『華麗なる一族』に生まれた僕、パリピな太陽神に心を撃ち抜かれる。   作:えれくとろにくす

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4.雲外紅天

 

 

 

 

 

 

 

穏やかな午後の日差しが、レッスン室の床に長い影を落としている。

 

静寂の中に響くのは、リストのエチュード第3曲『ため息』。

 

僕の交差する両手が紡ぎ出すアルペジオが、甘美な旋律を奏でていた。

 

以前のショパンの『激流』を弾いた時に感じた、あの氷上を滑るような焦燥感は今は一切感じない。

 

いつも通り、譜面通り完璧に『華麗なる一族』として胸を張れるような。

 

デビュー戦で一族としての輝きを見せたルビーにも誇れるような。

 

そんな演奏を…

 

優しく、撫でるように触れていた鍵盤から手を離した。

 

最後の和音が、余韻を残してふわりと消える。

 

「……ふっ」

 

小さく息を吐く。

 

あの時師匠が時間を取ってくれたおかげで、ヘリオスへの感情を整理できたことが大きいのだろうか。

 

(…かなり良い感じだ)

 

そんなことを考えながら、ピアノの余韻が完全に無くなった静寂の中で僕は口を開く。

 

「凛子さん」

 

「はい、ぼっちゃん」

 

僕が呼ぶと、部屋の後方で待機していた凛子さんが姿を現す。

 

「今日って確か、この後予定入ってたよね?」

 

「ええ、本日は夜の19時より都内の料亭にて、URA関係者の方々の会食の際の伴奏の依頼が入っております」

 

「ああ、わかった」

 

この前の余興の時のように、何かイベントでピアノを弾くと偶に僕の演奏を気に入ってくれる人がいる。

 

そういった人たちから個別に依頼が来ることは珍しくない。これも『華麗なる一族』としての務めの一つだ。

 

(まぁ…実際、ただのお偉いさん達のBGM係ってとこだけど…)

 

仕事があるのは光栄なことだが、約束の時間までは随分と間がある。

 

「それまでは何もなかったよね?」

 

「はい」

 

凛子さんが、頷く。

 

「それなら……」 

 

僕は少し考える。

 

せっかくの自由時間だ。時間を無駄にする手はない。

 

このまま、ピアノのレッスンを続けてもいいけど、レッスンは長くやれば良いってもんじゃない。

 

「………」

 

(……会いたいなぁ…ヘリオスに)

 

ぼんやりと、そんな考えが頭をよぎる。

 

(……気持ち悪いなぁ…僕)

 

でも会いたくなったものはしょうがないのだ、幸い、以前カラオケに行った際に連絡先は交換しているから会おうと思えば、多分会える。

 

…いやでも、何も無いのにただ会いに行くってのもおかしいような気がする。

 

「…!」

 

考え込んでいると、僕の中に一つの妙案が産まれた。

 

目の前にあるピアノの鍵盤がキラリと光る。

 

「……でもなぁ」

 

……僕が今、思いついたのは、なんと今度開催されるコンクールの予選に、ヘリオスを招待することだった。

 

子供っぽいと思われるかも知れないけど、彼女に自分の得意なものを知って欲しい気持ちは前からあったんだ。

 

柄にもない、少しだけわがままな願望。

 

でも…

 

(……いや、やっぱり冷静に考えたら無理があるか)

 

すぐに思い直して、首を横に振る。 

 

ピアノのコンクールなんて、静かで厳正な堅苦しい場所だ。

 

咳払い一つすら許されないような空間に、あの底抜けに明るい彼女が合うとは到底思えない。

 

もし呼んだとしても、きっと退屈させてしまうだろう。

 

(……うん、やめよう。ちょっとこれは自分勝手が過ぎる)

 

そう結論づけて、諦めのため息をつこうとした、その時だった。

 

「ぼっちゃん、こちらをどうぞ」

 

「……え?」

 

横からぬっと伸びてきた凛子さんの手が、僕の目の前にとある紙片を差し出した。

 

そして、それには、見覚えのあるロゴが印字されている。

 

「……あの…これもしかして、今度のコンクール予選の関係者席のチケット?」

 

「はい、左様でございます」 

 

「……なんで?」

 

「ぼっちゃんが、どなたかをご招待されるかと思いまして」

 

凛子さんは涼しい顔でそう言い放つ。

 

「いや、まだ誰か誘うとも言ってないし……それに誘ったとしても、断られるかもしれないのに、なんでもう手配しちゃってんのさ?」

 

「……」

 

僕が呆れ半分でそう尋ねるが、凛子さんは何も答えず、ただ静かに、全てを見通しているような穏やかな微笑みを僕に向けた。

 

その視線に僕は思わず口を開く。

 

「……あの、凛子さん」

 

「はい」

 

「僕、最近凛子さんが怖いんだけど」

 

僕が正直な感想を漏らすと、凛子さんはスッと頭を下げて、一言放つ。

 

「恐縮でございます」

 

「……いや、褒めてないよ?」

 

そんなことを言いながらも、とりあえず僕は差し出された二枚のチケットを受け取る。

 

チケットを取ってしまった以上、無駄にするわけにはいかない。

 

それに……心のどこかで、背中を押されてホッとしている自分がいるのも事実だった。

 

「……はぁ」

 

観念したように息を吐き出すと、僕はポケットからスマートフォンを取り出し、画面を叩く。

 

(……まぁ断られたら、その時はその時だよな)

 

そう自分に言い聞かせながら「コンクールに誘う」という彼女に会う口実を得た僕は光る画面をスワイプした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『今、キンジョのクラブでデイイベ中!ウチによーじなら、こーぴょんもきゃもなベイベー!ウェーイ!』

 

 

 

そんなよく分からないメッセージと、添付された地図のURLを頼りにたどり着いた雑居ビルの地下。

 

「…ここか?」

 

ギィィィ…

 

恐る恐ると、重厚な防音扉を開けた瞬間、耳をつんざくような爆音が僕を襲った。

 

「おお…」

 

爆音のダンスミュージックに視界を遮るスモークと、明滅する極彩色のレーザーライト。

 

そして、その中を埋め尽くすウェイウェイした感じの若者たちの熱気。

 

(…これが噂のクラブってヤツか)

 

辺りに響く音の振動、僕が普段触れている音楽とは対照的な、本能を直接刺激されるようなリズムだ。

 

僕はそれを感じながらも、人が密集するフロアへと足を踏み入れる。

 

「……えっと」

 

そして彼女を探すように辺りを見渡すも…

 

(…いやこれ無理じゃないか?)

 

まず、薄暗くて辺りがよく見えない、そして何より人が多すぎる。

 

(……まぁ、一旦奥の方まで探してみるか)

 

僕は身を縮めながら、人混みをかき分けてなんとか前に進んでいく。

 

その時だった。

 

ドンッ!

 

「……っと」

 

不意に、誰かの肩と僕の肩が強くぶつかった。

 

「…ごめんなさい。前が見えにくくて」

 

とりあえず謝罪しながら顔を上げる。

 

目の前に立っていたのは、一人の女性だった。 

 

「……」

 

カラフルなジップパーカーとジャラジャラとしたアクセサリー。

 

そして、目元が隠れるほど深くフードを被っている。

 

そのフードの隙間から、鋭い双眸がギラリと僕を射抜いていた。

 

「……チッ…気ィつけやがれ」

 

彼女は僕に向けて一つ舌打ちをすると短く言葉を放った。

 

ドスの効いた低い声とギザギザに尖った歯が口元から覗く。

 

(ガラ悪ッ…!)

 

僕がそんなことを考えている間にも彼女は僕に背を向けて歩き出していた。

 

その後ろ姿にユラリと揺れる尻尾が見えた。

 

(…ウマ娘だ)

 

同じウマ娘なら、もしかしてヘリオスのことを知ってるかもしれない。

 

そう考えた、僕は思い切ってその背中に声を掛ける。

 

「あの、ちょっと待ってください」

 

「…ンだ?…ナンパならお断りだ」

 

僕の声に彼女は足を止めて振り返る。

 

無視しないでくれた辺り、人相は悪いけどもしかしたら優しい人なのかもしれない。

 

「いや、ナンパじゃなくて、僕、人を探してるんです…ダイタクヘリオスって名前なんですけど知らないですか?」

 

「あァ?ヘリオス?」

 

ヘリオスについて尋ねると彼女は向き直り、僕の体を、顔のテッペンから足元まで見回した。

 

そして、不思議そうな顔で僕に問う。

 

「お前…ヘリオスのダチか?」

 

「まぁ、一応…そうですけど」

 

「はァ…こンな如何にもぼっちゃんみたいな奴ともダチなのかよ…アイツの交友関係マジでどうなってやがンだ…」

 

僕が答えると彼女は呆れたような表情で一つ息を吐いた。

 

そして少しだけ困ったような表情を浮かべてから再度口を開く。

 

「おい…お前」

 

「はい?」

 

「ヘリオスならあそこだ」

 

彼女はそう言って僕の後方を指差した。

 

僕は反射的に振り返り、彼女の示す方向に視線を向ける。

 

そこは、フロアより一段高くなっている場所…DJブース。

 

『いぇーい!!お前ら盛り上がってますかぁ!?DJヘリオス!こっからアゲてくぜええ!!ウェイヨー!!』

 

ヘッドフォンを首にかけ、ターンテーブルを回しながら激しく頭をブンブンと振ってビートを刻む、見慣れたサイドテールのウマ娘の姿があった。

 

「あ、ヘリオス」

 

「今さっきDJ代わったばっかだかンなァ、ノリに乗ってやがる。当分はフロアには降りてこねェよ、用があンなら残念だったな」

 

目の前のウマ娘は、フンと鼻を鳴らしながらそう言った。

 

「……そうですか」

 

僕は少し困って眉を下げる。

 

遠目に見るヘリオスは、ヘッドフォンを片耳に当て、観衆を煽りながら最高に楽しそうだ。

 

確かに、あの様子じゃすぐに話しかけるのは野暮というものだろう。

 

「…あのDJヘリオスの出番はどれくらい続くんですか?」

 

「あァ…まァ、そりゃ日によるが…基本ヘリオスが満足するまでずっとだな、今日は調子良さげだからあと1時間くらいはやンじゃねェか?10分やそこらで降りてくることはねェな」

 

なるほど、1時間は流石に待てないなぁ…会食の準備とかあるし…

 

今日は諦めて大人しく引き下がった方が良いだろうか?

 

……いや、でも。

 

ここまで来て、一目見ただけで帰るのもなんだか違う気もする。

 

「……ダメ元で、やってみるか」

 

多分気が付かないだろうけど、とりあえず僕はヘリオスに向けて手を振ってみることにした。

 

この薄暗さと、明滅するライト、そして熱狂するそこそこ数の人混みだ。

 

ステージ上の彼女から見れば、僕はただの有象無象の人影の一つに過ぎないだろう。

 

そんなことを思いながらも、半ばヤケクソ気味に僕は人混みの隙間から、遥か高い場所にいる彼女に向けて、スッと右手を挙げて振ってみた。

 

自分なりに大きく手を振ってみたつもりであるが、多分控えめで、小さな合図。

 

…だが。

 

まるで一瞬だけスポットライトが当たったかのように、ヘリオスの視線が一直線に僕を捉えた。

 

バチッ!と音を立てて、僕らの視線がぶつかる。

 

『あー!!』

 

その瞬間、彼女の表情がパァァ…と眩しく輝く。

 

そして、ヘリオスはそのままターンテーブルを操作しながら、勢いよくマイクを掴んだ。

 

『うぇいうぇい!!お前らー!!マジめんごなんですケド…DJヘリオス!!次ラストでいかせてもらうぜぇぇ!!』

 

『えええー!?』

 

フロアから驚きの声が上がるが、ヘリオスはそんなのお構いなしに、さらにテンションを上げて叫ぶ。

 

『その代わりィ!!ラスト一曲にウチの全バイブスぶかまっから!全員、死ぬ気でついて来やがれぇぇ!!うぇい!!』

 

ヘリオスの言葉にドッッ!!とフロアが爆発したような歓声に包まれる。

 

ズン!ズン!ズン!と、先程までとは比較にならないほど激しいビートが鳴り響き始めた。

 

「はァ…?」

 

隣で、小さな声が聞こえた。

 

隣でヘリオスの様子を見ていたフードのウマ娘が、目を見開いて固まっていた。

 

「…あれ?」

 

ちなみに僕もその場で驚いて固まっていた。

 

だって横の人が後1時間はかかるって言ってたんだもん。

 

「「……」」

 

僕らは驚いた顔を突き合わせながら一緒に固まる。

 

やがて、目の前のウマ娘がゆっくりと口を開く。

 

「……なァ、お前名前は?」

 

「…なんでいまさら?」

 

僕がそう聞くと、彼女は何処からともなくノートPCを取り出した。

 

「…お前の情報をヘリオスのダチとしてオレのデータベースに入れンだよ」

 

そう言うと、彼女はPCを開き片手でカタカタとキーボードを叩く。

 

(…データベースって…個人で立ててるのか?…すごいなこの人)

 

僕がそんなことを考えていると、彼女は画面からは目を離さずに冷たく言い放つ。

 

「ンで…名前なんだ?」

 

「……『紅』です。紅葉の紅って漢字」

 

「あァ?」

 

僕が名乗ると、彼女の指がピタリと止まった。

 

フードの奥にある鋭い瞳が、わずかに見開かれる。

 

(…ん?なんだこの反応?)

 

僕がその反応に首を傾げると、彼女はすぐに表情を引き締め、元の不機嫌そうな顔に戻った。

 

「……チッ、なるほどな…どっかでみたことあンなと思ってたンだ」

 

彼女は小さく何かを呟くと、再び画面に向き直り、恐ろしい速さでキーボードを叩き始める。

 

そして、エンターキーを強く叩き、彼女はノートPCをパタンと閉じた。

 

PCを手慣れた動作で懐にしまうと、僕の方を見てぶっきらぼうに告げる。

 

「……オレの名前はエアシャカールだ」

 

「…ど、どうもエアシャカールさん?えっと…よろしくお願いします?」

 

僕がなんと答えていいか分からず、とりあえずよろしくお願いすると、彼女は眉間の皺を深くして手を振った。

 

「敬語は止めろ……オレの方が年下だ」

 

「……え?」

 

彼女の言葉に思わず驚きの声が漏れる。

 

(年下なのか…というかなんで僕の歳を知ってるんだ?)

 

驚きと疑問で目を丸くする僕を他所に、彼女は、ふいっと視線をステージの方へずらしながら、ボソリと呟いた。

 

「…アンタのピアノは嫌いじゃねェ」

 

「…!」

 

彼女の言葉に僕は目を見開いた。

 

「なんで僕がピアノやってるって…」

 

「あァ?お前…この前デビューした『ダイイチルビー』の兄貴だろ?…調べてりゃ兄貴の演奏動画くらいポンポン出てくンだよ」

 

彼女は事もなげにそう言う。

 

こんなとこで、自分の演奏を知ってくれている人がいるなんて驚きだ、普通にちょっと嬉しい。

 

テンションが上がって変なことを口走らないように冷静を装いながら僕は口を開く。

 

「それはどうも、知ってくれている人がいるなんて光栄だよ」

 

すると、エアシャカールは僕の方を見ずに、フロアの喧騒を眺めながら淡々と言葉を放つ。

 

「……アンタの演奏は、全部計算し尽くされてるからな」

 

「…計算?」

 

…と僕が首を傾げるが、彼女は構わず続ける。

 

「あァそうだ…アンタの演奏……ミスタッチのない正確無比な打鍵、1ミリの狂いもないリズム。感情やノリで誤魔化さず、作曲者の意図を完璧に解析して、それをそのまま現実に出力する……」

 

彼女はそこで言葉を区切り、チラリとフードの奥から僕を見た。

 

「まるでコンピュータがピアノを弾いてるみてェな、アンタのその徹底した演奏は…ロジカルでオレ好みだ」

 

「……」

 

……ふむ、これはちゃんと褒められているのだろうか?

 

評価の仕方が独特すぎて、よくわからない。

 

だが、エアシャカールがなにやら僕の反応を伺っているようなので、とりあえず口を開く。

 

「…ありがとう?」

 

「別に褒めてねェよ、事実を言っただけだ」

 

「あ、そう…」

 

やはり褒めてはいなかったようだ。

 

「……」

 

「……」

 

そこで僕らの会話がピタリと止まる。

 

気まずい沈黙が流れる。

 

何か気の利いたことでも言ってみようかと、頭を回転させていたその時。

 

ポンポン…と誰かが僕の背中を叩いた。

 

「…ん?」

 

僕は反射的に背後を振り返った。

 

すると…

 

「うぇうぇうぇうぇーい!!!こーーーぴょーん!ちーす!!!!」

 

鼓膜が掻けるかと思うほどの大きな声が、至近距離から脳天にぶち込まれる。

 

「…ッ!?…ってヘリオス!?」

 

突然の大声に変な声をあげながら、体がすくむ。

 

「うぃ!やっぱ見間違えじゃなかった!!がちでこーぴょん来てくれてんじゃん!!マジ神!まじラビュ!!」

 

そんな声と共に、さっきまでDJフロアにいたはずのヘリオスが全力の笑顔で僕の目の前に現れた。

 

汗で濡れた額、頬の赤み、キラキラした瞳が僕の表情を映す。

 

「……」

 

「……うぇ?こーぴょん?どしたん固まって」

 

「………ん、ああ、ごめんヘリオス、ぼーっとしてた」

 

ずっと会いたかった彼女が突然目の前に現れて、少し見惚れてしまっていたのは内緒だ。

 

「……へェ」

 

だが、その時。僕らの様子を近くで見ていたエアシャカールがフードの下でなにやら口角をニヤリと歪めているのが見えた。

 

「…仮にも『華麗なる一族』のアンタがねェ…ちっとは面白れェことになってンじゃねェか…」

 

彼女は僕とヘリオスを交互に見比べながら小さく何かを呟く。

 

「うぇ?」

 

…とその時、ヘリオスがエアシャカールの存在に気が付いた。

 

「うわああ!今日しゃ~たんいんじゃん!!よっす!!おつおつ~!」

 

「……チッ…オイ、その呼び方やめろっつってンだろ」

 

いつも通り明るく挨拶をするヘリオスに迷惑そうな顔で舌打ちをしながらも、返事を返すエアシャカール。

 

やはりこの二人は友人同士だったようだ。

 

「そいや、今日しゃ〜たんがオススメしてくれた機材で回したケド、まじチョーシよかった!がちあざまる水産!」

 

「…礼を言われるまでもねェ、ちょっと教えただけだろ」

 

エアシャカールはヘリオスにそう早口でまくし立てると、クルリと僕らに背を向けた。

 

「あぇ?しゃ~たんもう帰っちゃうカンジ?」

 

「…あァ…ちっと野暮用を思い出したンでな…それに、オレはお邪魔だろうしなァ」

 

彼女はそう言いながらチラリと僕の顔を見ると、ヒラヒラと手を振って歩き出す。

 

「じゃーな」

 

人混みの中に消えていこうとするその背中。

 

「…ちょっと待って、エアシャカール」

 

僕はその背中を呼び止めた。

 

「あァ?」

 

僕の声に面倒くさそうな表情をしながらもエアシャカールは振り返る。

 

一応、僕のピアノを褒めてくれたし、それに何より不慣れな場所で右往左往してた僕にヘリオスの居場所を教えてくれたんだ。

 

お礼くらいは言わないといけないと思った。

 

「今日は色々とありがとう、助かったよ」

 

僕がそう言って軽く頭を下げると、彼女は呆れたように大きなため息をついた。

 

「はァ…別になんもしてねェからわざわざ礼言ってくるんじゃねェ」

 

「あはは…」

 

相変わらずの冷たい言葉に、僕は苦笑いするしかない。

 

…だが、その態度の裏にはなんとなく、面倒見の良さというか、そういった彼女の独特な魅力が隠れているような気がする。

 

だから、僕は離れていく彼女の背中に、すこしだけからかいの気持ちを込めて口を開く。

 

「じゃあ、またどっかで会おうな…ふふ………しゃ〜たん?」

 

僕がそう言うと、彼女の肩がビクリと跳ねて振り返る。

 

そんな彼女に僕は笑顔で軽く手を振ってみた。

 

「はァ…」

 

彼女は呆れたようにため息をつきながらも口を開く。

 

「あァ、んじゃ…またな……こーぴょん」

 

そう言い残して、今度こそ彼女は雑踏の奥へと消えていった。

 

会ったことないタイプの人だったけれど、少しだけ心が温かくなった気がした。

 

(……うん、やっぱり普通にいい人なんだな)

 

僕はそんなことを考えながら、踵を返して背後にいるヘリオスに向き直る。

 

…だが。

 

「……」

 

後ろにいたヘリオスは、何故か無言で僕を見つめながら固まっていた。

 

「…え?どうした?ヘリオス?」

 

珍しく無表情で動きの無いヘリオスに困惑しながらも僕は声を掛ける。

 

すると、ヘリオスが僕の目を見ながらゆっくりと口を開いた。

 

「…ねぇ、しゃ〜たんとこーぴょんって、なかよぴさんだったん?いつから?」

 

「いつから?…いつからって…まぁ今日ここで初めて会ったばかりだよ。ヘリオスを探してるって言ったら、親切に教えてくれたんだ」

 

僕が困惑しつつも、そう説明すると、ヘリオスの表情にいつもの底抜けの明るさが戻る。

 

「……そかそかぁ!てっきりウチの知らん間にマブになってんのかと思ったし!なんかウケる!!」

 

そう言っていつもように、ケラケラと笑いながら僕の背中をバシバシと叩く。

 

(…さっきのはなんだったんだ?)

 

…と背中を叩かれながらも、僕が考えていると。

 

「あ!そーいえばこーぴょん!」

 

「どうしたヘリオス?」

 

ヘリオスが何かを思い出したようにポンと手を打つ。

 

「こーぴょんLANEで言ってたっしょ?ウチに『よーじ』がある的な!」

 

「あ……うん、そうだった」

 

ああ、すっかり忘れていた。そうだ、僕は彼女をコンクールに誘うためにここに来たんだった。

 

「ここだと音デカすぎてマジ語りできんし……一旦外出ね!?」

 

「まぁ、そうだな」

 

こんな大音量の中で、真面目なコンクールの話なんてできないだろうし…

 

そう考え、僕はヘリオスの提案に頷いた。

 

「りょ!んじゃ脱出ー!いくぜこーぴょん!」

 

そう言ってヘリオスが勢いよく僕の手首を掴む。

 

その手は思ったよりも小さくて、やたら熱かった。

 

「わわっ!?ちょ、力強くない!?」

 

「モーマンタイモーマンタイ!!」

 

彼女はそのまま、人混みをかき分けるように僕を引いて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重い防音扉を開けて地上に出ると、夕方のひんやりとした空気が火照った頬に気持ち良く当たる。

 

「ぷはーっ!外の空気うめー!」  

 

ヘリオスが大きく伸びをしていた。

 

「こっちこっち!いいとこあっから!」  

 

そう言って手を引くヘリオスに連れられてやってきたのは、クラブの近くにある小さな公園だった。

 

そして、ヘリオスが公園にぽつんと一つだけあるベンチを指差した。

 

「あっこなら誰にも邪魔されんし!ゆっくり話せるっしょ!なんかあのベンチエモいし!」

 

「…うん?エモいかな?」

 

普通のベンチに見えるけど…まぁ彼女には彼女の世界があるのだろう。

 

そんなこんなで、僕らは並んでベンチに腰を下ろした。

 

「んでんで〜?こーぴょんの『よーじ』ってなん!?マジ気になるんですケド!!」

 

「…ああ、えっと」

 

身を乗り出して、キラキラした瞳で僕を覗き込むヘリオス。

 

僕は胸ポケットに大事にしまっていたチケットに手を伸ばす。

 

だが、その時…

 

(……い、いざ誘うとなると、緊張するな)

 

急に血管が縮こまり、かいたことのないタイプの汗が額を伝う。

 

…うん、いきなり本題に入るのは些かハードルが高い気がする。 

 

僕は少し視線を逸らしながら、まずは雑談で空気を和ませることにした。

 

「あー…えっと、その前にさ、ちょっとヘリオスに聞きたいことがあるんだけど」

 

「ん?なになに!?なんでもきゃもん!」

 

「この前のレース場で会った時さ、なんか…ヘリオス『しゅきピ』って言ってなかった?……あれって、どういう意味?」

 

たしかヘリオスはあの時、ルビーのことを『しゅきピ』とかいう新言語で表現していたはずだ。その意味がずっとわからなくてモヤモヤしてたんだ。

 

…まぁ多分ポジティブな意味なんだろうけど。

 

僕の疑問にヘリオスはすぐに満面の笑みで答える。

 

「『しゅきぴ』!?こーぴょん知らんのマジか!?」

 

ヘリオスは立ち上がり、身振り手振りを交えて熱く語り出す。

 

「んーと…『しゅきピ』ってのは〜…なんかこうハートがビビビッ!てきて、バイブスがドッカーン!みたいな!?んで、もうその人のこと考えるだけで脳内がハピハピになるカンジ!?…まじ尊みヒデヨシ的な!」

 

(…と、尊みヒデヨシ?)

 

また知らない単語が増えた。

 

「そ、そうか……ありがとう、勉強になったよ」

 

…おそらく、これらは理屈ではなく魂で感じるタイプの単語なんだろう。

 

どうやら僕にはヘリオスの友人として、まだまだ修行が足りないらしい。

 

「どいたまる!!」

 

(…どいたまる?)

 

…まぁでも、変な雑談をしてたら、少し肩の力が抜けたような気もする。

 

(誘うなら今か…)

 

僕は大きく深呼吸を一つすると、意を決してポケットからチケットを取り出した。

 

「……ねぇ、ヘリオス」

 

「んー?」

 

「今回の僕の用事っていうのは……これなんだけど」

 

僕は恐る恐ると、チケットを彼女の前に差し出した。

 

「……これ、今度あるコンクールの予選のチケットなんだ」

 

「こんくーる?」

 

ヘリオスが不思議そうに小首をかしげる。

 

「うん……実は僕、ちょっとだけピアノを嗜んでて…そのコンクール」

 

「うぇ!?ピアノ!?こーぴょんピアニストまじ!?」

 

「…マジ」

 

「マジかぁ〜」

 

気の抜けた声のヘリオスを尻目に、僕はチケットを見つめながら、言葉を紡ぐ。

 

「ピアノのコンクールって基本クラシックばっかりなんだ、さっきのクラブみたいな盛り上がる音楽じゃないし……ヘリオスには退屈かもしれない…でも…」

 

そこで一度言葉を切り、僕は真っ直ぐにヘリオスの瞳を見つめた。

 

「もしよかったら……僕のピアノ、ヘリオスに聴きに来て欲しいんだ」

 

僕はそう言いながら、チケットを差し出す。

 

心臓が痛いくらいバクバクと鳴っている。

 

普通に断られるかもしれないし、なんなら「ピアノなんてガラじゃない」と笑われる可能性だってある。

 

そんな不安が頭をよぎった、次の瞬間だった。

 

「……」

 

「あの、ヘリオス?」

 

ヘリオスは目を見開いて固まっていたかと思うと、次の瞬間、バッと僕の手からチケットをひったくった。

 

「うおおお!?行くしかないっしょ!!こんなテンアゲイベント!!」

 

「…!?」

 

とんでもない大声で彼女はチケットに目を輝かせる。

 

「マジで!?こーぴょんのピアノ!?生演奏!?ヤバい!!ぜってーカッケーじゃん!激アツすぎる!!」

 

ヘリオスはチケットを頭上に掲げながら、目の前でぴょんぴょんと飛び跳ねる。 

 

「え、だ、大丈夫か?クラシックだぞ?眠くなるかもだぞ?」

 

「関係ないっしょ!!こーぴょんがやってるんでしょ!?なら絶対神!!間違いない!!」 

 

彼女は興奮冷めやらぬ様子で、僕の両肩をガシッと掴んだ。

 

「行く!!絶対行く!!最前列でペンラ振り回す勢いでかますから!!」

 

「いや、ペンライトはちょっと…」

 

「うおおお!!楽しみすぎてバイブス上がってきたーー!!こーぴょんマジさんきゅす!!」

 

「お、おい!ちょ、揺らさないで!」

 

前後に激しく揺さぶられながら、僕は安堵のため息をついた。

 

(……よかった)

 

こんなに喜んでくれるなんて思わなかった。

 

「えへへッ…ガチ楽しみなんだが〜♪」

 

紅葉のように赤く染る公園に、ヘリオスの楽しそうな笑い声とご機嫌な鼻歌が響き渡る。

 

その笑顔を見ているだけで、こっちまで笑顔になって、心が暖まる。

 

「…ふふっ」

 

さっきまでの緊張や焦りなんて、あっという間に全部吹き飛ばされてしまった。

 

「……あ」

 

…ふと、先のヘリオスの発言を思い出す。

 

『もうその人のこと考えるだけで脳内がハピハピになるカンジ!?…まじ尊みヒデヨシ的な!』

 

(…ああ、あれって…もしかして、そういうことなのかもな…)

 

目の前で子供のように喜ぶ彼女の姿に、つい、口元が緩んだ。

 

 

 

 

 

「…僕の『しゅきピ』って……ヘリオスなんだなぁ」

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

僕の呟きに楽しげに動いていたヘリオスが突然ピタリと止まった。

 

「………」

 

そして、彼女は固まった表情のまま僕を見つめる。

 

「…ッ〜〜〜!!!」

 

茜色の日差しに照らされ、彼女の顔は徐々に真っ赤に染まり始めた。

 

「……あ、あ、あの〜……紅さん……イマのって…マジ?」

 

珍しく、しおらしい様子の彼女。

 

(…なんでそんなに照れてるんだろ?)

 

僕はそんなことを考えながら、苦笑しつつも、彼女の目をはっきり見つめて…答える。

 

「うん……大マジ」

 

「……!!」

 

「…こんな気持ちになったのは…ヘリオスが初めてだ」

 

「……ッ〜〜!?」

 

その瞬間、彼女の頬と首筋が、もう一段、夕焼けよりも濃い朱色に染まり上がった。

 

「……あの、ヘリオス?」

 

一瞬の静寂。

 

彼女の大きな瞳のその奥が行き場を失ってぐるぐると回転しているのが見えた。

 

その瞳はやがて僕の顔で止まり、また弾かれたように逸らされる。

 

「きゅ…」

 

「きゅ?」

 

「きゅ、あ……あう……」

 

その後…

 

唇をパクパクとさせていた彼女は、何かがショートしたように頭を抱えた。

 

「…~~~~ッッ!! む、ムリムリムリぃぃぃ……ッ!!」

 

「うわっ!?」

 

彼女はそのまま、変な悲鳴をあげて糸が切れた操り人形みたいにベンチから崩れ落ちると、膝を抱えてうずくまってしまった。

 

「えっ、ちょっと、ヘリオス?大丈夫か?」

 

「……ムリ…今……こーぴょんと話せない」

 

「えぇ…」

 

おそらく、慣れない「しゅきピ」なんて言葉をよくわからないまま使ったのが良くなかったんだろう。

 

「…まぢ…きゃぱいよぉ…」

 

「……」

 

小さく丸まった背中の後ろで、彼女の尻尾だけが、ブンブンとちぎれんばかりに激しく左右に揺れている。

 

会話が成立しないまま…茜色の夕日が、ビルの向こうへと沈んでいく。

 

長く伸びた影が、ベンチの横で頼りなく揺れる僕と、横顔を真っ赤にしてうずくまる彼女を包んでいた。

 

「ねぇ、ヘリオス?」

 

「……まだ…ムリ…しんぞー…やばいから……でも…」

 

彼女は両手で顔を隠したまま、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、ボソリと付け加える。

 

「……うれ、しぃ…かも…です」

 

「……」

 

顔を隠した指の合間から、ヘリオスの潤んだ綺麗な瞳が切なげに僕を捉えていた。

 

その視線に…

 

「……ぐはッ」

 

重篤なダメージを受けた僕は思わず天を仰ぐ。

 

 

 

(…僕がルビー以外でここまでダメージを負うとは……しゅきピって…そんなヤバくて甘い言葉なのか…?)

 

 

 

 

…どうやら、僕が『しゅきピ』という言葉の、本当の意味と使い方を正しく理解するのは、もう少し先の話になりそうだった…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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