環姉妹の真ん中っ子   作:匿名

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憎悪(3)

 

 忘れていいよとあの子は言った。わたくしたちのこと、忘れて。

 これからお姉さまは幸せになるの。たくさん笑って生きていくの。そのためのおまじないをしてあげる。灯花ちゃんのとっておきだよ。パパ様にも、ママ様にも内緒の特別製。小さな手がわたしの目蓋を覆う。

 今までのことは、ふわふわ、綿菓子の夢なの。甘くって、お口の中でしゅわっと溶けていっちゃう。マッチの火みたいに、ちっぽけな明かりなのに、心がぽかぽかあたたかくなる白昼夢。目を覚ましたら思い出せなくなるけど、起きたときなんとなく、今日もがんばろー! って思える小さな幸せが、わたくしたち。

 大丈夫だよ、ゆめお姉さま。

 わたくしたちなんて、本当は最初からいなかったの。

 全部幸せな夢のかけらなの。

 現実のお姉さまはなんにも失ってない。目を覚ましたって平気だよ。

 だから、泣かないで。笑って。

 お姉さまが泣いちゃうと、わたくし、胸がきゅうってなって、苦しくなっちゃう。

 それはね、忘れられることより、ずっとずっとつらいの。

 ねぇお姉さま、笑って……

 

 

 

「ホーミャミャン!」

 

 肩を強く揺さぶられる。

 

「──ゆめ! ゆめ、どうしたの……!?」

「……?」

「気持ち悪いの……? お熱ある?」

 

 小さな手が慣れた様子で、ぺたぺたと頬に触れ、首筋に触れ、ひたいに触れた。鈍痛を訴える頭とともに目蓋を持ち上げると、心配そうな顔をした灯花と目が合った。

 

「フェント、ホープ……?」

 

 意識が定まっていく。ここは病室じゃない。

 

「ソウルジェム見せて……濁りは大丈夫だね。お熱もないし、意識が混濁しているの? 研修で頭とか打った?」

「打ってないよ……ごめん、ちょっと貧血気味で」

 

 徐々に記憶が戻ってくる。みふゆさんと別れたあと、ねむの部屋に行こうとしたのだけれど、目眩を起こして進めなくなったのだ。仕方なく壁に凭れて休んでいたら、いつの間にか意識を飛ばしていたらしい。

 廊下の端で座り込んでいる人間がいたら、誰だってぞっとする。特に灯花は境遇から病に過敏だ。悪いことをしてしまった。

 

「本当に貧血……?」

「目眩というか、立ちくらみというか……とにかく大丈夫。ごめんね、こんなところで寝ちゃって……」

「寝ちゃってたというより、気を失ってたよね……? もしかして昨日、わたくしがアリナを差し向けたから」

「違う違う、本当に大丈夫!」

 

 差し伸べてくれた手を掴み、支えてもらいながら立ち上がる。

 

「……」

「ありがとう。えっと、ところで灯花は、なんでここに……? 来るのは十七時って言ってたよ……言って、ましたよね?」

 

 マギウスの翼に入ったし、敬語のほうがいいかもと言い直したら、彼女はぷっと噴き出して笑った。

 

「敬語もいらない。他に羽根がいるならわかるけど、今は二人っきりだもん。ねむにするみたいでいいよ」

「……そっか、ありがとう」

「ミャイミャミョー」

「どういたしまして……っていうのもなんだかへんな話だけどね。あっ、用事はもう終わったんだ。ねむとおしゃべりしてたら、研修が終わったって連絡が来て、ゆめのこと迎えにきたんだけど……」

「ホベーミャンミニャィ」

「ニミョイミュミュ?」

「ミュミュー!」

「ホーミャミャン」

 

 「ホベーミャンビョコゥ」使い魔がふらふらと近寄ってくるのを、灯花が軽く指で弾く。使い魔は「ミッ」と鳴いてわたしの後ろに隠れた。しがみついてくるので、いじめられたであろう箇所を撫でておく。

 

「本当にごめんね……」

「病気じゃないならいいよ。じゃあ、行こっか」

 

 灯花が腕を掴んで、前進した。必然、わたしは踵を返すことになる。

 小走りになった彼女に合わせて、足が早くなる。来た道を戻っている、ねむの部屋は反対方向なのに。

 

「ミャッメー!」

「ねむの部屋に行くんじゃないの!?」

「ゆめってお部屋持ってなかったよね。ちょうどわたくしも暇になったし、今決めちゃおうよ! 気分転換、気分転換♪ おすすめの場所、教えてあげる」

「勝手に決めちゃっていいの? 部屋をもらえるのはありがたいけど……今日の報告もしてないし」

「いーの! わたくしはマギウスだよ? マギウスの言うことは絶対! ──ということで、」灯花が手のひらに、金色のペンダントを浮かべた。「ゆめのお部屋探しに行ってくるから、ねむは夕食の準備、お願いね! わたくしの分も用意してよ、一緒に食べるんだから」

 

 ペンダントが即座に、

 

『人を召使いのように扱わないでくれるかな』

 

 とねむの声で返答した。

 

「メムミャン!」

「用意するのはウワサでしょ。それに、ねむはお泊まり会なんて楽しそうなことをしたんだから、わたくしにもちょっとはゆめを貸してよね」

『……はいはい。好きにすれば。

 お姉さん、悪いけど灯花に付き合ってあげてくれる? しばらくしたら、僕もそっちに行くから』

「場所は? わかるの?」

『むふっ。僕を誰だと思っているの? フェントホープの主だよ。そうだね、こういうこともできる』

「えっ……うわ……!?」

 

 床が、抜けた。重厚なはずの床が、気づけば何枚もの本のページになって重なっている。落とし穴に突っ込んだように、わたしたちは薄っぺらになった床を踏み抜いていた。

 フェントホープの廊下が一気に上昇して──わたしたちが落下しているんだけど──手が届かなくなる。バサバサと下から無数の紙が舞い上がる。

 

「ねーむー!」

「ヒュメミャァーーー」

 

 文句を叫ぶ声に苛立ちはあっても焦りはない。灯花の武器は日傘だ。それを使って空を飛ぶこともできるらしい。傘を広げた彼女が強く手を握ってくれているからか、わたしにも魔法の効果が及んで落ちるスピードが緩んでいる。わたしにしがみついている使い魔も同様。

 

『怒らないでよ。かわいいいたずらじゃないか』

「いやがらせでしょ! もう!」

 

 上を向くと、わたしたちが落ちたはずの穴はとっくに閉じている。

 周りを見渡す。穴の内側の壁は、フェントホープの壁や窓、床が混ざりあった姿をしていた。窓の外は青空だったり、夕焼け空だったり、夜空だったり、時空がねじれたかのように射し込む光の色も温度も異なる。

 壁のところどころには、絵や地図が描かれた画用紙が乱雑に打ちつけられている。子どもがグーでクレヨンを握って描いたような、緩急の激しい筆致だ。

 

 watasiwoわたしを korositeころして komadorisannこまどりさん

 

「ここどこ……?」

 

 ねむが声色を変えて答えた。

 

『ウワサ結界の隙間。イブの使い魔の通り道』

 

 優しい声。灯花との対応の落差に苦笑いが込み上げる。

 

 turuginorubyhaつるぎのルビーは yasasiianohitoniやさしいあのひとに

 migimenosapphirehaみぎめのサファイアは monogatariwotumuguanokoniものがたりをつむぐあのこに

 hidarimenosapphirehaひだりめのサファイアは matchiurinoanokoniマッチうりのあのこに

 

『僕が設定したものじゃないんだけどね。まぁ、塞いで、抜け道を作られてのいたちごっこをするより、把握して管理しておくほうが労力がかからないから……僕たちも使えるし』

 

 使い魔に勝手につくられた道なんだ、ここ。転んでもただでは起きぬと言わんばかりに利用しているのは、ねむらしいけれど。

 

 sayonaraさよなら sayonaraさよなら

 

 でも、だから、魔女結界で散見する文字──もっといえば、指輪となったソウルジェムに彫られている文字が、ところどころに書かれているのか。

 

 watasihaわたしは watasideわたしで hitorideひとりで ikimasuいきます

 tugigaarunaraつぎがあるなら minnnanosaiwainotameniみんなのさいわいのために kurusimitaiくるしみたい

 

「体は大丈夫なの?」

『この程度は大丈夫だってば』

 

 呆れた、でも嬉しそうな声だった。

 不意に、下のほうから強烈な光が射した。

 

「もー、ねむのばかっ!」

 

 また、何枚もの紙が舞い上がる。その内の一枚が顔に張りついて、ちょっと痛い。

 

 WhoWho killedkilled CockCock Robin?Robin?

 WhoWho killedkilled CockCock Robin?Robin?

 

 やっぱりなんて書いてあるかわからなくて、紙を手放した。

 光源に近づいていく。太陽に落ちていくように視界が光で焼き尽くされて、まっしろになって。

 爪先がかたい地面についた。ぱちんっ。そんな音がして、今度は目の前がまっくらになる。

 違う、薄暗くなったんだ。赤らんだ日差しがカーテンを透かして室内を遠慮がちに染めていた。きらきら、ひらひらと光の紙吹雪が舞う。一枚の紙が床に落ちたのを、灯花が拾い上げる。何が書かれているのか気になって、彼女の隣からわたしも覗き込んだ。

 

 

 

 驚いた? 実はお姉さんの部屋、とっくに用意してたんだよね。

 足りないものがあれば、机の上にあるベルを鳴らしてウワサさんを呼んでね。申し付けたらいろいろと持ってきてくれるから。

 インテリアコーディネートには自信がないけれど、無難なかたちに落とし込めたのではないかと思う。不満があったらいくらでも変えていいけれど、気に入ってくれたら嬉しいな。

 

 追伸ㅤㅤ灯花の行き先ってここだろう?

 

 

 

 ぐるりと部屋を見回す。広々とした空間に、ベッドや机、鏡台など最低限の物が入っている。家具や室内の雰囲気は古風だけど、華やかさと気品が共存していて、どこかの高級ホテルのようだった。不満というか、言いたいことがあるとすれば、家具の搬入くらい手伝いたかったのと、広すぎるということくらい。

 灯花の手から、ねむの伝言が光を散らす。あっという間もなく手紙は燃え尽きた。灯花がフリルたっぷりのスカートを翻し、走って出入り口らしき扉に手をかけた。外を窺う。

 

「ほんと……! 生意気……!」

 

 音を立てて扉が閉まる。振り返った彼女の頬は、ピンク色に染まっていた。

 

「ゆめもねむと一緒にいて、ムカつくって思わない? なんでもかんでもわかってますって顔をして、間違ってたら馬鹿にできるのに、ぜんぶ合ってるんだから!」

「ということは、ここが灯花の行き先なの?」

「……そーだよ。たぶん、ゆめがいない時間を使って、ねむはここを用意したの。でもわたくしがお部屋探しするって聞いて……わたくしがねむへの当てつけで、ゆめのお部屋を自分の近くするってわかったから、準備してたお部屋の位置を移動したんだよ。わたくしの思うところに」

「つまり、わたしたちが落とされたのは……」

「落とされたというか、ウワサの裏空間に放り出されたのは、お部屋の移動の時間稼ぎ。ほんとムカつく。ねむが一番、ゆめの近くにいたいはずなのに、あっさり譲っちゃうんだから」

 

 なんだかんだ言いつつ、本音は最後に集約されているのではないかと思う。ねむが時おり見せる引き際のよさが、灯花にとってたぶん寂しく感じるのだ。

 

「結構高いところにあるんだね」

 

 ペンダントでマップを確認する。

 

「空が近くなるからいいんだけどね。ねむが気まぐれに増改築するから、いつの間にかわたくしの部屋が天辺に来ちゃった。でも平気だよ。秘密のルートがあるから行き来に困らないの。今度ゆめにも教えてあげる」

「いいの?」

「秘密って言っても、さっきの空間のことだし、誰も気づかないから秘密になってるだけで、マギウスはとーぜん、みふゆも使ってる。あれ、天音姉妹から聞かなかった?」

「……うん。わたしが忘れてないのであれば、聞いてないと思う。たぶん、やることがいっぱいあったから、混乱しないように教える順番を考えてくれたんだと思う」

「そっか。ゆめは昨日来たばかりだもんね」

「うん」

「ずっと冷静だったから、もう少し経ってる気がしてた」

「……わたしも、一昨日がなんだかずっと遠いところにある気がする」

 

 ストラップシューズが床を打って軽快な音を鳴らした。体重が軽いせいか足音も軽い。跳ねるような足取りで部屋の真ん中に戻った灯花は、くるっとターンした。仕立てのいいスカートが花のように広がった。栗色の髪が天鵞絨と似たつやを帯びて宙を流れる。

 

「まぁ、いいや。何はともあれ、ここが今日からゆめのお部屋ね」

「ミャミャッミャー」

「ミャーィ」

 

 使い魔が追従するように鳴いた。

 踊りが止まった。勢いあまってくるんと体に巻きついた髪が。スカートが、慌てて後戻りする。

 

「あーあ、一緒に家具とかお洋服とか見たかったなー。わたくしだったらこんな、風通しのよさそうな、質素なお部屋にしないのに」

「え、素敵なお部屋だと思うけど」

 

 とろりとしたつやを帯びる、アンティーク調のテーブルを撫でる。これ一つをとっても、ねむが考え抜いて選んでくれたことが──具現したのかもしれないけど──伝わる。

 わかりやすい派手さはないけれど、質のよさは物の良し悪しなんてよくわからない自分でも見て取れた。雨風が凌げればいいと考えていたのが恥ずかしくなる。

 

「えぇー、そう? もっとレースとか、リボンとか、ぬいぐるみとかあったほうがいいよ! ぜーったい!」

「いや、わたし、あんまり部屋に物を置かないほうで……」

 

 灯花の指が、テーブルに置いてある卓上ベルに触れた。

 チンと鳴ったのは、真鍮でできた押すタイプのベルで、土台から蔦のように巻きついた黄銅が、蓄音機のラッパを咲かせている。そこからウワサさんの似顔絵が現れた。

 

『ハーイ! ご注文はー?』

「と、灯花?」

「レースのカーテンを持ってきて。ぬいぐるみもいっぱい。とにかくかわいいものをたくさん!」

『マギウスの仰せのままにー!』

「くふふっ。ねむが来るまでにかわいくしちゃおー? 灯花ちゃんのセンス、見せてあげる」

「待って。申し訳ないんだけど、わたし、そんなに飾っても部屋を使いこなせないよ。ウワサさんに断らないと……」

「あのね、ゆめ」

 

 慌ててベルを鳴らそうとしたら、また灯花の手が手首を掴んだ。腕を引かれて、ぎゅっと抱きしめられる。

 驚いて体がかたまる。肩を押して、離そうとして、一瞬それで傷つけてしまったらどうしようかと考える。灯花に記憶が無く、心もわたしの知るあの子とは違うことは、ずっと頭に入れていたはずなのに。

 

「よしよし、いいこいいこ」

 

 ぎこちなく、灯花の手がわたしの頭を撫でた。

 

「え、……え?」

()()()()()()。こうされたらね、下垂体後葉からオキシトシンがいーっぱい分泌されるの。幸せホルモンって呼ばれるものの一つでね。ストレスが軽減されて、心が満たされて、精神的に安定するんだよ。

 くふふっ。わたくしもね、胸の中がぽかぽかしたの。ゆめもわたくしをぎゅーってしたほうがいいよ。そうしたら、もっともっと幸せになれるから」

「あの、ウワサさんに、」

「ほら、はやく!」

「いや、断らないと」

「……くすん、くすん。ゆめはわたくしのこと、嫌いなの……?」

 

 ずるい。思わず、そう口にしそうになる。嘘泣きだってわかってるのに、そんなことを言われたら、無視なんてできない。

 

「…………大丈夫? 知らない人にベタベタされるの、嫌じゃない?」

 

 そもそも嫌だったらこんな提案をしてこないのはわかっているけれど、それでも聞いた。わたしの最後の抵抗だ。

 

「平気。知らない人じゃないもん」

「屁理屈……昨日会ったばかりだよ」

「いいから。ぎゅってしてみて? なでなでしてもいいよ」

「──……わかった、けど」

 

 灯花は、親しい人に対してはスキンシップを取りたがるほうだった。素直に甘えてくることもあれば、ときどき恥ずかしくなるのか、“させてあげる”という言葉を使って抱っこを所望してくることもあった。今このときのように。

 姉ちゃんのやり方を思い出しながら、灯花の細い体を壊れないように抱きしめる。つやつやの髪を撫でる。わたしの頭の中では、本当にオキシトシンとやらが分泌されているのかな。

 

「……ぬいぐるみを抱きしめても似たような効果が得られるんだよ」

 

 なぜか、早口に灯花が言った。

 

「かわいいものを見てもそうでしょ? わたくしもね、入院しててね、新しいパジャマをもらったとき、嬉しくって、不思議と体調がよくなったんだ」

 

 灯花が離れる。わたしも彼女の背から手を離した。

 

「どう? 癒やされた?」

「うん、ありがとう」

「レースも、リボンも、くまさんも、穢れを溜め込まないためには必要不可欠なんだよ。お部屋も、がらんどうだとつまんないでしょ?」

「……ごめん、灯花。わたし、そんなにひどい顔してた?」

 

 天音さんたちにも、みふゆさんにも気遣われた。自分があからさまに不幸そうな顔をしているのかと思うといたたまれない。ねむのようにポーカーフェイスがうまければよかったのに。

 からかわれるかと思ったけれど、灯花は長い睫毛をぱちぱちと何度かまたたいて、首を傾げた。

 

「ううん。顔色が悪いだけで、他は普通」

「……あれ、まだ戻ってなかった?」

「でも、さっきよりは全然よくなってる。やっぱりハグの効果だよ!」

「ミュッ」

 

 ぴっとりと足にイブの使い魔が抱きついた。

 

「ミュッメミュミュ!」

「って、またゆめにまとわりついてるし。これ、適度に追い払わなきゃだめだよ? 使い魔って穢れのかたまりだからね。一緒にいると、精神に影響が出ちゃうから」

 

 真似をしているのか、使い魔たちが集まってくる。灯花が軽く手で払うと、怯えと楽しさが混ざったような鳴き声をあげて、使い魔は部屋の隅に散っていった。

 

「じゃあ、お部屋をカスタマイズしちゃおう!」

 

 窓から差す斜陽に照らされて、栗色の髪が燃えるように赤く見えた。灯花はにっこりと愛らしく笑った。

 部屋に沈殿する夜の影が静かに深まっていく。灯花が指を鳴らした。這い寄る闇を、電気の光が跳ね除ける。視界が明るくなった。

 慰めてくれたことは本当だと思う。

 灯花のことだから恐らく他の思惑がある。わたしをほだして、情報を抜くため、とか。

 それでも、彼女なりの思いやりのあたたかさはきっと真実で、わたしの唇も、本当に笑みを浮かべられた気がした。

 わたしは、そう信じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ねむが部屋に来たのは十八時が迫った頃だった。

 

「随分と仲良くしているみたいだね。よかったよかった。心からそう思うよ」

「えっと……」

 

 ウワサさんとわたしは灯花監修のもと、部屋の飾りつけをしていた。

 そして出来上がったのが、レースとフリルとリボンがこれでもかというほど溢れたメルヘンチックな部屋だ。灯花が満足したあとは、二人でねむが来るのを待っている内に……

 

「お姉さんの膝枕で夕寝だなんていいご身分だね、灯花。ところで僕は今猛烈に、君の間抜けな寝顔を張り倒したくて仕方がないわけだけど」

「ねむ……!?」

 

 わたしの太腿を枕に、ソファに横になった灯花の頭を守るように覆い被さる。ねむの目がますます冷たくなった。

 

「ィミャッ!」

「ミャッニミッメッ!」

 

 ねむの背後では、使い魔がぬいぐるみをベッドから蹴り落としている。遊んでいるところ悪いけれど、助けてうい……!

 

「……お姉さん、本当に張り倒したりしないから。体を上げて。灯花が窒息してしまう」

「えっ、あ、ごめんね……!」

 

 ばっと体を離す。灯花の横顔はほんのり赤らんで、眉根が寄っていた。顔にかかった髪の毛を耳の後ろに流してやりながら、冷えた手の甲で頬の熱を冷ましてやる。呼吸はある、よかった……。

 

「窒息させたほうがよかったかな……」

「なんで!?」

 

 目を剥く。灯花がまだ眠っているから、声を押し殺すのに苦労した。

 ねむが溜息をつく。わたしの対面に腰かけるさなか、もの言いたげに紫色の目がわたしと灯花を見たけれど、結局何も言わなかった。

 

「冗談はさておき。……お姉さんとマギウスの灯花は他人だ。灯花が愛らしく見えたとしても、それは食虫植物が醸し出す蜜の匂いで、アンコウ類のエスカのようなものだ。命の恩人としての情はあれど、切り捨てるときは一瞬だろう」

「すごい言い様……」

 

 さすがに食虫植物とか疑似餌とかは言い過ぎじゃない……?

 

「確かに、里見灯花には心がある。感情の起伏は激しいし、わがままで、人に対しても物に対しても選り好みする。意外に物静かで、存外に気性が荒い。されど彼女の芯はどうしようもなく合理主義の権化……お姉さんが知るよりずっと、灯花は残酷だ」

「そんなことないよ」

「お姉さん」

「灯花が残酷だなんて、思わないよ。わたしはもちろん、ねむだって」

「普通に思ってるけど」

「いや、まぁうん。ときどきドン引きはしてたけど……でも、なんか、残酷じゃなくて、冷徹って感じじゃない? 灯花の感情に左右されないところに救われてる部分、ねむもあるでしょ?」

 

 ふいっとねむが他所を見た。「お姉さんは灯花に夢を見すぎだ」

 

「そ……うかもしれないけど。……純粋で。受け取ったものを大事に抱えて、感銘を受けたものや、道理のあるものにはびっくりするくらい真面目に誠実に、この子は向き合う。

 こっちがきちんと話そうと思ったら、灯花は対等に会話してくれる。聞く耳を持ってくれる。聖堂のときもそうだった。この子はそういうところは平等だし……イブの姉に対しての気遣いもあった。下手な誤魔化しはしないで、全部話してくれた」

「……」

「さっきもね、慰めてくれたんだ。本当の目的がどこにあったのかはわからないけど……」

 

 自嘲が声に笑いを混ぜる。

 

「わかってる。わたしの知る灯花と、マギウスの灯花は違うって」

「……」

「ねむは、心配してくれたんだよね。わたしがあの頃の灯花と同一視して入れ込みすぎて、勝手に裏切られないように。灯花とわたし、どちらともが傷つかないように。

 あとは……聖堂でも言ってたみたいに、灯花がわたしを傷つけないようにって、思ってもくれてる。あのときの、彼女の願いを、大事にして」

 

 眠る灯花の頭を撫でた。

 

「ありがとう。そして、ごめん。誰も傷つけないように動くのはきっとできない。ごめんね。

 ……区別はするから、そこだけは安心して。灯花への感情は、もう、ただの祈り。わたしが一人で、彼女を大事に思ってるだけ」

 

 少しだけ目を閉じる。

 

「それに……残酷さで言ったらわたしのほうが上だ。

 ……灯花の選択にはいつだって意味があるけど」

 

 撫でる手が止まる。

 

「【わたし】には無い。なんにも、無かったんだから」

 

 灯花の目元をそっと隠した。

 

「……わたしが思うよりずっと、わたしは残酷だった」

 

 世界の滅亡が決定づけられたあの日、【わたし】は神浜が滅びないように、多くの少女をキュゥべえと契約させた。

 神浜に住む人たちを助けたかったからじゃない。あの人を。七海さんを救いたいというのも一番の理由じゃない。

 ウワサをこの地に刻む、そのためだけにわたしは神浜市を再興させた。

 爆発的に増えた魔法少女を養うために、そして()()()神浜市を運営するために、魔女を殺し尽くし、最後には魔女の養殖にも手をつけた。

 自動浄化システムなんて思いつかなかった。

 馬鹿は罪だ。

 契約させた少女たちの命にどれほどの意味を持たせてあげただろう。

 魔法少女を生むだけ生んで、グリーフシードを使う苦しみをそのままにした。ねじ曲げた彼女たちの人生の責任を何一つ取れなかった。

 それでいて、後悔など微塵もなかった人でなしがわたしの本性だ。

 ……口がすべった。

 意識が、【記憶】から戻ってくる。

 こわばった口角を持ち上げる。意味がわからない上に、笑えない自虐なんて聞かせたところで負担をかけるだけだ。ねむはただでさえ、ういのことも、マギウスのことも、何もかも背負って、思い詰めているのだから。鳴りを潜めた癇癪が復活するほどに。

 しっかりしたところ、見せていかないと。頼ってもらえるように。

 

「記憶を見せてくれたとき、ねむがわたしのこと、優しいって思ってくれてて、嬉しかったんだ。わたし、環姉妹の邪心担当みたいな人間だし?」

「お姉さんが邪心なら、僕と灯花は人でなしの鬼畜生かな」

「こんなかわいい鬼畜生なんているの? まぁそれはそれとして、さりげなく灯花を巻き込んでいくねむのスタイル、わたし好きだよ」

「むふふっ。ありがとう」

 

 ねむが花のように笑った。親に褒められた子どものような、明るい笑顔だ。

 

「でも、灯花と距離を取ってほしいなら、なんで部屋を近くに移動させたの?」

「……」

「ねむ?」

「小説家たるもの、読者の想定外を展開してあげなくては、という僕なりの気遣いだけど? ……。

 …………ああもう、そうだよ。ただの意趣返し。灯花の悔しがる顔見たさに、裏をかいただけ。僕だけがお姉さんを独り占めしているのが気まずくなったわけじゃないから」

 

 これ、灯花が寂しがった遠慮が当たっている上で、本当に召使い扱いがイラッと来たパターンかもしれない。

 

「……そうしたら、まさか僕のほうが想定外に直面するなんてね。でも、あの冷酷非情を骨子に愛嬌を肉付けした、インキュベーターの類義語と辞書に記載されてもおかしくない里見灯花が、出会って一日経ったくらいのお姉さんにここまでべったり懐くって誰が思うんだ。いや、片鱗はあったのか……?」

「何か思惑が」

「打算があったとしても演じているなら僕がわかる。……以前から思っていたんだけど、環姉妹って、僕らをとろとろにするフェロモンか何か出してるの?」

「待ってそんな変なの出してない! どういう発想!」

「どうもこうも、膝の上で蕩けている誰かさんを見てごらんよ」

 

 ほんのわずか、唇を突き出してねむが言う。

 

「……ねぇ、お姉さん。僕が、記憶を失っても……お姉さんは、好きでいてくれる?」

 

 灯花が身動ぎをする。起きたのかと思って膝を見たら、肌寒くなったのか背中を丸めただけだった。

 黒羽根のローブを外して、冷えないようにかけてやる。

 

「そんなの当たり前だよ。──好き。ずっと大好き。ねむに嫌われても、ずっと」

「僕がお姉さんを嫌いになるなんて、それこそありえない。断言するよ。たとえ記憶を失っても、あなたのことを……、……気に入る、思う」

「……ありがとう。本当に。ねむ。ういのことを。わたしたちのことを、覚えててくれて」

「それはこっちの台詞。ゆめお姉さんが来てくれたとき──僕は浅ましくも歓喜した。二度と会えないと思ったあなたに、会って、抱きしめられて、そして……そして」

 

 うっとりと、熱っぽく、ねむの目が潤んだ。

 

「こんなところまで、ついてきてくれるというのだから。僕は今、満たされている。……思い出だけでいいと、信じたはずなのにね」

 

 あ。

 持ち直したんじゃない。

 ねむの希望は、わたしがういを諦めなかったことじゃない。

 彼女の心の支えになったのは、わたしがねむといることを選んだことだ。

 ういと、自分の命に対する諦めは変わってない。ういとの約束を果たすという意志も。

 ういが救えるなんて、本当に、かけらも思ってない。

 

「ミニャニャィ!」

「……ところでお姉さん。あの子たちは何をしているの?」

 

 ねむが呆れ顔で、座ったまま振り返る。

 背後ではイブの使い魔が、ベッドの上にあったぬいぐるみを蹴散らし終えたところだった。

 うまく息が吸えなくて、数秒黙ってしまった。荒れそうになる感情を切り離し、平静を装って返答する。

 

「遊んでるんじゃないかな……ちょっと片付けてくる」

 

 灯花の頭を手で浮かせて、そうっと太腿を抜く。起こさないようにしたつもりだったけれど、浮かせた時点でぱちっと灯花の目が開いた。

 

「ごめん、起こしちゃった?」

「……いや、べつに……」

「僕が起こしたんだよ、テレパシーで。時間も時間だ。夕食に移ろうと思ってね……ねぇ、お姉さん。ここで食べていってもいい? というか、隣のキッチンに食材は運んでるんだ。本当は夕食と同時に部屋のお披露目をしたかったから」

「いろいろと任せきりになってごめんね……。ありがとう、それなら食事はここでとろっか。その前に散らかったぬいぐるみをどうにかしてくる」

「僕も手伝うよ。夕食はウワサさんに頼んでいるから、気にしないで。ほら、灯花も手伝って。元はといえば君が持ち込んだ物なのだし」

 

 ねむの言うことに反発したがる灯花が、珍しく素直に頷いた。

 

「全部投げ捨ててる……」

 

 ぬいぐるみを一体拾ってベッドに押し込んだら、即座にぽーんと蹴り出された。

 

「ミャメッ」

「……」

 

 拾う。

 

「ミャッ」

 

 蹴り出される。

 

「……」

 

 拾う。

 

「ミャッ」

 

 蹴り出される。

 二人を振り返る。ねむが拾い上げたぬいぐるみを同じくベッドに入れて、蹴り出されていた。

 

「自分の縄張りだと思ってるんじゃないのー?」

「なるほど」

 

 はっとねむが目を見開いて得心する。そんな馬鹿な。

 顔に出ていたのか、「見て」と灯花が枕元を指差した。

 

「ぬいぐるみがあった場所に座ってる。成りすましてるんだよ」

「えぇ……?」

 

 確かに彼女の言うとおり、何体かの使い魔はぬいぐるみのように両足を伸ばしてこてんと座っていた。中にはその体勢で仰向けになるものや、逆にうつ伏せに大の字になって動かないものもいる。あれだけ抱っこをせがんできたのが嘘のように微動だにしない。

 

「ごめん、お姉さん。僕のせいかもしれない」

「え、どうして?」

「今朝も言ったように、僕は夜間、イブの使い魔を自室から追い出している。もしかしたら、お姉さんの部屋から追い出されないように、ぬいぐるみに擬態しているのかも。ベッドから追い出したのは競合相手への敵愾心からかな……」

「やたらゆめに懐いているし、ありえなくはないよね。わたくしも最初はまとわりつかれたけど、ちょっと傘でつついたらいなくなったよ。わたくしの武器、貸してあげようか?」

「いや、僕が結界を張ろう」

「待って、それならわたしが……」

 

 変身しようとしたら、本を手元に呼び出したねむに止められた。

 

「試してみたいことがあるから。お姉さん、窓を全開にしてくれる? 灯花は出入り口のほうを開けて」

 

 言われた通りに動く。わたしたちが指示に従ったのを見たあと、ねむが魔力を込めたのがわかった。

 金色の透明な壁が、ねむを中心に広がっていく。壁はベッドや机などは通り抜けるけれど、使い魔には触れて押し始める。異変に気づいた使い魔が飛び上がって、ねむのつくる壁から遠のいたり、逆に押し返そうとしたりする。

 

「ミャーーー!」

「ニャンメ、ニャンメ!」

「ごめんね。お姉さんのためにも、離れることを覚えてほしいんだ。お姉さん、そっちの子たちは窓から落としてあげて。イブの使い魔は飛べるから、怪我は考えなくていい」

「わ、わかった」

「灯花は壁に挟まれそうな子たちを扉に誘導してくれる?」

「はいはーい。追い出していくねー」

 

 動かなかった使い魔も、押し出されて慌てて結界の内側に入ろうとして、跳ね返った。

 使い魔は割と個体差があって、翼の付け根に手を差し込むと、しゅんとしながら素直に抱かせてくれる子もいれば、怒り狂って暴れる子もいる。中には進んで捕まってくれる子もいたけれど、そういう子は逆に体に張りついてきて、離すのが難しかった。……ういの性格の側面なのだろうか。

 ベランダから室内を見ると、ほとんどの使い魔は灯花によって廊下に追い出されていた。石突で背中をつつかれ、悲鳴をあげて使い魔が部屋から出ていっては、外から入室の隙を窺っている。

 全ての使い魔を飛び立たせ、急いで窓を閉めると、こちらにも何体か戻ってくる。ガラス板に張りつく異形のツバメたちに吸い寄せられそうになる視線を強引に引きちぎって、部屋に戻った。林檎のほっぺの使い魔が隅に縮こまっていた。舷窓がこちらを見た。

 

「ヒュメミャンミャミュメメェ」

 

 灯花が小走りで戻ってきて、使い魔を傘でつつこうとするのをねむが無言で止める。開いた本のページに白い手が触れて何かを引きずり出す。赤いリボン。使い古して、ちょっと色褪せた。今朝奪われたわたしのリボンだった。

 わたしの足音をかき消すように本が閉じて消える。ねむは使い魔の前にしゃがみ込むと、優しく首元にリボンを結んでから抱き上げた。

 批難することも取り返すことも、胸に滞った冷たく濁った未練をよい感情に変換することもできなくて、溜息をついて誤魔化した。

 ねむがそっと部屋の外にリボン付きの使い魔を送り出す。

 

「ィーミャー」

「際限なく集まれば、お姉さんに迷惑がかかるだけだよ」

「メムミャン?」

「それがわからないなら、僕としても対応を変えざるをえない。具体的に言うのなら、今後一切、君たちをゆめお姉さんに近づけないようにする」

 

 ねむが屈んだ。何をしているんだろうと覗きこめば、左手を使い魔に差し出している。中指に嵌めた指輪の、ソウルジェムの宝石が光り、空中にホログラムを投影している。

 たくさんの使い魔の姿と、デフォルメされたわたしが浮かんでいる。使い魔たちがわたしに近づこうとして、わたしがびっくりして逃げ出す。

 わたしが壁際に追い込まれたところで、ねむが現れ、わたしと使い魔を遮るように壁をつくった。

 映像に大きくバツ印がつく。

 

「メムミャン……」

「ビョーニメェ……?」

「これが嫌なら、大人数でお姉さんのところに押しかけないこと」

 

 フェントホープを歩くわたしと、その後ろをついてくる二体の使い魔とすれ違ったねむが、それでいいと言わんばかりに頷く。今度は大きな丸がついた。

 

「せめて夜はそばを離れること」

 

 ベッドで眠るわたしに大量の使い魔が押し寄せ、わたしが魘され始めたところでバツがつく。そのあと使い魔がおらず、安らかに眠るわたしが表示され、丸がついた。

 

「魔力を集める仕事もきちんとすること。わかった?」

 

 魔女結界からいろんなものを捕獲してくる使い魔に丸がついた。

 手が握りこまれ、ホログラムが消える。

 

「ヒュメミャン……」

「……ごめんね、お姉さん。一つお願いしてもいい?」

「どうしたの?」

「お姉さんの魔力を飛ばして、この部屋から離れたところに誘導してほしいんだ」

「わかった。えっと……」

 

 ペンダントにテレパシーを繋いで、フェントホープのマップを頭に浮かべる。

 

「どこまで飛ばしたらいい?」

「そうだね、この部屋から出て左の、突き当たりの曲がり角くらい。全ての使い魔が階段の踊り場に出た辺りで、改めて結界を張ってしまうから」

「わかった」

 

 人差し指から伸ばした糸を蝶のかたちに編み込んで切り離す。蝶はふらふらと部屋を出て行って、使い魔たちの頭上を通過した。

 

「ヒュメミャン!」

 

 片目を覆って視界を同期させる。

 ツバメの頭に蝶を近づける。はじめはわたしと蝶を見比べていた使い魔も、猫じゃらしのように蝶を下降させたら、そちらに気を取られるようになった。一体食いついたのが呼び水となる。

 ねむに言われた通りに、すべての使い魔を踊り場に連れていく。ねむが結界を張ったところで、わたしは接続を切って片目から手を外した。

 

「あれでほんとに言うことを聞くの? というか使い魔に人間の言葉が通じるのかにゃあ。暴力によってなら、多少は躾けられるけど。そっちのほうが確実じゃない?」

「……だからわざわざ映像を投影、したんだよ。まぁ……効果のほどは、今晩、わかる、こ、と…………」

 

 ねむが長く息を吐く。────不意に、その体が傾いだ。

 

「ねむッ!!」

 

 頽れる前に体を支える。前のめりになって、体勢を整えようと彼女はわたしに体重を預けて何度かたたらを踏んだ。

 

「ゆめ、こっち!」

「! うん……!」

 

 灯花がねむを支えるのを手伝ってくれる。ベッドのほうへねむを誘導して、慎重に座らせた。上体をゆっくり倒して寝かせ、両膝を持ち上げる。灯花が手早く靴を脱がせる。

 

「ごめん、なさ…………」

「大丈夫だよ。はい、足を伸ばして……眼鏡外すね。首元も楽にしよう。髪、ほどくから」

「わたくし、お白湯を持ってくるね。他にもタオルとか、いろいろ」

 

 灯花がわたしの手から眼鏡を取り上げる。サイドテーブルの上に置いてくれるのだろう。

 

「ありがとう、灯花。お願い」

 

 熱はない。ただ、体が冷え切っていた。異常なまでに冷たかった。灯花に湯たんぽも頼む。ベルを鳴らして彼女は注文の品をウワサさんに頼んだあと、キッチンに駆け込んでいった。

 

「お姉さん……」

 

 血の気の引いた顔でねむが囁く。体に毛布をかけてやりながら、耳を近づけた。

 

「……髪、またしてくれる……?」

「いつでもしてあげる。……部屋に来たときは平気だったよね。さっき魔力を使ったのがきっかけ?」

「みたい、だね……今日は、少し、ウワサの執筆に力を入れすぎたみたい…………むふふっ。僕なりの、お詫びだよ。……わかってるんだ。今朝のことは、ぼくが……」

「……ねむ」

「みふゆのこと、きらいでは、ないんだ……天音、しまいも。羽根の苦悩に、じぶんの葛藤を重ねたことがないといえば……うそに、なる。

 でも、ふしぎだね……」

 

 目蓋が落ちては、かろうじて持ち上がって。そんな動作を繰り返す。口元はかすかに笑っている。

 

「好ましくおもえば、おもうほど……怒りが、ふくれあがる。癪にさわるんだ。何もかも……お姉さんたちを思い出すせいかな。おねえさんたちの、優しさを……ぼくが、ぼくたちが救いたかった人たちを……」

「ねむ……」

「おねえさんも、おなじだよ」

 

 思考がぐにゃりとゆがむ。

 視界が歪曲したような衝撃に襲われる。

 

「今はわからなくても。ゆめおねえさんは、きっと、ぼくとおなじ怒りにたどりつく」

「……」

「おねえさんは、おねえさんだけは……ぼくをひとりぼっちにしない。だって、ゆめおねえさんは……」

 

 ねむの手が伸びていたことに気がつかなかった。

 氷の手が首筋に触れる。痩せた腕でも魔法少女だ、一言紡ぐだけでも億劫そうな容態でねむはわたしの頭を抱き寄せた。

 

「ぼくのことを、いつだって見つけてくれる」

 

 唇が重なる。冷たい。柔らかい。少し湿っている。懐かしさが頭を揺さぶる。今と【記憶】が混ざり合う。

 「忘れないで」と。「僕のことを忘れないで」と言ったねむは、小指を結ぶ代わりにキスをした。

 凍てついた死の匂いがする。

 網膜を焼き直した病室の情景が、熱く塗り変わる。

 

「……ぇ」

 

 わたしの唇を、ねむが舌で舐めたのだ。

 彼女は微笑んで、小さな唇を軽く開いた。

 あとがつかないくらい、弱々しい力でかぶりつかれて、すっかり【記憶】が拭われる。

 

「まってるから、ちゃんと、たどりついてね」

 

 ねむの手がシーツに落ちる。目蓋が完全に閉じた。

 ベッドに乗り上げた姿勢のまま左手を見下ろした。ソウルジェムが曇っている。

 ねむの死は、【わたし】のトラウマの一つだ。だから今、思い切り心をえぐられたのだろうか。

 

「……誰もいなかったくせに」

 

 【わたし】は魔女になった。二度と会えなかった。最後の記憶は絶望の暗闇だ。

 自業自得の末路であるのは間違いない。あの結末は不幸ではない。不幸だなんて言えるはずがない。あそこまで漕ぎ着けるのにどれだけ魔女を、魔法少女を殺したと思っている。

 希望はあった。全てを託せた。【わたし】は笑って終われた。救いはあった。

 

「どこに辿りつけばよかったの。どうすればよかったの」

 

 わたしは笑えない。

 

「桜の木はどこにあったの」

 

 答えはない。

 穏やかな寝息が繰り返される。

 わたしはねむの左手を寄せて、手のひらを開いた。中指の指輪には飴色の石が嵌め込まれている。宝石は少し濁っている。触れると、その魂が内部から傷だらけになっているのがわかった。

 わたしの魔法は、ソウルジェムにも因果にも関係するから、魂の状態は触れればわかる。小さなキュゥべえの中にソウルジェムを感じたように。

 自分のソウルジェムを卵型の宝石に変化させ、ねむの左手の上に置く。

 魔法を使う。魔力がぐるりとうねって、ソウルジェムが光り輝く。魂が内側から削れるような痛みに襲われる。左手で右の手首を掴んで、爪を立てた。

 ねむのソウルジェムから穢れが離れ、わたしのソウルジェムに移る。ねむがいだいた怒りを──憎悪を魂が飲み干す。

 解答用紙を盗み見たようなものだ。知ったら怒るだろうか。

 薄桃色の光が部屋を満たす。

 不都合を奪い取る魔法。

 不都合は魔女化だけじゃない。傷病だって対象だ。魂の傷だって例外じゃない。

 ねむのソウルジェムから傷が消えていく。彼女の顔色に赤みが差していく。寝顔が穏やかなものになった。

 怪我や病は体の好きな場所に移せる。でも、ソウルジェムの傷はソウルジェムにしか移せないらしい。

 命が削れていく。体の末端から冷えていく。指先の感覚が痺れ、ぼやけていく。

 視界がかすんだ。

 ソウルジェムを指輪に戻して、ベッドから離れる。足音がして、自分の足が床についたのを知れた。

 膝を折って、腰を落とす。ベッドのクッションの側面にひたいをつけた。

 

「………………ねむ? ……ゆめ?」

 

 灯花の声。

 

「ゆめ? どうしたの……」

 

 三秒数えたあと、思い切って立ち上がる。

 感覚が舞い戻ってくる。視界が一瞬まっくろになって、それからすぐに晴れた。体を動かす魔力を強引に増やして、回復させる。

 キッチンの扉を開け放ったままな灯花の姿も、はっきり見える。

 

「……ねむに、治癒魔法をかけてたの」

「……無駄だよ、ゆめ。ねむのそれは固有魔法の代償……ねむはね、命を削ってウワサを──」

 

 保温ポットとマグカップをサイドテーブルに置き、ねむの様子を窺った灯花が束の間かたまった。

 

「魂の内部がズタボロで肉体とのリンクが切れかけてた。そこをちょっとだけ修復した」

「…………ゆめは大丈夫? 廊下で蹲ってたときも、今座り込んでたのも……魔法を使ったからじゃないの?」

 

 首を傾げ、灯花が表情をなくしてわたしの顔を覗き込んだ。

 

「ねむがこうなるのは固有魔法を使ったときと、ドッペルを使ったとき。昨日は二つとも使った上に、他の魔法も乱用した。今日はウワサを具現してはないけど、ずっと執筆してたみたいだから、疲れが祟って倒れちゃったんだと思う……」

 

 言いながら、投げ出されたねむの手を丁寧に揃えていく。その表情や声は、絶対に本人の前ではしない、不安そうなものだ。

 

「ねぇ、ゆめの魔法も同じなの? 命を削るの?」

「わたしの魔法は」

 

 穢れが魂をかき回す。人の負の感情を受け入れるのは何度やっても慣れない。

 

「そんな、凄いものじゃないよ。今日は疲れただけ。午前中は月夜さんと月咲さんと模擬戦をしたんだけど、二人とも強くて。午後からはミラーズに入ったの。それでかな」

「……そう。……そっか」

「灯花は、これからどうする? ねむが起きるまで待つっていっても、いつになるかわからないし、フェントホープに詰めてるわけじゃないんでしょ? 夕食はこっちでとるって言ってたけど……」

「そこは大丈夫。もともと、今日はお泊りする予定だから。……うん、そうだね、決めた! わたくしもこの部屋でお泊りする!」

「……えっ?」

 

 そのとき、ちょうどノックが鳴った。どうぞ、と声をかけながら扉に向かうと、ウワサさんが頼んだものを持ってきてくれたところだった。

 灯花と二人で荷物を仕分けしていく。ゼリーや果物などはキッチンへ、タオルや桶はベッドの近く。湯たんぽは電子レンジ対応のものだったのであたためたあと、カバーに入れてねむの足元に置いた。

 頬や手先に触れたけれど熱が戻ってきている。念のため、灯花にも確認してもらったから間違いない。

 

「ゆめの部屋のベッド、他の人の部屋のやつより大きいの。ねむが一緒に寝るために大きくしたんだよ」

「そうかな……」

「そうだよ! わたくしの目は誤魔化せないんだから。ならもう、灯花ちゃんも一緒のベッドで寝るしかないよね! ねむの看病をしなきゃだし」

 

 あ、と灯花が思い出したように告げる。

 

「半年後の約束についてなんだけど……」

「うん」

「エンブリオ・イブ覚醒計画は、環ういが救われるのなら中断する。環ういの救出と自動浄化システムの完成は両立しなくてもいい」

 

 ベッドの近くに椅子を引きずりながら、わたしを見て、彼女は微笑み淡々と言った。

 

「ねむとはもう話し合ったよ。環ういが救う方法を探すのは、九月末までね。そして……ワルプルギスの夜が本当に来るなら、倒すのに協力してもらう。ただ、来なかった場合は……」

「わたしが魔女化して、不足したエネルギーを賄う」

「……やめてもいいんだよ?」

 

 唇に弧を描いたまま、灯花は腰かけることもせず、椅子の背に手を置いて俯いた。それからすぐに顔を上げ、真剣な目でわたしを見つめた。

 

「今なら、全部嘘って言っても許してあげる。……ううん、嘘じゃなくても……本当のことを話して、心からマギウスの翼として働いてくれるなら。──わたくしが、あなたも、いろはも、助けてあげる」

 

 灯花は言う。

 

「避けようのない滅びも、嘆きも、わたくしが覆してあげる。ゆめ。もう一度言うよ。妹を諦めて、他の全てを救おう? あなたにはまだ、残ってるものがたくさんあるでしょ? 過去じゃなくて、この世界の、これから先──未来を見ようよ。魔女になんてなりたくないでしょ? ()()()()()()()()()()()()?」

 

 どこまで掴んでいるのだろう。

 何に突き動かされて、そこまで言うのだろう。ねむの言う通り、灯花にとってわたしは出会ったばかりなのに。

 

「ねむが、灯花を説得したの? 解放と両立しなくていいって」

 

 灯花がくるりと背中を向けた。

 

「違うよ。わたくしから持ちかけたの。だって何度考えても、環ういが助かるわけないもん。

 どうする? ゆめ」

「わたしは探し続けるよ、灯花。最後まで」

 

 振り返って、彼女はやっぱり笑っていた。仕方がないなあ、という目をして。

 

「頑固」

 

 灯花がわたしがねむに何をしたか深入りしなかったように、わたしも彼女の不自然な話し方を知らないふりした。

 

「覚悟はしておいてね。環ういは救えない。わたくしとねむが諦めたんだから」

 

 頷いておく。

 ういがいなくなっても、灯花の変わらないところ。目の前にいる彼女の笑い方、優しさ。変わらないのに、幼い。灯花の心の成長に、ういという存在がどれだけ寄与していたか、わたしは心に焼きつける。

 

「半年後。わたくしがまた、いいこいいこってしてあげる」

 

 ありがとう、と笑って返した。

 

 

 

 

 

 

 フェントホープの廊下を進む。もう少し上を行けばバルコニーに出られるはずだ。

 一時間もすればねむも目を覚まして、約束通り一緒に夕食をとることができた。そのときに、半年後の約束のことは話題に上がったけれど、わたしが天音さんたちといる間に、本当にねむと灯花で話はついていたらしく、わたしの答えが変わらなかったこともねむにとっては想定内のようだった。

 二人とも入院生活中に身についた規則正しい生活が抜けないようで、今日は夜ふかしするのだとトランプやボードゲームを部屋から持ってきて息を巻いていた灯花も、お風呂に入ってからはすっかり船を漕いでいた。仮眠をとっていたのに、と思っていたら、灯花は灯花で今日はかなり忙しくしていたのだとか。落ち着きを覚えてほしいと、ねむがうんざりしたように、一言だけの愚痴をこぼしていた。

 二人が仲良く眠りについたのを見計らって、わたしは寝間着に黒羽根のローブを羽織って部屋を抜け出した。

 一人になりたかった。

 ペンダントで現在地と目的地を確認しながら歩いていく。視界がぶれていく。壁に手をついて、一度立ち止まった。

 せっかくシャワーを浴びたのに、脂汗が肌にまとわりついて気持ち悪い。

 

「ヒュメミャン……」

 

 顔を上げる。よく見えなくて、そこに何がいるのか捉えるのに時間がかかった。

 

「イブの使い魔……」

 

 使い魔は、いつものように胸に飛び込んではこなかった。廊下の真ん中に立ったまま、もじもじとしている。鼻の奥が痛んだ。ういが何か、負い目があるときに、あんなふうにするのだ。

 

「……いいよ、おいで。ねむには内緒だよ」

 

 両手を軽く広げると、ぱっと使い魔が飛んでくる。

 

「ヒュメミャン!」

「はいはい……大きな声出したら駄目だよ。静かにね」

「ミャッ!」

「全然聞かないねほんと……」

 

 涙が滲んだのを誤魔化すように使い魔を強く抱きしめる。癒やしになんてならない冷たい魔力。妹そのものではない。それでも、ういのかけらだ。

 

「ぶっちゃってごめんね。痛かったでしょ」

 

 あともうひと踏ん張りだと、息を詰めて歩き出す。

 

「そのリボン、あげる。姉ちゃんから貰った大切なやつなんだから、大事にしてよ」

「ミュッ」

「……ねぇ。ぬいぐるみ、そんなに気に入らなかったの?」

「ミューッ」

 

 ぐりぐりと使い魔の頭が胸に沈んでいく。ちょっと痛い。

 

「──────ですから、一度調整したほうがいいって言ったんですけど」

 

 廊下を曲がろうとして、足を止めた。

 

「ヒュメミャン?」

「静かに」

 

 使い魔を強く抱きこむ。さっと視線を巡らせ、姿を見られる場所に誰もいないのを確認したあと、ペンダントに意識を繋ぐ。一度戻って、別のところから階段を上がったほうがいいかもしれない。

 幸いにも、足音は聞こえない。移動はしていない。気づかれる前に、立ち去ったほうがいい。踵を返した。

 

「魔力量は問題無いんです。あれだけ戦闘を続けて、グリーフシードを一度も必要としないんですから。……その一方で身体的には虚弱という他ありません」

「ねむと同じタイプのマジックガールってワケ?」

「症状は似ていますが、決定的に違う部分があります。ねむが体調を崩すのは固有魔法とドッペルを使った場合に限りますが、あの子の場合、魔力を使う時点でまず危うい。ソウルジェムが抱える魔力の膨大さに耐えきれていないんです。だから、魔力を使うだけで消耗する。おかしな話ですよ。魔法少女が持つ魔力を湛える器は、自分の保有する魔力量に準じているはずなのに」

 

 歩調を緩める。

 

「ドッペルなんて使わせられない。……使うのなら、みたまさんにソウルジェムを見てもらったほうがいい。だというのに、ねむが拒絶するんです。……ねむ自身、調整を受けようとしませんし、よっぽど潔癖なのか、それとも読まれたくない記憶でもあるのか……」

「アリナ的にも調整屋に環ゆめのソウルジェムを見せるのはバッドなワケ」

「どうしてマギウスは揃いも揃って」

「ま、灯花はわからないケド。でももし調整屋に連れて行くなら、アリナにも言ってヨネ」

「……何を考えているんです?」

「…………みふゆには関係ないカラ」

 

 拗ねた声が遠くへ消えていった。

 

 階段を駆け上がりながら、頭の中で何度もういの姿を思い浮かべる。

 ねむと灯花を相手に、ういを救う方法が見つかるまで、願いも固有魔法も隠し通せる気がしない。みふゆさんという、七海さん並に強い魔法少女もいるのに。

 扉を開き、バルコニーに躍り出る。春先の冷たい夜風が、汗に濡れた肌に突き刺さる。

 四つん這いになって息を整える。空に呼吸の音が吸い込まれていく。

 誰もいない。そのことに安心したせいか、力が抜けて、体が横に転がった。

 

「ヒュメミャン?」

 

 使い魔をかき抱く。

 体を引きずって、張り出しの隅に体を寄せた。石造りの壁に背中をくっつける。

 

「ほんとはね、うい」

 

 ういじゃない。知っている。イブの使い魔だ。

 だから、本当のことを吐き出せる。絶対に、どこにも、誰にも届かないとわかるから。

 

「ういたちが契約しなくても、姉ちゃんは助けられたんだよ」

 

 使い魔は、使い魔だ。灯花のようにあたたかくないし、ぬいぐるみのように心を癒やされもしない。わたしが今、精神を乱されているのもこの子のせいなのかもしれない。それでもこの子を手放せなかった。

 

「わたしね、魔法少女を人間に戻せるの」

「ういたちが契約しなくても姉ちゃんは人間に戻せた」

「ワルプルギスの夜が来たら、魔法を使って、姉ちゃんのことを人間に戻して」

「『カナメマドカ』って人からも因果を貰って、わたしがワルプルギスの夜を倒すの」

「それで、みんなで、お花見ができたら、ソウルジェムが限界になるまで、魔法少女をたくさん救って」

「【わたし】が救えなかった分も救って、ソウルジェムを砕いて死ぬはずだったの」

 

 涙が溢れる。

 

「どうしてあのとき、眠っちゃったんだろう」

 

 眠らずに、病室で、ういたちを引き止めていれば、姉ちゃんが戦っている姿を隠せたのに。

 

「なんで魔法少女なんかになったの」

 

 頭が痛い。

 

「なんで……」

 

 これから、どうすればいいのかわからない。

 考える。冷静に。前向きに。諦めない。わたしは、ういのような人と人とを繋ぐ優しさも、姉ちゃんのような誰かの道しるべになるような正しさも持たない。そんなわたしに唯一できることが諦めないことだけなのだ。それすら捨て去ってしまったら何も残らない。

 実のところ、一つだけ方法が思いついている。【記憶】の再演をすればいい。

 『カナメマドカ』の因果があれば、エンブリオ・イブの穢れを回収しきることができるのではないかと思う。足りなければマギウスの翼に集うであろう魔法少女全てから因果を奪う。

 もしも、穢れを回収しきれば、ういの背負う不都合をわたしが担うかたちで、魔女になるういの立場と、生きているわたしの立場を入れ替えられる。

 ただ、わたしはそこで魔女化する。

 だから魔女化する前に、魔法少女の素質を持つ人たちをキュゥべえと契約させる。神浜市を、魔女となったわたしの攻撃から保護できるように。

 ういが生きていれば、魔女の養殖なんてしなくていい。神浜という地球から取り残された世界だけにドッペルシステムを再度広げればいいだけだから。今度は暴走もしないだろう、反省を活かさない灯花とねむじゃない。

 素質を持つ少女の容姿と名前はわたしが知っている。

 最悪の方法? そんなのわかってる。だから、こんな方法を取らなくていいように、他の道を探す。限界まで。ワルプルギスの夜が、来るまでに……『カナメマドカ』が現れるまでに。

 でも、他の道が無いなら。

 ──わたしはういが助かって、あの四人が生きているのなら、世界を焚べたって構わない。

 

「ホメンメェ」

「……」

「ホメンメェ、ヒュメミャン」

「……姉ちゃん、ごめん。どんな結末になっても、ういたちだけは、絶対に救うから。桜の木を、絶対。約束。今度こそ。姉ちゃん。お姉ちゃん。わたしがぜったいに、守ってみせる」

 

 ソウルジェムを見下ろす。ねむの代償を負う分も考えて、魔法をどのタイミングで使うかも考えないといけない。どこまでこれは保ってくれるだろう。

 今日、戦った分と、ねむの穢れを受け入れた分で、ソウルジェムはかなり濁っている。みふゆさんの話を信じるなら、わたしはドッペルに頼れない。

 時間経過でソウルジェムに走る痛みは癒えていく。ただ、体は冷え切ったままだった。感覚も心なしか普段より鈍い。

 

「ミュッ」

 

 使い魔がしがみついてくる。

 

「ミューッ」

 

 ……もう少し。もう少ししたら戻ろう。だってこんなところ、眠っているとはいえ、ねむと灯花に見られたくない。

 ソウルジェムを握りしめて、空を見上げる。灯花の大好きな星空が、きらきらと宝石のような輝きで、青褪めた光を撒いている。

 ねむが爪を立てた手のひらが、傷もないのに痛い。あの子の怒りが魂の中に残っている。

 

 どうしてういを犠牲にして、どうでもいい他者を救わなければならないのかと。

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

「泣きなさい」

「は?」

 

 地図のことを考えていたら突拍子もないことを言われて、あらゆる感情が吹き飛んだ。

 深夜に問答無用で部屋から引きずり出され、リビングのソファに沈められて、こんなの怒らないほうがどうかしてる。それも、さして仲良くもない──どころか、一方的に冷たくされている人に、横暴を働かれれば。挙げ句、突然の泣きなさい、だ。長く魔法少女を続けると、こんなふうに頭がおかしくなってしまうものなのだろうか。

 可哀想な人……と。哀れみより蔑みが強い気持ちで見上げたら、目が合う前に顔面に何かが当たった。

 

「っ、なに、毛布?」

「不愉快だからその顔、しまっておいてくれる?」

「……」

 

 そう重たくないから肩かけ程度のものだ。正体がわかれば手こずることなく剥がせた。毛布を足元に叩きつける。立ち上がった。

 

「すみません。わたし、明日も忙しいので」

 

 鼻で笑う声が聞こえた。

 

「ソウルジェム、濁っているわよ」

「……!」

「私の反対を振り切って勝手に契約したんだから、自分のメンタルくらい自分で管理なさい。困るのよ。ここで魔女化でもされたら、家は壊れるし、私だって好き好んで同居人が化け物になるのを見たくないもの。

 あなた、寝ていないでしょう。魔力で健康を維持しているけれど、その分精神は張り詰めて、摩耗している。このままだと魔女化一直線ね。可笑しいったらないわ。キュゥべえを喜ばせるために契約したの?」

 

 言っているその顔は一切笑っていなかった。冷酷な青い目がわたしを見下ろしていた。

 

「今、泣いて吐き出すか。強制的に意識を落とされるか。選びなさい」

 

 脳が熱を持つのを感じる。妹がわたしの口を小さな手で塞ぐ。姉がよしよしと背中を撫でて、矢面に立とうとする。灯花とねむがわたしの代わりに言い返す。

 衝動的に唇が開いた。

 

「邪魔をするんですか?」

 

 出したことのない冷たい声を聞いて、わたしは自分の口を塞いでくれる人も、背中を撫でて庇ってくれる人も、この怒りを許してくれる人たちもいないことを思い出した。

 

「わたしは一刻も早く神浜にみんながいた証を刻まなきゃいけないんです。泣いている暇も眠っている暇もない。あの約束を果たすまで死ぬつもりもない。魔女化しそうなときはソウルジェムを砕くか適当な場所に投げ捨てておくので倒壊の心配はしなくて結構ですよ。では」

 

 一方的に吐き捨て、リビングを出て行こうとしたわたしの手首を、七海さんは掴んだ。

 振り払おうとして、できなかった。魔法少女としての実力の差。経験の差を感じて、胃がひっくり返りそうなほどの吐き気と怒りが喉から噴き出した。

 

「触んないでッ!!」

「それが家主への態度?」

「……っ、何がしたいの!? 最初はすり寄ってきて、魔法少女になったら突き放して! 魔女化してほしくない? 何それ。してほしいの間違いじゃない? グリーフシードが増えて嬉しいでしょ。ばっかみたい!」

 

 目を強く閉じる。喉の奥が痛い。息苦しい。

 苦しい。

 

「向こう行って! 嫌い! 七海さんなんて嫌い!!」

「環さ──」

「ずるいよ! わたしだってもっと早くキュゥべえに会いたかった! お姉ちゃんを助けられるなら、妹たちが救えるなら、あとで魔女になるって知ったって、後悔なんてしなかった!!」

「……」

「大切な人たちを助けられる願いが後悔に繋がるわけがない!! 今だって! この人生を生き抜くって決めて、そのための願い事をして。わたし、どんなことがあったって、この祈りが間違いだったなんて思わないッ! あなたと違って!!」

 

 息を呑む音とともに、掴んでくる力が緩んだ。その隙をわたしは見逃さなかった。

 七海さんを突き飛ばす。薄い体が傾いて、彼女は床に腰を落とした。青い目がわたしを見上げた。白い顔。表情は思い出せない。

 ただ、美しい碧眼に映る、唾を飛ばして怒鳴り散らすわたしの顔は、魔女よりも醜かった。

 

「願いの重みが違う。同じにしないで。虫唾が走るから」

 

 わたしは七海さんから目を逸らした。

 罪悪感なんて無い。わたしの心はあの四人のためだけにあるのだから、そんなの持っちゃ駄目だ。

 リビングを飛び出して、裸足のままみかづき荘から逃げ出した。

 ごめんなさいなんて、言わない。

 雨が降っている。魔法少女なのに、ひどく息切れする。嫌だ、嫌だ。雨は、姉ちゃんが死んだときも降っていた。

 

「あああっ」

 

 狂いたい。壊れたい。

 心なんて死んでしまえ。

 

「ああっ、あぁぁあああっ」

 

 寒い。ここは寒い。一人は寒い。

 

「はっ、あー、あああああーーっ、ああ」

 

 立ち止まる。

 膝に手を当てて、上半身を緩める。息をする。頭に雨が落ちてて、鼻先からぽたぽたと流れていく。足の裏が砂利を掴んでいる。

 広々とした公園。遊具は少なく、街灯が時計台に光を浴びせている。その光に照らされて、わたしが吐く息も白く煙った。

 魔法少女の視力は暗がりの中でも明瞭に物を捉える。公園の隅に植わった木を見つけてしまって、最悪な気持ちになった。葉を落として久しい木には鮮やかな黄緑色の芽が出ていた。

 もうすぐ春が来る。

 誰もいないのに。春が来る。

 冷たい空気を、どれだけ吸って吐いてをしても、胸のざわつきがおさまらない。深呼吸にリラックス効果があるなんて、灯花、やっぱり思えないよ。

 重たい足をなんとか動かして、時計台の前まで進んだ。

 左手を翳し、魔力をこめる。現れたのは魔女の結界だ。完全に無意識だけれど、魔力反応のあるほうに向かっていたらしい。いや、もしかしたら誘われたのかもしれない。首筋を指でなぞる。

 結界に揺らぎはない。やけに静かな結界だった。誘われるようにわたしは足を踏み入れて────────

 

 

 

「これは終わった物語。僕らがいるべきは、観客席だ。そうでしょう? お姉さん」

 

 ──誰かの手に、目を、覆われた。

 

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