環姉妹の真ん中っ子 作:匿名
憎悪(1)
「……本気なのね。本気で……あなた……この地獄に、無関係の人たちを引きずり込もうと……」
胸中を吹き荒れたであろう激情が顔から消え、涼やかな青い目に、磨かれた敵意が宿る。星空のようなドレスが靡いた。
右手に長槍が握られる。
ハルバードの穂先が風を切り、わたしを睨めつけた。
「行かせないわ」
戦いの気配を察してか、キュゥべえが肩から飛び降りる。背後に回った彼を守るように、わたしも武器を生成した。
螺旋する針。銀一色の、背丈と同じほど長い
目の覚めるような美貌に、深い悲しみがよぎった。
「あの魔女を倒すつもりね。魔法少女の素質がある少女を中央区に集めたのは、そのためでしょう?」
濡れそぼった山麓の、青くかすみがかった空気が、澄んだ声に切り裂かれる。
「言っておくけど、あなたの考えはいたずらに魔女を生むだけよ。少女の他、この神浜市民全ての因果を束ねてもあの魔女には勝てないわ。
私たちの誰一人にも、星を滅ぼす可能性が無ければ、救済する可能性も無いのよ」
深い色合いの碧眼には、次第に憐憫が浮かんだ。
「あの魔女を打ち倒す魔法少女は生まれない。誰かに因果を背負わせても、及ばない。奇跡が起きて魔女を殺せても、その子が次の滅びになるだけ。
……キュゥべえを殺しなさい。今ならまだ引き返せる。ほら、帰りましょう。体が冷えるわ」
可哀想なのはこの人のほうだと思った。
「引き返して、どうするんですか?」
「……それは」
「心中でもします? ……いいえ、あなたは逃げることだけは絶対にしない。
罪を犯さないように、わたしを殺すつもりでしょ?」
「──……」
「そして一人、最後まで魔女と戦い続ける。力尽きるそのときまで」
「…………帰りましょうよ」
いつだって落ち着きがあり、はじめは冷酷にすら思った声が、頼りなく湿っていた。
その声につられて、わたしも泣きそうになった。
「帰るってどこに。仲間ではない、家族でもない。……はじめからわたしたち、なんでもない」
彼女はひどく傷ついた顔をした。
彼女が追い出すわよと言って、わたしがやだやめて、と必死にまとわりつくのが、ここ最近の日課だった。
わたしがすがりつくのを見て、彼女がこっそりほっとしていたのを知っている。結局、溜息で前言撤回してくれる彼女の面倒見のよさに、わたしも救われていた。
「わたしに帰る場所なんてない」
仲間じゃないと言われて、じゃあ家族ですね、お母さん、なんて言ったら、拳骨を食らった。その人は、父は当然のこと、母にも、姉にも、妹にも似てなくて、でもふとした瞬間の気遣いが妙に似ていて、叱られているのにわたしは笑ってしまった。
短いけれど、苦しいだけではなかった思い出が走馬灯のように流れる。
それが終われば、夢から覚めるように、世界の冷たさが全身をなぶった。
嵐は去り、風もなく、穏やかな時間が刻まれる。地面をめくりあげる音が今は遠い。
久しぶりに、頭に冴え冴えとしたものを感じる。葛藤が終わってしまった。迷っていればずっとここにいられたかもしれないのに。
結論は変わらない。
わたしは、ここで死ぬことを選ばない。
「……私は、この神浜に魔女を増やさないために、あなたを止めるのよ」
薄氷みたいに砕けそうな声。
笑っちゃった。
こちらを睨みつける顔が、必死に涙をこらえる幼い少女に見えたから。
仲間が魔女になっても、誰かを助けて生きていくという正義を貫いたからこそ、この人は意固地になるしかない。
見も知らぬ人を守り、戦い続けることは、彼女なりの魔法少女の弔い方だった。
彼女が正義の味方としてあればあるほど、魔法少女はやがて怪物になる厄介者じゃなくて、自分を犠牲にして人間を守り続けるヒーローであれる。
そういう側面が保てる。
使われない、誰にも使わせない、棚の奥のマグカップ。
もう仲間なんて一人もいないと言っていた。
内緒でキュゥべえと契約をしたら、死ぬほど怒られた。
突き放されたけれど、戦いを教えてくれるときは日頃の無表情が緩んで、二人で戦うときは少しだけ笑顔も見れた。その百倍は冷たくされたけれど、わたしを見放しはしなかった。
孤高のヒーローでいるつもりのくせに、この人は本当は、一人で戦うのが嫌なんだ。
わたしを殺して平気なわけがない。
なのに彼女は、わたしが諦めない限り、何度だって立ち塞がってくるだろう。人々を守るために。
わたしも同じだ。ここまで来て、折れるなんてありえない。
ハルバードが震えている。刃先に光るしろがね色がかすかにブレている。
反対に、わたしの手はかつてなく迷いがなかった。
勝敗を予知しているかのようだった。
わたしはなんとか笑顔をつくり続けた。たぶん、この人に最後に見せる顔が、悲しいものでないようにしたかったんだと思う。
「勘違いしてる」
声はもう揺れなかった。
「わたしはあの魔女を倒そうだなんて考えてない。
大丈夫、心配しないで。神浜の魔女は皆殺し。七海さん、わたしね、きっと……」
──あなたごと、この町を掬い上げてみせる
「……隣? ……いいよ。どうぞ」
「そう……だよ。けっこー前から、ずっといる。というか、この映画館から出られないの。全部見たら出られるかなって思ったけど、そんなこともなかった」
「人が来るの、初めてかも……そんな気がする」
「うーん……あんまり面白い内容じゃ、ないよ……えっと、えっと、なんだっけ。平らで、つまらなくて、ずっと下がっていって……ストレス続き、みたいな。か、か……」
「そう、それ! かたるしす。かたるしすっていうのがないの」
「すごいね。難しい言葉知ってるんだ。わたしね、その言葉、ちょっと前に友だちから教わったばっかりなんだよ。物知りでね、凄い子なの」
「だからね、カタルシスがないから……あなたも閉じ込められちゃいけないし、出られるなら、ここから出たほうがいいよ。ここにいたって、得るもの、なんにもないよ」
「え? いんぷっと……小説家?」
「あっ……ふふ! なら、どんな物語も見逃せないね。クリエイターの習性ってやつだ。さっき、物知りで凄い子がいるって言ったでしょ? その子もね、素敵な物語を書くの。小説家。クリエイターなの。わたし、あの子が書くお話が世界で一番好き」
「……ぺ? あの、なんて」
「ぺんねん、ねん、ね……」
「ま、待って、待って! 数えるから、ゆっくり!」
「ぺん、ねん、ねん、ねん、ねん……ねねむ、さん?」
「ぺんねんねんねんねんねん、ねねむ、さん……え、一個多い……!?」
「……ごめんなさい、そう呼ぶね……ネネムさん」
「あ、わたしも、自己紹介しないと。礼儀、だもんね。礼儀は大切に。お姉ちゃん言ってた」
「えっと、わたし、環ゆめっていいます。ちょっとだけですけど、よろしくね」
「? 年齢?」
「十四だよ。ほんとだよ」
「えぇ……? うそって、そんなの言わないもん!」
◆ ◆ ◆
『ちょっと用事があるから,フェントホープに行くの遅くなるね.だいたい17時くらいかにゃー?ฅ^.ˬ.^ฅ
時間は限られてるからね.ゆめを待たせちゃうのも申し訳ないし,天音姉妹にマギウスの翼の研修をしてもらうようにわたくしからいっておいたよ☆
あしたのだいたい10時か半くらいにそっちに行くって.ゆめに黒羽根の服渡してね.顔は隠しても隠さなくてもどっちでもいいけど!どーせねむの近くに置くんでしょ?双子にも言っておいたからね≽^>⩊<^≼ ♡
とっても気がきく灯花ちゃんに,ねむは一生感謝するように.
じゃあ,またあした♪』
以上が、昨日二十三時五十六分に、灯花からねむに送られてきたメールの全文である。
今朝、スマホを確認したねむの口から出てきたのは、
「勝手なことを……」
という辛辣な言葉と、地を這うような恐ろしい声だった。
亜麻色の髪を毛先から慎重に梳いていく。髪が長いとどうしても毛先のほうが絡まってしまうものだけれど、彼女の髪はふだん三つ編みをしている分のうねりがあっても、さらさらしていて櫛の通りがいい。
ドレッサーの鏡に映るねむを見ると、拗ねたように目を逸らされた。
そんなに紺色、駄目だったかな。
鏡台の上に並べられたリボンは、白と黒、薄紫と若草色。さっきまでは、黒と薄紫の間に紺色も置かれていた。
遠回しに髪をまとめてほしいと強請られ、了承したのは起きて割とすぐのことだった。顔を洗い、服を着替え、ねむをドレッサーの前に座らせる。どんな髪型にするのかは顔を洗い終わった段階で決めていて、リボンがどうしても必要になったから、色だけ指定してウワサさん──ねむが具現した、黒い頭巾を被った緑色の肌の少女──に持ってくるように頼んだ。彼女は見ていたかのように、わたしがねむの髪を梳かし始めたタイミングで部屋に戻ってきた。
ホテル生活者のための生活必需品は、マギウスが購入したものや、羽根の子たちからの寄付品……古着や端切れ、その他使わなくなったものなどから成り立っている。昨晩から使わせてもらっている寝間着や下着、洗顔料や化粧水なども支給されたものだし、今着ている服だってウワサさんが持ってきてくれた。リボンの出どころもそこからだろう。
清楚で大人びた雰囲気を持つねむには、落ち着いた色合いや繊細な飾りが似合う。そう思ってリボンを注文したんだけど、もしかしたら苦い思い出があったのかもしれない。その色を見た途端、珍しく彼女は露骨に嫌そうな顔をして、ウワサさんに戻してくるように言った。
ウワサさんは目元の見えない顔ながらわかりやすくシュンとして、「センスナーイ……」と力無く呟くと、紺色のリボンを手に退室していった。
左サイドの髪を取りすぎない程度に拾い、PUバンドでくくる。ゴムから上の部分を二つに分け、括った髪束を上から分け目に入れた。白いリボンを手に取って、髪束を入れたところに通し、そのあとゴムをぎゅっと引き上げる。
「痛くない?」
「全然」
「よかった」
見映えするように整えつつ、リボンを巻き込んで三つ編みにしていく。亜麻色の髪とレースが重なるとそれだけでガーリーな印象が出てきた。
「夢を」
メールを見て明らかに機嫌を悪くし、紺色のリボンを見て更にテンションを下げたところで出したくない話題だったけれど、どうしても聞かなければならなかった。
「夢を、見なかったの。……姉ちゃんが相談してたみたいだから、もう全部言っちゃうけど、…………わたし、かなり長いこと悪夢を見ていて」
「……待って、夢を見なかった?」
不機嫌が一瞬で消えた。鏡の中のねむが眉を上げ、わたしを見た。
「……そう、だけど」
「みんなで考えた方法を全て試しても、効果を成さなかったといろはお姉さんから聞いたけど」
姉ちゃんが、寝る前にあたたかい飲み物を持って来てくれたり、夢日記をつけるように言ってきたり、夢の結末をポジティブなものに変えて想像するように指示したりしてきたのを思い出す。
後者二つのやり方は姉ちゃんらしくないとは思っていた。ネットで調べたのかと考えていたけれど、そういえばあの人は筋金入りの機械音痴で、パソコンどころかスマホにも、老人の指使いで遠慮がちに接する。
「あれか……三人のアイデアでもあったんだ。知らない内に、いろんなところで助けられてたんだね。ありがとう」
「いや、解決できなかったから。それに、こちらこそ、茶葉やポプリなどのお裾分けを貰ったし。結果的に僕たちだけが得をしてしまった気がするよ」
「じゃあ、二人でありがとうだね。確かに悪夢は続いたんだけど、わたし、寝る前はちょっとだけ楽しみになったよ。今でも意識を落とすのにちょっとの勇気がいるのはそうなんだけど、夜が来ても憂鬱なだけじゃなくなった。姉ちゃんもそうだけど、ねむたちのおかげで」
「……そっか」
「うん。そうなの」
編み終え、三つ編みを仮止めし、わたしは右サイドの髪をまとめて同じようにリボンを編み込んでいく。
「それでなんだけど、ねむ」
完成したとき野暮ったくならないように、定期的に三つ編みをつまんで広げつつ、わたしは思い切って話題を戻した。
「ねむ、わたしに何かした?」
姉ちゃんたちには悪いけれど、悪夢はきっと、死ぬまで終わることはない。あれはわたしの心が原因ではなく、願いによる、強烈な【記憶】の刻印だから。
なんとかできるとしたら、【わたし】に匹敵する魔法少女の魔法だけだ。そしてねむは、具現の魔法を持ち、わたしが悪夢を見ていることを知っている。
「何か、というのは……僕が悪夢を見ないように、魔法をかけたかと聞きたいの?」
「……うん。ねむの魔法は命を使うから。魔力はあまり、使ってほしくないなって」
「結界は張ったかな。イブの使い魔が、ちょっとね……。なるべく受け入れるようにはしてるんだけど、眠っている間に穢れの塊をそばに置いて、ソウルジェムを濁らせてもいけないから、夜は入ってこないように使い魔除けの結界を張っているんだ。特に昨日はお姉さんが来たせいか、来訪者も多くて、半端なものだとすぐに何体か抜けてくるから、かなり強く線引きした」
魔力を使ってほしくないどころか完全にわたしのせいだった。
「うわあああごめん、ごめんね!? そんなことになってたの!?」
「むふふっ、いいんだよ。お姉さんは悪くない。僕一人でも、あの子たちは集まってくるから。まぁ、あんな数で来られたことはないけど……」
可笑しそうに、華奢な肩が揺れる。
「それ以外で魔法をかけた覚えは無いし、心当たりもあまり。もしかしたら、魔法少女の魔力に当てられて、精神的な不調が一時的に改善されたのかもしれない。それならいいんだけど……ウワサの機能がゆめお姉さんと変な噛み合い方をしていたら厄介だな」
「変な……噛み合い方?」
「たとえば万年桜のウワサが、お姉さんの心を守るために悪夢から遠ざけたとか。精神状態の良し悪しは魔法少女にとって生死に直結する。実は、お姉さんは自分で思っている以上に悪夢に参っていて、魂の危機にあるがゆえに、ウワサの内容に抵触したとか。ただ、今の神浜にはドッペルシステムがあり、万年桜にも人の意識に干渉する力はない。別のウワサが関わったか……」
──ところでねむは、わたしたちの中で最も口達者で、演技がうまい。
「ゆめお姉さんの心になんらかの変化が起きて、悪夢を見なくなったのなら、それが一番望ましいことだけど……そうでなく、ウワサが原因なら、僕たちの想定していない動きをした可能性がある。いわゆるバグだね」
「バグ……」
「とすると、ウワサに重大な欠陥があっても困る。あとで、話を聞かせてもらっていいかな」
「話?」
「夢を見る頻度や、夢の内容。ふだん眠る時間帯や、睡眠時の環境などが知りたいから。まぁ、今日は
──どうかな?
もしもわたしが髪に触れていなかったら、彼女はいつものように小首を傾げて微笑んだだろう。
駄目だ、今日は読めない。わたしの勘はねむの仕業と言っている。けれど、話を聞いていく内に、彼女の言っていることが正しく思えてくる。純粋に心配してくれる子を疑っているような気まずい気持ちになる。
声の抑揚は平時と変わらない。まばたきの回数が増えたようにも思わない。ならどうして、ねむの台詞に白々しさを感じるんだろう。
紫色の目がきらめく。頷いてくれたら嬉しい、という感情が隠し切れていない……ふうに見える。
「ま」、声が裏返った。
「マギウスの翼に、わたし、正式に入ったから。えっと、黒羽根なのに、会いに行くのは……よくないと、思う。立場的に」
「同衾したばかりなのに、今さらじゃない?」
「……どうきんって何?」
「友だちと一緒に寝ることだよ」
「へぇ……教えてくれてありがとう。……窓から外に出たら、バレないかな?」
「昨夜、ローブを着用していない見知らぬ魔法少女がマギウスに手を引かれてフェントホープを堂々と歩いていたんだ。どうせすぐに噂になる。開き直ったほうがいい」
「う……」
「魔力量を考えれば、すぐに昇格する。白羽根になったら配属先を僕の護衛にでもするから、安心して経験を積んでおいで」
「……うん」
「ういを助けるつもりなんでしょう?」
僕も協力するよ、とねむは言った。
「羽根たちの固有魔法をまとめておこう。……ただ、サポートはしてあげるけど、解放の手を緩めることはないし、あなたの完全な味方にもなれない。僕はういが助かるとは思えないから」
「充分すぎるよ。ありがとう。……わたし、絶対に見つけ出してみせるから。あの子を救い出す方法を」
右サイドの髪も仮止めして、左サイドの髪と合流させてPUバンドで結ぶ。三つ編み同士を束ね終わったら、仮止め用のゴムを外し、全体を見ながら髪の毛やリボンを整えていく。
お互いのスタンスについては、昨日の夜、マギウスの翼のルールやフェントホープでの生活の仕方を大まかに教えてもらったあとに話し合って決めた。
ねむは、羽根たちや他の魔法少女の情報を無理のない範囲で集めて、わたしに教えてくれる。でも、イブを孵化させるつもりなのは変わらない。わたしがういを助ける方法を見つけ出せなければ、エンブリオ・イブを魔女化させ、自分も死ぬつもりでいるとはっきり口にした。
わたしは羽根の一人として手を抜かずに活動しつつ、ういを救えそうな固有魔法の持ち主を探すと、ねむに言った。九月末までにういを助ける方法が見つかり、ねむを納得させられれば、すぐに灯花を巻き込んで計画を一時的に中止。できなければ、わたしの末路もねむとそう変わりない。
──ねむはわたしに白羽根の地位を与えて、すぐにそばに置いてくれようとしたけれど、そんなことをしたらマギウスに不信が向くし、反感を買うに決まっている。
正直に言うと、不安でたまらなくて、ねむのそばにいたい。情けなくて、認めたくないけど、彼女の出した提案にすがりたいのはある。そんなの格好悪いし負担になるから、すぐに断ったけれど。
黒羽根から始めたいと言ったら、ねむは一瞬黙った。目の中にわたしをどう丸め込んでやろうかという計算高い光がよぎったが、粘って粘って、なんとか説得した。それでもまだ何か言いたげだったから、灯花に無理を言われた白羽根の人たちには申し訳ないけれど、あのメールはわたしにとって渡りに船だった。
バンドを隠すように、リボンを結ぶ。
「……灯花が余計なことをしなければ、僕の手元に置けたのに」
不服そうに彼女は吐き捨てた。
「えっと、黒羽根でも大まかにねむの管轄下に……入るんだよね?」
「僕寄りの立ち位置にはなるだろうけど、ゆめお姉さんは一時的に天音姉妹の元で指導を受ける。あの双子は白羽根とはいえ、みふゆと同じくマギウスから直接指示を受ける幹部の地位にある。双子の下にある限り、灯花もアリナも、お姉さんに手出しができてしまう。あいかわらず小賢しい。それを狙ったんだよ。メールの文も本心だろうけどね」
「……灯花は、やっぱり……」
わたしに情報を吐かせようとしているのだろう。聖堂ではとにかく必死だった。半年を待たずにういが魔女化してしまったら、もう手出しはできない。
六ヶ月の猶予を作るために、灯花の関心を引き、解放を焦るとまずいかもと思わせる情報を示さなければならなかった。狂人めいたことを言った自覚はある。
あのめちゃくちゃな話を、狂っていると切って捨てなかった灯花の視野の広さと論理に対する誠実さは、ありがたい一方で恐ろしい。
昨日は救われた。これからは脅威になる。わたしはやっぱり、できるだけ【記憶】を知られたくない。
そんなわたしの胸中を読んだかのように、ねむが言う。
「だろうね。まぁそれは、僕もだけど」
「……!」
「そんな顔をしないでよ。別に、取って食おうっていうんじゃないから……と言いたいところだけど。こうも素直に怯えられると、逆にしてみたくなるな」
「く、食い出ないから、わたし。脅されても、何も言わないから」
「むふふっ、冗談だよ。安心して。僕は灯花とは違って、お姉さんが教えてくれるのを、ちゃんと待ってあげるから」
「う、ん……」
流した髪を丁寧にくしけずっていく。丁寧に、丁寧に。
「研修を担当する白羽根のことは、僕もよく知っている。マギウスの翼の古株で、仲のいい双子の姉妹なんだ。実力は羽根の中でも抜けているし、人柄も問題ないことは認めるけど……本当に信じられない。エンブリオ・イブの姉と知っている人に、わざわざ姉妹をぶつけるか。
僕は常々、灯花には人情というものが欠けていると思っていたけれど、欠けているどころか心が木石だったね。思惑はあれど、あれで心の底から自分を気が利くと信じているのだから手に負えない。二度と気が利くという言葉を自分に使わないでほしい。言葉の意味が変わってしまう」
「言いすぎ言いすぎ。確かに合理主義の一面はあるけど、ちゃんと心はあるよ。割り切りが凄まじいだけで結構気遣い屋だし、昨日もわたしのこと、気にしてくれてたみたいだし……」
「情緒というものを理解しきれていない未熟なモンスターをそんなに庇わなくてもいいんだよ、お姉さん」
「ねむって本当に灯花に対して遠慮がないというか、嬉々として刺しに行くよね」
灯花がここにいたら怒っただろう。そして壮絶な舌戦が繰り広げられる。ういがいなければ、どんどんヒートアップして、どちらか、もしくは両方が癇癪を起こすのだ。
最後は「絶交だ」という一言で締められる。頭が冷えたら親友の欠けが気になりだして、すぐに物足りなくなるのはわかりきっているのに。
「僕は彼女と出会って初めて、遠慮するだけ無駄な生き物がいることを知ったからね」
「ふふ、そっか」
灯花のことになると、ねむは良くも悪くも流暢になる。言っていることは悪口だけど、根っこには親友に対する無条件の信頼があって、そういうのが見えたときわたしはなんとなく嬉しくなる。
「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だよ。それくらい折り合いをつけられる。さっきも言ったけど、充分すぎるくらい気遣ってもらってるよ。
灯花にしたって魔法少女解放にかける想いや、羽根たちの期待を背負ってるのに、かなり多めに見てもらってる」
「……指名された白羽根は、監視の意味合いも含まれているだろう」
「うん」
「あくまで僕の予想だけれど、灯花はイブがお姉さんの妹ということは伝えていない。ただ、それ以外の……妹が魔女化したこと、いろはお姉さんが魔法少女として生き残っていること、そしてワルプルギスの夜の来訪を知っている不審点があることは伝えていると思う」
「うん……」
「姉妹のことで揺さぶってお姉さんを完全にマギウス側に引き込みたいのと、監視役の白羽根がほだされないように、警戒すべき理由を与えるはずだ」
「うん」
「こういうところが野暮天なんだ、彼女は」
でも、マギウスとしてはきっと正しい。
ショックだけど道理だとも思う。今の灯花はわたしの知るあの子ではない。彼女には彼女の立場とやるべきことがある。
「……ここまで警戒心を煽っておいてなんだけど、白羽根のこと、あまり気を尖らせなくていいよ。あの双子ポンコツだし」
「急に辛口になるね……!?」
「……実力は評価するけど、ゆめお姉さん以上に迂闊で詰めが甘く、そのうち致命的な失敗をしそうなんだよね。当たらなければいい予感だけど」
「わたしそんなに迂闊じゃないし詰めも甘くない」
「むふっ。そういうことにしておく?」
どうしてこの子、わたしのことをそんなに抜けていると考えているんだろう。凡人らしい隙はあるかもしれないけれど、こうも言われると反発したくなる。
年上としての矜持を考えながら、櫛を置く。
「できたよ。三つ編みのハーフアップ。リボンを編み込んでるの」
「……相変わらず、器用だね」
ねむが頬を赤らめる。
「大人っぽいの、絶対に似合うと思って。いつもの髪型も好きだけど、ねむのこういう髪型も見てみたかったんだ。……じゃあ、最後の仕上げね」
「最後の仕上げ?」
「うん」
わたしは魔力を籠めた指先を、亜麻色の髪の上で魔法の杖のように振るった。
桜色の光が散って、光の粒が三つ編みに落ちる。桜色に青が溶け出して、鮮やかな紫色になり、不意にめくれた。
最後に左の顳顬あたりに、紫色の蕾が三つ連なるピンが差し込まれる。
ドレッサーの隣に立てかけられた大きな鏡を持って、わたしはねむの後ろで、正面の鏡と合わせるように掲げた。
「……すごい」
「午前零時には解けちゃう魔法だけど。後ろ、見える?」
「うん──見える。凄く、凄く……綺麗」
目立ちすぎないように気をつけながら、ハーフアップの三つ編み部分に、小さな菫の花をところどころ咲かせたのだ。
わたしはねむと鏡越しに目を合わせながら、閉じたままにしている、顳顬を飾るピンの蕾の魔力をそっと膨らませる。
蕾が花開き、ねむの顔に含羞の笑みが浮かんだ。
「……言葉が出ないくらい嬉しい。お姫様になったみたい」
「お姫様だよ。そして、わたしは魔法使い。……わたしのかわいいすみれ姫。お気に召しましたか? …………えへへ、ちょっと恥ずかしいね」
ねむの顔がまっかになった。こういうところ、素直で可愛らしいと思う。ボーイッシュな口調と落ち着いた雰囲気から中性的な印象を与える少女だけど、女の子らしい装いが嫌いではないことを知っている。
鏡を戻す。ドレッサーを見た。
シンプルな白いブラウスに、紺色の上品なジャンパースカートを着用した少女が鏡に映っている。
亜麻色の髪をハーフアップにして胸元に流し、ショートブーツのつま先を行儀よく揃えて椅子に腰かける姿は、お姫様というより深窓の令嬢に見えた。眼鏡をかければ華やかさが抑えられる代わりに、怜悧さがいっそう増して、人の目を惹きつけるだろう。どちらにしても……
「うん。似合ってる」
ねむがぱっと体をひっくり返した。椅子に乗り上げ、椅子の背に手をついて、赤い顔を向ける。
「……お姉さん」
苦しげに、小さな手がブラウスの胸元を握りしめた。
「なに?」
「…………な、……」
「な?」
扉を打つ音が、軽やかに三回鳴った。
ウワサさん、とねむが言う。ドアが開き、黒い頭巾を被った、魔女の使い魔のようなのっぺりとした見てくれの少女が部屋に入ってきた。
ウワサさんはクローシュや水差し、コップなどを置いたワゴンを引いていた。ねむが椅子から下りて、わたしの手を掴んだ。
「食欲はある?」
会話が流れた。
「……正直あまり。でも、いただきたいな。寝食が欠けると、メンタルやられちゃうから」
「賢明だね。それじゃあ、少し遅いけど朝食にしようか」
時刻は九時過ぎを示している。白羽根の人たちが来てくれるのを考えると、少し急いだほうがいいかもしれない。
ソファや机から、ウワサさんが本をどけていく。手伝おうとしたら、お客様だからと咎められてしまった。
卓上を綺麗にして、ウワサさんが食事を配膳していく。コップに水が注がれ、蓋をされた陶磁器の碗と、クローシュの下の一皿が目の前に置かれる。碗の中身はスープだろう。メニューはそれと、パンと目玉焼き。
「ありがとう、ウワサさん」
「ドウイタシマシテー……」
やっぱり落ち込んだ様子でワゴンとともに退室しようとした彼女を、わたしは呼び止めた。
「ウワサさん、見てみて」
ウワサさんが振り返る。
わたしは立ち上がって、対面に座るねむの背後に回り込む。ごめんね、と一言断って、細く柔らかな髪──リボンが編み込まれたところを、ウワサさんに見せるように指でなぞった。
「素敵でしょ? わたしは色こそ指定したけど、このデザインのリボンを見つけて選んで来てくれたのはウワサさんだよ」
「……!」
「ウワサさんはセンス最高だよ。ねむにぴったりなリボンを見つけてきてくれてありがとう」
「センスサイコー!」
「うん、ウワサさんはセンス最高」
ねむが笑う気配がした。
「ごめんね、ウワサさん。我が子に当たってしまった未熟な創造主で……。僕に似合うものを選んで持って来てくれて、ありがとう。君ほどできた子は中々いないよ」
「……!!」
ウワサさんがパカッと口を開く。舞い上がらんほどに歓喜を膨らませたのが、乏しい表情からでもよくわかった。
「ウワサさんはセンスサイコー! デキるコ!」
るんるんと跳ねるように、ウワサさんは出ていった。
「……アレがウワサになったら、困らないけど困るかもしれない」
いくらかの沈黙のあと、ねむが言った言葉にわたしは軽く噴き出した。
「ねむに褒められて、よっぽど嬉しかったんだよ。かわいいね」
「初対面では腰を抜かしていたのに、随分と余裕が出てきたみたいだね」
「そ、それは言わないでよ」
「でもありがとう。僕も、悪いとは思っていたから……切り出してくれて助かった」
「……うん」
「ほら、席について。今日は忙しいよ。研修もそうだけど、お姉さんの生活基盤を整える必要がある。……もっとも僕は、このままお姉さんと二人で日々を過ごすのでも構わないけれど」
「駄目だよ、それは。わたしは黒羽根なんだから」
席に戻ろうとしたら、一瞬、髪に抵抗があった。わたしはいつも後ろ髪を一本の三つ編みにしている。毛先が何かに引っかかったような気がして振り返ると、わたしが髪飾りにしていたリボンをねむが指でつまんでいた。
はっと三つ編みを胸の前に持ってくる。束ねているゴムが剥き出しになっていた。
「リボン、また逆さまになってる」
「……返してもらっていい?」
「どの色がいい? あとで結んであげる」
「赤」
「じゃあ、ウワサさんに持ってさせよう」
「それを返してって言ってるの」
「いろはお姉さんに貰ったものだから?」
「……っ!! ……そうだけど、違うから」
「何が?」
「ち、が、う、か、ら!」
怖がらせるつもりで睨んだのに、ねむは楽しげに笑うばかりでちっとも怯える素振りがない。自分のほうが子どもっぽいような気分にさせられて、わたしは肩を落とし、しぶしぶ言われた通り席に戻った。
白羽根の少女たちが部屋の扉を叩いたのは、約束の時間の十分前。十時二十分のことだった。
「おや。みふゆも来たのかい?」
「ええ、まぁ。今日一日はアリナに付き合う約束だったんですが、どうも彼女、少し機嫌が悪いみたいで……アトリエから追い出されちゃいました。なので、せっかくだから、ワタシも月夜さんたちのお手伝いをしようと思って」
「珍しいね」
姿見の前で私服の上から黒羽根のローブを被り、貰ったペンダントを首から下げる。充電が満タンになったスマホをショルダーバッグに入れて振り返ったら、梓さんの対面に腰かけているねむが手招きをした。
「あら、それはワタシの言葉ですよ、ねむ。ハーフアップですか? リボンの編み込みも、魔法の菫も、よく似合っています。魔力からして……ゆめさんにしてもらったんですね。普段より大人びて見えます」
促されるままにねむの隣に座ると、梓さんがにこりとこちらに向けて微笑んだ。
「器用なんですね。凄く可愛らしい仕上がりで、ワタシも髪が長ければ頼みたいところでした」
「えっと、なら……よかったです。ねむはとっても綺麗な子だから、その、似合っているようにできたみたいで。あ、リボンを選んだのはウワサさんなんです」
「……! ふふ、そういうことだったんですね。先ほどすれ違ったんですよ。ひどく自慢げにねむの部屋のほうから来たと思ったら……あなたたちに褒められて、嬉しがっていたのね」
「ウワサさん……」
ねむが溜息をついたのを聞いて、つい笑いがこらえきれなくて口元を押さえる。隣の少女は呆れた顔をしてみせるけれど、目尻から耳にかけて赤らんでいた。ねむの目がじろっとこちらを睨みつけて、わたしは慌ててまだ疼く笑いを殺した。
「あ……あのねむさんが照れてる……!?」
「他のマギウスより大人しい分、理詰めで淡々と責任を追及してくるねむさんが照れているにございます……!」
「怖いよ月夜ちゃん……!」
「恐ろしいのでございます、月咲ちゃん……!」
「聞こえてるんだけど」
『ひぃっ……!』
梓さんの隣に座っている、白羽根の少女たちがひそひそと言い合い、ねむに睨まれて萎縮した。
理詰めで、淡々と……ねむは灯花以外には基本的に容赦のある物言いをしてくれることが多いと思うんだけれど。人を揶揄するときは別として。
「……まぁ、いいよ。そんなことより、さっさと自己紹介を終えてしまおう。
お姉さん。こっちの……ええっと、なんだっけ。四角四面そうなのが、天音なんとか。その右隣──僕たちから見てだよ。右隣にいるそそっかしそうなのが、天音なにやら」
「ひ、ひどいのでございます! 双子ですから、見分けがつかないのはいいのです。むしろ嬉しいのでございます。ですが、私はともかく、月咲ちゃんの名前をなにやらで済ませるなんて……! マギウスといえど言語道断にございます!」
「そうだよ! ウチはともかく、月夜ちゃんの名前はなんとかで済ませないで! おまけに四角四面なんてひどい! 月夜ちゃんは責任感が強くて、几帳面なだけだよ!」
「月咲ちゃん……! ええ、そうでございます。月咲ちゃんはそそっかしいのではなく、段取り上手で、よく気の利く子なだけでございます!」
「へぇ。それなら、責任感が強く几帳面な天音姉と、段取り上手で気の利く天音妹に聞きたいんだけど、捕獲用の魔女を討伐した挙げ句、グリーフシードを使い切ったのはどういった了見あってのことかな?」
「うっ」
「あっ」
天音姉妹が困ったように口を押さえ、軽く仰け反った。示し合わせたような動作だった。
「今の神浜の魔女を二人だけで倒してしまうなんて、さすがという他ないね。みふゆが目をかけているだけある。……ああ、皮肉っているんじゃないから、安心して? そんなこと、百戦錬磨の君たちからすれば、若輩者である僕ができるわけないだろう?
ただ、幾多の戦闘をこなし、生き残ってきた実力。扱いにくい武器を見事攻撃に反映してみせた頭脳を兼ね備える、かくも素晴らしい先輩がたが命令に背いて魔女を倒したのなら──僕には考えも及ばない、さぞかし深遠な理由があるのだろうなと思っただけだよ」
ねむが冷笑を浮かべる。双子の姉妹が、悔しさを滲ませ、悄然と俯く。
緩く、コミカルな空気が変わった。重苦しい圧にわたしも息を呑む。何が起きたのか、ねむがなんと言っているのか、一瞬わからなかった。
「……言い過ぎですよ。あのとき月夜さんと月咲さんが魔女を倒してしまったのは、新しく入った黒羽根の子を守ろうとしてのことです。グリーフシードを使い切ってしまったのも、その子が気兼ねなくソウルジェムを浄化できるように配慮したから。目的の魔女は回収できませんでしたが、そのあと彼女たちはしっかりと別の魔女を捕獲したでしょう? あなたたちマギウスも、それで溜飲を下げたとワタシは記憶していますが」
「高尚な言い訳だ。一度だけならね。しかしこの姉妹といったら、同じようなことを二度三度としてくれる。そのたびに、やれ後輩を守ろうとしただとか、やれ新入りを思いやっただとか言われ、オーダーを覆されているのにも関わらず、許すべきだという空気にされるこちらの身にもなってほしい。
それとね、変に仲間意識を持たれても困るんだよ。割り切ることも多少は覚えてほしいな。僕たちはあくまで“魔法少女解放”という目的を達成するためだけの集まりであるべきだ。それ以上の繋がりは余計な諍いを生む。弱さや不安を誤魔化す仲良しこよしも傷の舐め合いも、マギウスの翼に必要ない。僕は魔法少女のマッチング会場をつくるためにホテルフェントホープを創作したわけじゃないよ」
「魔法少女救済を大義名分に掲げたマギウスの言葉ではありませんね、それは。羽根たちの人格を無視して、あなたたちにとって都合のいい、従順な駒になれと言っているようなものでしょう。
過度な馴れ合いが禁物なのは同意見ですが、最低限の信頼関係を構築するのは盤石な命令系統の維持や、戦闘での連携を取るために必要だと進言しますよ。
月夜さんも月咲さんも、単独で魔女と戦える魔法少女が少ない中で、羽根たちを守り、よくまとめてくれています。ただでさえ二人とも忙しいのですから、あまり無体なことを言わないであげてください。……魔法少女を救うマギウスなら、なおさら」
「みふゆさん……」
「ウチらのために……」
姉妹が感動したように梓さんを見つめる。その梓さんは、厳しい目でねむのことを見ていた。
隣の気配がひりつくのを感じた。ねむの機嫌が急降下したのが、見ないでもわかった。梓さんのなんらかの言葉が癪に障ったみたいだ。
何が気に障った。どうしてねむは、ここまで痛烈な物言いをするのだろう。灯花への文句やわたしへのからかいとは種類が違う。
天音さんたちが何かしたのかといえば、違う気がする。梓さんの話だと、二人は黒羽根の子を守っただけだ。そのあと埋め合わせもきちんとしている。でも、ねむはそのことも腹立たしそうに言い返した。
「魔法少女を救う、ね……」
ねむの声が押し殺したように震えていたのに気づいたのは、たぶん、近くにいたわたしだけだった。
彼女は長く息を吐いた。白い手が動くのを見て、咄嗟にわたしは左手をそばに置いた。ねむの右手はそれを掴んだ。力加減など考えていない掴み方。
彼女の横顔は平素と変わらないけれど、正面を見据えるその目は冷たい侮りと蔑みが隠れていた。でも、ただ侮蔑しているのではないと思う。理由なく人を傷つける子じゃない。握られた手の力強さが、姉妹にも梓さんにも、これ以上何も言うべきでないと、懸命に理性を働かせているようだった。
わたしもその手を握り返した。
(天音姉妹に魔女化を教えてこちら側に引き込んだのは、みふゆのくせに)
頭の中でねむの声が言った。
(魔女を守り、魔女を育てることは事前に言った。ウワサが一般人だけでなく魔法少女を取り込むこともあるだろうと説いた。その全てに君は頷き、犠牲を容認した。そしてその道に、天音姉妹を引き込んだ)
「……そうだね。少し、頭に血が上っていた」
(戦力として当てにしたんだ。本当に守りたいなら何も言わず、忠告だけしてウワサから遠ざければよかった。僕のように、何も知らせずにいればよかった。マギウスの翼に関わらせず守る方法はあった)
「口が過ぎたよ。……恥ずかしいところを指摘されて、やり返したくなってしまった。上に立つ者としてよくない言動だったね。謝罪するよ」
(君は、そうしなかったんだ。みふゆ)
「心にも無いことを言った。ごめんね? 月夜、月咲。みふゆの言う通り──本心では、僕も、君たちはよくやっていると思っているよ」
ねむは、そう言って静かに笑み、小首を傾げた。
姉妹が、ほっと息を吐く。
「い、いえ……、先の言葉を撤回していただけるのなら、私は……月咲ちゃんがよければ……」
「ウチも、月夜ちゃんがいいなら……」
不満そうだったが、立場上、そう言うのが精いっぱいみたいだった。
「ありがとう。それじゃあ、改めて」
ぎちぎちと、爪が手のひらを噛む。皮膚を突き破った感じがして、肩が跳ねそうになる。
「白いリボンで髪を結い上げて、畏まった口調の彼女が、天音月夜。黒いリボンで同じく髪を結い、活発な雰囲気の彼女が天音月咲。双子の魔法少女だよ。実力はさっきも言ったように折り紙つき」
「……天音、月夜でございます」
「天音月咲だよ。えっと、ウチらは灯花さんから頼まれて、新しく羽根になる子を指導してほしいって言われたんだけど……」
「あ、わたし──」
自分のことだろうと、小さく手を上げて、名乗ろうとした。
「お姉さんのことだね。まぁ、どうせバレるだろうし、隠しはしないよ。
この人は環ゆめ。僕と灯花の命の恩人で、僕の大切な、姉のような人。君たちにはゆめお姉さんに、羽根の仕事を教えてほしいんだ。といっても、魔力の強さからして黒羽根でいる期間は短いだろうから……並行して、白羽根としての仕事も教えてあげてほしい。ただ、宿帳は渡さないでね。その辺り、ちょっとややこしい事情があるから」
頬同士がぶつかった。ねむの腕が左腕に巻きつく。勢いに引っ張られて、わたしの体も傾いた。爽やかで甘い匂いがふわっと漂う。
手が痛い。爪が容赦なく進んでいく。
「対魔法少女戦で使い物になるか、神浜の魔女を単独で倒せるようになったら研修終了。
……むふっ。面倒な依頼だと思う? いいよ、辞退して。僕は別に構わない。お姉さんに仕事を教えることくらい、創作活動の片手間でいくらでもできるし──」
「ね……、ねむ……っ」
「なぁに、お姉さん」
彼女はあたたかく微笑んでこちらを見た。打って変わって、紫色の目には親愛が込められている。
ぞっとした。よくない、と直感で思った。
「わ、たし」
かたく爪を立ててくるねむの手の上に、そっともう片方の手を添える。たぶん引き剥がしたら駄目。拒絶になる。それでいて握り続けていても駄目だ。ねむの、よくない態度の、肯定になる。
どうすれば、と一瞬視線を外したら、偶然、梓さんと目があった。
わたしはなぜか、命綱を掴んだような気になった。気道の支えが取れるような、束の間の息のしやすさが、思考にわずかながら余裕を与える。
この人なら、わたしが会話を投げても、しっかりと受け取って返してくれる。
ねむに視線を戻す。かたまった彼女の手に温度を送るように、右手を離さない。
「まずは黒羽根として、マギウスの翼を見ていきたいの。天音さんたちからも、話が聞きたい。わたしは、ここに入るって言ったし、協力するって約束もした。何もさせてもらえないのは、嫌」
「……」
「……っい、それに」
(その辺りは全部決めたでしょ。お願い、覆さないで。贔屓も、特別扱いも、欲しいのは今じゃない)
優しげな表情が抜け落ちる。恐ろしい落差に目を逸らしそうになるけれど、ここで逸らしたら、自分の投げかけた言葉の責任から逃げているようで嫌だった。
充分に待って、レスポンスが無いことを確認してから、今度は声に出して「それに」の続きを言う。
「天音さんたちは、実力もあるし、優しい人たちだから大丈夫って、ねむが言ったんだよ。不安を持たなくて大丈夫、僕も彼女たちのことはよく知ってるって」
『え?』
天音さんたちの声が揃った。
「……そこまでは言ってないよ。美化しすぎ」
「言った。絶対に言った。ねむ、わたしは大丈夫。だから信じて待ってて」
「…………」
肉を抉られる痛みをこらえる。もう少し、あとひと押し、何かあれば──
「ふふ、そんなことを言っていたんですか? ねむ」
……やっぱり。梓さんはちゃんときっかけを受け取って、緊張をほぐしてくれた。
冗談めかした声が、とてもあたたかく聞こえた。梓さんの一言は、張り詰めた空気をそっと緩めた。影響を受けたのか、ねむの手の力も和いでいく。
「……ポンコツだとは言ったね?」
「ポン……ッ!?」
「ぽ、ポンコツじゃないよ、ウチら……!」
「まぁ、確かに、お二人とも抜けているところはありますが」
「みふゆさん!?」
「ですが、先ほどねむが言った通り──月夜さんも、月咲さんも、この神浜で生き残ってきた実力者。扱いの難しい武器を巧みに使いこなし、他の魔法少女を手助けする余裕すらある、稀有な子たちです。
彼女たちが、しっかり見ていてくれるんです。詰めの甘さは認めますが、二人とも責任感が強く、面倒を見ると決めたものには必ず最後まで付き合います。そんな二人に、ゆめさんを任せてくれませんか?」
時間があれば、ワタシも様子を見に行きますし、と梓さんは安心させるように大人っぽく微笑む。
「大切なお姉様を手放したくないのはわかります。しかし、ゆめさん本人はマギウスの翼として働くことを決意し、あなたに守られるのではなく、あなたの力になることを望みました。その意志を無視して、自分の手元に縛りつけるのは……あまりに、不健全でしょう」
「……」
「そして、一介の黒羽根にマギウスが執着しているというのも、組織に不信を齎します。ゆめさんの魔法少女としての素質は、ワタシから見ても高い。白羽根に昇進するのはすぐでしょう。彼女が実力を示せば、そばに置く理由はいくらでも作り出せる」
「知ってる。というか、言われるまでもなく、そのつもりだったよ。
もう…………そんな顔で見ないでよ、お姉さん。わかった、わかったから。……僕が悪かったから」
「……ッ」
左手の抉られた部分に爪が深く食い込んだ。耳をかすめた吐息が、くすくすと笑っていた。
するりと腕が離れていく。……ねむの腕の感触が消えない。まだ拘束されているような気がするのは、さっきの発言に攻撃的な含みがあったせいだ。
血がこぼれ落ちないように空になった左手を握り込む。
「ねむ」
「なんだい? みふゆ」
「……、いえ……ゆめさんを、ワタシたちに任せてくれるということで、間違いないですか?」
「口惜しいけれど、そうだね。お願いするよ。……荷が重ければ、無理をする必要はないからね。元より灯花の無茶振りだろう?」
「ご心配なく。ねむはフェントホープを含めたウワサの管理・創造に注力してください。ゆめさんのことはしっかりとこちらでサポートしますから」
「ふぅん……じゃあ──僕のゆめお姉さんを、よろしくね? あ、そうだ。お姉さん」
ねむの手が、拳の上にそっと重なった。
顔を上げると、彼女は花のように微笑んだ。
「十七時には灯花がここを訪れる。時間を考えて、この部屋に帰ってくるようにね」
わたしも笑いかける。
「うん。ありがとう。──また、あとで」
ねむの精神状態が心配だった。昨晩少し持ち直したように見えて、油断していた。自分の考えの甘さを呪う。わたしの思っている以上に、彼女は追い詰められている。
ういを救う方法を、早く探さないといけない。同時に、そればかりに気を取られて、ねむから視線を外しても駄目だ。どう見ても今のは感情のコントロールができていなかった。
手が離れる。白い指先にはわたしの血が滲んでいる。彼女はそれを大切そうに片手で隠した。表情は穏やかで、天音姉妹をなじったときや、梓さんと応酬していたときのように切羽詰まってはいない。
このまま今日一日は
夕食をともにしたいと言ったのは彼女なりのSOSだったのかもしれない。
ねむの部屋を出てしばらくして、先導していた梓さんが立ち止まった。後ろに続く天音さんたちも、わたしも止まり、そして全く同時に、長い溜息をついた。
あまりの揃い具合に全員で顔を見合わせる。思うこともたぶん、同じだ。
「こ……怖かった〜……」
「うう……しばらくはこの辺りを一人で通れそうにないのでございます」
天音さんたちが、きゅっとお互いの手を結び合う。素朴で優しい言葉遣いに緊張が緩み、わたしは廊下の壁に凭れかかって、もう一度溜息をついた。
「ゆめさん、手は大丈夫ですか?」
梓さんが駆け寄ってきて、脱力して垂れ下がるわたしの左手を取った。
その背から恐る恐る顔を覗かせた双子が、同時にひっと喉を鳴らす。
「あ……ごめんなさい。すぐに治します」
傷口を魔力で繕っていく。消えていく傷に、三人が安堵の顔をした。そんな仕草から、彼女たちの性格が読み取れる。
「姉のような人って言ってたのに、どうしてこんな……」
「月咲ちゃん……」
「ウチだったら、ぜったい……月夜ちゃんが傷つくようなこと、しない……」
「……私も、でございますよ」
慰めるように、彼女は妹の頭を撫でた。
「ゆめさん──」梓さんが迷うように告げる。「嫌なことは嫌と言っても、大丈夫ですよ。もし言いづらいのでしたら……ワタシが言いましょう。ワタシは、あなたに味方します」
「いえ、そんな……嫌というわけでは」
「マギウスの中では大人しく、話しやすいほうだとはいえ、ねむもまた、どこかいびつなところが見られます」
心配そうな目がわたしを見た。
唇を噛む。涙が出そうになったのは、痛みのせい。
「ご存知かもしれませんが、ねむはふだん誰よりも冷静な分、感情をうまく制御できないときが、不意に訪れるんです。今回のように、過去のミスを論ったり、前言を翻したり……ひどいときは、失敗を責められた黒羽根の子が、ドッペルを出したときもありました」
「……それって、ソウルジェムが濁りきって?」
「……はい。さっきも、ゆめさんがいなければ──あなたがねむの癇癪を受け止めようとしなければ、ワタシを言い負かすまで彼女の口撃は止まらなかったでしょう。
逆に言えば、あなたが静止すればねむは応えてくれる。ただ……そうしていく内に、ワタシは、ゆめさんが潰れていく未来しか見えないんです」
「……」
「心を壊してしまう前に、『やめて』を言えるようになるべきです。それが、ねむのためにもなる。
……出過ぎた真似かもしれませんが、どれだけ仲がよくても、拒絶はときに必要ですから」
「……はい」
耳に痛い指摘だ。でも、いたたまれなくなっても、嫌だとは思わない。彼女の言葉は正しく、何より、わたしたちを案じて言ってくれたことが伝わってくるから。
完全に癒え、血も消えた手のひらを、梓さんが痛みが無いか確かめるように指で軽く押す。
「大丈夫そうですね。ソウルジェムのほうも」
「はい。平気です」
「月夜さんと月咲さんも、大丈夫ですか?」
「は、はい。耐え忍ぶことには、慣れておりますから」
「ウチもだよ。えっと、じゃあ……環さん?」
「はい」
「もう一回、自己紹介しよっか。さっきは色々と、台無しになっちゃったし……。それにウチら、見分けがつかないでしょ?」
見分けがつかないでしょ? と言った彼女の顔は、心なしか自慢げだった。
天音さんたちは白羽根のローブを着用しているけれど、フードは被っていない。あらわになった顔は、瓜二つだ。
白い髪飾りの月夜さんは、赤みがかった長い黒髪をポニーテールにしていて、優しげなマゼンタ色の大きな目が印象的だ。一方の、黒い髪飾りをした月咲さんは、お姉さんと同色の髪と髪型をしているけれど、よく見ると結った髪が二又に分かれている。月夜さんと全く同じ顔立ちなのに、表情は勝ち気で、その目は溌剌として見えた。
確かに、ぱっと見わからない。頷くと、天音さんたちは嬉しそうにした。
口調や仕草は正反対なくらい違うけれど、二人とも本当によく似ていて、突然名前を当てろと言われたら絶対に間違えてしまうと思う。
「双子だからね! わからなくても、仕方がないよ」
「ええ、そのくらいで怒ったりはしませんので、ご安心してください。双子ですので、わからないのは仕方がないのです。ねー、月咲ちゃん」
「ねー、月夜ちゃん」
「それでは、改めまして。私は、天音月夜でございます。こちらは、双子の妹の天音月咲ちゃん。みふゆさんに勧誘され、魔法少女の解放を志すようになった白羽根が二人」
「そして、マギウスの翼最古参メンバーの二人でもあるんだ。あの頃はまだルールも明確に決まってなくてね。だからウチら、必然的に顔出ししちゃってるの。あ、マギウスの翼のルール、把握してる?」
天音さんたちの問いかけに頷きながら、内心、あれ、と首を傾げる。
顔を隠すか隠さないかって、確か個人の自由じゃなかったっけ。わざわざ言及するなんて不思議。
「はい。えっと、基本的にどんなときでも単独行動は厳禁で、活動は目立たないようにする。勧誘したい人は、魔女化を知っている人だけで、いたらマギウスに相談。魔女とウワサは、他の魔法少女に譲らない。使い終わったグリーフシードは、マギウスの翼で回収……でしたよね」
「うん……うん?」
「な、何かがおかしいのでございます」
「……誰から聞きました? そのルール」
「え……ねむから、です」
「ねむ……ねむ……ッ!!」
梓さんが顔を覆って天を仰いだ。びっくりして天音さんたちを見ると、二人ともなんとも言い難い表情をして、こちらを見ている。
何事かを嘆き終わった梓さんが、鬼気迫る顔で近づいてきた。咄嗟にあとずさろうとしても後ろは壁だ。あえなく両肩を掴まれ、わたしは彼女と目を合わせることになった。
「どんなときでも単独行動が厳禁は、嘘です」
「えっ」
「単独行動が、厳禁は、嘘です。正しくは、割り当てられた仕事を二人以上で行うように、です」
「わ、割り当てられた仕事を、二人以上で行う」
「そう。次に、勧誘対象についての相談は白羽根が受けます。その白羽根がまず勧誘して大丈夫かを判断し、大丈夫そうであればワタシに連絡を入れるのです。マギウスに直に相談はありえません。……マギウス、というよりねむに相談するように言われませんでした?」
「い……いわれてないです」
「嘘ですね。妹分が可愛いのはわかりますが、無闇やたらに甘やかすのはよくないと言ったでしょう。現に騙されてるじゃないですか!」
「うっ」
「それから。使い終わったグリーフシードというのは、どういう意味ですか?」
「……え?」
「グリーフシードを得たとき……どうしろと言われましたか? 詳しく教えてください」
「し、しっかりと浄化して、予備があったら……渡すようにって、言われましたけど」
「違います。マギウスの翼ではグリーフシード回収が優先、浄化は最小限にとどめるのがルールです。
そして、基本的に羽根たちは顔出しはしません。月夜さんと月咲さんは、彼女たちがさっき言った通り、ルールが定まっていないときから協力していただいているので、今さら姿を隠せませんし、ワタシは広告塔も兼ねているので顔は出していますが……他の子たちは身元が割れないように、姿を隠し、武器を変え、固有魔法も使わず、名前すら明かしません」
「姿を……隠す……」
「はい。……あ、大丈夫ですから。フードを被らなくても大丈夫です。あなたに関してはある程度の自由を認めると、灯花が言っていましたから」
「わ、わかりました。……ごめんなさい。本当に、すみません……!」
頭に入れたルールを、大慌てで書き換える。フードをぎゅっと目深に被った。
「環さんは悪くないのでございます」
「どう考えても嘘のルールを吹き込んだねむさんが悪いよ!」
「天音さんたちも、お手間をかけさせてしまってごめんなさい……」
梓さんは、天音姉妹を忙しいと言っていた。そんな中、灯花の突然の呼び出しに応えて、二人はわたしに黒羽根としての動きを教えてくれようとしている。マギウスの翼のルールくらいすんなり出てくるようにしたかったのに、まさかルールそのものが絶妙に間違っているなんて。
幸い、二人は笑って許してくれた。
「お気になさらず。マギウスの横ぼ……突発的な思いつきに振り回されるのは、よくあることでございますから。思うところがない、と言えば嘘になりますが、これも解放のため」
「そうそう。ウチらのためでもあるんだから、あまり思い詰めないでね。何度も言うけど、このことに関して環さんは悪くないから!」
「う……ありがとうございます。次から、気をつけます」
「ねむに騙されないように気をつけるというのも変な話ですけどね……あ、そうでした、ゆめさん。ワタシのことは名前で構いませんよ」
梓さんがそんなふうに言って、手を伸ばしてくる。優しくフードを外されて、わたしはどきっとしながら、いつの間にか横髪を撫でていた右手を下ろした。
「名前……みふゆさん?」
「はい。これからきっと、長い付き合いになりますから。それに、ワタシはずっと名前で呼んでますからね。一方通行が続いちゃうと、ちょっとさびしいです」
茶目っ気のある笑顔が、なんだかとても魅力的な人だと思った。彼女が西の代表に収まったのは、魔法少女として生きた年月の長さもあるだろうけれど、人柄も理由なのだろうと察せられる。
「私たちも名前でお呼びください。ここでは、私も天音姓なので」
「環さんの呼びやすいように呼んでね。ちゃんでも、さんでも、先輩でも」
「じゃあ……月咲さんと、月夜さん」
「はーい」
「なんでございましょう」
月咲さんが、涙袋の現れる元気いっぱいな笑い方をする。月夜さんは睫毛を伏せた淑やかな笑い方だった。
「わたしは、環ゆめといいます。宝崎から来ました。……よければ、その、わたしのことも名前で呼んでください。みふゆさんの言う通り、一方通行は寂しいので」
言葉を借りると、みふゆさんがくすくすと声を立てる。月夜さんと月咲さんが顔を合わせ、表情を緩めた。
剣呑な雰囲気は、もうどこになかった。
「わかりました。では、“ゆめちゃん”はどうでしょう」
「それでお願いします」
「ウチもそう呼ぶね? これからよろしく!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出された手を、順番に重ねていく。あたたかい。血の通った人間の手。
わたしは、この人たちの希望を踏み砕くのか。
冷水をかけられたように、感じていた温度が消えた。吐き気がした。吸う空気はずっと冷たいまま、心臓を冷やし続けている。
〈梓みふゆ〉
普通に仲のいい疑似姉妹かと思ったら違って胃痛。
〈天音姉妹〉
自分の妹が月咲ちゃんでよかった……と心底思ってる姉と、姉と呼ぶ人にどうしてあんなに怖い目を向けられるんだろう……と思ってる妹。
〈環姉妹〉
忙しい両親に代わって妹たちの心を大切に守り育ててきた長女。
姉と妹(灯花ねむを含む)を守りたい次女。
抜けている姉たちのためにういガード! が発動できる三女で構成されている。
現在、ういガード! の使い手が抜けている状態。