つけると、すぐさま手に取った。

 いくつか鍵を試した末に錠が外れる。ようやく解放された俺が牢から出ると、彼女は俺に近づき、じっと顔を覗き込んできた。

 

「怪我はないか? どこか痛むところは?」

「いや――」

 

 俺の言葉を待つより早く、カレンの手が肩に触れた。

 少女の指が肩から腕へ、そして背中へと滑っていく。遂には脇腹にまで伸びてくる柔らかな感触に、俺は思わず身を固くする。

 

「……か、カレン? 俺は無傷だ。自分のことは自分で分かる」

「油断するな。痛めている場所というのは、案外自分では分からないものだ」

 

 細い指が服越しに触れる感触や、身を寄せた拍子にふわりと漂う香りを意識してしまうと、どうにも妙な気分になってしまう。

 一頻りペタペタと触られたあと、カレンはようやく満足したのか身体を離した。

 

 俺は知らず知らずのうちに止めていた息を吐き、改めて彼女に向き直る。

 

「来てくれたのか、カレン」

「? 君が攫われたというのに、私がじっとしているわけが無いだろう」

「……それはどうも」

 

 あまりにも当然のことのように言い切られ、返す言葉に詰まった。

 

 カレンはそんな俺の反応が不思議だったのか、小さく首を傾げる。

 本人に自覚があるのかも怪しい愛嬌のある仕草に調子を狂わされ、俺は誤魔化すように視線を逸らした。

 

「砦にいる人間は、粗方父上が片(・)付(・)け(・)た(・)。後は、どこかに囚われているであろうエマ殿を救い出して終わりだ」

「……そうか」

 

 あっさりと告げられた言葉に、俺は曖昧な返事をするしかなかった。

 カレンにとっては、父親が敵を斬り伏せることも、相手が命を落とすことも、俺が思うほど特別な出来事ではないのだろう。

 

 それ以上の話はせず、俺たちはエマさんを探して砦の中を歩き回った。

 廊下には人の気配がなく、ところどころに争った形(・)跡(・)こそ残っているものの、行く手を阻む者は一人もいない。

 

「いないな……」

 

 俺たちは慎重に一部屋ずつ確かめていくが、エマさんの姿はどこにもなかった。

 建物の構造そのものが複雑なのか、それとも俺たちが不慣れなせいなのか、似たような石壁と扉が延々と続くせいで、自分がどこにいるのかさえ怪しくなってくる。

 

「一度、砦の外も調べてみるか――」

 

 そう提案しかけた、そのときだった。

 

 遠くから、鋭い金属音。

 反射的に顔を上げた俺の耳に、間を置かず二度三度と似た音が届く。それは金属同士がぶつかり合う、甲高くも重い響き。

 十中八九、剣(・)戟(・)の音だった。

 

「……!」

 

 この状況で誰と誰が剣を交えているのかなど、考えるまでもない。

 

 俺たちは顔を見合わせたあと、音の方向へと慎重に歩を進める。

 石壁に反響する剣戟音は進むにつれて少しずつ大きくなり――やがて、外へ通じる大きなアーチに差し掛かった。

 

 その向こうに広がっていたのは、砦の中庭らしき開けた空間。

 中央で二つの人影が激しく交錯している。再び甲高い金属音が響き渡り、交差した剣の間から火花が散った。

 

 シグルド卿とサンドリオンが、剣を交えていた。

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