死霊術師でも英雄になれますか?   作:パリスタパリス

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第六話『死霊術師と優等生・伍』

 初めて世話になる医務室のベッドは、自室のものよりも幾分寝心地が悪い。

 俺は上体を起こしたまま、落ち着かない視線をあちこちへと彷徨わせていた。

 

 白を基調とした室内。整然と並ぶ薬棚。磨き上げられた床。

 窓から差し込む夕陽がそれらを柔らかく染める中、鼻を刺す消毒液の匂い。

 

 包帯が巻かれた腕を軽く動かす。

 ……鈍い痛みが残っているが、まあ問題ない範囲か。

 学園が誇る治癒魔法の使い手と高品質な治療薬をもってすれば、数日中にも完治するらしい。医療の発達、そして学園の資金力様様である。

 

――そして。

 

「オズリック=スタンリー。いかなる言い訳も許されぬ学園の過ちを、ここに深く、そして厳粛に謝罪します。本当に申し訳ありませんでした」

 

 ベッドの寝心地や身体の痛みなどよりも、よほど落ち着かない光景。

 それが今、まさに俺の目の前にあった。

 

 エルネスタ教授。

 いつもは背筋を伸ばし、理知的な余裕を纏っている彼女が、はっきりと頭を下げている。

 

 深く、丁寧に。

 教授である彼女が、生徒である俺に向かって。

 

「……えっと」

 

 つい、間の抜けた声を漏らす。

 教授はゆっくりと顔を上げ、重々しく言葉を続けた。

 

「無論、あなただけではありません。あなたと共に、本来なら立ち向かわされるべきでなかった魔獣と相対したシャルロット=シュトラール。更には本試験に臨んだ全ての生徒に対して、学園は謝罪しなければなりません」

 

 そして、再び一礼。

 先ほどよりも浅いが、それでも教授という立場を思えば十分すぎるほどの礼だった。

 

「……頭を上げてください。というか、そもそも何が起こっていたんですか?」

 

 俺はどうにもむず痒くなり、気まずさを誤魔化すように話題を変える。

 

「あの"鬼"――ええと、赤鬼(レッドオーガ)の変異体、でしたか。あれが恐らく深層から迷い込んだ、イレギュラーな魔獣だということは何となく分かります。けれど、詳しいことは何も分からない。一体なぜ、あんなのが一年生の攻略区域に?」

「……竜穴の乱れ。そう呼ばれる現象が発生したからです」

 

 問いかけると、教授は一瞬だけ視線を伏せた。

 

「竜穴についてはご存じですね」

「……確か、普通よりも魔素の集まりやすい土地、でしたっけ」

 

 シュトラールが迷宮の中でそんなことを言っていた。

 この学園は"竜穴"の上に建てられており、その恩恵を享受している。地下迷宮は、魔力の負の側面たる瘴気を押し込めるための場所だと。

 

「その通りです。通常、竜穴は安定していますが……幾つかの環境要因によって、魔素の流れが不規則に揺らぐことがあるのです。それにより空間内の瘴気は攪拌され、魔獣の分布と気性に大きな影響を及ぼします。より詳しい原理としては――」

「――いや、まあ、原理はそのうち勉強します。今はほら、怪我人ですし、俺」

 

 医務室で集中講義モードに入りかけた教授に辟易しながら、包帯だらけの腕をわざとらしく持ち上げて見せる。

 

「環境要因。つまるところ、地震や落雷のような天災と捉えていいんでしょう?」

「……天災。ええ、そのはずです」

 

 歯切れの悪い言い回しに引っ掛かりを覚えるが、俺にはもうそれを掘り下げる気力は無い。

 

「なら、もう謝るのはやめて下さい。教授にそんな態度を取られるのは、一生徒としてあまりにも落ち着かない」

 

 例えば開腹手術中に天変地異が起き、命の危機に瀕したとしても病院を恨むのは筋違いというものだ。今回の試験と"竜穴の乱れ"とやらが重なったのはその類の不運であり、この教授が俺に直接謝罪をする必要など無いのである。

 少なくとも、俺はそんなものを求めていない。

 

「……分かりました。しかしそれでも、あなたとシャルロットがかの魔獣を引き付け、討ち倒してくれたからこそ他の生徒たちが無事に済んだことは事実です。学園を代表して、心より感謝を申し上げます」

「それは……何よりですが、少し不自然にも感じますね。俺たち以外にも多くの生徒が試験を受けていた筈ですが、深層の魔獣と鉢合ったのは俺たちだけだったんですか?」

「正確には、他にも不運なペアが三組います。しかし何れも、あなた達二人が下した赤鬼(レッドオーガ)ほどの強さも執念深さもない種族でしたから」

「なるほど」

 

 深層の魔獣といえど、あそこまで厄介な種族は多くないらしい。

 逃げるなり、斃すなりは比較的容易だったわけか。

 

 ふと、そこで切実――というより、極めて現実的な問題を思い出した。

 

「……そういえば。俺たちはアレを斃してから最短で入口まで戻ったわけなので、実戦試験の"指定された区画を攻略する"という課題をこなせていないわけですが……まさか、落第になったりしませんよね?」

「ありえません。今回、全ての非は学園側にあります。ゆえに特例として、今期の実戦試験は一年生の他生徒も含めて一括免除となりました」

 

 その言葉に、肩から力が抜ける。

 命懸けの戦闘の後に単位の行方を気にするのも、些か小市民的かもしれないが……学生としては切実な問題であることに違いない。

 実戦試験が免除された際の成績査定基準については、後日ゆっくりと調べればいい。

 

 そして、他に気になることはなかった。

 後は一日でも早く授業に復帰するべく、ゆっくりと身体を休めるだけだ。

 

「良かった。これで俺も、心置きなく治療に専念――」

「――こ、こんにちはっ」

 

 不意に、少し上ずった声が医務室に響いた。

 

 教授と俺は、同時にそちらへ視線を向ける。

 ベッドを囲む仕切り(パーテーション)の隙間から、金色の髪がひょこりと覗いていた。

 

「お、お見舞いに……その、来ました」

 

 整った顔立ちに、どこか気品を感じさせる美少女。

 けれど今は、いつもの凛とした佇まいは影を潜め、落ち着きなく視線を泳がせている。

 

 シャルロット=シュトラール。

 この数日ですっかり見慣れてしまった優等生が、入口の縁に指を掛けたまま半身を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 シュトラールは既に戦闘服ではなく、私服姿に着替えていた。

 きっちりと結われていた長髪はほどかれ、今は背中へと柔らかく流れている。淡い色合いのブラウスに、動きやすさよりも上品さを優先したスカート。

 戦乙女然としていた実戦試験での姿とは、まるで別人のようだった。

 

 顔をほんのり赤く染め、しきりに毛先を指で整えたり、耳元にかけ直したりしている仕草の意図も不明だが、特に言及する意味は無いか。

 

「シュトラール。元気そうで良かった」

 

 声をかけると、彼女はびくりと肩を揺らした。

 金色の髪がふわりと揺れ、視線が一瞬だけ宙をさまよう。

 

 それから小さく息を整え、ぎこちなく微笑んだ。

 

「え、ええ。そっちはまだ医務室にいるっていうから、様子を見に来たの。大丈夫?」

「ああ。ところどころ骨が折れたり痛んだりしていたが、医務室で治療にかかれば全治数日らしい。来週中には授業に戻れるとのことだ」

「……良かった」

 

 ほっとしたように息を吐き、彼女はゆっくりと胸を撫でおろす。

 

「そっちは寝ていなくていいのか」

「ええ。魔力循環系は少し痛んでいたけど、それ以外は軽傷だった――あなたのお陰よ」

 

 そう言って、彼女はそっと手を伸ばした。

 白く細い指先が、俺の手に静かに重ねられる。

 思いのほか近い距離に、かすかな甘い香りが漂った。

 

 ブラウスの裾に大半が隠れていたが、彼女の剣腕である左腕に白い包帯が巻かれているのが目に入る。

 それでも足取りはしっかりしていたし、日常生活に支障はないのだろう。

 

 僅かな沈黙。

 やがて、シュトラールが意を決するように口を開いた。

 

「エルネスタ教授、私――教授にお話ししたいことがあったんです」

 

 彼女は神妙な顔で教授に向き直る。

 その瞳には、確かな決意の光が宿っているように見えた。

 

 ……それは、俺が聞いていいやつなんだろうか。

 部外者は席を外した方がいいのではないだろうか。俺の病室だけど。

 

「監督生には、他生徒から補佐役を選任する権利がある……そうですよね?」

「ええ。……まさか、ようやく候補が決まったのですか?」

 

 教授の問いを受け、シュトラールは一瞬だけ目を伏せる。

 やがて、迷いを振り払うように顔を上げた。

 

「はい、彼を――オズリック=スタンリーを、監督生の"補佐役"に指名します」

 

 なるほど、俺をその補佐役に……

 

「えっ?」

「……本気ですか?」

 

 思考が止まった。

 その正気とは思えない言葉に、教授の声も僅かに低くなる。

 

「もちろん、本気です――私に足りないところを補ってくれる、理想の補佐役です。彼以外に考えられません」

 

 そう言って、シュトラールは笑みを浮かべた。

 どこか吹っ切れたような、晴れやかな笑顔だった。

 

 エルネスタ教授は、しばし俺たち二人の顔を見比べ――やがて、穏やかな微笑と共に頷く。

 

「――分かりました。では、そのように手続きいたします。確かに、あの問題児たちを御するには彼のような人間こそが適任なのかもしれません」

 

 どこか楽しげにそう言って、教授は俺の顔を見た。

 褒められているのか、遠回しに厄介者扱いされているのか、判断に困る言い回しだった。

 

「しかしながらシャルロット、あなたに掛かる負担も通常の比ではないでしょう。……後悔は、しませんね?」

 

 柔らかな声の奥に、教師としての真剣さが滲む。

 だが、シュトラールは迷わず顔を上げた。

 

「平気です――私、優秀ですから」

 

 胸を張って言い切る。

 彼女はスカートの裾を整え、くるりと踵を返した。

 

「それでは、失礼します。またね、スタンリー」

 

 軽くこちらに手を振って、シュトラールは医務室を後にする。

 

 扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。

 やがて、再び俺と教授だけが残された医務室に静寂が戻った。

 

「……なんというか。一皮剥けましたね、彼女。あなたのお陰でしょうか」

「俺は何もしてませんが……」

 

 ぽつりと呟いた教授の言葉を、俺は真っ向から否定する。

 

 俺の知らないところで、勝手に殻を破っただけだ。

 それにたまたま俺が関わっていたとしても、自分の手柄だと思うほど図々しくはない。

 

「しかし、シャルロットがスタンリーを、ですか……意外な組み合わせですが、どこか納得感もあるような」

「……何の話ですか?」

「青春ですねえ……」

「何が?」

 

 意味深な視線を向けられ、思わず眉をひそめる。

 教授はそれ以上は語らず、肩をすくめるだけだった。

 

 どうにも揶揄われているようで、先ほどとは違う意味で居心地が悪い。

 話題を変えるように、俺は咳払いを一つした。

 

「それより、俺が監督生補佐って……本気で認めるんですか? 拒否権は?」

「監督生からの指名には、病気等のやむを得ない場合を除き、基本的に拒否権はありません。諦めなさい」

「……マジですか。どうなっても知りませんよ」

 

 取り付く島もない教授の態度に、俺は大きく息を吐いた。

 

「それに、私としても良い案だと思えてきました」

 

 そんな俺の様子を見て、教授は愉快げに目を細める。

 

「スタンリー。彼女の仕事を手伝うことは、あなた自身の成長にも繋がるでしょう。あなたは優秀ですが、少しばかり他人の目に無頓着すぎるところがあります。英雄を目指すなら、もっと人と関わるべきです」

 

 淡々とした指摘。

 否定できないからこそ、その言葉は耳に痛かった。

 

 そして教授は、シュトラールの出ていった扉へと視線を向ける。

 

「さもなければ――強力なライバルに、先を越されてしまいますよ」

「……強力なライバル、ですか」

 

 確かに、彼女はそうなり得るだろう。

 現時点で俺よりも"英雄"に近い人間の一人であり――死霊術師()すらも味方に引き入れようとしているらしい、清廉で貪欲な彼女なら。

 

「ああ、そうだ。依頼はしっかり果たしましたよ」

 

 ふと思い出したように、俺は口を開く。

 さっきまでのやり取りとは、少しだけ違う話題だ。

 

「? なんのことですか?」

「ほら、彼女を助けてやってくれと言っていたじゃないですか」

 

 首を傾げるエルネスタ教授に説明を加える。

 思い返すのは、数日前に廊下で交わした教授自身の言葉。

 

――可能であればで構いません。彼女が困っているのを見かけたら、僅かでも助力をお願いします。

 

「一度だけですが、身を挺してシュトラールを庇いました――教本の借り(・・・・・)くらいは返せましたかね」

 

 初めて赤鬼(レッドオーガ)と相対した時、咄嗟に彼女を庇ってしまった理由を俺はずっと考えていた。

 

 なぜ、あんなに迷いなく身体が動いたのか。

 『シュトラールが可愛い女の子だからつい守ってしまった』などという理由は、俺の中で全く腑に落ちなかったのだ。

 

 そして、一つの答えに行き着いた。

 恩義のあるエルネスタ教授の頼みがあったからこそ、俺はああいう行動に出たのだと。

 

「……莫迦者。代わりに怪我をしろとまでは言っていません」

 

 返って来たのは叱責の声。

 その視線は鋭いが、どこか柔らかくもあった。

 

「そもそも、貸し借りなど最初からないのです。私は職務を全うしている――いえ、全うしようとしているだけなのですから」

 

 ぴしゃりとした物言いに、俺は肩を竦める。

 

 まあ、彼女ならそういうだろう。

 元から褒めて貰えるとも思ってはいない。

 

「――しかしながら」

 

 そう前置きして、教授は真っ直ぐにこちらを見た。

 

「身を呈して他者を庇うのは誰にでも出来ることではありません。個人的な感想ですが……英雄と呼ばれる人間は、それが出来る者であって欲しいと思います」

 

 僅かに微笑み、言葉を続ける。

 

「オズリック=スタンリー――不器用でひねくれ者。しかし強く優しいあなたが、いつか英雄と呼ばれる日を心待ちにしていますよ。お大事に」

 

 

 

 

 

 

――四日後。

 

 医務室での静養を終え、完治とまではいかずとも日常生活に支障がない程度に身体を動かせるようになった俺は、数日ぶりの授業を受けていた。

 

 肋骨の奥にまだわずかな違和感は残っているが、歩くことも、階段を上ることも問題ない。

 『無理はするな』という医師の忠告を、適当に聞き流せる程度には回復している。

 

 教室の扉を開けた瞬間に向けられた視線の数々はなかなかに居心地が悪かったが、死霊術師でなくとも退院初日は似たようなものだろう。

 むしろ、好奇や恐怖、嫌悪の視線は、普段の日常が帰って来たのだと俺に実感させるものですらあった。

 

「――授業の最後に、アレスという男の話をしよう」

 

 低い声が教室に響く。

 教壇には、ヴァレンシュタイン教授がいつも通りの厳つすぎる顔で立っていた。

 その背後の黒板には、ただ一つの名だけが記されている。

 

 アレス。

 それは、十三年前に厄災の魔女を降して"英雄"となった、生ける伝説の名前だ。

 

「言わずと知れた最新の"英雄"である彼は、二十五年前にこの学園を卒業した。この教室で、彼の名を知らぬ者などいないだろうが――万が一、知らぬという者がいるなら図書室で直近十年ほどの新聞を漁りたまえ。嫌でも彼の名を目にすることになるだろう」

 

 黒板に刻まれたその名を、教授は指先で軽く叩く。

 

「彼は言った――自分は生まれた時から英雄だった訳ではない。人は、孤独なままでは天より授かった才能を形にできない。多くの人間と出会い、互いの力を認め合い、切磋琢磨することで、ようやく己という器を満たすのだと。学園生活の中で得た、読書では得られぬ知見こそが、自らを英雄たらしめたのだと」

 

 英雄様も、随分と耳に痛い言葉を言うものだった。

 

「この学び舎には、その全てがある。知識があり、挑戦がある。何より、共に歩む同輩がいる」

 

 教授の視線が教室を一巡する。

 

 それは若人に対する期待の視線――なのだろうか。

 単に、生徒たちが話を聞いているか確認しているだけかもしれない。

 

「如何なる大器も、有意義なもので満たされなければ意味がない。分かりやすい試験などよりも、普段の日常こそが本当の試練なのだと胸に刻みたまえ。以上」

 

 そして、終業の鐘が鳴った。

 

 張り詰めていた空気が解け、ヴァレンシュタイン教授は振り返ることなく教室を出る。

 ざわめきが波のように広がり、終業後の喧騒が教室を満たしていく。

 

 ……共に歩む同輩、か。

 

 教授も無茶を仰るものだ。

 死霊術師にそんなもの、そう簡単に作れはしない――

 

「――シャルちゃーん、今日も甘いの食べに行こうぜえ」

 

 その時、聞き知った名を呼ぶ弾んだ声が耳に届いた。

 視線の先には、黒髪のツインテールを揺らす女子生徒。人懐っこい笑みを浮かべ、シュトラールの肩に顎を乗せている。

 

「ごめんね、ノエル。今日は用事があるの」

「えー? また先生に頼まれごとかー? 真面目ちゃんだなぁ」

「そういうのじゃないけど……ちょっと、ね」

 

 シュトラールは曖昧に笑う。

 ノエルと呼ばれた少女は唇を尖らせつつも、すぐに「じゃあ今度な!」と明るく手を振り、別の友人の元へと去っていった。

 

 ……監督生殿は、俺のような悩みとは無縁そうだな。

 

 そんなことを思いながら、俺は鞄を肩にかける。

 教室を出て、そのまま図書室へと続く廊下を歩き出した。

 

 夕方の光が長い影を落とし、校舎の床を橙色に染めている。

 授業後の雑踏の中で、不意に背後から声がかかった。

 

「――ねえ、オズ。これから、少し時間はあるかしら。今後の業務について話したいのだけど」

 

 振り向けば、数歩後ろにシュトラールが立っている。

 

 "今後の業務"とは恐らく監督生業務のことを指しており、俺を補佐役にするとかいう話が本気だったことに今さら驚く。

 しかし――それよりもまず、引っ掛かったのは別の部分だった。

 

「……オズ、って」

「オズリックだから、オズ……嫌?」

 

 シュトラールは、少しだけ不安そうに首を傾げる。

 彼女は俺を苗字(スタンリー)呼びであり、ファーストネーム、それもあだ名で呼ぶような間柄では無かった筈だ。

 

 どういった心境の変化か――いや、その答えは分かりきっているか。

 

 血迷っていると今でも思うが、彼女が本気で俺を補佐役に据えるつもりなら、いつまでも他人行儀な苗字呼びではやりにくい。距離を縮める必要があると考えたのだろう。

 いきなりあだ名で呼ぶのは段階を飛ばし過ぎではないかと思うが、短い方が呼びやすいのは確かだし、拒絶する理由も特に無かった。

 

「呼びたいように呼べよ、シュトラール」

「ありがとう。ただ、その……」

 

 彼女はそこで言葉を止めた。

 

 指先が制服のスカートをきゅっと摘まむ。

 視線が泳ぎ、やがて意を決したように、そっとこちらを見上げた。

 

「あなたの方からも、シャルって呼んでくれると……凄く嬉しいのだけど……?」

 

 そして、夕陽に頬を染めながら言う。

 

 ……なんだ、この破壊力は。

 自分を女性に弱いと評したことはないが、認識を改める必要があるかもしれなかった。

 

「っ、いや……俺は別に構わないが、いいのか? 死霊術師と友達だと思われるぞ」

「望むところよ、だって――」

 

 彼女は一歩、距離を詰める。

 

「――私たち、もうお友達でしょう?」

 

 言い切る声は、驚くほどまっすぐだった。

 授業後の喧騒の中、石造りの廊下に二人分の影が並ぶ。

 

「……この学園で、そんなことを言われたのは初めてだ」

「でしょうね」

「おい」

 

 思わず眉をひそめると、彼女はくすりと笑った。

 

「ねえ。まだ、あなたの口からちゃんと聞いてなかったと思う」

 

 その表情が、不意に真剣さを帯びる。

 

「私の補佐役に……なって、くれる?」

 

 廊下の窓から、夕日が差し込む。

 橙色の光が彼女の顔を縁取り、淡い金髪がきらめいた。

 

「――」

 

 少し間を置いてから、俺はわざとらしく顔をしかめる。

 

「面倒臭い」

「えっ」

 

 率直な俺の言葉に、彼女の顔が露骨に固まった。

 

「当然だろう。他生徒を指導したり、世話を焼いたり……どう考えても俺向きの仕事じゃない。君もエルネスタ教授も、血迷っているとしか思えない」

「え、ええ……引き受けてくれる流れじゃないの……?」

 

 事実を淡々と並べていくと、その表情が見る見るうちに曇っていく。

 

 断られると思ったのだろう。

 しかし、それは早合点というものだ。

 

「……引き受けないとは言ってない」

「――」

 

 小さく息を吐き、言葉を付け加える。

 

 一瞬の沈黙。

 それから、ぱっと花が咲いたように彼女の顔が明るくなった。

 

「うんっ! よろしくね、オズっ!」

 

 弾むような声。

 少女の顔いっぱいに広がる笑みは、夕陽よりも眩しく見え――しかし、すぐに表情を引き締め、じとりとした抗議の視線を向けてくる。

 

「ただ……あなたの言い回しも相当面倒くさかったわよ……」

「ああ、知ってるよ――悪いな、シャル」

 

 観念したように肩をすくめる。

 『引き受ける』のたった五文字を素直に言えなかったのは、どう取り繕っても子供っぽい照れ隠しという理由にほかならなかった。

 バツが悪そうな俺の表情を見て、シュトラール――シャルは、呆れたように小さく笑った。

 

 こうして、俺に入学以来初の友人が出来た。

 

 勿論、それ自体は歓迎すべきことに違いないのだが……それに伴って"監督生補佐"などという面倒な立場に置かれたこととの差し引きで考えれば、やはりなんとも言えないのだった。

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