起床。
窓から差し込む陽光の感触。
微かな風が窓から吹き込み、夢と現実の狭間に揺られていた意識が覚醒していく。
上体を起こし、寝癖を撫でながら置き時計に目を向けた。
時刻は朝の七時半。普段よりは遅いが、慌てて朝の支度をする必要はない。
何故なら、今日は
「朝、か」
分かりきったことを呟くと、遠く窓の外で汽笛が鳴った。
市街区を走る路面列車が動き出したのだろう。
安息日にまで出勤とは、車掌さんもご苦労なことだ。その分は別日に休暇を取っているのだろうが、多くの人間が閑日に甘んじる中で労働するのは気が滅入ることに違いない。
社会はそういった大人たちの勤労の精神によって成り立っており、その労力には素直に脱帽するほかないが、しかし俺は未だ気楽な学生の身。
休日くらいは楽をさせて貰おうと、いつもよりのそりと起き上がった。
――グラン=マグノリアは、学園でありながら都市でもある。
というよりは、本校舎を中心とした円環状に広大な"学園城下町"とでも呼ぶべき市街区が広がっているのだ。
学園の敷地内で寮生活を送る我々生徒は、日用品の買い出しや友人との遊び歩きのためにしばしば街に繰り出すことになる。
まあもっとも、こと俺に限っては市街区への用事など前者しか無いわけだが。
「……」
やめよう。
いくら何でも、心の中で自虐するなど卑屈が過ぎる。
非生産的な思考を切り上げ、目を覚ますために洗面台へ向かう。
金属製の蛇口を捻ると、金属管の奥で軽く振動が走り、少し間を置いてから水が流れ出した。
「――ふう」
冷水で口を濯ぎ、母親譲り
地元の農村からグラン=マグノリアという国内有数の都市圏に移り住んで感激したことの一つは、発達した上下水道の存在である。
近隣の川や井戸まで水を汲みに行く必要はなく、桶に雨水を貯める手間もない。
さらに温度調節のつまみを回せば、
村にいた頃、魔導ランプやボイラーを始めとする幾つかの家庭用魔道具は都会じゃ生活必需品なのだと行商人が宣っているのを聞いたことがある。
当時は都会人のなんと贅沢なことかと呆れていたが、今となっては俺も彼らに深く同意せざるを得ない。
寮生活ゆえ、高価な
「……さて」
髪型が最低限整ったことを確認すると、俺は手近な椅子に腰掛けた。
今日は何をして過ごそうか。
休日にも学園設備の多くは生徒に開放されているので、いつものように図書室で古語辞典を引きながら死霊術の教本を読み進めてもいい。
しかしどうせなら、平日には出来ないことをしたい気持ちも――
――コン、コン。
その時、扉から控えめなノック音がした。
こんな時間に訪問してくる相手に心当たりはない。
というか、こんな時間じゃなくても俺の部屋を訪ねてくる者など基本的に皆無である。
数秒間の硬直の後、コン、と再び軽い音。
……まあ、無視するわけにもいくまい。
俺は疑問を払拭し切れないまま取っ手に手をかけ、扉を開ける。
最初に目に映ったのは、朝の光を受けて輝く金色の髪だった。
「――おはよう、オズ。調子はどう?」
休日だというのにきっちりと学園制服を身に纏った立ち姿。端正な顔立ち。
最近なにかと縁のある優等生――シャルロット=シュトラールが、澄ましていながらもどこか気安い表情でこちらを覗き込んでいた。
「……君が来たこと以外はいつも通りだ、シュトラール」
色々と思うことはありつつも軽口で返すと、彼女は腕を組んで頷いた。
「なるほど、生活習慣が乱れていないことは感心ね。休日ともなると、お昼過ぎまで寝ちゃうって人も多いから」
「……監督生殿のお褒めにあずかり、光栄の」
「ただし」
彼女は組んでいた腕を解き、ほんの一歩だけ距離を詰めた。
金色の髪を揺らし、細い指先でピッと俺を指す。
「次に苗字で呼んだら、怒……らないまでも、拗ねるからね――おはよう、
俺を見上げるその顔は、先ほどまでの監督生然とした表情ではない。
ほんのわずかに唇を尖らせた、年相応の少女のものだった。
「……ああ。おはよう、シャル」
呼び直すと、彼女は今日はじめての笑顔を見せる。
「ふふ、よろしい。早速だけど、制服に着替えて頂戴――仕事よ、補佐役さん」
それは、にこやかな口調とは裏腹に有無を言わせぬ響きだった。
「……了解」
短く返しながら、内心でため息をつく。
何をとち狂ったのか、彼女は先日"監督生補佐"とかいう字面からして面倒臭そうな役職に俺を任命した。
つまるところ、彼女がわざわざ俺を訪ねて来たのは他でも無い。
俺の穏やかな休日を、見事に潰すためであるらしかった。
「……武術トーナメント?」
手早く制服に着替え、人通りの少ない休日の廊下をシャルと並んで歩く。
歩きながらに聞き返すと、彼女は歩調を緩めることなく頷いた。
「ええ。有志参加による模擬戦大会。とはいえ、規模としてはあまり大きくないわ。技量や精神力の向上を目的として武術使いの生徒たちが定期的に開催する、同好会や
そんなものがあるのか、と小さく息をつく。
まあ確かに、戦士の訓練には技を打ち合う相手が必要になる場合も多いのだろう。一人でも詠唱や術式の鍛錬ができる魔道士とは色々と勝手が異なるらしかった。
「今日の仕事は、その大会の運営が校則や安全規定に則っているか確認することよ。試合結果での賭博や危険行為が横行していないかとか……言ってしまえば、監視役ね」
「……なるほど。監督生の仕事っていうのは案の定クソだる――」
「オズ?」
「もとい、労力を掛ける価値のある立派な仕事なんだな」
横目から飛んできた刺すような視線に、俺はやむなく言葉を訂正する。
そのまま、校舎の大扉を抜けて中庭に出た。
屋内とは違う外の空気が頬を撫でる。
青空は高く、雲は薄い。休日らしい穏やかな天気だった。
中庭に敷かれた遊歩道を進むにつれ、生徒の姿がぽつぽつと増えていく。
制服姿もいれば私服姿もいるが、みな一様にそれぞれの武器を担ぎ、同じ方向へ向かっているあたり、目的地は俺たちと同じらしい。
何人かの生徒はシャルと挨拶を交わし――次いで、横にいる
いずれにせよ慣れた反応であり、俺としては何ら感じることなど無かったのだが、隣を歩く監督生殿は違ったらしい。
周りに人が少なくなったタイミングでため息をついた。
「……覚悟はしていたけれど、前途多難ね」
「解雇してくれてもいいぞ」
冗談めいた軽い口調ながら、割と本気でそう口にする。
俺としては、静かな日常に戻れるに越したことはない……のだが、彼女は首を横に振った。
「――いいえ。絶対、皆にオズのことを認めさせて見せるわ」
さいですか。
俺は小さく息を吐き、彼女の半歩後ろを歩きながら肩をすくめる。
人の厚意とはかくも面倒なものだったかと、胸の中で呟きながら。
「さて、と……開催場所は、この広場ね」
「へえ」
広場を見渡しながら、俺は静かに息を吐く。
そこは緑色の芝生が広がる湖畔だった。
外縁には低い石段と木製のベンチが並び、穏やかな水面がゆるやかに広がっている。
遠くに見える校舎や木々のほかに視界を遮るものは殆どなく、空がやけに広く感じられた。
生徒にとっての憩いの場、といった風情だが、同時に思いきり暴れる場所としても悪くない。
障害物はほとんどなく、足場も安定しているため、多少派手に立ち回っても周囲に被害は出にくいだろう。
「……学園に、こんな場所があったのか」
低い声で独り言ちる。
課外授業で来るような場所でもなく、これまで俺がここに足を運んだことは無い。
そのことについて、少しばかり勿体なかったかもしれないと思ってしまう程度には心地よい場所だった。
てっきり、トーナメントと言うからには演習場か競技場で行われるものだと思っていたのだが、それらの施設は休日も利用者で埋まることが多い。
学園の正式な行事でもない以上、貸し切るのは難しかったのだろう。
広場には、既にまばらな人だかりが出来ている。
武術トーナメントという割には手ぶらで来ている者もちらほらいるが、考えてみれば俺自身もそうである。参加する友人の応援や観戦目的など、理由は幾らでも思いついた。
「丁度良かったわ。今から最初の試合が始まるそうよ」
ざわめきの中、シャルが小さく告げた。
やがて人垣が自然と割れ、円形の空間が生まれる。
その中心へ、二人の生徒が向かい合う形で進み出た。
片や長槍を携えた細身の男子生徒。片や盾と剣を構える、がっしりとした体格の生徒。
周囲を取り囲む生徒たちも視線を中央へと集め、軽い野次や勝敗予想が飛び交っていた。
「――第一試合、始めっ!」
審判役の生徒による号令が響く。
同時に槍がしなり、盾が構えられ、芝が大きく踏み荒らされる。
数合の打ち合いの後、槍使いは一歩引いて距離を保ち、円を描くように動く。
盾持ちは無闇に追わず、重心を低くして機を窺う。
「……間合いの取り合いね」
隣でシャルが呟いた。
その刹那、槍使いが大きく踏み込み、穂先を跳ね上げるように振りかぶった。
盾持ちの視線と防御が上方へと誘導され――意識の逆を突くような、死角からの鋭利な足技が決まる。
おお、と周囲の歓声が上がった。
――なるほど。
俺は分類的に魔道士タイプであり、武術には全くと言って良いほど明るくない。
しかしこうして見ている分には、なかなか悪くないものだ。
刹那の中で繰り広げられる戟戦は単調に見えて、実際には一瞬の判断の積み重ね。
言わば駆け引きの連続であり、また視覚的にも見応えがある。相手の視線を誘導し、能動的に死角を作り出すといった発想自体は、死霊魔法の戦術にも応用できるだろう。
俺は目立たない位置にある石段に腰を下ろす。
少し硬いが、座り心地は割と良かった。
「……」
芝の青い匂い。舞い上がる土埃。
得物のぶつかる音に、若い声援。湖面から渡る風の感触。
そのまま試合を眺めていると、やがて勝負が決したようだ。
槍使いが拳を上げ、一際大きな歓声が上がった。
「なんというか……青春してるなー、あいつら」
「何を他人事みたいに言ってるのよ。あなたも同じ生徒でしょうに」
隣でシャルが呆れ顔をする。
同じ生徒とは言っても、俺には間違っても彼らの中に混じることは出来ないのであり、普通に他人事以外の何でも無いだろう。
「……なあ。俺たちの仕事は、トーナメントでの監視役だったと思うが。今みたいに見てるだけでいいのか?」
「いいのよ、これで」
ふと湧いて出た俺の疑問に、シャルは落ち着いた声で答えた。
「何をするわけじゃなくても、監督生がここにいること自体が重要なのよ。それだけで、よからぬことを企む人もあまり無茶は出来なくなる。抑止力ってやつね」
「そういうものか」
まあ確かに、連中だって馬鹿じゃない。
規則を守らせるためと言っても、常に口を出したりする必要も無いか。監督する立場にある者が近くにいるというだけで、人は多少まともになる。
最初は面倒だと思っていたが、トーナメントを観戦するだけでいいなら気楽なものだ。
「シュトラールさん、次だよ」
その時、横合いから落ち着いた声が飛んできた。
声の方に視線を向けると、運営を手伝っているらしい女子生徒が手元の紙を見ながらこちらに向いている。
「あ、はい!」
シャルは即座に返事をし、立ち上がった。
風に揺れていた金髪を指先でまとめ上げると、慣れた手つきで後ろに流し、きゅ、と紐で結ぶ。
結い上げた髪が小さく揺れるたび、陽光を受けてきらりと光った。
よくよく見れば、腰には例の魔剣がない。
代わりに下げているのは、訓練用と思われる無骨な剣。彼女はそれを無駄のない動作で静かに引き抜く。刀身の刃は潰してあった。
「……参加してたのか」
「剣士がトーナメントに来て、ただ見ているだけっていうのも勿体ないでしょ。……応援、よろしくね?」
思わず漏れた問いに、シャルは肩越しに振り返る。
その表情はどこか悪戯っぽく、その碧眼には僅かな高揚が混じっていた。
俺は呆然とその背中を見送り、深いため息を吐く。
なぜだか、妙にしてやられた気分がした。
「シャルちゃん、頑張ってえ!」
「いつも通りでいいぞー」
彼女が広場中央の定位置に立つと、人垣から声援が上がった。
相変わらずの人気者ぶりである。
友達や仲間など選び放題だろうに、何を好きこのんで陰気な死霊術師を連れ回そうとするのか、俺にはやはり理解できなかった。
やがて、審判の号令が響き――
「――あーあ、寝坊しちまった。おい、そこの一年。今は何試合目だ?」
唐突に、背後から声を掛けられる。
声の主はおそらく、俺が死霊術師だと知らない、もしくは気付いていないのだろう。そうでないなら、ここまで気安く話しかけてくることなど有り得なかった。
「……俺の記憶が正しければ、今は三試合目の筈ですよ」
一応は質問に答えながら、ゆっくりと振り向く。
そして、その声の主と目が合い――
「――げッ!? お、お前は……!」
「……え?」
"その人物"は、俺の顔を見て素っ頓狂な声を上げた。
つられて、俺も間の抜けた声を上げてしまう。
それは制服を着崩した、体格の良い男子生徒。
目付きは鋭く、ネクタイの色からして上級生で――俺には、彼の顔に
――『問答無用! か弱き婦女を守るため、貴様に決闘を申し込む!』
脳裏に思い起こされるのは、他ならぬ彼の言葉。
今から、二週間ほども前になるか。
俺が女子生徒にスケルトンを嗾けたと誤解し、半ば無理やりに決闘を申し込んだ男。
決闘の中では鋼鉄魔法を用いた見事な殺陣を演じたが、最終的には大量の骸骨を前に気絶という微妙すぎる形で幕を引き、死霊術師の評判悪化に一役買った厄介な先輩。
名前は確か、ゼイン先輩。
彼が、苦虫を噛み潰したような顔でそこに立っていた。
「……」
「……」
沈黙。
何故か俺の隣に腰掛けたゼイン先輩は、さっきから一言も発しなかった。
「……なぜ、隣に座るんですか」
武術トーナメントにあるまじき葬式のような空気に耐えかね、俺はできるだけ感情を排して問いかける。
「あ? ダメなのか? この場所は死霊術師殿の専用ですってか?」
「そういう訳じゃありませんが……先輩は嫌じゃないんですか。俺が隣で」
「嫌に決まってんだろ」
なんなんだよ。
俺が眉をひそめると、彼は腕を組んだまま、ふんと鼻を鳴らした。
「例の決闘で、お前に恥をかかされてから散々だ。ガールフレンドにも振られるし……いや、どうでもいいけどな、あんな女。マジで」
あまりどうでもよく無さそうだった。
俺に失恋の経験はない――というか、失うほどの恋をした経験がそもそも無い――が、傷心から立ち直れない人間もそれなりにいると聞いてはいる。
恨み言を言われる筋合いは無いが、同情する気持ちが無くもなかった。
「お前とは関わりたくもねえ、が……この石段はもともと俺の定位置なんだよ。試合の様子を俯瞰するのに丁度いいんでな」
愚痴るように言いながら、先輩は腰を落ちつけ直す。
どうやら、本気で俺の隣に座り続けるらしい。
「……そうですか」
俺は小さく息を吐き、諦めて視線を試合へと戻す。
この石段は俺のものではないし、先輩に退去を求める権利があるわけでもない。この状況が嫌なら、俺の方が立ち去るしかない。
そして、俺もこの場所を離れるつもりはなかった。
あまり死霊術師がうろうろすると他生徒は気が気じゃないようだし、自ら望んで訪れたわけじゃないとはいえ、そんな形で折角の大会に水を差すのは本意ではないからだ。
「つーか、何でお前はここにいんだよ。武術トーナメントってガラでもねえだろ」
低く、うんざりとしたような声で先輩が言う。
「シャル――監督生の付き添いですよ」
「……シュトラールちゃんの? へえ」
視線の先、広場の中央では、シャルが踏み込みを紙一重でかわし、舞うような剣捌きで相手の武器を跳ね上げていた。
歓声が波のように広がり、陽光をを受けた金髪がきらりと光る。
「お前が監督生補佐になったって校内の掲示板に張り出されていたが、マジだったんだな。出来の悪い悪戯かと思ってたぜ」
「掲示板」
小さく復唱する。
交友関係の殆ど無い俺の貴重な情報源ではあるが、最近はあまり見ていなかった。
そんな俺の反応を見て、先輩は意地の悪い笑みを浮かべて続ける。
「今、学園中はその話題で持ち切りだ。死霊術師がシュトラールちゃんを洗脳してるとか、何か凄い弱みを握ってるとか、それを盾に夜な夜な自室に連れ込んで、あんなことやこんなことを……」
「……下世話が過ぎる」
知らぬ間にまた増えていたらしい悪評に、思わず眉間を押さえる。
「というか、洗脳って……もはや死霊術も何も関係無いじゃないですか」
馬鹿げた話である。
死霊術の領分はあくまでも
そして――もし俺が都合よく誰かを洗脳できるなら、手近な女子を手籠めにするなどという
「噂なんてそんなもんだろ。誰も本気で信じちゃいねーよ……と、言いたいが」
先輩はそこで言葉を切り、広場の中央で声援を浴びているシャルの方を見る。
次いで、ちらりとこちらを横目で見た。
「今回ばかりは微妙だな。だって、補佐役ってのは監督生直々に指名されるもんだろ」
「……まあ、そうですね」
「それはつまり、お前が
それはどうだろうか。
普通に好悪よりも気質や能力で選ぶ方が一般的だと思う。
問題は、俺の気質も能力も監督生業務に向いているとは言い難いということだが。
「美人で優しくて成績優秀。困ってる奴がいれば親身になって助けるし、監督生の立場を鼻にかけたりもしねえ。だというのに、これまで浮いた話はないときてる。言い寄って玉砕した連中は数知れず」
先輩は指折り数えるように並べ立てる。
「陰険な死霊術師が、そんな彼女をどうやってモノにしたんだって話だ。それが、この噂の原点だろうな」
……まあ、彼女が人気者であることと、俺が陰険な死霊術師であることは否定のしようも無いが。
しかし、はっきり言って彼の――というか、この噂を流している連中の目は穿ち過ぎている。
男女が多少親密な関係になったとして、それを恋愛と直結させるのは短絡的というものだ。
男と女の友情は成立するか、などという不毛かつ語り尽くされた論争に興味は無いが、少なくとも俺と彼女の関係値は明確である。
「別にモノにしてません。俺とシャルはただの友人ですよ」
「ほー……まあ、俺からすればどうでもいいがな」
含みのある相槌。
どうでもいいと言いながら、俺の言葉を全く信じていなさそうだ。
――というか。
そもそも、俺とこの先輩はこんな話をする仲だっただろうか。
「……さっきから、いやに饒舌ですね。隣に座っているからと言って、あえて話す必要はないと思うんですが」
半ば確認のつもりで続ける。
「嫌いなんでしょう、俺のこと」
「まあな」
先輩は一拍置いてから、あっさりと頷いた。
変に取り繕う気はないようだ。
「お前には恥をかかされたしな」
……正直、その言い分もかなり理不尽だと思うが。
決闘を挑んできたのも、勝手に泡を吹いて気絶したのも彼の方である。
「だったらなぜ――」
「最近、心がささくれ立っていてな。嫌いな奴ほど絡みやすい時期なのさ」
その心情は……まあ、分からなくもないか。
優しさや慰めよりも敵意をぶつけられる方がマシだと感じる時期もあるだろう。嫌いな相手には気を遣う必要もない。
「それに――お前のことは嫌いだが、言うほど恨んじゃいねーよ」
あっけらかんとした声で先輩は付け足した。
「お前は決闘から逃げなかったし、卑怯なこともしてねえからな。戦法は陰険だったが」
思わず彼の方を見る。
その視線は試合に向いており、何ら嘘や打算を秘めていないことは明白だった。
「……そうですか」
短く返す。
それから暫く、彼は何も言わなかった。
やがて、試合が終わる。
審判の声が響くと、堰を切ったように歓声が湧き上がった。
周りの生徒たちが何人か彼女のもとに押し寄せ、祝勝の声を掛ける。
彼女はそれに笑顔で応じ――その後、こちらに向けてぱっと明るい笑顔で手を振った。
「……いや。お前ほんと、あの子と何があったんだよ」
「色々あったんですよ」
隣で低く唸る先輩に、俺は曖昧に濁す。
地下迷宮での件を、一言で言い表すことなど出来まい。
いや、端的な言葉で表現することは可能だったかもしれないが――俺はなぜだか、そうしたいとは思えなかった。
そんな俺の様子に、先輩はどこか呆れた声で「あっそ」と返した。
「しかし……あれだな……」
「? どうしました?」
彼にしては妙に歯切れの悪い前置きだった。
問い返すが、先輩は顎に手をやったまま視線を逸らさない。
その視線の先はシャル。
正確には、生徒たちの輪の中で笑顔を振りまく彼女の白い脚部。制服のスカートの裾あたり。
……彼は一体、何を考えて――
「あの太ももをお前が好き放題してるって考えたら、やっぱり腹が立ってきた」
「してねえよ」
想像の遥か斜め上を行く発想に、思わず敬語を忘れる。
柄にもなく感傷めいた思考に浸っていた数十秒前の自分を全力でぶん殴りたい気分だった。
逃避するように空を仰ぐ。
眩しさに目を細めながら、なんともなしに俺は思った。
死霊術師の習性か、あるいは生まれ持った性分か――昼よりも、夜の方がよほど性に合っていると。
そのような、青少年にはあり触れているであろう陳腐な思考と共に、英雄学園の休日は少しずつ更けていくのだった。