『華麗なる一族』に生まれた僕、パリピな太陽神に心を撃ち抜かれる。 作:えれくとろにくす
キーンコーンカーンコーン……
放課後を告げるチャイムの音色が、眠気を誘う暖かな日差しの差し込む教室に響き渡る。
「ん~…!終わった終わった~!」
私は大きく背を伸ばしながら、机に広げられた教科書を丁寧に鞄にしまい込む。
そして、前の席に座る親友の背中をポンポンと軽く叩いた。
「…ねーヘリオスー?今日トレーニングないって言ってたっしょ?私も今日暇だしさ、どっか遊び行かない?」
こういう誘いを私からするのは珍しい。
普段なら、私が誘う前に『ウェーイ!パマちんきょー暇っしょ!?どこ行く?カラオケ?それともクレープ的な?』と、やかましいくらいの誘い文句が飛んでくるからだ。
…だが。
「……」
返事が無い。
ヘリオスは窓の外、雲一つ無い青空をぼんやりと見つめたまま、微動だにしない。
「…おーい?ヘリオスさーん?もしもーし?」
私はヘリオスの顔を覗き込むように、目の前で手をヒラヒラと振ってみる。
すると、気の抜けた表情をしていた彼女の唇が僅かに動いた。
「…うぇいよぉ…ぽぽぽぽーん…空あけぇ……」
「……青空だよ?」
「…ん~?…ぐるぐる~……ぽっぽぴー…??」
「……」
…ああ。
ダメだ、完全にどこかが壊れてしまっている。
私は一度手を止めて、腕を組んで考える。
(…そーいや、今日のヘリオス…最初からおかしかったかもなぁ)
思い返してみれば、朝のホームルームからずっとボーっとしてたし、昼休みとかも今みたいにボケーっと空を眺めてただけだった気がする。
いつもの太陽のようなヘリオスが今日はまるで供えられたお線香みたいに静かだった。
「ねぇ…ヘリオス?今日は一体どうしちゃったのさ?いつものヘリオスらしくないよ?……もしかして、なんかあったん?」
「……!!」
私がそう尋ねると、ヘリオスはハッとしたような顔をして、私の方を見たが、直ぐにまた視線を窓の外へと移した。
「……えへへ」
そして、何故かその頬をポッ…と赤く染めた。
「……ねぇ…パマちん」
「ん?どしたん?」
ヘリオスは両手で熱くなった頬を包みながら、蚊の鳴くほどの小さな声でボソッと呟く。
「……ウチ…こーぴょんに『しゅきピ』……されちゃった」
「……え!?」
・
・
・
場所は移り、トレセン学園近くのファンシーな喫茶店、その一角。
「…ちょ!マッ!?それマ!?!? へ、ヘリオスが!?!?」
「ちょっとうっさいよジョーダン。声デカすぎ」
「だってだって!シチー?あのヘリオスだよ!?あの恋愛偏差値測定不能だったヘリオスさんがだよ!?」
目の前でテーブルをバンバン叩いて、興奮した様子で身を乗り出しているのはトーセンジョーダン。
そして、その隣でストローを咥えながら、少しだけ気だるげに、でも興味深げにウマ耳を傾けているのがゴールドシチー。
急遽収集された、いつものギャル友たち…所謂イツメンである。
「で!? 誰!? 相手誰なん!?」
ジョーダンの勢いに押されながらも、私は答える。
「ええっと…この前話したっけ?私とヘリオスがレース場行ったときに会った、ちょっと上品なカンジの男子なんだけど…ヘリオスの呼称は『こーぴょん』」
「あーあん時の!!なんか『おじょーのでびう絶対見に行くー!!』って言ってた時のだよね?」
私がそう教えると、ジョーダンはさらにヒートアップした様子で訪ねてくる。
「んでんで!どんな顔なん!?イケメンだった!?ねえパーマー?ウチら見れてないからさぁ!」
「あー…それがさ、あの時、なんか彼ずっと深くフード被ってて、私も顔はちゃんと見えなかったんだよねぇ…」
私はストローでアイスティーをかき混ぜながら、あの時の少し不思議な彼の姿を思い出す。
「あ…でもさ!雰囲気はマジで良いカンジだったよ?なんていうか…こう…育ちの良さがダダ漏れっていうのかな?所作もなんか丁寧だったし?なのにヘリオスのノリにも引かないで付き合ってくれる懐の深さアリアリな感じ!」
「はぇ~…パーマーがそう言うってコトは相当っぽいなぁ…なるほど顔を見せずともオーラ出ちゃってる系か~!そんなヤツからコクられたなんてやるじゃんヘリオス!」
ジョーダンが感心したようにうんうんと頷く。
そんな中、当の本人であるヘリオスはというと……
「えへへ……しゅきピ……うへへ……」
テーブルに突っ伏し、デレデレにとろけていた。
だらしのない表情で、もう瞳にハートマークが出てるんじゃなかってレベルの浮かれようだ。
「見てよこのヘリオスの蕩け具合!ずっとこの調子なんだよ?ヤバいっしょ?」
私は呆れつつも、親友に訪れた春にニヤニヤが止まらない。
(…友達の恋ってこんなに面白いんだなぁ)
…とそんなことを考えつつも、再度レース場で会った彼を思い出す。
(いやぁ~…にしてもあの真面目そうな彼がかぁ……あの人がまさか『しゅきピ』なんてワードを使うなんてなぁ…人は見かけによらないっていうか、愛の力ってすごいなぁ)
私がそう言いながら、腕を組んでうんうんと頷いていると。
「…ねぇ」
それまで静かにスマホをいじりながら話を聞いていたシチーが、氷をカランと鳴らして口を開いた。
「ん?どしたんシチー?てかアンタもっと喜びな?めでたいことがおきてんだよ?」
「…いやジョーダン、なんか水を差すようで悪いんだけどさ」
シチーは少しだけ呆れたような表情で、私の隣で蕩けているヘリオスに言葉を放つ。
「あの…ヘリオスさん、私はその『こーぴょん』って人に会ったことないんだけど…パーマーさんの話を聞く限り…どう考えてもコッチ側の人間じゃないでしょ?どっちかというと堅物寄りというか…」
…確かに私の記憶の中の彼はヘリオスやジョーダンみたいに騒がしい印象は無く、真面目な雰囲気だった。
「まぁ…確かに?」
「そうですよね…それで、そもそもそんな真面目な人がさ…」
シチーは頬杖を突きながら、核心を突くように口を開く。
「…『しゅきピ』の正しい意味、理解して使ってんのかってハナシですよ」
「「…あぁ」」
シチーの言葉に私とジョーダンの動きが止まった。
だが、シチーは構わず話し続ける。
「『しゅきピ』って、ヘリオスさんと友達のあたしたちには通じるカモだけど、フツーの人からしたら、ただのなんかふざけた造語くらいにしか思われない可能性あるじゃん?」
「…一理…いや、百理はあんね…それ」
ジョーダンのテンションがみるみるうちに下がってゆく。
私は慌ててヘリオスの肩を揺すった。
「ちょ、ちょっとヘリオス!惚けてる場合じゃないよ!起きて!重要な確認!!」
「……はっ!?どしたんパマちん!?」
私の決死の揺さぶりにより、ようやくヘリオスの瞳に光が戻る。
キョロキョロと辺りを見回すヘリオス。
そんな彼女に対し、シチーが再度、不安げな視線を送っていた。
「…あの、ヘリオスさん、さっきの続きなんですけど」
「んぇ? なになにシチー?しんみょーな顔しちゃってさ?」
「ヘリオスさん…その『しゅきピ』って言葉の意味、ちゃんとこーぴょんって人に教えましたか?」
そんなシチーの鋭い質問に、ヘリオスは自信満々に胸を張る。
「モチのロンっしょ!!ウチのパッション全部乗せでレクチャーしちゃいましたっ!!」
「……じゃあ聞きますケド…具体的にどう教えたんです?」
シチーが呆れ半分でそう問いかけると、ヘリオスは立ち上がり、身振り手振りを交えて熱弁を振るい始めた。
「んーとね! ハートがこう…ビビビッ!ってきて! バイブスがドッカーン!みたいな!? んで、もうその人のこと考えるだけで脳内がハピハ…「「「…はぁぁ」」」
その瞬間。
ヘリオスの説明を遮るように、私とジョーダン、そしてシチーの三人の間に、重苦しいため息が流れた。
私は天を仰いだ。
ジョーダンは「あちゃー…」と頭を抱え、シチーに至っては完全に無の表情でストローを回している。
「……あのさ、ヘリオス」
そんな空気が流れる中、ジョーダンがゆっくり口を開いた。
「その…こーぴょんってのはそもそもどんなヤツなん?」
「うぇ?」
「いやだから、ウチらもまだ顔見たことないし?気になるじゃん? どこの学校の人? 年上? 年下? もしかして大学生とか?兄弟とかいんの?」
そんなジョーダンの何の気もない質問。
確かに、私も彼の情報はほとんど知らない。
(……どんな人なんだろ?こーぴょん)
そんなことを考えながら、ヘリオスに視線を向けると…
「…とし…がっこー…きょーだい…?」
ヘリオスは腕を組み、うーんうーんと唸りながら天井を見上げていた。
その頭上には?マークが大量に飛び交っているのが見て取れる。
「うーん……」
ヘリオスはしばらく考え込んだ後、ハッとした表情で私たちの方を見て…言った。
「…ウチ…こーぴょんのコト…『名前』以外知らん…!!」
「「「はぁ?」」」
「…あ!ピアニストなん知ってたわ!」
「は?ピアニスト?」
ヘリオスの口から飛び出した意外な単語に、私たちは揃って首を傾げる。
「うん!なんかこんくーる?ってやつに出るらしくてさー!ウチ、それに招待されたんだった!」
「……コンクールって、ピアノの?」
「そ!まじ楽しみすぎて!今からきゃぱい!!」
ヘリオスは楽しそうに言うが、その言葉に私たちの表情が曇る。
(…フツー、ヘリオスをピアノのコンクールになんか呼ぶかな?)
「うおお!!とーじつ何持ってこっかなぁ?ペンラ?ウチワ?メガホン?どーしよ!」
…普通に考えれば、こんな騒がしいヘリオスをピアノのコンクールなんて厳正な場に招待するなんてあり得ない。
まぁガチで行くなら、そん時は私が色々教えるけど…
(いや、やっぱちょっとおかしいよね…?もしかして、ヘリオス…からかわれてんじゃ…)
私の中に、そしてシチーとジョーダンの中にも、全貌が全く見えない『こーぴょん』への不信感がムクムクと湧き上がってくるのが分かった。
「……ねぇヘリオスさん」
その時、シチーが低い声で告げる。
「…その男、今すぐココに呼び出して、どんな奴が知りたいから」
「おおー!賛成賛成!ヘリオスと仲良くすんならウチらとも仲良くしてもらわなきゃね!」
シチーの意見に賛同するジョーダン。
(…まぁ確かに、どんな人なのか確かめたい気持ちはあるなぁ)
私はそんなことを考えながら、チラリとヘリオスに視線を送る。
「うぇ!?こーぴょん呼ぶの!?ココに!?マ?」
「マジです、ヘリオスさんが変な男に騙されてないか、アタシらがチェックしないと」
「うぇ~こーぴょんいいヤツなんだけどな~…まぁいっか!ウチもこーぴょん皆に紹介したいし!呼ぶわ!」
ヘリオスは無邪気な笑顔で頷くと、ポケットからスマホを取り出し、軽快な指さばきでLANEアプリを開いた。
「えっとー……こーぴょん、こーぴょん……」
「……」
その時、隣に座っていた私は、つい何気なくヘリオスの手元を覗き込んでしまった。
「…あ」
見てはいけないものを見てしまった気がした。
トーク画面に表示されているのは、圧倒的な緑色の吹き出しの壁。
ヘリオスからのメッセージが、画面を埋め尽くすように連投されている。
『おはよー!』
『なんかきょーの天気アゲじゃね!?』
『ウマバなう!新作神!』
『(変なスタンプ)』
『(変なスタンプ)』
それに対し、相手からの返信。
『おはよう』
『そうなんだ』
『おいしそうだね』
……白い吹き出しが、ポツン、ポツンとあるだけ。
しかも、明らかに文章量に数倍の差がある。
「……」
私はそれを見て見ぬふりをして、そっと視線を逸らした。
これを指摘するのは、今のヘリオスには酷すぎる。胸の内にしまっておこう。そう決めた。
…あと全部に律儀に返信をしてるこーぴょんは多分普通にいいヤツだ。
「んー、こーぴょん即レスの時と遅い時で差が激しいんよなぁ……あ!既読ついた!」
そんな、私の気も知らないで、ヘリオスが声を弾ませる。
「早っ!なんて?」
ジョーダンが身を乗り出す。
「えっとねー……『ごめん、今日は外へでかけてるから無理だ』……だってさー」
「あー……」
場に落胆の空気が流れる。
まぁ急な誘いだったし、無理もないか…
「ぴえん……んー…てかこーぴょんが外へ出かけるとかレアじゃね?えーと…」
ヘリオスは一人でブツブツと呟くと、再びスマホに向かって指を走らせた。
「じゃあ外の写真ちょーだい、と」
『外の写真送って!』
そんなメッセージと共に送信ボタンが押される。
「「は?」」
私とシチーの声が重なった。
「いやいやいや、ヘリオス!?今のはさすがに重いって!」
私が慌ててツッコミを入れる。
誘いを断られた直後に「じゃあ外にいる証拠写真送れ」みたいなムーブ、普通に引かれるよ?
「うぇ?なんで?いつものことだよ?」
「い、いつもやってんの……?」
私が絶句していると、シチーが呆れたようにため息をついた。
「ヘリオスさん……それ、若干重めの彼女さんがやるムーブですよ?」
「うぇ?そーなん?ウチ的にはバイブスの共有的なカンジなんだけど……」
ヘリオスが不思議そうに首を傾げている、その時だった。
ピロン♪
軽快な通知音が鳴る。
「あ!写真来た!こーぴょん仕事はええ!」
「えっ、送ってくれたの!?」
まさかの返信に、私たちは再びヘリオスのスマホを覗き込む。
画面に表示された画像。
そこには、どこかの建物の前で、少し照れくさそうに笑う青年の姿があった。
背景には『アート展』と書かれた看板が見える。
「おおおー!今日顔映ってる!!激レアじゃん!!」
ヘリオスがテンションを上げて画面を私たちに見せてくる。
確かに、フードを被っていない彼の顔は初めてちゃんと見たけれど、普通に整った顔立ちで、育ちの良さが滲み出ている優しそうな青年だった。
(…なんかどっかで見たことあるなぁ)
…と私が考えていると、写真を眺めていたシチーが呟く。
「へぇ、まぁまぁイケてんじゃん」
「でしょでしょー!とりま保存保存~!」
嬉々として画像を保存しようとするヘリオス。
だがその時…
「……いや、ちょっと待って」
シチーの鋭い声が、その場を凍りつかせた。
「……どしたん?シチー」
シチーは画面を指差しながら、探偵のような目つきで静かに告げた。
「この写真って……どう見ても自撮りじゃなくて、他撮りですよね……じゃあコレって誰が撮ってるんです?」
「え?」
「それになんか明らかにアングルが低いし…もしかしたら撮影者は…」
「……あ」
その一言で、私の背筋に電流が走った。
言われてみればそうだ。
確かに、まるでデート中の彼氏を彼女が撮ったようなアングルに見えなくもない。
「……つまり、撮影者は背が低い女ってコト?」
ジョーダンがポツリと呟く。
「…??」
ヘリオスだけが、まだ状況を飲み込めていないのか「え? どゆこと? 通りすがりの人に頼んだんじゃね?」と能天気なことを言っているが…
「……ヘリオスさん」
シチーがスマホを取り出し、地図アプリを起動した。
「この展示会、ここからすぐ近くの美術館でやってます」
「え、近っ」
「……行きましょう」
シチーが立ち上がる。
「え? どこに?」
「決まってるでしょ。そのこーぴょんとやらが、一体誰と何をしてるのか……」
シチーの瞳が、ギラリと光る。
「私たちで直接、確かめに行きましょう…!!」
「うぇ、うぇい?」
・
・
・
ピコン♪
軽快なサウンドと共にさっき撮影した写真が送信されたことを確認すると僕は顔を上げる。
「よし……ありがとうルビー、ごめんね、わざわざ写真なんか撮ってらってさ」
「いえ、お兄様…お礼には及びません」
ルビーはそう短く答えると、無表情のまま僕を見つめた。
「ですが…お兄様がご自身の写真を撮りたいなんて…少し珍しいですね」
「ああ……ちょっと、ダチ…じゃなくて友人に頼まれてね」
ルビーの少し不思議そうな視線に、僕は頬をかきながら苦笑する。
「………左様ですか」
僕の言葉に、ルビーは何か言いたげに眉をピクリと動かしたが、すぐに元の無表情に戻った。
「それにしても…」
僕は話題を変えるように、少しだけ悪戯っぽい表情を浮かべてルビーに問いかける。
「そんなこと言うルビーこそ、今日はどうしたんだ?僕を誘ってお出かけなんて珍しいじゃないか……もしかしてお兄様のこと恋しくなっちゃたり…「いえ、別に…今日はそういう気分だっただけです」
「あ…そう?」
ルビーのそっけない返事に僕はしょんぼりと肩を落とす。
突然ルビーが僕に「美術館へご同行していただけませんか?」なんて言い出したもんだから、びっくりしちゃったよお兄様。
(でも…いつも綿密にスケジュールを管理してるルビーが突発的にお出かけをするなんて変だよな?)
「……では行きましょう、お兄様」
しかし、ルビーは僕の考え事なんて気にもせず、コツコツとヒールの音を響かせて、展示会の会場へと足を進め始めた。
その背中はいつも通り凛としていて、隙が無い。
(…まぁ、ルビーなりに気分転換したい日もあるのかな?)
僕はそんなことを考えながら、その小さな背中を追って歩き出した。
・
・
・
会場内は、静寂に包まれていた。
壁一面に飾られた絵画、奇抜な形のオブジェ、そしてそれらを鑑賞する高級そうな服を纏った人たち。
僕とルビーはその中を、並んでゆっくりと歩いていた。
「……ふむ」
僕は目の前に飾られた、赤と青の絵の具がぶちまけられたような抽象画を眺めながら、内心で首を傾げる。
(……正直、よくわからん)
音楽なら多少の知識はあるつもりだが、美術に関してはからっきしだ。
教養として最低限の知識は持ってはいるが、この絵が何を表現してるのかとか、何が素晴らしいのかはあまりピンとこない。
(……これ、どういう顔をして見れば正解なんだろう?)
そんなことを考えながらも、ちょっとだけ真剣な表情を作って絵画を眺める。
すると…
「……この作品は、画家の内面にある混沌と秩序の対立を描いた彼の代表作です」
隣からかわいらしい声が響く。
横を見ると、ルビーが真剣な眼差しで絵画を見上げていた。
「特にこの赤の色彩は、彼が幼少期に体験した戦火の記憶を象徴しており、対する青は戦後の復興への希望を表していると言われています。また、筆致の激しさは当時の芸術運動の影響を色濃く受けており……」
ルビーの口から、専門的な解説が次々と紡ぎ出されていく。
画家の生い立ちから、技法、時代背景に至るまで。
その知識量は、僕が教養として知っていた範囲を優に超えていた。
「……まぁ…お兄様なら、この程度ご存知でしたでしょうか?」
最後にそう締めくくるルビーであったが、僕の妹は僕のことを完璧超人だとでも思っているのだろうか?
知ってるわけないだろうそんな詳しいことを…
兄としては少し情けないが、知らないものは知らないので僕は素直に口を開く。
「いや、流石にここまでは知らなかったよ、よく知ってるね」
僕がそう声を漏らすと、ルビーは一度言葉を切り、こちらを見ずに淡々と続ける。
「……来月、著名な芸術家の方々が出席される会食に参加する予定がございますので。その予習として、少し勉強したまでです」
(なるほど、だから急に美術館に…)
納得した。
やはり、ルビーの行動には全て『華麗なる一族』としての意味があるのだ。
解説を終えたルビーの横顔を、僕はそっと盗み見る。
その表情こそ、いつもの鉄仮面のように崩していないが、その胸は少しだけ誇らしげに張っているように僕には見えた。
「……」
まるで、一生懸命覚えてきた知識を、兄である僕に披露できて満足しているような。
(…くっ…だとしたら僕の妹はかわいすぎる…!)
そんな訳無いのに、一度そう認識してしまうと、なんとも健気な妹の姿に、僕の内心はデレデレにとろけそうになるのを必死に抑える。
だが、それならば兄として、ここはもっとちゃんと褒めてあげないといけない。
僕は表情を緩め、優しく微笑みながら彼女に声をかける。
「そっか……ちゃんと準備をしていて偉いよルビー、流石は僕の妹だ」
「……」
僕の言葉に、ルビーは小さく瞬きをした。
「……それだけですか?」
「え?」
「……いえ、なんでもありません」
ルビーは一瞬、何故か不満げな表情を浮かべた気がしたが、すぐにプイと顔を背けてしまった。
「……次へ参りましょう」
スタスタと歩き出すルビー。
(……あれ?やっぱり僕からの褒め言葉なんて要らなかったのかな…?)
そう肩を落としながらも、僕は彼女の後を追う。
それからも、僕たちは会場内の作品を順に見て回った。
・
・
・
「こちらの彫刻は、ルネサンス期の影響を受けつつも現代的な解釈を加えたもので……」
(…なるほどなぁ…普通に勉強になるなぁ…)
「……」
ぼんやりとそんなことを考える僕をルビーが無言でじっと見つめている。
「えっと…すごいね、ルビーのおかげですごく楽しめてるよ」
僕は取り敢えず、そう言って微笑むが、ルビーはまた小さく頷くだけで、納得している様子は無かった。
(…どうしたんだ?何が不満なんだルビー?)
そんな疑問を抱きながらも鑑賞は進む。
「……これは…」
「なるほど…」
それからも作品の前に立つたびに、ルビーが流暢な解説をしてくれる。
そして僕はそれを聞き、感心し、彼女を褒める。
一見すると、兄妹仲良く芸術鑑賞をしているだけの微笑ましい光景だ。
……だが、そこで…
(……気のせいだろうか?)
僕は、ある違和感に気づき始めていた。
作品を一つ解説するごとに。
そして、僕が彼女を褒めるごとに。
「……」
ルビーの立ち位置が、少しずつ、少しずつ……僕の方へと近づいてきているのだ。
最初は人一人分空いていた距離が、今では肩が触れそうなほどに近い。
そして何より……
(……視線が、痛い)
解説を終えた後のルビーの視線が、回を重ねるごとに鋭さを増している気がする。
まるで、何かを訴えかけるような、無言の圧。
(なんだその視線は…!ルビーは僕に何を求めているんだ…!?)
そんな僕の疑問に答えは出ずに、結局、最後の展示エリアにある大きな絵画の前で、ルビーの解説が終わった。
「……以上のことから、この作品は現代美術における一つの到達点と評価されています」
最後まで完璧な説明だった。
僕はいつものように、感嘆の声を上げる。
「すごいな、本当によく調べてあるよ。僕じゃとてもそこまで理解できなかった。ありがとう、ルビー」
僕は最大限の賛辞を送ったつもりだった。
……しかし。
「…………」
ルビーは無言のまま、僕の顔をじっと見上げている。
その瞳は、瞬き一つせず、僕の目を射抜いていた。
(…そんなに見つめられると普通に照れるんですケド)
「…ええっと…はは」
沈黙と照れくささに耐えきれず、僕は視線を彷徨わせる。
その時、目にかかった前髪が少し鬱陶しく感じて、僕は無意識に右手を上げた。
「…ん」
僕の手がルビーの頭の高さに差し掛かった、その瞬間。
ビクッ…
ルビーの肩が、小さく反応した。
そして、彼女はほんの少しだけ……僕の手のひらの方へ向けて、頭を傾けた。
その仕草は、まるでこれから降ってくる『何か』を待ち侘びるようだった。
「……」じっ
彼女の上目遣いの何かをねだる視線が僕に刺さる。
(な、なんだ…?)
気にせず、僕はそのまま目にかかった前髪を直して、手を元の位置に下げると…
「……」シュン
(…あ、今シュンってなった明らかに…)
そんなルビーの様子を見た僕はやっとこさ一つの結論にたどり着いた。
「…ねぇルビー?もしかしてさっきから……僕に頭を撫でてほしかったのか?」
「…!」
僕のその問いかけに、ルビーはハッと小さく目を見開いた。
だが、すぐにいつもの冷静さを取り繕うように咳払いを一つする。
「…何を仰っているのですか?お兄様。私は『華麗なる一族』の一員です。そのような……子供のように頭を撫でて欲しいなどと……」
彼女はフイと顔を背けて、そっけない態度で否定する。
だが、彼女の足は一歩も動いていないし、背けたはずの顔も、チラチラと僕の手元を伺っているのがバレバレだった。
もう一度言うが、僕の妹は普段無表情な分、表情の変化がわかりやすいのだ。
「……ふふ」
僕は彼女の否定の言葉を聞き流し、そっと手を伸ばした。
「……あ」
僕の手のひらが、彼女の頭に触れる。
ふわりと、柔らかい感触。
僕は彼女の綺麗に結われた髪を崩さないように、細心の注意を払いながら……慈しみをたっぷりと込めて、その頭を優しく撫でた。
「……ん…」
すると、さっきまで強張っていたルビーの肩から、スッと力が抜けた。
張り詰めていた鉄仮面のような無表情が、魔法が解けたように緩んでいく。
「……お兄様…」
目を細め、口元を僅かに緩ませて、手のひらの温もりを堪能するようなその姿は……まるで喉をゴロゴロと鳴らして甘える猫のようだ。
(……かわよい)
僕はそんな彼女が満足するまで、ゆっくりと、何度も頭を撫で続けた。
そして、しばらくして。
「……」
僕がそっと手を離すと、ルビーは名残惜しそうに、離れていく僕の手を目で追った。
その瞳が、捨てられた子犬のように寂しげに揺れる。
「そんなに寂しそうな顔をしなくても、頭くらいいつでも撫でるよ」
「…!」
「ルビーはいつも頑張りすぎてるくらいだから、たまには息抜きも大事だろ?…僕にならいつでも甘えていいからさ」
僕がそう言うと、ルビーは驚いたように一度きょとんとして……
「…ふふっ」
次の瞬間、小さな花が咲いたようにクスリと笑った。
「……そうですか、お兄様……それでは、遠慮なく」
言うが早いか、ルビーはスッと距離を詰めると、僕の体に自分の体をピタリと寄せた。
「うえ?…ル、ルビー?」
柔らかい感触と、甘い香りが一気に僕を包み込む。
公衆の面前、しかも美術館の中でこの密着度は良くない。
「…いやルビー?流石に人目は気にしてくれないか?」
僕が小声で注意するが、ルビーは涼しい顔で僕の腕にすり寄るだけで、離れようとしない。
「
「まぁそうだけどさ…」
「……私は今、どうしてもこうしたい気分なのです」
そう言って、彼女は僕を見上げて微笑む。
「……はぁ」
その確信犯的な笑顔に、僕は白旗を上げて大きなため息をついた。
「次からはちゃんと、場所を考えるんだよ?」
「はい、善処します」
僕が観念して歩き出すと、ルビーは僕の腕に自分の細い腕を絡め、さらに強く寄り添ってきた。
華奢な体温が、僕の腕を通して伝わってくる。
(……全く、僕の妹は僕のことを好きなのか嫌いなのか、本当にわからないなぁ…まぁどっちでもかわいいけど)
ツンケンしたかと思えば、こうしてベタベタに甘えてくる。
その温度差に翻弄されながらも、僕は自分の顔がデレデレと緩んでしまっているのに気がついていた。
そうして、僕らが会場の出口へ向かって歩いていると。
「……」
ふと、腕を組んでいるルビーが、進行方向とは違う……通路の物陰の方へ視線を向けているのに気がついた。
「…?…どうしたんだルビー?そっちに何かあるのか?」
僕が不思議に思って尋ねると、ルビーはすぐに視線を戻し、何事もなかったかのように前を向いた。
「いえ…なんでもございません」
「そっか」
淡々と答える彼女の横顔は、いつもの冷静なルビーに戻っていた。
だから、僕は気づかなかった。
その「なんでもない」と言った彼女が…
誰かに向けて少しだけ勝ち誇ったような表情をしていたことを…
・
・
・
美術館の通路の物陰。
「「「「……」」」」
そこには4人のウマ娘が、仲睦まじく寄り添い合って去ってゆく紅とルビーの姿を眺めていた。
「……いやぁ…ありゃ…ちっとムリゲーだわヘリオス」
「…ちょっとジョーダン?今そーゆーコト言わない」
沈黙を破ったジョーダンにシチーの氷のように冷たいツッコミが飛ぶ。
「え、あ、いや……ごめん」
ジョーダンは慌てて両手を合わせるようにして謝り、視線を泳がせた。
「……」
そして、三人の視線は自然と一点に集まる。
ずっと、黙って…紅とルビーの背中を見つめ続けていた…ヘリオスの方へ。
「……ヘリオス」
パーマーが、心配を隠しきれない声で名前を呼ぶ。
「……」
ヘリオスは、微動だにしなかった。
そんなヘリオスを見かねたパーマーが慰めるように口を開く。
「ねぇヘリオス、もしかしたら2人は兄妹かもしれないし…」
「いや、兄妹の距離感じゃないっしょ…アレは」
「ちょっと!ジョーダン!」
「…あっごめん」
…またしても、沈黙がその場を支配する。
だが、その時…
「うおおお!!あちいいい!!やべえええ!!」
ヘリオスが突然顔を上げて叫び出した。さらにその表情はいつものように底抜けに明るい。
「「「え?」」」
ヘリオスの様子に驚愕する他3人。
だが、それに構わずヘリオスは続ける。
「ウチのしゅきなもんが!!二つも一緒に並んでんよ!!これさこれさ!!うまいことやればウチが2つともゲッティングできんじゃね!!的な!!??」
ヘリオスは両手をぶんぶん振り回しながら、訳のわからないテンションで叫び始める。
「うおおお!!燃えてきたあああ!!!」
「「「……」」」
一拍。
パーマーが口を開いた。
「……え、ヘリオス、なんか……大丈夫そ?」
「大丈夫っしょ!!むしろマカセロリ的な!!」
ヘリオスは即答し、ニカッと笑う。
その様子を見たジョーダンが、肩の力を抜くように息を吐いた。
「……なんだよ。心配して損したわ」
「ほんとそれ。こっちは一瞬、修羅場かと思ったんですけど」
シチーも呆れたように髪先をくるくる回しながら言う。
「もー解散解散~!はい、寮帰るよ!ほらヘリオスも!」
ジョーダンの言葉と共に3人が立ち上がり、歩き出す。
「うぃ!帰ろ帰ろぉー!」
ヘリオスもそれに続き、三人と一緒に歩き出した。
・
・
・
…だが、その時だった。
「……」
ヘリオスが一歩、踏み出した瞬間。
なぜか、胸の奥がチクリと痛んだ。
ほんの一瞬。
針でつつかれたみたいな、妙な痛み。
「……?」
ヘリオスは歩きながら、胸元をぎゅっと握る。
(……ありゃ?なんだコレ!?)
明るい笑顔のまま、紅とルビーの姿を思い出す。
2人がどんな関係かはまだ分からない、でも尋常じゃないほど仲が良いことは確か…
好きなものが二つ良いカンジに並んでいる。
それなのに…
(……ウチ、嬉しいはずなんだケドなぁ……)
そう、心の中で小さく呟いて…
ヘリオスは、何事もなかったようにまた足を進めた。