死霊術師でも英雄になれますか?   作:パリスタパリス

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第五話『死霊術師と優等生・肆』

 迷宮の一角。

 回廊が延々と続く迷宮の中では異質な、あつらえたかのように開けた空間。

 

 そこを戦場に据えた俺たちは、件の"鬼"――赤鬼(レッドオーガ)を待っていた。

 

「……実際のところ、かなり無茶な作戦だと思う」

 

 数分前に聞かされた彼女の"作戦"を反芻しながら、俺はぽつりと呟く。

 

 勿論、独り言のつもりはない。

 隣で魔剣の柄を握り、静かに呼吸を整えている発案者・シャルロット=シュトラールに向けた言葉だ。

 

 視線は前方から外さぬまま、彼女は淡々と返す。

 その声に緊張はなく、むしろ奇妙なほど落ち着いていた。

 

「"試運転"は上手くいったでしょう?」

「そうだな。幸運にも、俺たちの相性(・・)は良かったらしい」

 

 俺は数分前を思い返しながら、言葉を続ける。

 

「だが、離れ業には違いない。実行するには凄まじい集中力を要するはずだ。君は、あの巨体と怪力を前に無防備な姿を晒す羽目になる」

「心配してくれてるの?」

「いいや。どのみち、失敗すれば二人とも死ぬ。作戦の危険度に狼狽えてる場合じゃないだろう」

 

 ゆえに、俺が聞きたいのは別のことである。

 

「――結局、何秒欲しいんだ?」

 

 問いかけると、彼女はすぐには答えなかった。

 

 剣を握る指先に、わずかな力が籠もる。

 視線は前方、まだ姿を見せない赤鬼の進路へと向けられたまま。

 

「君の"作戦"を実行するためには、奴の足を封じなければ話にならない。さっき使った蜘蛛の糸は警戒されているだろうし、今度は大人しく絡め捕られてもくれないはずだ」

 

 正面から糸を撃ち出すだけでは意味が薄い。

 躱されるか、運よく当たったとしても、怪力で引きちぎられるのが関の山だ。あの化け物を足止めするには、いくつかの工夫が要る。

 

 作戦の説明段階では『出来る限り長く止めて欲しい』と言われたが――

 

「何秒か、何十秒か……やはり、目安になる時間は指定して欲しいと思うわけだ」

 

 彼女は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 それから再び背筋を伸ばし、決意を固めた声音で告げる。

 

「……三十秒。それだけ止めてくれれば、私が奴を仕留めて見せる」

 

 三十秒。

 戦闘の最中、俺はあの鬼を何らかの手段で一か所に留め続けなければならない。

 

 正直、かなりの難題だった。

 コンマ一秒が生死を分ける戦闘において、三十秒の長さは言葉の印象と比較にならない。

 俺の感覚としては、魔力と知恵を総動員しても二十秒がせいぜいといったところだ。

 

 が、しかし――

 

「そうか、分かった。しっかり殺れよ」

 

 俺は内心をおくびにも出さず、淡々と返す。

 無茶をしようとしているのは彼女も同じだ。俺だけが弱音を吐くわけにもいくまい。

 

 むしろ、負担は彼女の方が大きいだろう。

 ここまで状況が限定的(・・・)かつ非効率(・・・)な作戦は通常とられず、ゆえに記録も無い。身体にかかる負荷は未知数だった。

 

「私は大丈夫。それより、そっちの怪我は平気なの?」

「問題ない……いや、重傷ではあるんだが」

「どっちよ」

 

 呆れと心配が混じった声。

 

 ……庇った側が、庇われた側に自分の容態を語るのは、押しつけがましくて趣味じゃないのだが。

 こちらの戦力に直結する問題について、口を噤むわけにもいかないか。

 

 俺は小さく息を吐き、仕方なく身体の状態を説明する。

 

「走れば全身の骨に響くし、左腕はまともに動かない。どう考えても接近戦は無理だが、俺があれと接近戦をするのは万全の状態でも無理。よって、作戦的には問題ない」

 

 そういう意味では、シュトラールを庇って正解だったのだろう。

 この傷を負っていたのが接近戦主体の彼女なら、本格的に詰んでいた。

 

 俺の平然とした態度に、優等生は露骨な呆れ顔をする。

 

「……はあ。あなたって、賢いのか愚かなのか時々分からなくなるわよね」

「人間、誰しもそうだろう」

 

 その両方の面を持つのが当たり前だ。

 賢いだけの人間も、愚かなだけの人間も存在しない。人間の知性は複雑であり、善悪二元論という単純な物差しでは決して測ることなどできないのだから。

 

 そして、俺は別に愚かなことを言ったつもりもない。

 

「俺のことはいい。君は自分の仕事を全うしろ」

「心配無用。あなたの心配をしながら、自分の仕事も全うするわよ――私、優等生ですから」

 

 彼女はすました顔で言い切った。

 それは開き直ったような、どこか迷いを振り払ったような雰囲気。

 

 ああ。今の彼女には、何も言う必要はあるまい。

 

――やがて、覚えのある重圧が辺りを包んだ。

 

「さて、お出ましだな」

 

 端的に告げる。

 彼女は、こくりと頷いた。

 

 この重圧。

 そしてこの足音。もはや間違うはずもない。

 

 闇の向こうで何かが動き、やがて赤黒い影が輪郭を結ぶ。

 迷宮の闇を押し分けるようにして――鬼が、再び姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――グオオオオオオオッ!!」

 

 鼓膜を叩き潰すような咆哮と共に、鬼の巨体が地を蹴った。

 迷宮の床石が悲鳴を上げ、砕けた破片が宙を舞う。

 

 その血走った眼が捉えているのは、俺たちの"弱点"――即ち、術師である俺自身。

 

「まあ、そう来るよな……!!」

 

 骸骨や蜘蛛を使役する俺を潰せば、それらも必然的に機能を喪う。

 

 ……奴は、俺の死霊魔法を既に見ている。

 魔獣とはいえ、知性ある相手なら術師を狙うのは当然の道理だ。迷宮育ちの野生動物だからこそ、敵対生物の能力(できること)に対応する感覚は鋭いのだろう。

 

 迫りくる巨体。

 大きな歩幅にものを言わせた暴力的俊足。正面から受ければ、矮小脆弱な俺の肉体など容易く押し潰されてしまうだろう。

 

 だが、俺は――

 

「――勿論、対策済みだ……! 組成召致(セットアップ)密集隊形(スクラム・スケルトン)

 

 詠唱と同時に足元の影が盛り上がった。

 

 現れたのは、骨と骨を密着させてがっちりとスクラムを組んだ八体の骸骨たち。

 頑丈な蜘蛛の糸が互いの関節や胴体を幾重にも縛り上げ、補強し、複数の骸骨を一つの"個"へとまとめ上げている。

 

 詠唱こそ新しいが、実際のところ新技と呼べるようなものでもない。

 数分間の準備期間で仕込んでおいただけの、単なる工作。単体では為すすべなく吹き飛ばされるだけの脆弱な群体を、一つの個として機能させるための工夫に過ぎない。

 

 だが、効果はそれなりにあったらしい。

 スクラム・スケルトンは、遠く東洋の伝統武芸たるスモウの立ち合いさながらに、真正面から鬼の突撃を受け止めた。

 

 衝撃。

 骨が軋む音と共に、鬼の巨体が確かに止まる。しかし。

 

「ぐッ……!」

 

 その均衡は、長くは続かなかった。

 骸骨を束ねたところで、やはり力比べでは分が悪いか。

 

 屍を構成する骨が潰れ、群体を個へと束ねる糸が悲鳴を上げる。

 スクラムはじりじりと後退し、一本、また一本と糸が限界を迎え、遂に瓦解しそうになる。

 

「――はああッ!!」

 

 だがその時、スクラムの背後から小さな影が跳ねた。

 

 シャルロット=シュトラール。

 彼女は骸骨たちを蹴り台にして宙へ舞い、重力を味方につけた唐竹割りの軌道で、鬼の頭部へと一撃を叩き込む。

 

 鈍い衝撃音と共に、鬼が大きくよろめいた。

 致命傷にはまるで足りないが、踏みしめていた力が確かに抜ける。

 

「っ……ナイスだ、シュトラール……!」

 

 それで充分。

 踏ん張りを失った巨体をスクラムが一気に押し返す。

 

 体勢を崩した鬼は、半ば転がるようにして後方へ退避。

 両者の間には再び距離が生まれ、その隙に俺は損傷した骸骨たちを再生させた。

 

「ンゴオオオオオオオオッ!!」

 

 怒号と共に、鬼が吼えた。

 

 どうやら、判断を切り替えたらしい。

 機動力に乏しいスクラムや、その後方に陣取る俺よりも、自分の近くにいるシュトラールを先に潰すことにしたようだ。

 

 奴は狙いを彼女へと定め、力任せに腕を振り下ろす。

 轟音と共に石畳が砕け散り、火薬が爆ぜたかのように瓦礫と土埃が舞い上がった。

 

 だが――彼女は、既にそこにはいない。

 鉄槌のような拳が落ちる刹那、地面を滑るようなステップで攻撃圏外へと身を躱していた。

 

「……ッ! ゴアアッ!!」

 

 息つく間もなく追撃が迫る。

 鬼は振り抜いた勢いのまま拳を引き戻し、乱暴に振り回した。

 

 だが、シュトラールは捉えさせない。

 

 紙一重で躱し、半歩だけ距離を詰めたかと思うと、また離れる。

 気負いも焦りも全くない、おそらくは彼女本来の流麗な身のこなし。

 

 その手が握る魔剣は、燃えていない。

 ただ冷たく、静かな鋼の輝きだけがそこにあった。

 

 炎を灯すのは斬撃を放つ一瞬のみに絞り、魔力消費は必要最小限に抑える。

 おそらくはそれが、あの魔剣の本来の使い方なのだろう。

 

「――汝、死を忘れる勿れ。死は、まつろわぬ汝を忘れず」

 

 シュトラールが、鬼を引き付けている。

 その背中を信用し、俺は確かな声で詠唱を開始した。

 

「死の先に在るは終焉にあらず。それは回帰。それは凱旋。定命の呪いから放たれ、永劫の救いとならん」

 

 久方ぶりの完全詠唱。

 詠唱の省略や短縮では辿り着けない、魔道の全能感に魂が震える。

 

 鬼も異変に気付いたのだろう。

 振り回していた腕を止め、こちらへと顔を向ける。

 

 だが、正面に立つシュトラールがそれを許さない。

 意識が一瞬でも自分から離れたと見るや、即座に魔剣で鬼の身体を斬りつける。致命傷にはならないが、奴の注意を俺から引き剥がすには充分だった。

 

「やっぱり硬い……! でも――スタンリー!!」

「ああ――死の凱旋(アンデッド・リボーン)

 

 魔力の奔流に呼応するかの如く、足元の影が一斉に蠢いた。

 

 床を覆うように。壁際から這い出るように。そして、天井の暗がりから零れ落ちるように。

 大量の骸骨が次々と姿を現し、瞬く間にこの空間を埋め尽くしていく。

 

「シュトラール!」

 

 叫ぶと同時、俺は彼女に手を伸ばす(・・・・・)

 それこそが作戦開始(・・・・)の合図であり――彼女は即座に地を蹴って、一跳びでこちらへと飛来する。

 

 剣腕とは反対の手。

 その力強い体温が、俺の手を確かに握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

――十分前。

 

 作戦がある。

 そう言ってから、彼女はすぐには続けなかった。

 

 頭の中で話の順序を組み立てていたのだろう。

 口を開いたのは数秒後、小さく息を吐き、『よし』と呟いてからだった。

 

『魔剣というのはね、単に魔力を宿した剣というわけじゃないの』

 

 静かだが、はっきりとよく通る声音で切り出す。

 

『正確には、使い手の魔力を何らかの効果に変換する剣。使い手が魔力を流さなければ発動しないし、流す魔力が強く大きいほど高い威力を発揮できる』

 

 彼女は魔剣の鍔に指を添え、言葉を続けた。

 

『つまり、魔剣の威力は使い手の魔力強度に依存する……ここまではいい?』

 

 そこで、視線がこちらに向けられる。

 

 俺とて魔道士の端くれだし、彼女も別に難しいことは言っていない。話に着いて行くだけなら余裕だった。

 分からないのは、あと十分足らずで例の鬼が追ってくるであろう危機的状況下で、なぜ武器の説明を始めたのかという理由だけだ。

 

『スタンリー。持久戦でゼイン先輩を圧倒し、最後に大量のスケルトンを出す大技まで見せた――死霊術の適性だけじゃない。あなたは膨大な魔力を持ってる』

 

 そしてその疑問も、続く言葉で概ね解消されることとなった。

 

 魔剣の威力は使い手の魔力に依存する。

 そして、俺の魔力量は膨大である。

 

 突如為された二つの説明を繋ぎ合わせれば、彼女の"作戦"を推測するのは容易い。

 

『……俺が、その剣を使えばいいってことか?』

 

 理屈的にはそれが最も単純な結論だったが、しかし彼女は即座に首を振った。

 

『いいえ。あなたの、死霊術用に調整された魔力ではこの剣の真価は発揮できない――魔力の志向性。この辺は、魔道士のあなたの方が詳しいかしら』

『ああ、なるほど』

 

 魔力の志向性。

 それは魔道における、初歩の初歩とでもいうべき概念だ。

 魔力というものは、魔法を使えば使うほど、その系統や属性に適合するように変異していく。この性質を志向性と呼ぶ。

 

 魔道士は、己が魔力に志向性を持たせて特定の魔法分野に絞り込むのが一般的だ。

 汎用性を捨てる代わりに、魔力効率を高めるというわけである。

 

 炎術師なら燃焼しやすい緋色の魔力に。

 癒術師なら治療に適した橙色の魔力に。

 死霊術師なら――死せる者たちに親和する、黒い魔力に。

 

 裏を返せば、死霊術師が片手間に自然魔法や治癒魔法へ手を出すのは非効率。

 すでに志向性が定まった魔力で別系統の魔法を用いれば、通常の数倍もの魔力を費やした挙句、ようやく発動できるかどうか、といったところだろう。

 

 そしてどうやら、この原則は魔剣の運用においても適用されるらしい。

 彼女の剣が"死霊術師"用に鍛えられたものではない以上、俺にはそもそも扱えないか、扱えても効率が激減するということか。

 

『だからね――』

 

 彼女は一瞬だけ視線を落とし、それから顔を上げる。

 続いて告げられた"作戦"に、俺は耳を疑った。

 

『……そんなことが、出来るのか?』

 

 半ば呆然と問い返す俺に、彼女は小さく笑った。

 その目は、不思議なほどに澄んでいる。

 

『大丈夫――小器用さだけは、自信があるの』

 

 

 

 

 

 

 

 

――現在。

 

 つまるところ、彼女の作戦とは。

 俺の魔力を彼女に流し込み、彼女自身の魔力と同化することで魔力量を増加させ、限界を越えた威力で魔剣を振るう。たったそれだけの、至極単純な無茶苦茶だった。

 

「平気か?」

「っ……! だい、じょうぶ。続けて……!!」

 

 繋いだ手から黒い魔力が流れ込み、彼女の顔が歪む。

 

 原理としては簡単だ。

 しかしそれは、自分の力で足りないなら他から力を借りればいい――そんな言葉で片付けられるものでもない。

 

 魔力とは本来、空間に偏在する魔素を人体が取り込み、精神力で練り上げて精製するものだ。

 他者がすでに精製した魔力を直接取り込むなどという行為を、人の身体は想定していない。

 

 魔力欠乏に陥った者へ他者が魔力を分け与える医療処置も存在はするが――それにしても、医療機関で魔力の相性を診断したうえで、慎重に少しずつ行われる。

 他者の魔力など、人体にとっては異物でしかない。拒絶反応が出て然るべきなのだから。

 

「うぁッ……!」

 

 シュトラールが苦悶の声を漏らす。

 歯を食いしばり、肩を震わせながら、それでも俺の手を離さない。

 

 彼女は魔剣使いゆえに、魔道士顔負けの魔力制御技術を持っているのだろう。

 しかしそれでも、他者から供給された魔力を自身の魔力と混融させて支配下に置くなど離れ業には違いない。

 

 試運転――即ち、相性確認の段階では問題はなかったが、実戦で耐えられるかはまったくの未知数。

 今この瞬間も、彼女の魔力循環系は悲鳴を上げていることだろう。

 

――そして、鬼の方もこれを見て何もしないでいてくれるほど親切ではない。

 

 異様な魔力のうねりを感じ取ったのだろう。

 赤黒い眼光がこちらを射抜く。

 

 膝をついたシュトラールの手を握ったままに、俺は一歩前へ出た。

 彼女を背に庇うように伏せ、流し続ける魔力は絶やさない。

 

 彼女が限界を越えた一撃を放つ、その瞬間まで。

 俺は鬼の妨害も、逃走も、すべて封じなければならない。

 

 それが、三十秒。

 最初に彼女が提示した勝利条件だった。

 

「押し潰せ」

 

 低く呟くと同時に、鬼の四方八方からスケルトンが殺到する。

 盾で押し込み、槍で突き、剣で切りつける人海戦術。

 

「ゴアァッ!!」

 

 鬼の腕が横薙ぎに振るわれる。

 それだけで、数体の骸骨がまとめて弾き飛ばされた。

 

 そこで俺は確信する。

 

 三十秒。

 それだけの時間を封じ込めるには、やはり捻りのない人海戦術では不足だと。

 

 シュトラールへの魔力供給は止められない。

 同時に、完全詠唱での魔法行使も維持し続ける必要がある。

 

 破壊された死体の再生に回す魔力の余裕はない。

 これだけの数の死体を同時に使役するのは、俺の今の実力では魔力以上に精神力の消耗が大きすぎる。

 

 魔獣との接敵前に詠唱を済ませ、戦力を整えておくという選択を取らなかったのもそのためだ。

 接敵のタイミングが正確には読めない以上、消耗した状態でこの怪物を迎えるわけにはいかなかった。

 

――きっついな……!

 

 背後の優等生に聞こえないよう、心の中で弱音を吐く。

 

 スケルトンの頭数は、短時間で着実に削られていく。

 密度が落ち、包囲に疎らな隙間が生まれる。

 

 鬼は、それを見逃さなかった。

 巨体が深く沈み込み、大きく踏み込む。

 

 奴のこれからとる行動は、二つに一つ。

 

 危険を察して俺たちから距離を取るか。

 あるいは逆に接近し、危険そのものを叩き潰しに来るか。

 

 そして、どちらにせよ俺のすることは変わらない。

 

 奴はこれを好機と確信している。

 そして――獣の警戒心が最も疎かになるのは、まさに好機を目前にした瞬間だ。

 俺は、この一瞬を待っていた。

 

「ここだッ……!」

 

 伏せていた一手が牙を剥く。

 スケルトンたちの足元に紛れ、瓦礫と骨片の陰に潜ませていた蜘蛛が一斉に動いた。

 

 白い糸が四方から奔る。

 

 狙うは鬼の"眼"。

 太い腕でも、硬い皮膚でもない。唯一、確実に感覚を奪える急所である。

 

「ンガァ……!?」

 

 視界が白く塗り潰されたことで、鬼の足が止まる。

 

 粘性を帯びた糸が顔面に絡みつき、瞼を強引に閉ざす。

 頭を振り、咆哮とともにそれを引きちぎろうとするが、その隙を俺は逃さない。

 

「喰らいつけッ!」

 

 俺の号令を受け、残存するスケルトンが一斉に飛び掛かった。

 脚に絡みつき、腕に食らいつき、背へとよじ登る。

 

 視界を奪われた鬼は、力任せに暴れた。

 腕が振るわれるたびに骸骨が砕け散り、足が踏み鳴らされるたびに床石ごと吹き飛ぶ。

 

 屍が宙を舞い、骨片が雨のように降り注ぐ。

 わずかでもいい。ほんの数秒でも。巨体を、その場に縫い止めろ。

 

「ゴアアアァァァッ!!」

 

 絶叫とともに、鬼はついに顔面の糸を引きちぎった。

 

 粘糸が裂け、光が戻る。

 残骸を振り払い、血走った眼が前を向く。

 

 だが。

 

「残念だったな――時間切れだ」

 

 鬼の視界の先。

 そこでは既に、"それ"が振りかぶられていた。

 

 刀身という概念は消え失せ、爆ぜる炎そのものが刃の形を成している。

 膨張した熱量が空気を歪ませ、呼吸をすれば肺が焼けそうなほどの灼熱が噴き出した。

 

 小さな太陽。

 そうとしか形容できない、常軌を逸した火焔の刃。

 

 それを持つ彼女の姿は、熾天に座す大天使を想起させた。

 長い髪が熱風に煽られ、金色の光を帯びて揺れる。炎に照らされた横顔は神々しく、その瞳はただ一点、真っ直ぐに鬼を射抜いている。

 

「――終わりよ」

 

 振り下ろされた瞬間、世界が白く弾けた。

 

 轟音が迷宮を満たし、衝撃波が遅れて押し寄せる。

 炎の奔流は鬼を呑み込み、光の柱となって天井へと突き抜けた。

 

 爆光。

 俺と彼女の総戦力が凝縮された、渾身の一撃。

 

「――」

 

 やがて、光が収束する。

 

 立ち上るのは焦げた臭いと白煙。

 熱気で揺らぐ視界の向こうには――

 

「……最高だ、シュトラール」

 

 そこに、鬼は"残っていた"。

 

 黒く炭化し、表皮はひび割れ、片腕は半ばから崩れ落ちている。

 筋肉は焼け縮み、巨体はもはや原形を保つのがやっとだが、確かに形はある。

 

 数瞬の後、焼け焦げた巨躯がぐらりと揺れた。

 そして膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れ伏す。

 

――決着。

 

「完全勝利だな」

「……うんっ!」

 

 俺はゆっくりと息を吐く。

 一拍遅れて、シュトラールが声を弾ませた。

 

 差し出された手に、俺も応じる。

 ぱんっ、と乾いたハイタッチの音が、未だ熱の残る迷宮に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 戦闘直後。

 まだ熱を帯びた石床の上で、赤鬼の死体は黒く炭化したまま横たわっている。微かに煙が立ち上る巨体に、俺は手を翳す。

 

「――汝、死を忘れる勿れ」

「えっ?」

 

 静かに言霊を紡ぐと、隣でシュトラールが間の抜けた声を漏らした。

 遅れて、ごくりと彼女が喉を鳴らす。

 

「……もしかして。使役、するの?」

「当然だろう。これだけ強い魔獣の死体、再利用しない手はない」

 

 言い終えると同時に、鬼の指先がぴくりと震えた。

 瞼の奥に、赤黒い光が灯る。

 

「――ッ!」

 

 ゆっくりと、静かに。

 ぎしり、ぎしりと軋む音を立てながら、その巨体が起き上がる。

 

 その光景を目の当たりにした彼女は、驚愕と少しの畏怖を湛えた視線でこちらを見た。

 

「あの力を――あなたはそのまま自分のものにしてしまったの……?」

「……いや、そうでもない。今の俺がこれだけ強い魔獣を使役するとなると、相応の制約がかかる」

 

 死霊術には段階があるのだ。

 

 一定以上の肉体的・魔力的強度を持つ死体を効率的に使役するためには、"死の凱旋(アンデッド・リボーン)"よりも高位の術式を要する。

 当然、扱う死体が強力であるほど、術者への魔力負担も跳ね上がる。

 

 今の俺は、適切でない下級の術式で強力な死体を無理やり動かしている状態だ。

 

 魔力消費は大きく、動きも生前より一回り鈍い。

 取り回しの面では、骸骨(スケルトン)や蜘蛛――後日辞典で調べたところ、土蜘蛛(ダートスパイダー)というらしい――に大きく劣るだろう。

 

 しかし、一撃の決定力に欠けていた俺にとって、赤鬼(レッドオーガ)の加入が持つ意味は非常に大きい。

 今はここぞという時の切り札として持っておき、いずれはこのレベルの死体を複数体は余裕で操れる術師になれるように己を鍛え上げていくしかない。

 

 術者の技量と、強力な死体。

 その二つを両立してこそ、死霊術は真価を発揮するのだから。

 

「……私も、なんとなく分かって来たかも」

 

 シュトラールが、再生しつつある焼け焦げた巨体を見上げながら呟く。

 それから少しだけ考え、そしてくすりと笑った。

 

「――死霊魔法って、面白い」

 

 俺はその言葉に肩を竦めた。

 今さら気付いたのかという意味を言外に込め、秘密を共有した仲間に向けるような調子で即答する。

 

「だろう? ほら、こうやって躍らせることも――」

「うわ……」

「うわって何だよ」

 

 いつかの試験官を思わせる反応に顔を顰める。

 死霊魔法の芸術性が理解される日は、まだまだ遠いらしかった。

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