環姉妹の真ん中っ子 作:匿名
西から魔女が流れてくることが多くなった。
宝崎市の魔女が増えたように感じる。以前は魔女を探し回って一週間に一度くらいの遭遇率だったのに、最近は数歩歩けば当たるぐらいの頻度で、毎日戦っていた。魔女も使い魔も、数を増やしている。私一人では手に負えないのを、ひしひしと感じる。
お休みの間は、日がな一日魔女を探して歩くことが多くなった。悲しいことなんだろうけど、休日に一緒に遊ぶ友だちなんていないから……。
こうして私が戦っている間に、クラスのみんなは勉強をしたり、遊んだりしているんだろう。寂しくは思うけれど、羨ましさも、どうして私だけが、という恨みも、びっくりするほど無かった。
私の胸には、大きな穴が空いていて、そこにどんな感情も吸い込まれて無くなってしまう。
まるで、大切な何かをなくしてしまったみたいに……いつも、どこか物足りなくて、寂しくて、悲しい。
周囲の喧騒から、膜一枚で隔てられたように、どんな出来事にも没入できないでいる。
クロスボウを構える。魔力を込め、撃つ。
長い睫毛、金色に巻いた体毛。可憐な子鹿のような見てくれをした魔女の蹄が、踊るように水面を蹴る。巨大な蓮の葉が揺蕩う。蕾が花開く。光の霧が漂う。魔女は攻撃されているというのに楽しげだった。
結界の規模と使い魔の数、そして魔女が持つ穢れの量からして、勝てる相手だとは思うけれど、いかんせんすばしっこい。子鹿は雫をまとい、こちらに攻撃をし返すわけでもなく、ダンスするように私の矢を避ける。
水面が揺れると花が咲く。その花から甘ったるい匂いがした。よくない匂い。毒かもしれない。呪いかもしれない。ゆめならどういう戦い方をしただろう。衝撃を与えたら花開き、霧が噴くのは目に見えていて、攻撃するわけにもいかない。
子鹿が苛立ったように前足を強く水面に叩きつけた。魔女の体に咲く小さな蓮が花弁を散らす。
この魔女はむしろ、私が自分に攻撃しないと怒るのだ。
布を持ち上げ、勢いよく下ろしたように、水面が波打った。山となったエメラルドの水に打たれ、蓮が花開いていく。光が満ちて、迫りくる。
私は咄嗟に息を止めた。それからどうするのか、全然思いつかなかった。
だめ……私は、まだ、終われないのに……!
目を閉じかけて、叱咤された気がした。
──「ちゃんと敵を見て! 姉ちゃん!」
敵を見ないと──反撃の隙もつけない。
クロスボウを構える。怯みかけた心が、不思議と立ち直っていた。絶対に勝つんだ。そう思い、迫ってくる光の霧と波に向け、魔力を集中させた瞬間。
「ビッククランチからのー……ビックバーン!」
女の子の声が湖に谺して。
閃光が花を焼き、霧を潰し、エメラルドを焦がし。灼熱が子鹿の魔女を、押し潰した。
「くふふっ。いくら走るのが得意で、へんな花がたくさんあっても──何もかもぜーんぶ壊すくらいの魔力をぶつけられたら、どうしようもないでしょ?」
結界が溶けて消え、地面が戻ってくる。
町の中心から離れた、人気のない水辺。暗く冷たい雰囲気の場所だけど、空気がおいしく感じる。光の霧を吸い込んでいたのだと思う。深呼吸すると、体の中からおかしな高揚が消え、現実感が心地いい重みとなってお腹に積もっていく気がした。
そうだ、結界はこの場所にあった。記憶の扉がこじ開けられる感触に、魔女の結界に取り込まれかけていたのを実感してぞっとする。
ざっと砂利を噛む音が、後ろから聞こえた。
振り返ると、ふりふりの日傘を開いた女の子が地面に降り立つところだった。豪奢なスカートから少しだけ膨らみが抜ける。
小学生くらいの、見たことのない魔法少女。だけど魔力の強さというか、存在感は私よりもずっと強い。子鹿の魔女を焼き払い、勝ち誇っていた声の子だろう。あれだけの魔力の放出があったにも関わらず、少女が胸元に飾るソウルジェムは、はっきりとした赤色を保っている。
彼女はご機嫌にグリーフシードを拾い、顔を上げ、私を見た。
とろりとした、大きな瞳。赤みがかった茶色の目は、珍しい色でもないのに印象に残る。とても可愛らしい顔立ちをしていて、お人形さんみたいだ。
その目が、ぱっと見開いた。
「環いろは……?」
「え? どうして、私の名前……」
くるんと上を向いた睫毛がまたたく。ぱちぱち、ぱちぱち。
少女は笑った。自信のある笑顔だ。
「キュゥべえからこの町の魔法少女のこと、ちょっとだけ教えてもらったんだよー。勝手にテリトリーで戦ってごめんね? はいっ、これどーぞ!」
武器であろう傘を消して、彼女は拾ったばかりのグリーフシードを差し出してくる。不思議と、あまり子どもっぽさは感じなかった。育ちがいいのか、緩い口調からは考えられないほど、彼女の動作には品があった。
「あっ……ううん、私は大丈夫。今日は他にも魔女を倒しててね、グリーフシードに余裕があるんだ。先に結界にいたのは私だけど、魔女を倒したのはあなただから……」
それに、年下の子から貰うというのも……気が咎める。
「駄目だよ、いろは。ここはあなたのテリトリーなのに、そんなに弱気になったら、他の魔法少女からつけ入れられるよ?」
──「姉ちゃん。弱気になったら駄目だよ。ここのテリトリーではグリーフシードをかすめとっていい、好き放題していいって思われたら、わたしたちが大変になるんだから」
「ううっ……ごめんね……」
「くふふっ! いろはって意外と弱気だねー? 謝る必要なんて、ぜんぜんないのに。
あのね、教えてあげる。こういうときは、『ありがとう』でいいの」
「うん……ありがとう。でも、私は本当に大丈夫だから。グリーフシード、本当に……本当にたくさんあるの。だから、それはあなたが持っててほしいな」
倒した魔女が必ずグリーフシードを落とすとは限らない。それでも今は、グリーフシードが余るくらいに宝崎には魔女が多かった。
少女はむっと唇を尖らせたあと、可笑しそうに破顔した。
「頑固なんだね。そういうところもそっくり」
「……?」
「あ、気にしないで。あなたが知り合いに似てただけだから。んー……そうだね。そこまで言うなら、これはわたくしが貰っちゃうね」
「うん。……ところで、あなたは……?」
「わたくしは、さ────」
少女がにっこりと笑う。
「──ゆめっていうの。神浜市の魔法少女だよ。
ね、いろは。あなたからちょーっとお話が聞きたいから、付き合ってくれる?」
その名前に、なぜか心臓が跳ねた。
しばらく行ったところに喫茶店があったので、そこで少しお話をすることになった。ゆめちゃんは、林檎が好きなのだろうか。メニューを開いて、アップルパイの写真を見つけた瞬間、目の色を変えて頼んでいた。
私もパンケーキと紅茶を頼む。お金は大丈夫なのか聞いたら、可愛らしいお財布の印象からかけ離れた、おこづかいとは思えないくらいの中身を見せられた。
お洋服もしっかりした感じだし、仕草も落ち着いているし、もしかしたらかなりのお嬢様なのかも……。
注文するとき、店員さんにアップルパイのシナモンの有無を聞いているゆめちゃんを見ながら、そんなことを思った。
「わたくしの好きなアップルパイはシナモンが入ってないやつなの」
どうやらこのお店のアップルパイにはシナモンが入っていないらしく、ゆめちゃんはつやつやとした笑顔で言った。
「シナモン、苦手なの?」
「ううん、食べられるよ。でもね、シナモンが入ってるアップルパイはアップルパイじゃないんだよ。
わたくしが好きなのはね、パイ生地がサクッとしてて、林檎がたくさん入ってるけど、甘すぎないやつ。食べたらね、どんなにいやなことがあっても笑顔になれて、しかも、とってもあたたかくて優しい気持ちになれるの!」
「ふふっ……そうなんだ」
アップルパイかぁ……。なんだか懐かしい。昔、何度か作ったっけ。
物凄く衛生面と計量に気をつけて作った覚えがある。今にして思えば、やりすぎだと思うくらい。あの頃は料理に慣れていなかったから、失敗しないように、凄く気を張り詰めていた。
そんなことを思い出しながら、他愛のないお話をして、注文したものが届くのを待つ。
紅茶とパイが届いたときのゆめちゃんは見るからに浮足立っていた。
でも、一口食べた途端、しゅんと眉を下げた。
「バターが入ってる……」
「バター……?」
「わたくしが好きなのはね、フィリングにバターが入ってないやつ。まぁ、おいしいからいいけど……」
お店のアップルパイって、結構シナモンかバター、もしくはその両方が入っている印象がある。私が買ったものがそればかりというだけかもしれないけれど。
もちろん手作り品だって、レシピにバターや、シナモンパウダーの文字が書かれていることはある。だけど、私の使っていたレシピは──林檎とメープルシロップと少しの砂糖、あとレモン汁しか使わないから、なんとなく、ゆめちゃんが好きなのは市販のものや、お店が出してくれる凝ったものじゃなくて、手作りのアップルパイなのではないかと思った。
ただの思いつきだから、口には出さなかったけれど、どことなく寂しそうなゆめちゃんに胸が痛んだ。
「いろはに聞きたいのはね、この町の魔法少女のことだよ」
ゆめちゃんは落ち込んだ表情から一転、真剣な顔をする。
「この町の、魔法少女?」
「うん。なんだか宝崎市って、魔女も使い魔も、すっごく多いよねー?」
「そうだね。最近になって、特に増えた気がする」
「それで、今は春休み。四月に入ったけど、たっぷり時間が作れるお休み期間中。グリーフシードを貯めるのにうってつけ。いろはが今日魔女狩りしてたのは、お休みだからっていうのもあるよね?」
「そう、だね?」
「わたくしね、いろはと会う前にけっこー魔女を倒したんだよ。んー……五体くらい?」
「ごっ……!?」
「テリトリーのことは知ってたから、結界の前で人を待ったりしたんだけどね。ずーっと誰も来ないから、全部倒しちゃった。……そう、誰も来なかったの。不自然なくらいに」
──ねぇ、いろは
ゆめちゃんの目が、光を通して赤く染まって見えた。
「宝崎市の魔法少女って、どれくらいいたの?」
ざあっと。
頭の中で、霧が晴れた。
「あ……」
そうだ。どうして、気づかなかったんだろう。
他の魔法少女を全く見かけないのだ。
手に負えないと感じるのは当然だ。他の魔法少女を見かけない──彼女たちが魔女を倒していないのなら、私が全て倒さなくちゃいけないのだから。
この広い宝崎を、一人で全てカバーできるわけがない。
魔女が増えたと感じたのは、魔女が減らなくなったからだ。
「魔法少女、は……一つの区に、一人か二人くらいで……でも、最近、見かけてない。あと、ごめんね。変かもしれないけど、私、そのことに気づかなかった。今、ゆめちゃんに聞かれて、はじめて頭のもやもやが晴れた感じがして……」
「……いろはは、どうやって魔女が生まれるか知ってる?」
「え……? えっと、使い魔が成長する、からだよね?」
「……そうだよ」
言いながら、ゆめちゃんは心ここにあらずといった様子で、フォークを置いた。
大きな目が、考え込むようにここではないどこかを見ている。彼女は一口紅茶を飲んでから、再び私に質問した。
「宝崎の魔法少女で、住所とか、連絡先とか知ってる子はいる?」
「……! 一人だけなら」
私は急いで鞄を探り、スマホを手に取った。
黒江さん……さらさらとした黒髪を持つ少女を思い浮かべる。宝崎市北区の魔法少女。ときどき、情報交換したり、一緒に魔女退治もしたりする。
アプリのトーク画面を、そっと開く。一ヶ月前に送った私のメッセージには、既読がついていない。
その旨を話すと、ゆめちゃんは画面を見せるように言った。
「ブロックされちゃったのかな……」
「黒江って人は気づいたらすぐに返信してくれるタイプなんだね」
「うん」
「わたくしとしては、ブロックの可能性はあんまり考えてないかなー」
「え……?」
スマホを返してもらう。お店から出たら、電話をかけてみようか。そんなことを考えながら鞄にしまう。
「どうして……?」
「わたくし、神浜から来たって言ったでしょ? 神浜市は今ね、他の町の魔女が集まってきて、魔女結界が犇めいている異常な状況下にあるの」
「そ、そうなの!? あ、だから東から流れてくる魔女がいないんだ……」
「そーそー。で、わたくしはその異常事態解明のために、お外はどうなっているのかにゃあって思って、この町へ調査しに来たんだ。事前に新聞記事やネットニュースも浚って、宝崎市でどれだけ魔女の被害が出ているかも調べたんだよ」
「すごい……」
「くふふっ。でしょー? わたくしとってもすごいの!」
ゆめちゃんは、ここ数ヶ月で魔女が起こしたと思しき事故や災害の被害者たちを、宝崎の地図にまとめたのだという。自慢げにスマホを取り出したゆめちゃんが、すっと無表情になる。どうしたんだろう?
「……は?」
「ゆめちゃん?」
「…………なんでもないよ、いろは。ちょーっと予想外のメッセージが来てただけだから。えっと、はい! これ」
白い指が通知を消す動きをしたあと、スマホがこっちを向いた。
「魔女の被害は、各地でこういうふうにクラスターができるんだよ」
画面を見せられて、思わず溜息をつく。被害者の人たちを思うと胸が痛いけれど、わかりやすく作られている。
……救えなかった人たちが、こんなにもいるんだ。
「でね、このクラスターの中に、魔法少女っぽい子がいないんだよね」
「そうなの?」
「見て、十代の女の子があんまりいないの。つまり、宝崎市の魔法少女が魔女に負けて激減した、なんてありえない。表沙汰になっている分にはね」
「本当だ……」
ゆめちゃんがスマホを消灯する。
「戦いに負けたわけではない。なのにお休み期間中、こんなに魔女が溢れてて、活動している魔法少女はいろは一人。そしていろはは、魔法少女がいないことに気がつかなかった。
黒江って人にも何かが起きてるのかもしれない。既読がつかないのは、さっきのいろはみたいに認識阻害か何かかかって通知を知覚できなかったのかもしれないよ」
「認識阻害……もしかして、そのせいで、魔女退治できない……自分が魔法少女であることも忘れちゃった、とか……?」
私は黒江さんのことも、他の魔法少女のことも、ゆめちゃんに指摘されるまで思い出せなかった。それだけならまだしも、ゆめちゃんは、私以外に活動している魔法少女がいないという。
認識阻害に忘却の効果があるのだとしたら……あまり、突飛な発想じゃないと思う。ゆめちゃんも頷いた。
「可能性はあるよ」
「そんな……誰が、なんのために……ううん、魔女のしわざ?」
「わからない。情報が少ないからね。だから、集めにいこうよ」
アップルパイを口に運びながら、ゆめちゃんはなぜか楽しげに笑う。
「もしかしたら、わたくしが偶然会わなかっただけで、他に活動している魔法少女もいるかもしれないし。あと一戦くらいなら許してくれるよねー」
「許し……?」
「早く帰ってこいって、催促のメッセージが来ちゃった。なんでわたくしが宝崎にいるってわかったのかにゃあ……ほんっと、いつも見透かしてくるんだから……」
「あ、じゃあ、急いだほうがいいね」
私は慌てて頼んだパンケーキにフォークを差し込んだ。唇を尖らせたゆめちゃんが、全然ゆっくりでいいよ、なんて間延びした口調で言うけれど、なんとなくメッセージを送ってきた人に少しでも反抗したくて出た発言だって、わかってしまった。
お店を出たあと、何度か黒江さんに電話をかけたけれど、繋がらなかった。肩を落としていると、ゆめちゃんに黒江さんの所属している学校を聞かれた。はっとする。
「そっか、学校! あの制服は確か、宝崎第三中学校の服だと思う……! 春休みが明けたら、近くまで行ってみようかな……」
「テレパシーで呼びかけてもいいかもしれないよ」
「そうだね。ありがとう、ゆめちゃん」
これで、黒江さんの安否が確認できる。嬉しくて笑いかけると、ゆめちゃんも笑い返してくれた。
「くふふっ。へんなの。黒江を探るのは、わたくしの頼み事なのに、いろはがお礼を言うなんて」
「黒江さんが気になるのは、ゆめちゃんだけじゃないよ。私も、黒江さんの無事を確認したかったから……」
「いろははお人好しだね」
「そ、そうかな……? 普通じゃない……?」
それに、と思う。
「ゆめちゃんも、神浜市のために一人で調査に乗り出しているんだから……優しいと思うよ」
私だったら、そこまでの行動は起こせないかも……。認識阻害がかかっていたさっきみたいに、目の前の魔女に手一杯で。
ゆめちゃんは、きょとんと首を傾げる。わたくしが? 優しい? そう言って、不思議そうにした。
「? どうしたの?」
「ううん、驚いただけ。そんなふうに言われたの、はじめてだったから。いつももっと、人に優しくしてとか、もう少し相手の気持ちを考えてとか言われるんだもん。……わたくしの頭がいいから、他の子にも分けてあげて、とか。他の子はなーんにもくれないのに」
わたくしがあげてばっかり! ぷんぷん怒りながら、ゆめちゃんは足を早める。
なんだか、胸の奥がきゅっと痛くなった。昔、似たようなことを聞いた気がして。
私はゆめちゃんを追いかけて──どうしてそんな言葉が出てきたのかはわからないけれど、つい言ってしまった。
「それじゃあ、私がゆめちゃんに何かあげられないかな……」
ゆめちゃんが突然立ち止まった。ぱっと振り返って、大きく目を見開いている。
「……
まだってどういうことだろう? 不思議に思いつつ、期待のこもった視線を受けて心臓がどきどきと鳴り始める。どうしよう、全然考えていなかった。考えなしの発言だって聞いたら、きっと彼女はがっかりするだろう。
汗をかきながら、私は勢いに任せて言った。
「あ、アップルパイとか!」
「……」
「わ、私ね、料理は結構得意なの。ゆめちゃんが喫茶店で言ってた、シナモンとバターが入ってないアップルパイのレシピも持っててね……アップルフィリングには、砂糖の量を抑えて、代わりにメープルシロップを入れたりするんだけど……」
「アップルパイ……」
「あ、ごめんね……初対面なのに、食べ物を提案して……。えっと他のもの……何かないかな……」
お裁縫はゆめが得意だったんだよね。……あれ、今、何を思ったんだっけ? ええっと、そう、ポプリとかは作れるかも……。
何か買ってあげる、という話ではないんだと思う。お金の問題になっちゃうし、ゆめちゃんが求めているものはそういうのではなくて。かたちのない、心のこもったものなんじゃないかなと思う。
いろいろ作れるものを頭に浮かべながら、ゆめちゃんを見る。彼女は大きな目を、きらきらと輝かせていた。
「アップルパイがいい」
「え?」
「材料費は払うから、いろは、アップルパイを作って」
「は、払わなくていいよ、そんな! えっと、どうしよう。今から、は間に合わないだろうし……」
「連絡先を交換しよ! 次会うときに持ってきてよ」
「あ、そうだね!」
次も会えるんだ。……ちょっと、嬉しい、かも。
電話番号を教えてもらい、スマホに登録していく。いつも基本的にアプリで交換してたから、こういった手段には慣れなくて苦戦したけれど、ゆめちゃんが優しく教えてくれた。
「いろはってひょっとしてすっごい機械音痴? 今までどうやって生きてきたの?」
「あう……」
悪意のない本気の疑問は、胸に刺さったけれど。
アップルパイは、あとで今度会える日を決めて、その日に持っていくことになった。春になってあたたかくなってきたから、保冷機能のあるラッピングを買わなきゃ。
こうやってゆめちゃんと予定を決めていると、今までに感じたことのない安らぎと懐かしさを覚える。普段はクラスメイトと話すのもぎこちないのに、彼女相手だとすらすらと言葉が出てくるのだ。
胸に空いた穴が、少しだけ埋まっているような、そんな感じ。
楽しい。けれど、物足りない。私には同じくらい大切なものが、もっとあったような……。
「いろは?」
「……! ごめんね、ぼーっとしちゃって。なんでもないよ。あのね、お金のことなんだけど、こっちから提案したことだし、味の保証もできないから……受け取れないかなって」
「働くなら正当な報酬を求めないと、いろは。……でも、そうだにゃあ。そこまで言うんだったら……お金の代わりに、やっぱりグリーフシードを受け取ってよ。もともと、宝崎の魔女だし、神浜はグリーフシードに困ってないからね」
「もっと駄目だよ!」
ゆめちゃんが鞄から次々にグリーフシードを出すのを必死で止める。私と会うまでに五体も魔女を倒した、というのは──疑ってなかったけど──嘘ではないらしく、彼女の手には六個もグリーフシードがあった。
「それは、ゆめちゃんが命懸けで手に入れた、大切なものなんだよ。宝崎だって魔女は溢れてるんだから、グリーフシードのことは気にしないで」
ゆめちゃん風にいうなら、働いた分の、正当な報酬だ。私が弱いばかりに倒し切れなかった魔女を倒して、魔女の起こす災害を未然に防いでくれた。宝崎市の人たちを守ってくれたのだ。その分のご褒美はあってもいいって、私は思う。
ゆめちゃんが、眉をつり上げた。
「お金もだめ、グリーフシードもだめ、じゃあ何を払えばいいのっ!?」
「ゆめちゃんは、もう払ってるよ!」
「はぁ……?」
握られたグリーフシードを、ゆめちゃんの両手ごとつつんで、鞄に戻してやる。
「私の命を、助けてくれた……さっきの結界で、ゆめちゃんが来なかったら、私、魔女にやられてたかもしれない。命より大切なものってないでしょ……?」
「むー……その話はグリーフシードを貰うことで解決したし、今はアップルパイの話じゃない」
「アップルパイの話にしたって、私がゆめちゃんに何かしてあげるって言ったのがきっかけだよ。ゆめちゃんがお金を払って、私が作って持ってきたら、ただのお買い物になっちゃう」
「それは……」
「ゆめちゃんって、すっごく頭がよくて、魔法少女としても強くて……私が何か与えたり、教えたりはできないかもしれないけど……でも、ゆめちゃんが『自分があげてばっかり』ってつらい気持ちを、これ以上感じないように、一緒に考えたいの」
「……」
「駄目、かな……?」
この子が、どういう境遇にあるのかはわからないけれど。もしも苦しんでいるのなら、その苦しみがなくなるようにしたいと思う。私なんかじゃ、全然力になれないかもしれないけれど。
「…………もーーーっ! 姉妹揃って!」
「え?」
「なんでもないっ、こっちの話! ……わかったよー。お金も、グリーフシードも、払わない……」
「よかった……」
「いろはって頑固すぎ……。“よかった”、だなんて、そんなの……! 本当に調子が狂うにゃあ……」
わたくしの周りって頑固な人しかいない、とゆめちゃんは不満を言いながらも、ちょっとだけ楽しそうで、私はホッとした。
「……でも、やられてばっかのわたくしじゃないよー?」
ゆめちゃんが振り返って、にっこりと笑う。
疑問に思う間もなく、腕を引っ張られた。
「わ、ああ!?」
「魔法少女を探しにいこ! 魔法少女を探すなら、まず見つけなきゃいけないのは魔女結界だよねー。でも、魔法少女は来ないかも。来なかったら、戦わなきゃ。ね、いろは?」
「そ、そうだね……?」
走りながら、魔女の結界を探す。宝崎市は魔女が多い。すぐに魔力反応が見つかった。
「一般人を守るためには戦わなきゃいけない。くふふっ、
「いいの……? でも……」
「やるったらやるの。ほら、もっとスピード上げるよー!」
「ひゃあああっ……!? ま、待って、止まれな──」
ゆめちゃんの走る速度に合わせようとして、もうろくに会話もできなかった。
ぱっと光が散って、ゆめちゃんの姿が魔法少女のものに変わる。
「ここでジャンプ!」
「ひゃあっ!!」
彼女は私の手首を掴んだまま思い切りジャンプした。
街路樹を、建物の屋根を、何もかも飛び越えて、宝崎市が模型になったように小さく見える。
ゆめちゃんは私の体を支えると、落下先を魔力反応があるほうへ向けた。行き先は、廃墟になっているこぢんまりした日本家屋。
小さな手に、畳んだ日傘が現れる。ゆめちゃんは日傘を投げ槍を持つように構えたあと、ぼろぼろと剥げかけた瓦屋根へ、一息に投擲した。
日傘は屋根まで貫かず、手前の空間を割った。ばりんっと音がして、魔女結界の入り口が露出し、日傘が突入する。他の魔法少女が中にいるとは思っていない、結界外からの攻撃だった。
「あれは危ないよ──」
ゆめちゃん、と注意しようとして、言葉を呑み込む。ゆめちゃんが空中に魔法陣の足場をつくって、もう一度ジャンプしたからだ。舌を噛まないように、悲鳴と一緒に注意も喉の奥に戻すしかなかった。
「さぁ、行っくよー!」
高く、高く跳んで、私たちは、魔女結界に墜落した。
止められないとわかって、私も急いで変身する。
結界は、私たちを迎えるかのように、何枚もある障子を次々に開いていった。
桜吹雪が舞う。
私たちが落ちていくのは──宇宙空間。そこに帯のように漂う、教科書で見るような、古い日本の町並みだ。使い魔らしき影が、和気藹々と商いや、井戸端会議をしていて……ゆめちゃんが明らかに宇宙空間のほうに気を取られ、よそ見しているのを横目に捉える。私は視界の端で、桜の花弁が建物をすり抜けたのを見た。
「……!! ゆめちゃん!」
「えっ? きゃあっ」
ゆめちゃんの体を抱きしめ、私は手を上げ、大きな弓を展開した。自分たちを矢として、上空に射出する。宇宙空間に浮く、人が数人乗るのが精一杯の、偽物の星に着地した。
そこにゆめちゃんを立たせ、私はさっき着地点と見据えていた町並みにクロスボウを向ける。いくつも矢を放った。
矢は建物を透過した。被矢した瞬間、まるで煙を突き抜けたように景色が波紋した。
立て続けに攻撃する。砂煙が立ち、光の矢を何度も重ねると、不意に町並みの帯が砕け散る。断絶し、宇宙を漂う、町の残骸があるはずの瓦礫は──赤く錆び、つんと逆立った針の毛並みをまとっていた。
「嘘の町並み……!? 刺さっているのは、あれ、使い魔……?」
「さっき、桜の花びらが建物をすり抜けたから、町は幻なんじゃないかって思ったの」
「……偽物の宇宙が気持ち悪すぎて、気づかなかった……いろはにわたくしのすごいところ、見せたかったのに〜……」
「あはは……」
苦笑いする。ゆめちゃんの凄いところなんて、さっきから見せられてばかりなのに。私こそ、ようやく役に立てた気がする。
「幻をつくってる煙の発生源は上──わたくしたちが落ちてきたところだね。……うわあ」
嫌そうな声が聞こえて、どうしたんだろうと私も頭上を見て……顔が引きつった。
町並みの帯は、私が断ち切った一本だけじゃなくて、頭上にある中心部の大地からいくつも伸びていた。大地の周辺には障子があって、私たちが吐き出されたのはそこからだと思う。
問題は、魔女と思しき帯の発生源。そこにいるのは、頭部に桜を咲かせ、昔のお姫様のように着物を重ねた巨大な人形だ。お姫様、というより花魁さんかもしれない。
ただし、肌は桜の木でも、人形でもなくて……血管。血と、何か……どろどろに混ざった色合いの液体を通した大小さまざまな管が束になって、人のかたちを取っている。血を吸い上げて、桜は満開になり、花びらを宇宙空間に撒いて、薄く光らせる。桜は散っても、すぐに蕾が現れ、開花して、永遠に魔女は咲き誇っている。
彼女が吸い上げている栄養源は、煙で攻撃性を隠した、生け花で使う剣山のような帯から齎されているのだと思う。着物の裾から伸びた管は、そこに接続されているから。落ちていたら私たちも吸い上げられていたかもしれない。刺さっていた、使い魔のように。
「管の隙間かにゃあ、使い魔がいるの……」
中心の大地も管だらけで、隙間から、使い魔らしき幼虫が丸まっているのが見える。
「あそこから煙も出てるみたい。蜂の巣みたいな地面だね」
「そーだね、本当にそんな感じ。今はまだ赤ちゃんだけど、成長したら膜を破って落ちるのかなー。成長速度は一定じゃないね。こっちが攻撃したり、近づいたりしたら、迎撃されそう。いろは、ここから一撃で仕留めるよ」
「え? でも、どうやって……」
戸惑う私に、ゆめちゃんが笑いかけ、手を繋いできた。彼女の顔に、恐怖も不安もない。
「いろはは、コネクトってわかる?」
──姉ちゃん!と。誰かが手を伸ばして、私たちは触れ合った。
託された力を燃料に、私はクロスボウを魔女に向けた。魔力を装填し、矢を放つ。一筋の大きな光と、その周囲を回転しながら無数の小さな光が追いかける。魔女の目の前で大きな光の矢は、真上にぐりんと逸れ、小さな光は魔女の体を抉っていく。
攻撃した光たちは、体内で弾け、無数の糸を四方八方に張り、魔女をその場に固定した。光が上でまたたく。抵抗を許さないまま、光の滝が落ちてきて──
「いろは?」
はっと息を呑む。
「あ、うん。コネクトだよね、わかるよ」
「──なら、説明はいらないね」
触れ合ったところに、魔法陣が一瞬浮かぶ。ゆめちゃんの魔力が、脳裏に走ったノイズをかき消すほど強く、熱く、伝わってくる。クロスボウに今まで感じたことのない力が宿る。
「はいっ、どーぞ! 才能のお裾分け♪ くふふっ」
「すごい……! これなら……!!」
狙いを、桜の人形に定める。魔女はずっと上──平穏な幻の町並みを見上げていて、私たちを攻撃する素振りもなかった。
花吹雪が視界を染める。
…………桜。
大きく鳴った鼓動を。心の揺らぎを掴む前に、私は魔力を魔女に向けて放った。
流れ星のような桃色の矢が何百も、ひょっとしたら何千もの閉じた傘に分かれ、魔女の周囲を取り囲む。
ぱっと花開いた傘が、石突に膨大なエネルギーを溜め、一斉に放った。一瞬の、まばたきすら許さない時間の内に。
桜が燃えて、花びらが火の粉になって宇宙空間を明るく染める。すぐに結界が揺らいで、花びらが燃え尽きるそれすら前に、現実世界の青空が現れた。
がくんと体が沈む。……瓦屋根の上。瓦が崩れた部分に、片足を踏み入れてしまって。
「きゃあああっ!?」
「いろはーっ!?」
落ちかけた私の腕を、ゆめちゃんが大慌てで掴んで引っ張り上げる。勢いあまって、雨風に吹かれて汚れた屋根の上に二人して転がった。
しんと静寂が広がったあと、どちらからともなく笑いが噴き出した。目尻に涙が滲む。
本当は、いつだって、一人で戦うのは怖い。使い魔が成長して、前に倒した魔女ともう一度戦うことはあるけれど、ほとんどの魔女がいつも初対面で、手の内がわからない。今回みたいにトラップめいた結界を敷く魔女も、本体がどこにいるのかわからない魔女も、異質な呪いを用いる魔女もいる。
攻撃方法も、習性も、全然法則がなくて。なんとか生き延びるたびに、自分の踏む現実世界の下に、使い捨てた幸運の抜け殻が夥しく重なっていることを実感する。
グリーフシードで穢れを抜きながら、次の戦いのことを考えて怖くなる。
一歩間違えたら、私は簡単に死んでしまって、死体も残らないんだと想像すると恐ろしくてたまらない。
でも、今日はそれがなかった。
恐怖は変わらないけれど、戦いのあとの疲れはあまり感じなかった。清々しい気持ちで空を眺める。
ゆめちゃんが強かったから、というのはあるけれど、きっと一番は、隣に誰かがいてくれたからだ。
「くふっ、くふふっ! さっきまでかっこよかったのに、あれじゃあ台無しだよ! ふふふっ!」
「は、恥ずかしいからもう言わないでよぉ……ふふ、あははっ!」
笑い声が谺する。
私がグリーフシードを拾ったのを見て、上体を起こしながら、それはいろはのね、とゆめちゃんが言った。
「わたくしのコネクト、すごかったでしょー? 他の子には、滅多にしないんだよ。いろはには特別!」
「ふふ、ありがとう。あっという間に倒せちゃったもんね」
「わたくし、とっても強いからねー」
胸を張るゆめちゃんに、私は手を伸ばしていた。
栗色の頭を優しく撫でる。なぜだか、とてもしっくりきて。なぜだか、切なくなる。誰かの頭を撫でる感触を、私は不思議とよく知っていた。
「……あっ、ごめんね!? 無意識で……」
ゆめちゃんは茫然としたあと、くふっと笑った。
「いろはには驚かされてばっかりかも」
「ご、ごめんね……そんなつもりじゃなくて、ただ、なんというか……」
「いーよ。もっとなでても」
「……ゆめちゃん?」
「特別だよ? ほら、なでなでして!」
ゆめちゃんが私の手を取って、頭の上に乗せて揺り動かす。ああ、そんな動かし方したら、せっかく綺麗な髪がぐしゃぐしゃになっちゃう。直さないと……! 使命感に駆られて、私はゆめちゃんの髪を梳かすように、何度も何度も撫でていった。
「へんなの」
「えっ……?」
「胸の中が、とってもあたたかいの」
ゆめちゃんは目を閉じて、安らいだ笑みを浮かべていた。
「あたたかなもので、いっぱいになる。まだアップルパイ、貰ってないのに」
「……ゆめちゃん」
私も、同じ。
無くしたものが埋まっていくみたいに、あたたかなもので満たされる。
でも、なんとなく、それがこの時間だけで起きる奇跡ってわかってる。
ゆめちゃんと別れたら、私の心はまた、お湯が抜けていくようにぬくもりを失うんだろう。そこに風が吹きつけて、もっと冷たく、寂しく感じるかもしれない。
ゆめちゃんの頭を撫で続ける。この時間が少しでも長引くように。
満たされていても、まだ感じる空っぽな心を、見つけてしまわないように。
黒江さんの無事と、宝崎の状態を報告するために、こまめに連絡を取り合うことを約束して、私は駅でゆめちゃんと別れた。
別れ際に、私は彼女を引きとめた。ずっと言うか言わないか迷っていたことを、相談するために。
「ゆめちゃん。グリーフシードって、勝手に増えたりすることは、あるのかな」
「?? どういうこと?」
他の魔法少女には相談できない。キュゥべえも、原因がわからなかった、私の家で起きた現象。
私を助けてくれたゆめちゃんなら、信用できると思って、全てを話した。
「会ったときに、グリーフシードをたくさん持ってるって、私、言ったでしょ……?」
「うん、記憶してるよ。それがどーしたの?」
「……今日、キュゥべえが発見したんだけどね。私の家の、物置として使ってる空き部屋に……見覚えのないグリーフシードがいっぱいあったの」
「────……どのくらい?」
「二十五個」
ゆめちゃんが目を見開く。
「キュゥべえは本物の、なんの変哲もないグリーフシードだって言ってて。浄化も正常に行えるし、魔法による仕掛けもないって。……でも私、あんなにたくさん魔女を倒した覚え、なくて。それに、なんとなく……使っちゃ駄目な気がして、手をつけてないんだ」
自分の家に、知らない内に置かれたグリーフシードが気持ち悪いとは、なぜか思わなかった。
ただ、使っちゃ駄目だと思った。袋に溜まったグリーフシードを覗くだけで、人が隠している秘密を盗み見てしまったような気まずさを覚えて。私はそれきり、あの部屋にも入れずにいる。
ゆめちゃんが、考え込んだあと、いつも通りに笑う。あまりにも動揺のない顔に、胸がざわついた。
「次、黒江って人に会えそうになかったら、いろはのお家に行ってもいーい?」
「! う、うん」
「安心して。グリーフシードは取り上げないから。んー……そうだね……」
栗色の髪が、ふわふわと風に靡く。
「使わないって選択は、正しいと思うけど。でもいろはが限界だったら、ぜったいぜったい、使ったほうがいーよ。痩せ我慢して、いろはが死んじゃったら──悲しむ人がいーっぱい、いるんだからね!」
グリーフシードも泣いちゃうよ、なんて、ゆめちゃんはおどけて言った。