『華麗なる一族』に生まれた僕、パリピな太陽神に心を撃ち抜かれる。   作:えれくとろにくす

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1.紅玉

 

 

 

 

照明は白く、目の前のモノクロの鍵盤がやけに眩しく感じられた。

 

だが、激しく高鳴る心臓の鼓動と共に、指先は確かにそこで踊っていて、音を紡ぎ続けている。

 

『華麗であれ』

 

ショパンのバラード第一番、ト短調。

 

重々しい和音が会場に満ちていく。この曲を選んでくれたのは、たしか妹だった。

 

『至上であれ』

 

指が鍵盤を滑り、奏でる旋律が空気を震わす。

 

一音たりとも、外すことは許されない。

 

しかし、そんな状況でも心だけは、別の場所にいた。

 

客席最前列の中央…そこに妹がいる。

 

黒のドレスに身を包み、微動だにせず、ただ静かに僕を見つめていることだろう。

 

『常に最たる輝きを』

 

(ルビー……)

 

音楽はクライマックスへ向けて加速していく。

 

(思い返せば、このピアノを始めたのも…)

 

(ルビーにとって、誇れる兄でありたかったから)

 

ありったけの想いを、鍵盤に込める。

 

華麗であれ。

 

至上であれ。

 

常に最たる輝きを。

 

それこそが、我が一族の玉条。

 

最後の一音が、静寂の中に鮮やかに響き渡った。

 

 

 

それこそが、『華麗なる一族』に生まれた僕の存在理由だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、はぁ……」

 

気づいた頃には、すべてが終わっていた。

 

僕の奏でた旋律と息遣いは、無数の拍手喝采に包まれている。

 

立ち上がり、姿勢を正して深く一礼する。

 

照明が眩しい。汗が額を伝う。指先は、まだ鍵盤の感触を覚えていた。

 

拍手は、しばらく止まない。

 

顔を上げた瞬間、彼女の姿が目に入る。

 

(…ルビー)

 

相変わらずの無表情で、ただ静かに手を叩いていた。

 

「……」

 

そんな彼女を一瞥した僕は最後にピアノへと一礼して、舞台袖へと歩を進める。

 

「ぼっちゃん、素晴らしい演奏でございました」

 

「……ああ。ありがとう」

 

待ち構えていた執事が手渡してくれたハンカチで手元を拭う。

 

「控室までご案内いたします。結果発表まで、まだ少々ございますので」

 

「……ああ」

 

無表情のまま、同じ言葉を繰り返す。スタスタと執事の後を歩いていく。

 

『出演者控え室』と書かれたドアの前に立つと、執事は静かにそれを開けた。

 

僕が中に入ると、彼女も一緒に入り、ドアの前で姿勢を正す。

 

「……」

 

僕はソファに腰を下ろし、まだ震えている手を見つめる。

 

そして、小さく息をついた後、口を開いた。

 

「……ねぇ、凛子さん」

 

ちなみに、凛子さんは僕の執事の名前である。

 

「はい。なんでしょう、ぼっちゃん」

 

抑揚の少ない声で、彼女はゆっくりと近づいてくる。

 

震える手を解きながら、僕は、問う。

 

 

 

 

 

「あ、あの……ぶっちゃけ、ルビーの反応、どうだった……? ちゃんと感動してたと思う?なんかやけに無表情だったけど…」

 

凛子さんはほんの一瞬だけ視線を宙に泳がせると、静かに告げた。

 

「……『完璧』とだけ、仰っていました」

 

「……それだけ?」

 

「それだけでございます」

 

「…………」

 

「…………」

 

ほんの数秒の沈黙ののち、

 

「よかったぁぁぁ……」

 

思わず噴き出すように、声が漏れた。

 

ヘナヘナと体から力が抜ける。

 

「……もう、本当、うちの妹は……いつも無表情すぎて…! 感動してるのか怒ってるのか、もう全然わからないんだ…!」

 

僕は頭を抱えながら、ソファの背もたれに崩れ落ちた。

 

「ねぇ、凛子さんもそう思いませんか!? 僕なんてもう、喜怒哀楽全てが顔面に出る人間ですよ? 言わば百面相!」

 

「……ぼっちゃんが感情豊かなのは、存じ上げております」

 

「でしょ!? それなのに、ルビーときたら……」

 

せめて…せめて、もう少しだけでも、顔に出してくれたっていいのに。

 

『お兄様、素晴らしかったです』とか、『感動しました』とかさぁ…色々あるじゃないか。

 

「はぁ…」

 

ため息をつきながら、いつも何を考えてるか全くわからない彼女の瞳を思い出す。

 

「まぁ…そういうところが可愛いんだけども…」

 

「それはどうもありがとう存じます。お兄様」

 

「エッ…?」

 

聞き慣れた、鈴のなるような可愛らしい声。凛子さんの声ではない。

 

僕は慌てて振り返る。

 

そこに立っていたのは…

 

「ル、ルビー…!?」

 

まぎれもなく、僕の愛する妹本人だった。

 

え?え?いつの間に?どうして控室に?

 

戸惑う僕を他所に彼女は相変わらず無表情で、静かに扉の前に立っていた。

 

僕は慌ててソファから立ち上がり、姿勢を正した。

 

そして、表情を引き締めて口を開く。

 

「…どうしたんだルビー?ここは控え室だぞ?」

 

「承知の上です。その上で、どうしても伝えたいことがありまして、ここに参りました」

 

ルビーはそう言いながら、まっすぐに僕の元へと歩み寄ってくる。

 

その足取りに、ためらいは一切見られない。

 

「伝えたいこと?」

 

「はい」

 

ルビーは僕の目の前で立ち止まり、ほんの少しだけ顔を上げた。

 

その表情は…やはり無表情のまま。

 

だが…

 

「お兄様、今日の演奏ですが……」

 

大きくて綺麗な黒の瞳が上目遣いで僕を見つめる。

 

「素晴らしかったです。とても感動いたしました」

 

「……」

 

「流石は私のお兄様です」

 

「……」

 

思わず固まってしまった。ルビーにそんなことを言われたのはほとんど初めてだ。

 

「それだけ伝えたかったのです。それでは私は戻ります」

 

くるりと踵を返そうとしたその小さな背に、思わず声が漏れた。

 

「待て、ルビー」

 

「どうしましたか?お兄様」

 

くるりと振り返るその仕草もまた、無駄がなく優雅で可愛らしい。

 

…そんなどうしようもなく愛しい妹の姿に僕の口が滑る。

 

 

 

「……一回、抱きしめさせてもらっても良いか?」

 

それを聞いた彼女は、瞬きひとつせず、すぐに答えた。

 

「論外です」

 

バタンと扉が閉まり、愛しの妹の姿は扉の先へと消えてしまった。

 

「…ぐすん」

 

瞬時に拒否されたその衝撃で、思わず鼻をすする音が漏れてしまう。

 

「……あの、ぼっちゃん…大丈夫でしょうか?」

 

静まり返った控え室でさっきまで黙っていた凛子さんが恐る恐ると言った様子で口を開いた。

 

彼女はいつも通り冷静で、しかしその声音には、わずかながら気遣いがにじんでいた。

 

僕は、ソファにもたれたまま、天井を見つめた。

 

「……あの、悲しいので代わりに凛子さんを抱き締めてもいいでしょうか?」

 

真顔で尋ねる僕に、凛子さんは一切の逡巡なく答える。

 

「かまいませんよ、ほらどうぞ」

 

両手を広げ、すっと前に出てくるその所作は、あまりにもスムーズだった。

 

「いやダメでしょ」

 

流れるように出た僕のツッコミが部屋にこだました。

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『華麗なる一族』

 

 

様々な幅広い分野で卓越した能力を発揮し、各界の権威となる人物を数多く輩出してきた名家。

 

そんな名家の末端として生を受けたのがこの僕だ。

 

「…先日のコンクールでの入賞、見事でした」

 

「はい、ありがとう存じます。お母様」

 

そして、目の前に座るのは僕の母親。

 

我が一族に初の桜花賞の勝利をもたらし、祖母に続いて二代URA賞に輝いた。

 

現在の『華麗なる一族』の顔と言ってもいいすごい人だ。

 

「わざわざ日本に帰ってきた甲斐のある素晴らしい演奏…貴方の『最たる輝き』は確とこの目で見させていただきました」

 

「光栄でございます」

 

母は現役引退後は海外でウマ娘界の発展に尽力していて、いくつか世界的な賞も受賞している。

 

そんな母がわざわざ僕のコンクールに駆けつけてくれたのだ。

 

これほど嬉しい事はない。

 

「……さて。本題に入りましょうか」

 

本題?珍しく僕を褒めてくれたのが本題じゃなかったのか?

 

「本題…ですか?」

 

母の視線が鋭く、僕の目を真っ直ぐに捉えた。

 

「今日、貴方を呼び出した理由は二つ。ひとつは先日の演奏の労い。もうひとつは…」

 

そこで一度、間を置く。

 

母が息を吸い込み、ゆっくりと言い放った。

 

 

 

 

 

「縁談です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「縁談って……僕まだ学生なんだけど」

 

「学生と言えど、ぼっちゃんはもうすぐ18の年になるのですよ?」

 

「まぁそうなんだけどさ…」

 

そんなことを言いながら僕と凛子さんは母の部屋から出て、屋敷の廊下をスタスタと歩く。

 

「ぼっちゃんは恋人などはいないのですか?いればきっと母上様もご理解を示してくれると思いますが」

 

「いるわけがないでしょ…まぁ強いて言うならばピアノが僕の恋人のようなものかな?」

 

僕はそう言いながら、肩をすくめて見せた。

 

これまでの人生、ピアノと一族としての周囲からの期待に応えることが僕の全てだった。

 

恋愛のことなど考える余裕は無かった。

 

「…ぼっちゃん、次の縁談のお相手の情報を母上様から頂いております、縁談は一週間後にございます。それまでに目を通しておきますように」

 

凛子さんがそう言いながら、僕にタブレット端末を手渡してきた。

 

「ありがとう」

 

僕はタブレットを受け取り、画面を操作する。

 

縁談相手の様々な情報が視界に飛び込んできた。

 

「縁談のお相手様はウマ娘か…しかもURAファイナルズにも出走経験のあるエリート……ねぇ凛子さん」

 

「なんでしょうか?」

 

「この方の出走しているレースの映像を全部まとめておいてくれないか?」

 

「差し支えなければ、理由を聞いても?」

 

僕はタブレットから視線を外さずに、凛子さんに言葉を返す。

 

「『華麗なる一族』の一員として、縁談で失礼のないように全て見ておきたい。最低限、レースの話くらいはできるようになっておかないと」

 

「かしこまりました。そういうことでしたら今日中に手配いたします」

 

「うん、ありがとう」

 

そんなやりとりをしている内に僕らは自室の前についていた。

 

「凛子さん、下がっていいよ。レース映像の件は頼んだよ」

 

「かしこまりました…それでは失礼いたします」

 

凛子さんがそう言いながら、踵を返して歩いていく。

 

僕はその背中を見送りながら、ゆっくりと自室の扉に手をかけた。

 

…その時。

 

「お兄様」

 

凛子さんが歩いて行った反対方向から、聞き覚えのある声が飛んだ。

 

そちらに視線を向けると、そこには我が愛しの妹のルビーがいつもの無表情で佇んでいた。

 

「ルビー?どうしたんだ?」

 

僕は扉から手を放して、背筋を正す。

 

すると、ルビーは僕の方にトコトコと近づいてきた。

 

「お兄様、先ほどの母上様からの呼び出しはどのようなご用件でしたか?」

 

意外だった、ルビーがそんなことを聞いてくるなんて。

 

「先日のコンクールの労りと…縁談の件だったよ」

 

「…!」

 

僕の言葉にルビーの瞳が少し見開かれる。

 

ふふ…普段が無表情なだけに変化がわかりやすいのだ、ウチの妹は。

 

「縁談…ですか?」

 

少し驚いたような表情をしたままのルビーが固まりながら言葉を漏らす。

 

「ああ、僕ももう18だからな、縁談の一つや二つくらい…」

 

「この方がお相手様ですか?」

 

気が付けば、僕の手元にあったはずのタブレットがルビーの手元に収まっていた。

 

「ルビー?いつの間に…」

 

「ウマ娘、名家の出、栗東寮出身、スピード特化型の差し脚質。重賞を複数回制覇、URAファイナルズ短距離部門では準優勝経験あり。容姿端麗、性格は…」

 

「待て待て待て」

 

「…?どうされましたかお兄様?」

 

キョトンとした顔で首をかしげるルビー。

 

ふふっ、かわいいなあウチの妹は…

 

…じゃなくて。

 

「……いや、それ全部読み上げなくていいから、個人情報だし」

 

僕は慌ててタブレットを取り返そうと手を伸ばすが、ルビーはするりと一歩下がって、それを避けた。

 

「性格は『負けず嫌いでストイック』…お兄様はこういった方がお好みなのでしょうか?」

 

「いや、そういう話じゃなくてだな……」

 

これは母が組んだ縁談なので、そこに僕の意思は介入していない。

 

「縁談は一週間後……ふむ、この縁談、私も同席してもよろしいでしょうか」

 

「え?」

 

なんでだ?普通に嫌なんだけど…そりゃウチのルビーはどこに出しても恥ずかしくない…むしろ自慢したいくらいの完璧な妹だけど、縁談に妹が同席するのは流石にちょっと恥ずかしい。

 

…なんとかして断れないだろうか。

 

「ルビー、僕のことを心配してくれるのは嬉しいけど、トレーニングや習い事で忙しいだろう?無理して同席しなくても…」

 

「いえ、同席させていただきます」

 

「…………」

 

謎に確固たる意志の見えるルビーの言葉に、僕は固まったまま何も言えなくなっていた。

 

ルビーがこんな強情なこと未だかつてあっただろうか…?

 

「あの、ルビー?お兄様ちょっと妹の同席は恥ずかしいかなって…「いえ、問題ありません、行かせていただきます」

 

…うん、鋼の意志が発動してる、こうなってしまえばルビーの意志はもうテコでも動かないだろう。

 

「…わかったよルビー、凛子さんに言っておく、席が一つ増えるってさ」

 

僕は諦め気味でそう言った。

 

すると…

 

「ふふ…お兄様、ありがとう存じます」

 

…あ、笑った。

 

少しだけ微笑みながら僕に頭を下げるルビー。

 

久しぶりに見た妹の愛らしい笑顔に、もはや同席がどうとかはどうでも良くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで一週間は、息をする間もないほどあっという間に過ぎた。

 

そして、縁談当日…

 

 

 

 

『華麗なる一族』の屋敷とは別棟にある応接室。その中央に配置された大きなテーブルを挟んで、僕とルビーが座っていた。

 

重厚な扉がノックされる。

 

「お相手様がお見えです」

 

凛子さんの声と共に扉が開く。

 

入室してきたのは、縁談相手のウマ娘。タブレットで見た紹介と完全に一致する、整った立ち姿の少女だった。

 

「初めまして。本日はお時間を頂き、光栄に存じます」

 

彼女は落ち着いた声で丁寧に頭を下げる。

 

「いえ、こちらこそ、本日はよろしくお願い致します」

 

僕も形式通りの挨拶を返す。

 

「……」

 

横に座るルビーは無表情のまま、じーっとお相手のウマ娘へ視線を向けていた。

 

「え、ええっと…」

 

あんまり見ないであげて、お相手さんすごくやりにくそうだから。

 

まぁそんなことがありつつ、形式的な挨拶が終わると、あとは僕と彼女の間で淡々とした会話が続いた。

 

彼女のレースの話や家族の話これまでの生活と今後の展望。

 

僕のピアノのファンだと言って、ピアノの話だってしてくれた、お世辞でも嬉しいものだ。

 

以降も繰り広げられる会話はどれも礼儀正しく、気遣いの行き届いたものだった。

 

しかし…

 

 

 

 

(…なんか…引っかかる)

 

どこからか湧き出た違和感を僕は感じながらも、調子は変わらないまま、縁談は続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁談が終わり、彼女と別れの挨拶を交わして応接室から廊下へと出た。

 

廊下に差し込む茜色の光がなんとも言えない感情を掻き立てる。

 

「ぼっちゃん、お疲れ様でございました」

 

凛子さんが控えめに一礼する。

 

「ああ、ありがとう」

 

「初めてのご縁談、いかがでしたでしょうか?」

 

凛子さんの問い。

 

「……」じっ

 

隣に立っていたルビーからの視線が刺さる。

 

僕は先ほどの縁談の内容を思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。

 

「ごめん、凛子さん、ちょっとだけ一人にしてくれないかな?」

 

僕はそう言いながら少し微笑む。

 

僕の表情を見た凛子さんは何かを察したように、頭を下げた。

 

「畏まりました。……お気をつけて」

 

僕はそのまま、隣のルビーに視線を向ける。

 

「ルビーも今日は同席してくれてありがとう」

 

「お礼には及びません、お兄様こそ、お疲れ様でございました」

 

それだけ言うと、彼女はほんの少しだけ頭を下げる。

 

相変わらずの無表情。

 

けれど、その声音はどこか心配が滲んでるようにも聞こえた。

 

「ああ、じゃあちょっとだけ外に出てくるから、先に戻っておいてくれるか?」

 

そう言いながら笑いかけると、ルビーは少しだけ表情が和らぎ、僕を見つめる。

 

「……はい。お気をつけて、お兄様」

 

僕はルビーの言葉を背に玄関へと歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕焼けの街並みを行く当てもなく、フラフラと歩く。

 

気が付けば近くの河川敷まできており、なんとなく堤防に腰を下ろした。

 

茜色の光が水面に反射して、僕は目を細めた。

 

「……はぁ」

 

一つ、大きなため息。

 

僕が今日の縁談を通じてわかったことがある。

 

それは自分が極度の『人見知り』であったことだった。

 

自分は末端と言っても『華麗なる一族』の一員。

 

これまで多くのパーティーや会食などのイベントで様々な種類の人間とコミュニケーションを交わしてきたつもりだ。

 

そこで、どんな会話をしたら相手の興味を引くか、もっと話したいと思えるか、僕に好意を向けてくれるのか…基本的な処世術は身につけたはずだ。

 

でも、今日初めて『縁談』というものをして気がついた。

 

相手方は僕には勿体無いくらい素敵な方で、非の打ち所のない完璧な立ち居振る舞いだった。

 

けれど…

 

「……楽しくはなかったな」

 

ポツリと呟く。

 

彼女の振る舞いに対して、僕だって『華麗なる一族』として恥のないような会話ができたはずだ。

 

「…でも」

 

僕が感じたのはまるで、台本通りの芝居を演じているような感覚。

 

これまで培ってきた『華麗なる一族』としての分厚い完璧な仮面を被って会話していたにすぎない、あの場に、自分はどこにもいなかった。

 

彼女は、これまでのようなだだの会食で相手をするような、上辺だけの関係ではない。

 

縁談相手、生涯を共にするかもしれない相手。それに僕のことを調べてきてくれて、ちゃんと正面から話してくれた。

 

そんな相手に対し、僕は仮面を外せなかった。

 

僕はやっぱり、『人見知り』だ。

 

「…よっと」

 

僕は立ち上がり、再度穏やかな川の流れを見つめた。

 

しかし、色々考えたけど…

 

きっと僕がこの縁談を断る事はないだろう、母が持ってきた縁談である以上、先の相手方と僕が婚約を結ぶ事が『華麗なる一族』の発展に必ず貢献できるはずだ。

 

それならば、こんな自分都合の曖昧な理由で断るわけにはいかない。

 

でも、受け入れてしまうその前に一度こうして1人で考えておこうと思っただけだ。

 

「……」

 

幸い、僕には恋人もいなければ気になる人もいない…まぁそりゃそうだ僕には『華麗なる一族』としての人間関係しか無いのだから。

 

仮面を付けずに接することができるのは、今の所ずっと一緒にいた凛子さんくらいだろうか…?

 

「…はぁ、案外寂しいやつなんだなぁ…僕って」

 

呟きながら帰路につこうと踵を返す。

 

「……ん?」

 

…その時。

 

視界の端におさげで栗毛のウマ娘と高校生らしき男子が並んで歩いているのが見えた。

 

「……」

 

(……僕も一回くらい…『恋』というやつをしてみたかったな)

 

そんなことを考えながら、ぼんやりと2人を眺めていた。

 

 

 

今…自分が立っている河川敷の堤防が…

 

 

近くのトレセン学園のウマ娘たちの定番ランニングコースだということも忘れて…

 

 

夕焼けの河川敷に気持ちの良い茜色の風が吹く。

 

 

 

…その次の瞬間だった。

 

 

 

「うえええええ!!!ちょちょちょ!!」

 

 

 

甲高い叫び声が耳を突く。

 

「え?」

 

振り返るよりも早く、視界の端が派手な色で満たされた。

 

「どいたどいたどいたああああ!!!」

 

軽やかな足音と、やけに元気な声。

 

「え…あ、ちょま…」

 

その直後。

 

ドンッ!!

 

「ぐへっ…」

 

身体に強い衝撃が走り、視界が反転、さらに浮遊感が僕を襲った。

 

(……え、僕…飛んでる…!?)

 

そんなことを考えた次の瞬間…

 

ドボォォォォンッ!!

 

冷たい衝撃が全身を包み込み、一瞬、呼吸が奪われた。

 

自分が吹っ飛ばされて、近くの川に落ちたと分かるまで数秒かかった。

 

「……ぶくぶく……ぷはっ…ごほっ!!」

 

慌てて水面に顔を出すと、すぐ横でもう一つ大きな水柱が上がった。

 

水柱が収まるより早く、ばしゃばしゃと慌ただしい水音が続いた。

 

「やっば!!避けらんなかった!!マジヤバい!!…ねぇ、おにーさんガチ生きてるよね!?」

 

明るくも、やや上ずった声。

 

僕は咳き込みながら体勢を立て直す。

 

「げほっ……ごほっ……だ、大丈夫」

 

川はそれほど深くはない。

 

腰ほどの水位だが、突然突き飛ばされて落ちた衝撃で頭がぐらぐらしていた。

 

「マ、マジめんご!!いや、本当にごめんなさい!!」

 

目に水が入っていて、視界がぼやける。

 

しかし、顔はわからないけど、目の前で体操着を着たウマ娘が水に浸かったまま、何度も何度も頭を下げているのは分かった。

 

「…い、いや、僕が悪い…僕がボーッとしてたから…あそこランニングコースなのに」

 

言うなれば、道路のど真ん中でぽやっとしてたようなもんだ。どう考えてもどこぞのカップルに気を取られた僕の過失だ。

 

「いやいやいや!!それでもウチが突っ込んだのは事実だし!!ちょい好きピのこと考えてて前見れてなかったし!!」

 

そうまくし立てる彼女の声は、水音にも負けずに元気でやたらと明るかった。

 

僕はまだ、目の中に入った水が抜けきらず、濡れた袖で目元を拭う。

 

「ねぇガチのマジで大丈夫な方で大丈夫なん!?」

 

「…うん、ガチのマジで大丈夫な方で大丈夫」

 

「ほんとに!?」

 

「ほんとだって、水のおかげで落下の衝撃は防げたし」

 

彼女の声は真剣そのものだったが、どうにも聞きなれない言葉が多い気がする。

 

(……なんか、変な子だな)

 

「ぶつかった時のヤツは!?ドーンッ!!ってなってたんですけど!?」

 

しみて痛む目元をもう一度、ぐいとぬぐって…

 

「だから大丈夫だって…僕は格闘技を嗜んでたから痛みには……慣れ…て…て…」

 

ようやく、はっきりと彼女の姿が見えた。

 

ギラッと輝く青のメッシュが入った黒髪に、複数のピアスとヘアピンをじゃらつかせた、派手な体操服姿のウマ娘。

 

「マジよかった〜〜!!オニーさんダイジョブそーで!!てかウマ娘のタックル受けて大丈夫とか神か!?」

 

サイドテールの髪の先からつま先までびっしょびしょで、水飛沫の中に立ちながら、それでもまっすぐ、底抜けの笑顔で、僕を見ていた。

 

「……」

 

何故か、その笑顔に声が出なかった。

 

同時に胸の奥で、なにかが小さく、弾けた気がした。

 

(…なんだ…この感覚…)

 

「えっ……ちょ、なになに!?キューに黙んなし!マジでホントはどっか痛めてた!?ホントはヤバい系!?」

 

彼女が心配そうな表情で僕に顔を寄せる。

 

「んん~…マジでダイジョブそ〜!?」

 

整った顔立ちと大きな瞳が僕を見つめていた。

 

「……ッ!!…だ、大丈夫だから」

 

…思わず顔を背ける。

 

なんだこれ…?冷たい水の中のはずなのに顔が熱い。

 

「なら良しっ!!じゃあちゃっちゃと岸に戻ろー!!」

 

そう言って、彼女は水しぶきを蹴りながら岸の方へ向き直った。

 

「……あっ!!やっば!!パマちん達との集合時間忘れてた!!」

 

突然、長い髪が跳ねるほど大げさに頭を抱え、ばっしゃばっしゃと水を蹴りながら慌て出す。

 

「せっかくの放課後合同ランなのに遅刻とかマジでウケる!!」

 

忙しなくドタバタする彼女を見ているうちに、さっきまでの衝撃や水の冷たさすら忘れていた。

 

彼女は岸に上がる前、ふと僕の方に振り返った。

 

「ってわけで!おにーさん!ウチもう行くケド…マジでホントに、ホント〜〜に大丈夫ってコトでおけ!?」

 

「…お、おけです」

 

「おしゃ!!じゃ、ウチ行くから!!さっきはマジでめんごー!!」

 

手をひらひらと振りながら、彼女は岸へ向かって歩き出す。

 

「……」

 

離れていく彼女の背中になぜか胸がキュッと締まる感覚が僕を襲った。

 

そして気がついたときには…

 

「待って!!」

 

自分でも驚くほど自然に、声が喉から漏れた。

 

派手なウマ娘は勢いよく振り返る。

 

「んぇ?どしたんおにーさん!?マジでどっか痛いん!?やっぱ病院行く!?」

 

「いや、そうじゃなくて……」

 

あれ…なんで呼び止めたんだっけ…僕。

 

「えっと…」

 

「…??」

 

言葉に詰まる僕に彼女は首を傾げる。

 

そんな彼女を見て僕は咄嗟に…

 

「…名前を…聞いておきたくて」

 

僕がそう聞いた瞬間、ウマ娘は一拍置いて…

 

「……!!!」

 

ぱあああああっと花が咲いたみたいに、満面の笑みになった。

 

「ウェーーーーイ!!待ってましたぁ!!」

 

水しぶきを跳ね上げながら、また全力で僕の目の前まで戻ってくる。

 

「ウチは!ダイタクヘリオスでぇーーっす!!以後お見知りおきを的なヤーーーツ!!ウェイ!!」

 

目の前でダブルピースしながら元気に笑う彼女に、思わずたじろぐ。

 

(…ま、眩しい)

 

「じゃ!次はおにーさんのターン!!はいどうぞ!」

 

ダイタクヘリオスと名乗ったウマ娘はそう言いながら僕の口元にマイクのように右手を持ってきた。

 

「え?僕のターン?」

 

「そ!名前!おにーさんのっ!!」

 

そう言って笑う彼女。

 

ここでやっと自分も名前を聞かれているということに気がついた。

 

「そういうことか…えっと、僕の名前は…」

 

言いかけて、止まった。

 

(…あれ?)

 

名前を名乗るだけなのに…なぜだろう。

 

胸の奥で、重い鍵が久しぶりに回るような、不思議な感覚がした。

 

(……名前を、名乗るなんて)

 

当たり前のことのはずなのに…僕が個人として、自分の名前を求められたのは……いつ以来だっただろうか。

 

華麗なる一族としてじゃなく。

 

縁談でもない。

 

家柄でも、礼儀でも、肩書でもない。

 

ただ、『僕』という一人の人間対して、彼女は名前を求めている。

 

「…うぃうぃ!どした!?はよ聞かせてよ!おにーさんの名前!」

 

ダイタクヘリオスがまた僕に詰め寄る。

 

「ははっ…」

 

自然と笑みがこぼれた…なんだかこれも久しぶりな気がした。

 

…そして僕はゆっくりと、口を開く。

 

 

「僕の…名前は……」

 

 

 

 

 

夕焼けの風が、水面を揺らす。

 

 

 

 

「…紅(こう)だよ、『紅葉』の『紅』って字を書くんだ」

 

はっきりと、自分の名前を名乗った。

 

その瞬間、ダイタクヘリオスはまたひときわ大きく笑う。

 

「ナイスッ!いい名前じゃん!!じゃあ紅さん!パマちん達待ってっからウチ行くわ!!またどっかで会えたらウェイしよーー!!」

 

そして、手を大きく振りながら、岸の方へと全力で駆けていった。

 

弾ける水飛沫すらキラキラ光って見えた。

 

残された僕は、しばらくその背中を見つめて…

 

 

 

 

「…なんだよ…ウェイしよって……」

 

 

 

 

「ふふっ…」

 

高鳴る鼓動を誤魔化すように、クスリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.『紅玉』

 

 

 

 

 

 

 

 

これから語られるお話は…

 

 

 

『華麗なる一族』の末端として生を受けた僕がパリピでウェイな感じの太陽神に心を撃ち抜かれる話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








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