環姉妹の真ん中っ子   作:匿名

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 灯花ちゃんからの呼び方が呼び捨てだったりお姉さまだったりするのは誤字じゃないです。仕様。



罪告鳥(2)

 

 ──入ってすぐ、大量の本が見えて懐かしさが押し寄せる。あの病室にいたときも彼女はベッドの周囲に本を積み上げていた。

 そこは書斎のような部屋だった。わたしが目覚めた部屋と同じか、それ以上に広そうな一室なのに狭く感じるのは、本がみっちりと詰まった書架が並んでいるからだろうか。更にその棚にすらしまいきれず、あるいは出してそのままにしている本が文字通り山となって部屋を埋めている。

 月光が差し込む窓を背にして、ねむはアンティーク調の両袖机の上に万年筆を走らせ、何やら書き物をしていたようだった。変身していないからか眼鏡をかけていて、わたしはそこにも入院時代の彼女の面影を見出した。

 ゆったりとした部屋着に身をつつんだねむは、再会したときほど体調が悪くなさそうだ。

 やがて一区切りついたのか、つけたのか。ねむが顔を上げ、微笑んだ。

 

「……ごめんなさい、ゆめお姉さん。そんな資格が無いことはわかっているのに、僕はあなたを見つけたら、つい笑ってしまうみたい」

 

 知ってる顔だ。

 無意識に止めていた息を、そっと吐き切る。路地裏で再会を遂げたときの、思い詰めた顔じゃない。魔法少女として……マギウスとして、梓さんやグレイさんに向けていた、どこか畏まった声音でもない。そのことに肩の力が抜けた。

 

「……わたしも、ねむを見つけたら笑っちゃうよ。嬉しくて、つい。それに、笑うことに資格なんて必要ない」

「ありがとう。でも、違うんだ。これはただの自己嫌悪じゃない。言ったでしょう、お姉さん。──僕は、罪を犯していると」

 

 筆を置き、ねむは立ち上がって、そこにかけて、と正面を手で示した。部屋の中央には、応接間にあるようなローテーブルとソファが、ところどころに書物を乗せて置かれている。

 言われた通りに、ソファに腰を沈める。ぱちりと部屋の明かりをつけ、ねむもまた、わたしの対面に座った。

 視界が一気に明るくなり、眩しくてちょっとだけ目を細める。

 

「メムミャン?」

「……おや」

 

 使い魔はまだついて来ていて、自分も当然招かねていると言わんばかりに、わたしの隣に腰かけたり、膝の上に座ったりする。

 

「……ごめん。ついて来たんだけど……」

 

 ねむが溢れそうな何かをこらえるような目をして、唇を緩ませる。無理矢理な仕草に、わたしは彼女が笑ったふりをしたのだと理解させられた。

 

「構わないよ。この子たちは、僕らの味方だから」

「……、そっか」

 

 居住まいを正し、変身を解く。淡い桃色の光が散り、わたしはようやく私服に戻った。肩に重みがかかり、バックが現れる。ストラップから腕を抜き、わたしは未使用のグリーフシードを取り出し、梓さんから受け取った分も合わせて机の上に置いた。

 

「グリーフシード、梓さんから貰ったよ。ありがとう。まだ使えるから返すのと……これはお礼」

「……お姉さん。みふゆに渡したアレは、僕からのお詫びだから返さなくていい。灯花もアリナもさんざんしでかしたと聞いたよ。特に後者は、不必要にゆめお姉さんを追い詰め、傷つけた。全く許しがたい行いだ。世が世なら極刑を言い渡されてもおかしくない。というか、僕が言い渡したいくらい」

「…………ありがとう」

 

 申し訳無さと一緒に、嬉しさが込み上げる。

 

「もう。お姉さん」

「ごめんね。冗談って思ったんじゃないの。あのね、ねむが怒ってくれたことが、嬉しくて。わたしのこと、大切に思ってくれてありがとう」

「……至極当たり前のことだよ」

「傷は治ったから気にしないで。治療は得意なんだ」

「グリーフシードは受け取れないからね」

「それは駄目。──ねむ、相当無理してるでしょ。空間と屋敷からあなたの魔力を感じる。ドッペル……も使ったって」

「……」

 

 話しているうちに、ねむと接していた感覚を取り戻していくようだった。わたしはたぶん、入院していた頃の彼女と、魔法少女姿で現れた彼女がうまく結びつかずにずっと戸惑っていた。

 こうして話していると、ねむの本質はあの頃となんら変わっていないことがわかる。強がりで、抱え込みがちで。

 扉をくぐる前は話す内容をずっと悩んでいたのに、今は嘘みたいに喋りやすい。

 黙したねむを責めていると思われたくなくて、わたしはそっと視線を下ろした。

 重たい唇を、なんとか開いた。

 

「……梓さんからね、マギウスの翼について聞いた」

「そう。どこまで?」

「ねむと灯花とグレイさんが、魔法少女を解放するために『マギウス』をやってること。そのマギウスがつくった自動浄化システムの仕組み。梓さんたち翼が感情エネルギーを集めて魔女を育てていること。……あと」

「お姉さんは、魔女化のことを知っている?」

「!」

 

 拳を握った。

 

「知ってる、けど」

「いつ、知ったの? いろはお姉さんは……」

 

 気づかわしげな、それでいて恐れるような目を向けられ、つい叫ぶように答えた。

 

「姉ちゃんは大丈夫、魔女になってない! 魔女化のことも、知らない」

「よかった……」

 

 ねむはもう一度、溜息とともに安堵を吐き出した。よかった、と。

 ……これが演技でなければ、ねむはわたしの願い事を本当に知らない。少なくとも、固有魔法はキュゥべえから聞いていない。知っていたら、姉ちゃんの魔女化を恐れるはずがないから。

 そのことに安心する間もなく長い睫毛が持ち上がり、紫色の瞳が鋭くわたしに問いかける。

 

「なら、ゆめお姉さんはどうして……?」

 

 わたしは事前に用意しておいた答えを、なんとか口にした。

 

「宝崎には、もうほとんど、魔法少女がいないの」

 

 嘘ではない。

 

「……もしかして、魔女に?」

「……うん」

 

 これは、嘘。わたしは【記憶】以外で魔法少女が魔女になるところを見たことがない。

 騙せると思ってついた嘘じゃない。姉ちゃんに対して以外、嘘をつくのが得意じゃないわたしが、怖いくらいの洞察力を持つねむを欺くのは難しい。この子は灯花とは違った意味で、なんでも知っているのではないかと思わされる。

 うつむくと、膝の上で手足をぱたぱたさせていた使い魔が、体勢を変えてわたしを見た。舷窓がわたしの、がちがちにかたまった表情を映す。

 嘘をついたと知られ、軽蔑されても、魔女化をどうやって知ったのか、いつ知ったのかという問いには絶対に答えられない。言いたくない。契約前に、ソウルジェムの真実を知っていたことを。

 ういの快癒を祈ったのは、姉ちゃんだと知られている。

 もしもわたしがソウルジェムの真実を把握した状態で姉ちゃんより先に契約したと思われたら、ろくでもない事情を疑われるだろうし、姉ちゃんのあとで契約したと当てられれば、願い事はほとんど特定されたも同然だ。姉ちゃんを魔法少女から解放することに願いを使うに決まっている。

 だとすればわたしの固有魔法はどういったものになるか。その答えに辿り着かない少女じゃない。

 わたしには、魔法少女を人間に戻す力がある。そんな破格の魔法の代償は、まっとうな神経を持つ人間なら自殺を覚悟させるものだ。だからわたしは、全てが終わったらソウルジェムを砕くつもりだった。

 目の前のこの少女が、わたしよりも親友や姉ちゃん、世界を優先してくれる合理性を発揮してくれるのなら話せるけれど、どうだろう。わたしは彼女の優しく穏やかな一面しか思い出せないでいる。さっき、わたしのために怒ってくれたような。

 あるいは灯花であればわたしの語ることに理解を示してくれるかもしれないけれど。

 ……自動浄化システムがあるなら、わたしも魔女にはならないだろう。だけどわたしはこのシステムを信用できない。

 大きな奇跡を起こすなら相応の代償がいる。魔女化という、魔法少女になった時点で固定された結末を捻じ曲げるには、誰かが不都合を担わなければならない。こんな魔法を持っているからこそ痛切に思う。

 わたしからすれば当然に浮かぶ疑問だった。自動浄化システムは、いったい誰が貧乏籤を引いているのか。

 

「ヒュメミャン」

 

 使い魔が鳴く。

 

「ホべーミャンビョコゥ」

 

 ……死にたいわけじゃない。梓さんに言ったみたいに、痛いのなんて怖いに決まっている。一回経験した【記憶】もあるのだから。

 ただ、死への恐怖を、“夢”への執着で踏み潰せているだけ。姉ちゃんと、わたしが見た夢。桜の木の下で、あの病室に集まったみんなと再会すること。

 それが叶うなら、ソウルジェムくらい、砕いてみせる。姉ちゃんの夢には、わたしにとってそのくらい価値がある。

 生き残ったって、一人になったら意味がない。またそんなことになるなら、一人で死んだほうが、まだいい……。

 ──みんなに置いていかれたあの人生でも救いはちゃんとあった。終わりよければ全てよし、とまではいかないけれど、看取る人はいてくれたし、最期は希望を見つけた。わたしは【記憶】のわたしを不幸だとは思わない。

 だけどやっぱり、あんな無力感や後悔は、二度と抱えたくないんだ。

 意を決して、ねむの目を見た。

 透き通った双眸はまるで、わたしの内心を見通しているかのようだった。

 

「そうか。やっぱり、大変だったんだね」

 

 彼女は平坦にそう言った。

 わたしの嘘に、少なくとも今は突っ込む気がない。

 

「やっぱりって?」

 

 声が震えた。

 

「お見舞いに来ていたとき……ういの退院が決まり、僕と灯花の病に快復の兆しが見えていた頃だったかな。ゆめお姉さんも、いろはお姉さんも、ひどい顔色をしていたから。灯花が言っていた。自分たちの代わりに、お姉さんたちが体を病んだみたいだと。まぁ、残念なことに、あながち間違いではなかったのだけれど」

「ちが……ごめんなさい。それは、わたしが姉ちゃんを付き合わせたせいなの」

「付き合わせた?」

「キーホルダーのことわかってるなら、姉ちゃんとわたしが何をしてたかもう知ってるよね」

「……お姉さんたちは命懸けで戦いながら、僕らを癒し続けていた」

「わたしね、今でこそ戦い慣れたけど……契約したときは本当に弱くて。武器なんて糸だしね。一緒に戦う姉ちゃんに、ずっと負担をかけてた。

 ねむたちを治すのは、全然、つらいことじゃなかった。少しも負担じゃなくて。ただ……本当に、あまりにもわたしは弱かった。あのとき姉ちゃんが疲れ果ててたのはわたしのせいなの。わたしが足を引っ張ってた」

 

 強い魔法を持った引き換えなのか。わたしは魔法少女として物凄く弱かった。固有魔法に才能を食われて、他の能力に魔力を全く回せなかった。

 武器として生成できた糸なんて、契約したてのときはか細く脆いものが数本といった程度で、身体能力も姉ちゃんと比べてかなり劣っていた。

 なまじ魔法少女だった【記憶】があるのが悪かった。【記憶】のわたしは、武器だってまともなものを持っていたし、固有魔法も戦闘に有用なもので、なおかつ戦いを教えてくれる先生がいて……あのわたしの感覚のままでいたから、初戦は間抜けにも死にかけたのを覚えている。

 先輩魔法少女としては噴飯ものの惨状に呆れ果てたのかもしれない。ねむは長く溜息をついた。自分たちが原因で姉ちゃんが苦しい思いをしたわけではなかったことに、安堵もあるのかな。わたしとしては苦味がこみ上げる思い出だけれど、ねむの心が軽くなるなら自分がどれだけ浅い考えをしていたのかいくらでも話せる。弱いせいで、わたしは姉ちゃんに固有魔法を使うわけにはいかなくなったのだから。

 

「……謝らないで。ゆめお姉さんのせいであるわけがない。そういうことは二度と言わないで」

「それは、ねむがわたしの弱さを知らないからだよ。本当にひどかったんだよ、わたし」

「だとしても、ゆめお姉さんを助けることを、いろはお姉さんが負担に思うわけがない。それに……どんなに足手まといだったとしても、いろはお姉さんにとっては、ゆめお姉さんの存在は救いだったはずだよ。魔法少女として一人で戦うのではなく、事情を知り、助け合い、苦楽をともにしてくれる家族がいることは」

 

 それは思ってもみない視点だ。そう、だったのだろうか。身近で疲弊していく姉ちゃんを見てきたわたしには、そんな考えは持てない。

 いつか助けるから。絶対に魔法少女の運命から逃してみせるから。

 言い訳じみた言葉を唱えながら、姉ちゃんを戦いに付き合わせた。

 

「だったら、いいな」

 

 わたしの存在が姉ちゃんの救いになっていたとは到底思えないけれど、ねむの言う通りだとしたら、わたしの心は少しだけ安らぐ。

 ねむが僅かに口を開き、それから閉ざし、きっと言いたかったのと別の言葉を吐いた。

 

「ゆめお姉さんは、自動浄化システムについて、どう思った?」

「……っ」

 

 さっきとは別の緊張が背筋に走った。

 

「当ててみせようか」

 

 儚げな面差しに、微笑みが浮かぶ。

 

「……まって」

「革命のごとし希望だ。このシステムさえあれば、いろはお姉さんは魔女化しない。僕と灯花も魔法少女の運命から救われる。自分も、短命を覚悟しなくてよくなる」

「待って、お願い」

「だけどあなたは必ず疑問に思う。ここまでの話から、僕と灯花がこのシステムを構築したことは知ったはずだ。それが魔法少女の願いと固有魔法を使わなければ成し遂げられないだろうことも、あなたなら推察できる」

「おねがい、もう少しだけ……」

「僕と灯花が魔法少女になったのなら、ういは? 彼女もまた魔法少女の素質があったというのは、僕が既に言及したからね。気づいていたでしょう?」

「……っ」

 

 言葉にできなかった──したくなかった違和感が、ねむに全て拾われていく。

 わたしは自動浄化システムのことがいまいち信用できなかった。

 ねむと灯花の天才性は疑っていない。だけど彼女たちでさえ手を出せるのか疑問に思うほど、キュゥべえの支配する魔法少女システムは絶対的だった。わたしはそれを【記憶】で痛いくらい思い知らされたし、この世界で得た固有魔法が内包していたデメリットにも感じさせられた。

 希望で歪めた現実は、必ず絶望で帳尻合わせしなければならない。

 わたしの持つ魔法ですらその法則から逃れられなかった。

 ──大きな奇跡を成すなら相応の代償がいる。

 ──魔女化という、魔法少女になった時点で固定された結末を捻じ曲げるには、誰かが不都合を担わなければならない。

 

 ──自動浄化システムは、いったい誰が貧乏籤を引いているの?

 

 さっき、自分で思ったことだ。

 

「『環ういは僕の目の前で魔女になった』」

「……」

 

 唇を噛みしめる。

 もういい、と言おうとして、口を噤む。ねむの目は壮絶な覚悟を垣間見せていた。彼女は罪を告白している。わたしが引き継ぐのは、嫌がる。わたしにそれを言わせまいとしているのだ。

 

「システムの要は、僕と灯花。アリナは被膜を張り、維持しているだけにすぎない。なら、ういは? 僕たちはいつも三人一緒だったし、退院前のういが一人別の場所で願いを叶えたとは考えにくい。ふと……あなたは、思い当たる。マギウスの他に、魔法少女の救済を成しているものがいることを」

「……」

「奇しくも、それは魔女と呼ばれている。……その使い魔は、よくお姉さんに懐いているね」

 

 こらえきれなくなって両手で顔を覆う。告げられた言葉にさしたる驚きがなかったのが、ねむの発言の正しさを証明している。わたしは無意識下では気づいていた。

 きっかけになったのは、梓さんの言葉だ。わたしにまとわりつく使い魔を見て、ねむにも似たようなことをする、何か感じるものでもあるかのように、と彼女は言った。あの瞬間に、環ういは魔女になったという一言を、わたしは少しだけ脳裏に浮かべ、すぐに消した。

 大きな奇跡を起こすときは、誰かが不都合を担わなければならない。魔法少女にとって、奇跡の対価は魔女になる結末。

 ういがその不都合を担った。姉が自分のために魔法少女になったなんて知れば、あの子は契約するだろうし、親友二人だけに過酷な運命を背負わせることは絶対にしない。

 

「計画に支障が出ないように。マギウスの元に集った魔法少女が余計な罪悪感を持たないように、彼女たちには“人工魔女”と説明しているけれど、僕と──灯花とアリナは、アレに元となった魔法少女がいることを把握している。もっとも、二人にういの記憶は無いけれど」

 

 ういを下敷きに、自動浄化システムは成り立っている。

 妹は二度と浮上できないような悪夢の底で苦しんでいるだろう。魔女になる苦痛をわたしは知っている。

 

「そう──エンブリオ・イブは、環うい。彼女の体は、僕の目の前で魔女化した。その肉体と精神は手遅れなほど変質している」

 

 ゆめお姉さん、とねむが悔いに満ちた声で告げた。

 わたしは顔を上げた。

 

「ういはもう、助からない。僕は助けようとは思わない。アレは、無理だ。僕と灯花の手に負えない」

 

 かつて、あの病室で目覚ましい才覚を示していた少女が、諦めを口にする。

 

「ういの願いは、お姉さんたちを救うことだった」

 

 心がすっかり折れている。

 

「……僕たちの考えの甘さが、ういを殺したようなものだ。だからせめて……僕は、彼女の願い(遺言)を叶える。イブを魔女化させ、自動浄化システムを世界に広げる。他に何を犠牲にしても、誰を踏みにじっても、ゆめお姉さんといろはお姉さんだけは救ってみせる。僕たちの願いは、ただ業を背負うだけのものじゃないと証明する」

 

 わたしは絶句した。

 

「マギウスの翼の計画は、止めることができない」

 

 この子、死ぬつもりだ。

 

「……半魔女、なんでしょ」

「ああ」

「まだ魔女化してない……」

「そうだね。でも、それだけだ」

「納得できてないの。何もかも、全部」

「知ってる」

「何を見たの。ねむ。あなたは何を見て、そんなふうに……」

 

 言いたいことは山ほどあった。そのどれもが、口にしていいのかわからないほどにひどい言葉に感じられた。

 取り乱さなかったのは、ねむの前だからだ。わたしを唯一、“お姉さん”と呼び慕ってくれる彼女の前では、特に、涙を見せたくなかった。その一心でわたしはソウルジェムを濁り切らせずに済んでいる。

 

「……お姉さん。僕はね、告解したかった。誰かに、この罪を認めてもらいたかった。『許してほしい』なんて言わない。ただ、僕が罪人であるということを……他ならぬ、あなたに知ってもらわないと駄目だった」

 

 ──それでも本当は、あなたにも知らせずに全てを終わらせるつもりだったんだよ

 繊細で、我慢強く、簡単に泣くことをしなくなった少女の、くしゃっとした笑みが胸をずたずたに裂く。ういを魔女化させたことに罪悪感があるとはいえ、魔法少女が救済される仕組みを構築したことについて、ねむに後悔はないんだろう。わたしがねむと灯花に魔力を費やしたのと同じように。

 それはきっと、ういもだ。あの子は姉ちゃんとわたしを助けるためなら、たぶん、魔女になることを厭わない。底知れないほど優しく、思いやりに満ちている子だった。本当に、嫌になるくらい。わたしは妹のそんな部分が、誰かのために身を擲ってしまう未来を予感させて嫌いだった。

 二人がわたしたちのために死ぬ?

 ……そんなの許せない。

 そのときわたしを襲った激情には、悲しみと驚愕だけでなく、怒りも混ざっていた。また、置いていくの? また、わたしを一人にするの?

 彼女たちの自己犠牲の理由に自分が含まれていることが許せない。

 そうさせてしまった自分も許せない。

 犠牲が出るのなら、それはわたしじゃないといけない。今度こそ、わたしは、みんなを助けてみせる。姉ちゃんの夢を実現させてみせると誓った。

 誰も絶対に死なせない。

 

 不意に、風が頬を撫でた。魔力の起こり。ねむが変身して、魔法少女としての武器であろう本を顕現させた。

 ただでさえ空間の維持に魔力を使っているのに。膝からころころと使い魔が転がり落ちていく。立ち上がりかけたわたしに、ねむの視線が向く。

 

「……むふふ。心配性だね、ゆめお姉さん。……そんな顔をしないで。大丈夫。たかだか記憶を伝えるくらいなら、全く負担じゃない」

「記憶って……」

「今から、僕の記憶をゆめお姉さんに伝える。僕らがどうやって魔法少女の真実を知り、どんな祈りをキュゥべえに捧げたのかを、あなたに見せる。どうか止めないで、お姉さん。僕の罪を知って。……そこに、僕が大切な親友を諦めた理由があるから」

 

 ……わたしは返事の代わりに、グリーフシードをねむの前に置き直した。

 彼女は困った人を見る顔をして、でも今度は文句を言わなかった。

 

「『記憶ミュージアム』を覚えている?」

「……みんながつくってたウワサだよね。いつでも、思い出を振り返れるように。退院しても、病院での楽しかった出来事を体験できるように、ういが発案したウワサ」

「僕の固有魔法は『具現』でね、物語を現実に生み落とすことができるんだ」

「この、お屋敷も?」

「うん。ホテルフェントホープのウワサという。これは僕が、マギウスの翼の活動拠点として創造した」

 

 ページを撫でた華奢な手が、何かを握る動作をして持ち上がった。指にはハンドベルがつままれていた。

 記憶ミュージアムは、ベルを鳴らせば、望んだあらゆる記憶が見られるウワサだ。元となったのは、神浜記録博物館という建物。

 チリンと、ねむの指がハンドベルを揺らした。

 ぱらぱらとページがめくれる音がする。

 開いた本から朝日のような、柔らかい薄金色の光が溢れ出す。光は徐々に明度を増し、やがて輝くページとともに噴出した。

 本から噴き出す紙がわたしたちを取り囲む。あっという間にドームのようにわたしたちに被さったそれは、ふっと輝きを消した。秋の夕暮れ色の光に照らされていたねむの姿も闇に掻き消える。

 そして、銀幕に光差すように、周囲に映像が浮かんだ。

 現れたのは、あの懐かしい病室だった。

 息を呑み、辺りを見渡す。立ち上がり、ソファの背に手をかけて振り返った。

 円形の部屋。壁の半分はガラス張りで、そこに寝台が三つ等間隔に並んでいて……。

 膝で押す座席がかたくなる。いつの間にかわたしが座っていたのは、柔らかなクッションが詰められたソファではなく、病室の中央にあった、白く塗られた木製の椅子になっていた。

 ひやっとした手触りに瞠目する。のっぺりとした映像は嘘のように奥行きをつくり、試しに手を伸ばしてみると、用紙の壁があったはずの場所に触れるものはなく、空調の効いたほのかにあたたかい風が皮膚を撫でるだけだった。

 

「こ、こは……」

「懐かしくなるね」

 

 振り向くと、魔法少女姿のねむが、本を開いたまま佇んでいた。

 何も言えずにいるわたしに、彼女は告げた。

 

「ゆめお姉さん。僕はこの物語を、ハッピーエンドに導けなかった。

 ──これからあなたが見るのは、僕たちの祈りが欠けるだけのお話だ。そこにあるのは、希望の残骸でしかない。あなたの魂を打ち砕く絶望でしかない。

 それでも……僕にはその残骸に、熱が残っている気がしたんだよ」

 

 ねむの指がページをめくる。

 耳元で、ぺらりと紙がこすれる音がした。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

『わたし、病気治ったんだって……』

 

 言っているういも、夢を見ているような、茫然とした表情をしていた。

 今月で二度目の急変を起こし、今回こそはもう無理だと、()は親友を失う覚悟をかためていた。一度目の発作から体力がなかなか回復せず、もうずっとういの顔色は悪かった。枕が上がらない日々が続いた上でのこれだ。

 灯花と手を繋いで、僕はぼうっと、ういのいない病室を眺めていた。沈黙が雪のように積もっていく。漠然と、ういの次は僕だと思った。

 灯花もそれを感じていたんじゃないか。彼女は爪を立てる勢いで力の抜けた僕の手を握っていた。

 だからこそ、奇跡の回復を見せた上、病が完治したというういからの知らせはまさしく青天の霹靂だった。

 何かの間違いじゃないかと最初は疑った。あの容態から生き延びてくれたことはもちろん嬉しいけれど、まっさおを通り越して土気色だった顔色の彼女を見てきた身としては、にわかには信じがたい。

 しかし、環ういは医師の診断を裏づけるように、その日から元気溌剌に日々をすごした。ういの白い肌は、林檎のように鮮やかに色づいて褪せなかった。

 ういが元気になってすぐ、いろはお姉さんと、ゆめお姉さんがお見舞いにやってきた。

 

『お姉ちゃん! ゆめちゃん!』

 

 扉を開き、そこに並ぶ二人の少女の姿を認めた途端、ういは駆け出した。

 

『うい……!』

 

 顔を明るくさせたいろはお姉さんとは違い、ゆめお姉さんの反応は鈍かった。

 ういがいろはお姉さんに抱きつく。ういがまた発作を起こしたことを知っているのだろういろはお姉さんが、恐る恐る妹の肩を掴んで体調を確認するために引き剥がす。

 いろはお姉さんの何かを発する前に、ういが喜びに満ちた声で吉報を告げた。

 

『あのね、お姉ちゃんあのね、わたし、病気治ったの! もうどこも悪くないの……!』

 

 いろはお姉さんの目が見開かれた。

 

『先生も心底驚いていたよ』

『ねー。わたくしもびっくり! 現代医学じゃ完治は難しい病気だったのに、まさか治っちゃうなんて魔法みたい』

『本当に……この目で、こんな奇跡を見る日が来るなんてね』

 

 お姉さんが破顔し、言葉もなくういを抱きしめた。僕の角度からは見えないけれど、きっとその表情はあたたかな喜びで彩られているのだろう。

 つい、と僕はゆめお姉さんに視線をやる。

 ゆめお姉さんはずっと姉妹から顔を背けて、拳をまっしろになるまで握り込んで沈黙していた。目が赤く、よく見ると目尻が湿っている。

 

『……ゆめちゃん?』

 

 ういがいろはお姉さんの腕の中から顔を出し、きょとんと首を傾げた。自分の元に来ないもう一人の姉を訝しんだのだと思う。

 ゆめお姉さんが余計に顔を背ける。横顔が髪に隠れ、表情が完全に見えなくなる。珍しいことだった。この人が誰かを無視するところなど見たことがない。それも、妹を。どんなにういに小生意気なことを言われても、作業を邪魔するようにじゃれつかれても、常に妹を優先してかまっていた人が。

 いろはお姉さんがしゅんと眉を下げた。

 

『……来る前に、ちょっと言い争いになっちゃって』

『え、言い争い!? お姉ちゃんとゆめちゃんが……?』

『いろはお姉さまとゆめが、言い争い……?』

『……驚天動地。明日は槍が振るか、それとも天変地異か……』

『そ、そんなに意外かな』

 

 意外どころの話じゃない。確かにゆめお姉さんは姉に対しては、少し素直じゃないというか、つんとすました態度を取ることがある。とはいえ強烈な物言いはしない。いろはお姉さんに心配されても、大丈夫だし、と突っぱねたり、いろはお姉さんが困っているとさりげなく手助けして、姉ちゃんのためじゃないし、と小さな嘘をつく程度だ。しかも、そのとき頬をまっかにして口角が緩むから、照れ隠しがわかりやすい。あの人もたいがいシスコンである。

 そんなゆめお姉さんのつんつんしたところをたまらなくかわいいとでも言うように、にこにこ笑顔で見守っているいろはお姉さんにだって、言い争いをするような要素が見つからない。

 

『何が原因で喧嘩したの?』

 

 灯花が直球で聞くが、いろはお姉さんは困り笑顔で、ゆめお姉さんはそのまま、黙ってどちらも答えない。

 

『ゆめちゃん……』

 

 ういが大袈裟なまでに悲しげな声を出した。

 

『わたしね、元気になったんだよ……』

 

 ゆめお姉さんは頑なにこちらを見ない。

 

『退院も決まったし、お家に帰ったら、ゆめちゃんとおんなじ部屋でしょ?』

『……』

『わたしね、いっぱいやりたいことあるの。お姉ちゃんとゆめちゃんと一緒のベッドで寝たり、そのまま三人で夜ふかしして、お喋りしたり』

『……』

『ゆめちゃんは、やりたくないの……?』

『……』

『わたしが治って、嬉しくないの……?』

 

 すん、とゆめお姉さんが肩を揺らした。

 ぎこちなくお姉さんの顔がこちらを向く。激情によって血色が戻ったのか、顔はまっかで、大粒の涙がいくつも頬をすべっていた。

 すん、すん、とゆめお姉さんは鼻をすする。涙を拭って、でも近づこうとはしない。彼女が泣くのは初めて見た。ずいぶん静かに泣くものだと、僕は衝撃のあまりどこか他人事に思った。

 ういが仕方ないなあって顔をして、いろはお姉さんの腕から抜け出し、声を出さず泣くゆめお姉さんに抱きつく。

 一瞬、体をこわばらせたゆめお姉さんは、すぐに妹の体を強く抱きしめた。

 

『ゆめ……』

 

 いろはお姉さんが足を踏み出したとき、ゆめお姉さんはういを抱きしめる腕に力を込めてかぶりを振った。

 

『姉ちゃんなんて、……いや……』

 

 たぶん嫌いと言えなかったんだと思う。それでもいろはお姉さんはショックを受けたようにかたまり、灯花によしよしと慰められていた。

 ういが幸せそうにゆめお姉さんの胸元に頬を寄せる。彼女が僕を見て手招きしたから、車椅子を操作して近づいてみると、ゆめお姉さんと目があった。

 ぽろっと涙がこぼれ落ちて、ゆめお姉さんがういをそのままに僕の頭を抱える。心臓がどきっと騒ぎ、頬に熱が集まった。隣でういが、いたずらを成功させたようにくすくすと笑う。

 すすり泣く音がする。だけど僕は、この瞬間、世界で一番幸福だった。病で重いはずの体が、無重力空間にいるように軽い。胸の内側で心臓がどこどこと太鼓を叩いていて、熱く滾る血を送り出し、全身に多幸感を巡らせる。

 

 あとになって思えば、ゆめお姉さんは、いろはお姉さんが魔法少女になったことを怒って喧嘩して、嘆いて泣いていたのだろう。

 僕たちはまだ何も知らなかった。何も知らず、この小さな世界で息をしていたのだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 いろはお姉さんとゆめお姉さんに会えない日が続いた。お見舞いに来たとしても、どちらか一人という日も多かった。

 ういの病が快癒して、安心して、お見舞いの頻度を抑えたのかもしれない……そうは思えないのは、お姉さんたちの顔色がどんどん悪くなっていくからだ。

 ふとした瞬間に疲れが見える。ただでさえ線の細いいろはお姉さんは、見るたびに痩せていっている気がするし、ゆめお姉さんは常に眠たげで、接触を避けるような振る舞いも目立っていた。ゆめお姉さんに抱きしめられるのが大好きなういは、そのことに強くショックを受けていた。

 

 だから、久しぶりに二人揃ってお見舞いに来てくれたのが、嬉しかった。

 

 その日はよく晴れて、風もあたたかかった。不吉なことなど何一つ起こりそうにない、穏やかな午後のことだった。

 ういの病気が完治してからというもの、彼女の身に起きた奇跡に引きずられるように、僕と灯花の体調も驚くほどのスピードで良化し、退院を許されるほどの寛解状態に移行していた。僕としては家族と心理的な距離があるために、家に帰るのはほんの少し憂鬱でもあったけれど、この大部屋に集まった五人で神浜市を探索するという夢が叶いそうなのは、現実感を見失うほどに喜ばしい。この頃の僕は、未来があたたかなものであるとかけらも疑いを持たなかった。闘病生活の頑張りがやっと報われたのだと、柄にもなく神様の存在を信じすらした。

 ゆめお姉さんは来て早々に眠りについた。隣であんまりにも船を漕ぐから、仮眠を勧めたのだ。ゆめお姉さんは、素直に僕の寝台に上半身だけを横たえた。すぐに聞こえてきた寝息に僕たちは笑ったけれど、いろはお姉さんは笑わなかった。僕たちも内心は笑えなかった。

 ゆめお姉さんの胸元に吸い寄せられがちなういにつられてか、みんなが僕たちのところに集まり、お喋りや、それぞれの趣味に興じるようになった。パソコンと向き合うのに飽いた灯花が、こちらに来てゆめお姉さんの髪を暇そうに弄っている。それが羨ましくなって、僕も本を閉じ、投げ出されたお姉さんの手をこわごわと握った。僕の手のほうがあたたかい。眠る彼女の肌色は白く、死んでいるかのように微動だにしない。灯花が心配そうに、頬に張りつく髪を払ってやっていた。いろはお姉さんの不安が絶えないわけだ。

 

『ゆめちゃん、また魘されてる……』

『あれ、うい。その唇のやつ、いろはお姉さまにしてもらったの?』

『あ、うん……』

『とてもよく似合っているよ。その色を選んだいろはお姉さんは慧眼だね』

『それわたくしが言おうと思ってたのに!』

『えへへ……二人とも、ありがとう』

 

 ういがゆめお姉さんに視線を落とす。

 

『ゆめちゃん、わたしが前に一時退院したときも、()()だったよね?』

 

 ──初めていろはお姉さんに、ゆめお姉さんの悪夢について相談されたのはいつのことだったろうか。

 灯花がこの部屋にベッドを置いたあとなのは間違いない。少なくとも三年前には悪夢が始まっている。

 いろはお姉さんや、僕たちが死ぬ夢。母親に拒絶され、家から追い出され、家族と離れる夢を見るのだと……最初の頃は言っていたみたい。

 たった一度だけ、本人の口から悪夢の内容について聞いたことがある。まだ会って間もない頃、泣いている僕を慰めるために、彼女は恥を晒してくれた。その恥が悪夢のことだった。

 鳥の怪物になって、人を食べる悪夢。

 そうして、醜く肥え太って、今度は自分が人に食べられていく。

 痛くて苦しくて口の中が気持ち悪くて、こんな年齢になったのに、未だに泣きながら目が覚めるんだよと言っていた。

 

『……お姉ちゃん?』

 

 ういの声に、僕は考え事を中断し、いろはお姉さんを見た。

 いろはお姉さんも同様のことをしていた。彼女は左手の中指に嵌めている指輪から視線を上げ、問いかけたういではなくゆめお姉さんを見た。一拍も空けず、いろはお姉さんがベッドから飛び降りる。そのときに見えた顔といったら、ぞっとするほどの覚悟が刻まれていて、引き止めることが躊躇われた。

 緩く一つに束ねた桃色の長髪が、猫の尾のようにくねった。手を伸ばすも届かない。風に吹かれる桜の花弁のように、いろはお姉さんはすり抜けていく。

 

『ごめん、ちょっと出てくる……!』

 

 駆け出したいろはお姉さんは、こちらに目もくれず病室を出ていった。

 何かの予感に突き動かされ、ゆめお姉さんの左手を僕は見た。中指にはいろはお姉さんと同様、銀色の指輪が嵌められていた。架空のものらしき見たことのない文字が刻まれており、凝ってはいるが無骨な造りでお姉さんたちのイメージに合わない。

 中指の爪には、ネイル? 僕には痣のように見えたけれど、ピンク色で、五枚の花びらから成る桜の紋章が描かれている。

 顔を上げると、ういと灯花が決意を秘めた目で僕を見ていた。二人の考えることは手に取るようにわかった。僕たちは頷きあう。

 

『……ゆめちゃん、ちょっと行ってくるね』

 

 ういがゆめお姉さんに囁いた。その言葉を契機に、僕たちはいろはお姉さんを追いかけた。健康体のういはもちろん、灯花の体調は今までにないほど良く、僕だって車椅子をもう全く必要としない。多少の無理は効くと、体の軽さが証明している。

 いろはお姉さんは手元に目を落としながら、迷いなく院内を進んでいく。お姉さんが乗ったエレベーターがどんどん階数を下げていき、僕らの眉間にはシワが寄った。

 地下一階。そんなところに、なんの用事が?

 隣のエレベーターに乗り込んで、僕たちも地下を目指した。扉が開き、気づかれないよう外を覗くと、ちょうどいろはお姉さんがどこかに走っていく後ろ姿が見えた。足音を立てないように追いかけると、彼女が消えた通路の先には、霊安室と書かれたランプが灯っている。いよいよ目的がわからない。だけど嫌な予感だけが膨らんで、胸を苦しくさせる。

 僕たちはお喋りもなく、いろはお姉さんが入っていった扉の前に立つ。いくらかの静寂のあと、意を決して戸に手をかけたのは灯花だった。扉が押し開かれる。

 そのとき、ありえないことに、もう一つのドアがあり、霊安室の扉に押されるようにして開かれていくのを僕は見た。それは平らで、しかけ絵本のように薄っぺらくて……その薄っぺらさとデザインが病院の機能性を突き詰めた内装に反し、ごてごてと華やかで、無駄があって。ギャップともいえる異質さにぶわりと粟肌が立つ。

 強烈な刺激臭が鼻腔を覆った。

 思わず嘔吐きそうなほどきつい香りが、消毒液と花の甘ったるさが混ざりあったものだと気づいたのは、少し遅れてのことだった。

 

『にゃっ……!?』

『灯花ちゃん!』

『灯花!』

 

 バランスを崩しかけた灯花を、左右から僕とういで支える。足場がひどく不安定で心許ない。僕らは気づけば病院の硬質な床ではなく、包帯を巻かれ、空中に吊り上げられた大きな人形の上にいた。

 

『何……わたしたち、病院にいたよね……?』

『うん、霊安室に入ったはずだ。いろはお姉さんを追って……』

 

 落ちないよう四つん這いになり、ういとともに灯花の背に手を寄せながら、僕は周囲を見回した。

 そこは、魑魅魍魎が跳梁跋扈していそうな、悪夢のような世界だった。

 無数に立つ珊瑚のような見てくれの木が、どこまで続いているかもわからない暗い天井に向け、赤い枝を伸ばしている。木々の枝にはガーランドみたいに包帯が張り巡らされ、僕たちが足場にする人形はもちろん、人形の胴体だけだったり、手足だけだったりをいくつも吊るしている。

 下はレッドカーペットを敷かれたランウェイが横に伸びている。花道の脇には柵が立てられ、無数の人形がひょこひょこ跳ねては何か奇声を上げていた。その不規則な声と、プログラミングされたものではない多種多様な仕草が、彼らを生き物だと僕に認識させる。

 血の気が引き、頭から全身が冷たくなっていく。鼓動が激しく胸骨を叩く。柵の向こうに群がる人形に腕は無く、巨大な丸い頭部ごと上半身を包帯につつまれている。顔の中央には包帯に覆われていない、唯一露出した部分があり、そこから白い歯が見えた。人間の歯。ハンドパペットの口ほどに大きく、けれどデフォルメが効いて安心感のあるそれではない。粘着質な唾液が滴り、かちかちと聞き覚えのある音を打ち鳴らす生々しい人の口が、ランウェイの観客を化け物たらしめていた。

 全身に冷や汗が噴き出し、灯花を支える手に力がこもる。

 

『やだ……ここやだ……わたくしこわい……』

 

 パパ様、と灯花が蚊の鳴くような声で父を呼んだ。右隣に顔を向けると、灯花越しにういも僕を見ていた。灯花の手前、弱音を押し殺しているが、目は恐怖に濡れ、きつく閉じた唇は戦慄いている。

 唾液を飲む。ここで僕まで怖じ気づいてしまっては、二人はきっとパニックになってしまう。僕が、冷静でいなければ。凍りついた喉を動かそうと何度も唾液を通す。異臭で肺が爛れるようだった。

 そのとき、轟音が空間を震わせた。

 二人が悲鳴をあげて足場にしがみつくのを上から押さえながら、懸命に眼球を動かす。左側。ランウェイの先から砂煙が噴いている。白い靄の奥に人影が見えた。そう、人影だ。期待が脳裏にまたたいた。この異常な空間の中で人間らしきものがいるというだけで、涙が出そうなほど安堵した。

 煙が晴れるにつれ、シルエットの人間味が増していく。その人はピンクのラインが入った白いマントを頭から被っており、左腕には小型の弓のようなもの……桃色の、可愛らしい洋弓銃を取りつけていた。腰を低くして、何かに対してかまえている。自然と、その人の見る場所へ目線がいった。

 レッドカーペットの上を、何かが優雅に歩いている。

 そこには、おぞましい怪物がいた。

 蓮の根の頭部には女の仮面の下半分が嵌め込まれている。シアンブルーのフリルを羽衣のようにまといながら、ふくよかな人形の下半身を動かす。“観客”のように両腕は無い。代わりにまとったフリルの襞から、無数の“観客”を側根のように生やしている。

 冷たい吸気が喉の奥を打った。

 同時に、ういが叫んだ。

 

()()()()()!』

『は……』

 

 お姉さん、だって?

 考える間もなく、白いマントの人物に視線を戻す。あの恐ろしい何かを睨みつけているせいか顔が上がり、ここからでもフードの中身が見えた。

 見たこともないくらい険しい顔をしたいろはお姉さんが、そこにいた。

 なんで、どういう……何が、起きて。

 あの恐ろしい何かの直線上にはいろはお姉さんがいる。あいつに気づかれている。お姉さんは危機に晒されている。

 助けなきゃ、と思うのに、体は冷え切って、一つも動かない。頭もうまく回らない。

 怪物がお姉さんに近づく。お姉さんは慎重に後退したあと、なんと何メートルも上に飛び上がった。信じられないほどの跳躍力で、いろはお姉さんは怪物から身を隠すように吊られた人形の上を這う。

 そんないろはお姉さんの頭上で、ぱっと照明がつけられた。

 怪物もまた飛び上がり、人形ごといろはお姉さんを蹴り飛ばした。

 吐き切るようなお姉さんの悲鳴が空気を震わし、再び轟音が僕らのしがみつく人形を揺らす。『お姉さま!』灯花が叫ぶも届かない。お姉さんがランウェイを砕きながら転がっていき、その都度かすかに、ばき、ごき、と鈍い音が耳朶を押した。

 

『お姉ちゃん! おねえちゃん!!』

 

 ういが身を乗り出して叫ぶ。スポットライトに照らされたいろはお姉さんは、即座に立ち上がった。足首に、太ももに、脇腹に、腕に。ピンク色の光が咲いては散り、歪んだ体を正常なかたちに戻していく。

 見るにたえない曲がった四肢が、まっすぐに治る。それを見て、よかった、なんて思えなかった。思えるわけがなかった。

 

『お姉ちゃん、逃げて! やめてお姉ちゃん!!』

 

 お姉さんが身を翻す。駆け出したお姉さんにういがほっと息をつくけれど、僕には彼女の動きが逃亡のためではなく、なんらかの目的を持っているのがわかった。

 走りながらお姉さんが洋弓銃を天井に向ける。光の矢が照明を撃った。明かりが消え、闇が深くなり、視界から明瞭さが失われていく。お姉さんは照明を撃ち続けた。

 はあっ、はあっと、ういの呼吸が荒くなる。そんなういの手を握り、今度は灯花がぎこちなく背をさすった。それでもういの息は落ち着かない。過呼吸を起こしかけている。

 

『うい、大丈夫だよ』

 

 わからない。大丈夫かなんて、本当はわからない。だけど僕は、夢想家らしく嘘をついた。

 

『お姉さんは絶対に大丈夫。……大丈夫』

『はあっ……はあっ……』

『そ、そうだようい……お姉さまは、きっと……』

 

 世界が暗くなっていく。

 

『──────()()()()を助けたいかい?』

 

 それは、おとぎ話にある、古い魔法の囁きに似た……。

 頭に直接響く幼い少年の声。僕たちは振り返った。

 どこまでも伸びる赤い枝に、場違いな生き物が鎮座していた。

 見た目は猫のようだった。白い体毛と赤い目を持つ、アルビノの。だけれど猫ではない、尖った耳の中から兎耳のような触手が垂れており、触手は宙に浮かぶ金色の円環を通している。

 露悪的な空間に浮き彫りとなる、やけにファンシーな、それでいて生の匂いを感じない潔癖な雰囲気の生き物。

 それは豊かな尾をくるりとうねらせ、口を動かさずに言う。

 

『里見灯花、柊ねむ、環うい。君たちなら、いろはとゆめを助けられるよ』

 

 照明を撃つ音が消えた。

 いろはお姉さんを見ると、彼女はランウェイの上にフードを脱ぎ捨て、赤い木の上に避難していた。空っぽのフードが照らされ、怪物が襲いかかる。囮に向けめちゃくちゃに攻撃する怪物の背後に、木から飛び降りたいろはお姉さんが回り込み、左腕を向ける。

 洋弓銃から光の矢が雨のように迸る。なんの事情も知らない僕でも、それがいろはお姉さんの全身全霊の攻撃だとわかった。これを外せば次はないことも。

 怪物の体が欠けていく。やがて、異形の体に大穴が空いた。怪物が崩れ落ちる。悪夢のような空間が、ぐにゃりと歪んだ。

 赤黒い色彩が溶けていき、霊安室の薄暗さと、正常な空気が戻ってくる。ひやりと頬を濡らす冷気が、こんなにも心地よく感じる日が来るなど思ってもみなかった。

 僕たちは無意識にいろはお姉さんに気づかれないように物陰に隠れた。だけど当然、あんな戦いを終えたいろはお姉さんの体は気になって、こっそり様子が窺える位置から顔を覗かせる。

 お姉さんは四つん這いになって、必死に息を整えていた。彼女の体を光がつつみ、弾け、華やかな衣装から一転、見慣れた私服姿に戻る。

 よろめきながらお姉さんが立ち上がる。何かを拾い上げた。

 お姉さんの手には、卵型の宝石が転がっている。桃色の輝きを宿した石の内部に、不穏な濁りがぐる、ぐる、と身をよじっているのが見えた。その宝石にお姉さんはさっき拾っていた……黒い石のようなものを近づける。

 宝石が発光し、美しく澄み渡る。

 僕の背筋を、得体のしれない怖じ気が走る。

 

『無事に魔女を倒せたみたいだね、いろは』

 

 いろはお姉さんの前に、あの白い生き物が気安い素振りで現れた。

 お姉さんは奇妙な動物に戸惑うことなく、溜息にも似たかすれ声とともに、

 

『キュゥべえ……』

 

 と吐き出した。

 

 

 

 ✄

 

 

 

 消灯時間が過ぎ、看護師さんが去ってしばらく。仕切りのカーテンを閉めたあと、僕たちはういのベッドに三人で乗り上げて、ランプを真ん中に置き、昼間のことを話し合おうとしていた。

 続く沈黙を終わらせたのはういだった。

 

『どうして止めたの……? わたしが魔法少女になれば、お姉ちゃんたちを救えるんだよね……?』

 

 戸惑うういに、僕は何も言えなかった。

 

『灯花ちゃん……? ねむちゃん……?』

 

 キュゥべえはうまくはぐらかしてくれたけれど、おおよその事情は把握できた。魔法少女となった者が、最期にはどうなるのかも。このときばかりは自分の察しの良さが憎かった。しかしながら、キュゥべえの話に嬉々として飛びつくほど鈍ければ、僕たちはいろはお姉さんの願いを徒爾に終わらせたであろう。

 

『……キュゥべえはね、嘘はついてないよ』

 

 感情を抑えつけた灯花の声が、お姉さんたちのいない病室にやけに響いて聞こえた。

 

『ういに質問。魔法少女の変身アイテム、ソウルジェムの正体はなんでしょうか?』

『え……? えっと、キュゥべえは魔力の源って言ってたよね。魔法を使うのに、絶対に必要だって』

『うんうん、部分的にせーかい。さっすがうい! よく覚えてる。でも、一番肝心なところを忘れてるよ?』

『肝心な、ところ……?』

 

 灯花が微笑みを浮かべる。その唇の端が一瞬痙攣し、瞳が揺蕩ったのを僕は見た。

 必死に冷静でいるけれど、灯花の精神は限界なのだろう。僕だってそう。本当は叫んで暴れてしまいたいほどに、苦しくて、恐ろしかった。

 そうしないのは、ういがいるから。お姉さんたちの命を吸い取っていたも同然の僕たちが、取り柄の頭脳を捨てて、真っ先に現状を嘆くなどあってはならない。

 

『うい。キュゥべえの言っていることに驚くほど嘘はない。……嘘は、ないんだ。彼のあれは、暗喩ではない。……』

『暗喩じゃない……?』

『思い出してほしい。キュゥべえがソウルジェムの説明をするときに、なんと言っていたか』

『“魔法少女の魂。魔力の源と言っても”──……』

 

 ういの目が、見開かれた。

 

『ソウルジェムを直訳すると、魂の宝石だ』

『…………うそ。じゃあ、ソウルジェムが傷ついちゃったら……お姉ちゃんたちは……魔法少女は……』

『良くて廃人、悪くて心停止ってところかにゃあ。……魂を宝石として具現されちゃったら、肉体なんて完全に外付けのハードウェアに過ぎないもの』

『そんな……!』

『でもね、その点だけでいえば、デメリットはあんまりないの。逆説的にソウルジェムさえ無事なら、体はどれだけ傷ついても機能を失わない。いろはお姉さまだって、人間であれば確実に戦闘不能になる怪我を負ったのに、即座に回復したでしょ? ゆめお姉さまを見てる分にもそう。問題は……』

『……ういに、次の質問だ。どうして、キュゥべえの契約者は“魔法少女”なのだと思う? そして、なぜ敵対者が“魔女”なのか』

『……理由があるの?』

『難しく考えなくていーよ。わかりたくないくらい、すっごく簡単な話だから。……そうだね、うい。もう少し思い出してみよっか。まず、魔女ってなぁに?』

 

 視線を惑わせながら、ういが刻むように言葉を紡ぐ。

 

『負の感情が、具現したものって……キュゥべえは言ってた』

『魔女を倒すと何が出てくる?』

『えっと、グリーフシード、だったよね。シードは、確か種って意味で……』

『グリーフは悲嘆』

『ありがとう、ねむちゃん。悲嘆の種……たくさんの人の、悲しみや嘆きが集まったもの……?』

『ある意味正しいかもね。魔女は人間を食べちゃうんだから。……でも、わたくしたちが言いたいのは、そういうことじゃない。

 ね、うい。どうしてソウルジェムの穢れを浄化できるのが、グリーフシードだけなんだと思う?』

『え……なんでだろう……?』

『そもそもソウルジェムの穢れとはなんなのか。いろはお姉さんの魂を曇らせていたもの。……これは直感で考えてもらったほうが早いかな。あの黒ぐろとしたソウルジェムに、ういはどういう感想を持った?』

 

 環ういは鈍感でも愚かでもない。むしろ聡い少女だ。

 一生懸命に考え込むういを見て、僕は彼女が、本当は答えに辿り着いているのではないかと思った。

 

『嫌だなって……怖いって、思った。なんだか、お姉ちゃんが苦しんでいるように見えて。それで……気のせいかもしれない、けど……()()()()()()()()()……』

 

 ソウルジェムの内側で泳ぐ穢れ。

 ぐる、ぐる、と母親の胎内で体勢を変える赤子のような動作。

 それを、“中に何かいた”と表現するういの感性の鋭さに、僕は閉口する。

 灯花が微笑み、少し顎をそびやかす。

 

『……くふふっ。ぜぇーんぶ、正解』

『え?』

『うい。魔女は人間を食べちゃうけど、何より大好物なのは負の感情だよ。魔女が食べてるのは人間の絶望。そうでなかったら、わざわざ心の弱い人間を狙うわけがない。そして、魔女の捕食対象にはもちろん、魔法少女もいる。魔法少女から穢れを転嫁され続けたグリーフシードは、魔女として孵化してしまうでしょ?』

『うん。キュゥべえ言ってたもんね』

『魔女を成長させるのは、穢れと負の感情。この二つはもうイコールで結んでもいいと僕は思う。

 そして、魔法少女は魔力を使えば使うほどソウルジェムに穢れを溜める。恐らく魔力というのは、ソウルジェムという器に湛えられた正の感情エネルギーともいえるものなんだろう。このエネルギーは消費すると、燃え殻のように穢れを残す』

『スペースの限られたソウルジェムを、穢れが圧迫すればするほど、魔法少女の使える魔力は少なくなるってこと。魔力量ってつまり、ソウルジェムの広さ……穢れの許容量でもあるんだよ。

 全部の魔力を使い切っただけなら、体が動かなくなる程度で済んだかもしれないね? でも、うい。覚えてる? 魔法少女が穢れを溜める理由が、もうひとつあるのを』

『負の、感情……』

『嫌な感情ほど増幅が容易いものはない。憎しみは膨らむ。悲しみは長引く。魔法少女の穢れは、いつか許容量を超えるだろう。そうなったとき、ソウルジェムに、何が起きるのか』

『風船の中に空気を送り続けるようなものだよねー?』

『……そん、な』

『最初の問いに戻ろうか』

 

 灯花が揺らぐ目を隠すように、静かに目蓋をおろした。

 

『魔女は負の感情(穢れ)が具現したもの。──負の感情って、誰の?

 どうしてソウルジェムはグリーフシードでしか浄化できないの?

 どうして契約者は“()()()()”と呼ばれ、敵対者は“()()と呼ばれるの?

 答えは、かんたんだよ。すっごくすっごく……』

 

 上擦り、湿った言葉尻に、ういが息を凍らせる。

 

『魔女は、魔法少女の穢れが具現したもの』

『ソウルジェムがね、グリーフシードでしか浄化できないのは、元は同じものだったから』

『魔法少女は……』

 

 僕の言葉の先を、ういが奪った。

 

『魔女に、なるから……? 魔女になるから、魔法少女、なの……?』

『──恐らくは。あの怪物こそ…………お姉さんたちの、未来の姿』

『ソウルジェムがグリーフシードになる瞬間は、魔法少女の希望が絶望に転化する瞬間。キュゥべえの目的は、そのときの相転移エネルギーを回収して宇宙に送ることだと思う。

 ソウルジェムはね、グリーフシードにとっての孵卵器(インキュベーター)なの。魔法少女の絶望を温床に魔女を育む……』

 

 

 

 ◇

 

 

 

 〈食い止めるべきこと〉

 ソウルジェムにけがれが溜まる→ま女化

 

 〈回避方法〉

 ① お姉さまたちを人間にもどす

 ② グリーフシードを育てる

 ③ グリーフシード以外でけがれを消す

 

 

 翌日。灯花はペンを握り、ホワイトボードにそう連ねた。

 教師のようにボードの隣に立つ灯花の対面に、僕とういはいつも使っている椅子を引きずってきて腰かける。昨夜は灯花のパソコンを借りてずっと調べものをしていたから、僕もういも、朝日を浴びてなお眠気が取れないでいた。慣れない夜更かし、慣れないパソコン作業というのもあって、ういと二人、ほとんど同時に寝落ちした気がする。たぶん、最後まで起きてきたのは灯花だった。

 だというのに、窓の外から射し込む青い陽光を横顔に浴びる灯花は、僕たちと違ってやけに冴えた表情をしていた。今朝、看護師さんに夜更かしがバレて叱られ、ふてくされていたのが嘘みたいに。

 

『お姉さまたちを救うにはどうすればいいか。これに対して、いくつかわたくしから案があるよ』

『え……もう思いついたの!?』

『くふふっ。わたくしを誰だと思ってるのー? ……まぁ、さすがにちょっと疲れちゃったから、ご褒美にいろはお姉さまのアップルパイが食べたいにゃあ……』

 

 自信満々、有頂天に言ってみせる彼女だが、よく見たら確かに疲労が隠せておらず、顔色が白い。調子に乗っている灯花ほど邪魔したいものはない僕だけれど、環姉妹に同じ罪悪感を持ち、お姉さんたちを救うために必死になって働いてくれた親友に水を差すほど無神経じゃない。

 何より、感謝がある。もしもいろはお姉さんがアップルパイを持ってきてくれたら、僕の分を分けてあげようと思うくらいには。

 僕だけではきっと、二人を救えなかっただろうから。

 ういが灯花にご褒美の約束をすると、灯花の気持ちはわかりやすく上向いた。空元気がほとんどだった軽薄な声に、喜びの芯が宿る。彼女は意気揚々と、“お姉さまたちを救う方法”を説明し始めた。

 灯花の持つマーカーが、『① お姉さまたちを人間にもどす』の項目を示す。

 

『まずは一つ目の方法だね。単純に、二人を人間に戻してってキュゥべえに願っちゃうの。契約した人の人生と引き換えに、お姉さまたちは確実に助かるよ』

『でも、それは……』

『そうだね、うい。代わりに僕たちの誰かが業を背負うことになる。僕たちだってそれは嫌だし、お姉さんたちも喜ばないだろう』

 

 灯花が①の項目に取り消し線を引いた。

 

『わたくしも二人に同意。だから、これは最終手段ね。

 二つ目! 魔女を養殖するの。魔女を一体捕まえて管理する。捕まえた魔女の結界から使い魔をつまみ出して、穢れを食べさせて魔女になるまで──グリーフシードを産めるようになるまで育てるんだよ。わたくしたちで。

 二人が本当に契約するかは置いておいて、わたくしたちが叶えられる願い事は全部で三つ!

 一人は、魔女を管理する飼育箱を願う。魔女が危険なのは体感したからねー? 専用の管理部屋がないと話にならないよ。

 もう一人は、魔女の餌を集めるために、穢れを回収する力を願うよ。一般人をてきとーに拐って飼育箱に入れちゃうのは手間もかかるし非効率的。さくっと負の感情だけ集めちゃうのが早いよね。

 最後の一人は、魔女を品種改良する力を願うよ。ゆくゆくは魔女を育成したケースを割って、外気に晒すだけで屠殺、グリーフシードを収穫できるって仕組みにしたいから。

 魔女化の運命は変えられなくても、グリーフシードを量産して、戦わずに得られるようになれば魔法少女は魔女にならない! くふふっ、灯花ちゃんって頭良い!』

『……』

『……灯花』

『何かにゃー?』

『君は一から道徳教育を受け直したほうがいい……』

 

 数秒後。灯花は色をなして叫んだ。

 

『にゃにをーーーー!!』

 

 ういが頭を抱えている。僕は親友の倫理観について真剣に思い悩む少女から、そっと目を逸らした。実のところ、灯花と同じ案が頭に浮かんでいたので。口に出すのを躊躇った過去の自分に感謝する。犠牲になってくれた灯花にも。

 

『灯花ちゃん……魔女って、その、魔法少女の成れの果てだよね……?』

『そうだけど?』

『わたし、魔女は退治しなきゃだめっていうのはちゃんとわかるけど、養殖、みたいな……長く苦しめるようなことは、したくないな。……お姉ちゃんとゆめちゃんが救われる方法がそれしか無いなら──覚悟は、するけど』

『むー……魔女って結局産業廃棄物みたいなもので、その魔法少女本人ではないんだけどにゃあ……ソウルジェムが砕け散った時点で、自我も粉々なんだから』

『そうかもしれないけど。……その人たちも、お姉ちゃんたちみたいに……誰かを癒やすような、優しい祈りを捧げた人たちかもしれないって考えると……』

 

 断固としてこの案を押し通そうとしない辺り、他にも方法は考えているんだろう。その一方で、グリーフシード養殖の発想が素晴らしいとも思っている。

 ういは優しいから、利他的で柔らかい言い回しをする。僕は、こういうときの灯花にはもっと手厳しくしてもいいと思うのだ。たとえばこんなふうに。

 

『灯花はいろはお姉さんとゆめお姉さんが魔女化して、その魔女を見知らぬ魔法少女に家畜として利用されていると知ったら許せるの?』

『は? そんな魔法少女わたくしが魔女化させて宇宙のためにエネルギーを絞り取るけど? 当たり前だよねー? 何寝ぼけたことを言ってるの、ねむ』

『君が言ったことだよ。魔女だって、誰かにとっては大切な人だったかもしれない。そんな人たちを苦しめるようなことを君にしてほしくなくて、ういは制止してくれているんだ。わからない?』

『むっ……』

 

 やっと思い至ったらしい。彼女の顔に罪悪感と思しき──僕がそう思いたいだけかもしれないけれど──影が差す。

 

『三つ目!』

 

 失態を恥じるように、『② グリーフシードを育てる』の項目に取り消し線を引き、灯花は声を張り上げた。

 灯花の手がイレーザーを掴み、ホワイトボードに綴られた『ソウルジェムにけがれが溜まる→ま女化』という文章の、『ま女化』の部分をさっと消した。

 

『そもそもこんな結末消しちゃえば、お姉さまたちはグリーフシードを得るために戦わないで済むよね?』

 

 カラメル色の瞳が妖しく光った。

 

『二つ目の案と同じく、これはわたくしたち三人が魔法少女にならなきゃ叶わない。だけど、うまくいけば、誰も失わず、キュゥべえさえも納得しちゃう、魔法少女が魔女にならない夢のシステムができあがるよ!』

 

 どうやら、この案が灯花の本命らしかった。

 

『本当!?』

 

 ういが立ち上がり、喜色満面で問いかける。反応の良さに機嫌を直したのだろう、灯花は自慢げに胸を張りながら口を回した。

 

『もっちろん! みーんなはなまる、誰も損する人がいない、最高の方法──その名も“自動浄化システム”! わたくしたち三人でキュゥべえの機能を奪って、魔法少女が魔女になる前に穢れを消しちゃうの!』

 

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