死霊術師でも英雄になれますか?   作:パリスタパリス

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第三話『死霊術師と優等生・弐』

 空き教室には、夕暮れの光が斜めに差し込んでいた。

 西日を受けた窓際の机だけが淡く照らされ、それ以外の場所は薄暗い影に沈んでいる。

 

 人の気配はない。

 しかし、完全な静寂というわけでもない。

 

 俺とシャルロット=シュトラールが、木造の机を挟んで向かい合っているからだ。

 

 今、この教室には俺たち以外に人はいない。

 しかし職員室のすぐ近くで、廊下の往来もある。

 

 仮に騒動でも起こそうものなら、誰かしらがすぐに気付くだろう。

 

「――」

 

 俺は声を出さずに嘆息する。

 

 人気はないが、完全な密室ではないこの状況。

 落ち着いて話ができながらも、俺が噂通りの危険人物だった場合を想定して防衛措置をとっているというわけだ。

 学年屈指の優等生殿は、こういう所でも手際が良かった。

 

『場所を変えましょう。大人しく、ついてきてくれるわよね?』

 

 件の校舎裏でそう告げられてから、約十分後。

 俺はこうして、人気のない空き教室で彼女に睨まれていた。

 

 監督生は机の向こう側に立ったまま、椅子に腰を下ろそうともしない。

 腕を組み、わずかに顎を引いた姿勢で俺を見下ろしている。

 

 適当な椅子に腰掛け、足まで組んでいる俺とは対照的な姿だった。

 随分と警戒されているらしい。

 

「ミリアさんは、医務室に連れていったわ。怪我していたし、錯乱していた様子だったから、念のためね」

 

 沈黙の帳を切り裂くように、彼女が口を開いた。

 

「……ミリアさん?」

「ミリア=イーヴィス。あなたが迫っていた女の子の名前……同級生よ、一応」

 

 聞き返すと、シュトラールさんは呆れたように言い直す。

 同級生の顔と名前くらいは覚えておけと言いたげだったが、俺はそう思わない。

 

 どれだけ立場が近かろうと、俺にとってどうでもいい人間の名前など、やはりどうでもいい情報に違いない。当たり前のことだった。

 

「……迫っていた、ね」

 

 嘲笑を含んだ俺の呟きに、彼女はわずかに眉をひそめる。

 

「放課後の校舎裏。人気のない場所で、怯えている生徒に接近していた……誰がどう見ても、正当な状況ではないわよね」

 

 監督生は腕を組み直し、机越しに一歩だけ距離を詰めた。

 

「――説明、してくれる?」

 

 促され、俺は溜め息と共にゆっくりと口を開いた。

 どうして、こういう面倒な状況にばかり陥るのやら。

 

 学園に入学してからというもの――否、啓示の儀にて死霊術師の天命を見出されてからというもの、どうにも災難続きである。

 

「……"死霊術師"の噂通り、例えば魔法の実験体にでもするために、俺はあの校舎裏までミリアさんとやらを追い詰めた――」

 

 言葉を選びながら、あえて最悪の想像を口にする。

 

「そんな経緯を思い描いているんだろうが、全て誤解だ」

 

 そして、きっぱりと否定した。

 

 なんのことはない。

 誤解が生じてしまったのなら、理路整然と説明して是正するだけだ。

 

「俺はさっきまで図書室で勉強していて、気分転換のつもりであの校舎裏に行った。涼しいし、静かだからな」

 

 俺はただ事実を順番に並べていく。

 

「そこで、いじめと思われる現場に出くわした。複数人からなる女子の集団が、一人の女子生徒……ミリアさんを囲んでいたんだ。彼女は傷つき泣いていて、全くもって穏やかな様子じゃない。だから――」

 

 そこで、俺はふと言葉を切る。

 自分はいじめられている女の子を庇った善人だ――などと語るのは、なんとなく憚られた。

 

「……だから?」

「――いや、なんでもない。加害者一味はたまたま(・・・・)通りがかった俺の姿を見るなり、ミリアさんを置いて逃げ出したよ。悪評もたまには役に立つもんだな」

 

 俺は嫌われ者の死霊術師らしく、陰気に、自嘲するように言ってみせた。

 

「それがあの状況の全てだ。疑わしいなら、ミリアさんに裏でも取ればいい」

 

 言い終えると、教室に再び沈黙が落ちる。

 彼女は形の良い顎に指を添え、少し考え込むような仕草を見せる。

 

「……話の信憑性はともかく」

 

 俺から視線を外さないままに、彼女はそう前置きした。

 

「あなたの言うことが本当だったとして。ミリアさんを囲んでいた生徒たちの名前は分かる?」

「知らない――いや、リーダー格らしき赤髪が、ジェリィちゃんとか呼ばれていたな」

 

 記憶を辿りつつ言うと、彼女の眉がわずかに動いた。

 

「赤髪、ジェリィちゃん……アルバラードさんかしら」

「かもな。知らんけど」

「……同級生よ、彼女も」

「そうか」

 

 適当に返事をして、俺は椅子から立ち上がる。

 椅子の脚が床を擦り、乾いた音を立てた。

 

 その音に反応するように、彼女の視線が鋭くなった。

 

「っ、どこに行くつもり」

「話せることは話した。俺も暇じゃない、図書室に戻らせてもらう」

「ちょっと、まだ話は――」

「加害者の情報はミリアさんの方が詳しいだろう。あとは、君が彼女に話を聞けば済む話でしかない」

 

 そして、その場に俺は不要である。

 この場でうだうだと話すことに、もはや意味はない。

 

「……そんなに急いで、何をするつもりなのよ」

「学生の本分は勉学だ」

 

 図書室には、まだ解読中の教本が残っている。

 あの厄介な古文書は、放っていても何も進まない。

 

「英雄になるには、怠けている暇はないからな」

 

 つい、そんな言葉が口をついて出た。

 彼女に向けた言葉ではなく、半ば自分自身に言い聞かせるような独り言だった。

 

 しかし。

 

「――英、雄……?」

 

 呟くような俺の一言は、想像以上の重さで彼女の耳に届いたらしい。

 シャルロット=シュトラールは目を見開き、大きな衝撃を受けたように俺を見た。

 

「……なによ、それ」

「なにとはなんだ。英雄学園の生徒が英雄を目指して何が悪い」

 

 例え死霊術師でも、野望を抱く権利くらいはあるだろう。

 

 むしろ、俺からすれば彼女の態度こそ不可解だった。

 この学園の生徒なら、皆とは言わないが目指している者は沢山いるだろうし、少なくとも意識くらいはしているものと思っているが。

 

「本気で……本気で、なれると思ってるの?」

 

 言葉の端々に、強い感情が滲んでいるのが分かった。

 それも、怒っているような、或いは焦燥しているような、名状しがたい負の感情が。

 

――なぜ、彼女はこんなにも苛立っている?

 

 会話を思い返しても、その理由は思い当たらない。

 故に俺は、その反応を棚上げして話を続けざるを得なかった。

 

「さあな。でも、希望は確かに見えてきている」

 

 彼女の視線を意識しながら、言葉を探すように続ける。

 

「死霊魔法は面白い」

 

 学園で忌み嫌われている力に、俺自身は鍛え甲斐を感じていた。

 

「適当に使えば、不死者(アンデッド)を突撃させる魔法でしかない。先の決闘では、相手の知識不足と物量作戦で圧倒できたが……二度目は、そう簡単にはいかないだろう」

 

 自分に戒めるように、言葉を重ねる。

 

「だが、決してそれが全てじゃない。頭を捻れば応用が利く。強力な死体を貯蔵(ストック)するほど、術式を学べば学ぶほど、出来ることも増えていく。それらの組み合わせによって、未知のシナジーが生まれることだってある」

 

 普段、俺がこんな話をする相手はいない。

 だからだろうか、つい饒舌になってしまっていた。

 

「他人から見て気味悪かろうが関係ない。この力には、人生を掛けて研鑽する価値がある。高みを目指して積み重ねれば、いつか英雄にも手が届くと――」

 

――バンッ!

 

 そんな音が、教室に響いた。

 シュトラールが力任せに机を叩いた音だった。

 

「……ふざけないでよ」

 

 低く、震えた声。

 

「なんでそんな話を、よりによって私にするのよ……!」

 

 彼女は俯いたまま、肩を小刻みに震わせていた。

 

 やがて、キッと顔を上げる。

 上目遣いに睨み付ける視線は鋭かったが、その奥は潤んでいた。

 

 涙を必死に堪えているのが、一目で分かった。

 

「あなたは、自分がどれほど恵まれているか、全く分かってない」

「……は?」

 

 思わず、間の抜けた声が出た。

 あまりにも脈絡のない罵倒だった。怒られる理由が、まるで見えない。

 

「――ずるい」

 

 短く、しかし確かにそう言い残すと、彼女は踵を返した。

 感情を抑えきれないまま、足早に教室から去っていく。

 

 俺が呼び止める暇もなく、シャルロット=シュトラールは姿を消した。

 残されたのは、机を叩いた余韻と、重苦しい沈黙だけ。

 

「何を言ってんだ、あいつ」

 

 誰に向けるでもなく呟く。

 返事は、もちろん返ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

――そして、数日後。

 

 先日の彼女の意図は、今でもよく分かっていない。

 だがまあ、俺と彼女が今後かかわる機会も別にないだろう。そう考えて、深く気にしないことにした。

 ……俺がこの手の楽観をすると大抵ろくな結果を呼ばないのだが、それはそれだ。

 

 というか、ここ数日は大して仲良くもないシャルロット=シュトラールのことなど考えている余裕ははっきり言って無かったのだ。

 その理由は単純で――

 

「――それでは、これより実戦試験を始めるッ!!」

 

 たった今、試験官の放った号令が全てである。

 

 実戦試験。

 英雄学園における定期試験の一種であり、単なる筆記試験や実技試験とは一線を画す、文字通り"実戦"での評価が下される試験である。

 

 年に数回実施されるが、その内容は毎回異なる。

 指定された魔獣の討伐であったり、あるいは魔境と呼ばれる危険地域の踏破であったり、時には生徒同士で決闘させられることもあるらしい。

 

 成績配分としては筆記試験や実技試験よりもはるかに比重が大きく、前者二つの成績が振るわずとも実戦試験で高評価を得たことで落第を免れた生徒がいる一方、逆の例も珍しくないという。

 

 ……"らしい"だの"という"だの、曖昧な言い回しが多いのは仕方ない。

 何せ俺は、まだこの試験を一度も受けたことがないのだから。

 

 今回の試験は、今年度における一発目。

 つまり、俺たち一年生にとっては生まれて始めての実戦試験というわけだ。緊張感も一入(ひとしお)である。

 

「……フゥ」

 

 大きく息を吐く。

 

 俺は偏見の目を向けられやすい立場ゆえ、面倒を避けるには実力を示し続けなければならない。

 実戦試験は、それを為すための最も大きな機会の一つである。

 

「予告していた通り、今回は二人一組で学園保有の地下迷宮に潜り、指定された区画を攻略するという課題だ!!」

 

 周囲の生徒たちは皆、浮き足立ったような表情をしている。

 冗談めかして笑う者もいれば、装備を再確認しながら黙り込む者もいた。

 

 思い思いの行動をとる彼らに共通しているのは、不安と緊張だけだろう。

 

 英雄学園が保有する地下迷宮。

 管理されているとはいえ、そこはれっきとした実戦の場であり、下手をすれば怪我では済まない。

 時流に則り、最近は昔に比べて殆ど生徒の死傷者も出ていないというが……それは死亡率0%であることを意味しない。

 

「それでは、呼ばれたペアから順に迷宮へ入っていくように!!」

 

 教授の号令とともに、名簿がめくられていく。

 

 俺たちは一年は、既に学園の一角にある地下迷宮入口前の広場で集合させられている。

 巨大な石造りのアーチの奥には、暗闇が口を開けて待っていた。

 一定の時間間隔で次々とペアの名が呼ばれ、呼ばれた者たちから順に一組ずつ闇の中へ消えていく。

 

 そのまま、暫くの時間が流れた。

 最初こそ緊張していた周囲も次第にざわつき始め、俺自身も待ちくたびれてきたころ。

 

「第十二班! オズリック=スタンリー……」

 

 遂に来た。

 

 自分の名前が呼ばれると、周囲の視線が一斉に集まる。

 好奇、警戒、嫌悪。いつもの反応だった。

 

 ……この分だと、俺とペアを組まされる相手は災難だろうな――

 

「――そして、シャルロット=シュトラール!」

 

 ……えっ?

 一瞬、思考が止まった。

 

 困惑したまま迷宮の入口に向かうと――そこにいたのは案の定、見覚えのある金髪の少女だった。

 

 ただし、装いは以前と違う。

 背中に下ろしていた長髪はポニーテールに結われ、普段よりも短いスカートの下には暗色のタイツ。

 腰には同じく細身の剣が下げられているが、制服よりも随分と動きやすそうな服装だ。演習用の戦闘服なのだろう。

 

――いや、そんなことはどうでも良くて。

 

「……マジかよ」

 

 小さく呟いた瞬間、彼女の方と目が合う。

 言うまでもなく、彼女の方もマジかよって顔をしていた。

 

 然もあろう。

 数日前にあんな別れ方をしておいて、よりにもよって実戦試験でペアを組まされるなど想定外にも程がある。

 

 俺は気まずさを誤魔化すように、何とか口を開いた。

 

「……あー、動きやすそうな恰好だな。よく似合ってると――」

「先に言っておくけど」

 

 しかし、シュトラールは冷たい声音で俺の言葉を遮った。

 

「最低限の連携は取るわ。でも、私はあなたが嫌いだから」

 

 直球だった。

 それについて異議を唱えたいわけでは別にないが、普段は優等生然とした彼女らしからぬ感じの悪さに俺は眉をひそめる。

 

「せいぜい、足を引っ張らないで頂戴ね。死霊術師」

 

 ……なんだこいつ。

 

 俺の素行や評判が良くないのは自覚しているし、死霊術師というだけで警戒されるのも今に始まった話ではない。

 だが、それにしても――ここまで露骨に敵意を向けてくる理由というのが、俺にはどうしても思い当たらなかった。

 

 いや、恐らくは数日前の最後にしたやり取り。

 あの辺に彼女の地雷があったのは間違いなさそうだが、俺は特に彼女を侮辱したわけではないし、失言も無かった筈だ。多分。

 

 なんだか妙に腹が立ってきた俺は、ささやかな仕返しを試みることにした。

 

「あ、気を付けろ。足元にヘビ」

「――っ!? ひゃああっ!?」

「……いや、冗談だ。まさかこんなのでそこまで驚くとは……なんか逆にごめん……」

 

 少女は顔を真っ赤にしてスカートの裾をぎゅっと掴み、慌てて足元を見下ろす。

 予想を遥かに越えた狼狽え方をする少女に俺の方がいたたまれなくなってしまった。

 

「…………」

 

 返って来たのは重たすぎる沈黙。

 ぎり、と歯噛みする音が聞こえそうなほど、憎々しげな視線が俺に突き刺さった。

 

 それはどう考えても同級生に向けて良い類の表情ではなく、彼女が特別気難しいのか、あるいは俺の人と打ち解ける才能が皆無を突き抜けてマイナスなのか、判断が難しいところだった。

 

 

 

 

 

 

 

――暫定相方とのバッドコミュニケーションはさておき。

 

 俺にとって、今の最重要事項が全く別のところにあるのは言うまでもない。

 

 実戦試験。

 即ち、地下迷宮の攻略だ。

 

 石造りのアーチを潜ると、外界とは明確に質が異なる冷えた空気が肌にまとわりついた。

 湿気を含んだ匂い。土と苔、そして微かに混じる鉄錆のような臭いが鼻を刺す。

 

 通路は思った以上に明るく、学園の廊下二つ分程度の幅を持つ石造りの回廊が奥へ奥へと続いている。

 壁面には等間隔にランタンが設置され、誰かが手ずから油を補充しているとも思えないので、おそらく周辺の魔力を消費して発光する機構が組み込まれているのだろう。

 もっとも、工学は専門分野じゃない。詳しいことは分からないが。

 

 魔獣も出るとの話だが、これなら戦闘をするにも支障はなさそう――

 

「……っ」

 

 ぞわり、と俺の髪に何かが触れた。

 

 反射的に頭を振り、指で髪を梳く。

 細く、粘つく感触が額から離れ、指先に絡みついた。

 

 蜘蛛の糸だった。

 

「ええい、鬱陶しい……」

 

 指を払って糸を落とすと、思わず愚痴が零れた。

 

「辛気臭い場所だ……そもそも、どうして学園に迷宮なんかがあるのやら」

「……気安く話しかけて来ないで頂戴」

 

 半ば独り言のつもりだったが故に、反応が返って来たのは少し意外だった。

 視線を向けると、ランタンの淡い光に照らされたシュトラールが冷えた表情でこちらを見ている。

 

 しかし、視線が合ったのは一瞬だけ。

 彼女はすぐに顔を背け、何事もなかったかのように歩き出した。

 

「……」

 

 沈黙の帳が降りる。

 石造りの回廊に、靴底が床を打つ音だけが反響した。

 

「……この学園は、普通よりも魔素が集まりやすい土地に建てられているの。竜脈が交差する"竜穴"の上――って聞いたことない?」

「? なんの話だ」

「学園に迷宮がある理由の話」

 

 シュトラールは前を向いたまま話を続けた。

 

 実戦試験は一日分の授業時間を丸々かけて行われ、今回も恐らく長丁場となる。

 突き放した割に、彼女の方も流石に沈黙が気まずくなったらしい。連携に支障が出ても良くないという意図もあるかもしれなかった。

 

「竜穴は、付近の魔素濃度を高める。それによって魔道士は勿論、魔力を膂力に付帯させる戦士も恩恵を受け、効率的な成長が促される」

 

 整然とした口調は、彼女の知識を語ることへの慣れを物語っている。

 

「言うまでもなく、教育機関にとって有益な立地なのだけど……魔素が集まる場所には歪みが生まれる。瘴気が溜まり、魔獣が発生する」

 

 それはやはり、普段の優等生然とした姿だった。

 

「だから、学園はそれを地下に押し込めた。瘴気を誘導し、魔獣の発生を管理するための場所。それが、この地下迷宮というわけ」

「……つまり、迷宮は"竜穴"の恩恵だけを受けるために用意された――言わば、ろ過装置のようなものか」

「ええ……ふふっ、なかなか面白い例えを――」

 

 一瞬、彼女の口元が緩む。

 張り詰めていた空気も和らいだように感じられた、のだが。

 

「――違う。あなたが嫌いだって言ったでしょう。軽口を叩かないで」

 

 しかし、唐突に突っぱねられる。

 喧嘩していたことを思い出してしまったらしい。

 

――とはいえ、まあ。

 

 会話をここで打ち切るという点においてだけは、俺も彼女に賛成だった。

 なぜなら。

 

「お出ましだな」

「……そうね」

 

 迷宮に巣食う"魔獣"が既にこちらの存在を捉え、回廊の奥からゆっくりと距離を詰めてきているからだ。

 

『カチッ、カチッ……』

『キシィィィ……』

 

 一見すると、それらは蜘蛛である。

 

 ギラギラと光を反射する八つの赤目。

 長く、毛深く、節くれだった八本の足。

 黒曜石のように光る胴体に、膨らんだ腹部。大して珍しくも無い、典型的な節足動物。

 

 ただ、通常なら考えられない大きさというだけだ。

 小さい個体でも中型犬くらい、大きい個体は虎や狼に匹敵する巨大蜘蛛の群れが、ぞろぞろと這い出して来ていた。

 

「汝、死を――」

「スタンリー」

 

 詠唱を紡ぎかけた瞬間。

 凛とした、迷いのない声が俺の詠唱を遮った。

 

「この狭い地形で、慣れない連携は逆効果よ。手を出さないで」

 

 言い切ると同時に、腰に下げた剣へと手を伸ばす。

 

 鞘走りの乾いた音が響く。

 抜き放たれた刃は、迷宮の灯りを受けて光を帯び――

 

「ッ!」

 

――刀身の表面を、焔が舐めるように走った。

 

 思わず息を呑む。

 赤橙の火が刃に絡みつき、ゆらりと揺らめく。空気が歪み、俺の立っている位置にまで、じりじりとした炎熱が伝わってきた。

 

 魔剣。

 所有者の魔力を通すことで所定の魔法効果を発現する武装。

 

 俺も、実物を見るのは初めてだった。

 

「私がやるわ」

 

 そう言って前に出る彼女の背中は、やはり少女のそれである。

 

 華奢な体躯に、細く白い首筋。

 だが、巨大蜘蛛の群れを前にしても、微塵も揺らいではいなかった。

 

 ……監督生殿のお手並み拝見、といったところか。

 俺は内心で呟き、喉元までせり上がっていた詠唱を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 先頭の蜘蛛がシュトラールに飛び掛かった。

 

――かと思うと、次の瞬間には物言わぬ肉片となった。

 

「……!」

 

 遅れて、肉の焦げる匂いが鼻を突く。

 非力な死霊術師である俺に、専業剣士の刃閃を見切ることは当然できない。

 

 しかし――魔獣が、相対した少女によって目にも留まらぬ速さで一刀両断されたのだという結果くらいは理解できた。

 

『カサカサカサッ!』

 

 一方の怪物どもは怯んだ様子すら見せず、果敢に――文字通り、飛んで火に入る夏の虫の如く、次々と少女に飛び掛かっていった。

 

 彼らは端から恐怖を感じる機能を持っていないのかもしれないし、むしろ"戦いとは気圧された方の負けである"という理性的な判断を、節足動物の知能でやってのけたのかもしれない。

 そのどちらなのか俺に知る術はないが、何れにしても結果は同じである。

 

 焔が舞う。

 剣閃は舞踊のように優美ながら、虫どもの外殻を紙のように焼き切っていく。

 

「はぁッ!」

 

 短い気合と同時に、彼女の身体が軸足を基点に回転した。

 踏み込んだ床石が軋み、刃が円を描く。

 

 回転斬りに呼応するように、焔が奔流となって噴き上がる。

 火柱のごとき炎の竜巻が立ち上がり、瓦礫や蜘蛛の死骸を巻き込みながら、通路の奥へと押し流した。

 

 気付けば、残る蜘蛛はあと一匹。

 瓦礫と焦げ跡の向こうで身を潜める哀れな生き残りに狙いを定めると、シュトラールはやはり出鱈目な速度で走り出す。

 

 蜘蛛の口から白い糸が水鉄砲のように射出されるが、彼女は身体を捻り、減速することすらなく躱してみせる。

 勢いを殺さぬまま、空中で軽やかに回転し、刃を振るった。

 

 爆炎。

 炸裂した熱量が空気を震わせ、視界が真っ白に染まる。

 

 最後の一撃は気合いを入れたのだろうか。

 眼を開けると、蜘蛛は焦げ跡だけを遺して消え去っていた。

 

「……ふぅ」

 

 静寂が戻った回廊の中で、彼女は一度だけ小さく息を吐いた。

 

 剣先から焔が消え、熱気がゆっくりと引いていく。

 彼女は斬り伏せた蜘蛛の体液が刃に付着しているのを見下ろすと、無言で刀身を水平に構え、軽く一振り。

 

 血刃から黒い液体が飛び散り、床に落ちる。

 ある程度は綺麗になったことが分かると、そのまま鞘に収めた。

 

「終わったわ。先に進みましょう」

 

――かくして。

 

 魔獣の群れは、目の前の少女により殲滅された。

 返り血も、殆ど浴びてはいなかった。

 

「凄い戦いぶりだった。強いんだな、シュトラール」

 

 真正面から彼女を見て、俺はただ思ったままを口にする。

 取り繕いも計算もない率直な感想、だったのだが。

 

「……なにそれ、嫌味?」

 

 彼女は眉を寄せ、剣を下ろしたままこちらを睨む。

 

 どうやら、また彼女を怒らせてしまったようだ。

 俺の言葉を素直に受け取る限り、嫌味の要素はないと思うのだが――もしかしたら、俺が彼女に媚びたように聞こえてしまったのかもしれなかった。

 

「そんなつもりは……まあ、いいか。それより、先に進む前にすることがある」

 

 そう言って、俺は鞄の留め具を外す。

 中から取り出したのは、簡素な傷薬の小瓶と清潔な包帯だった。

 

「座れ、シュトラール。その傷口に包帯を巻く」

「……え?」

 

 彼女は間の抜けた声を出し、俺の指差した箇所――自分の足元に視線を落とした。

 俺に指摘されるまで、どうやら気付いていなかったらしい。

 

 正確には膝のあたり。

 戦闘で飛び散った瓦礫か、あるいは蜘蛛の脚が掠めたのか……その部分だけタイツが裂け、白い肌に赤い線が走っている。

 

「だ、大丈夫だから。これくらい」

「俺は見ていただけだったんだ。これくらいさせろ……というか、放置して戦闘中に出血したらどうするつもりだ?」

 

 彼女は一瞬、唇を噛み――視線を逸らす。

 

 反論の言葉を探しているようで、しかし見つからなかったらしい。

 やがて小さく息を吐き、観念したように適当な瓦礫へ腰を下ろした。

 

「…………お願い、します」

 

 小さく、ほとんど聞き取れない声でそう言って、彼女は渋々と足を差し出した。

 

 俺は無言のまま、鞄から傷薬を取り出し、包帯に染み込ませる。

 そして迷いなく、白く細長い足へと丁寧に巻いていった。

 

 下から顔を盗み見ると、彼女はぎゅっと唇を固く結び、眉間に僅かに皺を寄せ、どこか悔しそうな表情を浮かべている。

 

 その内心は、やはり全く掴める気がしなかった。

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